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2011.07.15
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カテゴリ:史跡巡り
 旧東海道の終点にして京の入口でもあった三条大橋。
 およそ150年ほど前の文久3年(1863年)春、はるばる江戸から中仙道を徒歩で15日間掛けて京に辿り着いた浪士組(の一部が後に新選組となる)の一行は、この橋をどのような思いで一歩一歩踏締めて渡ったことであろう。
 そして今、猛烈な暑さと背中に背負った荷物の重さでヨレヨレになりながら、私もまたこの橋を感慨深く踏み締める。
 嗚呼、憧れと怖さを併せ持つ、仰瞻と畏怖の街・京都。悠久の歴史の流れをその水面に映し続ける鴨川のせせらぎに耳を傾けながら、私は三条大橋の下で日焼け止めを塗りたくる…。

 14時、北山通り他を案内して下さった某ブロ友さんに四条通りまで送っていただき、そこからはてくてくと坊城通りを南へ歩いて、この日第2の目的地である壬生寺へと向かう。途中、新選組壬生屯所跡として知られる八木邸の前を通るのだが、以前に訪れたことがあるので今回は素通り。
 壬生寺を初めて見たのは23年前…大学に入学して間もない頃に研修で京都を訪問した際、夕暮れ時にそっと抜け出してバスに乗り、憧れてやまなかった壬生寺に一人でやって来た。
 今では阿弥陀堂(歴史資料室)なんていう建物からでないと墓所に行けないようだが、当時は勝手に参ることが出来た。辺りはすっかり闇に包まれて少々不気味ではあったが、八木邸で近藤派に暗殺された初代局長・芹沢鴨平山五郎、帳簿不始末で処刑された勘定方・河合耆三郎の墓碑等を直に見て、感動と恐怖のあまり泣きそうになったものだった。
 今回行ってみると新選組隊士のコスプレ姉ちゃんが3人、表門あたりにたむろしていた。彼女達も私も新選組を愛する気持に変わりはなく…ってことは私も彼女達と傍から見れば似たり寄ったり!? ちょっぴり気恥ずかしくなり、大慌てで壬生寺を出たショック

壬生寺.jpg 壬生寺本堂 写真が暗すぎてちっとも見えないっす(><)

 壬生寺の向かいにある新徳寺(新徳禅寺)は浪士組の本営が置かれたところで、八木邸斜め向かいにある旧前川邸といえば、攘夷派・古高俊太郎の拷問が行われたり、総長・山南敬助が切腹したりした壬生屯所跡である。
 これらの史跡をひとしきり眺めてから、仏光寺通(原田左之助の奥さんが仏光寺の町人の娘さんだった)や綾小路通(山南さん等20余名の隊士の墓所である光縁寺がある)をてくてく散策。

 ここで新選組関連の史跡巡りを終え、阪急大宮駅から再び京都河原町駅へ戻り四条河原町を汗を拭き拭きうろうろてくてく。MOS BURGER玄米フレークシェイク・玉露あずき(美味ッ!)で涼を取り、再び歩き続ける。
 ちょうど祇園祭の山鉾巡行の準備中で、四条通では「鉾建て」といわれる巨大な鉾の組立が行われていた。祇園祭に全く馴染みのない田舎者(私)はただの珍しさからボケ~っと眺めるだけだったが、地元の方と思われる皆さんはその様子を熱心に携帯カメラで写真に収めていた。

 目的もなく適当に歩き続けること暫し、目の前にはまたもや三条大橋が!どうも無意識に足が三条大橋へ、というより三条河原へと向いてしまうようで(^^;
 前編でも少し触れたが、三条河原ではかつて処刑や晒し首が行われていた。近藤勇豊臣秀次と家族達が、更には大盗賊・石川五右衛門が、“人斬り以蔵”こと土佐の岡田以蔵が、はたまた六条河原で斬首され、三条河原に首を晒された石田三成(みっちゃん)が呼んでいるのか? 

 今回の旅での残る最後の目的地は、以前ブロ友さんが紹介されていた阿弥陀寺である。本能寺の変で無念の最期を遂げた織田信長森蘭丸兄弟等の墓があるという。
 え~と、どこだったかな…。旅の前にメモしておいた手帳を広げ、確認する。
「阿弥陀寺 ― 鞍馬口」
そうだった、鞍馬口で降りてそこからちょいと歩くんだ、確か。…ん?鞍馬口ってバス停名だっけ?それとも電車の駅名だったっけ?鞍馬って鞍馬山?ここからめっちゃ遠くね!?
 暑さでシナプスが溶けたのか完全に思考回路がやられてしまい、阿弥陀寺への移動手段がどうしても分からず、結局諦めてバスで京都駅へと向かう。ま、在来線でならたった1日のバイト料で京都への往復が可能だし、また来るとしよう!

 京都から快速でいったん新大阪に戻り、頼まれていた551蓬莱チルド豚まん(今月はポン酢付き)を土産に購入。新大阪を出て大阪駅で新快速に乗り換えて姫路まで行き、姫路から岡山までは山陽本線でのんびりと帰る。
 大阪から姫路までの新快速は満員でずっと立ちっぱなしだったが、途中で目にした夕日に映える明石海峡大橋の眺めは壮観で、旅の疲れを忘れさせてくれた。あ~楽しい旅だったスマイル

551.jpg 帰宅後、息子達と豚まんで夕食。唯一大阪らしい食物を自宅で食す…。





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Last updated  2011.07.15 21:04:19
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