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町のホルモン屋さん 山田ホルモンの若旦那

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2005年04月12日
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カテゴリ:若旦那の日記
朝はちょっと贅沢にルームサービスで朝食。6時半に部屋のチャイムが鳴った。タキシードを着た男の方が大きなトレーを片手に、部屋に入ろうとしたその時、トレーを角におもいっきりぶつけて、コショーを落とした。ガチャンという音ともにコショーの瓶は粉々に散り、コショーが部屋に散乱した。

動揺した男はすぐに掃除機を持ち込み何も言わずに掃除をしだした。バタバタと走りながら私たちに駆け寄り、肩で意気をしながら、「サインをお願いします。」代わりのコショーはないし、謝罪もない。ホテルの外観や景色は一流だが、サービスは二流である。

7時半には旅支度を整え、タクシーで釜山駅を目指した。今日のルートは午前は慶州で観光し、午後は大邱に向かい私の祖父の『故郷』論工邑に向かうのだ。タクシーの運転手が何処に行くのかと聞くので、今日は上記のルートで回ると言うと、2万円で私が全て案内してやると言った。

観光ガイドに、ソウルでタクシーを貸しきって8時間観光すると1万円だと書いていた。釜山だけじゃなく、慶州を周って、大邱にもよってくれると言う。しかし2万じゃ高い。私たちは当たり前のように、『2万じゃ高いよ!』と言うと、1万5千円に負けてくれた。

釜山の観光名所、海雲台、広安里、月見の丘を回りながら一路慶州に向かった。慶州までは高速道路で2時間である。このタクシーの運転手は京都のMKタクシーで少しの間研修を受けたことがあるという。韓国のタクシーにしては運転も丁寧である。年は64歳だが若々しい。『メダルを3つも持ってるんだ。』と言うのが口癖である。警察庁、国、タクシー会社からメダルを貰っているようだった。

慶州のインターを降りて、仏国寺に行くまでのメイン通りは延々と桜並木である。韓国では今が桜の満開で道路の脇は薄紅の桜色一色である。桜というと日本のイメージが強いが、韓国でも愛されているのである。慶州は日本でいう京都とよく言うが、私は奈良のような感じを受けた。聞くと仏教は一時弾圧を受けたため、寺は全て山の奥に入ったという。京都は街中に寺が散在するが、慶州は人里離れた山奥にひっそりと佇んでいる。

ようやく仏国寺に着いた。小高い山の中に入っていくと遠足に来た小学生が先生に連れられ寺を周っている。日本の光景によく似ている。しかし山の中にあるので自然と建物共存している。タイムスリップしたかのような光景である。京都は現代建築との違和感が否めないが、ここは本当に昔と変わらない形で残されているのであろう。

次にそこから車で30程更に山奥にある石窟岩を目指した。岩山をくり抜いたその石像は、韓国の宝だという。そこの向かう途中に石碑が建てられていた。そこには「イギリス人がインドを失くしてもシェークスピアを失くせ無いように、私たちは石窟岩を失くす事はできない。」といった文句が書かれていた。

軽い昼食をとって大邱に向かう。慶州からは高速道路で1時間ほどである。私はここらの地理感覚が無いので達城郡論工邑はすぐ近くだと考えていた。若女将の祖父の『故郷』も近くの軍威郡だといっていたのでどちらも寄って欲しいと頼んだ。しかし軍威郡はここから更に一時間かかるという。若女将も長い時間タクシーに乗っていた為、軍威郡には寄らず釜山の帰り道にある論工邑だけ寄ろうと言う事で承諾した。

タクシーは達城郡に向かうはずであった。ジャンクションでタクシーは大田(テジョン)方面に入っていった。私は方向的には釜山方面じゃなかったのかなと思いながらも、でもタクシーの運転手が間違えるはずはない、いやそうであって欲しいと願っていた。ぐんぐんと奥地に向かっている。若女将もなんとなく不信な顔で私の顔を伺っている。

大田といえばソウルに向かう中間地点である。方向はまったく逆のはずである。と思った瞬間、タクシーは脇に停まった。運転手は地図に穴が開くほど覗き込み、また車を走らせた。『軍威郡もそう遠くないから寄って見ようか?』。なんと自分の間違いを棚に上げて、それを覆い隠すかのように、さっき遠いので行かないと言った軍威郡に寄ろうと言うのである。まな板の鯛ではないが、乗っかかった船である。『軍威郡にいきましょう。』と承諾した。

地図を貸してもらうとなんと軍威郡も方向が違う。しかしぐいぐいと大田方面に向かう。気が付いたようにあるインターで降りると、『ここが君の故郷か。いい所だね。降りてみな。』と言い出した。『ここは朴前大統領の生家があって…』。恐らく地名を間違えているのである。じゃなかったら少しボケているかもしれない。

『ここはもういいから達城郡に向かってください。』と私は切れるように言った。もうこの運転手には任せてられないと思った私は、運転手から地図を借りてナビゲーションをかって出た。『このインターチェンジはこっち方面です。…このインターで降りてください。』インターを降りて右に曲がると論工邑である。

しかし運転手は地図を見ながら左を主張した。押し問答の末、運転手は窓を開け通りがかりのおばさんに、『論工邑!!論工邑は何処だ!!』と怒鳴り散らした。おばさんは、(あんたタクシーの運転手でしょ。)といった顔で苦笑いを堪えている。後ろに停まったバスの運転手に聞くとやはり私が当っていた。右である。

やっとの事論工邑に辿り着いた。小高い山の裾野に畑や田んぼが広がっている。何も開発が進んでいない韓国の原風景である。それはまた祖父が日本で暮らした筑豊のボタ山の風景にもよく似ていた。ここで暮らし、ここで遊び、ここを発ったのである。そう思うとこみ上げるものがあった。私たちは、おそらく祖父が住んでいたであろう村に向かい、小さく手を2度合わせた。

それから1時間半ほどかけて釜山に帰った。『おじさんに会わなければ故郷には行けませんでした。ありがとうございます。』と言うと、『私も今日は余計に働いたよ。なんせ500キロも走っているんだから…』。500キロというと釜山からソウルまでの片道である。別れ際に、『もうちょっと貰わないと割に合わないよ。』と運転手がいったが、『約束は1万5千円です。これ以上は持っていません。』ときっぱり断った。感謝はするが、約束は約束である。しかし高速代金はこっち持ちだが、ガソリン代は運転手持ちである。2回も満タンにしていたので本当に割に合わない仕事だったかも知れない。





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最終更新日  2005年04月15日 23時58分24秒
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