ドリアン助川「あん」のラジオドラマ、小説、映画
2014年2月23日の日曜日、南日本新聞会館みなみホールで開催された「柳家喬太郎独演会」を夫婦で大いに楽しんだ夜の帰宅途中、私たち夫婦が車中で偶然耳にしたのが西田敏行と竹下景子が演じるつぎのような内容のNHKのラジオドラマでした。 ある刑務所帰りの中年男が小さなどら焼き屋を営んでいますが、彼にはどら焼き作りに対する情熱など全くなく、どら焼き用のあんには既製品を使い、なんの創意工夫もなくただ身過ぎ世過ぎのためにどら焼きを作って販売する単調な毎日を送っていました。そんな彼が店に出した「バイト募集、年齢不問」の貼り紙を見て指の曲がった一人の老婆が訪れてきます。バイト募集に年齢不問と書いたけれど、相手は70代半ばの老婆で指も不自由そうです。一度は断ったのですが、老婆が「食べてみて」とタッパーに入れて渡したあんの美味しさに驚ろかされ、雇ってみると彼女は大変なあん作りの名人で、瞬く間に店は繁盛するようになります。しかし、男が体調を壊した翌日から、老婆が店頭で接客もするようになります。ところがそんなどら焼き屋にオーナーの「奥さん」がやって来て、老婆がらい病患者ではないのか言い出し、店の評判が悪くならないうちにすぐに辞めてもらうようにしなさいと言われます。 このラジオドラマは連続ものだったようで、私たち夫婦が帰宅する前にラジオの第1回目の放送が終わり、面白そうな話だねといいながらもその後続きを聞く機会もありませんでした。ところが約1年後になって、ネットで偶然検索していて、このラジオ番組がNHK「新日曜名作座」で放送されたドリアン助川「あん」という小説の全6話中の第1回目ということが判明し、ポプラ社から販売されているとのことなので早速購入することにしました。 小説では、どら焼き屋「どら春」を営む千太郎がオーナーの奥さんから老婆の吉井徳江を解雇するように言われたその夜、インターネットでハンセン病について調べ、昔はらい病と呼ばれ不治の病とされて隔離されたが、いまは万が一発病しても即効で完治し、感染源になることもない等のことを知り、吉井徳江を雇い続けることにします。しかし次第に売上がどんどん落ち込み、そのことと世間のハンセン病に対する偏見とが関連していると事情を察した吉井徳江からどら焼き屋を辞めさせてもらいたいと申し出があり、「昔の私はもう生涯外に出られないと覚悟していた」が「自由にここにやってこられて、たくさんの人に会えて、店長さんがやとってくれたからよ」と感謝の言葉を残して店を去っていきます。 後日、中学生のワカナちゃんがアパートで飼えなくなったカナリヤの入っている鳥籠を持って「どら春」に久し振りに現れ、店で親しくなった吉井徳江からカナリアを預かってもいいと言われているので彼女に会いに行きたいと告げられます。それで千太郎はワカナちゃんと一緒に吉井徳江が住んでいるという「天生園」に赴き、無事にカナリアを吉井徳江に預けることができました。小説はこの「天生園」での千太郎、ワカナと吉井徳江との再会のエピソードを詳しく描き、そのこと通じて過去のハンセン病患者に対する非人道的で過剰な差別的隔離政策とそのなかで生きてきた吉井徳江たちの苦しみと喜こびやいまも私たちの心の奥に横たわる偏見の存在をあぶり出します。 小説は、後半になって2度目に訪れた「天生園」で吉井徳江からヒントを得た「逆転の発想」の塩どら焼き作りに千太郎がチャレンジする話になります。しかし小説は塩どら焼き作り成功のハッピーエンドで終わるのでしょうか。残念ながら小説はそんなハッピーエンドものではありません。 しかし、徳江から千太郎に寄せられた最後の手紙の満月の囁きの話が強いメッセージを読者に残してくれます。徳江にはずっと「世の役に立たない人間は生きている価値がないという思いがあった」そうです。それがある満月の夜、「園の森を一人で歩きながら、煌々と光る満月を見ているときでした。(中略)月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。お前に見てほしかったんだよ。だから光っていたんだよ、って。その時から、私はあらゆるものが違って見えるようになりました。私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものはきえてしまうでしょう。ただそれだけの話です」。この小説の読者へのメッセージは徳江が千太郎に手紙に残した「私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた」と言うことなのではないかと思いました。 この小説を原作とする映画が鹿児島市内でも上映されましたので、どのように映像化されているか興味を持って観に行きました。監督は河瀬直美で、永瀬正敏が千太郎を演じ、樹木希林が吉井徳江を演じ、内田伽羅がワカナを演じ、浅田美代子がオーナー役を演じていました。 映画は桜並木の桜が満開の通りに店を開いている「どら春」の全景を映し出すところから始まります。桜の花が美しい季節に徳江が千太郎のどら春にやって来て、桜が散った後に瑞々しい緑の若葉が茂り出した頃に雇われた徳江から指導を受けて千太郎が懸命にあん作りに取り組む様子が丁寧に描かれ、雨が街を濡らし紅く色付いた枯葉が散り出す秋雨の季節とともにどら春の売り上げが急速に落ち込み、徳江も店から去って行き、木枯らしが強く吹く寒い季節に千太郎とワカナがカナリヤを徳江に預けに木々がうっそうとはい繁る「天生園」におっかなびっくり入っていきます。このように春夏秋冬の季節のうつろいとともにドラマは進行していきます。 また徳江の丁寧な指導を受けて千太郎が瑞々しく輝ている小豆を時間を掛けてゆっくりと美味しそうなあんに変えていく様子も映像化の魅力を充分に発揮していました。閉店前に大きなボールに小豆を水でひたしておき、翌朝は日の出とともに店に出て、その小豆をザルに取って濁った水を捨て、鍋に入れてからも何度も沸騰と水差しを繰り返した後、木べらをゆっくり回しながら弱火で煮込んでいくのですが、徳江がときどき小豆に声を掛けており、本当に小豆にも命が宿っているに感じられました。 千太郎がこのように丁寧に作ったあん入りのどら焼きを一つまるごと食べた後、「俺、どら焼きひとつ食べるなんてまずないことなんですよ。甘党じゃないんですよ」と言って徳江をちょっと驚ろかせる場面も印象的でした。このあんの美味しさが評判を呼び、「どら春」は行列が出来るお店となり、初めは徳江をあん作りだけをする約束で雇ったのですが、忙しくなって接客もしてもらうようになり、そのことから悪いうわさが立つようになり、売り上げが急速に落ちて徳江が辞め、さらに千太郎も「どら春」の店長を辞めざるを得なくなります。 しかし、この映画のラストは、満開の桜が咲いている広場の小さな屋台の前で千太郎が「どら焼きいかがですか。どら焼きいかがですかあ」と客に声を掛け、そこに子どもの「どら焼きください。10こください」との声がかぶせられて終わっています。千太郎はどら焼き作りをあきらめないで、徳江から教わったあん作りを引き継いで行くつもりのようですね。 映像化ならではの効果と言えば、どら春で働き始めた徳江の顔に輝きが生まれ、どら春を辞めて「天生園」に引き籠った徳江にその顔の輝きが失われ白髪が増えている姿が観客に強い印象を与えたことと思います。原作のメッセージとは異なり、人が生きるとは他人(ひと)との交わりの中にあり、特に自らの行為が他人(ひと)に意味を持つことにあるのではないかと痛感させられました。それだけハンセン病の隔離政策の非人道性が心に強く訴える映画だったように思います。