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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月24日
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カテゴリ:神秘体験空間
 人間の心は、何次元世界なのか?という疑問をもったことがある人もいるだろう。

 コロコロと移り変わるので、「こころ」といわれたようで、物質世界ではなく、3次元ではないことは確かだ。

 そこで、心と思考はどう違うのか?が問題となる。

 心は情緒、思考は理性からくると捉えると、その違いがわかる。オカルトでは、他に、意志を分けている。

 だから、人間の霊魂の働きは、心の情緒(感情)、思考の理性、そして意志に分けられ、それらが三位一体の働きをしている、といわれてきた。

 心は、思考と、外の3次元物質世界の間を取り持つ働きともいえる。

 例えば、人間の霊魂がもつ精神(霊)的法則を、外界の物質的法則に当てはめようとするときに役割を受け持つのが、心の働きといえる。

 だから、高次元世界から、3次元世界にコンタクトするときには、心の働きを必要とする。心の働きは、3次元物質世界とは相反する陰の世界ともいえる。

 前回述べたように、心の世界は、4次元以上の世界であるだろう。

 そして、思考の理性が5次元世界、意志が6次元世界で、意志の根源の宇宙意識が7次元世界と考えられる。心の4次元世界は、陽の3次元物質世界に現われていない陰の背後の世界と考えられる。

 つまり、3次元物質世界ばかりをみていたら、人間の心の世界はみえてこない。そして心の世界は、物質界とは正反対の世界と考えるべきだろう。

 「人は見かけによらない」という諺は、この心の4次元世界をよく言い表している。また、心の4次元世界を見通す眼をもつことを心眼と呼んだりしている。

 人生経験が豊富になると表に出ない裏の事情がなんとなくみえてくる。日本人がよく使う「タテマエ」と「ホンネ」である。大抵は、建前と本音は相反する。この奥行きのなかに、心の働きがある。

 まずは人生経験から、人間の心の働きを読み解くことが、この世の修行といえる。物質界ばかりをみているようでは、死後は何もみえなくなり、何度も落第して、輪廻転生を続けることになる。

 極論をいえば、人間の心の働きがみえないから、3次元世界での闘争に陥るともいえる。3次元物質世界では、空間の占有が限定されてしまうからである。例えば、誰かがその場を占有すれば、他の誰かはその場を諦めなくてはならない。

 単純にいって、3次元物質界の論理は、誰がその場を占有するのに正当性があるか、という不自由な考えを基本としている。だから、3次元物質界のみの唯物論に陥ると、果てしない論争に埋没してしまう。この延長上に領土問題があり、戦争は、その最たる典型である。

 3次元物質世界の典型的な占有論理は、例えば、米国の物質経済システムをみれば、1%の金持ちが、全てを支配する為に、他の99%を戦わせている現状にも現われている。

 つまり、産業革命以来の唯物主義が、資本となり、人間を3次元物質世界に拘束している、ともいえる。所有するものが、所有しないもの同士を闘わせている構図である。

 だからこそ、3次元物質世界の背後にある4次元世界を想定することが、いま求められている。それが、端的にいえば、スピ系サイトでいわれているアセンションである。

 心の4次元の世界を想定すること、つまり、人生の経験から、心眼をもつことが重要で、4次元的感性をもてば、闘うことなく、お互いの心を調和させることもできる。日本文化の和の精神は、心眼の重要性を述べてきたものと思われる。

 例えば、日本の仏教では、「摂受」ということが説かれている。「摂受」とは、例えば、ウイキで調べると、以下であるが、心眼の重要性を説いているように思われる。

 「摂受(しょうじゅ)とは、折伏(しゃくぶく)に対する反対語。正しくは摂引容受(しょういんようじゅ)といい、その略語である。心を寛大にして相手やその間違いを即座に否定せず反発せず受け入れ、穏やかに説得することをいう。」

 「折伏(しゃくぶく)」というのは、これまたウイキで調べると、以下である。

 「折伏(しゃくぶく)は、破折屈伏(はしゃくくっぷく)の略。日蓮系で概ね富士門流系の宗派における布教姿勢の一つで、摂受(しょうじゅ)に対する語。相手の間違った思想に迎合することなく、正しいものは正しいと言い切り、相手と対話を通じて日蓮の仏法を伝えること。」

 というように、「折伏(しゃくぶく)」というのは、論争を導くことになるので、やや3次元的にみえるが、「摂受(しょうじゅ)」は、まさに「心を寛大にして」という意味で、心眼を必要とし、4次元世界に通じる教えに思われる。

 この「摂受(しょうじゅ)」はまた、キリストの教えの、「一方の頬を打たれたら、他方の頬を差し出せ」のように感じる。

 つまり、間違いをしていることを、本人に悟らせることが本意なのである。間違いかどうかは、いずれ、時が経てば、自ずと宇宙の進展が明らかにしてくれ、たとえ、そのときは、3次元の思考で正しい意見であったとしても、状況が変わり、流れが変わるのが、4次元の心の世界なので、論争は無意味なばかりか、相手に対して感情のシコリのカルマを生じさせる。

 現代教育においては、この4次元的思考に対する教育がほとんど皆無といわざるを得ない。相手の心を理解する心眼の獲得方法が、現代人への警告でもあり、課題でもある。

 だから、体罰を巡って論争になるわけである。心眼をもてば、体罰のような物質的解決を用いる必要などなくなるはずである。殴れば将来殴られる要因をもつ。

 5次元の思考や6次元の意志の世界はまだはっきりとはまとまっていないので、後日、改めて紹介したいと思う。

 端的にいえば、5次元は、与える創造か、奪い破壊するかの変化の相違を表す世界で、思考が、独創的な新しい創造性のものか、既にあり、物真似の借り物で奪ったものかの違いで、オリジナルか、コピーかの違いの世界で、上位の世界からきたのがオリジナルで、下位次元にあるものをいわば真似して盗んだのがコピーというわけである。

 6次元は、与える創造を永遠と継続する世界で、とにかく楽しいかどうか、というような仏教の禅の三昧のような世界の感じに思える。7次元については、ソクラテスが無知の知として語ったように、わからない世界という他はない。 





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Last updated  2013年01月25日 13時26分50秒
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