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カテゴリ:虚々実
今日のよびりんさんの記事は不思議なニワトリのお話。
文中出てくる「土手町」は青森県でしょうか? 今日の記事を読んでて、なんとも胸がジ~ンと。 なんでかな?と想ったのですが、どうも心の奥で父方の祖父を想い出していたようです。 私の両親も(笑)二人で正反対のことが多く、信仰深い母に比して父は、ちょっと見掛けない程の無宗教。 当然、父方の祖父も推して知るべしなわけですが(爆)、私の記憶が曖昧な程の昔、家が火事で燃えた時に真っ先に運び出したのが、なんと仏壇(^^; 元々、大柄で力持ちの父祖でしたが、後で運ぶのにはドエライ大変だったとか。 一言で言えば火事場の馬鹿力、ということになるんでしょうが、それが仏壇・・・ 実は無宗教の父、盆彼岸の墓参りは先頭を切って張り切りモードです(爆)。 父曰く「墓参りは田舎の習慣なのだ!」なんだとか。 永年、息子をさせて頂いておりますが、いまだに分からない方であります(^^; いずれにしても、そんなこんなの御蔭で、我が家には古い位牌も無事、安置されているのです。 御先祖様を大事にしなさい、というのは良く聞かれる言葉で、「今の自分がある御蔭様なんだから」というように言われます。 さらに遡ると、その超先祖はアメーバだとかなのかもしれませんが、最終的には宇宙そのもの、言いかえれば神仏に辿り着くわけです。 御先祖様に対する姿勢と言うのは、即、神仏に対する姿勢なのですね。 そして更に、引用されているニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」の一節が何とも。 触れあう人を大切にする、それもまた、御先祖様に対するのと同じく、それは神仏そのもの、つまりは真理を大切にすることに他なりません。 てなことが無意識に浮かんで胸にジ~ン・・・だったようです。 それを知らせてくれたのが飼っていたニワトリというのもなんとも。 つまるところは卵かニワトリそのものを食べるために飼っていたわけですが、それにも関らず、神仏もかくやという献身。 以前にも少し触れましたが、今、口蹄疫のために多くの命を犠牲にせざるをえない悲劇に見舞われています。 もちろん、今後の収入や生活も不安で仕方ないでしょうが、その地域に住む知人によると、 「可愛がってた牛を殺さなくちゃならないんで、みんな泣いてるよ。 傍で見てても本当に気の毒よ。 まあ、そうは言っても食べちゃうんだけどね。」と。 従軍看護婦を務め上げた程の豪の方なので、しめっぽいだけでは終わらせないのですが、情の厚い根から出る嘆息が、なんともやるせなく。 確かに食べるためとは言え、それはそれで仕方のないこと。 育てる愛情がないだとか不要だとかということにはならないんですよね。 このニワトリも、そんな貞蔵の愛情を感じてたのかもしれないな、などと想っておりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.01.11 03:11:22
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