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カテゴリ:神秘体験空間
この世は地獄に満ちている。
戦争を山車にして人命を奪い金儲けする悪魔。箱ものといわれる競技場建設を山車にして国家財政や税金を貪り、そのツケを国民にまわし私服を肥やす悪魔。 私利私欲のために公共のモノを山車にし多くの人々を騙し、犠牲にする悪魔たちが盛り沢山である。 この世を地獄化したい輩の目的は独占にある。確かに物質は有限なので独占も可能だが、そんなことをしても無意味である。占有すればするほど不足を感じるからである。心とはそういうものだ。心を制御できない馬鹿は死ななきゃ治らんだろう。 さてラムサの教えには宗教の神髄が隠されているようにみえる。例えば、前回の以下の教え 「真の健康 純粋で汚れの無い清浄な、あなた自身である霊光を放射することが、自己を救うことになる。 それが真の健康である。 我々は皆、法(秩序)を与える神的存在として、自己の体を自身の放射によって管理する。 そして遂には、次元上昇するまでになる。」 から仏教の生き仏の意味が明らかになる。オカルトでは人間は外の太陽と同じ内の太陽をもっていることがいわれているが、俗にいう「霊光」、キリスト教では「聖霊」と呼んでいるようで、その内の太陽を輝かせることが真の健康であるというわけで、それには絶えず純粋で汚れのない清浄な心でないと駄目というわけである。 この清浄な心を仏教では不動心、キリスト教では聖母マリアの処女性に喩えている。不動心を築くのに御釈迦様は八正道を説いたが、簡単にいうなら道徳心みたいなものだろう。聖母マリアの処女性も同じである。処女とは原始の意味であり、両性具有の男性と女性の陰陽併せ持つ心のことである。つまり、男と女に分かれる前の人間の魂のことである。 そのことをラムサは次の教えで説いている。 「衣服(肉体)は輝かない 絹やサテンやウールで編んだ見栄えの良い服などを着て、格好良く振舞うのを、あなたの人生とするなら、とんでもない愚か者になるだけだ! 衣服(肉体)を手始めにして(精神が)汚れ、老いていくだけである。 ぼろ布を着ていても(外見がよくなくても)、内面から輝く美しさを溢れ出す(性格が美しい)人生こそ創造すべきである。 それは香りとしてやってくる あなたの体をいつも清潔に保ちなさい。 ぼろを着るな、という事では無い。 体臭、汗、口臭は毒である(嫉妬、羨み、怒り、争いといった態度を持たずに生きる)。 毒を身にまとって神の玉座―あなたが本来座るべき席―に近づくことは出来ない。 綺麗な体(心)でいることで、あなたの聖霊がもつ最高位のエネルギーのメロディは、香りとともに、あなたの元へやって来る。 実際に、そのメロディは香りとして感じとられる。 聖霊の最高位のエネルギー放射は、天国の香りとして感じとられる。」 というように、心の美しさ、つまり、嫉妬、羨み、怒り、争いといった態度を持たずに生きる重要さを説いている。 そのような心は、与える、赦すの愛の心を表わしている。 太陽は与える、赦すの愛の心からなっているというわけである。 というわけでラムサの教えの紹介を続ける。 ★ ★ ★ 信頼に基づく関係 あなたが主人として人を雇ったのなら、彼らを管理すること無く、彼らに創造的な仕事をする許可を与えなければならない。 人を使う責任を担うなら、正しく法を与える者になるべきである。 それは信頼に基づく関係であるべきだ! 何故なら、彼らにすることは自分にすることなのだから。 精霊という観点からみれば、真に霊魂は、神に仕える人となる。 高いとか低いとか、という上下関係を、あなたが適用しなければ、あなたから神の領域の愛が放射され、その中で人と人との関係は輝き、育ち、開花する。 労働の対価 取引をする人は自分の中のその汚い癖を止めるべきである。 職人に頼んで作ってもらった物に付けられた値段、労働の対価を値切る交渉はしてはならない。 (商売をしてはならない。商売は精神を退化させるからである。) その行為は愚かで進歩が無いからだ! その行為は民族性に無関係である。 聖霊にはもともと民族性なども無い。 あなたが職人の提示した対価を受け入れるなら、職人に誇りを与えることが出来る。 彼らはあなたを尊敬し、お返しに素晴らしい仕事をしてくれるはずだ! 真の価値への感謝 職人が提示した金額に対して、 「あなたは自分の価値を下げてはいけない。これは、あなたが言う金額よりも遥かに価値がある。」 と言い、あなたの付けた金額を支払うならば驚くべきことが始まる。 職人は奴隷から解放され、あなたも神の玉座に近づく。 取り引きの際に値切ってはならない。 代わりに感謝をしなさい。 小さな損得に基づいた価値では無く、真の価値に気付いて感謝をしなさい。 (職人は創造行為をしたのだから。取引きは本来は金銭で換算できない創造性を換算して汚しているからである。取引きは何の創造性もない。) 霊的な自己 あなたが肉体に基づいた自己では無く、霊魂の存在として自己を見つめるなら、あなたはお金のために働くのでは無く、あなたの内なる聖霊の自由のために働く。 (人はパンのみに生きるにあらず。神の言葉により生きる。) その働きは、あなたの内なる聖霊(神)を召喚するための最も確かな道である。 豊かさと貧しさ あなた方の中には豊かな富を欲しがりながらも、他人には富を与えることをしない人々がいる。 自分の富を増やすために値切り、駆け引きをし、誤魔化すことで、他人へは富を与えない。 このような人たちは奪う人、貪る獣だ! どうして豊かさと貧しさが同居できようか。 それでは豊かさと貧しさは同居出来ない。 それは法則(道徳)では無いのに。 教育プログラム あなたがこの人生という教育プログラムに組み入れた可能性の中には、「お金の真の問題を根本的に解決する」という計画が有る。 この問題に解答を与えるまでは、お金に振り回され、こき使われることになる。お金の奴隷である。 この問題を解決しさえすれば、あなたの「お金」は綺麗なエネルギーに代わり流れ込んで来る。 (天文学的な財産で多くの人々を救おうとすれば、その財産は救済行為となる。) それから、あなたが、とてつもない出来事を体験する扉を開いて行く。 これがあなたの教育プログラムである。 (なんのための財産、なんのための文化、文明なのか? 天国につながれなければ地獄に堕ちるしかない。) 生存競争からの解放 生存競争―人類内での共食い、弱肉強食、縄張りなど―から解放され、自由になった、あなたという聖霊が開く扉の向こうには、どのような出来事が待つのだろうか。 欲しいもの全てが瞬時に手に入り、望みを実現する手段が瞬時に手に入る次元―その次元では「想像力」こそが真のパワーなのだ! だからこそ、その次元に踏み入るには、自身から生じる生存競争能を解かなければならない。 あなたが生存競争の自縛を解かずに、その次元の扉を開けるプログラムは無い。 私(ラムサ)がそれを許さないからだ! 生存競争能 人を操り、駆け引きなどをする者は神の子だろうか? あなたが時間と労力を掛けた100ドルの仕事を値切る人に、あなたは神性を見るだろうか? 彼らは神性の欠片も持ちあわせてはいない。 値切り、駆け引きをし、出来るだけ安い賃金で働かせようとするなら、あなたは神性から遥か遠くに離れる。 無知なあなたは、それを良いビジネスというのか? 私(ラムサ)はそれを貧弱な獣性と言おう。それは生存競争能である。 生存競争能が聖霊よりも長く生き延びようとするなど土台無理だ! 聖霊は決して不足の中にはいないからだ! 何に焦点を置くか あなたは自身の聖なる霊性を輝かせるために何を犠牲にするのか。 それはまた、あなたの人生で何に焦点を置くか、でもある。 私(ラムサ)は、ある存在が有形全ての物質的資産を捧げ、擲ったことを知っている。 この存在は、霊性こそが生命そのものである、と知った。 霊性こそが自身の真実であり、自己をみつけた。 それがその存在の思い描く夢であり、体現すべき人生であった。 あなたはどこまでそれが出来るだろうか。 その存在とは、釈迦とイエシュア・ベン・ヨセフ(イエス)である。 焦点の置き場 あなたがたの多くは生存競争の領域に焦点を置いている。 だから、自身の霊性に焦点を置くことが出来ない。 霊性は試練では無い あなた方の物質界では自己の霊(神)性の否定は容易い。 因習のため、商売のため、損しないため、自己を正当化して仲間の元へ戻るために、あなたはとても頻繁に神性を否定してきた。 これがあなたの行動原理(構図)である。 だが、あなたには偉大さの微塵も無い。 あなたが受け取るべき体験から逃げ、生存競争の意識の中に隠れるなら、霊性に生きることは試練となる。 あなたが怯むから、試練となる。 霊性に生きるのは本来試練では無い。 後悔・不足感は聖霊にはないからだ。 だから、あなたは不足感を持ってはならない。 私(ラムサ)は、あなたの不足感を受け入れることは絶対に出来ない。 我々は至福の天界から降りて来た聖霊なのだから、ずる賢さ・被害者意識・共喰いの精神などの不足感は持ってはいけない。 もし仮に持ったとしても、聖霊にはないものだから即座に手放しなさい。 体験 あなたが何かを後悔するなら、それは過去に未練を残した執着である。 過去に足跡を何も残さないのが後悔しないことだ。 過去とは単に体験を意味するものでしかない。 あなたがたは、この物質界へ体験するために降りたのである。 未知を既知にするとは体験のことだ! 過去に拘うのなら、未知を既知に出来ないではないか。 「今」という瞬間 あなたを「今」のこの瞬間にまで運んでくれた数多くの体験の中から、どうしてまた「過ぎ去った体験」を取り出そうとするのか。 そして何故、その過去の体験を後悔するのか。 過去に囚われるからだ! 過去に囚われれば、あなたは「今」という、この素晴らしい頂点の瞬間から堕ちていくだけである。 霊性に生きる 確固として霊性に生きるなら、生きるのを妨害しようとする力からも、生きる力を得ることが出来る。 聖霊はエネルギーの方向を変えることが出来る。 霊的な人は、妨害が大きいほど、より力強く霊性に生きることが出来る。だから聖霊なのである。 (悪が強ければ強いほど善に転化できる。) 膨大な富 あなたが手にすべき膨大な富は、至福の天界の高所に置かれている。 そこはあなたの未来に属する領域である。 あなたはそこへ到達するだろう。 あなたの霊性をもってすれば辿り着くことは可能である。 その富は天上の王国からもたらされる。 それは聖霊の贈り物である。 あなたは、その富を、この物質界にいる自分自身に与えることが出来る。 ただしそれは、あなたが与えられるに相応しい未完の仕事を完成させてからである。 ★ ★ ★ 膨大な富とは、膨大な富をもってしても購えない完全な自由のことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年07月23日 20時35分17秒
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