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日本刀讃歌★心の中の日本刀

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国分寺助国

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2006.03.06
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日本刀歌
古来日本刀を語るとき必ず引き合いに出されるのが、中国の宋時代の欧陽脩(おうようしゅう1007~1072)が書いたとされる日本刀の歌です。過去すでに先人達が刀剣美術などでご紹介されていますが、本日はこの歌の全文を記してご紹介したいと思います。興味があれば御覧ください。

昆夷道遠不復通。世出切玉誰能窮。
宝刀近出日本国。越賈得之滄海東。
魚皮装貼香木鞘。黄白間雑鍮与銅。
【真鍮似金 真銅似銀】
百金伝入好事手。佩服可以禳妖凶。
伝聞其国居大島。土壌沃饒風俗好。
其先除福詐秦民。採薬淹留丱童老。
百工五種与之居。至今器玩皆精巧。
前朝貢献屡往来。士人往々工詞藻。
徐福行時書未焚。逸書百篇今尚存。
令厳不許伝中国。拳世無人識古文。
先王大典蔵夷貊。蒼波浩蕩無通津。
令人感激坐流涕。錆渋短刀何足云。
(書き下し文)
昆夷は道遠くして復通ぜず。世に伝うる切玉誰か能極めん。宝刀近く出ず日本の国。越賈は之を滄海の東に得たり。魚皮に装貼す香木の鞘。黄白間雑す鍮と与に銅。【真鍮は金に似て真銅は銀に似る】。百金伝えて入る好事の手。佩服し以て妖凶を禳う可し。伝え聞く其の国大島に居り。土壌沃饒にして風俗好し。其の先に除福は秦民を詐り。薬を採り淹留し丱童老ゆ。百工五種は之と与に居す。今に至るまで器玩は皆精巧。前朝は貢献して屡往来し。士人は往々にして詞藻を工にす。徐福行く時書未だ焚けず。逸書百篇今に尚存す。令厳にして中国に伝うるを許さず。世を拳って人の古文を識る無し。
先王の大典夷貊に蔵す。蒼波浩蕩し津に通ずる無し。人をして感激し坐に流涕令む。錆渋の短刀何ぞ云うに足らん。
(訳文)
昆夷の国は遠い所にあり、行き来も出来ない。世に昆吾刀という玉をも切る事が出来る名刀があることを伝えているが、誰も確かめた者は居ない。ところが最近宝刀が日本の国より出てきた。越の商人がこれを青海原の東に求めてきたが、それは香木の鞘に鮫の皮が貼ってあり、真鍮と白銅を取り混ぜて飾ってある。【真鍮は金によく似ており、白銅は銀によく似ている】百金という大金を払って好き者の手に入った。佩用していると悪魔を払ってくれるという。伝え聞くところによると日本の国は大きな島であり、土地は沃えて風俗は好い。その昔徐福は秦の始皇帝に仙薬を取ると偽って、童男童女五百人余を率いて日本国に渡ったが、久しく滞留して皆年を取ってしまった。多くの工人や農民達がこれと共に残って、今に至るまで器物は皆精巧である。日本国は前朝である唐の時代には貢物を献じてきて屡行き来していた。日本の地位のある人達は往々にして詩や文章を作るのに巧みである。徐福が行ったときにはまだ焚書が行われていなかったので、中国では失われてしまった。孔子が書いた(書経)百篇が今なお日本に存在している。法令が厳しくて中国に伝える事が許されていない。このため今の世の中の全ての人達は古文を知る事がない。孔子の(書経)は異民族の国にある。青海原は果てしもなく遠く、港にたどり着くことも出来ない。空しく人をして嘆かせひとりでに涙が流れてくる。之を思うと錆びた短刀などなんで古文に代えることが出来ようか。

本来この歌は、孔子の(書経)を日本刀と対比して、自らの国(中国)を誇らんが為に作られた歌ですが、当時すでに日本刀の優秀さが大陸にまで聞こえていた証拠となるもので、孔子の書経になんら劣るものではないと確信しています。
この歌の一節が好きで私の現代刀に切り添えていただきました。
御覧いただければ幸甚です。





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最終更新日  2006.03.06 21:52:50
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