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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月22日
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カテゴリ:神秘体験空間
 ドリールは、病気は、ネガティヴの想念から生じると説いているが、では、ネガティヴ想念をどう扱えばいいかといえば、ネガティヴ想念を認め、それと闘うのではなく、キリストが説いた如く、より完全なポジティヴ想念を生み出すしかない、というようなことを述べている。

 ネガティヴ想念と闘うことは、そのネガティヴ想念を認めることになり、ネガティヴ想念に力を与えることになる。

 だから、キリストは、一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出せ、と述べている。

 この発言の解釈は多種多様だが、悪を巧く利用して善に結びつけよ!と考えるのがよいと思う。悪から将来善となる要素をみつけろ、という意味に思う。

 そもそも、悪も、善の神から出たもので、善の要素をもつはずだから、善に転換することができるはずである。

 ホメオパシーの概念は、この基本的発想に基づいている。

 近代の医学の間違いは、アロパシーの概念、つまり、悪を除く発想に根本原因がある。

 悪を除こうとすれば、益々悪を増長させ、例えば、悪徳細菌やウイルスに対し、抗生物質や複雑な化学薬品などを投与して、益々、細菌やウイルスの変種を生み出し、耐性にしてしまい、悪を増長させる結果になる。

 それこそ、悪の罠で、悪の策略に嵌るだけである。

 更に、これでは、医師を教祖、薬剤を祈祷道具とした悪魔祓いの新興宗教となんらかわりがない。

 ここでは、便宜上、悪徳細菌と名づけたが、悪徳細菌だって、自分たちが増殖することを善としているわけで、人類に置き換えれば、人口を増やすためや、自分たちだけが快適に暮らしたいがために、競争原理を持ち込み、自然破壊を行っている現代人の感覚となんら変わりはない。

 奴らにしてみれば、人類だって生きたいのなら、我らだって生きたいのさ、というだろう。

 だからして、結局のところ、他を犠牲にしてまで、快適さを求めることが問題なのである。

 アロパシーの原理には、一方的な偏った考えが根底にある。だから、その判別のために、医療倫理が持ち出される。アロパシーが医療倫理を持ち出して、駄目だから、ホメオパシーがよいというわけでもない。

 注意して欲しいのは、巷でいわれているホメオパシーは、単なるプラセボ効果にすぎないインチキであり、科学的根拠に乏しいホメオパシーを推奨しているのではない。ホメオパシーと呼んでいるアロパシーなのである。というのも、疾患を除くことを目的としているからである。

 本当のホメオパシーなら、物質的作用や根拠を明確に説明できなければいけない。根治を狙う療法なのだから、その副次的作用でもある3次元世界の物質作用に適用できないはずがない。根治するには、病因を的確に示せないといけない。

 巷でいわれる単なるプラセボ効果にすぎない多くのホメオパシーといわれる希釈剤投与は、生体内での潜在作用を、単なる希釈、薄めるものと曲解している。それは、生体内での陰陽を踏まえていない無知からくるものである。

 外の空間にプラスとマイナスの電極があるように、人体内にも同様の電極があり、また非常に微弱な磁力が流れている。例えば、素粒子レベルの電子の遷移(移動)などから生じるエックス線が、人体を通過するように、本来は、物質からなる人体といえども、素粒子レベルでは、スケスケの空間から成立している。

 素粒子レベルでは、電子のやり取りが頻繁に行われ、ミトコンドリアでは、エネルギーがつくられているわけである。

 だから、人体を、そのようなミクロレベルで捉える視野があってはじめて、ホメオパシー療法が可能になるわけで、薬剤として認めるには、少なくとも治癒効果を物質科学的にも立証しないといけない。

 だから、巷に蔓延るホメオパシーは、プラセボ効果を別名で語るだけにすぎない。それは、人間の想念が、身体に影響することを、ある意味証明しているわけでもあるが、一種の洗脳に近いものである。

 ネガティヴの想念が、病気を発生させるのだから、なんらかの想念が、表面上、病気を隠すこともできるわけで、それは病気を隠そうとするネガティヴの想念かもしれないわけで、だからこそ、ネガティヴの想念と闘えば、益々ネガティヴに取り込まれてしまう。

 重要なことは、アロパシーであれ、ホメオパシーであれ、本人の人生にとって、ポジティヴな想念を生み出す、よい経験となるのか、しいては宇宙意識とつながるようになるのか、にある。

 人間は、やはり自身で経験してみないとわからない。誰かに代わって経験してもらうことはできない。経験こそが、ネガティヴの想念を克服する薬剤なのである。

 アロパシーには、病気になった経験を悪しきものとして捉える風潮に問題がある。悪徳細菌や悪徳ウイルスが、生育するのには、生存環境という理由がある。

 シュタイナーがよく例え話に用いるが、部屋がゴミで汚れ、ハエがたかって困るので、相談にきた。その部屋に住む人の怠惰を問題にせず、ゴミのせいにして、ゴミを片付ける。すると、また、散らかし、ゴミが増え、ハエがたかるので、ついには付き合いきれないで、そのまま放置することになる。

 現代の医療は、患者の精神を問題にせずに、このようなことを繰り返し、ついには医療費が高騰し、掃除係りである医者の数が終いには足りなくなる。

 部屋が汚れるのは、掃除をしないからであり、日頃の生活態度に問題がある。汚れたら、誰かに掃除してもらえばいい、という考えでは、生活から学ぶことなく、生活を誰かに頼って生きるしかなく、自分の道を自分で切り開くことなく、ついには自分の人生でなくなる。

 自分の人生を、自然法則を理解して、自分が思う方向につくりあげるのが、自分の役割である。そして、その自分は最後には消えていく。遺されるのは、社会に貢献した自分の役割や名だけである。

 そもそも、自分で自分の将来をつくれなくて、なんのための自分なのだろうか?

 アロパシーは、病因を隠すだけであるのに対して、ホメオパシーは、病因を抽出することにある。病気から病因を抽出する姿勢、病気から学び、更なる健康に役立てることが、ホメオパシーの基本概念なのである。

 肉、霊、魂のうちのバランスが崩れた原因をみつけ、再びバランスを確立することが、ホメオパシーなので、病気の発症に至る機序を除くのではなく、利用して、適度な刺激を潜在的に与えて、三位一体のなかにある、陰陽のバランスを確立し、宇宙をバランスし、統合している宇宙意識に近づくことにある。

 存在するものを隠すことはできても、なくすことは神の宇宙意識しかできない。その一部である人間の意識には、そもそもアロパシーは不可能である。だから、アロパシーは、自分のクビを自分で絞めることになる。

 苦悩だが、病気に罹ることも経験である。少なくとも、弱者の立場に立ち、最後には、自分でなんとかするしかないことに気づかされる。

 病気を隠せば隠すほど複雑になり、複雑な部分を切り離せば、その分、宇宙意識から遠ざかり、益々生命力が失われ、深刻になり、最後は、肉体を捨てるしかなくなって、死んでいくわけである。肉体を捨てれたことが意識できて、執着も捨てられて、それで済めばいいが、ネガティヴな想念が現実化して地獄の苦しみを味わうことになる。 





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Last updated  2013年01月22日 16時37分07秒
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