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カテゴリ:心臓
私が大動脈弁閉鎖不全症に至った原因は感染内心膜炎。
それも小学生の時に患った後遺症で弁膜に穴があいた。 当時発症したときに抗生剤の投与で菌は撃退できたが後遺症として弁膜に穴があいた。 これが主治医の見立てである。 動脈に瘤があったり、僧帽弁も若干の逆流があるが、それらも後遺症を否定できない。 その後43才で大動脈弁閉鎖不全症が発見されるが、51才まで健常者と変わらぬ生活は出来た。 残り何十年生きれるのか分からないが、以下参考までに記したいと思う。 私が幼少(11才)の頃、親は共働きで私を病院に連れて行く暇がなかったのだろう。 全身倦怠感、身体全体が黄疸。 真っ黄色。 当時あだ名はカレーとつけられた。 忙しいかった親もさすがにまずいと思ったのだろう。 学校の教師からも言われたのだろう。 私をやっと病院に連れて行った。 勿論則入院。 今でも覚えているが私の前で親が医師から罵倒されている様子。 私は後何日かで死ぬかもしれなかった。そんな瀕死の状態であった。 入院は2ヶ月。 毎日抗生剤の点滴。 肝臓も壊れていたから高タンパクな食事。 だけど食べれなかった。 毎日泣いて過ごした。 学校の仲間達が見舞いに来るのが辛かった。 病室の仲間が亡くなり消えていくのが辛かった。 今回の手術に至るまで親を恨んだことはなかった。 だけど今回手術が終わった後、親には会いたくなかった。 多分このしこり、気持ちは私が死ぬまで変わらないと思う。 自分が弁膜症になったとき、最も心配したのは先天的のものだったらどうしよう。 子供達に遺伝されたら困る。 本当に心配だったが、今回このような理由とわかり安心した。 親だったら自分の子供には常に目配りをして、当然異変があれば子供の将来の為、早く病院に連れて行くべき。 私のような不幸な人間を作らないで欲しい。 切に願う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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