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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2015年08月26日
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カテゴリ:神秘体験空間
 前回の続きだが、地鎮祭でもわかるように、日本の習慣には霊視できたときの名残りが残っている。

 シュタイナーによると、古代アトランティス時代は同族婚により霊視が遺伝的に受け継がれ、集合魂の自我により記憶力が現代よりはるかによかったそうだが、反面、個人の概念に乏しく計算のような論理的思考に欠けていたので、後に文化となる筆記などは悪魔の行為だと忌むされたという。

 だから、当時の文献はなく、口伝となっていたわけで、そもそも記憶力がいいので、筆記する必要もなかったという。特に優秀な霊能者なら嘘が混じっている歴史書などよりも、アストラル界にあるというアカシャ年代記をそのまま読めばいい。

 このような古代アトランティスの風習を現代に色濃く受け継ぐのが古代中国と日本で、中国はニセモノユダヤの共産党と資本主義に支配されたので、もはやその面影は乏しくなっているから、現代でも色濃く残るのは、資本主義に毒されていない、この国の古い地方といえる。

 この国では妖怪話がウケたり、加持祈祷などがいまでも盛んなのは、この古代アトランティスの名残りが文化として残っているせいだろう。特にこの国の平安時代の最大の霊能者の空海の力は大きいようにみえる。

 当時の僧の少数は霊能者だった可能性がある。いまではほとんどの坊主が勉強しているのにも関わらず、仏典に書かれている霊界などないものと思っている。つまり筆記だけでは極意は伝わらない。

 だから空海は仏典だけでなく、物質界に色々な仕掛けをつくって、霊界の存在を示したが、いまや単なる遊園地と化してしまったわけで、なんの仏が聞いて呆れる。どこもかしこも金儲けが一番の金銭仏に堕してしまった。

 そういう堕落腐敗した仏教を立て直すために戒めとして反仏の信長なども出たが、空海のときの仏教などは、いまや見る影もない。

 神も仏も現代では金儲けのために死んでしまった。悪魔に誑かされて殺してしまった。

 仏とは永遠の生命を知ることで、神とは永遠の生命をつくる存在ということも知らない。葬式にカネをかけてお経を唱えたら救われると勝手に解釈している。何をどう一体救うのかわからない。

 権力者や金持ちに阿って、金銭を落としてもらって、すくうのがいまの仏教の巣食いだろう。そんな仏教など悪魔教なんでいっそのことやめて、民間人と同じように働くべきである。仏門を穢すのなら、仏門を辞すべきである。

 日本会議のような悪魔的存在のなかに宗教が組するなどというのは神の名を穢す行為である。

 馬鹿は死ななきゃ治らんし、馬鹿には永遠の生命などは猫に小判ということだろう。

 さて永遠の生命を手に入れるにはまずこの世を天国にしなければいけないわけで、それにはこの世を地獄にしないことが挙げられる。地獄を否定することで天国に近づくやり方がいいだろう。

 地獄の要因を三つ挙げると、1.上下の支配関係=不自由さ 2.生存競争 3.金儲け主義である。

 この3つをやめれば、少しづつ天国に近づけるといえるが、人類はいまだに馬鹿者が多く、益々馬鹿になっているので、ほとんど不可能な状況に陥っている。それもこれも地獄を望むニセモノユダヤのような馬鹿者がいるからである。

 さて、そういう馬鹿者には馬鹿だからこそ全く理解できない妖精の話を続けて紹介する。金儲けやモノや外見(権力)しかみないから、心の中にある、内の妖精や霊界などみれなくなってしまっているのだよ。

 もともと座禅やヨガ、瞑想などは霊界に参入する方法だった。だから仏門という。つまり永遠の生命を教えてくれる霊界への参学というわけである。
 
 ★         ★         ★

 水の精(ドイツ語では「ウンデイーネ、ニンフ」。英語では「アンディーン」。)

 水の精は大天使から分霊して生まれた。

 岩(鉱物)と植物が接し、更に水があるような境界に現れる。例えば、岩の上を苔が覆い、上から水が滴り落ちているような泉の光景を霊視すると、はっきりと姿を現わす。

 水の精は人間の感受性を遥かに繊細・敏感にしたような性質をもっている。

 例えば、人間が赤いバラの花を見て綺麗と感じたり、風に木立が騒めくのを聞いて胸を騒がすような場合、水の妖精ならばバラの樹液からバラの花の中にまで上昇し、その「赤」を実際に体験したり、また木立の枝の中にまで入り、風が騒めかせるのを実感したりする。

 水の精たちは現象の中に入り込んでまで体験する。

 植物の成長に手を貸すことも水の精の大きな仕事である。地の精は植物の根に群らがり、大地に対する反感を込めて、植物を上へと押し上げる。植物が重力に逆らって垂直に伸びていくのは、地の精の大地に対する反発力の御蔭である、とシュタイナーは述べている。

 水の精は、地面の近くに群らがり、地の精が草木を上へと押し上げるのを満足そうに見つめる。水の精は絶えず夢想する存在である。そもそも、その夢想から生じるエーテルが、彼ら自身の姿を形作る。

 水の精は水のエーテルの要素の中に生き、その中を漂っている。彼らは地の精のようには大地を憎んでいないが、それでも物質界のある生物に大変敏感である。

 水の精は魚に敏感である。というのも、水の精は時々、魚の姿になってしまうからである。彼らは油断していると魚になってしまう。しかし、じきに魚の姿から、別の姿にも変わるともいわれている。彼らは自分の姿を常に夢想によって生み出している。

 (夢見る少女のような存在か?)

 植物の生育に果たす水の精の役割をもう少し追ってみる。実は水(液体)の精は自分の姿を夢想することで、風(気体)の精の要素を作り出し、それを分離させる、というような作業を行っている。これはオカルトの作業であり、一般の化学の反応ではない。

 この夢想により、水の要素と風の要素の接触が起こる。この霊による繊細な作業が、植物の成長に必須である。植物はいわば水の精が織りなす夢想の中へと枝葉を伸ばしていく。

 水の精が繰り広げるエーテルの夢想を鋳型として、植物はその中へ物質体を満たしていく。水の精はオカルトな化学者といえる。この働きがなく、垂直に押し上げる地の精の働きだけだったら、植物は枯れてしまうだろう。

 水の精は水(液体)の要素の中に生きる。しかし彼らは水の表面にいるのを好む。たとえそれが滴(しずく)であっても表面を好む。なぜなら彼らは常に魚の姿になってしまうのを警戒しているからである。

 (宮崎アニメの「崖の上のポニョ」のポニョのような存在か?)

 風の精(シルフ) 

 風の精は太古、天使から分霊して生じた。彼らが現れるのも、やはり二つの界が接する境界である。それは動物界と植物界が接する境界である。

 といっても、この二つの界が接していればどこでもというわけではない。例えば牛が草を食べる形で動物と植物が接するような、ありきたりの接触では、風の精を呼ぶことはない。このような接触は通常の進化に沿ったものだからである。

 風の精を呼ぶのは、蜂と花の接触のような場合である。蜂と花は、構造が非常に異なり、全く別の進化段階にあり、進化に遅れることで共生関係を結んだ。蜜を吸う蜂と、吸われる花との間には味覚の親密なやりとりが行われ、その奇妙な行為から、エーテルのオーラが生じる。

 このエーテルのオーラを求めて、風の精が近づいてくる。よく木に沢山の蜂が群らがっていることがあるが、その蜂の群全体が今述べた味覚のやりとりをしていることがある。その群れが味覚の余韻を味わいながら一斉に飛び立つと、飛んでいる群全体がエーテルのオーラに包まれ、そのオーラの中に風の精が入り込む。

 風の精はエーテルのオーラをいわば養分として摂取する。彼らは虫と花の接触を漫然と待つのではなく、蜂を花へと導くこともする。彼らはある意味では昆虫の指導者である。

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 風の精は人間の「意志」に似たものを発達させた存在で、風(気体)と光(エネルギー)の要素の中に生きる。

 彼らは春や秋に燕が軒先を掠めたり、海の上をカモメが渡る時、その翼による空気の流れの音を妙なる調べとして聞き、その空気の振動のなかの風(気体)と光(エネルギー)の要素の中に入り込み、そこを棲み家とする。

 風の精は鳥がいない空を横切る時は孤独のような寂しさを感じ、空に鳥の姿を見つけると、仲間と出会ったような気持ちが湧き起こり、自我が強化される。鳥に親近感を感じるのは彼らの自我の感情といえる。

 風の精は外界の鳥に自我を見つけ出す。外の空間に向けて、このような自我の想いを寄せる風の精は、鳥の翼に共感を抱いて、宇宙に内在する愛の意志を運ぶ、とシュタイナーは述べている。

 地の精や水の精には両棲類や魚類という苦手な生物がいるが、逆に風の精には鳥類という相性のよい生物がいる。鳥も風の精に鳴き方を教わる。そんなに相性がよければ、風の精は鳥になってしまいそうなものだが、そうならないのは、別の使命を担っているからで、それは植物に光(愛)を運ぶ使命である。

 風の精霊は、愛の意志を光にのせて運ぶ、のである。

 植物が光(愛)の恵みを受けられるのは、風の精の仲介による、とシュタイナーは述べている。そして、風の精は、水の精が与えた風(気体)の要素を基に、光(愛)の力を用いて植物の原型(モデル)を創造する。

 秋の終わりに草木が枯れると、この霊の原型も地面に滴となって落ちて、今度はその霊の原型を土の精が受けとめる。土の精は冬中、その原型を感じ続けて、植物の形態の中に含まれる宇宙の理念(進化計画)を手に入れる。

 次回は火の精の話、太古の人間はみな妖精が見えた話と、今後再びエーテル界や妖精の見える人間が増えてくる話などをする予定である。
 
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 唯物論者はゲラゲラ笑いだす話だろうが、そういう馬鹿者には老子の第41章を送る。

 上士は道を聞きては勤めて之を行う

 中士は道を聞きては存するがごとく亡(うしな)うがごとし

 下士は道を聞きては大いに之を笑う

 賢者は霊界を聞くと霊界をみようと試みる。一般人は霊界を聞いてもそんなものはあってもないかのような空想と考える。愚か者は霊界と聞くと馬鹿にしてゲラゲラ笑いだす。

 賢者と愚か者の差は謙虚さがあるかないかのわずかな違いである。次回に続く。





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Last updated  2015年08月27日 16時47分11秒
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