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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月31日
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カテゴリ:神秘体験空間
 ギネスブックによれば、現存する国のなかで、最も古い国は、日本ということになっているそうである。それはなにより、天皇制の御蔭なのだろうが、前回の古代の言葉の話の流れから、もし、古代の言葉が残っているとするなら、皇室にあるのではないか、と思うのである。

 聞くところによると、皇室には、古代ヘブライ語のアラム語が残っている、という噂もある。イエスが話した言葉もアラム語だったそうである。
 
 そこで、アラム語をネット検索して色々調べていくと、イスラムでいうところの唯一神のアッラーとの関係が出てくる。例えば、アッラーについてのウイキのページに以下の語源の解説がある。

 「アラム語と同系とされるヘブライ語で神を示すエロアーハー (Eloah, אלוה‎) も同語源と考えられる。エロヒム(אלהים)はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー(אל)と表記する。」

 アッラーという発音をイメージすると、生命の樹の唯一神ホアの発音にも近い気がしてくる。ホアは、ギルガメッシュ叙事詩に出てくる神エアにも似ている。シュタイナーは、エアは、ギリシャ語のソフィア(愛)の語源のソフ-エアであることを述べている。

 ホア-エア-エロアーハー-アラーというように、唯一の宇宙意識を表現したものと考えることもできる。

 アラーは太陽神のことで、古代エジプトの太陽神ラーのことを意味するようである。また、中東では、神をラーと呼ぶそうで、「唯一の」という意味の形容詞の「アフ」をつけて、「アフ・ラー」とも呼ばれるそうである。

 「アフラー」は、ゾロアスター教の善神のアフラマズダを思わせ、アフラとは、「オーラ」のことで、マズダは、「巨大な」という意味で、アフラマズダは、「巨大なオーラ」という意味である。

 オーラを眼にみえない高次元の波動と考えれば、アフラマズダは、唯一の宇宙意識と捉えることもできる。

 アラム語から話が脱線してしまったが、言葉は、唯一の宇宙意識から発せられてくるわけで、だからこそ、言葉をどのように話すかで、唯一の宇宙意識とコンタクトできるわけである。つまり、人間は、言葉によって、神とつながっているというわけなのである。

 だから、聖書に、「はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神である」とあるのは、言葉を話すことで、人間は、神々とコンタクトしている、ということなのだろう。

 例えば、古代語を話せば、古い神とコンタクトしていることにもなる。

 このことは、コンピューターの世界を考えればよくわかる。コンピューターのプログラムを動かすには、その言語を使わないといけない。

 つまり、人間として何を話すかは、その人間の品性に関わる。だから下品な言葉を話してはならないという教えは重要である。

 日本語は、皇室の言葉を原型としてきたわけだが、そこで、皇室のルーツを探ることは、日本語の探求にもなる。

 以前、紹介した例のサイトに、皇室のルーツについての興味深い話が載っていたので、抜粋して紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 神一厘の仕組み・探究道 ~神・世界秩序の始まり~
 http://shinseido24.blog.fc2.com/

 天皇家のルーツの謎2012-05-03

 天皇家のルーツにつきましては、依然として謎が多いとされています。巷では憶測が憶測を呼び、様々な説が飛び交っているようです。私なりの自説としましては、拙著『銀河系からのメッセージ』上に書かせて頂きましたが、今回は番外編として、その謎をさらに掘り下げてみたいと思います。

 5世紀以前の天皇家につきましては、書籍に書かせて頂きましたので、ここでは採り上げません。今回採り上げたいのは、5世紀以降の天皇家についてです。

 まず、8世紀前半頃、天武天皇主導で日本神話が見直され、『記紀(古事記・日本書紀)』が編纂されました。天武天皇の出自についても謎が多いのですが、その幼名を「大海人(おおあま)」と言い、一説には「海人族」とのつながりも指摘されているようです。おそらく、朝鮮半島を経由して入ってきた人物であったと推測されます。

 近年、その編纂された『記紀』と、『旧約聖書』との内容において、多数の類似点が指摘されています。その一つとして、次の2つの系図をご覧下さい。

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               【『日本・ユダヤ封印の古代史』ラビ・トケイヤー著より】

 2つの系図のうち、上段の系図は、主に『旧約聖書』における「ヤコブ」から「エフライム」に続く系図です。ヤコブとは、アブラハムの孫、イサクの子に当たる人物であり、このヤコブがのちに「イスラエル」と改名し、その子孫がイスラエル12支族の祖となっていきます。さらにこの中で、「エフライム」とは、古代イスラエル王国が南北に分裂した後、北朝イスラエル王国の王家だった支族の祖に当たる人物です。

 次に下段の『日本神話=記紀』における系図を見てみましょう。その全体的な構図が、上段の『旧約聖書』における系図と、あまりにも酷似していることが分かると思います。

 この中で「ニニギ」とは、天孫降臨神話の中で、最初に日本の地(高天原)に降臨してきたとされる神のことです。さらに系図上では、その子孫としての「ウガヤフキアエズ」「神武天皇」「日本の皇室」へと連なっていく流れが示されています。(ちなみに、『竹内文書』では、ウガヤフキアエズ王朝という王朝が、古代の地上世界に存在していたとされています。)

 「エフライム」が「ウガヤフキアエズ」に対応し、さらには、初代天皇である「神武天皇」に連なっていくということは、日本の皇室の始まりは、「北朝イスラエル王国」の末裔として始まっている、ということを表しています。さらに時代が下り、6世紀前半頃に天皇家と融合したと考えられる「継体天皇」とは、アブラハムの長男であり、イサクの兄であった「イシマエル」の子孫であったとする説があります。「イシマエル」とは、現アラブ人の祖とされている人物です。

 さらに8世紀に入り、天武天皇の代になって記紀が編纂されたということは、それまでの皇室の流れに、別の系統が加わったということを示唆しています。これは私見ではありますが、天武天皇とは、おそらく南朝ユダ王国の王家の支族である「ユダ族」の末裔であったと考えられるのです。

 天武天皇といえば、その在位期間中に、国家安寧のため、全国に神社を乱開発していったことが知られています。天武天皇が建立した神社の中で、最も代表的な神社と言えば「伊勢神宮」が挙げられますが、さらにこの頃から、神社の入り口に「狛犬」が建てられるようになります。(狛犬は飛鳥時代(6世紀末~8世紀前半)に伝わったとされています。)

 「狛犬」とは、犬ではなく、獅子(ライオン)をモチーフとしていることは、一見すれば分かりますね。さらに、ユダ族の象徴と言えば獅子でした。(「獅子をモチーフとした3つの紋章」参照のこと)

 よって、「天武天皇―神社乱開発―狛犬(獅子)―ユダ族」とつながるわけであり、「天武天皇・ユダ族説」はほぼ間違いないものと思われます。つまり、大陸からやってきた天武天皇は、それまでの北朝イスラエル王国、さらにはイシマエル(アラブ人)の流れを汲んでいた天皇家と融合し、さらには自身の出自である、南朝ユダ王国の流れとして天皇家を再スタートさせるために、記紀編纂や神社開発などの事業を行っていったものと思われるのです。

 さらに、14世紀に入ると、日本においても「南北朝時代」を迎えることになるわけですが、この抗争の本質とは、そのまま、「南朝ユダ王国(天武天皇の流れ)」と、「北朝イスラエル王国(神武天皇の流れ)」との抗争へつながっていると考えてもよいと思うのです。すなわち、それぞれの天皇の末裔であられる「南朝方の後醍醐天皇」と、「北朝方の光明天皇」との抗争という図式です。

 この時は、後醍醐天皇方であった足利尊氏の離反などもあり、北朝方が勝利を果たしたわけですが、その北朝系の流れが時を経て、江戸末期における幕末の混乱の中で、南朝方に入れ替わってしまったという事態も起こったようです。この件については、様々な物的証拠が残されていますので、ほぼ間違いないのでしょう。(現在、皇居前に建てられている、南朝方の楠木正成像がその事実を象徴しています。また、楠木正成公は、鎌倉幕府からは悪党と呼ばれていましたが、明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年には正一位を追贈されています。)

 すなわち、北朝方の天皇は、江戸末期の「孝明天皇」を最後についえているわけであり、この南北朝の抗争というものは、古代イスラエル王国の分裂から始まり、未だに終息を見せていないということなのです。この歴史カルマの清算というものが、今後アセンションを迎える上で、極めて重要になってきます。なぜなら、「孝明天皇」はじめ、北朝方の無念の思いがこの世に留まったままであれば、今後、地上の幽界(4次元)が消滅し、新たな地球(5次元)を迎える上で、大きな障害となってくるためです。(不成仏霊は通常、幽界に留まります。)

 この抗争に関わった武将は、足利尊氏公(南朝方→北朝方)や新田義貞公(南朝方)など、「清和源氏」の武将が中心でした。そこで私も、孝明天皇の無念の思いを浄化させ、さらには南北朝の和解を果たすべく、先日、京都にある「孝明天皇稜」に行ってまいりました。

 ☆  ☆  ☆

 上に引用した話の筆者も、南北朝の争乱が、古代イスラエルに由来することを考えているようである。朝廷には、古くから南北朝で交互に交代して政権を担う約定があったそうで、私のつたない記憶によれば、白河天皇あたりから、その約定が破られ、北朝が続けて政権を継承したので、後に後醍醐天皇が、この北朝継承に対して、南朝継承を続けたのが、有名な南北朝争乱になったという話である。

 そもそも、日本の朝廷は、大陸から逃れてきた亡命政権の集大成なので、そのような大義名分のような約定が必要だったのだろう。白河天皇は法皇にまでなったようなので、法皇とは、世界の王を意味するようなので、名実ともに北朝が世界一になったわけで、白河法皇は、絶大な権力者となったようである。

 古代イスラエル王国も南北朝に分かれていたそうで、北朝の象徴がユニコーン(一角獣)で、南朝の象徴がライオン(獅子)だったそうである。

 これを元にした紋章で有名なのが、ユダヤ王家の金庫番だったロスチャイルドと、日本の皇室、更には英国王室である。以下にその紋章を載せる。

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 ロスチャと英国のはよく似ているが、皇室のとの大きな違いは、一角獣と獅子が、左右逆であるところで、以下のサイトはその違いをよく説明しているので、抜粋して紹介する。

 天皇家の紋章に覧る獅子と一角獣
 http://lucky2zacky.jugem.jp/?eid=366

 文字数制限を越えるので、次回に譲る。





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Last updated  2013年02月01日 10時36分34秒
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