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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月25日
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カテゴリ:神秘体験空間
 秘教真義の紹介を理解してくださっているなら、母国語の教育、つまり国語が重要であることに気づくだろう。

 言語とは、心を理解する道具なのだから、いわば、4次元世界を現す座標なのである。

 聖書に、「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神であった」と記されている意味がわかる。だから逆説的にいえば、心を伝えられない言葉は、言葉ではなく、虚言で、嘘である。いわば3次元物質界に負け、阿っている。

 現代の日本では、特に国語の教育が疎かになり、虚言癖が横行している。現代人は、平気で嘘をつくのが特徴でもある。

 言葉は、心の4次元世界の鏡である。母国語で、言葉を介して、心のやりとり、つまり4次元世界の心眼を構築するわけで、母国語は基本である。

 日本では、縁起の悪い言葉を使うと、悪い出来事を招きよせる、という風習があるのは、この心の4次元世界を想定しているからである。また、心眼を獲得してしまえば、言葉を用いなくとも、以心伝心で、4次元世界で交信できる、ともいわれている。

 TPOで敬語等を使い分けるのは、4次元世界を想定しているからでもある。「武士に二言なし」ともいわれてきたが、それは4次元世界を想定しているからである。

 そこで、武士道を、4次元世界から再考してみる。

 例えば、葉隠れの「武士は死ぬことにみたり」というのは、3次元物質世界では、死んだも同然という意味に捉えられる。「武士は物質界の欲得、損得で動くのではなく、志の高さで動く」ともいわれる。この志とは、高次世界ともいえる。

 「武士は食わねど高楊枝」なども、物質世界に負けないという心意気を説いたものだろう。だから、武士は日頃から心身を鍛え、3次元物質世界に埋没しないことを心がけている。

 武士で有名な切腹だが、あれは悪しき伝承のせいだと思う。3次元物質世界とは無縁であることを表現するための儀礼だったように思う。相手の心の怒りが鎮まらないのなら、最後は自分の肉体を捨ててまでも、鎮めるという、キリストの「一方の頬を打たれたら、他方を差し出せ」に則ったものに思える。心の平穏のための一種の人柱である。

 だから、切腹は自殺ではない。自殺は自分から生命を殺すことで、物質界からの逃げであり、第一、心の平穏を求めるものではない。切腹は、多くの人心の平穏を乱した責任をとって、当時の秩序関係から命じられるわけで、天災の背後にある悪霊の怒りを鎮めるための人柱と同じである。

 武士の切腹と、災害時の人柱が同じように、武士道の源流はアミニズムにあるだろうが、アミニズムといっても、宗教的なものではなく、物質界の背後にある心の精神界を想定してのものである。
 
 昔の日本人は、自然の背後に、心の世界をみていたことは、雷様とか、お天道様とか、自然を、心で捉えている言葉が残っていることでわかる。

 日本語には、4次元世界を想定できる数多くの言葉が残っているのにも関わらずに、建前の虚言ばかりが横行し、心が伝わらなくなって、物質的手段に訴えるようになるとは、日本社会では、文化の崩壊が進んでいることを意味する。

 また、外国語を話せても、心の世界を相手に通じさせなければ、かえって誤解を生じさせるだけで、外国語を話せるとはいえない。外国語を話せても、伝えるべき心がなければ、人間とはいえない単なる機械である。

 だから、少なくとも母国語で、多数の母国人に、心を伝えられなければ、それは言語を冒涜し、その奴隷に成り下がっているだけにすぎない。

 虚言の奴隷になると、その虚言が、自分へと襲い掛かり妄言となって、疑心暗鬼に陥り、霊魂は益々消滅へとむかっていく。

 だから、母国語の教育を最重要とすべきである。

 母国語の背後で、心情や情緒の4次元世界を形成していることを忘れてはならない。

 例えば、日本語には、必ず何かしかの情緒が伴う。日本語は、心の世界を前提にしているからで、だから、ディベートのような言葉遊びのゲームには向かない。ディベートが単なる言葉遊びなのは、ディベート自体が重要かどうかをディベートしないことから明らかである。

 日本語で、ディベートのようなものを無理に探すとすれば、俳句や歌詠みになるだろうが、心の表現を目的としているので、ディベートとは明らかに違うことがわかる。

 だから、ディベートが近代社会、特に唯物論が台頭してきて生まれたものであることがわかる。 

 経験せずに、ああだこうだといっても、百聞は一見にしかず、である。物質主義に埋没しているのは、特に最近の哲学の風潮だが、ディベートが、その風潮を代弁している。

 だから母国語で、心の世界を表現できない人が、外国語を話しても、人間とは思われないのが関の山で、日本の外国語教育の多くが、根底にある国語教育を欠落しているから、外国語を話しても、共感を得られず、敵対視されるか、無国籍人として扱われてしまう。

 だから、逆説的に、日本では、外国語が話せることが物質世界の商業主義でのウリになってしまっている。そして、その延長上で、経済摩擦となってしまう。





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Last updated  2013年01月25日 16時58分51秒
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