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家…カ、ケ、いえ
万葉集巻二の挽歌、「有間皇子の自ら傷(いた)みて松の枝を結びし歌二首」 岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまたかへりみむ有間皇子は、有力な天皇候補で中大兄皇子のライバル的存在でした。 斉明4年(658年)謀反の疑いをかけられた皇子は、紀温湯(きのいでゆ) で待つ斉明天皇と中大兄皇子のもとへ連行されることになりました。 この二首は連行される往路、岩代で詠まれた歌です。 当時、松の小枝を結んで、旅路の無事・幸いを祈る風習がありました。 帰路、感謝して結んだ枝を戻します。 斉明天皇と中大兄皇子のもとへ連行されるということが死を意味すると、 有間皇子にもわかってはいたでしょう。 でも、もしかしたら、助かる命であったら、と祈ったかもしれません。 椎の葉に盛る飯は、神へ捧げる物です。 家だったら食器に入れて捧げるご飯を椎の葉にのせて捧げます、ということです。 結ばれた松はほどかれることなく終わりました。 皇子は帰りの紀州・藤白坂で処刑されてしまいました。 有間皇子の歌の後、万葉集では、長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の 「結松を見て哀咽せし歌二首」を載せています。 岩代の崖(きし)の松が枝結びけむ人はかへりてまた見むかも皇子の死後、四十数年後の歌です。 有間皇子と結び松は、悲しい物語になって語り伝えられていきます。 藤白坂に向かう途上で皇子は、岩代の松を再び見たでしょうか…。 皇子がほどくことができなかった松は、心がほどけることなく今も昔を思って 立っています。 引用元:佐竹昭宏・山田英雄ほか校注『万葉集(一)』岩波文庫 参照元:佐佐木幸綱『100分de名著 万葉集』NHK出版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 11, 2017 12:00:19 AM
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