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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2019年08月16日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
NHKの「世界の哲学者に人生相談」は非常に面白いので、毎回みていたが、この間、シーズン2が終了してしまった。

 このブログにも書いてきたが、日本の社会には哲学が欠けていると思う。哲学は簡単にいえば、自由な見方だと思うが、日本の社会は確かに便利だが、その反面、不自由さを感じる。特にバブル期から不自由さが際立つようになってきたように思う。

 日本の社会には上下関係というのが伝統として強く残っているようで、それが不自由さを醸し出している。勿論、上下関係という秩序が必要なときもあるが、必要以上に幅を利かせているような気がしてならない。

 この国では大宝律令と呼ばれるカースト制度により、上下関係がつくられ、中世では貴族武士階級が上下関係をつくっていたが、無礼講というのが必ず設けられていた。お祭りなんかはその原型だが、上下関係を無視することが自由につながっていたように思われる。

 忘年会というのも、本来は、年齢や役職の上下関係をなくし、自由に楽しむことが重要なのであり、それが自由な見方である哲学を生んでいたように思われる。
 
 前回書いた、芸人へのコンプライアンスなんかも、不自由さを生んでいるように思える。社会を客観視するには、社会からはみ出てみないとわからないことがある。勿論、社会からはみ出るまでもなく、外国に行くことや、職種や立場を変えることからも、ある程度、不自由さを感じることもできる。

 何が自由かはなかなかわからないが、この間の「世界の哲学者に人生相談」で紹介されていたデリダの「脱構築」という思考方法は非常に参考になり、日本の社会に欠けているものに思えた。

 「脱構築」とは、従来の二項対立に対して、例えば、上、下の二項について、上を優、下を劣にしている従来の見方に対して、疑問を投げかけ、劣の方に重点を置き、自由な見方を求める思考方法である。

 上は下があってはじめて上なのであり、例えば、頭は足がないと移動できないし、また足は頭がないとどこに移動するかわからない。つまり、その関係は不可分だが、そこに優劣があるわけではない。

 上下は関係となって不可分なので、そこに優劣をつけるのがおかしい。

 頭が行き先を間違えると、足は無駄足を費やされるわけだが、頭が馬鹿でも、足の運動力が良ければ、頭の悪さをカバーできるし、逆立ちすれば、足が上で、頭が下になっているわけで、実際、植物はそのように存在しているとオカルトでは定義されているわけで、上下の決め方も画一的であってはいけない。

 日本社会に住むと、画一的な見方を強いられることが多い。特に先輩後輩の上下関係などがそうで、なぜだか、先輩は必ず偉い存在とされているのがなかば仕来り化している。だからお笑いには、上下関係を逆手にとった自由な見方が基本ベースとしてある。

 上下関係は、この世での経験量を基準にしているのだが、確かに人生経験では、年齢が漠然とした尺度になるだろうが、細部にわたった分野によっては大きく異なるわけである。それに上達度もあるし、努力量もある。

 若い時自分はこうだったといっても、時代が大きく異なるわけで、今生きていることにおいては対等の関係なのである。だから、オカルトでは、今生の人生経験だけを問題にはしない。魂のうえで老いている子供もいるわけである。

 だから、子供の意見を受け入れないというのはよくないわけで、大人が多数で、多数決といっても、少数意見に耳を傾けないといけないわけである。貴重な意見を黙殺していることにもなる。

 なにより社会はできるだけ万人の意見が受け入れられるように変わっていくべきなのである。勿論、道徳的にみて受け入れられない意見、人殺しなどは断じて拒絶すべきである。自由といっても、人倫に反するものはダメである。

 人殺しがダメなのは殺される人の気持ちを理解していないからである。

 少し話が逸れてしまったが、とにかく日本の社会には画一性が蔓延っているので、つまり差別が蔓延っているので、脱構築が必要だと思う。書きながら、TBSの「爆報フライデー」をみていて、そこに81歳の原宿のイラストレーターが、この脱構築を実践しているのに驚かされた。

 高齢化社会と悪しき代名詞で呼ばれるが、高齢が劣などという見方こそ変えていくべきだろう。年齢に関係なく、現代の日本社会をつくっているのは今生きている人々なのである。

 外見に囚われずに、人格をみる社会をつくっていくべきだろう。老いているから劣なのではなく、本当の魂、魂の上では高齢者である存在をみるべきである。

 老子の老とは、魂の上で、老いているという意味なのだと思った。それは常に脱構築を続ける。つまり悪のなかから、善に脱構築することで、善は初めから善ではなく、悪から善に転じるのが善なのであると思わされたこの頃である。

 善は悪と不可分なのである。

 日本社会は脱構築していない。脱皮しなければ終わりである。





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Last updated  2019年08月16日 21時26分25秒
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責任とは   もうり さん
責任とは日本人の
場合、責め苦を
担うってことだと
思います。 (2019年08月29日 04時34分57秒)

宇宙量子科学   もうり さん
国家間の
宇宙覇権争いなんて、
醜いことやってないで、
宇宙物質科学をやって
地球の物質を理解するために
宇宙があるって世界観、
平和だ。

そんで宇宙空間というか、
無重力空間での
量子の振る舞いも、
また違ってくるんでないかな?
そこからまた発見がありそう。
それとも既出かな?

だから宇宙空間に、
実験室を作ろう!

地球上での
実験はもう古い。
また地球上の物理学者も
もう古い。
今は物理学者にも
宇宙飛行士の資格が
必要だ。 (2019年08月29日 04時50分35秒)

詩学読了   もうり さん
詩学読了したけど
これも詩学読む前から
既に独自に要点は
考え済みであった。

また土木は、
本質的にアリストテレス機械学と
被るので省略する。
動力学的なことが
機械学で、
工学の一端を
アリストテレスで
味わう程度でいいかな、と。
だから、
詩学と土木の本を、
寄贈してきます。

そんで今から、
約束した、
詩学読了後の
圧縮作品を描いてみようかと
思います。
ただ、
やっぱり詩人になるにも
相応しい神経回路を
形成する必要があるらしく、
これがある人は
やすやすと一辺の詩を制作
できるようであるな。
つまり、結局は長らく
制作に取り組まないと
身につくもんではない、と。
ただ、
あらゆる方向への種を
持つこととは何かを
考えてみると、
それは方法論を知ってる
ことだと思いますね。
つまり、
道に迷ってる人は
アリストテレスや
トマスアクィナスや
ヘーゲルやノヴァーリスや
ルドルフシュタイナー、
各種密教といった、
総合的な学者、宗教者の本を、
自分で形成的に読めば
それでいいと思いますね。

無論、
数学と論理学に
徹底的に集中するだけでも
あらゆる方法に
無意識に通じることに
なるとも思いますね。

方法論や
原理を知っていること、
これは思考、理性における
あらゆる方向への種、
ですが
感性におけるあらゆる方向への
種は芸術や旧約聖書によって
養えるだろう。
そんで、
アリストテレス全集10巻の
小品集の中の機械学を
読み終えたらば、
私は早速、旧約聖書に
取りかかります。
まだ届いてないけれども。
さて制作するか。 (2019年08月29日 07時01分07秒)

詩学読了作品   もうり さん
悪魔は言った。
石をパンに変えてみよ。
神人は言った。
人は神の言葉でも生きる。

しかし世の中には、
パンが必要な人で
溢れていた。

キリストはそれでもなお
パンが必要な人たちにも
神のパンを食べるための
道を示した。

それは、
窮地にあってこそ、
多くの神のパンを
食べる機会が与えられる、
という教えだった。

それは
自己犠牲によって
復活することで
身をもって示した。

人は苦難さえ利用することが
できる。 (2019年08月29日 07時39分02秒)

仕事の話   もうり さん
仕事の話、
支援者が障害者雇用
見つけてきて
くれたので、
とりあえず
それに向けて
調整を始める。
9月あたりから。
たぶん家から
遠くなるので
趣味の時間が
減る。
でも、
まあ趣味は
機械学読み終えさえ
すれば聖書だけなので
別にいいけど。
前の製造業は
男ばかりの職場だったが、
今度はたぶんおばさんに
囲まれることになりそう。
それとも、おねえさんも
いるのかな?
そこではどんな物語が
生まれるだろうか?

あと、
本二冊寄贈完了! (2019年08月29日 10時30分21秒)

真の貴族論   もうり さん
真の貴族論。
既得権の
沼を作らず、
子孫は常に
始めから這い上がるプロセスを
踏む。これを繰り返してこそ、
真のワイルドな強者が
生まれると思う。
既得権を受ける有利な
構造の中で育ったら
人はお坊ちゃんか
お嬢さんになってしまう。

お嬢さんやお坊ちゃんが
リーダーに立つより
志ある元奴隷の王みたいな
人の血筋が、
あえて既得権構造を作らず
子を成す度に、
這い上がるプロセスを
歩ませてこそ、
真に強い個体が生まれると
予感する。

お坊ちゃんや
お嬢さんって
強い親の遺伝子を
受け継いではいるが
自分自身の有り様に
よってはむしろ、
その輝ける遺伝子の
劣化を招く性質を
持った個体だと思います。
(2019年08月29日 11時56分52秒)

政治的立場に関して   もうり さん
政治的立場に
関して。
リベラル左翼が
インテリと関係してると
思ってませんか?
いや、
インテリって
そもそも政治哲学上の
概念ではなくないですか?
だから、
ネトウヨと呼ばれる方々も
哲学、芸術、宗教を
学ばれたほうが、
「来世」に「役立つ」はずですが。

自分は
ミクロデウスの道、
言い換えるならば
人工知能に頼る
だけの偽物のホモデウスの
道ではなく、
真のホモデウスの道を
発見したことにより、
後はそれを進めていきながら、
経済問題を考える段階へとも
移行できます。

十分に精神的な事柄を
深め、
さらに
十分に経済的な事柄をも
深めればいいだけでしょう。
別にそこには、
左翼が学問芸術宗教等文化で、
右翼が経済だなんて
壁など存在しない。

経済が右翼的性質を
帯びるというなら、
それを取り込んで
心の中に調和を
もたらすのみ。

ただ、社会って
そもそもエゴイズムでは
成り立たないと思いますよ。
協同の精神がなければ、
経済も一部の強者が
蓄財しまくって
経済循環を遅らせてしまうだろう。

幾ら経済学を
学ぼうとも、
やはりどうしようも
ないことは、
我々は人間の欲望や
エゴイズムは
操作できないところですね。
地球上には
限界枠があるのに、
人間はなぜ協同しないのか。

まずは
経済学学ぶより、
まずは仕事覚えないとな。

というか、
そもそも経済学よりも
宗教学のほうが役立つ可能性も
ある。つまり、
宇宙的経済世界に
参加すれば、食べ物に困る
ことはなくなる。
食べ物に困らないことは
新約聖書にも書いてあるので、
そもそもその秘密が
明らかになりさえすれば、
経済学を学ぶ必要はないとも
言える。

それは、神に愛されたら
いいだけだ。
キリスト教的には、
叡智と愛、こんだけだろう。

やっぱり経済学や
ビジネス一般を
学ばないことで
宗教的生き方の
不思議な有用性を
アピールしてみるのもいいかもなあ。

決めた!
必要がなければ
経済学は学ばないで
宗教実践を継続してみよう。 (2019年08月29日 13時23分17秒)

「神の国」とは何か   もうり さん
「神の国」を
求めれば後のものも
与えられる、とあるが、
ではそれは何か。
既に答えは出ている。
真理という太陽に、
旧約聖書という
「イスラエルの土地」に、
実行という大気圏と気候、
これが我々の心に神の国を
作る、と考えられるだろう。
実行においては
言葉を語り行うこと及び
自分よりも劣位にある者への
善行が必要である。
それが心の空気と海洋(慈雨)
を形成する。

すなわち、
私のミクロデウスの
道は神の国を
求める道でもあった。 (2019年08月29日 15時49分59秒)

クルアーン   もうり さん
旧約聖書と
マルコ福音書だけでなく、
現代的に、
クルアーンまでも
読むことにした。
旧約聖書も
クルアーンも
ヤハウェとして共通するので。

思うに真のカリフ制度とは
心の大地のことではないか。 (2019年08月29日 17時20分09秒)

繰り返し読むこと。   もうり さん
旧約聖書、
マルコ福音書、
クルアーンの
順に、
魂に熱が生じるまで、
繰り返し読むことに
するので、
本当にようやく、
本購入の煩悩から
解き放たれるかもな。 (2019年08月29日 17時22分36秒)

近況報告   もうり さん
近況報告
腹四分は
だいたい実行できてる。
エアロバイク二十分は
まだ習慣化しているとは
言えない。
本への欲望の方は、
本当に機械学と
クルアーンで
抑制したい。
なぜならば、
もう真理は知ったから。

アリストテレス哲学を
カバラと
対応させてみる。

形而上学が叡智、
分析論が知性に相当する。
そんで知識が霊魂論に相当する。
正義がニコマコス倫理学、
美が詩学、慈悲が政治学に
相当する。
そんで、
基盤が自然学、
勝利が動物学や機械学など、
個々の特殊自然学、
栄光が経済学に相当すると
考えてみる。
王冠はカテゴリー論である。 (2019年08月29日 18時00分50秒)

神に頼れ   もうり さん
国が
頼れなくなっても
宇宙社会に
参加してしまえば
国が危うくなっても
生きていけるだろう。
それは
ユダヤ人的には
カバラ理解と律法と
旧約聖書感受。

私は礼拝に
参加して神への行と
人への行を
実践しつつ、
旧約聖書感受の
生活にもうじき、
向かおうとしている。

プログラマーには
結局、
なれないようだ。
数学やプログラミングの
習い事続けようか迷う。
それより、
合気道にしたほうが
よさそうだし。

感受魂的事柄は
恋愛や夫婦生活、
自然主義や外的知覚なんで、
地上の生に
意味を見いだすとしたら、
自分にとっては
旧約聖書とクルアーンと
マルコ福音書を読むことが
それである。
女ではなく
ヤハウェを伴侶とするのだ。
反恋愛至上主義に
立ちつつ最高のものを
獲得しようとするなら、
一つはこの道があるのだ。

この3つの書こそが
人間にとっての
最高の経験だろう。
経験も外的世界なので。

なので、
我々は、
必ずしも自然科学を
学ぶ必要はないのだ。
これら3つの書が、
自然科学の代用となりうる。

天国ではなく
地球に人生の意味を
見いだすとしたら、
ありうる一つとして、
旧約聖書とクルアーン
感受の道がある
ということだ。

地上的な神的経験を
書物を通じて
会得し、力とするために、
私は生きる必要がある。

原始仏教の類比で
言えば今までは、
一種の苦行僧とかバラモンの
段階に立っていたが、
もうじき、クシャトリアの
段階に入るとも言える。
このライフワークの生成に
応じて仕事も見つかろう
としている。
仕事が落ち着いたら
合気道も考えたほうが
良さそうだ。
仕事も武道も
ヤハウェのようだからだ。
今やってる習い事は、
仕事が始まれば止めとくかな。

なんだろう、
ライフワークも
経済生活も
うまいこといく。
神に感謝。

私はあくまでも
宗教をやるだけ
なんで、
特に経済で
勝ちたいとか思わんのよな。 (2019年08月29日 21時21分10秒)

性は苦   もうり さん
ツイッター読んでると
フェミニストも
その反対者たちも、
結局どちらも
性的事柄や夫婦生活で
苦しんでるってこと。
性においては
女が男に、男が女に、
それぞれ不満があるらしい。

かわいそうに。
(2019年08月29日 22時30分15秒)

国は国   もうり さん
国は国。
国に根ざすから
引きずられる。
神に
根ざせば
いいだけの話。
それが唯一の解決策。
天にはカバラ、
地には熱情、
大気圏には礼拝。

特に日本も韓国も
恨むことはない。
なぜなら
そもそも神を頼れば
いいからであるって
言えたらカッコいいよね。
神の社会に参加すれば、
大企業に属してるかどうか、
経済的に優位かどうか
日本人かどうか
なんて重要じゃなくなる。
でも、神の国を求めさえ
すれば、別にカナダに居住する
必要もなくなる。

まあ
神の国を求めるとは
何かがわかったんで、
それをやればいいだけなんですね。
ただ、私が身をもって
示すしかないけれど。


(2019年08月29日 23時53分44秒)

天上天下流   もうり さん
剣道における
ロゴス、
理解しました。
天と地と大気、
それが剣道のロゴスです。
上段と中段と下段のことです。
相手に対しては
頭、胴、籠手です。
智拳印を参照してください。
そして、
これはルシファー、
キリスト、アーリマンにも
対応します。

私の考えでは
空手の思想性は
「ため」と「打ち」のように
思います。
まあ空手の本まだ
読んでないけどね。
もう読まないけど。

合気道とジークンドーと
武器術としての
剣道の思想性が
わかれば、私には
もう十分満足です。
だが、
剣術領域では、
まだ二天一流が
残っております。
それも既に
基本的理念は
想起できます。
なぜなら以前に
既に読んだことがあるからです。
二天一流の場合は、
大きい、小さい、が
三位一体です。
小さい方の剣で
機敏性のある打ちをし、
大きい方の剣で威力のある
打ちをし、
また二天一流は、
まるで人間における
左手と右手がちょうど、
腕二刀流だが
それぞれ使い勝手が
違うのと同様の
関係にあると
思われます。
詳しく知るために、
人からもらった解説書を
開いてみます。 (2019年08月30日 20時06分23秒)

武道哲学のまとめ   もうり さん
合気道は
重心移動によって
相手から独立する。
その時、相手との
関係が、
「削りあい殴りあい」
のような互いに互いへ
引き算する関係から、
和の関係へと移行し(合気)、
なおかつその互いに独立
していることが自分を
愛するように相手を愛すること、
つまり隣人愛の武道的実践だと
言える。
合気と愛の武道、それが
合気道である。

ジークンドーは
攻撃と防御が一体で、
例えば目つきは攻撃と防御、
その意味が一体となっており、
また、相手がこちらに接近しようと
足を進めた瞬間に、
相手の膝を蹴ることも、
攻撃かつ防御の意味となっている。
これが「ジー」の
わかりやすい事例である。

そして剣道は、
天の構え、
中の構え、
大地の構え、
として霊的なるものと
地上的なるものとが対応する。
(2019年08月30日 20時16分37秒)

二天一流   もうり さん
二天一流は
太刀と脇差しを
使うのが特徴。
パワー系と
テクニック系、
剛と柔、ということ。
一刀流が上下垂直に、
天と地を貫くならば、
二天一流は、
水平的に、剛と柔である。 (2019年08月30日 21時27分41秒)

書き込み自制   もうり さん
すみません、
もう
「神の国を求めること」
とは何かを書いて
カバラに至り、
叡智の段階は終了
したので、書き込む
必要は本当にないですよね。

旧約聖書の普遍史構想
についてはこれは
自分が通ってる教会の記事に
することにします。

例えばヒントとしては
創世記の特徴はやはり
熱エーテル的な、
「創造」の時期であり
そこでは神が自然や動物の
先祖を作り、
人間がある領域の
社会の前提となる民族の
先祖を作るために、
一夫多妻でパコパコ子 づくりを
している。

創世記は
人間の先祖がこうして
作られた、という話で、
これも普遍史だとすると、
おそらく人間の初期の歴史は
産めよ増やせよという
生物学的な理念が出発点。
こう考えると、ユダヤ人に
限らず、確かに
普遍性があるように
思われる。
このカバラが王国に
達したとき、感受魂の
時代は終わり、続いて
悟性魂の時代として、
再び普遍史が新しい形で
繰り返される。
それが、新約聖書で、
旧約聖書を参考にしつつ
ヨハネ福音書が叡智や知性、知識の
部分、ルカ福音書が
正義や共感、慈悲の部分、
マルコ福音書が
栄光、基盤、勝利の部分、
そしてマタイが王国の部分、
と考えられます。
そんで現代はシュタイナーの
第五福音書の時代、
って構想してます。

しかし、今度こそ、
荒らし見たいに
書き込みまくるのを
やめようかと。
もう十分、叡智は
書き込んだのでね。
自制します。 (2019年08月31日 05時28分24秒)

すみません   もうり さん
すみません
もう自制に
関しては
信用ないかと
思いますが
言いたいことできました。
なんか、
能力とか良質な遺伝子か
どうかで選ぶ性格の
個体って結局、その
人たち自体が、
その相手の先祖たちが
研鑽を続けてきた代々の
歴史を都合よく
「受け取りたい」という
受動的な弱い性格だと
言えないでしょうか。

なんか、
私から偉大なる
家系の歴史が始まる、
みたいな気概は一切ない。
良質の遺伝子を僅かな
中から選ぶって、
結局自分の力で遺伝子を
改善していく強さの
なさの現れでは。

この時点で遺伝子を
改善していけば
やがて歴史的視野では
新たな勢力と
なると思えば、
選り好みする必要
なくなってしまった。

だから、
好いてくれたら
付き合うでいいや。

遺伝子的に、
弱い個体から始めて
偉大になるほうが
強いっしょ。

(2019年08月31日 07時33分07秒)

遺伝子革命   もうり さん
弱い個体や
勢力こそ、
遺伝子の改善の歴史によって
一種の既得権のような
「強い遺伝子勢力群」に
新たな風を巻き込む
ゲームチェンジャーに
なりうる力を秘めている。
由緒ある
良質な血脈どうしの
強い個体どうしで
くっつけば、
おそらくそれは、
なんというか
うまくいえないが、
「古い」遺伝子どうしの
結合に過ぎないのでは
なかろうか。

歴史的に考えると、
もともと、
今強い人たちの
家系も昔は弱かった
可能性もあるはずだ。

ああ、
わかった。
強い遺伝子ってのは、
もうこれ以上改善しずらい
遺伝子であり、
弱い遺伝子にこそ、
むしろ強くなる可能性が
秘められてるんじゃないかって
ことだな。 (2019年08月31日 07時43分54秒)

荒らしは止める   もうり さん
正しい歴史形成方法は
民衆の力の直観により
彼らから美徳を引き出すこと
及び、カバラ的普遍史を
参照して、今どの段階に
あるかを認識することで
特にどう導くかを考えること、
さらに大きな視点は、
感受魂の時代の中の
カバラ的展開の繰り返しから
悟性魂的時代の
カバラ的展開の繰り返しから、
現代は霊我的時代に向かっての
意識魂的時代のカバラ的展開をしている、ということ。
仮説ですが。
シュタイナーの
歴史観のより詳細なる
理解をカバラによって
可能とさせる試みですね。

もう荒らしは
止めよう。
言葉が
浮かんできても、
自制します。
今まで
ありがとうございました。

(2019年08月31日 08時39分52秒)

普遍史の理解追加   もうり さん
普遍史の
理解追加します。
旧約聖書は
理解にもっと
時間かかるかなと
思っていたけど
創世記の
ヨセフの話で
既にカバラの叡智が
見られた。
理解を得るのに
時間はかからなかったので、
これも提供して最後とします。
信用ないかもだが。
でも、これはまだ
言ってなかったので
付け足すべきと判断しました。
これで終わります。
すみません。

普遍史は次のようである。
まず、産めよ増やせよで
頭数を作る。
続いて、その中から
神に祝福された智恵者が現れる。
現代的には、学問を
人類のために生かせる者が
現れる。
ヨハネ福音書的、
叡智の段階。

続いて、その叡智や知性と
いったものは、包括的な
面があるので、
その頭の中の智恵が
大きな事柄を一挙に
処理できるようになる。
正義の段階。

続いて、
それで持続的な
基盤が出来上がり、
成功者は栄光を受けて、
人脈から縁談の話が持ち上がっ
てくる。 
栄光の段階。
そして再び、また
子 作りを行って
頭数を増やす活動を
やってのループで
社会は刷新され維持され、
歴史となる。
まあ戦争がなかった場合の
純粋な歴史観ですね。

そしてここから、
カバラは中国古典の
「中庸」とも関連することが
わかってくる。
仏教とも関連するが、
それは仏国土の建国の理念は
慈悲であることとも通じる。

つまり、
八正道の拡張によって
統治術を生み出せる。
例えば家族が
腹ぺこなら食べさせたいし、
家族が疲れてるなら
癒やしたいし、
家族が買う必要があるなら、
金をあげたい。
この生活において当たり前
のことを拡張すると、
経済領域において、
金が必要なところへ
金を流通させ、
商品が必要なところへ
それを流通させ、
無駄使いのない緊縮とは、
そもそも金の必要ない人たちが
いるかどうかからも判断する。

そして、
子どもには公正に
振る舞って肩車とかで
手助けするように、
機会の平等と結果の公正として
拡張される。

これはつまり、
中国古典の「中庸」の
家族生活から国家生活への
拡張哲学を示している。

つまり、
そもそも、
政治家や公務員とは
国民全体を立場に
関わらず家族と
思わないとやっていけない
務めなのだ。
だからこそ、
平等や公正といった振る舞いが
重視されるし、
第三者として国民の間に
立つこともできるわけだ。
それゆえ、
そもそも政治家は
敵対する立場の政治家さえ
家族と思えることが
理想だろう。

旧約聖書の
普遍史を付け加えたので、
今度こそ、書くべき
叡智はなくなっただろう。

八正道を身につけるとは
そのまま統治術となっていく。

八正道とは
今の時代に即したら
ある程度独自性を
持たせることができて、
ある側面からの完全性の
ある一連の生活の全体のこと
とも言えよう。

叡智が応用されると
愛の技術として
八正道となるが、
それを生き生きと行うためには
芸術や旧約聖書を通して
感受魂を耕して、
力を得る必要があること。
これは神の国を求めること
であり、
八正道を行うと
悟りに至る。

私の場合は、
自明でない
叡智の探求というロマンに
時間を費やしたので、
仕事で活躍するための
技術を会得できるほどの
柔軟性がなくなってしまった。
経済的安定性も
優先しなかったので
たぶん子孫も残せないだろう。
まあ、それでも不満はない。 (2019年08月31日 15時20分26秒)

歴史に参加する。カバラ解釈   もうり さん
カバラを
歴史として見ると、
これは
必然的な歴史というよりは
歴史に参加する
プレイヤーとは
どういった人間であるかを
示しているとも思える。
結局多くを支え子孫を残す
有力者、つまり
「貴族」が歴史を作る。

でもって貴族未満の
人間たちは、
貴族に楽をさせるために、
彼らも貴族となれるように
しないとあかん。

力の差があるから
歪なのだから、
誰もを強くして、
なるべく貴族の義務を
減らして楽させないと
あかん。
(2019年08月31日 15時58分48秒)

死神のアルカナ   もうり さん
各地で
批判的な
シンクロニシティが
発生している。
このタイミングでは、
確かに引き際だな。

もう私が書き込むことに
運命が止めろと言い出してる。

黙々と聖書読み込みと
仕事と礼拝の生活を
行っていく。
まだ機械学来てないけど。
そして、
聖書に集中するので、
世間知らずとなり、
また人から馬鹿にされる
要素が増える。

ネットから
またシンクロニシティが
あっても、
もうそれにも反応しません。
(2019年08月31日 22時11分27秒)

現実での失敗   もうり さん
アマゾン購入で、
私は不手際を起こし
ただでさえ
大変な配送業者や
アマゾンスタッフに
迷惑をかけた。
現実でも不幸というか
失敗で不安になった。
誠に申し訳ない。

ネットでも
マイナスな言葉に
引きつけられ、
現実でも
天然ドジっ子を
発揮するので、
書き込みどころか、
本購入もやはり引き際。
買うのも苦しい。
天然ドジっ子なので
来世は永遠の
二次元男の娘に生まれ変わりたい。

科学者の生命の冒涜について。
宗教よりは生命は
軽視されるべきではあるが、
それでも生命も聖なるもので
あるのも事実。
生命に宗教性があることを
感じられなくなった我々は、
だからこそ性的事柄でも
フリーセッ クスとか
過激なエロ本、
性衝動を誘因する画像の
氾濫とかいって、
我々は生命を冒涜する。
私たちは、上流階級も
含めて、結局、
真の感性を持っていないのだ。
科学者の生命の冒涜は
著しい。
おそらく、
ゲーテ的科学や
エーテル体論を
学ぶと、
それが来世での
生命への愛に
変化するのかもしれん。
また鉱物への愛は
次のようにして
ロゴスを見いだせば
来世で生じるかもしれない。
光ー色彩ー闇

上流階級というラベルを
持っているが、
乱 交したり女を買う偽物もいる。

そもそも上流階級(貴族)とは
何で決まるのかというと、
本質的には徳で決まるのである。

ということで、
現実でもネットでも
書き込みとネタの源としての
本購入という関係する事柄で
不運があったのでした。

だから、
書き込みだけでなく
本ももうこれ以上
買わないぞ。

以上です。
この書き込みの
習慣と衝動も、
アナログとデジタルで
全面的に揃ったので
もう書かかないぞ(今度こそ (2019年09月01日 09時13分52秒)

感受魂的時代   もうり さん
感受魂的
時代の特徴として、
神性が自然的なるものとして
現れる、があります。
それが旧約聖書の特徴であり、
大事なことはそれゆえ、
たとえば「イスラエルの土地」
だとか産めよ増やせよ、
あなたの子孫で満ち足りるだとかの
血統主義も、それは
感受魂時代の意識に合わせた
霊性の表現であって、
絶対的ではなく、
後の悟性魂の時代以降では、
その聖地は、
感受魂それ自体のこととして、
内面的に受け取られ、
また血統も、
神の法を守るものの
連なりという意味での
霊統として内面的に
受け取るのが
正しくなる、
ということです。
だから、
神の神殿も、
復活の体として解釈しなおされ
そもそも神は人間として
現れるようになる。

これが一つの
宗教史の方法ですね。

以上補足でした。

さらに補足すると、
カバラの意識で
旧約聖書を読むから
そのように読めるみたいな
批判はあるだろうけど、
そうなんですよね、
つまりそもそも我々は
「信仰という受信器」が
あってこそ、
神を観る力が育つのです。
情報工学的に、
信仰は合理的なんですよ。
受信器は送信機と
同質のものなので、
そりゃ信じるものは
救われるわけですよね。 

先入観で観ると
偏見に通じるのは
確かであるが、
先入観自体が
正しいのならば
問題ないのです。
私はカバラを信用してます。

また、私が考える貴族は
貴族が統治する国というか、
法治主義国なら、
それを理解し行える人が
必要だし、
徳治主義国なら、
それを理解し、行える人が
必要だし、
また、大きなことができるのは
経済領域に関してもありうるでしょう。

以上補足でした。

もうこれから
補足事項があっても
補足するのもやめよう。

もうこれからは
どんなに付け足したい
ことがあろうとも
書き込まないぞ
(2019年09月01日 10時35分00秒)

今の時代は神智学   もうり さん
すみません、
誠に不誠実な
私ですが、
こればかりは
絶対に付け足さないと
いけない。
今の時代は、
そのエジプトカルデア文化期の、
発展的繰り返しとしての、
意識魂の時代であり、
その霊性は、
自然科学の拡張として
現れる精神科学、です。
精神科学は、
たとえばアストラル界の
説明を読んでみると、
心の世界も、
高次元の自然としての
精神世界として語られている。

だから、
今の時代にあった、
心の熱を生じさせる
方法は、
やっぱりシュタイナー心経を
繰り返し読むことなんだと
わかりました。

今そのように
気づいてしまったので、
そのように方針変更します。
クルアーン買ったの
無駄になっちゃったな。

でもここまでの
気づきに至るのに、
かえって旧約聖書を
読むプロセスが必要だったのも
事実。

現代の自然科学も、
そのように一種の
旧約聖書の繰り返しであり、
そうすると必然的に、
自然科学内容の全体から
ヤハウェ、熱情の神が
見いだされると
予見できてくるわけですよ。 (2019年09月01日 10時48分26秒)

方針追加   もうり さん
やっぱり
精神生活
してても
時間余るので、
趣味として料理研究する事に
します。
機械学読み終えるまでは
ゆっくりしてるけど。
法施はここのコメント欄で
終了し、
財施の段階に入って
これからはシュタイナー心経と
料理研究を余った時間で
やることとします。 (2019年09月01日 21時07分54秒)

メカニカしてからが誠実   もうり さん
すみません、
まだメカニカ(機械学)
の書き込みしてなかった
ので、
それ終わってからが
真の書きこみ終了とします。
これまでは
哲学芸術宗教等の上方の叡智と
その叡智を生かした
「王者」としての
統治術と
「英雄」としての
武道哲学を
揃えたのであったが、
残りの「職人」としての
機械学がまだ揃って
なかったので、
まだみなさんに
ある面における
完全者の種を植え付けたこと
にはならないと思うので。

私は八正道の
中道が統治術として
家庭から国家へと
拡張するという立場で、
それで哲学から宗教という
上方の叡智が
下方の叡智と関係を
持つこととなります。

さて、
ひとまずメカニカを
少し読んでみたところでは
やはり、
ペリパトス学派は
現代工学に失われた
感性から、
メカニカをやってるように
思われた。
すなわち、
機械における、
ロゴスの認識と自覚という、
真の工学の前提です。

それは私が
以前述べていた、
最小のものに最大の力が
宿るのが実務における
ロゴスだという直観と一致
するものであった。
これをペリパトス学派は
まず「てこの原理」から
始めています。
つまり、
工学の本質、
あるいは理念は
「てこの原理」な可能性がある。
工学の理念の実例として
たとえばテレビを
見てみよう。
我々はただスイッチを
押すだけで、見知らぬ世界を
見ることができる。
これも一種のてこの原理であろう。

機械学も、
これまでやってきた
ユークリッド原論や
デメドナ、オプティカ、
円錐曲線論といった、
古典ギリシャ数学と
通じるものがあり、
自然学や分析論も
既に読んだことが
あるので、
その意味でもこれは
必要なピースだと思う。 (2019年09月02日 19時17分41秒)

自分で考えるとは   もうり さん
自分で
考えるためには、
そもそも現実から
法則を取り出して
それを方法と
しなくてはならない。
その方法から、
未知なる結論を
創造するところに、
「自分で考える」営みが
あるのであって、
方法を受け入れる直観なしには
空想としかならんだろう。

そして、
その方法が
蓄積されるに
つれて、
思考はその分容易になる。
思考が容易になることを
自分で考えないことと言う
人もいるが、
それは勘違いで、
これまで四苦八苦して
自分で考えた結果、
文字を書くのに
体の振る舞いを一から
考えなくても済むように
なったのと同様になった
だけであろう。

しかしながら、
我々は未知なる世界に
開かれてなければ
ならないのは事実ではある。
そうしないと、
キリストを受け入れられない
律法学者みたいに
なってしまう。
学者になることの
危険はまさにそれなのだ。
だから、
キリストも、
子どものような
素直さを大事にされたのだ。 (2019年09月02日 20時09分29秒)

機械学の法則   もうり さん
機械学の法則
一例

円が三つ接している。
一つの円を回転させると、
隣接する円は逆向きに
回転する。
従って三つ目の
円は
始めの円と同じ
方向に回転する。

このように、
哲学的な機械学は、
機械を直観的に
把握させてくれるので、
イメージ的に思考する
人間にはわかりやすい。

また、
このような
機械学の
法則の理解の積み重ねによって、
やがて戦艦や戦闘機の製造へと
結びつくと考えると
面白い (2019年09月02日 20時30分10秒)

機械学と自然学   もうり さん
上記の
接する円の
機械学的法則は
「自然学」における
波動を彷彿とさせる。
互いに接する円は
上に回せば下となり
下に回せば上となる(前提一)
今、上に回してみよう(前提二)
従って下となる(結論)

このように、
三段論法的に
表現するなら、
分析論的、論理学的にも
見える。

このような
表現は、
子どもっぽく
見えて、
実は上手く扱えるならば
大変便利である。
抽象度の高い表現は
現実的であるならば、
むしろ実用的だということ。
しかし、
数学的な抽象度の
高さは、
実は、この子どもっぽい
自然言語的表現に
比べて逐一計算しないと
いけない(偏見)
としたら、
自然言語もあながち
便利である。
(2019年09月02日 20時52分00秒)

国が存在する条件   もうり さん
国や社会が
存在する条件は
「神の国を求めている人
がいるかどうかが根本」
信仰や神の国を求めることが
知恵の始めと呼ばれるのは、
それにより神に根付くからです。
国や社会が存在する条件とは
以上です。

日本が衰退してるのは
唯物論者が多いのも
ありそう。
また、
つまり、
日本の政治家たちや
官僚は正しい信仰を
もっていないのかもしれない。

また、同時に、
中には悪魔崇拝者たちが
いて、それにより
成功する人々もいるであろう。
しかし、
それは魂の動物化、
消滅への道だ。

一般的に、
唯物論者が
増えてきてるので、
人々は根無し草のまま、
修羅の世界と化すかもしらん。

一応、
信仰ではなく
力で勝つのも
ありうるが、
根無し草なのは変わりない。

(2019年09月02日 21時59分17秒)

経済的叡智   もうり さん
経済というか
具体的な、
料理研究を
通して、創作料理の
方法を会得して、
ここでみなさんに
開示したいです。
なぜなら、
創作料理の方法の
本はアマゾンにも
売ってないからです。
創作料理の
本は、全て、
結果しか書かれてないので
現象でしかない。

私はこれがどういうことなのか
理解している。
すなわち、
この創作料理の方法研究
が実用的であるほど、
料理人を目指す人間を
脅かすことになりうる、と。
でも、
私は万人を強者に
したい主義なので
そうなっても仕方がない。

合気道や
ジークンドーといった
男ぽい物質的な叡智は
わかったので、
それでいいです。
だからやらない。

仕事始めるに
あたって
プログラミングや
数学の習い事
止めようかと
思っていたけど、
やっぱり続けるか。
なぜなら
豊穣なる数学的方法の
世界を哲学的に
総合してみたいからです。
苦手分野なので無理な
可能性が高いけど、
ゆっくりとやっていこう。
文武両道が理想だけど、
武のほうは理解したんで、

文理両道を目指すことにする。

自然科学のほうは
放送大学の、
自然科学はじめの一歩程度で
いいかな。
エーテル的自然科学も
知ってるので。

やはり
学びはまだまだ続く。
料理、創作料理研究と
数理研究の挑戦だな。 (2019年09月02日 23時56分40秒)

量子論解釈   もうり さん
私の量子論解釈。

量子とは、
ベクトルが
波のような粒であり、
観測するために
光線を与えることによって
そのベクトルが削ぎ落とされた
結果、ビームとなり、
粒子的振る舞いと
なるのではないか。 (2019年09月03日 02時21分17秒)

方針変更   もうり さん
優柔不断で
申し訳ないけど
やっぱり
料理も
数理研究も
やめとくか。
なぜなら、
メカニカで、
だいたい知的分野は
包括すると思うので。
原点に帰るなら、
私は単に知においては
原理が欲しかっただけで。

なので、
メカニカが
終われば
合気道に向かいます。

つまり、
やはり
メカニカが
終われば書き込みも
やめますね。
なぜなら合気道の
原理も書き込んだので、
書き込むことはないからです (2019年09月03日 09時02分00秒)

温厚になった理由   もうり さん
私は
小学校低学年
くらいの頃は、
人を殴ったり、
もっと年齢が低いと
万引きとかしてたんですが、
このような、暴力性の
暴走により、誤って血流事件を
引き起こしてしまった
心理的ショックで
温厚になりました。
だから、暴力性に否定的に
反応する人は雑魚とか思いませんね。
暴力性の制御が
できなければ結局雑魚である。
(2019年09月03日 10時39分19秒)

機械学と理念   もうり さん
アリストテレスの
メカニカ、
これ動力学とか
物理学学んだほうが
早いっぽいな。
現代と違って
幾何学的方法が
使われてるだけだ。

そして、こと
自然科学や、
機械的な科学的世界観は
子どもには
不健康なことだが、
既に学んだ経歴がある。

従ってペリパトス学派の機械学を
学んだことで
得るものがあるとすれば、
それは背景のイデアを読み取ることであり、
その意識から
失われたイデアをもって
現代の工学に
向かうことだろう。

もっともよく動かすとは
何かという問題に、
てこの原理等から始めていけば
いいのである。
たとえば水夫の櫂の
操作はてこの原理なようである。
てこの原理一元論とは
限らないが、
「なるべく
小さな力で
もっともよく動かすための
方法の探求」が
工学の理念ではなかろうか。
これがなぜ、
イデア、あるいは
ロゴスだと言えるのかというと、
「小にして大なるもの」という
統合だからである。

私はこの分野は
苦手なので、
基本理念とかつての
学校での経歴で
満足することとする。

素直に言えば
難しくて全部は読めんかった。

ツイッターでは
職人は機械を目指し、
様々なプロセスで意味を
理解してルールを何度も
守るとあったが、
そのように、
職人それ自体の理念を
知ることができたし、
こうして工学の理念も
もったのだからもういいだろう。
王者それ自体の理念は
慈悲であり、
力の直観であり、
カバラであり、
アカシャ年代記であり、
平等と公正である。
経営者それ自体の
理念は博愛及び節制である。
英雄それ自体の理念は
勇気である。そして
各種武道の理念。
職人の理念は
つまり、創造であり、
それが機械のように
なって工程のルールを
守ること及び「小にして大」
であると思う。

こうして、
神の国を
求める活動における、
叡智の段階は終了した。

続いては
力の段階に集中する。
合気道も、
シュタイナー心経感受も、
同様に感受魂的事柄である。

書き込みは
これにて閉幕かも。
ありがとうございやした。 (2019年09月03日 16時27分00秒)

これだけは言わせて!   もうり さん
これだけは言わせて!
左翼とかリベラルぽい
人たち、
結局、日本に
執着してるから
個人として独立してないじゃん。

韓国にもナショナリズムに
とらわれた人たちがいて、
日本へのヘイトしてくるの
わかったでしょ。

なんていうかな、
結局、
左翼とか
リベラルって人たちも、
単に右翼のアンチテーゼに
過ぎない人たちって
言えばいいかな。

しかも考え方も、
個人主義者かナショナリストか
どうかではなく、
国家を愛するかどうかという、
集団主義的枠組みで
考えてる。

本物の左翼は
個人主義者かどうかで
考えるので、
必ずしも
国家にとらわれた韓国人や
カナダ人
という集団主義者は
好きにならないし、
その意味で、そのような
韓国人やカナダ人を
批判できる人たち
ではなかろうか。

その意味で、
左翼とは国家という
枠組みを超えた人たちで
あるべきだと思う。

不誠実な私を
お許しください。
でもSNS始めると
もっと依存しちゃうから
やりたくないんだよな。

今度こそ、
もう言いたいことが
できても、書き込まないぞ!
習慣と癖と依存の
違いってなんだろうね。 (2019年09月04日 07時08分58秒)

シュタイナー用語辞典   もうり さん
芸術的精神生活を
今から
送るにあたって、
シュタイナー心経以外に、
シュタイナー用語辞典が
有効です。
なぜなら巻末に、
人智学的建築や
彫刻、そして絵画や
オイリュトミーまで
記載されているからです。
これに、音楽としての
アラム語の主の祈りを
聞いて、
一種の文学として
シュタイナー心経を
読む生活を始めています。

ここに、合気道と
礼拝を加えて、
完全となします。

これは実践上、
人智学と、たちには
お役立ちかなと
思ったので、
付け加えます。

そんで、
なんでアラム語の主の祈り
なのかというと、
どうやら、
アラム語は、
中東における、
サンスクリット語みたいな
もんで、
言葉の霊の力があるようです。 (2019年09月04日 15時18分11秒)

なぜ資源は有限なのか   もうり さん
なぜ資源は有限なのかい?
愛にできることは、
まだあるってことでしょう。

危機的状況に
あって自分を選ぶか、
それとも愛か、
それを試すために
資源は有限なんだ。

資源が有限であることを
むしろ愛するために
利用できる。 (2019年09月04日 18時36分58秒)

与えること   もうり さん
与えるに応じて
もらう量が
多いこと、
これは結局、
与えてないんですね。
生産性あるから給料も高い、
これは結局、与えてないと
思う。
これが過剰になると、
与えるよりも社会という
貯蔵庫から引っ張り出す量のほうが
多いという状態。

それよりも、
生産する量のほうが
もらう量より多いという、
「与えるという状況」のほうが、
当たり前だけど、
支えられる人間は増えると
思うな。MITは知らんけど。

でも、生産性が高いから、
もらう量も多くて当然って
人は、結局、社会に贈与
したことにはなりにくいって
ポイントだと思います。

だめだ、
結局、使ってしまった。
ここに粘着するよりSNSやるか… (2019年09月04日 18時54分27秒)

経済の所与のもの   もうり さん
古典ギリシャ数学の
デメドナは
所与のもの、
与えられたものに
着目するのであるが
経済においては
作ることで
所与、つまり
経済的前提を増やし、
また金をもらい過ぎない
ことでも
なるべく金の所与を
保つ、
という、
一種の経済論理学みたいな
視点は既出だろうか?

それは例えば次の
三段論法となる。
食べ物があれば
生きることができる。
食べ物がある。
だから生きれる。

前提一は、
生き残るための
法則であり、
関数であるが
それに実質を
もたらすのは
前提二の
食べ物という
実質の入力である。

ここで
アリストテレスの
発見であるが、
形相が
第一前提となり、
そこに質料が
組み込まれて
結果となるという
関係があるのではないか。 (2019年09月04日 19時38分53秒)

簡略に生きること   もうり さん
必要なことだけして
生きようと思う。
合気道は
情熱がない、
全て色褪せているから、
思索ほど集中できないのは
わかりきっているから、
やっぱり背伸びはやめる。
哲学生活が
終わったとして、
残りの精神生活は
芸術生活と宗教生活(礼拝)
のみに絞って
シンプルに生きようと思います。

今日は
アリストテレスと
クルアーンを寄贈してきました。
これでたぶん最後の
寄贈となると思います。
包括的な種類を
寄贈できたと思います。
(2019年09月04日 19時45分14秒)

やっぱり書き込む   もうり さん
やっぱり
面白いと
思ったことや
発見があったり
言及したいことがでたら
書き込むこととする。
素直になる。 (2019年09月04日 19時52分48秒)

ある側面   もうり さん
結局、
原理的な
ことばかり好んでやってきて
具体的なことは
苦手なんですが、
韓国と日本の間に
歴史的非対称があったとしても、
韓国も、それに日本も、
あるいは世界中が、
たぶん歴史的非対称性を
起動因にしているわけでは
ないのではないかと思う。
知らんけど。
もう浅い印象を
受ける言葉であるが
憎しみの原因がどちらが
先であれ、憎しみの連鎖が
起動していると思う。
ほら、
アメリカへの
貿易ビルのテロも、
そもそもアメリカが悪いと
認知してますけど、
アメリカはテロが悪いって
言ってるでしょ。

別の面から見ると、
これは文学の描写にも
ありうるが、
憎しみには憎しみで
対応していると、
やがて自分自身が、
彼らのような「化物」になる
ってことですよ。
そんで、
たぶんどちらに原因が
あろうとも、
人々はそんなこと
お構いなしに
憎みあうので、
その相互作用から
抜け出るのがよいと思う。

例えば、
なんでネット右翼が
韓国人ヘイトになったかというと、
私はそれは日本を原因とする、
もともと日本が悪いのを因とする
韓国の反日活動をネットで
知ったからだと
思っています。

この話も仏教になってしまった。

要は、
人々の中には
原因がどこにあるかなんて
見ない層がいるし、
政治家もそうなんだから、
ヘイトにヘイトで返しても、
もはや必然的に、
またヘイトが返ってくるだけ
ではって考えだ。
でも人々は憎しみを
捨て切れない層がいるので
ヘイトを行う。
原因を見ない相手国の層たちが
それに反応してヘイトで
返す。
こうして憎しみの連鎖は
出来あがる。 (2019年09月04日 22時18分58秒)

慎ましく暮らす   もうり さん
プログラミングの
習い事も、
障害者雇用の
仕事始まれば止めるし、
合気道も結局やらずに
神秘体験が
起こらない限りは
慎ましく暮らすことに
なる。

礼拝と仕事以外で
他人とコミュニケーション
取ることもなく、
静寂な日々と
精神生活を毎日繰り返す。

友達も恋人も
いないが平気だ。 (2019年09月04日 22時53分02秒)

繰り返しの生活   もうり さん
本を買い続ける、
夢のようなふわふわした
生活を止め、
芸術享受と
礼拝と仕事と日常を
繰り返す生活を
続けるのは悪くない。
この新しい生活も
修行になるのだが、
これまでと違って
修行結果が出て、
神秘的な自明でない
体験がありえることを
除けば、
計算可能な生活となり
見通しがよく、
確かさの感覚を持った。
これが地に足をつけた
生活をするってことなのかも
しれない。
同じことの繰り返しの
生活が、自分にはむしろ
新鮮だ。
(2019年09月04日 23時35分39秒)

論理学及び比の集合論   もうり さん
論理学だけでなく、
比も集合的に
表現できる。
論理学では
動物は兎を含み、
兎は個々の兎を含む
という側面で、
だから特定の兎は
兎であり、兎は動物である。
から、
特定の兎である。
だから動物である、が
成り立つ。

でも、
さらに言うと
独立していても
独立していなくても
含まれる、
あるいは比較されるような、
つまり関係付けられた
両集合の大きさとして、
「比」を表現できる。


(2019年09月05日 08時57分47秒)

神の国   もうり さん
政治家は、
真理を知らないから、
みんな手探りでいくしかない
のだよな。公務員も。
だから、ある意味、
失敗は仕方ない。
繰り返すが、
みんな真理を知らないのだから。

私も迷えるものだが、
せめて神の国が
自分の中に生じる
修行生活をやっていく。
神の国とは
主観の中に入れば、
思うに「王冠」のことだろう。
すなわち、
私は哲学の段階が
終わったとしても、
未だに、
叡智や知性の段階にすら、
達していないといえる。
まず修行によって
王冠(ミクロゴッドランド)
を作ることだ。
例えば旧約聖書の
預言者たちも、
虚しい言葉ではなくて、
本物の生きた神の叡智に
浸透されてたから
人々を導けたと思います。

そうすると、
確信をもって
人々を導ける人間に
なっていけると
思います。

まず、
人々は
言葉だけでしかない
哲学や
やっても
なかなか報われない礼拝や
一時凌ぎに思えるような
芸術を通して、
王国に至るが、
それが本物の神の国として、
つまり、再び王冠となって、
今度は生きた叡智と魔術の
段階に立つのだと思う。

哲学や芸術や宗教といったもの
が役に立たないのは、
それらは神に至る為の
道具に過ぎないからだろう。
でも人々はこの道具を
通して神に至るというわけだ。

だから、
弱いものたちは
せめて精神修行しよう。
万人にフリータイムを
与えるのは、大事だ。 (2019年09月05日 09時44分30秒)

家父長制反対   もうり さん
これから、
人類はエーテル明視力に
目覚めていく
そうだから、
家父長制が
古いのも頷ける。
これからは、
女性もエーテル力を
駆使して力を発揮できるように
なるであろうから、
フェミニズムはその過渡期を
代表する現象だと分析する。

このように、
神の目をもって、
ようやく我々は
何が正しいか、
判断できるように
なります。
これからは
女性も男のように
力をつけていくべき時代。
そして、
肉体的女性の
エーテル体は男性的で、
肉体的男性の
エーテル体は女性的なんで、
エーテル力が発揮される
時代になると、
男性が一般的に
女性より劣る側面が
生じてくるはずだから、
従って女性に力がついて
リスク回避傾向が
改善され、女性の指導者や
カリスマや天才が
現れたりしてくるだろう。
(2019年09月05日 12時53分55秒)

預言の原理   もうり さん
預言が
可能なことにも
原理があって、
エーテル世界は
過去から未来へと
時間が流れ
アストラル世界は
未来から過去へと
時間が流れ、
自我は両者を垂直に
貫くので、
そこから、アストラル世界を
見ることができたなら、
預言が可能となります。
啓示の原理もまさにそれ。 (2019年09月05日 12時59分29秒)

予知夢の話   もうり さん
予知夢、預言、
啓示、これらは
どれも未来から
過去へと流れる
アストラル世界の
時間原理から説明できる。

夢は
自分の心にまで
作用した事柄を
見るか、
寝てアストラル界に
魂が滞在している間に
行ったことや
見てきた事柄を
見るだろう。
すなわち、
夢は心の世界における
内界を見る場合か
外界を見る場合かが
あるのだろう。 (2019年09月05日 13時34分59秒)

新種の知性   もうり さん
これから、
やがて
エーテル科学の時代が
やってくる。
その時、
人はかつての
アトランティス人のように、
植物を素材とする技術文明を
持つようになる。

また、
エーテル明視力を
持てるようになると、
人々は、
エーテル的キリストを
目撃するようになる。 (2019年09月05日 15時14分14秒)

凝縮された苦痛   もうり さん
生徒時代は、
トイレに閉じ込められて
次々と箒を投げ入れられるとか
いろいろな
暴力を受けたし(命の苦痛)
金盗まれたし服破られたり
靴奪われたり(物的苦痛)
首に紐をつけられるとか
体に落書きされるとか
性的いたずらもされたし、
トイレの邪魔されたし
(性的苦痛)
嘘つかれたし、
悪口言われたし、
噂されたし
反抗すると怒られたし、
悪賢さを発揮されて、
陥れられたことも
あった。

十悪と
言われてる
綺語と貪欲以外の
全ての悪を学生時代に
全て受けた。
今、
昔の受けた苦痛を
まとめてみると、
十悪のほとんどを
繰り返し学生時代に
受けていた。
学校は、地獄の牢獄だった。

さらに統合失調症の
幻聴の苦しみもプラスだ。

この苦痛を、
善因に変えればいい。
たぶん、
私が神秘体験できた
条件の一つにこれがある。
こうして
信仰と菩提心と
大欲を得て
その結果として
今に至るのだ。

さらには死後の世界で
自分の人に与えた
苦しみや食の貪欲で
迷惑をかけた苦しみを
相手の身になって体験し、
自分の意志は、
さらに成長していく。
無論、
まだ私の魂は
完全じゃないが
これからどんどん
よくなっていく。

(2019年09月05日 15時37分11秒)

思考とは   もうり さん
私は
学校時代は
サンドバックと
言われたりもした。
ドロップキックを
入れられたり股関を
蹴られたりした。

しかし、
思い出しても、
もはやなんの恨みも
ない。

とりあえず、
思考と意志と感情の関係について。
感情は受動、
意志は能動、
そんで、
思考とは
知覚と思考による
概念付けの組み合わせなんで、
中動態だな。
能動と受動の中間だから。
つまり、
思考は感情と意志を
高い次元において、
知覚と概念付けとして包括する。

しかし、感情も、
思考と意志を切り替える力
になる点で、それらを
包括する。

意志は、
自利への意志という
受動と(学びや修行)
利他への意志という
能動がある。 (2019年09月05日 16時00分44秒)

カバラ的実践道   もうり さん
思考と
意志の関係を
考えていたら、
カバラ的実践道に
至る。

意志は自利と利他、
といったが、
思考をそれと関係付ける
ならば、
自分にも、
相手にも必要になることは
なんだろう、と、
つまり思考は、
家庭という小さな
領域でさえも、
小さな共同社会運営を
考えることで、
思考が
自利という側面と、
利他という側面を
統一するんです。
ここで、
自分と他者が
必要なだけ配分されるように、
食べ過ぎないとか
気をつけます。

思考が
包括的であるように、
料理も一回で
複数人分作れるから、
自分と相手を
統一するのです。 (2019年09月05日 17時32分27秒)

行為の普遍性   もうり さん
行為の
普遍性について

概念は
包括的。
そして
言葉も一度に
多く聞かせられる。
姿も光によって
一度に多く見せられる。
活動も、
例えば両手だけで、
複数人のための
調理ができる。
ここに、知恵がある。
しかし、
私はどうも
個人プレイに偏りがちで、
みんなで組織だって、
何ができるかを
考えられない。 (2019年09月05日 19時08分06秒)

歌 精神現象学   もうり さん
目覚めては
繰り返す
苦しい動悸
殴られて帰る、
親にはごまかして。

目覚めては
繰り返す、
幻聴の苦しみ
薬を飲んで
将来に絶望する。

だが私は神を夢見た!
絶対の愛の力が溢れ出てくる。
最高の喜び、至福!
小さな黙示録から一転、
小さな天国を味わった。

今は、
静寂なる日々、
落ち着いた心、
平板な灰色の感覚、
下でもなく上でも
ない心の核、
そんな心境。

精神現象学、
ここから先は
きっと新しい心が
生まれるだろう。 (2019年09月05日 22時34分14秒)

感情の浄化   もうり さん
どうも、
感情の浄化は、
上記の
精神現象学の
歌からしてみれば、
既に済んでるぽいな。

思考の浄化は、
金剛界曼荼羅を
見たからこれも
済んでると思う。

ということは、
自分のやるべき
ことって、
行為しかないと
意識変化した。

魂の熱や力に関しては、
また、
思考と感情と意志の
バランスがとれたら
心臓に力が宿る、
とも言われている。

ということで、
芸術享受の時間を
行為に変換するか。

既に良い畑はできており、
叡智の太陽も照っている。
芸術が力に変換する出来事に
関しては、自分が
菩提心を得たことが、
つまり芸術から宗教へ、
「力」を獲得するということだと
考える。
つまり、私は
既に叡智も力も
もっている。

ということは
残りは慈悲のみなのだ。
ここにおいて、
叡智と力を結びつけて、
魂の熱にするってことだな。
これら全てが揃うと
たぶん心臓の力が宿る。

感受魂の浄化、
意識魂の浄化は
既に起きていると
再解釈するんで、
これからは
慈悲の実践というか、
善行に集中していくか。

(2019年09月05日 23時40分58秒)

統合的実践   もうり さん
カバラ的実践は、
思考と感情と意志の
統合的実践であり、
これが八正道の
「正しい行為」の
本質かもしれん。

それは、
自分と他者との
間の包括的な中心を
生み出して分かち合う点で、
意志であり、
分かち合う時に欲望を
制御する点が感情であり、
そして、この理論自体が
思考である。

あるいは、
シュタイナーの
思考と感情と意志の
三角形を作る上での
語られていない、
感情と意志を
結びつけるための
行がこのカバラ的実践だろう。
これは、
節制と、愛と思慮の
調和であり、
正義であるから、
思考と感情と意志の
統合だ。

私は、
高校で感情を浄化し、
大学で思考を浄化し
今から意志の浄化を執り行っていく。

こうして、
私は社会的意識と
なったのであった。
与えていこう。
(2019年09月06日 00時25分45秒)

唯一の正義   もうり さん
正義は唯一であり
それぞれの正義とは
繰り返すが、
それは道徳のことです。

唯一の正義とは、
思慮が広域の仕組みを
作り、愛が、
その広域の仕組みや
理論等を実践して、
一人で複数人分の
社会前提を用意し、
そして、その産物を、
それぞれが欲望を
制御し、限度をもって
享受することであり、
正義とは公正である、
だけでは言葉足らずだが、
以上は公正をより明確にした
内容だ。

そんで、
早速、
今日は、
種々の家事という
正義を実行し、
なんと家事で汗まで
かいたが、
そもそも自分の見た目も
美しくするのも、
それは光が多数化するから
正義になるから、
運動に時間をかけるべきと
考える。

筋トレは正義の手段だし
清潔も正義だし、
確かにかわいいも正義だ。

こう考えてみると、
前言撤回して、
結局道徳と正義の区別が
つかんくなってきた。

悪口も正義では
ないので、
結局、デヴに
いじめでデヴというのは
それはデヴ以上に
悪いことだよ。
なぜならデヴは
形に過ぎないが、
悪口は言語行為として、
より深く心に侵入するから、
加害性が深いからです。
デヴな人は、
その姿に悪意を帯びらせることは
できない。
しかし、言葉は悪意を
込めることができるから
加害性がより深い。

さて運動するか。

(2019年09月06日 09時24分09秒)

AI社会の副作用   もうり さん
人工知能社会が
到来したとして、
飽食と運動不足の
社会で運動や筋トレが
必要となってくるように、
結局は
脳トレが必要になるに
違いない。 (2019年09月06日 12時39分04秒)

自分語り   もうり さん
自分語りしますが、
私の父は多趣味で医療系の
北方生まれで、
母は南方の田舎娘です。

父はたくさん
本をもっていたけど、
母は考えるのが嫌いな
素朴な実務的人間です。

もしも両親とも、
インテリだったら、
一生、考えが得意でない
人間を馬鹿にし続ける
息子に自分が
育っていたかもしれんと
ゾッとする。
いや、もちろん、
インテリの家系に
揃ってもそうじゃない
人たちもいるのはわかるけど。

私は、
エリート気取りで
頭いい奴だけ
価値があるという人や
そのようなお嬢さんや
お坊ちゃんよりは
個人的には
素朴な母に価値を
重く置きます。

自分にとっての
「愛」という奴は、
どうも身分を超えるような、
神が人を愛するような、
そんなものでなくては
ならんらしい。

十悪を受けてきたので
下に扱われるつらさが
わかる。
階級なんて
突破するのが本物の愛。
これがあれば、
そもそもスクールカースト等の
階級制度で
あっても生きやすい世界になる。

自分以外の
精神障害者の家族や
中卒の家族を
持つとわかるよ。
インテリ系でない
人たちを家族に
持つとわかるよ。

だから、
例えばヲタク系と
ヤンキー系が
結婚すればいいと
思う。
そしたら両方愛せる
子どもに育つ。

苦しみ巡る世界で
愛の灯火を
灯そう。 (2019年09月06日 14時33分16秒)

愛とは   もうり さん
愛とは、
自分の
所属する文化圏の
枠組みを突破してこそ。 (2019年09月06日 14時47分39秒)

「精神」とは何か   もうり さん
ヘーゲルの
言う、
「精神」が
何か理解したと
思う。

それは
自分と他者の
中点的立場で考える人。
実践的に、
ミクロでは、
自分だけでなく、
家族のためにも調理すること。

だから、
国際間も、
そもそも関係国
それぞれが
中点に立たないと、
なんの建設的議論も
成り立たないだろう。

ヌーソロジーも
つまり「精神」について
語っていると思う。

真の自立とは
なんであるか。
それは、
そもそも自分だけの
力で世界を維持できる
わけじゃないから、
この「精神」の立場、
社会的意識こそが
真の自立だと思う。
言い換えるならば
このように
一人一人がたった一人であって
一つの共同体の心であるという、
首長や王の意識をもってこそ、
民主主義が成り立つ条件を
満たすのだと思います。

私は、
この歳でようやく
童貞ながら
大人の階段を意識的に一歩踏めた
ということです。

この意識が
カリフの基本でもあると
思う。 (2019年09月06日 16時35分03秒)

世界精神とは何か   もうり さん
世界精神の
プラグマティックな
解釈として、
自分の立場や
所属以外の
人々のためになることを
無償で行為できる、
があると思います。
なぜ無償かというと、
有償とは、愛してくれないと
愛さないという受動的態度を
含むので根元的ではないからです。

例えば家族レベルで
精神というか、
器のでかさを計るとしたら、
家族のためだけを
考えるか、
それとも地域貢献も
行えるかなどです。

ネット空間で
言えば左翼にも
右翼にも資する事柄を
語れるか、などがあり、
結局理想は
人類に資することを
できたり語れることですね。 (2019年09月06日 17時28分03秒)

心から溢れる言葉   もうり さん
私は
ブログ依存というか、
言葉が
溢れ出てきて
表現せざるをえないのです。

言葉が
表現されたがっている。

精神については
例えば教会に
寄付し続けるなら、
そこに所属する人々を
愛することになるので
教会精神なんだと思います。
自分の器の限界は、
どんな人々を愛せないか
で決まると思います。

恩田や敬田は
素朴なので
やりやすいですが、
難しいのは悲田で、
エリート主義者は
これを忘れがちだから、
キリストが批判した
律法学者と同じ程度の
義に留まってしまう。

どんな人々を
愛するかは自由なのは
わかってるが、
自分より劣位にある者をも
愛せなければ
天国には行けないようだ。
それは、
キリストが、
パリサイ派の義に勝らないと
天国には行けないみたいなことを
言っていたことに基づく。

神にとっては
心も可視なので、
人々の心を選ぶことが
できる。
今わかったことだが、
なんで神が人の心を
選ぶのかというと、
つまり、神とは霊我や
生命霊、霊人といった、
高い自分のことであって、
その高い自分が
肉体的人間の中に
入るための心の神殿を
作るための条件として、
劣位にある者を愛することが
あるのではないか。

そりゃ、
恩のある人には
返そうと思えるし、
立派な人には
人が寄ってくるだろう。
この2つの善行は、
素朴なのだ。
自分より劣位にある者の
ために行為できるかが
だから分かれ目なようだ。
そして、
上記のことから、
これは感傷的な事柄ではなくて、
こうしなければ
神が入ってくるための
器が形成されないという、
宗教的法則を語っているだけだと
思います。
当たり前の話だが、
宗教はお涙ちょうだいではなく、
隠された叡智を語っているのだから、博愛実践に関しても、
感情的なこと以上の意味があるはずだ。

心の世界の
土と水と光のように、
劣位にある者を
愛することも器を
構成するための条件なのだろう。
それはたぶん、
敬田が大気圏の
上層部で、
恩田が大気圏の中間、
で、
悲田が大気圏の
土と接する部分であり、
この3つがあって、
雨は大地に届くのだと。

(2019年09月06日 18時21分15秒)

真の主体論   もうり さん
主体性が
大事って
言うけど、
主体性なんて
他者という客体から
見れば客体です。
主体性概念も、
相対的でしかない。

従って主客一体の
領域に真の主体が
あると考えるのが
定石だろう。 (2019年09月06日 19時50分18秒)

真の主体論   もうり さん
真の主体性が
社会的意識だってのは
当たり前で、
なんで他者にも
意識があるのに、
客体ってことにしちゃうのか?
って。

他者も主体だと
認めると、
社会意識、
つまり精神こそ、
より大きな主体性だと
考えられる。
(2019年09月06日 20時18分10秒)

自分のすべきこと   もうり さん
自分の
生きる意味が
またできた。

とある生活保護で
メンヘラの同性が
寂しいととても
苦しそうに
電話してきたので、
毎日電話で
連絡とりあうことにした。

自分が
精神になった段階で、
この出来事があったという
文学的な縁は、
私はそもそも仕事で
活躍することではなく、
この人の心のケアを
少しでも
するのが生きる意味なのだと。

だから、
私には仕事能力が
ないんだな。
私はおばちゃんからも
気を使わず話やすいとか
癒されるとかいって
くれるし。

ほんと、
かわいそう。
心から、
救われればいいのに。
(2019年09月06日 20時35分24秒)

心の構造   もうり さん
心の構造
思慮が太陽
善行が大気圏
節制が海洋
浄化が大地
菩提心が種 (2019年09月06日 21時03分44秒)

処女ソフィア   もうり さん
心の構造
叡智の光が輝き
贈与の雲が
できたところで、
断念の海から取った力で
雲の中の水分を適切に
切り分けて
贈与の成層圏から
浄化の大地へと
光と雨を降らす。
そうすると、
浄化された大地から
菩提心の花が
咲いて、
その時、
その魂は処女ソフィアとなって、
そこに曼荼羅(聖霊)が入り込み
人の子となる。
こうして、
聖霊によって魂が
身ごもってその意味での
新しいキリストが生まれる。
そうすると
エーテル明視力に
目覚めて、
お兄さんとしての
エーテル的キリストに
出会う、と。

こういう想像。
やってみるしかないけど。


(2019年09月06日 22時05分08秒)

己の信じる道   もうり さん
つまるところ、
信じる道を
行くだけだ。
救済の力を獲得して
人を助けるための
道だと信じられる方向へ。
メサイアコンプレックスと
批判されても、
小さなメサイアに
なれるよう努めることは
人類の苦悩を終わらせるためには
必要な手順だ。
私は結局、
まだ出来上がっていないのだ。
ここは試行錯誤に過ぎない。

たぶん、
自分の道の作り方の
実況みたいな意味かも (2019年09月06日 22時22分22秒)

語りの断念   もうり さん
ありそうなことは
全て書いたつもりだ。
とりあえず、
腹四分目といった
節制だけでなく、
言葉の節制も
やはりすべきだ。
言葉を慎むと、
力になるとも書かれてある。
なんにせよ、
ここに書き込まないことで、
無駄な力の流出を防ぐ
意味があると。

やっぱり書かないぞ!
言葉と物質を慎むのだ。
男の沈黙にも意味がある。 (2019年09月06日 22時46分59秒)

各々の哲学 遺言   もうり さん
私は、
思考に執着するな、
概念など存在しない
という人々もある真実性を
もっており、
それに対して
古代ギリシャ人のように、
言葉は在ると考える人々にも
ある真実性を持っているように
思える。
各自で検証してもらいたいのだが、
結局、どちらにも根拠はある、
ということだ。
唯物論にすら根拠はある。
この対立を解く方法は
既にわかっていて、
それは西欧では
ゲーテやシュタイナーを
研究すればわかるし、
東洋では妙観察智を
理解するとわかるだろう。

それだから、
論争には
参加せず、
ただ両者の立場の
中点を目指すこと、
つまり、
議論とはそもそも
互いが自分の立場を
捨てることでしか
成り立たないように
思う。
そうしなければ
必然的に全ては
ポジショントークだ。

また、
それだから、
素朴な自分の母にさえ、
大事にしている理念
があり、その
理念はある正しさを
備えている。
だから自分だけが
哲学していて正しいわけじゃない
と自省した。

各自、信じる道、
自分の道を行けばいい。
ただ、必ずしも、
それは正しい道とも限らない。
それは運命が教えてくれるだろう。

私が現段階で
言えるたぶん最後の
いい残した言葉は
これだけ!

以上で
たぶん、
ネット地獄への
働きかけは終了だな。
口を慎むぞ! (2019年09月07日 17時23分49秒)

仏教的表現の自由論   もうり さん
私は
仏教の
十善戒に
基づく表現の自由論を
唱えます。
例えば、
邪 淫なので
売 春やアダルト ビデオは
禁止だけど、
エロアニメとかはいい。

そして、
二枚舌の禁止の戒
に基づくことで、
虐殺煽動的言語行為を
禁じる。
嘘を言わないという
戒によって、
フェイクニュースを
禁じるなどなど。

仏教、よくできてる。
これで表現の自由問題は
解決だろう。
なぜなら、
社会はみんなのものだからです。

社会はみんなのものという
前提があって個々人の自由がある。

社会はみんなのものという
意識はそもそも多くの人間の
自由を考えた結果だから、
個人の自由より優先される。
より大きい自由だからです。 (2019年09月07日 21時35分08秒)

ツイッター止めた   もうり さん
ツイッター始めたのだが、
やっぱりすぐ止めてしまった。
なぜなら
やり過ぎて、
次の日、
脳が疲れて眠くて
たまらず作業できないからだ。 (2019年09月09日 12時05分56秒)

ヴァルキュリア   もうり さん
ヴァルキュリア、
ヴァルキューレ、
とは何であるか、
シュタイナー用語辞典を
めくっていたら、
ようやく、
わかった。
それは、
各人に存在する
高次の心魂のことらしい。
204pにある。
(2019年09月09日 19時41分44秒)

3つの力   もうり さん
3つの力がある。
今までは
頭脳の中心点と
心臓の中心点しか
わかってなかったが、
他に、
喉の中心点、力があるのだと。

思考の力、
発話の力、
行為の力、であり、
絵画では
頭脳の周囲に描かれる
金色の後光であり、
仏教では
行為の力は
炎輪として表現されている。

しかし、
新たな表現として、
喉の周りにも
力を表現する円を
描くべきなのだろう。

盲点だった。

話す言葉に
力が宿ること。
弥勒菩薩。 (2019年09月09日 21時28分40秒)

語学再評価   もうり さん
私は、
頭脳の力は
既にもっていて、
力が集中している感が
ある。
正しい順番としては
次は喉の力であり、
「発話の力」という点から、
語学スキルの価値が
私の中で上がった。
今までは言葉を
虚無に感じていたが、
価値観の転換である。

これからは、
英語とロシア語を
やるか (2019年09月09日 21時51分45秒)

読経の意味   もうり さん
おそらく、
読経の意味とは
喉に中心点、
すなわち力を
作ることにあるのかもしれない。

従って、
私は語学を習うよりも、
旧約聖書や主の祈りや
光明真言、シュタイナー心経
を、唱えまくる時間を
とったほうがよいと考える。
この中から選ぶ。

キリストは、
祈りは一回だけで
よいと言っていたが
それではアカンという結論だ。
口に出して何遍も唱えまくろう、
やっぱり。

語学習う暇があったら
貴族ならば読経したほうがよい。
仕事では活躍できなくなるが、
仕事より精神生活優先だ。

(2019年09月09日 22時44分05秒)

歌巫女   もうり さん
ヴァルキリープロファイルでは
日本ぽい国に、
盲目の歌巫女がいて、
ドラッグオンドラグーン3は
歌巫女たちを倒す物語だった。
空海には、書の力があった。

つまり、
これは言葉は修行を積めば
力を持ち、人を感動させることが
できれば、また支配できる
ようにもなる、実際性を帯びら
せられるのではなかろうか。

また、
やっぱりパソコンで
タイピングするよりは、
究極、自分の手で
物凄く綺麗に書けたほうが
優れていて、なぜなら
人格的なものというか、
実体的なものが宿ると
思うからだ。

なるほど、
ここ最近、
歌の上手い牧師が
やってきたのも、
そういうめぐりであったか。

そして、
シュタイナー心経を
修行の部分以外読み通して
みたのだが、
ボイトレになったのか、
声がよく通るようになって
歌力が上昇した。

しかし、
我々は歌が上手いという
外面的なことでは
判断できない事柄がある。
それは喉に中心力点ができているか
どうか、であるが、
あるいはそのような人物の
声は他とは違っていて、
そうでないけど歌が
上手い人と明瞭に区別できるかも
しれんが、
これまた自明でない領域に
踏み込んでいるので
やってみて確かめるしかない。

私は意味のあることを
やりたいので、
ニーチェみたいに踊れとは
言わない。
しかし、私は
旅せよ、といいたい。 (2019年09月10日 10時25分35秒)

知能論   もうり さん
知能、
言語性知能と
動作性知能とに
別れるが、
より詳しくは
思考力、
発話力、
運動能力、
遂行能力って
ことになりそうだ。

生活、作る、動く、労働
という区分よりも
実際的だし
これを採用する。

シュタイナー心経、
唱えるのに一時間ほど、
運動するのに40分ほど、
そんで掃除に一時間ほど
かけて、
体がほどよく、くたくた。
まだ就労してないが、
働いたなって感じがして
体が熱い!

思考力は
既に中心点があるから
もういい。

一応、意味のある
発言をしているつもり。
喉の力という補足でした。
(2019年09月10日 13時43分12秒)

腹四分   もうり さん
腹四分の
節制実践、
慣れてきて、
この量でも
三食とるなら
平気になってきた。
いい感じだ。

このとうり、
口の慎みが
なっていないのが問題。
ツイッターはやり過ぎて
疲れるし、
ここでのコメントでも、
十分に書き込んだから、
やめなあかんけど。

実践哲学として、
八正道と、
思考と感情と意志の
正義による統一の
道と、
頭脳の中心力、
喉の中心力、
心臓の中心力、
天の国を求めるとは何か、
聖杯とは何かを
自分なりに
明らかにすることで、
人生と生活に意味が与えられた。
これらにより、
叡智と力と愛の道が
仮定されたのだ。
また補足することが
あれば書くだろうが、
止めたいなあ。 (2019年09月10日 14時49分56秒)

根元的な生 殖   もうり さん
より根元的な
生 殖とは。
それは生命や
心の、その領域への
解消によって説明がつく。
すなわち、自己宇宙化の。
心や生命を訓練し、
それを宇宙化すれば、
霊統が受け継がれて、
物質界で、そのような
人間が増えるだろう。
そうしたら、
そのような人間たちに、
物質的な生 殖を託せば
いいのであって、
私は修行に打ち込む。
つまり、
中には修行に打ち込む役割の
人々もいるってことであるな。
まあ運命の人が現れたら
わからんけど。

考えとしては
私が子 作りを
しなくてはならない
理由があるとすれば、
それは霊性を有するからで
あるが、第一に、
その霊性が宇宙化した際の
効果を最大限にするのを
狙って鍛錬し、
従って自分は別に
子 作りしなくても
いいんじゃないかとも
考えられるから (2019年09月10日 18時16分46秒)

デナリオンのお話し   もうり さん
一デナリオンとか
タレントのお話し。

心や生命が
蓄えてきたものが、
死によって宇宙に返される。
(エッセンスは自らのものとなる)
だから、
私のこの、
神を目指す傾向だとか、
苦痛とか、霊的な傾向も、
全人類に捧げられる、
ということ。全ての
宇宙に受け入れられし
ものたちが普遍化することで、
人類は一人でやっていく
以上の成果を得るってことだ。 (2019年09月10日 18時48分33秒)

ブッダやキリストの意味   もうり さん
ブッダや
キリストも、
その究めた
心と生命と肉体が
死ぬことによって、
宇宙に捧げられて、
人間全体が、
八正道だとかの
可能性が開くってことです。
だから、
私は死ぬのが楽しみ。
私の心が人類に捧げられると、
どのように変わっていくのだろうかと!
(2019年09月10日 19時11分51秒)

キリストとカルマ   もうり さん
悪人でも
大往生できる
例を見つけ出して、
神はいないことの
証明だと無神論に
走るか、
それでも頑なに神を
信じるかで、
来世の結果が
変わるであろう。
私にとってはもはや、
神が存在することは
絶対的な公理と化している。

悪人でも大往生できるのは、
死後の世界で
裁くべきだと神が
考えられたからだろう。
実は、地上世界で
人間によって裁かれた
ほうが、まだマシなのだが、
神の判断によって、
カルマの発露を死後世界にまで
遅らせることができるのだと
思います。
なぜならカルマの主は
キリストだからです。
(2019年09月10日 21時06分50秒)

瞑想の階梯   もうり さん
瞑想、これ
階梯があるな。
禅定と禅念が、
頭脳の瞑想だとしたら、
念仏は喉の瞑想。
そんで、
心臓の瞑想が、
カルマヨーガ。

だから、
暇なときは
旧約聖書を読む以外に、
念仏を唱えるをする、が
いいね。

南無妙法蓮華経、
南無阿弥陀仏とかを
繰り返しまくる。

旧約聖書のほうは、
前の私ならすぐ
眠くなってしまっていたが、
今読んでいると、
次々と展開が進んでいって、
一語一語毎に歴史が
形成されていく感が
楽しい。
この場合の
歴史とは何かというと、
繰り返しがないこと。
絶えず新しい言葉が
生み出されていく。 (2019年09月10日 22時32分07秒)

教会の無意味さ   もうり さん
教会に通っても
人智学を受け入れる
ことのできない、
センスのない牧師ばかり
なんで、礼拝参加は
無駄だとしか。
それに、弱い人への
奉仕という任務は、
やるべき人は教会以外に
見いだしたしな。
その人とは気分悪い日
以外、毎日連絡とりあいつつある。
賛美歌等に関しては
読経で間に合う。

だから、牧師には、
自分の道を見つけたから、
もう行かないといっとくか (2019年09月11日 06時32分54秒)

デヴの営み   もうり さん
腹四分守れてるのだけど、
おやつにピザポテトと
ファンタオレンジミニ
食べた。デヴの営み。

今日は、
なんだか筋肉の疲労が
とれないので
運動せずに
プロテイン飲む。
どの程度が適量か
わからない人は
筋肉が疲れてると
感じた時にのみ、
飲めば吉ではないか。

草刈りちょっとした。

朝の
習慣となりつつあることは
まず主の祈りを
唱える。
続いてシュタイナー心経の
水色の部分のみ唱える。
(文学)
続いてアラム語の主の祈りの
歌を流す。
続いて光明真言を
三分ほど聞く。(音楽)
最後に
シュタイナー用語辞典から、
人智学的建築、彫刻、絵画を
眺める。

これが終われば、
シュタイナー心経の
スタディーとレクチャーと
宇宙篇を唱える。

これが終わると
全部屋の掃除機かけや
運動に調理を行う。

余った時間は
高速で光明真言を
唱えたり南無阿弥陀仏を
唱えたり、南無妙法蓮華経を
唱えたりし続け、
旧約聖書を読む。

芸術は、
言葉の芸術が最高だと
思う。
なぜならそれは、
意口身と
学問芸術宗教に
対して、
芸術が言語芸術ならば、
見事に対応するからである。
アーリマンが神経で、
ルシファーが心臓だとしたら、
キリストは肺や喉、呼吸器系である。

シュタイナー医学は
次のように
見直されるべきに思う。
四分節。
神経ー喉ー心臓ー代謝。

まあシュタイナーは
喉と心臓を
一挙に循環器系として
まとめたのであろうが、
身体の本質にも様々な
区分がありうるように、
シュタイナー医学も
必ずしも三分節ではないと
思う。 (2019年09月11日 10時08分32秒)

生存競争の見方   もうり さん
生存競争などと
言うが、
なぜ私が
勝たなくてはならないのか?
私が負けようが
勝とうが同じことではないか?
物質的に自然主義的に
見るならば、
生存競争にも意味はない。
それよりも
霊性文化を広めて、
人々の遺伝子を
高める作業をしたほうが
いいのではなかろうか。

(2019年09月11日 10時31分11秒)

南無妙法蓮華経   もうり さん
出エジプト記を
少し読んだら
南無妙法蓮華経と
繰り返し
唱えながら
ネットしてます。

唱えやすいから
これを採用してる。
プラグマティックに
考えるなら
派閥に捕らわれることはない (2019年09月11日 11時08分40秒)

聖書発話   もうり さん
聖書も、
また創世記から、
声に出して読むことにした。
クルアーンも
再び購入した。
旧約聖書から新約聖書、
そしてクルアーンまでを
声で少しずつ毎日読み貫く。

シュタイナー心経読み貫いて
聖書とクルアーン読み貫いて、
空いた時間は南無妙法蓮華経を
唱え続ける。

「言葉」の時期だ (2019年09月11日 11時32分01秒)

光明真言   もうり さん
光明真言唱えまくってる。
この念仏は、
全面的だからよい。
南無阿弥陀仏とか
南無妙法蓮華経は
一面的じゃないかって。
全方位の仏に念ずるのが
光明真言だと (2019年09月11日 14時12分46秒)

人工血液等の嘘   もうり さん
人工血液、
どうやって
作ったか
確認したが、
結局は
リボソームという、
生物学的素材を
使ってるので、
「人工」ではない。
「加工」である。

だから思う。
生物学者は
唯物論が真実だと
思うならば、
素粒子レベルから
人間を作ってみせよ、と。
そのレベルでなら人工が
可能だと認めてもいい。

途中で細胞を使ってる
時点で、唯物論の敗北だと
思う。
すなわち、
物以外に「生命」という
実体の存在することの
反証にはまだまだ至らない。

人工子宮も、
そもそも卵 子や精 子を
素粒子レベルから
作り上げる奴じゃないと
人工とは認められない。
もしも、卵 子等を
生物からもらってるなら、
それは人工 子 宮ではない。
学者の傲慢及び冒涜は止められよ。

(2019年09月11日 17時23分18秒)

適応主義批判   もうり さん
適応主義を
突き詰めると、
適応のために
心ができ、
適応のために
愛や神を作り上げた、
ということになってしまう。

すなわち、
この思想は、
技術が神や心に先立つという
野蛮な理念だ。
私は受け入れない。

(2019年09月11日 17時28分30秒)

口を慎むこと   もうり さん
コメントを
止めたい。
止めよう。

人間の主な能力として、
頭脳(神経)と行為(心臓)
以外に、言葉(喉)がある
(意口身)
ことを自覚したことで、
さすがに意密の段階は終わろう。

もう書き込まんぞよ。
今度こそ (2019年09月11日 17時33分27秒)

戦いにならない会話   もうり さん
また、
ツイッターで
バトルが
勃発している。
私なんかは、
立場が
まるっきり違う
唯物論者の
女ツイッタラーと
正しさ対決しても、
和やかにすみますのにね。
たぶん、
みんな議論、会話する際に
「一言余計」なこと
言うのが押さえ切れないから
バトルに発展するんじゃね?

それともなんだろう、
私のコミュニケーション方法
のほうが、
当たり障りがない点で
劣っているのだろうか?
いや、私の
会話では、根拠も
述べるので、
怒らせるのではなく、
その女性を「喜ばせる」ことが
できたから、
薬になるコミュニケーションが
できてるんだな。
みんなは毒を混ぜたがるけど、
毒を抜いて養分を入れたほうが
いいのでは。

その彼女は
既に恋人がいるのだが、
私はそんなことに関係なく、
その恋人ともども
死後の世界で、
もしも唯物論で
霊的視力が開発されないなど
困ったことがあったら、
彼らを助けに行こうと
思っています。
嬉しいことに、
私はその人を恋人に
せずとも愛することができる。



(2019年09月12日 10時02分13秒)

愛することの幸せ   もうり さん
やっぱり
人間の
幸せって
愛されることよりも、
愛する心を
持つことそのものが
一番の
幸せなんだと思います。
なぜならば、
愛する心こそが、
自分に最も近い自分を
愛する行為だからです。
だから、
まずは人を愛すべしだって
理屈にあいますよね。
なぜって自分に
身体があることが、
自分に身体が与えられている、
とも見えるように、
愛すること、その愛自体が
自分に愛が与えられることに
なるからですね。

私は
アロマンスなんですが
そのような激情がなくても、
静寂なる愛情の喜びは
知っています。
(2019年09月12日 10時26分33秒)

ベルセルクのお話   もうり さん
ベルセルクのお話。
私はベヘリットなんか
使いませんね。
なぜなら、
それはベルセルクの
世界観でいう、
幽界の力に過ぎないからです。
実はその世界観で
まだ謎な領域があって、
名称は忘れたけど、
本質界みたいな世界が
あったはずです。
おそらく、
「鷹」はファルコニアの
全ての魔戦士や人間を
犠牲にして、
本質界の存在になろうと
目論んでいると
思いますが、
その本質界の設定が
私の予想するものであれば、
鷹は本質界に行けない。
しかし、
主人公はおそらく
本質界の力を得て、
鷹を倒す。

そして
だから、
どうやら
私はそもそもベルセルクを
読む必要すらないらしい。
なぜなら精神生活を
歩んでいるからです。

フェイトもヒロアカも
ベルセルクも、アルスラーン戦記も
おそらく、
あらゆるサブカル作品は、
実際に修行することに及ばない。

(2019年09月12日 10時52分25秒)

そもそもの話   もうり さん
そもそも、
ここに書き込むことを
止めるだけでなく、
スマホ自体を
節制しないとな。

スマホやってたら
すぐ脳が疲れてくる。

反抗期の
人々には受け入れがたい
だろうがやっぱり両親の
忠告は正しくて、
スマホのやり過ぎ、
ゲームのやり過ぎ、
食べ過ぎ飲みすぎなどは
全部アカン。
ゲーム好きのみなさんにも
悪いけど、
ゲーム脳ってあるだろうな。
それは言い換えると、
ゲームやり過ぎによる
脳への悪影響のことで、
タバコ脳もパチンコ脳も
スマホ脳も労働脳もあると
思うな。

何も自分の場合、
食べ過ぎだけじゃなくて、
スマホのし過ぎと
書き込みし過ぎが問題なんだな。
電子書籍も止めたほうがいい。
客観的な効率はよくても、
心理的に優しいのは
紙の本だろ。


(2019年09月12日 12時14分30秒)

暇なときの対処法   もうり さん
スマホ節制
といっても、
暇なとき、
人はどうしても、
何かに向かいたくなる。
それで
人は書を開いたり
遊んだりするが、
なんでスマホ依存、
書き込み依存になりやすいか
というと、
それが手頃だからだろう。
苦労することなく、
言葉や映像がやってくるし、
苦労することなく、舞台が
用意される。

人は結局、
何らかの活動をしたいのだが、
私は念仏唱えるのに費やしてみるか。念仏や祈りには、
依存ということがないと思う。
勉強や思索が、幾らやっても
大丈夫なように。
それでいて金もかからないからな (2019年09月12日 12時29分46秒)

力の残余の話   もうり さん
力の残余の話。

テレビを
見なくても、
その代わり別の何かに
執着してたり、
性に執着してなくても
食事に執着していたりする。

すなわち、
人は心がもしも
全てから離れてしまったら、
力を持て余し、
結局なんらかの
執着先を見つけて
それに耽る。

だから、
人は心の使い先を
どうすべきかが大事な
ことの一つだろう。

その心の力を、
意味のあることに
使うこと。
例えば八正道。 (2019年09月12日 14時59分23秒)

カバラ的八正道   もうり さん
カバラ的八正道の
構想。

真理の法を語り
喜ばせることを語り、
ためになることを語る。
これが正しい言葉であり、
確かにこれがなされるならば
言葉における多者の支えになるだろう。

行為も、
例えば調理等によって、
複数人を支えられる行為が
正しい行為だ。

正しい生活は、
行為において、
複数人分作った際の
節制であり、
また複数人でなくとも
貪欲をせぬことだろう。
そして、
精神生活と
物質生活、
どちらに偏ることなく、
両者を節制によって
切り替えることで
どちらもやることだ。

正しい努力は、
節制による
残余の力を実りあることに
使うこと。
それはつまり、
正念が含む学習や訓練、
気づきの瞑想に、
正定が含む集中の瞑想や
意の中心点、喉の中心点のための
音読、心臓の中心点のための行為のことや、言葉や行為、生活のこと。

このように、
八正道とは
社会を維持する
ための基礎となる
行為でもあるのだ。

従って、
このようにカバラからの
自分と他者の中心点あるいは
包括ということから考えると、
それはやはり国家規模、
国際社会規模へと拡張しうるものであると予感されるのであった。

例えば真理の法を語ることに
関しては、教育機関を作るとかで
調理品を複数人分作るとかは
レストランとか農業とか
経済世界になる。

個人では
ミクロレベルだから、
この程度の解像度でも
問題ないのだが、
社会レベルともなると、
もっと詳しい認識が
必要になることは、
言わずもがなであるが。

例えば
レストランも、
単にレストランを
作ればいいって
わけじゃなくて、
深めることができるでしょ。

他にも、
例えば社会レベルの
知恵とか大事で、
詳しくないけど、
日本では介護職が
必要である、
みたいな知識は、
知れ渡ったことだけど、
何気に巨視的な知識だと
思います。
社会に関しては、
このような巨視的知識を
磨いていって、
やがて国際社会を
実際的に語れるようになれば
いいんでしょうね。 (2019年09月12日 15時43分54秒)

禅定における中道   もうり さん
そんで、
意口身における、
思考、発話、行為、
この3つにおける、
真ん中が
発話なので、
仏教の瞑想も、
真言、念仏等が
中道的サマタ瞑想である、
となってきて
重んじられてきたんだと
予想する。 (2019年09月12日 18時31分29秒)

方針変更   もうり さん
やはり
せっかくできた縁
なんだし、
教会通うのは
続行する。
私生活でも、
心に余裕がない人と
電話でやりとりしていて、
弱々しい声でありがとうって
言われた。
私生活での
このような助力に加えて、
次のような社会生活、
つまり
労働を通して
経済面で助力して
教会を通して
精神面で助力したい。

上記が遂行能力における
行で、
運動能力においては
合気道、
発話能力においては
英語とロシア語、
思考能力においては
カバラ的八正道を
やること。

さすがに
高尚なことを
やってるのだから、
少しでも、
弱ってる人、
救いを求めてる人になることを
ちゃんと実際に
やらないと、
その高尚な理念には
何の意味もない。
インテリリベラルって
教養のある人たちだけで
集まってるのはいいけど、
その弱者を救うという理想、
実行してますか。
私はもう、図書館には
百冊くらい厚いやつ寄贈
してるけど。
ネットでは
ここで人に感動してもらう
ような発言を無償でやり
現実では私生活で
電話のやりとり程度の
ことはし、
社会生活でも、
教会では無償で記事をかき、
献金し、そこに来る
生活保護者におやつを
奢り、
もうすぐ働く算段も
ついている。

さらに、
読んできた本は
だいたい寄贈してる。

自分なりに、
できることを個人プレイで
やってます。
自分なりに、
みんなのためになるように。

(2019年09月12日 22時08分26秒)

外交原則   もうり さん
外交原則、
これもたぶん
平等とか公正では。

旭日旗を掲げるのは、
だから正しくないのでは。
これを掲げてる日本人を
見たアジア人は、再び、
ああ、日本人たちは
また自分たちを攻撃してくるのを
正当化するような精神性を
有しているんだなって
思われても仕方ない。

旭日旗によって
外交は日本民族優位の
ポジショントーク
で行きますと宣言してる
ようなもん。

昨今の左翼の
欧米韓国向きも誤りだが
右翼の日本向きも誤り。

第三者的目線、
平等、公平な目線で
立たなくては
成り立たないかと。
つまり
若干当たり前な
話であるが、
司法だけでなく
立法及び行政においても、
裁判官的なリーガルマインドが
本質だと思うな。

外交でも、
互いにリーガルマインドで
接するのが原則。
これは八正道と地続き。

叡智から八正道に
至り、個人的には中道の精神を
身につけ、行って、
これが拡張されると、
リーガルマインドとなって
国を治め、
経済に拡張されると、
経世済民の精神になって
命を養う

ただ、
中国もアメリカも
だいたいの国も
不可能そうなので、
人類には早すぎるのか、
それとも私が
現実を知らないだけか。 (2019年09月13日 10時31分08秒)

真の天皇論   もうり さん
本当の王ってのはなあ、
地球規模で物事を
考えられる人間、
日本を世界全体と
善き関係に位置付け
られる人間のことであり、
人種差別する人間は
結局、善く地球全体を
治める能力がないってことだ。

王ってのは、
地球規模で考えて、
一国をどうするか
決められる人間のことで
人種差別によっては
正しい認識ができなくなるから
ダメなんだと思うよ。
(2019年09月13日 10時44分18秒)

おやつ論   もうり さん
ベジタリアン
ではないが、
食べる肉の量を
必要最小限に
抑えるのは
きっと健康的。

話は変わるけど、
おやつには
茹で卵がいいかもしれん。
スナック菓子より
コスパがいいし、栄養がある。

食事の節制、
腹四分は若干、
楽しめるようになってきたが
おやつの楽しみを
健康的なものに善用する
試みをしてみたい。
ピザポテトとファンタオレンジ
じゃあかん。

例えば、
茹で卵とサラダを
用意してごまドレかけて
食べるみたいな
おやつ。

一日一食でいいって人も、
たぶんそのように、
節制することそのものが
楽しいんでしょうね。

レストランでは
決まって食後にデザート
ではなく、
サラダでもいいかもね。

飲み物も、
水か紅茶か
コーヒーで。

さて光明真言唱えまくるか。

書き込みに執着しないというより
スマホに執着しなければ
よいという方針に変わりました。 (2019年09月13日 13時26分00秒)

五智論   もうり さん
五智論
大円鏡智は
丸い心。
平等性智は
中心点。
妙観察智は
個々の周辺
成所作智は
両者の関係及び
両者への働き。
法界体性智は
これらが
円の中にまとめられた
全体的姿。

また、平等性智は
法身に、
妙観察智は
応身に、
成所作智は
報身に
対応するであろう。

哲学から、
詩、そして魔術へ、
という精神現象は、
頭脳から喉、
そして心臓へ、
という移行だろう。
だから、
詩の段階に達したならば、
声に出さないと意味はないはずだ。
(2019年09月13日 14時04分58秒)

五智とカバラ   もうり さん
五智とカバラの
関係は、
平等性智が
カバラにおける、
真ん中で、
妙観察智が
両端で、
これらの関係性、
及び相互作用が
成所作智で、
この全体像が
法界体性智であり、
これが四層あると
考えると
カバラになろう。 (2019年09月13日 14時17分25秒)

三密とカバラとの関係   もうり さん
神経、喉、心臓と
カバラとの関係は、
叡智や知性の層に、
神経、
正義や慈悲の層に
喉、
基盤等の層に
心臓が来るだろう。

叡智や知性は頭脳だし、
権力者は、命令し、
基盤は実行によって
維持されるからだ。 (2019年09月13日 14時27分02秒)

東洋的主の祈り   もうり さん
東洋的主の祈り

念仏をカバラに
対応させると、
光明真言が
王冠、自我の部分。
南無妙法蓮華経が
アストラル体の部分。
南無阿弥陀仏が
エーテル体の部分。
そして、
ノウマクサンマンダボダナン
アビラウンケンが
物質体、基盤の部分と
考えて、
これを東洋的主の祈りとしよう。
(2019年09月13日 14時42分24秒)

内面的天皇の時代   もうり さん
日本人の
課題、
わかったっぽい。
日本人は、
助け合いの精神がなく、
それは政治嫌いに
基づくとの記事が
あったが、
私はそれは
天皇人間宣言及び
万世一系説の否定から、
明確になってきたのではと
思ってみる。

だからといって、
再び外に天皇を作る時代は
既に終わっている。

今は意識を拡大して、
それぞれが
世界精神になることで、
それぞれが
天皇になっていく時代だと
思う。

そのためには、
地縁血縁のみ助けるという
意識が、
狭苦しく幼い意識であると
わかればいいんだけどね。
たぶん多くの日本人には
その意識がないのだろう。
(2019年09月13日 18時02分44秒)

方針転換   もうり さん
運動は、
合気道じゃなくて
練功十八法やるか。
武道は
純粋な動作ではない、
というのも、
他者が関わるからである。
従って、武道の
代わりに、
いつものように善行すればよいと
判断した。

それに、ロシア語も
学ばないどくか。
もう、あんまりお金かけない
方向に行こう。
思索、真言、練功、善行生活。
この4つを繰り返すだけでいこう。

発声の部分は、
主の祈りを唱えて、
シュタイナー心経の水色の
部分のみを読み
旧約聖書を2つずつ、
クルアーンを2つずつ
発声して、
アラム語の主の祈りの
歌を聞いて、
光明真言を三分聞いて、
シュタイナー用語辞典に
載っている、芸術作品を
鑑賞した後、家族がいない
時に
ひたすら光明真言や
念仏を唱える。

なんで
シュタイナー心経を
全て発声しないかというと、
あまり長くかかると、
家族に迷惑がかかるので、
水色の部分だけに調整した。

そんで、
昨日、「クルアーン、
やさしい和訳」みたいな
本が届いた。

思索のほうは
ある側面からの
全面性を達成したので、
続いてやるべきは、
発声の全面性を継続し、
運動の全面性を継続し、
善行の全面性を継続すること、
である。
発声の全面性に
関しては上記の説明が
それを示している。
人智学がプラトンやアリストテレスを受け継いだものと
特徴づけるならば、
ヘブライズムの神性と
ヘレニズムの神性と
アラビアズムの神性に、
仏教の流れを
組み、その仏教の光明真言や
南無妙法蓮華経も全面性を
示している。

この発話から、
練功十八法の
上半身から下半身の
全身運動、
そして関節へとより内面化し、
最後には発声のより自然主義的
側面としての呼吸法に
行き着き自然治癒力を高める、
として運動カテゴリーにおける
全面性は十分あると考える。
このカテゴリーはここから、
太極拳へと発展できるのだが、
そこまではしないかな。

そんで、
最後に善行の全面性で、
私生活、家庭と教会という
世俗と聖の両者で、
言葉と実行による、
正義を行うこと。
この正義自体が
心の調和、全面性なので。

上記のように、
我々は、
そもそも友達や恋人、
人脈、配偶者などいなくても、
田舎であっても、
日本であっても、
十分充実した生活が
送れるのですよ。

ただ私の問題は、
大きな社会の仕組みが
よくわからないことで、
また大きな社会を
動かす力もないことだな。

しかし、
もう勉強じゃなくて
実践したいんで
諦めるっきゃない。

当たり前の話だが、
私にとっては
意味深いことを
話して聞かせてくれるのは、
人脈に恵まれないので、
人間ではなく
本だった。
だとしたら
むしろ独りのほうが
意義があったのかもしれない。

酒もセッ クスも、
気持ちいいかもしれないが、
それらは決して、
面白くはないのだ。 (2019年09月14日 12時08分10秒)

巨大事業   もうり さん
やっぱり
古典に戻るな。
自分の理想の
エンジニアリングは
土木だ。
才能ないから無理だけど。
空海もダム作ったし、
ゲーテの
ファウストも
最後の事業は土木だった。

文系は歴史ある技術の
土木を学ぶといいかも
しれない。

なんでかって、
土木は地球を鷲掴みにするほど、
大きな事業が可能だから。
まあ必ずしも
大きいわけじゃないけどね。




(2019年09月14日 13時31分53秒)

光明真言の効果   もうり さん
光明真言、
効果あるっぽいな。
唱えだしてから、
悪魔を切る夢を
見るようになったので。
そんで、
懺悔するが、
私は家族の反対を
押し切って自分の道を
全うするために、
彼女らに隠して
嘘をつくことがある。
なぜなら彼女らは
反対するとわかりきってるから。
たぶんだけど、
切られている悪魔は
自分の嘘つきな魂の要素、
そのもので、
つまり、これは
自分が正直者にならないと
悟りもないのだと解釈する。
なぜなら私自身である、
嘘つきの悪魔が私の魂を
破壊するからである。
「つぐのひ」や「サイレントヒル」
などのホラーゲームの
現実浸食ものは、
たぶん自分自身の、
あるいは人類の罪によって
生じたエレメンタルが
現実に作用し、発したもの
自身にカルマとして倍になって
帰ることの比喩だと思う。

道徳は単なる慰めではなくて、
「道」なのだ。
道徳的にある面での完全性を
備えなければ、
たぶん悟りもない。
これからは、
正直者になるよう
心がけたい。
というか、
そもそも、
嘘をつかなくていい状況を
作り出していけばいいかと。

また夢ではさらに、
娘さんをもらえるとか、
ハーレムのような夢も
見るようになったが、
これはたぶん、
言葉が魂と身体の一致の
手段となるからだと解釈する。
これを
悪魔が妨害してくるのだよなあ。
しかし、
この夢では私自身も
仲間と共に剣をもって悪魔を
切り刻むが、切り刻まれた
悪魔としての人間的姿の肉塊から、
本性の悪魔が生えてくる。

節制できてきて、
次の課題は正直度を上げることだな。

コクウゾウグモンジホウも
効果あるっぽいな。
私の文脈だと。

(2019年09月14日 15時28分24秒)

祈りの有用性について   もうり さん
祈りの有用性について。
精神科学が
天使とアクセスする。
祈りや詩の発声が、
大天使とアクセスする。
善行が、アルカイと
アクセスする、と考えると、
この3つによって神からの
恩恵、神からの力が
与えられて生き延びるってのは
ありそうなことだ。

だから、
そもそもアルカイという、
アートマを形成して
物質界に介入できる
神々の力にアクセスするための
梯子として、精神科学と
祈り、頭脳と喉の経路を
十分人格形成した上で、
さらに心臓、つまり善行を
人格にする段階を通ることで、
その人は間違いなく成功すると
言えそうである。
だから、
思想家及び
祈る人は必要だな。

霊的思想を備えた、
あるいは曼荼羅を
備えた空海が祈ることで、
アルカイへの梯子とし、
その上で、人々はダム作りという
善行に励んだので、
おそらく力が出たのだろう。

今日も祈りまくった。

(2019年09月14日 16時42分13秒)

強さとは何か   もうり さん
強さとは
何か腑に落ちた。
己に勝つことが
強さであり、
それは自分に
馴染みなく、
慣れないこと
自分らしくないように
思えることでも、
それが義なら行うのに
現れる。
めんどくさくても、
それが仕事ならする、
それが義務ならする、
という仕事のプロみたいな
人々は強い。
このようにして、
己に打ち勝つのが
強さだ。

今思えば既にブッダが
語っていたことであった。

これでようやく、
エリヤ(強さ)と
モーセ(叡智)の
組み合わせによる
愛とは何かを考えられる
条件が整ったし、
また新約聖書は
愛の強さ、愛の力を
語っていると腑に落ちた。 (2019年09月14日 21時15分23秒)

時間がない   もうり さん
労働を
考慮すると
練功十八法やってる
暇なさそう。

喉の行が
完成してからやろう。 (2019年09月14日 21時29分30秒)

htmlに見る技術の真理   もうり さん
アリストテレスの
機械学及び
ロゴス的観点から、
技術というか、
工学の真理というか
目的とは、
最小で最大の機能を
発揮することと前に見いだした。

何気にそれは
htmlにさえ見いだせる。
それはdivやクラスである。
これで一回でまとめて
処理することが、
すなわち最も原初的技能である、
力持ちであることによって
女性より重い荷物を持てること
と通じるし、
さらにはてこの原理とも
通じること。

従って、
やっぱりプログラミングの
習い事は続けるか。
発声は念仏でいいんでね。
足りないのは
全面的運動及び
特定の技術だが、
発声の目的を
果たしたら全面的運動に
なるけど、
習い事はいまでも続けます。
教会と一緒に。
たぶんどんな技術も、
工学的であるならば、
同じ道を違う形で
歩んでるに過ぎないだろうから
できる道を選べばそれでいいかと。
例えばdivと道路は
形式的に同じなんですよ。
道路も背景というか
土台みたいなまとまりでしょう。
従ってプログラミングも
土木も形式的に同じ側面がある。

だから、
英語もテキストが終われば
数学にチェンジするかなあ。
その教室で、
数学とプログラミング習うことに
するかもな。 (2019年09月14日 23時03分27秒)

ふりが本物に変わる時   もうり さん
人は
利己主義から
始まる。
だから本物の
利他主義だけを
認めることには
ちょっと待て、
段階があるだろという。
人はふりをしていたら
人格となってしまう
ものだからだ。

役者の仕事と
ブッダへの修行は
似ている。
なぜならブッダとは
人格の統合者、でもあるから。

役者は実際的ではない
代わりに、真面目に
取り組むならば種々の人格を
わがものとできるであろう。
最終的には
八正道を行い、
ブッダの人格を
実生活でも模倣していけば、
悟る、ということ。

(2019年09月15日 09時27分16秒)

念仏の選定   もうり さん
念仏、
やはり真言を
選ぶことにした。
光明真言を唱え
かつ智拳印を結び、
唱え終わると
ノウマクサンマンダボダナン
アビラウンケンと真言を
唱えて法界定印を結ぶ。
これを交互に繰り返すのが、
私の念仏。

また、これを唱えながら、
家を練り歩くのもやっている。

本当は、
日本全土を
真言を唱えながら
歩いたほうがいいのだろうけど (2019年09月15日 10時22分19秒)

曼荼羅色紙   もうり さん
曼荼羅色紙、
胎蔵と金剛の二種、
買いました。
これを見ながら、
真言を唱えて、
プチ僧侶になる。

大人のなりきりキット
とはこういうこと

修行になので
遊びじゃないんだから
日本語かおかしいかもね (2019年09月15日 14時47分06秒)

身体性の本質   もうり さん
身体性の本質に、
とうとう辿り着いた。
それは呼吸器系だ。

なぜなら頭脳が
天で、
心臓及び筋肉が下ならば、
その中間が
呼吸だから。
そういうわけで、
練功十八法を
やらずに呼吸法をやるか。
真言の行を十年くらい
かけて終わったらだけど。

来たるべき意識魂の時代には、
呼吸法とプログラミングやるかもな。

まあ、
呼吸が本質ってのは
前に言ったことだけど、
腑に落ちた。

アートマになる修行も、
呼吸法らしいしな (2019年09月15日 17時35分49秒)

全部できる。   もうり さん

プログラミングは
習い事に通い続けるから
今でもするのと、
練功十八法だとか
合気道だとかは
時間かかり過ぎるから
後回しにしようとしたが、
呼吸法の行の場合は
時間かからなさそうなので
結局、やりたいこと
全部この時期にできそう。
喉は真言、
身体性は呼吸法、
遂行は分かち合いと
プログラミング技術。

一旦、思索が終わると、
後は同じ分野に
止まって繰り返しの毎日を
生きる安定した日々を過ごす。

勉強は毎日いろいろ
ふらふらやってたから、
ようやくやりたいこと
全部の修業しながらでも
落ち着ける。

呼吸法の本は、
安くで中古で
手に入りやした。 (2019年09月15日 17時55分40秒)

断念について   もうり さん
断念が、なぜ
感情の美徳であるのか
わかったな。
それは感情とは
意志に達する前の
意志、
すなわち
内的な意志のことであり、
この内的な意志=感情が
強ければ、それが
心の制御力となるって
ことです。 (2019年09月15日 19時52分48秒)

方針転換   もうり さん
ということで、
私の判断は
加速していきます。
そもそも、
心が清らかな人に
しか力や権力は
相応しくないように、
目的に執着した段階で
目的を達成しようとするのは
順番が逆である、ということに
ようやく気がついた。
まずは、あらゆる執着、
目的からもやりたいことからも
思索勉強からも
それら全ての拘り、愛着から
脱して、心の清らかさというか
心の自由を達成した後に、
目的に向かうべきだ、
という智慧に達した。

目的を達成する
資格があるのは
目的を放棄できる、
我欲のない人なのだ。
そうでないと、
もしも全知全能の力を
手に入れたとして、
我欲がある人は
すぐに邪悪を犯すと
思う。
しかし、
私は、菩提心に達した時点で、
その大欲の全てを、諦める
べきだったというと、
そうでもないのだ。
まず勉強、思索の段階を
始めに経過するのは正しい。
なぜなら思考から感情、
意志へと推移していくので。
従って今度は感情へと推移するので、私は全ての精神生活や
思索への意欲を捨てて、
ただ毎日、義務をこなすだけの
道を歩こう。
こうやって、
断念の力をまず確立してから、
やりたいことに乗り出していくこと。

そういうわけで、
書き込みも控えたい。
難しいけど。 (2019年09月15日 20時23分55秒)

共感と不貪欲の関係   もうり さん
共感と不貪欲の関係は
言葉による共感、
行いによる共感から、
行いによる共感=
慎みは食事等の慎み、
つまり不貪欲ということだろう。

行いによる
言葉で示す共感が
優しい言葉であり、
行いで示す共感が
不貪欲と礼儀である。
これらはまとめて
品性だとか慎みだとかの
部類に入るだろう。

だから、
結局、
私は本を読むよりも
これら行いによる共感を
実施しつつ、
パンを裂く実践を
やっていく。

光は叡智という、
石、形態。
油は共感で、
善行という力で
石に摩擦をかけて
心に炎が宿る。

これはここのブログの
ドーリル博士の聖書の真儀
聖書の真義にも
通じる話だ。 (2019年12月12日 21時15分47秒)

グルメー快楽思想   もうり さん
グルメ考察から
快楽思想へ。

どうやら、
グルメ考察によって
快楽主義の詳細に
入り込めそう。

ぼけたばーちゃんが作った
焦げた料理を気持ちを
受け取って食べることに対して
美味なものしか受け付けない、
そのような肥えた舌、
この家庭料理とグルメという
対立にも肉と霊という概念が
持ち込める。ここから逆に
わかることは、最上のものしか
受け付けないという貴族主義も
結局はミシュランしか食べたくない
という俗物と一緒だということ。
しかしまあ人それぞれ通っている
プロセスが違うので仕方ないけど。

例えば最高の美女としか
やりたくないという人と
それとは真逆の人とも
やれるという人。
こうした、最高の美女とは
真逆の人ともやれることが
それが邪淫だとしても、
上手くなるならその真逆の人への
人助けとなりうるわけだ。

男が菩薩になると美男子に
生まれてくるだろうが、
そこで性において一つ
貢献するとしたら男娼となって
真逆の人たちを救済することで、
逆に女性が菩薩になることは
既に述べた。
 
例えば、
天上的なものばかり
好む人は
世俗的な貴族やエリートとの
付き合いばかり好む人と
同類に過ぎないわけで、
なんでこれを疑問視するかというと、食事で言えば
ぼけたばーちゃんが作ってくれた
まずい料理を残して
ゴミ箱に捨てるみたいに、
「この領域に関して」「愛」がないからである。

快楽主義における
博愛主義者になりたいということ。

結局、快楽主義者は
我々快楽に対して批判的なものを
憎むだろうが、
さらに快楽主義を分析すると
彼らも美男子や美女と
やりたがるという点において
貴族主義的であることには
変わりがないわけである。

あと、
禅的な快楽というか
感覚は、飲み物で
最上のものは「水」であり
味は「無味」が最上で、
最上の調理は「豆腐」が
「参考になる」という思想になると
思う。

だんだんわかってきたことは
目における精神性は
諸芸術。
耳における精神性は
歌や音楽。
舌における精神性は
出されたものは
何でも食べるという
舌の博愛主義。
鼻における精神性は
お香。仏教のお香文化で
非常に高い奴がある。
伽羅って言ったかな。

香水に関してアイデアが
こうして生まれて、
伽羅を大衆化するために、
人工的にその匂いを香水に
できないだろうか。

触に関する精神性が
性だと性に関する
博愛主義で、
あるいは運動ならば
オイリュトミーや武道。

不動の境地にも
大円鏡智的なものと
妙観察智的なもの、
二つがあって
前者は全てから独立することで、
後者は全てを愛することで。 (2019年12月27日 15時37分24秒)

怒りについて   もうり さん
快楽、欲望にも
いわば天と地があることを
書いたけど
怒りにも天と地がある。
それは自分よりも
強い者にも怒れるか、
弱い者に攻撃的になるかである。 (2019年12月27日 18時00分34秒)

心魂の個々の領域の生成   もうり さん
心魂の個々の領域の生成。
意志は意志自体で、
感情は感情自体で
思考は思考自体での
生成がある。

おそらく、
普遍的なものに
達すると、
そこから様々な個別が
生成してくる。

旧約聖書の時点では
戒律をまとめることは
せずに「個々に守る」という
意識であり、形式主義的に
なり
結局守れずに罪となった。
しかし
キリスト教の時点で
普遍的な意志に達した。
そうして、
イスラム教になった
時点で、
普遍的な意志が、
個々のものに浸透することで、
ハディースが守れる。
こういうことだろう。

(2019年12月27日 21時15分32秒)

マニ教の教義ー大欲   もうり さん
マニ教の教義の一つは、
大欲だと思う。
煩悩の聖化、
あるいは土壌主義とは
理趣教で
言うところの大欲であり、
例えば食欲は
神を食べたい、
性欲は神と性 行したい、
生存への執着は、
永遠の命を得たい、
支配欲は、宇宙神になりたい、
金銭欲は永遠の富が欲しい、
であり、
このようにして、
貪欲は聖化される。
そんで、
怒りは人間や悪魔への怒りから
罪への怒りとなる。

無知の聖化は
神智学等がやってくれている。

こうして、
煩悩は聖化する。
(2019年12月27日 22時37分32秒)

アッラーを超える。   もうり さん
すなわち、
アッラーを超えたいと
思える時点で、
その人は既に
イスラム教の段階は
終わっている。
そうして、この神になりたい
という衝動は、
人間が、人間のままで
私は神であるという傲慢さの
ことではなくて、
進化によって本当に神と
存在論的に
並ぶ者となるという意志である。
だから傲慢でもない。
神が増えたほうが、
より世界は平和になりうる。

だから、
どうやら
私が入った秘儀参入は
既にマニ教的なもののようであり
それゆえに
自分の太陽ロゴスについての
考えも既にイスラム教を
超えているのだ。 (2019年12月27日 22時51分35秒)

精神科学の基礎付け   もうり さん
結局、
哲学でも
宗教でも
神智学、人智学、ヌーソロジー
といった、
精神科学を基礎付けるものと
なった。
仏教が宗教と文学の間の
もので、
密教において宗教となると
考えるならば、
やはり、今からは
文学の探求をせねば
なるまい。
これもおそらく、
精神科学を基礎付けるものに
なるだけだろう。

だから、
今の時代、
精神科学をやらないと
来世で悔やむよたぶん。
結局のところ、
自分の意識を基礎付ける
結果となった。 (2019年12月27日 23時41分15秒)

文学論   もうり さん
ホメロスが
肉体(非個人性)
アイスキュロスが
生命(想像力)
ダンテが
心(一般的人間)
シェークスピアが
自我(様々な個性)
ファウストが
霊我(客観的個性)
ノヴァーリスが
生命霊
(ロマン主義(精神的でありつつの
地上の積極的肯定))
ドストエフスキーの
アリョーシャが
霊人(土壌主義(地上の包括的聖化))
ノヴァーリスの段階では、
まだ地上の聖化の根拠は恋人であって、完全に地上を肯定した
わけではなかった。

ファウストの段階では
地上はまだメフィストフェレス的だった。
アリョーシャに至ると
地上は地球霊キリストとして
完全に肯定される。
おそらく、
宇宙も完全に聖化した
自我だろう。
こうして、
太陽ロゴスへと
接続し、
宗教へと至る。

ファウストでは、
誰の中にもある
客観的個体、
すなわち霊的な自我に
至るけど、結局、
地上は悪魔であった。
ノヴァーリスとなると
地上は恋人の現れとされ、
人格的となった。
アリョーシャに
至ると地球霊のロゴスと
みなされた。
すなわち、
地上の霊性が
恋人という個人性から、
地上にも霊的な客観的個性が
あるとされた。
だからおそらく、
アリョーシャ(霊人)
ノヴァーリス(生命霊)
ファウスト(霊我)
シェークスピア(自我)
ダンテ(心)
アイスキュロス(生命)
ホメロス(肉体)

これが
自我それ自体の構成要素だ。

シュタイナーという
巨人の肩に乗れば
楽だな。

参考にしたサイトは
まさにここのブログにある
記事です。

(2019年12月28日 02時06分41秒)

アリョーシャの段階   もうり さん
人々は
必ずしも
完全に内なるアリョーシャや
ノヴァーリスや
ファウストを
完成させてるわけでは
ないであろうが、
アリョーシャの段階に
至ると地上も霊性の一種
ということを確信し
精神科学を目指す意識の
基礎付けとなろう。

こうして
文学からも宗教からも
哲学からも精神科学の
基礎付けを完了した。

さて、
もう他にやることがないぞ。
神智学(霊人)
人智学(生命霊)
ヌーソロジー(霊我)
唯霊論(自我)
観念論(心)
実在論(生命)
唯物論(肉体)

マニ教(霊我)
イスラム教(自我)
キリスト教(心)
ユダヤ教(生命)
仏教(肉体)

アリョーシャ(霊人)
ノヴァーリス(生命霊)
ファウスト(霊我)
シェークスピア(自我)
ダンテ(心)
アイスキュロス(生命)
ホメロス(肉体)
(2019年12月28日 02時24分08秒)

考えの変更   もうり さん
ヌーソロジーが
霊人で
人智学が
生命霊で
神智学が
霊我かも。

ヌーソロジーが
一番高いけど、
それは自我を霊的なモノにする。
ホメロスのような
単なる非個人性に退化するのでは
ないとしたら、
それは自然の背後にある
霊人を司ると考えを変える。
ヌーソロジーが
一番高い。

ということは、
ノヴァーリスと
アリョーシャは
生命霊として
一つにまとめておくか。

(2019年12月28日 08時59分59秒)

大地は二つある   もうり さん
大地は
どうやら二つある。
霊人と呼ばれるもの
が天の大地。
だから自然主義に
該当するヌーソロジーが
霊人的だなと思う。

マニ教は
煩悩が聖化されたとは
言え、結局、
天に向かう。
大欲は、結局天に向かう。
それ故に、
全てが聖化された
状態で、再び物質に向かう、
という宗教が
生命霊的だろう。
そして霊人的なものとして
この意志それ自体となる。 (2019年12月28日 09時41分09秒)

文学論   もうり さん
だから
次のようだ。
霊人ーヌーソロジー
生命霊ー人智学
霊我ー神智学
なんで神智学が
霊我なのかというと
これはどちらかというと
物質を嫌うから。
自我ー唯霊論
心ー観念論
生命ー実在論
肉体ー唯物論。

そうして、思想的には
唯物論という大地と
ヌーソロジーという大地に
人間は挟まれている。

宗教は
霊我ーマニ教
自我ーアッラー
心ーキリスト
生命ーヤハウェ
肉体ー大日如来

文学は
霊人ー半田広宣(笑)
生命霊ーアリョーシャ
霊我ーファウスト
自我ーシェークスピア
心ーダンテ
生命ーアイスキュロス
肉体ーホメロス

ヌーソロジーは
自我の解体とか言ってる
みたいだけど、
それが単なるホメロス的な
ものなら、
また神の操り人形になるだけ
なんで、
そうでないとしたら
霊人的な自我だろうなと。
(2019年12月28日 11時51分16秒)

スペースダイバー   もうり さん
ヌーソロジーの
方法は
空間を密林化する。
空間に精神を
貫き通す。
空間に意味が溢れる。
建築都市空間の理念という
意味だけではない。

空間を泳げるようになる。 (2019年12月28日 12時03分15秒)

やりたいこと   もうり さん
次にやりたいことは
伽羅を嗅ぐこと。

もう、
思想に関しては
やれることがない。

後は行為あるのみかな。
でも、気が進まない。 (2019年12月28日 12時17分46秒)

ポストモダンの意味   もうり さん
ポストモダンには
反転的な思考という
側面もあると思うが
その意味は、
この地球の大地に
対する地球を頭とする
天の大地に至るためという
意味がありそう。
天の大地(父なる神)
の視点で語ると全てが反転する。

そこにたどり着けそうなのは
ヌーソロジーのみかなと。 (2019年12月28日 14時22分05秒)

科学を裏返す   もうり さん
神智学や
人智学は
自然科学的方法から
出発するが、
ヌーソロジーはその
科学自体をひっくり返す
ところから出発する。
つまり科学自体を
天の視点から出発させる
点で優れてるかも。

ヌーソロジー的科学から
神智学等をやってこそ
真の姿が見えてくるのかも
しれない。 (2019年12月28日 15時48分02秒)

宗教の進化   もうり さん
宗教について、
ですが、
アッラーを中心地点として、
霊我宗教の段階に
至ると、再び
高次の形でキリスト教
を繰り返し、
生命霊宗教に至ると
再び高次の形で
ユダヤ教を繰り返し、
霊人的宗教の段階に
至ると、
再び高次の形で
仏教が繰り返されると
思うので、
仏教が肉体に位置するから
といって仏教を軽視している
わけではない。

キリスト教は
ダンテのように、
一般的な人間にとっての
霊性を語っている。
アッラーとなると
シェークスピアが
劇を世俗的な人間たちの
中で披露したように、
物質の中に降りている。 (2019年12月28日 16時27分16秒)

日本は霊人の文化   もうり さん
日本、
武士道とかで
死に価値を置いていて
モノになろうとする
ヌーソロジーや
仏教文化、
恵果阿闍梨が空海に
託したこと、
そしてルドルフシュタイナーが
地球の頂点は日本だと
言ったことからして、
この第五根幹人類期は
インド、ペルシア、
エジプトカルデア、
ギリシャローマ、
ドイツ、ロシア、
アメリカと来て
終わるのだが、
第六根幹人類期で
始めの文化は
今の文化で言うならば
日本文化期ってことになるのでは
と思われます。(確信)

つまり、
霊人ー
日本(ポストアトランティス)
生命霊ーアメリカ
霊我ーロシア
意識魂ーヨーロッパ
悟性魂ーギリシャラテン
感受魂ーペルシア
生命ーインド
物質ーアトランティス文化期

シュタイナーの
考え方に従えば
アジアから始まり
アジアに終わることに
なるんで、
西欧人の白人至上主義は
正しく霊の人
ルドルフシュタイナーが
破ってくれた。
(2019年12月28日 16時59分21秒)

アニメゲームとは   もうり さん
日本文化が
霊人だということは
新しい文化である
日本のアニメやゲームとは
何なのかということにもなる。

アニメやゲームは
避けていたが、
子どもの頃に
それらをやっていて
大人になって
思想やった後で
再びアニメゲームに
返るでもよいかも。
ヘーゲルもシュタイナーも
アニメに言及できる時代では
なかった。
劇や小説は比較的古い文化であり、
今生きている内に
アニメゲームに触れること。

文学がわかっても
アニメゲームは
謎だということ。

アニメやゲームを
再評価する方向で
考えていきたい。

以前のサブカルに
関する前向きな考えは
木星期の準備、
新惑星の準備ということ
だったが、
霊人としての
日本文化という点に
絡めて、新しい発見がありそう。

また人生の方針に関しては
子ども時期を過ごして
大人になって、
大人時期で何かを確立した
後に、再び高い段階で
子ども時期にやったことを
繰り返す、がある。

メインカルチャーに
被れ過ぎると
雑に言うと過去の形式に
囚われることになる。

うーんわからん。
アニメ、
やっぱり見るか。
ゲームもやりたい。
後半生の方針、
決まったな。
漫画学やろう。


(2019年12月28日 18時20分52秒)

黒人文化期   もうり さん
ちなみに、
黒人文化期が
エジプトカルデア文化期
でしょうね。 

アニメ学や
漫画学を
やっていこう。
(2019年12月28日 18時23分04秒)

償いと無関係な被害者感情   もうり さん
償いと
被害者感情は
無関係であるということ。
正しく罪が
裁かれることと
被害者感情に関係はない。
なぜなら被害者感情の
ままに任せるなら
正しく裁けないからだ。
被害者感情は
正しさではない。

罪は償えないって
考えてる人、
たぶん司法と感情を
ごちゃまぜにしてるっぽい。 (2019年12月28日 19時07分36秒)

芸術論 漫画哲学   もうり さん
シュタイナーの
芸術論から。

建築ー肉体
彫刻ー生命
絵画ー心
音楽ー自我
文学ー霊我
オイリュトミー→生命霊。

なぜにオイリュトミーが
生命霊なのかというと、
動く言葉だから。

そうして
漫画やアニメ的なもの
→霊人
なぜに二次絵的なものが
霊人なのかというと
肉体をもった言葉だから。
二次絵は神の姿を示している。
それは抽象的な、思考を素材とする
身体である。
あるいは、
二次絵を通じて現すべきもの、
現すことが可能なものは、
神のように純粋な人間形態だ。
神の似姿として人間は作られた
とあるように。
そうして霊人に対応する
権天使の姿を真似て作られた
ということ。

だから、
オタク文化に神を見る。

現代日本人
の道は
思想はヌーソロジー。
芸術は二次絵制作。

しかし、
思うに最高の武道は
合気道ではないと思う。
気功的、仙道、ヨガ的な
肉体的段階から、
諸武道やジークンドーといった
力的段階に達して、
合気道に達すると
愛の段階に到達した。
しかし、
その先の自我から
霊人までの流れが
わかっていない。
武道もこのように
人智学的に理解できるはずだ。

おそらく、
自我はボクシングとか
グラヴマガといった
武道というよりも格闘技、
軍事戦闘に
属するものに思われる。
物質に引き下ろされているから。
ここでもやはり自我は
西欧に対応するように思う。
西欧人は個人主義者で
自我だけが人間だと認めがちで
我々日本人を全体主義者だと
思いがちであるが、
日本人は西欧を参考にして
「全部」主義者になることが
できよう。
こうして
格闘技が自我だとして
次の霊我の段階は
合気道がより高次の段階に
達する。
続いて
生命霊の段階は、
ジークンドーや少林寺拳法等が
より高次の段階に到達する。
最後に、
霊人の段階では
仙道が高くなって
復活する。

武道的な事柄における
霊人には中国人や
韓国人等の流れが
おそらく創造してくれるだろう。
中国人から再び
仙人が現れる時が
やってくる。
しかし残念ながら、
中国共産党のせいで
中国的な精神性は
遅れをとっているのかも
しれないが。 (2019年12月28日 20時46分16秒)

気質の理解   もうり さん
攻撃的な人が
苦手なんですが、
そーゆー人は
要するに胆汁質の
現象の一種だと理解する
ことにより、
その人を自分の中に取り込む。

人格は宗教や文学として
だけでなく、気質としても
理解できる。 

漫画を位置づけるだけで
満足して、
それらを積極的に
摂取する気が失せた。

私はどちらかというと
理解衝動のほうが強い。

私に人間関係構築の
傾向があったなら、
具体的な様々な日本人から
理念を読みとり、
一つにまとめたのに。

ちょっと、
日本人 タイプで
検索かけてみるか



(2019年12月28日 22時27分19秒)

学校生活の理念   もうり さん
学校生活の理念には
二つの対立が
あるように思う。
外向的か内向的か。
ユングのタイプ理論なんだけど
シュタイナーの
気質論としても理解できる。
外向的だから
友達とかコミュニケーションとか
恋愛とか力とかスポーツとか
労働とか感覚的な
遊びに向かいやすく、
群れも作りやすいと思う。
人からどう見られているかとかも
気にするだろう。
だから服装に気をつかったりする。
これらは要するに
憂鬱質、粘液質、多血質、
胆汁質の四つの気質が、
左側に行くほど内向的で
右側に行くほど外向的だと
理解し、
憂鬱質が思考、
粘液質が感覚、
多血質が感情、
胆汁質が意志だとも
理解することによって
統一される。
地水風火であり、



地であるが
身体的には



火である、
と理解することによって
平等の認識に至る。
こうして統一された。 (2019年12月28日 23時04分15秒)

自分の新たな仕事   もうり さん
自分の新たな仕事として、
今まで出会ってきた
人々全てをそれぞれ
法の下に統合する。
各種出会いの各々に
仏教で言うところの「一種の」
三宝ありと思う。

家族や職場は
八正道で統一できる。
学校及び大学生活は
気質で統一できる。
なんか、こんだけで
大衆をまとめられた
気がする。終わり。 (2019年12月28日 23時50分32秒)

ラッパーの世界観   もうり さん
ラッパー、
世界観が唯物論で
魂がないと主張するなら、
お前のライムも
俺のライムも意味がねえって
ラッパーになりそうだと
ふと思った。

だから、
たぶん、ラッパーの
元祖は魂を信じる黒人だと
思う。
調べてみよう。 (2019年12月29日 20時10分14秒)

哲学と十住心論   もうり さん
哲学も
十住心論で
説明がつく。
カバラでもある。
私の哲学の総合は
シュタイナーの
哲学観、ゾディアックの
世界観を
参考にしている。

例えば、
唯霊論
観念論
実在論
唯物論とまとめたとしても
実は不完全であり、
これらはそれぞれが
中心であり、
左右があると考えれば
十住心論であり、
カバラになり、
ゾディアックとなる。

そこで、
あえて中心に注目して
十住心論をまとめてみると、
世俗的な心ー肉体
原始仏教ー生命
中観仏教ー心
自我ー密教、
ということになろう。
自我ー密教
心ー中観仏教
生命ー原始仏教
肉体ー世俗的な心
である。 

ユダヤ教だと
王冠ー自我
知識ー心
美ー生命
基盤ー肉体
ということで、
キリスト教だと
ヨハネ福音書ー自我
ルカ福音書ー心
マルコ福音書ー生命
マタイ福音書ー肉体
ということになろう。

そこで
気になるのが、
イスラーム密教である。

それは
アッラーの慈悲と
真理と威力に、
天地ではなかろうか。
これはクルアーンにも
出てくる言葉だが、
アッラーの真理ー自我
アッラーの慈悲ー心
アッラーの威力ー生命
アッラーに属する天地ー肉体

ということで、
さらにメタに言うと
イスラーム教ー自我
キリスト教ー心
ユダヤ教ー生命
仏教ー肉体
となって
これらがまとまることにより
マニ教の教義がたぶん、
生まれてくる。
(2019年12月29日 21時49分25秒)

大宗教曼荼羅   もうり さん
大円鏡智には
仏教が来る。
まず四智が来て
世俗的な心
原始仏教
中観仏教
密教ときて、
この四智が
大日如来として
五智にまとめられる。

そうして平等性智にも
ユダヤ教の
四智が来て
基盤

知識
王冠と来て
これらの中心に
五智として
ヤハウェが来る。
妙観察智には
キリスト教がきて
マタイ福音書から始まり
マルコ、ルカ、ヨハネの
四智が
キリストを中心として
まとめられる。
成所作智には
イスラーム教が来て
天地万物、威力、慈悲、真理
と来て、中心にアッラーが
こられる。

そうして、
大日如来と
ヤハウェと
キリストと
アッラーの
中心としての
法界体性智の部分には
来るべきマニ教の
教えが来る。

これが大宗教曼荼羅である。 (2019年12月29日 22時08分10秒)

金胎不二。   もうり さん
そうして、
マニ教ー
大宗教曼荼羅が
金剛界だとすると、
来るべきマニ教の
次の時代の宗教は
胎蔵曼荼羅の大宗教曼荼羅
だろう。
そうして、
次の第六根幹人類期ー
日本の時代に、
金胎不二、即身成仏となる。 (2019年12月29日 22時19分13秒)

芸術曼荼羅   もうり さん
芸術曼荼羅について
大円鏡智に建築、
平等性智に彫刻、
妙観察智に絵画、
成所作智に音楽ときて
法界体性智に文学と来る。
上記が芸術金剛であり
芸術の胎蔵には
オイリュトミーが来る。
金胎不二の境地に
アニメゲーム等がくる。

文学自体を詳細に語るのなら
大円鏡智がホメロス、
平等性智がアイスキュロス、
妙観察智がダンテ、
成所作智がシェークスピア、
法界体性智がファウストで
上記が金剛界で、
胎蔵界としてノヴァーリスないし
アリョーシャが来て
金胎不二の境地に
総合芸術的なワーグナーが来る。

シュタイナー文学講義も
寄贈してしまったので
ワーグナーについては
確認できないけど、
流れとしてはこう推測できる。 (2019年12月30日 07時52分35秒)

哲学曼荼羅   もうり さん
哲学曼荼羅は
大円鏡智に
唯物論
平等性智に
実在論
妙観察智に
観念論
成所作智に
唯霊論と来て
法界体性智に
神智学が来て
金剛界哲学曼荼羅となり
胎蔵界哲学曼荼羅は
人智学、
金胎不二の境地には
たぶん
ヌーソロジーが来ると
推測する。

こうして
哲学曼荼羅、
宗教曼荼羅、
芸術曼荼羅となった。
これが絶対的精神の曼荼羅で、
客観的精神の曼荼羅が、
大円鏡智に仏国土、
平等性智に乳と蜂蜜の
流れる「イェルサレム」
妙観察智に「神の国」
成所作智にカリフ制と来て
法界体性智に私が
所属する聖白色同朋団の
共同体があって
これで金剛界社会曼荼羅は
完成し、
胎蔵界社会曼荼羅には
シュタイナーの
社会三層構造が来て、
金胎不二の社会曼荼羅の境地に
シャンバラが来る。

そんで
主観的精神の曼荼羅は
大円鏡智に肉体、
平等性智に生命、
妙観察智に心、
成所作智に自我、
法界体性智に霊我と来て
胎蔵界は生命霊、
金胎不二には霊人が来る。

こうして、
絶対的精神の曼荼羅、
客観的精神の曼荼羅、
主観的精神の曼荼羅が
完成した。
(2019年12月30日 08時15分52秒)

対立の作用、悪の作用   もうり さん
そして、
人が対立したいと
思うことと
個体でありたいと
思うことと
悪行の源泉は
自我段階にあると
考えるといい。

こうして
否定要素、悪の要素までも
曼荼羅の中にある。 (2019年12月30日 08時26分41秒)

生命曼荼羅   もうり さん
そんで
残る二つの曼荼羅がある。
宇宙曼荼羅と
生命曼荼羅である。
宇宙曼荼羅は
宇宙肉体が
大円鏡智で
宇宙生命が
平等性智で
宇宙心が
妙観察智で
宇宙自我が
成所作智で
宇宙霊我が
法界体性智で
宇宙生命霊が
胎蔵界で
金胎不二が
宇宙霊人

生命曼荼羅は
鉱物が
大円鏡智で
植物が
平等性智で
動物が
妙観察智で
人間が
成所作智で
天使が法界体性智で
大天使が胎蔵界で
権天使が金胎不二。

こうすることで、
宇宙曼荼羅が
大円鏡智で
生命曼荼羅が
平等性智で
主観的精神曼荼羅が
妙観察智で
客観的精神曼荼羅が
成所作智で
芸術曼荼羅が
法界体性智で
胎蔵界が
大宗教曼荼羅で
金胎不二が
哲学曼荼羅。

概要は完成した。 (2019年12月30日 09時13分58秒)

事実は学者に   もうり さん
事実の世界は
学者に任せた。
聖とは神の言葉を
聞くことから始まる。
そのような人間の
言葉、世界を、
まずは受け入れること。

そうして、
市民にとって
世界観は事実に
基づくのではなくて
理想郷を創造するとよい。
それが木星期を構築するように
なるからだ。

そんで、
その世界観が
来世の感情を作ることになろう。
それは演技理論からも
わかることだ。

そうして、
この宇宙には
再現性のない部分、
神の自由意志もあるということだ。
そう考えると神が実在する
説明にもなる。 (2019年12月30日 12時56分23秒)

対立したいなら   もうり さん
私と対立したいなら
「行為者」に
なればいい。
そんだけ!

思想がまとまってきたけど
生活、やる気おきん(´・ω・`) (2019年12月30日 18時49分05秒)

ファウスト的自我の教義   もうり さん
ファウスト的
自我にとっての
教義は自分で
創造する必要がある。
自分の力で
道徳的理念を
創造して生きるという
自分の道を歩むことであり
すなわちこの人の
場合、万人に適用可能な
一般的教義などないと考える。
ファウスト的自我に
目覚めた者は
自由を尊ぶので、
治安よりも自由であり、
罪と悪との共存を望む。

自分で自由に
自分のための教義を
生み出す必要がある。

このような人間に
とっての必要な
書物は
ルドルフシュタイナーの
「自由の哲学」と
ルドルフシュタイナーの
ニーチェ本、
確か「反時代的闘争者」と
文学では
ゲーテの「ファウスト」が
参考になるだろう。
(2019年12月30日 19時16分07秒)

自分で理念を生み出す。   もうり さん
自分で
理念を生み出すか、
あるいは
大好きな理念を
持つこと。

独自の理念を
生み出してそれぞれの
人間が固有の生を
進むのならば、
宇宙は本当に豊かになる。

あるいは、
私の場合は、既に、
そのような「理想」に
生きる時期は過ぎ去り、
「現実」に生きる時期に
来ているのかもしれない。
理想に生きて、
あらゆるものを曼荼羅の
中に集めることができたが、
現実に生きるためには、
自分の生命を観察する必要がある。
(2019年12月30日 19時35分04秒)

理解による無欲   もうり さん
理解することでも
人は無欲に達せる。

仏教の再来が
キリスト教なら
ユダヤ教の再来が
イスラム教だ。

もう何もしたくない。
取りあえず
利他行できたらいいと
思う。 (2019年12月31日 15時17分13秒)

アタイにできること   もうり さん
アタイにできること、
特定の行為ではなくて
念仏を唱えることくらいだな。
全ての人が救われますように、
南無妙法蓮華経と。 (2019年12月31日 15時40分55秒)

祈ること   もうり さん
特に行為者には
なれない身として
できることは、
口の力はあるんで
祈ることしかできない。 (2019年12月31日 15時45分36秒)

光明真言   もうり さん
やっぱ
南無妙法蓮華経より
光明真言のほうが
よさそう。
なぜなら
妙観察智にあたる
祈りが南無妙法蓮華経であり
平等性智にあたる
祈りが南無阿弥陀仏であり
大円鏡智にあたる
祈りが南無釈迦尼仏であり、
つまり光明真言は
五智如来を包括する祈りだから。

だから光明真言を
唱え続けることとする。
心の中で。 (2019年12月31日 16時02分39秒)

新しい祈り   もうり さん
私の新しい祈りとして、
大日如来、
ヤハウェ、
キリスト、
アッラー、
マニ教よ
御国が来ますように、
と祈る。 (2019年12月31日 18時19分31秒)

武道まとめ。   もうり さん
武道、
まとめの試み。
肉体が気功、
生命が空手、
心が柔道、
自我がジークンドー、
霊我が合気道、
生命霊がシステマ、
霊人が仙道

(2019年12月31日 21時05分52秒)

来年のやること   もうり さん
来年、
祈る年にしよう。 (2019年12月31日 21時41分53秒)

年のこしかた。   もうり さん
年越しは
睡眠して過ごした
ほうがいい。
神々と共に過ごせるので。
クリスマスもそうだろう。
睡眠して過ごすべき。 (2019年12月31日 22時49分15秒)

悟りは一つじゃない。   もうり さん
悟りは一つじゃない
んですね。
 
仏教にも
原始仏教の悟りがあれば
華厳の悟りがあり、
密教の悟りがあって
ヤハウェの悟り(啓示)
があるなら
キリストの啓示があり、
またまたアッラーの啓示も
あるわけですよね。

(2019年12月31日 23時00分45秒)

霊的思考と祈りの関係   もうり さん
霊的思考の
かたち、構築物が
内面に出来上がっている。
曼荼羅ー人智学的思考のこと。
あとはその形に
沿った祈りを唱えることに
意味があると思う。
前者が意密なら、
後者は口密であり、
同型のことをやることに
よって両者が結びつくだろうと。
だから光明真言で
いいっぽい。

身密は、
その五智如来に対応する
印をマスターし、
光明真言の順序に
従って展開すること。

こうして
在家の加持祈祷
となる。

さらに、曼荼羅絵画を
見ながらやることで
肉付けとする。 (2020年01月01日 06時49分05秒)

五智如来の印相   もうり さん
五智如来の
印相の話。

大円鏡智に
対応するのが
触智印。
光明真言では
マカボダラ。
触智印は肉体に
対応し、外界の束縛を
絶ったことによって
真に外界を大地としていることを
示す。

平等性智に対応し
光明真言では
マニに対応するのが
与願印。
全てから独立しつつ、
全てに与えることを示す。
これは生命に対応する。

妙観察智に対応し
光明真言ではハンドマなのが
定印。智慧の大地を示す。

そうして成所作智に
対応しアボキャに
対応する印相は
その智慧を人々に
生かすことを示す。
成所作智は
なすべきことをなすための
智でもあるので、
単に怖がらせないという
意味だけでなく、
その自我によって施与する
という意味もあるはずだ。

こうして大日如来、
ベイロウシャノウは
物質的な大地と
物質的な施与に、
智慧の大地と
智慧の施与を
まとめて智拳印として
表現する。

また、
ヌーソロジーは
よく物質から始めることを
批判するが、
本当は神から始まっては
いるものの、神はまず
種(肉体)を蒔くことから
始めるということを
理解していない。
最終的な存在(神)は
最初の存在(肉体)から
創造していくのである。

こうして、
曼荼羅的な思考構造に、
曼荼羅的な発話に、
曼荼羅的な身体動作に、
曼荼羅絵画という、
曼荼羅的な外界が
整った。

あとはこれらを
通じて毎日祈ることが
今年からの課題だ。 (2020年01月01日 08時19分22秒)

四密修行   もうり さん
三密は
もう古い。
これからは
四密。
それは
曼荼羅絵画という
肉体に、
曼荼羅動作という
生命に
曼荼羅理解という
心に、
光明真言を唱えるという
自我が
組み合わさって、
調和したとき、
結局は五密となる。
つまり、
修行自体が
一つの曼荼羅となる。
(2020年01月01日 08時33分29秒)

全面行為   もうり さん
そうして、
私が求めていたもの、
すなわち
全面行為=包括行為とは
この五密である。
ようやく、
それ一つで全てを意味する
行為とは何かがわかって
よかった。
これだけをやり続けよう。

そうすれば、
何もしないで
千年生きる人びとの人生を
この一つの人生に
圧縮することになるだろう。 (2020年01月01日 08時47分10秒)

五密=包括人生   もうり さん
すなわち、
この五密は
包括人生である。 (2020年01月01日 08時48分13秒)

武道のまとめ   もうり さん
武道、
肉体が気功で
生命が少林寺拳法(剛柔)で
心が八卦掌(円)で
自我がジークンドー
(世俗化(ストリートファイト))で
霊我が合気道(円(愛))で
生命霊がシステマ(仕組み(理))で
霊人が仙道だと
思うことにした。

武道、
これ状況の仕組みを
瞬時に理解して
適切に処置しないと
勝てないので、
単に技ができるだけじゃ
勝てない。
洞察力も必要。
体育会系でも
達人になりたいなら
相応しい賢さがないと
無理っぽい。
(2020年01月01日 16時41分00秒)

武道まとめの解説   もうり さん
なぜ私が
武道をこのように
まとめたのかの
解説。
まず、
なぜ肉体を気功としたのか。
気功の力で肉体を作り上げ、
気を操作できることが
武道の基本だと思ったからだ。
なぜ少林寺拳法を
生命だと思ったのか。
それは剛法や柔法とあるように、
「力」的なるものに意識が
向いているから。
なぜ八卦掌が
心だと思ったのか。
それは中心のある円の
イメージに意識が
向いているから。
なぜジークンドーが
自我だと思ったのか。
それは攻撃と防御という、
もっとも積極的なものに
直接に意識が向いており、
なおかつストリートファイトのためとして、意識が物質に
降りているから。
なぜ合気道が霊我だと
思ったのか。
それは中心性の愛という
形での高次の繰り返し
だからだ。
なぜシステマが
生命霊だと
思ったのか。
それは仕組みといった
「形成力」を意識しつつ、
合気道の後を通るようだから。
仙道については
言うまでもなかろう。 (2020年01月01日 16時57分41秒)

幅化の良さ   もうり さん
単純に
平面的に考えることは
良い。
物事を複雑に
厚みをもって考えると
そこにばかり
エネルギーがとられて
実践が疎かになるだろう。

ヌーソロジーの
空間思考をよく眺めてみると、
それには確かに空間自体を
ありのままに捉えている、
奥行きのある思考ではあると
思うけど、
ヌーソロジー自体が
生活を全く語らないものと
なっているのがよい証拠だ。

単純な真理に基づく
簡明で明確な行為、
これが人間を楽にする。

思考も行為も
なるべく簡素なものが
よいのだよ。
そうしなければ
バランスがとれない。

そうして、
私はようやく、
奥行き的な思考とは
何かが判明したので、
これまでの考察を
簡明かつ奥行きのある
イメージに変換することが
可能となる地平が開けた。

今までの幅思考とは
私流に言わせてもらえれば
文字記号的な抽象的空間思考であり、奥行きのある思考とは
それに肉付けするものである。

このようにして、
ヌーソロジーの方法が
空間の識別にあるのに
加えて思考する際は
その奥行きのある空間丸ごと
イメージするということが
わかった。

ただ、
半田さん自体は、
その幅思考を
「名」、奥行き思考を「身体」
のように考えることは
できないんだろうなと思う。
なぜなら、
新しい思考方法に
導く必要があるので。

そういうわけで、
おそらくこれまでの
物理学なども全て、
身体性のない思考として、
生きている世界を
死んでいるように認識している
という批判及び、
そのような認識方法による
人間への悪影響を懸念するという
流れなのかもと考えた。


(2020年01月01日 18時48分07秒)

幅思考とは   もうり さん
幅思考とは
何かというと
例えば
エーテル体を
「回転」を特徴とするものとして
形のある抽象的イメージ思考、
平面的思考。

カルマを考える際も、
宇宙という平面に
自分という平面の
交互作用のような考え方
だったのが、
奥行きのあるように
考えると、
自分が宇宙環境の
周辺に活動によってダイヴ
することでカルマの
種が蒔かれて、
やがて自分に迫ってくる!
のように、
とてもリアルな思考になる、
というのが
半田さんの言う奥行き思考だと
考える。

これ、
面白い。
カルマイメージに
感情が伴ってきた。
カルマがどこかに蠢いていて
迫りつつあるかのように、
ふくよかに考えることで、
思考を感情と結びつけることが
できる。

空間識別及び奥行き思考、
ヌーソロジーの理解が
進んでよかった。

これまでの
名前思考曼荼羅に、
肉付けする必要が
出てきた。
(2020年01月01日 18時59分08秒)

思考には自他の区別がない   もうり さん
自他の区別が
思考にはないこと。
すなわち、
思考は個体を越えている。
つまり、
思考は宇宙的なものであり
自然(対象)さえも
身体として持つのでは
ないだろうか。

それぞれの人間が
考えることは、
宇宙が逐一考えていくこと
であると。
宇宙が
それぞれの人間の中で
考えているのである。
そしてそれぞれの
人間の思考は
自他の区別なく
全てを身体とする。
あるいは、
もっと明確に考えると
分類されているのかも
しれない。
(2020年01月01日 20時00分32秒)

ダメだ!   もうり さん
今日、
五密ができたけど、
明日できる気がしない。
考えるだけで
満足してる。

もう何もしたくない。
怠惰の悪徳へ
まっしぐら。
考えたことを
実行できるためには
考えも行為も
両者とも愛せて
いなければ不可能だ。

しかし、考えるのも
疲れてきた。
なんだか頭に元気が
とられているような感覚。

休もう。

ヌーソロジーは
空間を区別し、
奥行きをもって考えるが
それは宇宙空間にも
適用される。

私は書き込みも
やめたいが、なぜか
止めれない。 (2020年01月01日 22時58分28秒)

宗教空間   もうり さん
存在と
世界は無価値だと
言う人は仏教を
学びなさい。

物質的な富に
価値を見いだす人は
ユダヤ教を学びなさい。

天上の富に価値を
見いだす人は
キリスト教を学びなさい。

天上の富にも
地上の富にも
価値を見いだす人は
イスラム教を学びなさい。

天上の富にも
地上の富にも価値を
見いだすが、
それらに縛られたく
ない人は
新しい道を
探すことになる。 (2020年01月02日 00時25分18秒)

中にこだわらない   もうり さん
おそらく、
全ては砂のように無価値という
仏教の偏りにも
物質的な富への偏りにも
天上の富への偏りにも、
かといって
天上と地上の富の
中に拘ることもない、
つまり
天上の富と地上の富とが
あって、その中とがあって
また天上の富に対する無価値感と 地上の富に対する無価値感と
その中とがあって
中に囚われることなく
必要に応じてユダヤ教や
キリスト教に偏れるという、
さらにメタな宗教がありうるんじゃないか。 (2020年01月02日 00時55分23秒)

宗教三層構造   もうり さん
すなわち、
ユダヤ教からは
タルムード等も利用して
経済に役立つ教えを
読み取り、
イスラム教からは
ハディース等も利用して
法や政治に役立つ教えを
読み取り、
キリスト教からは
トマスアクィナス等も
利用して精神に役立つ教えを
読み取るという
三層構造。 (2020年01月02日 01時00分41秒)

自分のまま   もうり さん
陰キャ陽キャ、
オタク非オタクとかで
争うことから
降りる。
同じ類の人間どうしで
仲良くなることよりも
異なるものどうし、
理解しあうのが
難しいものどうしが
協同することのほうが
美しいとなぜわからん? (2020年01月02日 08時28分34秒)

大人なので   もうり さん
もういい歳してるので
いちいち
オタクとか
非オタクとか
陰キャとか
陽キャとかで
悩まない。

(2020年01月02日 08時37分55秒)

競技スポーツはつまらん   もうり さん
競技スポーツは
つまらん問題。
陸上とか、テレビに
出る系のスポーツは
つまらん問題がある。
八卦掌とか、
その動作に思想が
あるものは見ていて楽しいが
競技スポーツじゃないので
テレビに映らないが、
これこそが真に見ていて楽しい。

例えば、他には
合気剣道とか。
(2020年01月02日 12時16分47秒)

五欲曼荼羅   もうり さん
五欲曼荼羅
食欲ー肉体
財欲ー生命(関係性)
性欲ー心(自他の一致)
名誉欲ー自我
睡眠欲ー霊我(欲望における霊志向) (2020年01月02日 17時36分18秒)

三毒の見破り   もうり さん
無知は
五智如来によって
見破り、
貪欲は
先ほどの
五欲曼荼羅で
見破り、
シンニは
怒りー霊我
憎しみー自我
嫉妬ー心
軽蔑ー生命
不安ー肉体として
見破られた。 (2020年01月02日 20時22分04秒)

マスコミのフェイクニュース   もうり さん
メンタリストダイゴ
さんが言ってたけど
マスコミも
嘘を付くと。
経験に裏打ちされてると
思うのでこれは信用できる。
ああ、
じゃあトランプ大統領の
マスコミの記事等に
対する、
あれこそフェイクニュースだ!
みたいなのも
必然的流れだと思います。

こうして、
そもそもマスコミ自体の
権威が失墜し、
アカデミアの権威も
失墜し、
政治家の権威も
失墜し、
聖職者の権威も
ペドフィリアで失墜し、
今年の教師による教師への
いじめで教師の権威も
失墜し、
自衛隊や警察は既に内部の
いじめ問題で権威は失墜し、

そのような
大枠というか
看板なんて、何もあてに
ならんということが
明白になった時代なんだなあと
思います。

広告の仕事、
虚無っぽいな。 (2020年01月02日 23時49分40秒)

寝まくり   もうり さん
もう思想生活
やり遂げたし、
やることないので
ひたすら寝てる。

隠者としての
生は終わった。

なんもしたくない。

(2020年01月03日 13時01分48秒)

生命霊の詳細   もうり さん
生命霊も
霊我も
地水風火の調和なのは
間違いないが、
調和の組み合わせが
違う。
霊我は
地が風に、
水が火に対立するように
配置されるが
生命霊の場合は
地が水に、
風が火に対立するように
配置される。 (2020年01月03日 14時52分48秒)

次のムーンノード   もうり さん
次のムーンノードで
力を得ることが
できたら、
たぶん五密をやる。
全てを
包括する実践だから。
隠者として、
まだやるべきことは
残っていた。

今は何もやる気ない。

全てを包括する理論に、
全てを包括する実践を
すること、
これが自分の理想
だからね。

狭い田舎に
いながらにして、
また人脈がないながらにして
全てを掴む方法が
あるってことだよ。
「凝縮された宇宙」 (2020年01月03日 15時27分00秒)

骨格と肉付け   もうり さん
真言と印相は
骨格と肉付けの
関係にあり
曼荼羅理解と
曼荼羅絵画も
骨格と肉付けの
関係にある。
後者はさらに
身体の意味を持ち、
前者は心の意味を持つ。
二つがあわさって
一つの仏への加持祈祷となる。
全面的行い。
全てを選ぶような行い。

悟ってない単なる修行者に
とってこれ以上最高の
行いはないであろう。

(2020年01月03日 15時49分17秒)

自我曼荼羅   もうり さん
色ー肉体ー大円鏡智ー外界
受ー生命ー平等性智ー感覚
想ー心ー妙観察智ー感情
行ー自我ー成所作智ー意志
識ー霊我ー法界体性智ー思考


自我曼荼羅
言い換えると
憂鬱質ー肉体
粘液質ー生命
多血質ー心
胆汁質ー自我
総合質ー霊我
さらに自我曼荼羅を
観てみると
ホメロスー肉体
アイスキュロスー生命
ダンテー心
シェークスピアー自我
ゲーテー霊我
ノヴァーリスー生命霊
ワーグナーー霊人 (2020年01月03日 16時09分07秒)

五感曼荼羅   もうり さん
色と五感は
肉体ー触ー身ー大円鏡智
生命ー味ー舌ー平等性智
心ー臭ー鼻ー妙観察智
自我ー音ー耳ー成所作智
霊我ー光ー目ー法界体性智

色と五感は
このようであり、
想にあたるのは
五欲、すなわち
食欲ー肉体ー大円鏡智
財欲ー生命ー平等性智
性欲ー心ー妙観察智
名誉欲ー自我ー成所作智
睡眠欲ー霊我ー法界体性智であり

行にあたるのは
不安ー肉体ー大円鏡智
軽蔑ー生命ー平等性智
嫉妬ー心ー妙観察智
憎悪ー自我ー成所作智
怒りー霊我ー法界体性智であり、
識にあたるのが、
つまりこれら、
五智如来である。

そうして、
これら色受想行色自体が、
また五智の曼荼羅を作る。 
触味臭音光が大円鏡智
身舌鼻耳目が平等性智
食欲財欲性欲名誉欲睡眠欲が
妙観察智
不安軽蔑嫉妬憎悪怒りが
成所作智、
そんで識にあたる
五智如来自体が
法界体性智。

(2020年01月03日 16時53分29秒)

六処、三業   もうり さん
六処の場合は
身ー肉体ー大円鏡智
舌ー生命ー平等性智
鼻ー心ー妙観察智
耳ー自我ー成所作智
目ー霊我ー垂直的な四智
意ー生命霊ー円的な四智

三業は
理論と経験、
発話と行いとして
四業に変換でき、
経験ー肉体ー大円鏡智
行いー生命ー平等性智
理論ー心ー妙観察智
発話ー自我ー成所作智となる。

生老病死は、
生ー肉体ー大円鏡智
老ー生命ー平等性智
病ー心ー妙観察智
死ー自我ー成所作智であり、
この四苦が霊我に
あたり、
さらに生命霊にあたる
四苦の場合は
愛する人から
離れる苦しみが
肉体ー大円鏡智
嫌いな人に会う苦しみが
生命ー平等性智
望む物事が手に入らない
ことが心ー妙観察智
心身を思いとうりに
できないことが
自我ー成所作智にあたり、
この霊我と生命霊を合わせた
霊人が、すなわち
一切皆苦ー金胎不二と呼ばれる。
なるほど、
うまくできてる。
こうして、
おそらく、
八正道も金胎二つの道として
表現しうるであろう。
正見ー自我
正思惟ー心
正語ー生命
正行ー肉体
ここまでが
霊我、すなわち
金剛界
正命ー肉体
正精進ー生命
正念ー心
正定ー自我
ここまでが
生命霊、
すなわち
胎蔵界。
八正道全体が
金胎不二の霊人にあたる。 (2020年01月03日 17時34分49秒)

金剛十二縁起説   もうり さん
この世界は
堅固に実在している。
金剛十二縁起説に
辿り着けるかもしれない。
地水風火光があり
物味香音光があり
触覚味覚嗅覚聴覚視覚心があり
身舌鼻耳目心があり
色受想行識がある。
そうして
五欲が生じて
食欲財欲性欲名誉欲睡眠欲となり
不安軽蔑嫉妬憎悪怒りとなり
それらは経験であり、
経験行い理論発話となり
生老病死、
愛する人物事に会えない苦しみ、
嫌いな人物事に会う苦しみ、
物事が手に入らない苦しみ、
心身が思いとうりに
いかない苦しみ、
一切皆苦となる。
ここまでにおいて、
識に至り、智慧に
至ることが五欲や怒りや
苦しみに妨害されるので
そうして死んで、
再び生を繰り返す。

(2020年01月03日 18時16分21秒)

原始スープの作り方   もうり さん
原始スープの作り方。
お湯を温める→塩を入れる。
以上。
これぞ
純粋なスープ
(2020年01月03日 19時45分56秒)

傲慢の善用   もうり さん
傲慢も
善用できる。
我は神であると
傲慢になることにより、
神であるから、
善行するという考えと
実行に致ならば
その傲慢は善用されている。
(2020年01月03日 20時08分58秒)

苦しみの中を生きる人たち   もうり さん
自由恋愛とか
モノポリーとか
やってる、
ヤリマ ンや
ヤリチ ンを哀れむ。
朝三暮四って言葉があるけど、
彼ら、姦 淫で
負のカルマ積んでるんで
来世で去勢されたり、
畜生のような人間たちばかりが
周囲にいる環境に生まれて
苦しむことになりそうだな。 
 
そして
今の世の中が荒野だからって
荒んだ心をもって、
荒んだ行いをする人々も
哀れむ。
そういう人々は結局、
来世でもまた荒んだ人生を
歩むことになりそうなんで。
今、善に転換しないと
長い目で見た平安はない。

まあ私はカルマを
信じるのでこういう見解に
なりますわな。
人々は信じることを
鵜呑みにする、楽なことの
ように勘違いしているけど、
そのように否定的見解を
抱いている時点で、カルマを
疑いなく事実だと信じれる
人間は限られてくることが
わかるだろう。

信じることは
簡単じゃない。

ましてや、
正しいが、
現代科学では明らかに
されていないことを
信じることは
天性が必要だろう。 (2020年01月03日 20時51分42秒)

なぜ去勢されるのか   もうり さん
なぜヤリチ ンや
ヤリマ ンが、
来世で去勢されたり、
子 宮不全になるのか
と信じられるのかというと、
次のキリストの言葉による
カルマの法則の応用である。
満腹した人は不幸である。
飢えるようになるからである。
飢えた人は幸福である。
満腹するようになるからである。
このようなことが
福音書に書かれている箇所がある。

さて、これを性に
あてはめてみると、
ヤリチ ンは不幸である、
来世では去勢される。
(なぜなら過剰に性に
関わったのだから、
来世では過剰に性的事柄から
退却することになるわけ)

こうして、
宗教の哲理から、
ヤリチ ンやヤリマ ンは
苦しみであると証した。

そうして果ては
その過剰に性的本能に
忠実なヤリチ ンや
ヤリマ ンは
性的に混乱して
いつかの来世において
オカマ等になるわけであるなあ。

このことは
仏典の尼僧の告白で
語られたことの背景を
考察したものである。 (2020年01月03日 21時02分42秒)

環境と自分   もうり さん
性的事柄に
過剰に関わってきた
人々は
性的事柄から
過剰に撤退する事に
なるので去勢等や
オカマになる等になる。

同様にして、
社会に対して
荒んだことをやってきた
人々は来世において
自分の平穏が奪われる。

だから、
結局、
どんなに周囲の者どもが
殴ってこようが、
その殴ってくる人たちが
いるという環境を根絶したいなら、
殴り返さずに
またどんなに周りが
荒んでいようとも
善に励むことである。 (2020年01月03日 21時15分35秒)

普遍的な得   もうり さん
利他は普遍的な
利得となるものだ。
というと、人々は
宗教者も結局は自分のために
利他行をするのだと
思う人間もおろう。
しかし、それは否である。
自分のためかつ相手のためにも
なるから、利他をするのであり、
つまりこれは神のために
利他をすると考えるのが
一番正しいだろう。

なぜならば、
自分と相手は
つながっておるので
自分だけが幸せに
なることはできないからだ。
それゆえ、
自分とか他人とか動物のためとか
考えずに、
一番正しい目的は「神」である。

神のために施し、
神のために享受する、
これがもっともな目的だ。

(2020年01月04日 06時54分33秒)

問題の根本的解決   もうり さん
宗教は
問題の根本的解決を
可能とする。
例えば
どのように生きれば
どのような家庭に
生まれるか、
どのように生きれば
どのような容姿になるかなどを
参考にすることで、
一つの人生では変えようのない
問題や悩みを解決可能とする。
それが宗教である。 (2020年01月04日 12時58分21秒)

種々の悟り   もうり さん
大乗宗教からすると、
悟りや啓示にも
いろいろあり、
救いの形も
いろいろあるので、
誰もが従うべき
唯一の宗教原則などないとなる。
それぞれにあった道を
見つけ出せればそれで
いいだけであって、
我が意、我が考えが
唯一の解であるとは
考えない。
さらにメタに考えると、
弱い人はこのような相対化に
耐えられないだろうから、
聖書があるいは
仏教の悟りや禅が絶対だとか
勝手に思わせておけばいい。
それが争いの種にも
なるわけであるが。

例えば相対的に考えるならば、
信仰が必要な人も
いるのであって
そうではなくて
事実が必要な人も
いるというだけであり、
どちらもこの世には
必要だということだ。
銘々、己の信じる道を
行けばいい。
自分が好きに生きたいのなら
他人が好きに生きることも
認める必要がある。
(2020年01月04日 14時27分02秒)

愚弄する人々   もうり さん
いろいろな
生き方があっていいし
そのほうが豊かなのに、
事実を重んじる生き方を
する人々が
信仰者を軽蔑したり、
または信仰者が
事実を重んじる人々を
軽蔑するということは、
その軽蔑者の内心には
自分の見解が絶対であるという
支配欲があると思われても
仕方ない。

しかしまあ
牧師の説教が自分の考察より
なんら面白くもなんともない
ので礼拝行く意味は
あまりないのであるが。

私は人執がないので
人間関係の焼畑しまくっている。 (2020年01月04日 14時38分14秒)

在家の救い   もうり さん
今や、
在家にも
救いの道は
開かれており、
各種労働、職業でも
救いに達することは
できようかと思うが、
在家こそ、一体何をもって
救いとするのかは
わからぬことではある。
例えばその中の一つはおそらく、
「家庭と職場」といった
両面性とかであり、
エーテル体を門とする
救いではないかなと思う。 (2020年01月04日 14時52分59秒)

法執の道   もうり さん
法執が強い人々にも
道があり、
様々なことを学んで
「自由な思考能力」が
得られるってことである。
これに対して
何も考えないようにする
道は、
それがかえって
何も考えないとは
正反対の道を道だと
思えなくなる。
なぜなら、
あっちもこっちも
道であるとしたら
迷うから、
切断処理したくなるのだろう。

まあ私は
考える道は
いけるところまで
行ったので、
五密と生活と法執を
断つための坐禅という
今までとは正反対の
道にも歩んでいってもよいと
納得できているが。

思索の道を高めたら、
最終的に思想を捨てること。
これもやらないといけないこと。 (2020年01月04日 15時17分48秒)

上京しないという知恵   もうり さん
上京しない、
都会で暮らさない
というのも知恵である。
なぜならば、
最低なものが
最高のものになるからである。
シュタイナーの
人間進化論からすると
アジアから始まるので、
最終的には
アジアが最も高くなる。

それと同様にして
田舎も最終的には
最も高くなるというわけだ。

だから田舎で
暮らすのが宇宙の輪廻転生規模
で見た場合の知恵である。
ヴルカヌス星進化期において、
田舎で暮らしたことが
生きてくるはずだ。 (2020年01月04日 16時16分11秒)

各種小乗宗教   もうり さん
各種小乗宗教がある。
聖書絶対主義、
クルアーン絶対主義、
原始仏教絶対主義、
坐禅絶対主義,
仏教密教絶対主義、
天台法華絶対主義、
チベット仏教絶対主義等、
自分から見れば
各種宗教は全て「小乗宗教」に
過ぎない。
あらゆる宗教や
在家の職業生活や
職人生活、夫婦生活、
ヤンキーにすら
救いの手を見いだす、
真の大乗宗教が
あってもいいはずだ、
というアイデアを生み出す。
それはまた
ヒンドゥー教のような
ものでもなく、
五相成身観に基づいて全てを
一体的なヒエラルキーと
しつつ、円のようにも
すべきだと思う。 (2020年01月04日 17時03分35秒)

動物を救う宗教   もうり さん
そうして、
私の大乗宗教の
構想は
いつか天才によって
動物を救う宗教にも
植物を救う宗教にも
鉱物を救う宗教にも
なるようなもので
なくてはならない。

人間が全体としての
生きる目的は
動物や植物、鉱物のために
なるべきだと思う。 (2020年01月04日 17時13分54秒)

基本的人権の限界   もうり さん
社会に詳しくないんすけど
「基本的人権の
尊重」って
日々守れるように
動き続けて、
時には既得権益層の
圧力とかも
破壊するほどまで
努め励まないと
守れないのではと
思われる。

最近、
リアリズムの方向に
舵がちょっとぶれたかも。
北欧とかも基本的人権とかいって
自国民しか優遇しないらしいし。
人権とは一種の国民への
利得であり、
その保護処置は無限に湧き上がって
くるものではない。
だから万人に平等に
人権が守られるというよりも
強者に自由を与える代わりに
義務をそれだけ増やす、
公平なるイスラム式人権観の
ほうがまだマシではと思われるが、
あるいは博愛平等自由の理念が
正しいのだとしても、
まるで今の体制構造が絶対に
正しいかのような思い違いを
しており、人々が不断の努力を
怠っていることが悪いのかも
しれない。

社会は完全ではありえないので
常に進歩し続けないといけない。
それゆえ社会構造は
水のように柔軟であるべき
なのでは。
なんか、
根本的に、
体制思想が停滞してないか、
感がある。
いや、幾らかテクノロジーで
飾ろうとも、
体制構造が常に進化し続けない
限り、人権保護の完遂からは
遠いのではなかろうか。

例えば、社会三層構造から
したら
そもそも政治領域が
自らの権力を手放し、
単なる一部分になる必要がある。
しかし既得権益の塊であるから
まず無理だろう。
ここに根本的停滞がある。

そうして、
経済も、不断の努力の
果てには肉食の放棄、
必要以上の蓄財の放棄による
自分が持つのではなく
社会が循環的に余剰を持つように
させる必要があると
思うがこれらも
そもそも人々の貪欲な心に
よって今は不可能であろう。

そもそも不断の努力を
システム構築だけでなく
自らを煩悩からの解脱へと
努め励まないと
理想が実現することなど
到底無理であり、
つまり、
大衆たちも
政治家たちも、
みんな怠けている。

この社会が苦しい理由の
一つはあなたたちや私たちが
煩悩から解脱していないし、
解脱へと努め励まないこと
も含むのですよ。 (2020年01月04日 20時49分30秒)

新たな目標   もうり さん
新たな目標が
できた。
それは芸術というか
文学。

今までは
御名を求めてきたけど
これからは
御国(ブッディ)
ということで。
ブッディというか
生命霊は芸術をやると
発達するそうなんで。

今までは抽象の世界で、
これからは具体的な
言葉や人物の世界に降りていく。
具体的な存在の
活動する領域へと入る。

取りあえず聖書から
始める。 (2020年01月04日 22時28分19秒)

見るものの意識   もうり さん
見るものの意識は、
見る時点で、
特定の何かを見るわけだから、
意識はミクロへと向かい、
マクロは後ろにあるのは
当然だ。

また、心の客観的な世界が
物質として現れるのだから、
肉体次元においても
その肉体の源泉となる
中間物、すなわち地球が
出現するのはわかる。
地球が太陽となり、
太陽はゾディアックとなり、
ゾディアックは銀河となるだろう。
つまり、はるかな未来では
宇宙はもっと光で満ちる。
銀河が増えるので。

しかし、
たぶん半田さんは、
空間と時間も
モノであることに
気づいていない。
空間は光エーテルからでき、
時間は音エーテルからできる。
物質は生命エーテルからできる。
空間とは、光のような
透明なモノである。
時間とは音楽に終わりと
メロディーの上下が
あるように、植物にも
花が咲く時期と死ぬ時期が
あるのである。
死ぬことは確実であり、
これが時間の実在の
証明だろう。 (2020年01月05日 10時49分25秒)

エーテルの話   もうり さん
光エーテルは
全方位に放射する
散逸的形式であり
空間を生み出し、
音エーテルは
関係付けて調和させる
形式でありこれも
全方位に広がるが、
同時に空間どうしを
関係付けて時間を生み出す。

生命エーテルは、
光の散逸構造から
音の調和構造に至り、
最終的に「器官」を
生み出すエーテルである。 (2020年01月05日 10時53分23秒)

自分の世界   もうり さん
何でも取り込む、
それで全てが
揃って世界が
生まれる。
例えば音楽。
オタクが老化したら
同じアニソンしか
聞かないと言われる。
類型的かつ存在論的に
音楽世界を作ればいいだけで
本当に細かく全ての曲を
聞く必要はないのではということ。

(2020年01月05日 22時01分25秒)

芸術について   もうり さん
芸術については
何をもって終わりと
なるのかわからない。

思想は終わって
宗教もキリストとの
結婚を果たした。
では芸術は何を
もって終わりと言えるのか…?
それは心に「熱」が
生じた場合かもしれない。
それを旧約聖書で試してみる。

土が打楽器
水が弦楽器
風が木管楽器
火が金管楽器 (2020年01月05日 22時14分29秒)

宗教も終わってた。   もうり さん
宗教領域も、
私の場合は
キリストとの結婚
及び
乳と蜜の流れる国
(火と聖霊による洗礼)
まで行って
今世はこれで満足した。
仏教やってる人には
理解できないだろうけど、
信仰によってしか
至れない道もある。

思想も宗教も
もう満足なんで、
芸術ってことだけど
それは旧約聖書を
詩的に読む行をやることに
よって終えたいと思う。 (2020年01月05日 22時57分04秒)

思考の自由   もうり さん
やっぱり旧約聖書ではなくて
他の文学も
いろいろ経験しまくって
思考の可能世界的自由を
目指してみようと
思う。 (2020年01月05日 23時07分59秒)

七惑星的世界観   もうり さん
ゾディアックと
七惑星的世界観に
地球と月と太陽に
地球の
世界観ですが、
ゾディアック自体は
おおまかに
唯霊論観念論実在論唯物論として
一体と観ると三つの見方、
すなわち有神論、直観主義、
自然主義となり、
それらは最後には擬人観となるとしたが、
七惑星がどこに関わるのかというと、ゾディアックの各種世界観に
関わり、各々一つ一つの世界観自体が、七層一体の大日如来になるのだ
という
ことだろう。 (2020年01月06日 00時03分43秒)

ファンタジーの道   もうり さん
可能世界的思考の
自由の道、
結局指輪物語とか
ホビットの冒険とか、
メジャーなものから
積み重ねていって、
またアニメやゲームも
積み重ねていって、
可能世界を追求した
諸巨人の肩に乗ってやっていく
ほうが早そう。

なぜならそれらも
確かに可能世界の
一部なのであるからだ。

私がやってきた
思考は建築的彫刻的思考であり、
広義の数学や自然科学と
同様の領域だ。
その学問的法則の下で
自由に考えるというのが
今までのやり方だった。

それに対して、
詩やファンタジーは
音楽的詩的思考だろう。

そうして、
そのファンタジー世界を
建築的思考によって
把握して
どうにか
ファンタジー世界を
自由に創出するための
エンジンを作れないかと
夢見る。
つまり、
ファンタジー世界の
創造方法自体の
原理を見いだすわけだ。
それにより、
建築的思考という
周辺的なものに
内部を与えることが
できるだろう。

ヌーソロジーも
ある意味、
建築的な思考、
つまり学問なので、
周辺的なものに過ぎない。

ノヴァーリスを尊敬する。 (2020年01月06日 00時48分04秒)

メルヒェン   もうり さん
すなわち、
学問が城ならば
ポエジーは王であり、
学問が王ならば、
ポエジーは王女なのだ。
ポエジーは思考における
家庭であり
学問は思考における
労働である。

奥行き的思考で
考えてみよう。
我々は家を基地として、
様々な場所へ外出しても
家に戻る。
家庭で必要なものを
買い出しに行くときは
必ず労働者と面会することに
なる。

すなわち、
ポエジー(家庭)
は城壁(学問)で
取り囲まれた、
自由な場所なのだ。
(2020年01月06日 01時04分51秒)

人生の智慧   もうり さん
私は食事を好むというか
食欲がストレスの捌け口に
なっている。

そんで
私は怒らないことで
人に好かれるが
食に貪欲なことで
人から嫌われる。
貪欲に関しては
食欲以外は強くないのに、
食欲だけでも嫌われる要素となる。

貪欲であっても
怒り憎しみが強くても
共同体の中で共に暮らせなく
なるようだ。

これが真理だとして
応用延長させるなら、
金をひとり少数だけで
儲け過ぎても、
より広い意味での
共同体が崩れゆくようになると
思われる。

私は五欲に関しては
食欲のみが欠点なのだけど
それだけでも
家族から嫌われる要因に
なっている。
家族は視野が狭いので
一時が万事のように
怒り散らすが。

家族は
視野が狭く
頭が固く、
妙観察や
反転思考もできず
智慧に劣る面があるので
生活が全てだと
思ってるから、
私の様々な考察も
無価値としか思えないので、
私をろくでなしとしか
判断できない。

(2020年01月06日 11時33分06秒)

わしが悪い   もうり さん
結局は
食事貪欲が
治せない自分が
悪い。
自分は
自分の欠点を認識できる。
だが、
どうしても
治せない。

あと生活や労働も
天上的な事柄にしか
関心がないせいで
真面目にとりくめない。

自分にはこのような
罪がある。
中道ではないのだ。
天上のことと
地上のこととの関心のバランスが
中道ではなく
食欲も小欲知足ができない
中道ではない。

中道を守れないとは
罪あるいは苦しみだ。
他人軸になってしまう
面があるけど、
食に関して貪欲であってさえも、
人々から憎まれ、
人々から憎まれるということは
喜ばしくない言葉を聞くはめに
なったり離縁したいと
思われたりする。
私には怒りがうすい面が
あってよかった。それで
逆ギレを起こしてたら、
余計苦しみの輪廻の中だっただろう。

家族がいるおかげで
貪欲の縁起を実体験する
機会に恵まれたのは
よかったけど
その原因を変えることが
できないから困る。

だから、
私は他人の罪も
許していかないといけない。

神様、
私は罪深い人間です。 (2020年01月06日 11時49分27秒)

人間の基本   もうり さん
人間の基本は
全ての因縁から
解脱して
何事にもコミットメント
しないこと。
それが例えば
何事にも怒らないこととなる。
これが人間の基本であり、
そこから、
智慧に基づいて
どんな人間に対しても
怒るべき時に怒ることが
できるようにならなければ
友達や妻には甘い人間になるだろう。

友達や
妻にすら
理法に基づいて
怒るというか
抑制的な行いができる
ようになり、
敵にすら場合に
応じて優しくできるように
なるためには
全てから完全に
独立している必要がある。
それが天上天下唯我独尊
の実践的意味だと思う。

ほら、
例えば黒人奴隷は
悲しい事実ではあるが
旧約聖書の時代の
エジプト人、
つまり黒人は
ユダヤ人を奴隷にしてたよね。

このように
全てから独立した
傍観者になった上でないと
正しい判断はできなくなる。
傍観者になった上で、
コミットメントすることの
両立。 (2020年01月06日 12時04分25秒)

エリートの気持ち   もうり さん
エリートの気持ちも
わかるわな。
智慧薄き在家家族の人々の
頑固で狭い俗物的見解を
聞いてたら、
こちらとしても
離縁したくなる。

ただお互い様って
ことがわかるんだよ。 (2020年01月06日 12時31分58秒)

家族曼荼羅   もうり さん
だが、
私には智慧があるので
家族と愛しあうべきだという
ことがわかる。
私にはむしろ
家族の俗物性を身につける
ことが必要であり、
家族は私の天上的傾向を
身につける必要がある。
それゆえに
地上で愛しあい、
死んだ後、天上でそれを反映して
互いの本質を分かち合うこと、
家族曼荼羅を作ることによって、
互いにより高次の段階に
達するという道なわけでね。 (2020年01月06日 12時40分11秒)

サブカルーメルヒェン   もうり さん
アニメ漫画、
つまり私の中では
これも人間にとって
必要なものとして
「歴史」の中に加えられた。

現実的なるものは
全てアーリマン的であり、
ファンタジーはルシファー的なるものだと位置付ける。

ファンタジー哲学を
深めると現実から自由な
思考能力を身につけられる
だろうし、
それこそが全ファンタジーの
意味だと解釈する。

オタクに対する
気持ち悪いという感性の正体とは、
思うに、リアルなる
メインカルチャー的なもののみに
感性を依拠する人間にとっての
異物だからだと思う。
非現実的なものが
現実に出現していることの
奇妙さというか。

それで、
私はまず
アニメ漫画ラノベゲーム
に入る前に
ファンタジーを
やっていく。

グレンラガンは
わかりやすいファンタジーだ。
その世界の真理は「螺旋力」。
だからドリルだし
限界という自分の壁を
突破していく、「天元突破」
ということにもなる。

このようにして、
その世界の真理に
着目してファンタジー文学を
読んでいくこと。

例えばペルソナにとっての
真理とはユング心理学の実在性
であろう。
心の世界に高次の存在と
低次の存在が住み着いていて、
それが構成要素でもあるとは
神智学のエレメンタルに通じる。

つまるところ、
ペルソナとは
心の世界の実在性が
拡大解釈され、
物質化可能なものと
なった世界観。
人間の肉体とは別に、
人間の心や高次の
構成要素も肉体を
纏えるという、
神智学の原理の拡大解釈だ。

ファンタジー哲学の
一つの原理が
これで明らかとなった。
魔法が実在するファンタジーは
意志の支配権の「拡大」だし
このように、
現実的な世界の
特定の原理の支配圏を
拡大することが一つの
ファンタジーの原理であり、
例えばワンピースや
ドラゴンボール等の
ほとんどの超人的身体能力の
ファンタジーは
エーテル体の力の拡大解釈だと
思われる。

グレンラガンの
螺旋力に関しても、
それは私が考察した
ところの自我原則、
音楽原則を徹底的に
拡大してその世界の
真理にまでにしたということだと
思う。

例えばアークザラッドの
真理は精霊であるが、
これも神智学でも
精霊を認めるが、
さらにこの精霊が
世界の真理にまで高められつつ
物質化可能なものとして
拡大解釈されたのだと
考えられる。

私は、
こうしてファンタジー哲学を
これまでの経験によって
切り開いてしまった。
例えばこれを応用するならば、
私の思考が物質化して
人間形態や幻獣形態や
建築形態等をとるようになるという
世界観を作ることが可能となる。
この世界では、
学問を多方面によく
マスターしたものは
それだけで一国の主と
同等の軍事力や国力を
もった存在となれる。

こうして、
たった一人だけで
世界を生み出せるように
なった人間たちという
ファンタジーを
生み出せたので、
このファンタジー原理は
プラグマティックに
意味があるだろう。

後の問題としては
このファンタジー哲学が
リアル哲学における
家庭的存在であるということを
もっと明確に理解したいということ。

なんか、
これまでの蓄積の文脈
によって、
あっという間に
ファンタジーの
一つの真理に到達した
感があり、
もうこの分野も
終了になりそう。

例えばドラゴンボールの
世界の宇宙論からすれば
たぶんだけど、
様々な心理的エネルギーは
肉体的力へと変換可能なものとなっている。

怒ることで
スーパーサイヤ人になるなら
愛の力で戦う人々もいたし、
獣性で戦う人々もいるわけだ。
知力を物質的力にして
戦う奴らもいた。

このようにして
特にアニメゲームなんかは
リアルでは身体化不可能なものを
身体化するという拡張ないし、
様々な原則の内のどれかを
絶対的真理にまで拡張する、
という方法を取っているように
思われる。 (2020年01月06日 14時52分43秒)

ファンタジーのイメージ   もうり さん
ファンタジーの
イメージは
肉体生命心自我が
溶け合ってそれぞれが
天にも地上にも
顕現可能となっている
状態だな。
この全てが溶けた
溶液の中から
種々のファンタジー世界が
生み出される。
それは自我の力が
地上に溶けているので、
その力が受肉することが
可能だし、
あるいは肉体をもったままで
天国に行けるという設定も
可能となる。
このようにして、
世界の境目がなくなることが
ファンタジー原理のイメージ。
これが、
可能的自由思考の世界、
詩的音楽的自由思考の世界だ。

原理がわかってしまったので
ファンタジーも終了でいいな。

宗教は終了したし
思想も終了したし、
芸術ーファンタジーも
終了したし、
続いては
身体性の世界に
取り組むか。
(2020年01月06日 15時26分04秒)

かわいいは無価値   もうり さん
男が女に求める
かわいさや
女が男に求める
格好良さは、
性 処理時に
快感が増す程度の
意味しかないと
思えば無価値では。
そんなもののためにしか
ならないのに肉体が
男性や女性を引きつける
魅力を持つ人々、
大変そうだなあ。

やっぱり私は
性 愛向いてないな。
どうしても
人間を肉袋のように
感じてしまう。
性 愛にはリアリティが
ない。
表面上の営みにしか
思えない。

今童 貞だけど
一生童 貞でも構わない。
そんな、
肉袋の臭い股のために
争い苦しむのは
ちょっとねって感じだよ。

まあだからといって
私は別に
ミソジニーでも
ミグタウでも
反出生主義者でもないんですが、
性 愛への執着から
「ある程度」解脱した人間ですね。
キモイと言われてもいいし、
かっこいいと言われてもいい。
それらは別に性愛のための
言葉に過ぎないから
どうでもいいと。

(2020年01月06日 17時31分25秒)

自分の言葉で生きる   もうり さん
この時代における
高次の自己の
要請は
「我道を行け!」です。
しかしながら、
そうすると
高次の自己も
我道を行くので、
選ばれる人々と
そうでない人々とが
生じます。

私から言うならば
低学歴者とか関係なく
自分の言葉で生きれば
いい、ですね。


(2020年01月06日 21時27分24秒)

なぜ選民主義なのか   もうり さん
なぜ宗教が
選民主義なのかというと
各自の自由意志に
委ねられているから、
神を選ぶ人々は
選ばれるというだけですね。
神は自我の性質を
重んじ、
無理やり救うことは
しないのです。
それは大乗宗教とは
矛盾してなくて、
全員に救いの手が
差し伸べられているが、
その手に気づいて、
掴まないと意味がないということ。
行ですらない称名念仏も、
仏に念じるという方向性が
必要なわけですよ。 (2020年01月06日 21時37分50秒)

当然の帰結   もうり さん
精神性や
神を選ばないと
救われないのは
不自由と思う人々も
いるでしょうが、なぜかというと、
神のいるところは
天国なので、
神を選べばそりゃ救われるよね
ってことです。
(2020年01月06日 21時43分23秒)

性 愛の肯定   もうり さん
宮台真司さんの
話を読むと、
性 愛で
ダイヴ系になり、
その関係を深めていけば
両者が心理的に一体になるような
体験が可能と書いてあったので、
性 愛も大乗宗教の一部に
成りうるとその価値を
認めつつも、
それでも、
やはり私は性 愛には
こだわらない。

おそらく、
ナンパクラスタ、
恋愛工学者は
宮台真司先生の
境地には至れないと
思う。
なぜならば、
コントロール系だから。
ダイヴ系になることが
性愛における救いに
通じる。 

コントロール系は、
原始のリズムをピストン
運動するだけなようです。
面白いですね。
恋愛を、機械(工学)
にした人間の行く末は、
単なる快楽機械だとは。

しかし、
宮台真司先生も
ある意味邪道を行っていると
私は批判する。
なぜならば、
モノポリー的なところが
あるから。

たぶん、
宮台真司先生の
境地は実はまだ
深めることができたはずで、
ダイヴ系でありかつ、
自分が選んだたった一人の
人のみとの一体体験を深めて
いくことにこそ、
性愛における大乗宗教の
極地があるんじゃないかと
予感する。 (2020年01月06日 22時04分07秒)

モノポリーと恋愛工学   もうり さん
モノポリーの
行く末は
人間の性愛における
畜生化で
恋愛工学の
行く末は
人間の性愛における
快楽機械化。

つまり、
これらには救いはない。

宮台真司先生は
性愛における
救いの道を示して
くれたけど、
彼自身の恋愛自由主義的な
ところにより、
急遽の境地には
達してないんじゃないかと
思うな。

なぜ、
太古の哲学者たちは
人間であることに
こだわったのかというと、
その行く末、顛末が
人間的であるか
禽獣的であるか
機械的であるかで
大きく変わるから
かもと予感する。

宮台真司先生は
既にナンパクラスタを
補足してるので、
ナンパクラスタは
彼の性愛に関する本を
読んでみるといいです。 (2020年01月06日 22時11分05秒)

ファンタジーの総合   もうり さん
ファンタジー、
やっぱりもっと
具体的に理解したいな。

例えば
自我に対応するのが
グレンラガン、
心に対応するのが
アトラスのペルソナ
生命に対応するのが
ドラゴンボール
物質に対応するのが
アークザラッド。
精霊という自然力が
原理だから。
ここまでは説明は不要だろう。

霊我に対応するのが
ヴァルキリープロファイル。
これはヴァルキリー自体が
本来の意味は霊我のことだから。
生命霊に対応するのが
ワイルドアームズ2。
なぜならば、
ネタバレになるが、
この作品は、
原理が総合的でありつつ
選ばれた英雄を犠牲に
するのではなくて、
最悪の災厄に対して、
アガートラームを
通して全生命が向き合うから。
英雄が突出するのではなくて
言わば一つの絆の円になっているので。
そうして、
霊人に対応するのが
ゼノサーガであり、
これに登場する、
「テスタメント」が
霊的な肉体だと
思うんで。

まとめると、
物質が
精霊のアークザラッド。
生命が
気のドラゴンボール。
心が
もう一つの人格のペルソナ
自我が
螺旋力のグレンラガン。
霊我が
高次の心魂の
ヴァルキリープロファイル。
生命霊が
全ての生命との絆の
アガートラームの
ワイルドアームズ2
霊人が
テスタメントの
ゼノサーガ。

こんなところだな。
これが
私の世界の一形態だ。

ファンタジー世界は
無数に有りすぎるから
もっといろいろ
ありうると思う。 (2020年01月06日 23時42分30秒)

アニメの取り込み   もうり さん
こうして
アニメゲーム的なるものも
神智学的に
取り込んだ。

明日からは
体を鍛えようと
思う。

様々な言葉がある。
晴耕雨読、
文武両道、
心技体、
健全な肉体に
健全な精神が宿る、
意口身…神人、etcetc…。
これらは
全て、
人間の辿りうる道を
示している、
完全な人間になるための
方便であり、
性 愛も、
ダイヴ系となって
人格一体の境地に
なる体験を深めることで
男と女といった各々の
限界を超越しようとする
道の一種。

だから、
結婚してない人間は
ダメだというのも、
つまり性的超越が
できてないことによる
不完全さを指摘していると
考えるなら理解できるが、
何度も言うが、人の
辿りうる道は
性 愛だけではないということだ。

あと、
五密はやらん。
なぜならば、
その目的は入我我入だが、
私は既にキリストとそれが
できているので。

だから、
今度こそ、
生活と健康と身体に
気をつけるだけの日々を
送るかもな。

むしろ、
私の慎みがない部分は、
女性と性 愛を深めて
人格一体の境地になることで
変えれる可能性もあるけど
私には
性愛は無理だと思う。

一人の力で
性を超越する試み
のための方法を
考えていこう。
この道を開発したら
もはや非モテであっても
性的に超越可能な
道が開ける。
これこそが
恋愛至上主義に対する
代替案となる。
個人の力のみで
性的に超越する方法の
模索という課題をやる。 (2020年01月07日 00時41分36秒)

食の瞑想   もうり さん
食の瞑想として、
土水風の
三位一体をやろう。
固体を胃の三分の一、
液体を三分の一、
残りは空洞。
このイメージに
集中する瞑想をやる。 (2020年01月07日 01時31分31秒)

ロボットアニメの総合   もうり さん
ロボットアニメの
総合の試み
自我がグレンラガンとして
心はニュータイプが
出るガンダム。
生命はゲッターロボ。
物質はサイボーグの
勇者王ガオガイガー。
霊我はラーゼフォンだろう。
つまり、あの発声による攻撃を
真言だと解釈するなら。
生命霊は慈悲に対応し、
また涅槃にも対応するので、
エウレカとレントンの愛によって
「悟った」ニルヴァーシュの
いるエウレカセブンで,
愛ということではブレンパワードでもいいと思う。

そんで、
霊人は
機神がこないと
おかしいだろう。
よって機神咆哮デモンベイン。

霊人 デモンベイン
生命霊 エウレカセブン
霊我 ラーゼフォン 
自我 グレンラガン
心 ガンダム
生命 ゲッターロボ
物質 ガオガイガー。

これぞ真のオタク哲学

人間とみるなら
エヴァンゲリオンで
動物とみるなら
ダンクーガで
植物とみるのなら
これは謎で
物質とみるなら
ガンバスター (2020年01月07日 02時24分38秒)

RPGの総合   もうり さん
ロボットものと
RPGを一緒くたにして
しまっていた。
物質がアークザラッド
生命がレジェンドオブマナ
心がペルソナ
自我が「荒野の中で
叫ぶ声」かつ創造的な、
天地創造。
霊我がヴァルキリープロファイルで
生命霊がワイルドアームズ2で
霊人がゼノサーガ。

ロボットアニメと
RPGゲームの総合の
試みは終わった。
まあ無数に可能性はあるけど。
実際、天地創造と
ヴァルキリープロファイルの
間にはヴィーナスヴレイヴスが
来るんじゃないかと
思えるし。

アニメとゲームの
総合はやってみたので
続いては
漫画の総合をやってみたい。
ドラゴンボールなども
漫画に対応させることにする。

まず、
自我(人間的)は「個性」の
ヒーローアカデミアだろう。
そうして
心(動物的)は尾獣や
血統が重視された
NARUTO。
生命はドラゴンボール。
物質は銃夢。

霊人に来るのは
神が主人公で、
騎士という「肉体」に
変容し、その主人公の
力で自在に肉体の再生が
可能で膨大な歴史設定のある
ファイブスターストーリーズで
霊我は「念」のハンターハンター。
生命霊は不死の術があり、
肉体を自在に何にでも
変身させられるワンピース。

こうして
霊人 ファイブスターストーリーズ
生命霊 ワンピース
霊我 ハンターハンター
自我 ヒーローアカデミア
心 NARUTO
生命 ドラゴンボール
物質 銃夢
地獄 ヘルシング

という総合が
決まった。

答えはこれだけではない。
広いので
自分の見た世界しか語れない。

しかし、
今思えば、
もう十分見てきたのに、
これ以上見る必要があるのかとも
思う。 (2020年01月07日 03時13分54秒)

ラノベの総合   もうり さん
後はラノベの
総合がまだ
だった。
霊人がバッカーノかな。
なぜならば不死だし。
東方の元はラノベだとすると、
東方が一番相応しいと
思うけど。
生命霊は「慈悲深い」「王」の
アルスラーン戦記
霊我はfateかな。
聖霊的存在がセイバーとかだって
設定だし。
まあこれはラノベというより
物語ゲームだけど、
他に思いつかない。
自我は涼宮ハルヒかな。
強い自我を描いてる。
心はとあるシリーズだと
思う。科学(物質)と
魔法(霊)の媒介なので。
生命はユグドラシルのようなものが
ある十二国旗
物質は精霊の守人
地獄は吸血鬼ハンターd


ちなみに、
私は物語の面白さではなくて
世界設定から判断しています。

思うに、
文学は人格が
テーマだったとすると
サブカルになると、
人格プラス異能になってると
思います。
(2020年01月07日 04時13分53秒)

スポーツの創造論   もうり さん
オタク的なるものというか、
オタクたち、
同人作家たちの刺激にも
たぶんなるファンタジーの
理論を作ったので、
今度は
外向的な人々を刺激する
理論を作りたい。
それは宮台真司先生を
参考とする恋愛理論に、
武道の総合までは
やれたんだけど、
スポーツができてない。
例えば動作学も
その内の一つだろう。
まあこれは単に実践的な
アルゴリズムというだけなのだと
判明したが。

スポーツを自在に
生み出せるような、
スポーツの創造原理も
考えていきたいと
思う。

ファンタジーの原理とは
境目を消失させ、
内的なものが
外的な領域にも
出現し、外的なものが
内的なものに出現するという、
混沌と浸透の理論だった。
そこから、強調したいものを
切り取って新しい世界を
生み出すというものだった。
それは言わば、
出来上がった世界をかき混ぜる
ものだった。

では、
我々は、
如何なる気づきによって、
スポーツの創造原理にまで
達するのかとか、
スポーツについて
考えていくこととする。

スポーツ学を、
ネット検索でやる。

球技とか、謎過ぎでしょ。
なぜ球技を作ろうと
思ったのか。
平安時代には
蹴鞠があったが、
この球技も実は背景に
深い哲学的根拠があるのかとか
勘ぐる。
昔から球技があるなら、
それは十分ありうるはずだ。

なぜスポーツを
作り出してまで
やろうと思ったのか。
これは謎だ。 (2020年01月07日 05時17分41秒)

スポーツ類型論   もうり さん
動的なファンタジーとしての
スポーツ理論。

ファンタジーは
境目をなくし
内から外へ
外から内へと
融解させて、
そこから特定の原則を
取り出して真理にしたり、
物質化、能力化させる、
と言うものであった。
それは原則の支配権の
延長と呼べるようなものであるが
オタク的なるものにおいては
それはまだ客体であったが、
この延長の技法を身体に
適用して主体化をするのが
スポーツ理論であり、
こうして、
内向的なものと外向的なもの
との連続性を見いだした。
ヲタクとヤンキーは連続している。

そうして、
スポーツにおける
霊人の境地は、
私は高岡英夫さんの
「究極の身体」のことだと
思う。
この究極の身体を
モデルとして、
スポーツにおける分類方法を
新たに編み出すのは、
それは種々のスポーツ選手の
身体をよく観察して
それぞれから身体の作りの
傾向を見いだして、
文学では人格が存在論的に
分類され、サブカルでは
能力が分類されたが、
スポーツでは身体丸ごとの
存在論的な形象の差異を
神智学的直観に
基づいて
分類すべきだというアイデアである。 
スポーツ運動学の
新たなる地平は
人間の現象学的身体論であり、
身体丸ごとのゲーテ的観察で
あって個々の運動方法の
ゲーテ的観察をする
スポーツ運動学に対して、
さらにメタな位置にあるだろう。

これは本当に、
誰もやってないことかもしれない。
しかし、絶対に、可能なはずだ。
こうして、
身体哲学のアイデアを
生み出すことができただけで
私は満足する。

そうして、
このファンタジーの原則は
スポーツから社会へと
達した時、カオスなるものから
再びコスモスなるものへと
戻るように要請される。
今の社会状況は
むしろファンタジーで
できている。
つまり、政治と教育や精神と
経済の境目がなくなっており
ファンタジーをリアルでないと
馬鹿にする
労働者たちもおるだろうけど
実を言うとそのリアルが
ファンタジーになっちゃってるのに
気づいてしまった。

スポーツの創造においてと芸術は
ファンタジーは許されたし
推奨もされるが
芸術以前にある
医療と
スポーツ以後にある
社会においては
そのファンタジー原則は
許されないはずなのに、
今、社会はファンタジーの
夢の中に微睡んでいるせいで
みんなもっと苦しんでいる。

結局、
社会人の一部は
オタクを馬鹿にするが、
社会自体がオタクを
やってることに
ようやく気がついた。

まあ、
なんで私がこういうのか
というと、
シュタイナーの
社会三層構造論が
背景にあります。
政治の三権分立を
さらにメタにして
経済と政治と精神の
三権分立をするって
思想であり、
今はこれがオタクになっている。
結局、近代人はみんなオタクを
やっているということ。
大衆たちよ、
オタクを気持ちがるまえに
自分の中のオタクをまず
取り除きなさい。

こりゃ、
オタクを裁いて死んだ人々は
死後に神様に、
お前もオタクだろって
裁かれるパターンだわな。 (2020年01月07日 07時08分37秒)

アニメの総合2   もうり さん
アニメの総合として
さらに可能な選択

賢者の石や不死が
テーマだから
霊人は鋼の錬金術師
生命霊はアルスラーン戦記
霊我はfate
自我はヒロアカ
心は砂上の子らはクジラに歌う
生命は凄いよマサルさん
物質は宝石の国 (2020年01月07日 07時43分27秒)

訂正する   もうり さん
クジラの子らは
砂上に歌うだっけ?
アニメ化してるみたいだが

ちなみに
凄いよマサルさんの
部分は天上天下でもよし。
あるいは
突撃パッパラ隊でも
いいかもしれない。

このようにして、
総合することにも
意味があって、
豊さに気づくことが
できます。
それにより、
新しいことを
始めたくなる。

さあ、
一晩中語ってたけど
今日から身体性の
段階に行こう。 (2020年01月07日 08時05分00秒)

人生を楽しむ秘訣   もうり さん
人生が楽しい。
陰キャと呼ばれても
構わない。
我は陰キャ充なり。

人生を楽しむ秘訣は
自分の特性を成長させる
ことかもしれない。
私の場合、
それは独善的に一人で
思索に耽ることだ。
(2020年01月07日 08時53分07秒)

陰キャの長所   もうり さん
陰キャの
長所は、
特性を生かせば
おそらく自分の内部に
宝物ができることですね。
理論こそ宝。

陽キャは明るい光だけど
外向きなので外部にしか
価値を見いだせなくなる
恐れがある。

(2020年01月07日 09時02分27秒)

もう陰キャとか陽キャはいい   もうり さん
もう陰キャとか
陽キャとか
童貞とか
非童貞とか
学歴とか
彼女もちとか
コミュ症とかどうでもいいから、
ただ
人生を楽しんでる人か
楽しんでない人かで
分けたらいいんじゃないかね?

私はコミュ症を突き抜けて
気まずい雰囲気の中沈黙を貫くのを
楽しめるようになったし、
アニメ鑑賞等オタク活動
も楽しめるし
陰キャであることも
楽しい。
学歴も苦じゃないし
恋愛経験がなく
童貞であることも
苦じゃないし
家族以外の
人間関係からフリー
なことを楽しんでいる。
田舎に住んでることも
楽しい。

陰キャ極まってきた。



(2020年01月07日 09時20分09秒)

東京住み   もうり さん
そもそも、
総理大臣じゃないんだから、
国際政治の最新情報を
誰よりも先に知るみたいな必要が
ないんですよ。
それに、情弱であることも
怖くないしな。
情弱であることが怖くないなら
そもそも都会に住む必要性が
減りますよね。

強さを目指すのは
いいが、
その裏返しとして
自分の弱さを一番
恐れるのは強さなのか
問題がありますね。

情弱でもよく、
情強でもよい、
ならば都会に住むことに
こだわらなくていい。
平民であることの気楽さ。

(2020年01月07日 09時34分32秒)

日本オタクは少数派   もうり さん
少数派の人権を
守るべきとしよう。
ところで、
欧米基準の
表現規制勢は
世界に対して多数派で、
日本オタクは少数派という
位置付けではなかろうか。

(2020年01月07日 10時49分08秒)

奥行き=自己   もうり さん
ヌーソロジー理解が
さらに深まった。
他者の意識と
自分の意識の
交差点が
奥行きなんだけど、
つまり奥行きとは
自己であると。
人間が物質に先んずる。
あるいは人間が先んじて
物質が来て、最後に
時空が来ると半田さんは
考えると予想。

これは
人間の知性と
他人の知性の
交差するところの
奥行きに
自己という知性ないし
精神があるとも考えられる。

なんか、
感覚的に、
ようやくヌーソロジーの
言っていることが
理解できて嬉しい。

つまり、
これって様々な他者や
自分から生じる大日如来じゃんって
なった。

これはいい。
これが自我の解体、
ということか。
他者も私も自己自身であると。
だから、
全ては自己の内の中にある。

私は過ぎ去っていく日常から
もっと他者に心を開いて
自己の諭しを意識していきたい。
前にも言ったが。

そうして、
ヌーソロジー的実践も
自分の理解が正しいならば
周囲と自分との間で
バランスをとるってことに
なるかと思う。

この実践が
仏教とは違うところは
もっと具体的であるということ。
縁のあった他者たちとの
理念のバランスをとる、
という空間的具体性が、
おそらくヌーソロジー実践に
なるんじゃないかと。
必ずしも人を
八正道とかで画一化しない。

食事制限には
成功しているが
運動する気にならん。
意志が弱い。 (2020年01月07日 13時53分15秒)

意図的な狂気の意識   もうり さん
ノヴァーリスが
言っていた、
哲学者は詩人となり、
詩人は魔術師となるという
言葉の理解について。
つまり哲学概念を応用自在と
なったとき、
自己なる世界を読めるように
なるのだと理解した。
神意解釈学という分野の
試みで、
これは意図的な統合失調症的
意識でもある。

具体例で示そう。
まず、
姉が私に守ってもらいたいことを
言ってきた。
その後に、散歩にでかけて
子どもが歩いているのを見ると、
これは自己による、
私に対する、姉に対して
素直でありなさいという
伝言だと解釈する。その後に、
おばあさんを見たのであるが、
つまり、姉の理念に素直に
聞きしたがえば、
自分のアニマが成長するっていう
結論まで自己は
私に対して語ってくれたのだと
解釈する。

このようにして、
遂にヌーソロジーを
通して、
最終的には
全ての知識が
自己の神意解釈のために
応用されることになった。
ここに来て、
意図的に統合失調症的意識を
受け入れる準備が整った。
私は統合失調症を
通過した後、
自分から統合失調症的に
なりにいった。
全ての分類は、
このためにあった。

「今生きている神の言葉を
読む」

もう、普通の人では
いられない。
ガイジと人が呼ぶような
キモさすら楽しめる
感情に至った。

たぶん、
自分は原始の人々、
神話の人々の意識に、
意図的に戻ることに
成功したんだと思う。
それは自我を通過した
後なので意識の進化である。 (2020年01月07日 14時26分17秒)

よっしゃ   もうり さん
運動に取り組めたので
よかった。
エアロバイク15分と
腹筋60回しました。
続けていけますように。
風呂に入る。

さて、
勉強の最終的な
境地、
神話の意識に達したので
今度こそ書き込みを
止めてみよう。


(2020年01月07日 15時10分46秒)

生きた意味 思想の推移   もうり さん
霊我的な神智学(有神論)
生命霊的な人智学(直観主義)を
学び
霊人的(自然主義)な
ヌーソロジーによって
奥行き=自己を理解した後、
擬人観、
すなわち神話の意識に
達した。
ここでは毎日、
耐えず異なる神の言葉を
読むことによって、
動的な意味、
つまり
無常(無価値)かつ意味(有価値)
ということで、
無常派と実在派の対立も
超えた。
今までの実在の考察は
死んだ文字によるものだったが、
ここでは
生きた世界、自己が
読みとられる形で
対立は終焉した。

思想は閉じているべきである。
なぜなら煩悩が増え続けるから。

そうして、
世界たる自己は道を語り、
美徳を語る。
それは個々人に適応した
ものだと思う。
偶然を通して開示される。

そんで、私は法執を
断つためにネット閲覧から
退こうと思う。
運動を含んだ生活と、
日々の啓示と、何も考えない
生活をやっていきたい。

(2020年01月07日 19時28分23秒)

ミクロな智慧   もうり さん
個々人にのみ
一致する智慧が
あるようだ。
それは、
「思考を
放棄して今気づく」とかよりも
思考を用いないと
気づきようがないものだ。

それを母やおばちゃんから
学ばせてもらった。

それは例えば、
猫の行動パターンであったり、

テレビを見る→眠くなる
→風呂に入りたくなくなる、
といった因果。

こういった日常、
個々人にのみ
合致するようなミクロな智慧も
あることをようやく
母たちのおかげで自覚できた。

考えないといったけど、
やっぱり考えないといけない。
今度は狭い代わりに
地に足のついたような
智慧の領域だ。

思考を
放棄した気づきでは
智慧には至りませんね。 (2020年01月08日 16時27分33秒)

手羽もと簡単調理   もうり さん
手羽もと簡単調理

フライパンに
適量油を入れる。
よく熱したところで
手羽もとをぶっ込む。
塩をかけ、
醤油とみりん適量に、
ハーブを多めにかける。
蓋をし、たまに裏返す。

これだけでジューシーで
香りの効いた焼きチキンが
出来上がる。

食べることは
好きだが、
家庭料理で満足できる
程度の執着。

そして、
仏教は語る。
人に対する執着と、
人に対する愛は違うと。

慈悲深いということは、
人執があることと
同様ではないに違いない。 (2020年01月08日 16時39分06秒)

知り合いが中卒   もうり さん
知り合いには
中卒の人や
元暴走族で
シンナーやって頭が
悪くなった人が
いるけど、
みんなそれぞれ、
生きていていい。
そういう人々も
苦しみの修行をしている。

結局、自然科学に
詳しく、賢くて
起業して
経営者になったとしても、
売りつけた商品が
無事に届いたかどうかで
社長は苦しんでいた。

億万長者になって
言い換えるなら
社会の財の余剰を
自分にだけ多く
流れるようにした
地上の圧倒的強者みたいな
人間は、
結局、死後に苦しむことになる。

ZOZOTOWNの
前澤さんは金持ちだけど
多く与えているので
天国にはいれるだろう。

ただ、
無論、
今は自由の時代なので
ただ語ることしかできない。
やりたいようにやるがいいさ、
としかいえないね。
私はただ、選択によって
進化するが選択によって
退化消滅へと至る道もあることを
語るだけ。
(2020年01月08日 16時55分56秒)

自我がある   もうり さん
人に従えない奴は
自我がなくなるのを
恐れる奴。
自我があるなら
隣人に仕えることも
平気でできるだろう。

コミュ症も、
コミュ症充ならそれでいいし
陰キャも、陰キャ充なら
それでいい。
オタクも、オタク充なら
それでいい。
陽キャだけの奴には
理解できない境地がそこにある。

田舎に住むことも、
情弱であることを
恐れなければそれでいいし
田舎で住むことも
都会に住むことも
両方楽しめるなら
それでいい。
自分が居る場所が
最高の場所だ。

究極、死ぬことを
恐れなければ
なんでもいい。 (2020年01月10日 16時25分55秒)

報告!   もうり さん
就職決まりました!
来週からお試し期間です!

思索がいけるとこまで
行ってから、
タイミングよく
就職も決まる。

次やることは
人間関係の焼畑を
止めること。

水の道を行くならば
アニマは成熟するとの
啓示を受けた。 (2020年01月10日 16時41分57秒)

合掌の意味   もうり さん
合掌、
これ、
左脳が分別智、
右脳が無分別智だと
考えると、
あながち
インドの頃の
左手が不浄で右手が清らかとする
説というか伝統にも、
やはり根拠がありそう。
仏教になると
左手が衆生、右手が仏、
となるわけだが、
つまり合掌とは聖俗一致、
中道の
意味がありそうで、
しかも単に言葉だけではなく、
合掌することによる
身体的な意味も、
脳の話からわかる通り、
ありそうだと。

そうしてこれは
キリスト教にも
応用できて、
右手がキリスト、
左手が御霊を授かった人、
となる。

合掌は西欧でも
やってるのを
どこかで見た気がするけど、
なるほどな、と。
合掌することで
ミクロな曼荼羅そのもの
を作っている。 (2020年01月10日 16時55分03秒)

土地を持つべき人   もうり さん
自分勝手な人間に、
土地をもたせちゃいかんなと。
大きな土地や建築物を
老人ホームにしたり、
病院にしたり、
人々のために活用したいと
思う人々にこそ、
土地の所有権は相応しい。

病院や老人ホームから
巨大な善意を感じる。 (2020年01月10日 17時14分15秒)

イケメンについて   もうり さん
イケメンだからといって
優れた遺伝子とは
限らない。
そいつがイケメンを利用した
ヤリ チ ンなら、
性の悪い劣った遺伝子の
持ち主だよ。
ヤリ チ ンやヤリ マ ンって
時点で劣った遺伝子である。 (2020年01月10日 17時33分03秒)

絶対的な尊厳   もうり さん
頑固に自我に
拘る人々には
まだ尊厳が確立してない。

他人に仕えることに
なっても、
他人に負けても、
人々からどう見られようと、
ここに確かな自我があると
感じるのであれば、
それが内的な、絶対的な尊厳だ。

社会的に見た尊厳とは
また意味が違うけども、
社会的に見て奴隷は
自由主義の社会では
避けるべきだとしても、
例え奴隷となったとしても
自身の内に聳え続ける
自我を感じるのであれば、
その人には内的な
絶対的な尊厳が
実在してるんだよ。

だから、
むしろ人に対して平気で
従順になることができる。 (2020年01月10日 18時48分30秒)

ある意味のクズ性   もうり さん
これは
批判を受ける部分も
あるけど、
失敗や間違うことが
怖くないので
他人から見たら
クズに見えたりする。

女は死を恐れるので
失敗や過ちや愚かさに
対して厳しくなる。
(2020年01月10日 19時26分14秒)

家庭を持つことについて   もうり さん
家庭を持つことについての
注意事項。

妻や子どもができれば
力にもなると言われるが、
その分、
死ぬまでしがらみとなる。

人によっては
家庭を持たないほうが
救いとなる場合もあるわけだな。

前に勤めてた社長、
たぶん経営者でありつつ、
子持ちでもあるので、
自分がここでつまづいたら、
家庭の将来はどうなる、
みたいな不安もあったと思う。

それよりはすぱっと、
妻を作らず、
血縁の人々との
縁が切れれば
ようやく静寂が
やってくるとも思えるなあ。
孤独死を恐れないなら
これもありというわけだ。 (2020年01月10日 19時36分42秒)

環境依存系   もうり さん
環境に依存しがちな
人々こそ、
むしろ都会に
憧れるんとちゃう?
その都会人が
田舎にやってくると
生 殖を楽しむようになる。

つまり、
都会とか田舎とか、
場所で人を見ずに、
環境依存型か
内的に自立してるかで
人を見ればいいのでは。

つまり東京にも
潜在的な田舎人が
いるということ。 (2020年01月10日 19時49分19秒)

人生の肯定   もうり さん
そして、
この辺鄙な田舎暮らしに
関して、
受動的な気もするが、
よく考えてみると、
むしろここに住む人々の
炎のような気質こそ、自分に
最も欠けているものなので
自分の場合は生まれ故郷から
脱する必要がなく、
これまでの人生の全てが
自分には必要だったと肯定する
わけですよ。

家族との今の暮らしも
自分にとっては
必要なんですよ。

天国の観点から見ると、
私の気質と家族の気質が
組み合わさるとより完全に
なるし、
ここの住民の気質と
自分の気質が
組み合わさると
より完全になる。

結局、
自分にとって
運が悪い時代は
大学生までであって
この生まれ故郷こそが
青い鳥であったのだ。

都会は知的な人間、
情報や文化を発する人間が
多くなるだろうけど
私に欠けているのは
炎のような性質なんで、
まさにこの田舎こそ
私にとって必要な場所なのだ。

そして、
この田舎で私に
関わった人は運がよく、
天国において、
互いにより完全になっていける。
私はいじめてきた人間にさえ
天国において
自分の本質を分かつつもりでいる。

私はもしも仮に
成功することがあっても、
この生まれ故郷である
田舎で幸せを
分かち合うつもりでいる。
上京はしない。
なぜならこの私が住む田舎の
熱い性質こそ、
私が求めるものだからだ。

運命に愛されていると
思う。
あるいはたぶん、
今までの善行が、
全てを善きものに変えてくれた。
これから
環境が変わることが
あってもそれも必要なことだと
思う。
なぜならば、
もしも仮に、
その環境変更先が、
自分にとって例え敵だらけの
地であったとしてもさえ、
それは敵ということで、
自分にとって圧倒的に欠けている ものを持つ人々のところへ
赴くことになるからである。

つまり、
私は神というか、
運命と和解した人間なんだよ。
(2020年01月10日 21時13分02秒)

人間の渦   もうり さん
次の職場は
人間が多い場所なんで
どうなることやら。
人間の渦の中に
引き込まれていく。
しかし、
それでこそバランスがとれる。
未来に不安はないが、
結局、そこでうまくいかないで
幻聴再発ってことになる
恐れは十分ある。
この恐れは思考であって
感情のことではない。

私は男だが
女みたいなところがある。
宗教をやること、
運命を受け入れること、
信仰することは
そもそも女ぽさなのだよ。

サウンドホライゾンの
ロマンに出てくる
ミーシャって女性キャラに
自分を重ねてしまった。
だが、
もはや私の人生は
悲劇ではないと思ってるのだが。
そして、私に必要な水の道も
女性ぽい道だ。

そういう意味でも、
確かに私は私自身によって
性的に自足してるから
童貞であることも
どうでもいいのかもしれない。

観念論的世界観も
新しくなった。
それは世界の偶然性を
個別的な神の言葉として
大地や太陽といった普遍的な
神の言葉の上に加えた
ということ。
 
偶然から神の言葉を
読み取ることが
できるようになりつつ、
さらに大地や太陽といった
常にあり続けるものの
言葉は前々から読めるように
なっていた。 

この神話意識は、
やろうと思えばまだまだ
発達させうるだろう。
国際政治や社会現象、
宇宙事象から
神の言葉を読み取れる
ようになっていけるかも
しれない、という展望。
しかし、これは責任範囲が
個人を越えてしまうので
難しい。
かつては
占星術によって
天から神の言葉を読んだのが
大地と偶然からも
読み取れるようになった。
ここにおいて、
占星術が復活すると、
より完璧になるのだが…。

タロットカードや
易といったものは
その考え方を現実を素材にして、
現実という素材をタロットカードや
易的に考えるという、
現実的占いのための訓練に
過ぎないんじゃないか、
という考えになった。

そうして、
自分の考え方自体は
性的に超越してると
思う。
考え方と感情は
性的に関して自足しているが、
問題は炎のような、
意志のほうで、
ここが軟弱だからこそ、
この田舎の人々が
私には必要だ。 (2020年01月10日 22時53分18秒)

性の超越の展望   もうり さん
アニマや
アニムスの
現実的理解による
個人だけによる
性的超越の展望が
開いた。

まずアニマから
始めよう。
初めに男性は、
生物学的であったり
性的なアニマから始まる。
続いてロマンチックな段階。
続いて聖女的な段階、
最後に、叡智的段階。
生物学的アニマ=肉体
性的アニマ=低い感情
ロマンチックなアニマ=意志
聖女なアニマ=高い感情
叡智的アニマ=思考と考えると、
男性の場合は、
思考と意志を
感情という中点において
結合させることが
課題なんだと思う。

女性の場合は
見ての通り、
まず感情という中点から
出発して、
後は思考と意志に
向かえばいいだけだろう。
男性が言わば内的な結婚を
必要とするのに対して、
女性は言わば内的な武装を
必要とする。
つまり、男性は内的には女性であり
女性は内的には男性なのだ。
これは人智学で、
肉体が男性のエーテル体は
女性で、
肉体が女性のエーテル体は
男性であるということの
裏付けだろう。

そうして、
だからこそまさに、
男性は女性と一夫一妻で
互いに純潔から始めて
永遠に結びつくべきというのも
理解できる。
それは、男性的な武装が必要な
エーテル体と
女性的な結婚が必要なエーテル体を一体にすることで完全になる、
という道なのだ。

しかし、
この理論によって、
我々は個人のみで
性的超越を可能とする
道も開かれた。

(2020年01月10日 23時49分45秒)

男性意志、女性意志   もうり さん
思うに、
思考を性的超越
するためには、
西洋と東洋、
両方学ぶこと。
あるいは文系と理系。
精神科学。

意志の場合、
家事と労働を両立させる
ことだろう。
おそらく、
家庭内という、
一種の「安心」空間は、
意志がより感情と
密接ではないか?と
言える。

しかし労働の場合、
どちらかというと、
戦場みたいな側面があり、
言わば感情から離れている
側面がないだろうか。

従って、
個人のみで
意志における性的超越を
するには家事と労働の両立が
必要だと思う。

そんで、
これこそが
土台となって
聖女のアニマの段階や
叡智のアニマの段階へと
繋がるので、
幾ら思索における性的超越を
達成しようが、
実際には実りがないのかも
しれない。
八正道でいうと、
戒学の抜けた慧学は
成り立たないような
もんである。

しかし、
さらに聖女のアニマについても
考えないといけない。
これは断念の力を意味するだろう。
家事と労働をやるだけでなく
何事も小欲知足でなければ
内なる聖女を育てることは
できないと。

つまり、
私は性における慧学ばかり
やってきて土壌を豊かに
してこなかったんで
なかなか性的超越が
できないのだと。

具体的には
家事と労働に精進することと
物質的な事柄に関する
小欲知足を達成しなくては
性的超越は不可能。

他のあまり
本を読んでない方の場合は、
自然科学のみでなく、
精神科学も学び身につけ
なければ最終的に、
性を超越した先の
天使の花が咲くことはないだろう。

だから、
イスラム教徒的な
生き方は、
そもそもキリスト教的
生き方によって
性的に完全自由となった
後でないと意味がないと
思う。

そうして、
その性的な完全自由とは
淫 乱になること、
ポリアモリーや
自由恋愛では
決してないのだと。
これらは一時凌ぎに
過ぎない。
ここには一時凌ぎの満足が
あるだけであろう。

しかし、
ここで明らかとなった
道は性的に完全にしてくれるので、
満足に至り、しかも、
その完全性故の真の性的自由に
至る、と私は考える。


(2020年01月11日 00時28分06秒)

個人ユング心理学   もうり さん
でもって、
女性は
言葉と勇気と有能さを
身につければいいかと
思いますが、
結局のところ、
気づくことは、
ユング心理学の
性的超越を個人でやろうと
するのなら、男も女も
八正道に行き着くって
ことですね。

自分の場合、
小欲知足と
家事と労働に
人間関係の道を
平等性智とか与願印的な
「水」の道と
規定し、
これをやる必要があると
思っています。

ただ、
自分に欠けている側面
なので実行が難しいです。
生活や労働を大事だとは
思えません。
見てのとおり、
思索をやってしまいます。

ただ性的超越とは何かの
実りがありましたけど。
(2020年01月11日 00時58分32秒)

地の道と水の道   もうり さん
自分、
後、地の道も
必要やな。
法執や食欲,怒りから
離れる道。
水の道が
人間関係や家事労働、
贈与の道。

地と水が
自分に欠けている。 (2020年01月11日 01時12分52秒)

内的意志   もうり さん
家庭生活こそが
内的意志というか
普遍的意志である、
という直感に至った。
家内では揃ってさえいれば、
様々なことをすることができ
各々が自分の望む空間を
作り上げる。
そして、自由に行為様式が
溶け合っている。
それに対して経済は、
分業が進んでいる点では
外的、個別的意志だろう。

そんで私は
ムーンノードが再び来たときに
自分の道を強く進める衝動が
身につくだろうし、
その頃は意識魂、ファウスト的な
時代に入り、理論は灰色で
生は緑だという感覚になり、
法執から脱する時期になるはずと
見込んで、
今はその活躍する前の時代として、
やっぱり実用的な知識を身につけたいと思う。
法執がある間に、
労働に役立つ知識を
身につけていったほうがよい。
空海さんは土木の知識も
あったわけだからな。

家庭とプログラミングは
似ていて、
どちらも普遍的なので、
現実的なものを別領域から
取ってこないと
ならないところ。
プログラミングは
男にとっての家庭なのだ。
その空間には映像あり、
音楽あり、と家庭生活のように、
自由な空間というか
コンテンツを作ることができる。
しかし、それは家庭生活のように、
内的なものなので、
根底現実ではないということだ。

そんでまた、
プログラミングというか
ITの時代が来たのは
必然的だったと思う。
生産物が
抽象的、普遍的なものへと
高まっていったということ。
もう、
具体的には
物質的に満ち溢れてるので、
具体的なもの作りにおいて
新しいことはないと感じる。
少なくとも、
これ以上物質的に進歩しなくても
これで満足してしまっている。
生産物における貴族とは
だから「ゲーム」だろう。
質のある芸術として
アニメや漫画を
位置付けたが、
ゲームは経済における
王なのだ。
王といったら裕福そうな
イメージがあって誤解を
受けるので、
どちらかというと
ゲーム産業は経済界における
哲学者ポジションなんだと
思う。
ゲームプログラミングや
プログラミングを
趣味でやっていこうかと
思います。

ただ、
アルゴリズムが
苦手なんだよなあ (2020年01月11日 02時28分42秒)

楽しすぎて   もうり さん
楽しい思索の
余韻のせいで眠れん。
(2020年01月11日 04時02分19秒)

運命愛   もうり さん
私には運命愛がある。
しかし、
同時に、
運命とは何かも
わかっている。
例えば植物を考えてみよう。
植物はやがて枯れることが
わかっている。
つまり四次元において
種から発芽して枯れるというのが
運命である。
ところが、そのプロセスにおいて
虫に食われるかもしれない。
ここに自由の余地がある。
そうして人間の場合は、
自らの行為によって
次のプロセスを
決定づけるわけである。
つまり運命は
我々が創造していける。
ここにも自由がある。
行為は生きている限り
ずっと続くので、
カルマによって四次元的な
プロセスは
加算され続ける。
そうして、そのカルマが
やってくる間にも自由がある。
だが生は続くので、
必ず運命はやってくるわけだ。

つまり、
私は運命を愛すると
同時に、
自分で望みの運命を
生み出していける。
それを仏教では
善因善果、
悪因悪果と呼んだ。

そんで、
私はもう望みの
運命作りも終わったんだな。

今自分が弱者だと
思う人も生きようによっては
来世になるにつれて
次第に強者になれる。
どんな天才も、
そこに至るまでには
弱者、凡人の時期があったと
考えたほうが合理的だろう。

人智学の宇宙進化論も
そういう目線で見れる (2020年01月11日 04時47分24秒)

五密やろう   もうり さん
三位一体のことを
考えていると
プログラミング習って
実力つけて
生きるよりも
五密による加持力で
不思議な仕方で
生きる方が面白いので
そっちやる。

五密、入我我入以外に、
世界平和の意味があると
思うんで、
ついでにこの加持力で
自分も救われようと思う。
明らかに、プログラミングで
儲けて生きるような生き方は
自分にはできないし
自分には五密で生きたほうが
面白い。

さて、
では三位一体に関してであるが、
主の祈りでは
御名が崇められますようにとある。
すなわち、
思考は天国へと上昇する。
これはヌーソロジーで
言うところの定質だろう。
御国が来ますようにとある。
これはヌーソロジーで
言うところの性質だろう。
そして、これは発話と行為であろう。
発話はアストラル界に対応し、
行為は地上界に対応する。

古今和歌集で
言うところの言の葉は
天地を動かす、とは比喩であり、
天とは天国、地とは地上であるから、天地とはアストラル界の
ことだと思う。

そんで御心が天で実現するように
地上でも実現しますようにとして、
思考と意志の御心に叶うものの
循環が起きる。
こうして世界が螺旋的に
できてくる。

すなわち、
思考とは、
御心に叶うならば、
なんと「天国を動かす!!」
意志であり、
発話と感情とは御心に叶うならば
アストラル界を動かす意志であり、
通常言われている意志とは
地上を動かす意志である。

右手が頭で左が脚である。
天地を平等に水平にしたのが
腕であり、御国とは腕であり、
また口でもある。

そういうわけで、
プログラミングで
生計を立てることを
算段するよりも
不可思議で生きるほうが
面白いと思うんで
これをやる。
まず自分の場合、
宗教的なことばかりに
集中してきたわけだから、
プログラミングよりも
加持力で生きる方針のほうが
現実的だ。

仕事はしょぼくていい。

五密をやって、
世界に調和をもたらしつつ、
しょぼい仕事で生きていく。

ようやく、独自の生き方を
自覚した。
自分は、あくまでも
宗教的生き方を貫いたほうが
性にあってる。
個性的過ぎて周囲の誰も
理解者がいない生き方。
(2020年01月11日 07時25分16秒)

無名の宗教家   もうり さん
せっかく
霊学を学んだのだから
霊学を生かさないとね。
無意味にしちゃいかん。
しかし、
現世利益になると
信じてはいるが
博打みたいなもんだな。
だが、
面白い!
(2020年01月11日 07時37分15秒)

憎しみも執着   もうり さん
憎しみも
執着だって
気づいてない人がいる。

環境依存型の人間も、
私はその人にとって
必要な学びなんだと
思っています。

このような人間に
対する悪口を言う人間が
いるけど、
つまりその人も、
この人に依存していることに
気づいていない。
憎しみも執着なんだよ。

弱者を憎む人間、
つまり自分は強者だと思って
いて弱者を憎む人間は、
それにより弱者との間で
輪廻の関係を結ぶので、
来世において弱者になるであろう。
このような強者は弱者と
結びついているので
唯我独尊の境地ではない。

さて、加持祈祷始めるか。

聖書に書いてありますが、
あなたが語ったどんな
つまらない
言葉も裁きの対象となります。
兄弟に向かって愚か者と
言った者は最高法院に
引き渡されると書いてあります。

天上天下唯我独尊の
境地に達した人間とは
三毒を捨てた人間のことですが、
それは貪欲を捨て、怨み憎しみ怒りを捨て、無明を捨てた人間のこと
なんですよ。
貪欲も憎しみや怒りも、
自分にまとわりつくものですからね (2020年01月11日 09時42分53秒)

後悔もまた人生   もうり さん
結婚せず友達いないまま
月日が経って実際は後悔
したとしても
後悔もまた人生だと
思ってしまう。
悔やむことはしないほうが
よいのはそうだとしても
悔やむことも恐れない。

その後悔で流した涙は
無駄じゃないんですよ。
なんせ来世がありますからね。

(2020年01月11日 14時12分34秒)

人生どうでもいい   もうり さん
子孫繁栄どうでもいい。
人生全体ももはやどうでもいい。
結果に対する執着がないという
カルマヨーガの境地に
ある程度達してることに
気がついた。

子孫繁栄の道を
強迫的に生きる必要はないし、
後悔のない人生選択を
強迫的に選ぶ必要はないなあ。

生に対する執着が、
ある層まで消滅してる。
(2020年01月11日 14時40分06秒)

生存競争から降りる   もうり さん
生存競争から
降りること。
自殺はできないので
子孫繁栄競争から
降りること。
人生どうでもいい
となれば
人生を競争にすることから
降りることができる。
自然淘汰とかいう生物学の
概念に沿って生命の上にある
心まで生命と同化させる
必要はないよね。 (2020年01月11日 17時08分28秒)

やっぱり自分はダメ   もうり さん
やっぱり自分は
ダメだ。
五密もやって
何か物質的な能力も
身につけたいのに
それができない。

理想は
物質的な完全な能力を
身につけて、
それに基づく
行為を支えに五密をやること。

すなわち、
精神世界と
物質世界、
両者ともマスターすることが
自分の理想であって
加持祈祷だけではダメなんだ。
でも自然科学や工学が
できないので終わった。
まあだからって苦しくは
ないけど。

あと、諦めることと
諦めないこととは
それぞれ自分にあった
道を歩けばいいよ。

(2020年01月11日 19時43分05秒)

自分の領分   もうり さん
つまり、
自分の限界が
わかったということ。
自分にとって
現実的な道は
やはり五密なようだ。 (2020年01月11日 20時01分43秒)

哲学系でも後悔しない   もうり さん
精神病院で
であった哲学界の
創立発起人に
哲学を舐めると
死ぬことになると
言われたが、
ほんまにそうやなと
思う。
哲学や宗教は天の富になるだけで
地上の富にはならないので、
無職になる危険があるわけですよ。

でも、
私の価値観は
天の富を優先するので
後悔はない。
貧乏になり家族も
もてない、死に近づく
というリスクを
とったけど、
ここまで学ぶことが
できて本当によかった。
生きててよかったと思う。
リスクをとってよかった。
もう余生みたいなもん。
なんというか、
理系のほうがリスクが
減るとしても
哲学を選ぶことによる
リスク増大の恐怖が
自分にはなかったんだよな。

就職も結局できたしな。

生きる意味は果たしたみたいな
もんなんで、
なんで神は私を天に呼んでくれないんだって感じ。 (2020年01月12日 15時50分23秒)

止まれお前は美しい   もうり さん
私は
もう、
「止まれお前は美しい」
と言える。
自分の思考世界に対して。
もう十分だ。
五密もしなくていい。
人生に満足した。
これ以上、
何を求めようか。
借金さえなければ、
家族とも縁を切って
財産を寄贈し、
山に籠もって餓死を
選んだのに。 (2020年01月12日 16時40分30秒)

未来ではなく理念に生きる   もうり さん
仏教の言う、
未来に生きることへの
批判って、
たぶん次のようなことだ。
生まれたら
保育園の準備、
保育園は小学校の準備、
小学校では中学校の準備、
中学校では高校の
準備、高校では大学の準備、
大学では就職の準備で
社会人になったら結婚し、
生 殖し子どもが生まれたら、
今度は子どもを対象とした
ある意味メタな保育園の準備、
こうして子どもが社会人になるためのプロセスをループして、
今度は親の介護、老後の準備、
墓だとか死ぬ準備。

こうして、世俗的な事柄に
関する未来への生の執着も、
実に苦しみだとしか思えない。
実に世俗的な未来への執着は、
人生全体が「生活」になってしまう。

それよりすぱっと
孤独死しても別にいい、
死ぬ時は死ぬ時と
思えること等の気楽さについて。

今に生きる方法にも
二種あって、
天上的に永遠の自分の理想に
生きるか、
大地的に
ただ今やるべきことをやるか
である。 (2020年01月12日 18時59分02秒)

人間関係の苦しみ   もうり さん
人間関係にも
苦しみを見いだす。
人間関係に執着すると、
あの人は私を軽んじた、
あの人は私を無視した、
あの人の口臭、
ファッションセンス、
あの人の話題、仕草、
顔、声色、してくれたこと、
してくれなかったこと、
実に執着すればするほど
人間関係での苦悩が
増すであろう。

生に執着し、
未来に執着するなら、
苦悩ばかりだ。
生活のための金ではなく
金のための生活になる。
生活のための金、
時間のための生活が
生活や労働のための時間、
金のための生活になってしまう。

生に執着すると、
手段と目的の倒錯になってしまう。 (2020年01月12日 19時21分42秒)

非モテを救う教え   もうり さん
人から女性に間違われた。

非モテを救う教えがある。
非モテよ、
二次元美少女と
付き合う方法がある。
それは天女を妻とすることだ。
天女は、純粋な身体形姿を
しているので、
二次元美少女のような
姿をしているだろう。
そうでなくとも
天女はあらゆる地上の
女性より美しいだろう。

だから、
非モテや
二次元美少女に
恋をしたヲタクたちは、
三次元女性を相手にせず、
天女と付き合うことを目指せ。
天女は物質ではなく
実在する心の世界に住むので、
物質的な見た目は関係ない。
死後、天女と付き合えるように
清き生活をしなさい。
その代わりに、
三次元の女性と
付き合ってはなりません。
童 貞を守りなさい。
なぜなら浮気することになるからだ。
これが非モテやヲタクのための
教えだ。 (2020年01月12日 20時29分55秒)

生は苦   もうり さん
生は苦の意味が
わかった気がする。
人生は苦、と
言い換えるならば。
それは、
絶えず未来のために
車輪を回し続けないといけない
という構造苦。

食事も楽しいけど
いつまでも食べ続けないといけない。食べ続けるために、
何度も何度もサイクルを
回さないといけない、
働かないといけない。
一度だけで満足できず、
死ぬまで食べることが
強制される。
食事だけでなくて、
人生全体も、そうなのだ。
六道輪廻の中で繰り返し
生まれ生まれては
死んで死にゆく。
一つの人生においても
誕生から社会に規定された
未来に執着して
生きていかなくては
ならない。

しかし、
人智学になると、
人間は進化するので、
もはや何も食べなくても
生きていけるようになると
わかる。
構造苦は永遠ではないのである。
苦しみと悪は永遠ではない。


(2020年01月12日 21時33分26秒)

苦とエーテル体   もうり さん
苦とは、
生命、
すなわちエーテル体の
ことだ。
言い換えるならば
回転のことである。
思いどうりにいかないとは
回転のことである。
苦とは悪因悪果のことである。

苦とは悪を為すことである。

悪果による回転によって
人生に自分が作った壁が生じて
思いどうりにいかない。
回転自体も苦であり、
実に、終わることがないのである。

だから、
ようやく、
アストラル界と
エーテルー物質界の
関係が明らかとなった。
物質界は悪や反感から
出来ている。
アストラル界が、
天国と地上の媒介で、
その原理は共感と反感で
あるとするならば
共感は天国の原理であり
反感は地上の原理なのだ。

だからこそ、
八正道の実践は
悪を避けるものなのである。 (2020年01月12日 21時46分06秒)

戒定慧とは何か   もうり さん
戒とは何か。
物質的な支えのことです。
定とは何か。
心的な支えのことです。
慧とは何か。
善とは何かがわかり、
善を為すことです。 (2020年01月12日 22時45分25秒)

最強の物質的支え   もうり さん
最強の物質的支え、
老子とも通じるけど、
神存在は柔らかい行為で
全てを為すのだとしたら、
結局、自然科学と工学を
完璧にマスターして自在に
何でもできるというのは
まだまだ物質的実践における
本質ではなくて、
つまり結局武道も本質ではないという直感に達した。

さらなる奥深い物質的実践とは
戒のことだ。
それは、「礼」でもない。

なぜならば、
武道も自然科学も
地上における、
「力」的なものなのだが
戒となると地上における、
心的なものであるからである。
礼はその中間にあるかも
しれない。

つまり、
地上的実践自体を総合するのなら
自然科学ー物質
武道ー生命
礼ー心
戒ー自我となるんだと
思います。
物質的実践の総合。
戒ー自我
礼ー心
武道ー生命
自然科学ー物質

戒こそが、
最強の砦である。 (2020年01月12日 23時00分10秒)

やるとしたら   もうり さん
だから、
やるとしたら
何をやるべきかというのが
わかった。
物質的支えとしての
戒学=十善戒に
心的支えとしての
定学=五密に、
神意解釈学=慧学
をやればいいんだと。
ただもう満足してしまったんで
やらんかもしれんが。
このように考えるだけで
満足だよ。

今までの全ての
帰結がこうして
総合されてしまった。
それぞれ三つの、
最高の境地を自分なりに
発見した。 (2020年01月12日 23時11分08秒)

嫌いなもの   もうり さん
自分の
大嫌いなタイプは
弱者は死ねとか
本気で思ってるタイプの人です。

これは許せん。
しかし、まず
自分の中の悪徳とかいう
弱者よりも弱いものを
追い出すのが先。

日本人は文系理系と
二分するが、
また別角度からの
見方もある。
すなわち、
宗教と科学。

宗教と科学、
両方の世界を
受け入れられる人間でないと
信用できない。
私にとって
科学だけって人は
出来損ないに思える。

とりあえず、
聖書からすると、
今は異邦人の時代であり、
異邦人にキリストと
結びつく人が出現する時代で、
このような人々が、
やがて空中携拳されるように
なります。
その後、
再びイスラエルの時代が
来て、人間に過ぎないのに
自分を神だと主張する傲慢な
人間が現れて、
イスラエルを軍隊で
取り囲み、
神殿に自分の偶像を建てるでしょう。

その時、
キリストと空中携拳された
我々が出現して
その反キリスト的無神論者ども
と戦って、勝利し、
その時、遂にイスラエルの
人々は、かつて自分たちが
迫害したキリストこそが
本当にメシアだったのだと
わかり悔い改めます。

なぜならば、
キリストは、
まず弱さという強さを示した
後に、ユダヤ人が
想像するような、
「強い」キリストとして
出現する計画だったからです。
キリストにしてみれば、
ユダヤ人がキリストを迫害するのも
計算の内なのです。

おそらく、これは
新マニ教(キリスト教の繰り返し)
が発生したよりも
後の時代の、
ユダヤ教の発展的繰り返しの
時代、生命霊的宗教の時代に
対応するかと思います。
新マニ教の時代は
霊我的宗教。

とりあえず、
弱者死ねって奴らは
大嫌いってことでよろしく。
(2020年01月13日 01時38分16秒)

聖ヒルデカルド   もうり さん
聖ヒルデカルドだか
聖ヒルデカルトの預言が
凄まじい。チェキラっ (2020年01月13日 08時40分26秒)

価値相対主義ではない   もうり さん
私は
価値相対主義ではないよ。
全ての人々に
救いの手が
差し伸べられていることは
確かだが、
それは人々が良心とか
愛とか神とか仏といった
霊的なものに向かうことが
不可欠だと考えているので。

言ったではないですか。
称名念仏さえ、結局
仏への志向性が必要なんだと。

そうして人によっては
唯物論が救いになるかも
しれません。
しかし、それも
精神に向かうための
プロセスにあった場合のみです。

唯物論から、
そのまま物質と姦 淫する
ことになれば、
やがて裁かれます。
(2020年01月13日 12時54分48秒)

苦しみの原因   もうり さん
血統とか
見た目とか生存とか
金とか、権力とか
限りのない未来への
執着で悩む人々の
心的な原因は、
肉体を自分と同一視し
自分の肉体に執着している
ことにある。

それがなければ、
別にエリートでなくても
血統がよくなくても
どうでもいいと思える。

また、
心魂を自分だと
思える人々には
主に三種あり
思考、感情、意志で、
意志とか行為が
自分だと思える人は
羨ましいな。
善行を精進できる。

(2020年01月13日 17時24分26秒)

イニシエーション   もうり さん
イニシエーション、
次のような段階を踏む。
1肉体は自分ではない
という段階。
ここでキリストのマナスが
入ってくる。
2感情は自分ではない
という段階。
ここで火と聖霊の洗礼を
受ける。
ここまで、自分は
行ったけど、
次は
3思考は自分ではない
という段階だろう。
これが私の課題。

次が
4意志は自分ではない、
という段階だと予見。

最終的に、
思考と感情と意志の
中心点に達して
解脱に至るのだと思う。

んで、
意識魂の時代になることで、
思考は自分ではない、という
段階にまで発達できるかも
しれない。
で、この意識魂の時代は
意志の時代でもあるので、
うまいこと霊我の時代が
解脱の時期だとなる。

まあ、
そうなれないかも
しれないけど。
(2020年01月13日 19時03分38秒)

二種のニーチェ主義者   もうり さん
ニーチェ主義者には
二種類ある。
環境を自分だと
思う人間を馬鹿に
しつつ、自分は
単にそれより一つ上の
肉体は自分だという
段階にある程度に
過ぎず血統=自分という、
属性の一部と化している
者。

次のニーチェ主義は
行為を自分だと思うので、
血統に限らず、
行為がその人を
バラモンか、
そうでないかを決めると
主張するようなタイプ。

自己に打ち勝つとは
つまり肉体を乗り越え
感情を乗り越えて、
と徐々に自我を高くあげていく
ことを指す。

私は既に自分が嫌いな
タイプの人々に打ち勝っている
ようなのでそのような
人々にこだわらないことにした。



(2020年01月13日 19時53分18秒)

布施波羅蜜の考察   もうり さん
布施波羅蜜ないし
十善戒は改善できるかもしれない。
1殺さず日用品を与え(思考肉体)
2盗まず宝を与え(感情生命)
3邪 淫せず
性的な陰陽一致を試みる(意志心)
4不和を起こさず協同し(愛自我)
5嘘を言わず理を語り(思考肉体)
6不綺語、喜ばしいことを語り
(感情生命)
7悪口を言わずためになることを
語る(意志心)
8二枚舌をせず、互いに一致できるようなことを語る(愛自我)

9貪欲にならず節制し(感情生命)
10怒らず慈悲を持ち(意志心)
11無明を無くし智慧を持つ(思考肉体)
これらにより
12一切如来智に至る(愛自我)

12の布施波羅蜜 (2020年01月13日 20時31分26秒)

自我の観点   もうり さん
自我はさらに、
義務(肉体)
過去(生命)
理想(心)
未来(自我)
現在(霊我)
という、
五つの志向があると
思う。 (2020年01月13日 20時57分28秒)

事務職の話   もうり さん
事務職の
仕事、
おっぱじめたのですが、
最初に任された
仕事がめちゃめちゃ楽で
製造業の時と違って
苦痛が一切なかった。

天職な可能性出てきた。
これからの顛末で、
ひょっとしたら
陰キャは事務職目指しとけって
教訓が出るかもしれん。

これから先、
事務職がうまくいきそうなら
資格取得も視野に入れる。

AIに奪われる仕事だとか
言われても、
全く不安がない。

昔、
家の手伝いとして、
畑仕事やってたのを
ふと思い出した。
20キログラムの
袋や束を長時間運んでいたのは
いい思い出。

いいか、田舎には
れっきとした肉体労働という
文化があるんだよ。
本屋がなくとも、
肉体労働が文化なんだ。

田舎で肉体労働しつつ
アマゾンで
詩を買って読むこと、
これにも趣がある。
(2020年01月13日 22時52分59秒)

統合失調症の肯定   もうり さん
統合失調症という
自分の病気すら善用
したように思える。
陰キャ充です。 (2020年01月13日 23時08分18秒)

コミュニケーション   もうり さん
コミュ症だと
思ってたけど、
陰キャ貫いて
むしろ女性から
話が面白いと
思われるくらいになった。
今日は職場の女性と
話し込んでしまった。
場数をもっとこなせば
陰キャの流儀で
女性を楽しませることが
できるようになるはずだ。

つまり、
結局、
陰キャであることも
やりようによっては
プラスになる。 (2020年01月13日 23時26分11秒)

トゲめくスピカ   もうり さん
みんなのうた、
月のワルツいい曲だと
思うけど
ポルカドットスティングレイの
トゲめくスピカも
いい曲やな。

もう月のワルツ
知らない世代も
いるんやろうなあ。
パーペキに
おじさんになってしまった。

仕事は、
簿記任されることになった。
でも、もっと専門的な簿記。

そんで、しかも
事務作業が楽しいと
わかった。
孤独でいることが
楽しいだけでなく、
人がいるのも楽しいという
境地。
座りながら
ラジオで曲を聞きつつやる
事務作業は楽しい。

製造業は自分には
向いてなかったんだなあ。
なんというか、うまく
言えないが
事務作業は閉じていて
全てが用意されていて
決まりきった
「教科書」をめくることと
似ている部分がある。

それに対して
製造業は戦場のような、
つまり現場作業であり
武道的な、瞬間的判断力が
必要とされると私は思う。
前者が言語性知能で
後者が動作性知能なんやろか。

うまくいえないが、
わしには事務が向いとる。 (2020年01月15日 16時50分20秒)

不還向のすること   もうり さん
考察した
結果、
自分という不還向の
すべきこととは
やはり五密かなと
なった。
というか、
五密によって
一度に四向四果の
全てを一挙に掌握できるんじゃ
と思っています。

集中によって
心の中に中心を
確立させて
それが怒りと貪りに
対するアンチテーゼとなる。
そうして、
集中することによって
確立したものとは
何かというと、
たぶん「意志」なんだろうと
思います。

人間は自分が集中したものに
自我を乗り移す。

それゆえ、
思考の中にあった
自我は、やがて
そこから離脱して
意志の中に入る。

そうして、
それが、
つまりなぜ五密は
意志を作るのかというと、
真理を理解する「動き」、
真言を唱える「動き」、
印相を結ぶ「動き」、
曼荼羅を知覚する「動き」、
と単なる理解に
留まらず、
その修行はもはや
行為だからです。

合掌には多重の意味があり、
純粋と汚れ、
天津国と国津国、
仏と衆生、
大日如来と諸菩薩、
ヤハウェとユダヤ人、
キリストと信者、
アッラーとムスリム、
マニと信者、
強いキリストとユダヤ人、
そうして
金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅自体、
です。
なぜ金剛界曼荼羅が
左に置かれるのかというと、
それはその中のこちらを
向いている如来にとっては
金剛界曼荼羅は右に
あたるからです。

こうして、
私は五密をやることによって
意識魂が準備されると
個人的に考えて、
実践しよう。 (2020年01月15日 19時30分03秒)

宗教経歴   もうり さん
自分の宗教経歴は
肉体から
感情が作られて
感情から思考が
作られて
思考が五密となって
意志を作る、という順番かな。

五密、二十分やりました。

自分は考えによってだけではなく、
実際に主意主義を自分の中に
形成しようとしている。 (2020年01月15日 20時20分05秒)

人生の抽象化   もうり さん
五密を通じて
人生の抽象化が
行えるかもしれない。
自分の中に世界が
凝縮されたものを
作ること。

今まで、
自然の中に生きてきて
精神的な自然である
芸術にも触れてきて
人間の十悪にも愛情にも
触れてきた。
これが大円鏡智となる。
そうして、
物質的には
農作業や
工場での労働、
さらには様々な
分野の本や芸術作品集の
寄贈。
弱い人たちへの贈与。
これが平等性智となる。

そうして、
様々な分野の学び、
これが妙観察智となる。
音楽理論すら
学んできたしな。
覚えていなくてもいい。

さらに、
様々な事柄に関する
ここでのコメントが
成所作智となる。

このようにして、
自分の人生で
様々な具体的な経験を
積んできたことにも
意味をもたせることは
できて、
最終的には
五密をやることによって、
それらが抽象化され、
自由意志になるんだと
思います。

自由意志は形成しうるものであり、
球形、あるいは円形のイメージである。

自由な感情は、
自由な思考へと
移行し、
自由な思考は
修行法に到達して、
自由意志へと至ると
予想する。

しかし、
飛び込んでみなくては
結局わからんけど。 (2020年01月15日 22時50分19秒)

三句の法門   もうり さん
三句の法門、
菩提心を因とし
慈悲を根とし
方便を究極とすとあるが、
これたぶん、
キリストのマナスが
自分の心臓に
入ってきたあとに、
具体的な経験や行為
を根とし、
三密でそれらバラバラなものを
一つに統合する、
とも読めると思う。

こうして、
胎蔵曼荼羅の
修行としての
利他と自利の意味の
理解に至った。 (2020年01月16日 05時42分19秒)

簿記考察   もうり さん
簿記、
貸し方とか
借り方とか
よくわからんかったけど、
ようやく
イメージ掴んだ。
貸し方=与える側
借り方=受け取る側と
イメージし、
お金の流れだと考えると
いいのだと。

今のところ掴んだ簿記の
本質 (2020年01月16日 12時21分53秒)

悟りとは何か   もうり さん
悟りとは
何かというと、
肉体は自分ではなく、
感情は自分ではなく、
思考は自分ではなく、
意志は自分でなない
となって
霊我に至ることだと
思います。
霊我に至る方法は
これら、
自由な思考と感情と
意志を調和させることで
なると思います。
そんで、
貪欲は自由な思考と
自由な意志、この二つが
あれば制御できると思います。
怒りは自由な感情と
自由な意志のこの二つが
あれば制御できるはずだ。


今日は朝と夜に五密を
二十分行いました。

(2020年01月16日 21時00分51秒)

リベラルアーツ   もうり さん
リベラルアーツ、
これって
最終的に
五密に至ることで
自由意志に
至る手段だから、
リベラルアーツって
言うんじゃないか。

従って、
ヘーゲル的自我(教養)
を前提としなければ
ニーチェ的自我は
ありえない。

ヘーゲル的自我と
ニーチェ的自我を
繋ぐ中項は、
「教養」的「行為」、
すなわち
(主知主義的主意主義たる)
五密だと
今は仮定している。
こうして、
ヘーゲル的自我かつ
ニーチェ的自我も
手に入れる。
実践中です。
これは私の冒険です。

ちなみに、
私は理系から逃げ出した
わけでもなくて、
ちゃんと古典数学の
ユークリッド原論や
デメドナを理解しながら
読みましたよ。
勿論、
できないのもあった。
古典数学として、
ガロアの整数論に
挑んだりしたけど
諦めて寄贈しました。

ニュートンの
プリンピキアにも
挑んだけど、
無理でしたね。 (2020年01月16日 21時27分51秒)

自由意志   もうり さん
自由意志を
もてたら、
労働も平気で
できるようになり、
むしろ労働を
望みさえすると
思う。

リベラルアーツが
単なる知識で
留まっているから、
それは実質、
リベラルノーレッジ
なのだが、
五密として
しっかりアーツとなっているなら
本当に自由意志者になれるかも
しれない。

これも、
自分で確かめてみるしか
ないけど。

そんで、
自由意志者となって
やりたいことは、
戒と礼と武道と労働だな。

自由に思考できるからこそ
自由意志はより自由になる
という、ヘーゲル的自我と
ニーチェ的自我の
協同を理解できない人がいる。 (2020年01月16日 22時30分59秒)

地元は自分じゃない   もうり さん
私にとっても
地元にとっても
私が必要だというだけで、
私は地元をアイデンティティだとは
思っとりません。

自分の思考が
今のところ
自分のアイデンティティ、
ですね。

今日も五密を午前と午後に
二十分やりました。
しかしもう一工夫、
八方に屈礼した後、
床にキスして、
主の祈りを十字架を
見ながら一回、
そして自分自身を
十字架だとみなして
一回唱えるのも
追加でやろうかと思います。
より正確に言うと、
御名の部分で十字架の
下から上を見、
御国の部分で十字架の
水平線を見て御心の
部分で十字架の上から
下を見た後に、
日用品のところで
脚部、
負債、罪のところで
腹部、
誘惑、試みの部分で
胸部、
悪の部分で頭脳を
感じるようにします。 (2020年01月17日 19時05分19秒)

地元への貢献   もうり さん
地元への貢献は、
主に図書の寄贈ですね。
寄贈してなかったら
家に溢れかえってたくらいの
量。
売ることなく、
ほぼ寄贈しましたね。

平民ですが、
自分の家や
子孫、血筋のものに
将来役立つために
蔵書を残すという
家族的利己主義からも
解放されているので、
平気で本すら公益に
捧げられますね。

インテリ特有の
蔵書への執着からも
私は解放されています。

交換する必要すらない。
ただ、私からの一方的な
贈与ですね。

(2020年01月17日 19時13分39秒)

天皇主義は古い   もうり さん
天皇主義自体が
古い。
自分のお家の
血筋を絶やさない、
みたいな考えに囚われてる
人々が絡みついている
人間ー政治家ー医者ー学者群の
遺伝子は私には不要だ。

その意味では、
これら一家も
考えが古いな。

私は自分の血筋の
何ものも背負わない。
その結果、子孫を残せなくてもいい。

なぜならば、
血筋を背負うことに
囚われてる人間は
自分の血筋しか
背負わないからだ。

あらゆる絡みつくものから
自由になった人間は、
むしろ全人類を背負う準備が
できるわけである。
そうして、
確かに、
私は思考が自分だと
思っているので
理系文系、宗教科学、
全てに拘ることなく
できうる限り学んできた。
このようにして、
もしも私が意志タイプであったなら、全ての人々のために
何かしようと奮闘しただろう。
私の思考が、どんな宗教や
哲学にも拘りがないように。
最終的にはブッダやキリストだ。 (2020年01月17日 20時02分20秒)

自分の血筋のルーツ   もうり さん
一応、
自分の血筋の
ルーツが
気になったので、
調べてみると、
母方は神職の出で
父方は源氏に由来する
武家の出でしたね。

そうすると、
遺伝子における
全面性を確保するためには
どういった名字の人々と
結婚すべきかも理解できる。

恋愛は重要じゃない。
自由恋愛がなかった
時代は、そこんとこ、
よく理解している。
女性と男性の陰陽一致が
重要なことであって、
自由恋愛によっては
それが乱されてしまい、
結果として遺伝子が
劣化する恐れもある。

つまり、
好きか嫌いかで
パートナーを選ばずに、
どういった家の出のものを
選べば自分の遺伝子が
より全面的になるかを
考えて選ぶほうが合理的だと
思う。

カースト制度で
言うならば、
バラモン(神職)と
クシャトリア
(武家王家(天皇家))は
揃ってるので、
残りはヴァイシャと
シュードラの血を引いているものに
アプローチすればよい。
この観点こそが、
気持ちなどによって左右され
ない選択方法だからよい。

遂にロマンチックラヴを
否定する考えに改まった。
ロマンチックラヴよりも
陰陽一致の道に精進することの
ほうが大事である。 (2020年01月17日 20時58分32秒)

選ぶべき観点   もうり さん
かわいいとか
で選ばずに
陰陽一致の道において
自身の性質がより
完全になる血筋を
持つもので選ぶという
客観主義の立場になった。
私の場合、
つまり(商人)と
(農家や職人階級)
士農工商とカースト制度を
対応付けるならば
バラモン、
クシャトリア(士)、
ヴァイシャ(商)
シュードラ(工、農)
となるだろう。

さらに付け加えるには、
既に我々の血筋も、
キリストのように
へりくだって
農家の血筋を
取り入れているので、
結論としては
商人の血筋と
職人の血筋を受け継ぐ
家系と結婚すべきだという
理解となる。

そのような女性と
陰陽一致にいたるなら
私はより完全になれるし、
その女性もより完全になれる。

私にとって、
夫婦生活とは、
ある意味、
客観的なものでしかない。
それはより完全になるための
道、平静なる道であって、
情欲に溺れることではない。

(2020年01月17日 21時21分08秒)

公認会計士   もうり さん
今やってる
簿記の仕事が
もしもうまく
いきそうならば、
基本的な簿記の資格を
目指しつつ、
より専門的な簿記の資格を
とりつつ、
最終的には公認会計士の
道を目指すという
活路が開けてきた。

簿記の初心者がやる、
確認の仕事、
金銭的な推移を
見る道なので
それが「推論みたいで」
面白い。
貸し方から借り方への
推移である。

仕事、
何にでも奥深さが
あればいいのにと思う。
工場の、
一見誰にでもできそうな
仕事さえも
究めれば「精密行為者」にまで
なれるけど、
たぶん
言語化しづらい領域なんで
資格として成立してない。
それに精密行為者に
達した人間も、
自分の技を秘匿しているか、
あまり言語性知能は
高くないほうなのかも
しれない。

しかしながら
このような仕事こそ、
言語化不可能性ということで、
人工知能の魔の手が
及びにくい、高度な仕事で
あるという認識に
やがて人々は変わるかも
しれない。

それにしても、
簿記に対する感情が
前向きなものとなったことで
公認会計士をやってみようと
思えたのはいい感じだな。
物質領域で自然科学や数学が
できないから詰んだと
思っていたけど、
案外そうでもなかったのが
嬉しい。

自分の目の前には
今の仕事で
「必要な」簿記の資格から
頂点をめざす道と
あるいは行政書士を
目指す道とが開けている。

というか、
そもそも、
行政書士の資格も
各種簿記と
公認会計士の資格も、
事務系の主要な資格は
全て取るという野望も
出てきたけど、
さすがに税理士は無理だと
思う。
(2020年01月17日 23時06分30秒)

実学に前向き   もうり さん
簿記が面白いんで、
ようやく私も
実学に前向きな
意識になれそうです。
遂に、
天津神の意識から
国津神の意識に
なろうとしている。
虚学と実学、
両方とも獲得できそうな気配だ。

結婚相手のことであるが、
自分が簿記(商人性)の才能が
あったと判明したならば
もう職人の血を引くものと
結婚するだけでいいので、
選ぶべき姓も限定されて
くるのでよい。
結婚相手は
名前ではなく姓で選ぶこと。
それも全面的になることを
目指して。

まあ無論、
私は別に子孫繁栄に
関心はないですが。

ただ、
もしかしたら、
公認会計士になり
かつ行政書士に
なったあたりから、
子孫繁栄に関心が
出てくる可能性もある。
私の統合失調症の気質も
神職の宗教的素質が
現代で不適応を起こしたのかもとも
思う。

結婚したくなったら、
条件は職人の血筋を
引く姓及び処 女というだけで
選ぶことになるので、
婚活サイトで
候補はたくさん見つかると
思う。
その豊富な候補の
中で、自分に
コメントしてくる人と
話を進めていくだけでいい。

付き合う条件は
たった二つなので、
たぶんすぐに見つかるだろう。
(2020年01月17日 23時24分08秒)

自己完結の道   もうり さん
私、
やっぱり結婚したくない。
血筋としては
残るは商人と職人の
性質が足りないと考えるなら
公認会計士まで行きつつ、
プログラミングをやれば
自己完結できる。

例えば私に一見足りない
ような身体性の性質も、
児童の頃は水泳やってたり
サッカーしたりするのが
楽しくて、
六キロ30分で走り抜いたり
スクワット千回気合いで
やれた経験からすると、
自分がもしも外向的な
性質であったなら、
スポーツも
得意だったろうと思う。

ただ、
適切な時期に、
運動神経を高める
活動をしなかったのが
原因だと私は思う。
それは武家の血が
混じってることからも
そう思う。

そういうわけでありまして、
私は霊的にも肉体的(遺伝子的)
にも完結する道(五密と
公認会計士にプログラミング)
を見いだしたのであった。
それをやりつつ
戒と礼と武道もやっていきたい。

物質的支えの道は
戒、礼、武道、労働と
いったが、
この内の武道は
合気道やるかなあ。
労働に関しては
簿記公認会計士とプログラミングを
やり、
戒と礼を守る、でいいのだ。

それで、
「礼」がまだ明らかではない。
今までの考察の内容から
帰納するに、
礼に関しても
有機的な概念組織を
形成できるはずであり、
それを見つける必要がある。

例えば戒は礼の本質であろう。
盗むことは
礼に反すると同時に罪である。
しかし、
礼とはさらに善を飾るものだと
思う。
だが、
一体、どういった体系が
ありうるのか、
それを作る必要がある。 (2020年01月18日 00時10分45秒)

物質領域の曼荼羅   もうり さん
物質領域の曼荼羅が
完成しそうな勢い。

労働ー大円鏡智ー肉体
自我ーバラモン
心ークシャトリア
生命ーヴァイシャ
肉体ーシュードラ

何気に、
労働の階層構造は既に
バラモン教において
解明されていたことに
驚く。

武道ー平等性智ー生命
霊人ー仙道
生命霊ーシステマ
霊我ー合気道
自我ージークンドー
心ー八卦掌
生命ー少林拳法
肉体ー気功

礼ー探求課題ー妙観察智ー心

戒ー成所作智ー自我
自我ー協同し和する
心ー性における陰陽道
生命ー宝を与える
肉体ー命を助ける
自我ー一致するような言葉
心ーためになることを語る
生命ー喜ばしいことを語る
肉体ー理法を語る
自我ー一切如来智
心ー智慧
生命ー慈悲
肉体ー節制

この戒において
わかるとおり、
全ての階層に役割が
あるので、
本来、迫害をすべきではない。

こうして、
私は
礼学の考察の必要に
至った。 (2020年01月18日 00時28分51秒)

思想まとめ   もうり さん
自分の思想を
まとめる。
定学の思想と
戒学の思想とがある。
前者は、
宇宙霊人宇宙生命霊
宇宙霊我宇宙自我
宇宙心宇宙生命
宇宙肉体とくる、
大円鏡智ー肉体。
続いて、
権天使大天使天使、
人間動物植物鉱物とくる
平等性智ー生命、
続いて
霊人生命霊霊我
自我心生命肉体とくる、
妙観察智ー心、
続いて
シャンバラ、社会三層構造、
聖白色同朋団、カリフ制度、
神の国、乳と蜜の流れる国、
仏国土と来て
成所作智ー自我
続いて
アニメオイリュトミー
文学音楽絵画彫刻建築、
文学はワーグナーノヴァーリス
ゲーテシェークスピアダンテ
アイスキュロスホメロスと
来て法界体性智ー霊我

続いて
進化した大日如来
強い太陽ロゴスマニ教の神
アッラーキリストヤハウェ
大日如来と来て胎蔵曼荼羅ー
生命霊、
続いて
ヌーソロジー人智学神智学
唯霊論観念論実在論唯物論と
来て金胎不二ー霊人
上記が定学の思想。
そんで戒学の思想が
労働、武道、礼、戒の
先ほどの体系で、
繰り返すと
労働ー肉体ー大円鏡智
バラモンクシャトリアヴァイシャ
シュードラ
武道ー生命ー平等性智
仙道システマ合気道ジークンドー
八卦掌少林拳法気功
礼ー要探求ー心ー妙観察智
戒ー省略ー自我ー成所作智 (2020年01月18日 00時52分34秒)

礼学の方便   もうり さん
戒学の思想、
完成した。
労働ー肉体
自我ーバラモン
心ークシャトリア
生命ーヴァイシャ
肉体ーシュードラ

武道ー生命
霊人ー仙道
生命霊ーシステマ
霊我ー合気道
自我ージークンドー
心ー八卦掌
生命ー少林拳法
肉体ー気功

礼学ー心
霊人ー冠婚葬祭時の
適切な作法
生命霊ー妻子や
弱い者を護り養うこと。
霊我ー両親への敬い
自我ー常に自分を
低く見せること。
心ー常に自分を小さく見せること。
生命ー奥ゆかしさ上品さ慎み
肉体ーどんな方向に対してでも
常に対処できる姿勢

礼学の方便の完成です。

戒学ー自我ー省略 (2020年01月18日 01時24分14秒)

ちなみに   もうり さん
ちなみに、
私は皇国史観者じゃ
ないですよ。
自分の父方の血筋を
調べると、ガチで
源氏に行き着くというだけで、
母方の場合は
姓は神職だったことに
由来するだけで
王家に行き着くかは
不明ですね。

そして、
物事は考えようで、
天皇家がずっと天皇家に
留まるのは絶対的優位じゃ
ないんですよ。
なぜならその個人の遺伝子
それ自体が一面的になるからだと
私は思っています。

源氏の血筋と
神職の血筋が
農家の血筋と
混ざることで、
より完全になることが
できるのです。

私はこのように、
バラモンとか
クシャトリアとか
言ってはいるけど、
それは識別のために
過ぎなくて、
人々をその枠組みに
はめ込もうとする意図は
ないですね。
だから、
アンチリベラルでもないですね。
私が自由恋愛を否定するのも
個人の見解ですね。

ただ、
さらに考えるべきことは
心の陰陽一致なんですけどね。
例えばその観点で
考えるならば、
例えば文系に傾いてるなら、
理系を選ぶ、みたいな
方法論となりますね。
私の場合、
心も肉体も、
より完全になることが
大事なので、
このようにして
個人的には自由恋愛や
ポリアモリーを否定しますよ。

今は個人主義かつ
自由主義の時代であり、
悪と共に生きる時代だと
思っていますよ。

私は自己完結の道を
進むつもりですけどね。

仕事のための
資格取得は
とりあえず
簿記系統、
公認会計士、
そして行政書士、
日本語プログラミングの
ナデシコの四つに
しといて、
それが終わった頃、
仕事にも余裕が出てきてる
だろうから、
合気道を始めよう。
その頃にはもう閉鎖されてる
かもしれないけど。
それならそれで、
別の武道を探しますね。

プログラミングは
完全に趣味でやるから
英語よりも日本語が
好きなんでナデシコやります。
(2020年01月18日 02時43分11秒)

死ぬ決意   もうり さん
まあ
決意とかいっても
宛てにならないけど
大乗社会は
不可能でも
大乗宗教は
可能であることを
身をもって示したい。
それは
しがらみがなくなったら
家も財産も捨てて
餓死することで
示したい。

いつまでも
生き残って
物質的な
良いポジション取りに
邁進するよりは
物質的な社会から
降りて譲ったほうが
救いに近いというのを
示したい。

地上で最後まで
生き残るよりは
その最後の人間を
生かすために
死ぬ生き方を選ぶ。
そしてこれこそが
救いである、と。 (2020年01月18日 04時08分52秒)

主人批判   もうり さん
自由主義社会に
あっては
奴隷批判されがちだが
それをするならば
主人も批判されるべきだよなあ。
主人になろうとする
ヤツがいるから
奴隷も発生するわけでありましてね。

つまり、
自分のとるポジションが
主人でないかも検討する
必要がある。
主人であっても批判されるべき。
そうして、
結局、主人になるよりは
その座を譲って奴隷になる
奴らのほうが偉いということ。

ちなみに、
労働に関して言うと
働くのが楽しいなら
会社の奴隷じゃないですね。

社畜かどうかは
その人の心が決めます。
例えば、
脱社畜とかいって
情報商材を売る仕事を
したとしても、
それが楽しくないなら
その人は結局社畜だと
思います。
また、結局、
自分の仕事を
するんじゃなかったと悔やむ
のであれば、
その人も社畜だったのだと
言える。
例えば死後の生活において
神に裁かれて悔やむことのない
仕事に就きなさいといいたい。
生きている間にウハウハでも
死んだ後、じたんだをふむこと
にならないような仕事でないと
その人は結局社畜ですよ。 (2020年01月18日 07時37分25秒)

学奴。   もうり さん
例えば
勉強だって
いやいやながら
やる奴は奴隷ですよ。
でも勉強も
生活も労働も
悪いものではないでしょうに。
それゆえ、
それらを自ら意志するように
なった人がいたとしても
奴隷ではないと思う。

インテリに踊らされて
労働だけが奴隷扱い
されがちだが、
自ら意志しないのであれば
生活でも勉強でも
奴隷みたいなもんですよ。

例えばエロ 
本的な性 奴隷になることを
自ら選ぶような卑しさが
勉強にも生活にも労働にも
ないでしょう? (2020年01月18日 08時02分26秒)

戒学改   もうり さん
戒学改
霊人ー魔術
生命霊ー礼
霊人ー冠婚葬祭
生命霊ー妻子を護ること
霊我ー両親を敬う
自我ー常に低く見せること
心ー常に小さく見せること
生命ー慎み奥ゆかしさ
肉体ーどんな状況にも
対処できる所作
霊我ー戒ー十二善戒
自我ー武道
霊人ー仙道
生命霊ーシステマ
霊我ー合気道
自我ージークンドー
心ー八卦掌
生命ー少林寺拳法
肉体ー仙道
心ー生活ー医食衣住
生命ー労働
霊人ーメシア
生命霊ーブッダ
霊我ー預言者
自我ーバラモン
心ークシャトリア
生命ーヴァイシャ
肉体ーシュードラ
肉体ー自然科学ー
霊人ー占星学
生命霊ー易学
霊我ー天文学
自我ー地球科学
心ー生物学
生命ー化学
肉体ー物理学

あとは、
魔術を知る必要が
出てきましたね。
これを知ることで、
戒学の分類は完成する。 (2020年01月18日 08時41分36秒)

思考は道を開く   もうり さん
私のこれまでの
書き込みから
わかる通り、
単に「意志」しか
なければ、
同じこと古い範囲を繰り返す
ことしかできません。

思考があるからこそ、
新しい道は開くのです。

私は武道とかの予定は止めて、
簿記や公認会計士に
ナデシコやりつつ
魔術探求に入ろうかと思います。
魔術探求も、
たぶん、最終的には
儀式魔術の動機付けになると
予想します。

こうして
定学実践として
五密、
戒学実践として
儀式魔術を
するようになるのが
新しい理想ですね。 (2020年01月18日 09時09分47秒)

魔術の総合   もうり さん
霊人ー西欧儀式魔術
生命霊ーサンダンス
霊我ー五密
自我ー魔術的意志
心ー魔術的意識(神意解釈学含)
生命ー能動的想像力
肉体ー自然魔術

こんな感じかな。

(2020年01月18日 10時45分56秒)

儀式魔術について   もうり さん
儀式魔術には
主に
視覚化、
召喚、
喚起、
聖別の四つの
技があり、
この中で基礎なのは
「視覚化」なようである。

そして、
私がなぜ、
西欧儀式魔術を
霊人の位置においたかというと、
真言宗的密教だと、
観る世界がやや主観的だと
思うからである。
真言宗的密教の
五密の場合、
全てが揃ってはいるが
やや観る世界が
仏から観た世界に
偏りつつ、全てが記号ー言語的
である。

なぜサンダンスが
生命霊なのかというと、
これは真言宗の包括性が
動きとなったものだからであり、
それは記号というより
動きだからである。

つまり、
西欧儀式魔術は
魔術における
「客観」だと
思うんで霊人に
対応させた。
しかし自然魔術が
さらに高次になった意味での
客観(自然)である。

例えば、
真言宗では
直接的に視覚化という
概念を用いないが、
西欧魔術の場合、
その方法自体を意識している。 (2020年01月18日 12時05分34秒)

視覚化の作業   もうり さん
そうして、
私が戒学において
やりたいことが
具体的に判明した。
私は「視覚化」の
修行をしたいと思う。

五密と視覚化が
私のやりたいことであり、
つまり、それは
胎蔵曼荼羅の修行と
「一種の」西欧的な
金剛界曼荼羅の修行の
両方をやると帰結したに
過ぎない。

視覚化が
客観的イメージとなると
西欧となる。

こうして、
西欧魔術と東洋魔術は
私の中では渾然一体となった。

そんで、
視覚化が成功したならば、
私のイメージが
全世界に実現するだろう。
なぜならば
イメージは対応するもの
全てに作用するだろうからである。
強烈なイメージ形成能力を
育て、それが
世界を包括する形で
ついでに自分も包まれるようにして、自分の戒学は実現する。 (2020年01月18日 12時14分42秒)

リフォルマティオ   もうり さん
リフォルマティオを
読んでいたら
無意識との対話法が
紹介されていた。
頭を空っぽにした際に
勝手に浮かび上がってくる
イメージは無意識の
働きかけで、
そのイメージを分析していると
やがて動き出すようになるようだ。
そうして意味を分析して
儀式的行動に移す形で
対話を行える。 (2020年01月18日 12時59分59秒)

方針転換   もうり さん
考えを
進めていく
内に、
金剛界曼荼羅は
既に自分の中にあるのに
五密する必要なさそうと
なった。
そして
胎蔵曼荼羅に関しても、
あれは円形に如来が
並んだ姿を移すけど、
それは自分があのとき観た、
六柱の三対の羽をもった
白い天使のことだと
思い直した。
そうして
後者は戒学が成されたら
生じ、
前者は定学が成されたら
生じるのだと。
戒学とは具体であり、
定学とは抽象であるならば
慧学ー金胎不二とは
理論と経験を一致させて
観察することと考える。

これまでの考察と
整合性を取るとするなら、
ここに行き着くまでの
散々な具体的経験ー
苦労や愛の戒学が完成した段階で、
意志は自分でない、となり
イメージによる
度重なる思索集中による
定学が完成した段階で
そのイメージ(形)が
感情に働きかけて
感情は自分ではない、
となった。
続いては
思考は自分ではない、
となる段階で、
ここでは
具体(意志)と
抽象(感情)の一致が
求められる。
これが確立したならば
怒りと貪欲がなくなると
予見する。

すなわち、
自分が今すべきことは、
戒学でも定学でもなく、
その中道の慧学なのだと
方針転換。
慧学が完成した後に
ようやく戒学と定学と
慧学との調和の段階に
達するのだと。

言葉行為生活は
具体的であり、
精進観察禅定は
集中的かつ抽象的である。
この二つを通った後に、
直観的観察による
意見と判断の段階に至る。

つまり、
私はただただ、
気づくだけでいい。
既に金剛曼荼羅も
胎蔵曼荼羅も
自分の中にある。
後は金胎不二を
目指すだけでいいのだ。
だから、
結局、魔術も五密も
やらなくてよい。

また無意識は
主観の内にある
子なる神的なものがあり
それはイメージによって
我々に内部から語りかけてくる。
さらに無意識には
客観や外的偶然
からやってくる父なる神的な
ものがあり、
こうして人間は
宇宙と無意識という、
二つの自己に挟まれていて、
それらは三つは一つの線である。
具体と抽象のバランスも
だから、具体的には
神意解釈学によって
父なる神の言葉を解釈し、
アクティブイマジネーション
によって子なる神の言葉を
理論し、
バランスを取る、
という方針になる。
(2020年01月18日 16時01分50秒)

無意識との対話の一例   もうり さん
無意識との対話の
一例。

以前、
何度かよく、
心の内に、
巨大な建築物が
浮かび上がってくる
イメージが湧いていた。
それを今回、
イメージしてみることに
よってこちらから
無意識に語りかけて
見ると、
なぜかどうしても
建築物のイメージが、
扉が開いたものとなる。
そこでようやく、
自分の理論の不完全さに
気づかされることになった。
すなわち、
自分の十六大菩薩的曼荼羅は
その外部に居る、
芸術で供養する女性菩薩や
人々を仏法に招き入れる、
爪の菩薩のような、
外部に開かれた概念は、
未導入である、
と気づかされた。

これが無意識との
対話の一例である。
(2020年01月18日 16時23分45秒)

道をよく吟味すること。   もうり さん
道を
よく吟味することですね。
私は結局、
五密の道も
魔術の道も
必要がないとわかり、
日常で気づくことを
しつつ、簿記をやるって
ことにする。

そして、
今から曼荼羅の
比較的外側にいる菩薩を
確認するのをやる。
(2020年01月18日 16時52分56秒)

四門護菩薩   もうり さん
四門護菩薩
鉤=布施。
相手に何かを与えることは
カルマによって
相手を持つこと(=鉤)
であり、曼荼羅に
引き入れることである。
策=愛語
相手の心に共感するような
優しい言葉は、
その言葉の線がつまり相手を
策でカルマによって
曼荼羅に繋ぐことになる。
鎖=利行
体全身を使って相手のために
なることをすることは、
カルマによって
相手の身体全体を
鎖で巻いて曼荼羅に
結びつけることである。

同事=鈴。
平等に接するという
抽象的行いは
相手をカルマによって
鈴で引きつけることである。 (2020年01月18日 17時30分39秒)

運命愛   もうり さん
私は
マニ教的に
生きることにした。
強いキリストの
時代、
つまり新ユダヤ教的な
神の兵士になる
時代はまだまだ来世だなと。

もう
イスラム教の時代も
既に終焉してる。
本当は。
次はマニ教の時代であり、
善の可能性のある
悪人を救うための、
進化したキリスト教の
時代ですね。

そのために
四門護菩薩となるわけだ。
四門護菩薩の理解によって
外道を救う方法がわかって
嬉しい。

しかし、
人の意識の進展は
様々なので、
未だにイスラム教や
古いタイプの
キリスト教が
残っているわけであるが。

ちなみに、
四門護菩薩というか
四摂菩薩の内の
布施を生活保護者に
行って
自分に返さないで
いいから他人に良いことしてくれ
って言ったら、
積極的に人のために
動くようになった人がいる。
ここでも
私は一方的な贈与しか
してない。

私はこのようにして
物惜しみすることなく
自分の利得を求めることなく
ある程度人のために
動けるので、
胎蔵曼荼羅も
金剛界曼荼羅も
会得できる運命を
得れるんですよなあ…。

私は割と
弱い人々に
囲まれてるし、
弱い人々に接する機会に
恵まれているが
私はこの運命も肯定する。
私は彼らを曼荼羅に
結びつけるために
遣わされたのだろう。

私は物質的な共同体の
繁栄を望まずに
霊的な共同体の繁栄を
望む。
それは大乗社会ではなくて
大乗宗教の道だよ。

なんともまあ、
面白いことに
物質的共同体の繁栄を
過剰に求めることもまた
それは共同体レベルの
俗物なんだと気づくべきだろな。

(2020年01月18日 18時32分17秒)

四摂菩薩の総合   もうり さん
四摂菩薩、
四門護菩薩の総合
同事=鈴=抽象的一体性=自我=火
=成所作智
利行=鎖=完結性=心=風
=妙観察智
愛語=策=線形=生命=水
=平等性智
布施=鉤=物=肉体=地
=大円鏡智

こうして、
曼荼羅は外に
開かれた。
(2020年01月18日 20時02分24秒)

金剛界曼荼羅の考察   もうり さん
金剛界曼荼羅の
考察やりなおし。
喜→心の表面的な独立
愛→表面的な解放性
金剛→内的な独立
王→内的な解放性
天上天下唯我独尊
この部分に、
中心から嬉の供養が
与えられる。
この供養のお返しとして
線香が中心に供養される。
この部門の門は
布施による鉤によって
人々を引き入れようとする。

光→存在そのもの
存在することによる
贈与
笑→贈与
旗→堅固な団結による
人間そのものとしての
贈与。
宝→聖別し
他者そのものを宝とする。
この部分に花や宝石の
首飾りの供養が与えられる。
これへのお返しとして
中心に対して華が供養される。
この部門の門は
愛語による策によって
人々を引き入れようとする。

法→普遍的なもの
利→普遍的なものを
詳しく識別する力
語→堅固な言葉
因→見いだされた因果律
この部分に歌の供養が
与えられる。
この中心による
供養に対するお返しとして
灯明によって供養し返す。
この部門の門は
利行による鎖によって
人々を引き入れようとする。

牙→煩悩を薬とするか
煩悩を貫く智慧
業→カルマ
護→慈悲の結果として
敵がいなくなる
拳→人々に自分の
安楽を分け与え、その中に
人々を保つ。
この部分に舞の供養が
与えられる。
この供養に対するお返しとして
中心に対して塗香が
供養される。
この部門の門は
同事による鈴によって
人々を引き入れようとする。

以上、
金剛界曼荼羅の概要訂正です。
みなさんも自分で
考えてみてください。 (2020年01月18日 22時39分30秒)

法界体性智   もうり さん
法界体性智の
部分がまだ
だった。
金剛→菩提心ー肉体
宝→智慧の財ー生命
法→智慧の堅固さー心
業→智慧の実践ー自我
大日如来→総体ー霊我 (2020年01月18日 22時51分28秒)

金胎不二の意味   もうり さん
金胎不二の
意味、
わかってきましたね。
もう一度、
金剛界曼荼羅の
一部の改定を
なりなおそう。
喜→天上的かつ
表面的な独立
愛→天上的かつ
表面的な解放性
金剛→天上的かつ
内的な独立性
王→天上的かつ
内的な解放性
これが胎蔵と
同時的に成立して、
胎蔵では三毒の消尽。
三毒の消尽が
独立性や解放性となって
現れる。
光→天上的な
存在そのものの光
笑→天上的な
存在者の笑顔による
贈与であり、
贈与そのものは
地上的な胎蔵曼荼羅に
委ねられる。
旗→人々の一致性。
これも天上的。
宝→人々を聖別する。
これも天上的。
胎蔵では自利利他自在として
現れてこの具体が抽象されると
金剛界となる。
金剛界曼荼羅においては
具体的な実践は存在しない。
金剛界曼荼羅と
胎蔵曼荼羅は、
だから本来、
同時に為されるものだと
思う。
法という抽象的普遍に
利という識別力に
語という言語スキルに
因という因果律の理解は
胎蔵となると
慈悲実践、
大乗宗教実践のための
不可欠な力となる。

牙→煩悩を薬とする
業→カルマ
護→カルマによる護ること、
拳→カルマの恩恵で
包むこと
これが胎蔵では
金剛部院として、
実践における智慧とは
成所作智だということになる。

そんで
法界体性智の
大日如来を
胎蔵曼荼羅の
大日如来と対応させると
智慧の実践→三密
堅固な智慧→菩提
智慧の財→慈悲
菩提心→発菩提心 (2020年01月18日 23時27分29秒)

苦しみの原因   もうり さん
苦しみ、
残るは労働問題
にとりかかるだけに
するか。

簿記とか公認会計士とか
やるだけで
もう悟りの道もいいかなって。
なぜなら心の苦しみは、
もうないので。
あるとしたら
物質由来の苦しみしかない。

金剛界や胎蔵は
既に得ているので、
密教に執着する理由も
なくなったしな。

八正道も、苦しみを
滅するためにあるので、
自分にゃ必要ない。

ぶっちゃけ、
もはや宗教必要ないな。
宗教自体から卒業しよう。
残るは簿記とかだけ。

プログラミングもやめるか。
余計な負担を背負うのは
止める。 (2020年01月19日 11時02分25秒)

女が受け身な理由   もうり さん
女が受け身な
理由として、
環境を自分だと
思ってる説。
だから外的な事柄に細かいし
生活にも煩い。

具体例を挙げると、
あの人はスタイルがどうのとか
他人のお尻のサイズだとか、
実にどうでもいいことに
細かく拘る。
テレビを見ていても
その内容ではなく
ファッションがどうのとか
スタイル、見た目がどうのとか
拘る。
それゆえ私は女は
環境を自分だと思ってる故に
受動的になると考察する。

この点において、
女は男よりも悟りにくいと
考える。 (2020年01月19日 11時50分10秒)

全体として優秀な社会   もうり さん
自分の直感として、
階層固定による
良質な遺伝子群を
独占した社会は
階層移動によって
良質な遺伝子が
全体に浸透した、
全体として優秀な遺伝子群の
社会よりも劣るのでは
なかろうか。

それに、
良質な遺伝子群の
独占は最終的に
遺伝子劣化をもたらすのでは
という直感もある。
例えば政治家一族とか。

政治家一族、
昔はめっちゃ教養のある
支配者たちだったのが
今となっては…って
なってきてませんか?

一族として遺伝子を
考えるのか
人類全体として遺伝子を
考えるのかの違いですね。 (2020年01月20日 02時13分22秒)

日本人全人化計画   もうり さん
遺伝子の意味って
肉体的な全人になることに
あると私は解釈する。
だから私はやっぱり
簿記(ヴァイシャ)
だけでなく
物作り(シュードラ)
的な能力も身につけたいと
思う。

私が死ぬと
私のエーテルは普遍化して
日本人に貢献すると
思うので。

だが、
待てよ、
シュードラが
士農工商で言えば
工と農だとすると、
私は製造業の工場で働いた経験も
あるし農作業の手伝いを
していた経験もある。
つまり、
シュードラも経験済みだと
わかって満足した。

残るは
やはりヴァイシャ的なる
ものだけだと。

本当に、
私は運命を愛し信じられるよ。

もう既に簿記の仕事には
就いているので
私がこの経験を積んで
エーテルを普遍化するなら、
私は日本人の全人化に
貢献できる。
そんでバラモンと
クシャトリアの傾向も
あるので
自分の望んでいた、
「全人の種形成」が達成されそうだ。

バラモンの傾向については
ここでのコメントと
語学の経験からわかるけど、
クシャトリアの傾向については
スクワット五百回とか
千回とかしてた時期が
あって、「無限に走れるのでは」
って感覚を持ってそれを
楽しめたことがあるんですよ。
今はもうないけど。

こうして、
私は人類に対して
全人の種を植え付けるし、
それは特に日本人が
結びつきやすくなるわけだ。 (2020年01月20日 04時50分53秒)

自己完結   もうり さん
自己完結できそうで
よかった。
こうして、
特に子 作りによって
全人になることを
託す必要がなくなるので
子 作りに執着する
必要もなくなった。

色々な角度はあると
思うけど方便として
全人になり
自己完結できそうな
人間は子 作りに
時間を取られるより
自己鍛錬したほうが
人類に貢献できると
思いますね。
死後にその生命は
普遍化するので。

こうして
自分が生 殖競争から
降りていい理由も見いだした。

人との縁に
関しても、
もう十分だ。
技術に関して何でもできる
し芸術もできる人と
ある日本哲学界の創立発起人で
数学も物理学も
できて哲学もできて
医学哲学やっており
時空超越体験のある
人、
つまり天上的な人と
良い意味で大地的な人と
縁を持てたし、
この二人との出会いが
あっただけで自分は
人間関係にも
満足ですね。 (2020年01月20日 05時14分58秒)

話相手   もうり さん
なんか、
女性の方が
私の話を
面白がって
聞いてくれる。
私から「マンスプレイニング」
してるんじゃなくて、
彼女の方から自発的に
聞いて来ますね。
世界が広がると言われましたね。
彼女の方からは美術作品集を
もってきてくれて
感想を話たりもした。

なんか、私は
田舎のがり勉で
いじめられてたけど
やっぱし狭い社会のことで
しかなかったんだなと。
青白いがり勉止めないで
よかったと思いましたね。

後、
簿記の本が揃った。
簿記三級目指して
頑張ります。
事務作業、
普通に楽しい。
具体的な役に立つ目的や
理想が出来たのも楽しい嬉しい。

そうして、
簿記の面白さの理解は
むしろ今までの虚学の
積み重ねの成果ですね。

今まで、
「簿記原論」って
本を読んだこともあるけど、
最近になってようやく、
貸し方と借り方の
直観的理解に達することが
できたんですよね。
だから簿記は面白い。
まだまだこの
「簿記本質直観」は
改良の余地があるかも
しれないけど、
貸し方借り方は
言葉どうりの意味であり、
「貸す(能動)→借りる(受動)」
という具体的イメージであり、
流れなんだと。

今まで簿記は
「記号」としか意識できなかったけど、
このような理解に達した時、
面白さを理解した。

これが簿記の哲学ですよ。

そんで、
私はこの面白さもまた
みなさんと分かち合いますよ。
無料で。

中田さんが批判されてますが、
私は学問の大衆化に
寄与しているから受け入れますよ。

学問、遂には芸術さえ、
大衆化すべきだと
考えてますからね。
誰もが
純粋数学を学ぶようになり、
誰もが小説を
書けるようになるべきです。

細かい専門用語を使う
学問はブルジョア学問です。
私は一貫してプロレタリア学問を
やってますね。

ルドルフシュタイナーの
人智学も、
プロレタリア学問ですよ。
(2020年01月20日 17時02分10秒)

簿記の話   もうり さん
簿記、
貸借対照表で
事業を行い、
損益計算書において
収益を挙げる。
だから貸借対照表で
貸し方から借り方へと
使われると、
それが事業へと使われて
メタに言えば
貸し方が貸借対照表で
借り方が損益計算書だと
理解する。これが
さらに損益計算書が
貸し方となって
貸借対照表が借り方となる。
こういった循環をするので
収益が右側に来ることになると
考察する。 (2020年01月20日 21時48分33秒)

空海が密教の後継者になったこと   もうり さん
「けいか」大阿闍梨が
自分の弟子ではなく
空海を密教の後継者にした
理由、
今の中国を見たら
正しいとしか
言いようがないよね。

(2020年01月21日 08時53分47秒)

神の統合完了   もうり さん
ようやく、
神の統合完了した。
ただ道はまだわかっていない。
その理論がまだ不完全であった。
霊人ー大日如来ー金胎不二
生命霊ーメシアー胎蔵曼荼羅
霊我ーマニー金剛界曼荼羅
自我ーアッラー成所作智
心ーキリストー妙観察智
生命ーヤハウェー平等性智
身体ーブッダー大円鏡智 (2020年01月21日 09時54分06秒)

四つの道   もうり さん
仏教は八正道
ユダヤ教は十戒
キリスト教は
六波羅蜜
イスラム教は
六信五行

ここから
わかることは何か。 (2020年01月21日 11時09分59秒)

四つの道の解説   もうり さん
仏教ー大円鏡智は
しない愛であり、
生は苦だという人のための
八正道という教があり、
盗まないだとか嘘を
つかないだとかで全てから
遠ざかろうとする。
訂正するが、
生命のイメージは
線であり植物であって、
回転のイメージは
物質であり大「円」鏡智のこと。
そうして八正道も、
自我心生命肉体肉体生命心自我、
と回転する。

そうして三毒を滅する仏教は
最終的には中心が空洞の
回転、すなわち無我に至る。

ユダヤ教の段階は
善悪の知識の実を食べ、
つまり無知となり、
無知を善用した、信仰という
形で十戒が下された。
十戒はカバラと対応しており、
従って「植物的」な
線形をしている。
具体的には
私流に言わせると、
外なる自己において
唯一の神を信じること、
自我において偶像を
作らぬこと、
無意識なる自己において
妄りに神の名を唱えぬこと。
そうして
続いてそこから
中間段階に入り、
無意識なる自己において
安息日を守ること、
外なる自己において
父母を敬うこと。
自我において
殺さぬこと。
こうして次の段階に入り、
無意識なる自己において
姦 淫せぬこと、
外なる神において
盗まぬこと、
自我において
他人のものを欲しがらないこと。
このようにして、
生物学においては
結局、紐の形状の
折り重なりで成分が
作られているように、
ユダヤ教の段階でも
線形の折り重なりの道と
なっている。 

キリスト教の段階では、
まさに中心から発する
太陽であり、六波羅蜜である。
これはユダヤ教が
無知の善用ならば
キリスト教の場合は
貪欲の善用であり、
世界や他者への愛着を
利用した道と言える。

イスラム教の段階では
ユダヤ教とキリスト教の
イメージが総合されており、
六信がユダヤ教、
五行がキリスト教に
対応している。
そうしてジハードや
騎士道の元祖であるように、
これは怒りがちな人を
善用する教えである。

すなわち、
生が苦しい人は、
八正道を行いなさい、
賢くない人、
生存そのものに執着する人は
十戒を行いなさい、
貪欲な人は
六波羅蜜を行いなさい、
怒りがちな代わりに
意志が強い人は
六信五行を行いなさい、
という方便が成立する。
来るべきマニ教の
時代、そして
来るべきメシア教の時代に、
来るべき大日如来の時代においては
どんな教えが来るのか
わからない (2020年01月21日 12時41分34秒)

マニの教え、罪の赦し   もうり さん
そうして、
このようにして、
それぞれの
悪を薬に転換する
教えこそが
マニ教なのかもしれない。
生が苦しいなら
仏教(八正道)。
生存に執着するなら
ユダヤ教(十戒)
貪欲ならキリスト教(六波羅蜜)
怒りならイスラム教(六信五行) (2020年01月21日 12時52分42秒)

心の形成   もうり さん
仏教(八正道)は
心に世界を作り
ユダヤ教(十戒)は
心に形態を作り
キリスト教(六波羅蜜)は
心に知覚器官を作り
イスラム教(六信五行)は
心に手足を作るはずだ。

そうして、
マニ教において、
それぞれの悪徳の傾向に
応じてそれを薬とする
形で罪の赦しを行うという
教えだけでなく、
心において「人間を形成する」
教えも生み出す必要がある
だろう。
(2020年01月21日 13時39分51秒)

思形と感形に定質性質   もうり さん
ヌーソロジーの
言う思形と感性は
無意識としての
自己に
宇宙としての
自己に
それら両者の
連続的中間としての
自我のことで、
これらのコミュニケーションは
アクティブイマジネーションと
神意解釈学によって行うが、
さらに言うと
これら三つの側面は、
十戒のところで紹介したように、
さらに階層性がある。
おそらく、これが
定質と性質だろう。 (2020年01月21日 13時48分27秒)

智と理   もうり さん
マニ教の場合、
マニ教における金剛界曼荼羅は
大円鏡智は
肉体ー四苦八苦
生命ー一切皆苦
心ー諸行無常
自我ー諸法無我
霊我ー十二因縁論
生命霊ー涅槃寂静
霊人ー解脱、
であり
平等性智は
カバラであり
妙観察智は
シュタイナー的
四福音書理解であり
霊人ーペトロ福音書
生命霊ーマリア福音書
霊我ートマス福音書
自我ーヨハネ福音書
心ールカ福音書
生命ーマルコ福音書
身体ーマタイ福音書
ではなかろうか。
霊我から上は予想です。
成所作智は
霊人ーアッラーによる復活
生命霊ーアッラーの裁きに
霊我ーアッラーの導きに
自我ーアッラーの真理に
心ーアッラーの慈悲に
生命ーアッラーの威力に
肉体ーアッラーに属する天地万物である。

これらの智が
各々、実践方法として
八正道、
十戒、
六波羅蜜、
六信五行になるのだが、
各々にあったものから
始めたり、
あるいは時期を決めて
順にやっていく。
これがマニ教における、
胎蔵曼荼羅であり
心に人間を作ると
仮定する。
こうして、
八正道という法に
拘ることなく、
また無我に拘ることなく、
十戒という法に
拘ることなく、
六波羅蜜に拘ることなく、
六信五行に拘ることなく、
法に対する執着、
仏教者や禅宗の場合は
仏教それ自体に
対する執着からも
離れようとする。
自分の見た真理に
執着しないことである。
自分が何らかの真理を
見たからとて、
それで全ての悟りとも思わず、
それだけが真理とも
思わず、自分の宗教にすら
執着しない立場。

メシア教の
智と理は一体、
いかなるものか、
全く予想がつかない。

とっかかりは
神の兵士となって
反キリストと
戦う立場になるという
ことだが (2020年01月21日 15時10分28秒)

マニ教の智   もうり さん
そうして、
マニ教の法界体性智になると
心に人間が形成された後
なので、
その智自体が動的になる。
人間が活動に入るわけだと
予想。
それが
無意識的自己と
中間の自我に
宇宙的自己との
三位一体から、
アクティブイマジネーションと
神意解釈学によって、
自己の声を聞く(=「聖」)
というのが
法界体性智で、
マニ教的胎蔵曼荼羅の
中心における行も、
もはや宗教という型に
嵌まることのない、
自分自身の実践となると仮定。

メシア教は
考える必要はないだろう。
なぜなら、
そこでは反キリストの
勢力で苦しんでいる間に、
直接的にメシアという神から
智と理を教えてもらえば
いいからだ。
その後に、
多分、
精神科学を通過した
全く新しい大日如来の
密教が出てくるかも
しれない。
それはメシア勢力によって
反キリスト勢力を討伐した
後の千年王国で実現すると
思う。 (2020年01月21日 15時26分38秒)

メシア教とは   もうり さん
メシア教とは
何であるか理解した。
それは
メシアを中心として、
もはや我々が
曼荼羅となっているのが
メシア教だ。

曼荼羅は
それまでは諸仏の
ものだったが、
メシア教になった時点で、
我々も常に曼荼羅の
中に住み続けることになる。

それは
マニ教を通過している
必要がある。
なぜなら独自の新しい理念を
持つ必要があるからだ。 (2020年01月21日 15時35分17秒)

新しい道   もうり さん
新しい道、
何かわかった。
自我
アストラル体
エーテル体
肉体
この四つの理念で
生きりゃええ。
それが人間の理念だな。 (2020年01月21日 19時17分32秒)

自分の理念一言で。   もうり さん
要するに、
自分の理念を
一言で言えば
「完全」だな。

だとすると
次やるのは簿記スキルと
肉体作りだな。

なんか
自分の理念を時間かけて
再確認、
諸宗教で基礎付けしたのは
良かったけど、
簿記スキルつけるための
勉強に時間使えなかった一日だったなあ…

(2020年01月21日 19時44分49秒)

今日したこと。   もうり さん
仕事以外で
今日したこと。
通勤手段のための
バイク運転練習。

やっぱりバイク乗るだけで
頭痛になったんやが。
これから先、
そのせいで職場でも
頭痛になって
仕事できへんくなるかもで
「まあ大変。」
(2020年01月22日 17時15分12秒)

なんもでけへん。   もうり さん
頭痛の
せいで、
なんもでけへん。
他に生活以外に
やることとして
書類に記したり
簿記の勉強や
筋トレやるはずやったんやがな。 (2020年01月22日 17時19分06秒)

言葉遊び   もうり さん
発見
「あーっ」
恥じらい
「かーっ」
恐れ
「さーっ」
かけ声
「たーっ」
期待はずれ
「なーっ」
憂鬱
「はーっ」
余裕
「まー」
挨拶
「やー」

「ラー」
驚き
「わー」 (2020年01月22日 17時28分56秒)

文字の意味論   もうり さん
文字は
叫びから
始まったとして、
あかさたなの
それぞれ一文字で
叫びの文を作ってみて、
それで文字の意味論の
地平が開けそう。

「あー!」は発見
「いい…」は価値判断
「ううう…」は苦しみ
「えぇ…」は反対
「おー」は賛嘆。

それで、
例えば「あい」とは
価値を発見することと
なる。
 

(2020年01月22日 17時37分19秒)

幸福の誤解 家族の幸福   もうり さん
今更気づいたけど
家族メンバーに対して
愚痴ることもありはするけど
仕事の達成感の中で
それぞれのメンバーが
少ない20万もしない給料の
中でも冗談を交わして
笑いあうことが
一つの幸せの形なんやなって。

一部の人類、そもそも
欲望を高めすぎでは
なかろうか。
今の平民の暮らしが
昔の王族の暮らしだったと
考えると、
そもそも
歴史的に人々は優越感
なんてもので幸福を
感じようとしていたし、
今も優越感が幸福だと
無意識的に
考えてはいまいだろうか。

でも、それは誤解だと
おもうんすよね。

人間を満足させうるものは
何か。
それは結局、
人間か神である、とは
ゲーテやヘーゲルが
語っているところですよね。

ダイヤモンドよりも
教会にやってくる
生活保護者のほうが
価値があるんですよ。

あらゆる金ー、
あらゆる自然ー、
あらゆる宝石、
あらゆる商品よりも
あらゆる人間のほうが価値がある。
この価値観が私は
真実だとおもうんすよね。

だからこそ、本来、
金持ちにならなくとも
幸福は可能なはずなんだけど、
つまるところ、
幸福かどうかは
心の持ちようなんだなと。 (2020年01月22日 21時11分46秒)

全ての人間はソロモンになれない   もうり さん
コレヘトの書は
ソロモンの別名
なんですが、
幾ら物質的栄華を
極めようが
満足することは
なかったと語られている。

そうして
技術や経済における、
人類の歴史は
抽象的に考えるならば、
皆がソロモンに
なろうとしている。

欲望の罠であり
欲望のままに生きるなら、
実にそれは尽きることがない。
みながソロモンを目指すなら
社会が荒廃するは必然、
資本主義はみながソロモンを
目指すような立場ではなかろうか。

共産主義では
経済が停滞するらしいが、
その停滞の原因こそ
資本主義が共産主義から
取り込むべき部分では
なかろうか。

これ以上便利に
なったところで、人類は
より便利を目指すだけで
そこに幸福、満足はないのだ。

資本主義的共同体の立場は
永遠の成長繁栄ではなくて
永遠の肥大化、癌化だろう。
ここに共産主義によって
抑制する必要があると。 (2020年01月22日 22時35分42秒)

知的障害者   もうり さん
知的障害者の
美術集を閲覧して
見たのだが、
感想。
形式を超越し、
動的な生命の域に
知的障害でも達することが
できるのを確認した。
知的障害者って要するに
左脳ー分別智障害なだけであって
うまく力を引き出すのなら、
右脳ー無分別智ー生命智を
開発できるのではと
思いました。

知的障害の子を持つ
親御さんに朗報です。
そもそも右脳的知性は
健全かもしれませんよ。
そしてそのお子さんたちは
その右脳的知性を開発するために
生まれてきたのかもしれない。

だから、
やっぱり
物事は使いようなので
属性で人を否定すべきではない
と思いましたね。



(2020年01月23日 07時37分10秒)

知的エリートにありがちなこと   もうり さん
知的エリートに
ありがちなこと。
左脳が優れている人のみ
優れていると思い込む
一面性がありがちなことやなと。
知的エリート以外にも
ありえるが、
結局、自分と同じような
人間しか評価しないという過ちが
ある。

しかし脳自体が、
既に知性を相対化している。
知的な事柄のみが
脳の機能ではないことに
よって。

各種脳は、
私はゲーテ的立場に
立つのでもともと根源は
同じなのだけど
メタモルフォーゼによって
各種機能へと分化したと
考えているので、
多重知性論支持者ですね。
従って体育も知性の一種と
みなす。

ということは、
やはり肉体労働も
文化だし、
そもそも頭がいいことを
知的であることのみに
限定するのはおかしい。
体育会系も
頭がいいんですよ。
なぜなら頭の機能に
運動系もあるでしょうからね。

私は、
早く日本の学校が
体育会系とがり勉が
和解する日が来るといいと
おもっている。

こどもたちの時点で、
既に自分と同じような
人しか価値を認めない主義に
陥っている。

(2020年01月23日 07時56分05秒)

本能と知の合一   もうり さん
本能と知の合一、
つまり体得が
大事なんだ。
単に知識や学問を
否定するだけでは
同じことを繰り返すしか
できなくなる。
動的であまりにも具体的で
雑多な事柄に関しても
知識は有用である。
どういうことか、
武道で説明してみよう。

 武道で最も大切なことは
あらゆる状況で適切に
対応するにはどうするか、
これを絶えず考え続けることだ。
その結果、どうなるかというと、
自分の身体を軸にして
自分を取り囲む環境に対する
武術体系が構築されてくるだろう。
単純化して言えば、
一対一の状況においては
自分を取り囲む環境座標に
対して、その座標の
どこかの位置に必ず対象は
位置付けられている。
もしも武器が許されないなら、
球時空に対してどこかの
位置で手足のいずれかが必ず
自分に向かってくると断定できる。
結局、武道というものは
自分に対して上下右左前後の
いずれかからやってくることは
確実である。
単純化して言うなら、
だから上からの場合、
下からの場合、右からの場合、
左からの場合、前からの場合、
後ろからの場合、
全ての場合において
考えておき、
対処法を編み出していくならば、
その知識は実用的となるだろう。

つまり、
知識は真の意味で
全体像に達した場合のみ、
有益となり、
その真の意味での
全体像とは
具体的状況を含むという
ことである。
そして、
おそらく、
実際に、
ありとあらゆる状況を
考え尽くすことが
できるはずだと私は思う。
そして、
考え尽くした後は
それを本能に浸透させる
ことが大事なんだ。
個々の具体的状況を
一瞬で識別し対応できるような
達人レベルにまで「体得」
することが大事である。

これを別の言葉で
言うならば
早口のヲタクと
本能で動くヤンキー、
どちらも極めることが
大事である、と。

知性や学問、思考を
全面否定はできない。
進化論的に言っても、
ではなぜ、
我々人類皆に
思考が備わっているのか、
それは思考があることで
生存に有利だったからと
なるのではないのか。

そして
全体像を体得してしまえば、
もはや未来予想は必要なくなる。
全てに対処すればいいだけだからだ。 (2020年01月23日 17時52分39秒)

新たな思考課題   もうり さん
こうして、
新たな思考課題が
生じた。
個々の具体的状況に
対してどう処理するかを
考えるということ。
その方法論は先ほど紹介した
武道的思考、
すなわち「状況学」にある。

そして結局のところ、
この状況学の取っ掛かりも
重要なことなので
先人が既に考えており、
それが例えば、
「礼」や「諸武道」「宗教」
ということになるだろう。
しかし、取っ掛かりなので、
具体的状況まで深めるのは
自分の力でするしかない。
武道道場に通ったところで
自分の力であらゆる状況に
関してどうすべきかまで
訓練したことを参考に
考えていかない奴は
結局中途半端で終わるであろう。

しかし、
難しいようで、
宗教はなるほど、
宗教や仏教は洗練されていると
思う。

しかし武道や経済、戦争となると、
途端に難しくなる。

そうして、
ブッダの言葉を
参考にすればわりと
生活に関しては
理念レベルでは掴めるとおもう。

在家のための言葉は
博学で技術あり身を慎み
言葉巧みであること、
これがこよなき幸せである。
解説
「状況学」は結局、
膨大過ぎて全てを学ぶことは
不可能なので、
博学を通過した後、
簿記やプログラミング、
芸術といった特定技術を
選び、その特殊な
経験値を蓄えていきつつ、
その領分において状況学を
やればいい。
そして、身を慎むことは
あらゆる状況に適応できるだろう。
節制も慎みだし、具体的には
道路で脇道を歩くことも、
爪を切ることも風呂に
入ることも慎みである。
筋肉で「引き」締まっているのも
慎みである。
太っているとは
悪い意味で身体が
外向きなんである。
筋肉を付けるとは、
力がつくから外向きなようで、
引き締まるので内向きな
面もあるのだ。
そして夜眠る時以外は
寝ないことも慎みである。
このような慎み深い人が
人に与える印象は、
「洗練されている」、
「気配り」ができる、
といった形で人に対して
負担を与えず、
理想形はその所作の美しさに
相手に良い影響を与えさえするだろう。
慎み深い人は
存在するだけで
善行していることになる。

そうして、
博学で慎むべき点を
抑えかつ実践し
自分の領分に関して
あらゆる場合に適応できかつ
それを行える
人の言葉は
自然と巧みになるであろう。
なぜなら具体的経験に
裏打ちされつつ、
抽象的領域もカバーした
博学だからである。
そんな人の言葉は
自然と人も動かすと思う。

このような立派な人に
なった後で、
さらに両親を敬い、
妻子を護り、
仕事に秩序あり
混乱せぬ状態であるならば
その人の在家としての
目的は果たせているであろう。

だから結局、
自分のやるべきことは
簿記の学習と
身を慎むとは何かの
理解は終了したから、
それを行うことだ。

人は、自分の専門に関して
状況学をやればいい。

今日はここまで
理解したので、
簿記の学習は明日にしよう。 (2020年01月23日 18時29分24秒)

最強の道   もうり さん
最強の道は
結局、
だから愛し合う先にしか
ないと思う。
言葉や概念、
頭の人と、
手足の人たちが
愛し合って
天国において
それぞれにそれぞれの
本質を植え付けることを
することによってでしか、
最強にはなれない。

だから、
ヲタクとヤンキーも、
互いに愛し合うことが
道であろう。
(2020年01月23日 18時36分52秒)

西欧型フェミニスト   もうり さん
西欧のフェミニスト
女性が全裸で抗議した
らしいが、
まあ身体は
性的観点以外からでも
見ることはできるのは
同意するが
でも性器なんて
性的幻想を引き抜いたら
醜いものでしかないので
結局その
醜い身を慎んで服を着て欲しい。

西欧リベラルフェミニスト女性、
ポリアモリーだとか
全裸抗議だとか
畜生道まっしぐらだな。
先進的だと思い込んで
いるのかもしれないが、
野蛮でしかない。


(2020年01月23日 19時07分27秒)

全ての障害者を愛せ   もうり さん
結局、
障害 者たちも
ガイ ジとか侮蔑してないで
愛するべきだとわかる。
各種障害 者の意味、
ようやくわかった。
その健常者にはない
固有のステータス配分を
行っているわけだから、
その強みを、
愛してくれた人には
天国において互いに本質を
与えあうことができる。

だから例えば
視覚障害 者を
愛するならば、
おそらく愛した人は
強い耳の力を
もらえるはずだ。

だから、
完全になるために
むしろ全ての
身体障害や
精神障害者を
愛せと言えるだろう。
ガイ ジとか
言って避けてる場合じゃない。

結局、
人を愛さない人間は
霊的に損してる。
(2020年01月23日 19時22分58秒)

イケメン不倫へのマウンティング   もうり さん
私は
人から
ジャニーズに
入れだとか言われたり
小さい頃から
顔面で好印象を
与えてきた経験があり、
生徒の頃は
自分が人々の前面に立つと
黄色い声援が上がり
小学生の時点で
自分のことを自分から好きになる
女の子がいたレベルなので
あるが、
昔からあんまり
結婚とか恋愛に
関心がなく、
自分の顔面が悪くないことは
知りつつ、
恋愛とか不貞を犯しませんでしたね。

顔面悪くないからって
邪 淫しない人間も
いるんですよ。

世の中は
顔面良ければ
女に困らない
若年時代を送れると
思う人々もいるけど
私は、
本当の意味で女に
困ってないので
童 貞を保っていますね。 (2020年01月23日 19時59分10秒)

自分の道   もうり さん
自分の道としては、
私の世代は
女に走る傾向があると
思ったので、
私は別の道を「選び」ました。
「生 殖」は彼らに任せて
その他の道を模索したのです。
(2020年01月23日 20時22分37秒)

脳科学主義批判   もうり さん
脳科学主義批判

脳で説明付くから
神はいない奇跡はない
言説に関して、
私はそれでも神を信じるが、
自分なりに
批判してみると、
「上から数えられるものは、
下からも数えられる」と、
奇跡が
脳科学で説明付くとしよう。
だが、そもそも今の知覚すら、
脳科学で説明が付くことに
なっている。
では、さて、
普通の人々が認識している
現実ですら、
脳由来なものでしかないのだから、
我々は低い脳状態の意識で
生きている可能性も
あるのではと。

普通の人々が
見ている現実も
脳由来なものでしかない、
このニュアンスつたわれ (2020年01月23日 21時15分57秒)

ネコ科の末路   もうり さん
イエネコの末路を
見てみろ。
自分が主人だと
感じる傾向のせいか、
体は小さく力を
失った。
それに対して
仕えることを知るイエイヌには
強盗から守ってくれたりと、
力や大きさを残している
やつらがいる。
ここで私は、
人々に対して仕えることを
知る人間は、来世において
力を得ると信仰を深めるわけですよ。
ネコを支持する人間は
無意識的に、
自分が権力者になりたいと
思っているのでは?

いつまでも
人々から搾取する人々の
来世は、やがてイエネコのように
力を失い、クネクネするように
なるだろう。

私はイエイヌを支持する。
彼らはイエネコよりも
偉い。

自分が主人だと
思い、
そのように振る舞う人間は
やがて力を失う。 (2020年01月23日 22時29分18秒)

老後が怖くない 相撲の話   もうり さん
なんというか、
孫や子を残さない
ことによる介護者が
いないという
老後のリスクも
怖くないんすよなあ。
だから子ども作らなくても
平気。

結婚がなぜ
婚外交渉すべからず、
婚前交渉すべからずが
正しいのかというと、
それは利益になるからですね。
旧約聖書に由来する儀式魔術です。
従ってそれは
無意識に作用するでしょう。

宗教とは無意識についても
計算した教えなので侮れない。

相撲の土俵も、
あれは魔法陣だと
思っていますね。
魔法陣内部を清めて
聖所にした後で、
そこに留まるものや
地域に
無意識的な利益があるはず。

キリスト教の
パンとワインを食べる儀式とか、
儀式や祭りというものは
無意識に作用させる意味がある。 (2020年01月23日 23時27分40秒)

原始仏教の真実性について   もうり さん
原始仏教の
真実性について。
執着するから苦しむというのが
原始仏教の一つの教えだと
理解しているが、
これは真実だなあと。

ツイッターでは
相変わらず男女問題に関する
やり取りが見られるけど、
性にそれほど執着がなければ
そもそもそれで悩むことがない。

私は未来に対する不安が
なければ過去に対する後悔もない。
日本の政治とか未来に関して、
希望はないのだろうが
不安もない。
来世への仕込みも
終わったので
これ以上は余生とすら思う。

これに
死の覚悟が伴えば
さらに完璧だったのになあ (2020年01月24日 00時32分47秒)

有利でないと気がすまない   もうり さん
自分に有利でないと
気がすまない人々。
多国籍企業は
つまりそういうこと。
不利になることを
恐れなければ
そもそもどんな地域で
生きててもいい。
ただ治安のよい日本で
生きてる私が
言ってもあまり
説得力はないけど
日本内部に限定して
言えば、
私はこの環境から
離脱する必要性を感じない。

グローバルに
世界を飛び回ってより
有利な状況の国に
生きたい人々は
恐れに捕らわれてる
一面もあるということ。

学歴も、
逆説的だが
同質な人間が集まる場所、
仲間や居場所がありそうな
場所を選ぶよりは
孤独な状況に置かれる危険地帯で
生活することが修行になったりもする。
こうして、
私は自分の低学歴を肯定する。
結局のところ、
どんな大学に入っても
修行になればそれでいい。
なぜなら、
私は大学時代に「火と聖霊の洗礼」
を受けたからですね。

(2020年01月24日 02時07分22秒)

修行になった。   もうり さん
結局、
幼稚園から大学まで、
ずっと「勉強するやつキモイ」
と思ってる人々に揉まれて
生きてきたのが修行になったと
思う。

同質な人間があまり
いないこと、
友達がいないことも
有益になりうる。

(2020年01月24日 02時17分13秒)

同質な人間と群れないこと   もうり さん
同質な人間と
群れないことが
大事だな。
なぜなら
同質な人間は
既に自分の中に
居るからだ。

低みに位置することも、
それもまた人生であり
修行だと思うよ。

そうして、私は
弱い人々がキリストであると
言われる理由を探る。
それだったらむしろ、
病人とか貧乏人とか低学歴者と
付き合ったほうが
むしろよいということになる。
東大生との付き合いに
人生の多くを割くよりも。
これはルサンチマンでもない。
あなたは弱い人々、
小さい人々を助ける。
それはキリストを助けたと
みなされる、それはなぜだろうか。

ああ、遂に、
これまでの文脈を通じて、
この意味を理解する時が来た。
これは要するにキリスト教的な
「合掌」なのだ。
主に、弱い人々こそ
死に近いだろう。
つまり、それは天であり
インドでは清らかさ、
仏教ではブッダを示す、
「右手」のことであり、
キリストにとっての右手とは
この弱い人々なのだ。
だから、
キリストは右手に羊たちを
集め、左に山羊たちを集めるのだ。

すなわち、
強者と弱者が愛し合うことは
左手と右手の合掌なのだ。

だから
弱者とはキリスト(右手)
のことなのだ。

だから、
やっぱり自分を有能に
した後では同じ強者たちと
集まって分け前を分かつよりは
貧乏人や弱者と共に生きたほうが
優れているわけであるなあ。

つまり、
本当の意味で
生きたければ小さい人々を
愛しなさいという教えになる。

さて、そういうわけで、
必ずしも東京に出る必要は
なくなったわけであるなあ。

ただ、
色んな「合掌」があると
思うのだけどこれが
基本なんでしょうね。

私は変容の段階にいて、
そこではキリストを中心に、
エリヤとモーセが
いたとあるので
それがヒントになるかもしれない。
エリヤの特徴については
ラファエロやノヴァーリスから
わかるので、
モーセの特徴をここのブログで
探してみるとしよう。
エリヤと
モーセを合掌させることが
道です。 (2020年01月24日 03時56分23秒)

四福音書 マタイは悟性魂   もうり さん
四福音書、
ここのブログに
マタイ福音書についてを
付け加えるならば、
ヨハネー叡智ー意識魂ー智慧
ルカー供犠ー心情魂ー慈悲
マルコー創造力ー感受魂ー自利利他
マタイー戒律ー悟性魂ー三毒のないこと
ってことだろうと思う。

結局、
キリスト教も
曼荼羅に行き着いている。
(2020年01月24日 09時26分27秒)

創造力について   もうり さん
四福音書的に自分に
足りないのは
マルコというか創造力だと
思うけど
言葉の創造力は
既にあるんで、
残るは物質的創造力、
すなわち労働スキル(簿記)
のみだな。
労働スキル身につけた後の
やるべきことが
結構難儀で、
それは四福音書には
書かれていない広大なる
慎みの実践のこと。

今日は体調悪く
労働休みます。 (2020年01月24日 09時58分48秒)

仏教経済学   もうり さん
気温や気候でも
頭痛になる
自分としては暖冬
ありがたい。

一番の経済政策は
国民が戒律を守れるように
なることだと思うよ。
戒律と経済、一見無関係に
思えるが宗教を学んできた
私の直感だ。
なぜなら国民が
負のカルマを作らないからだ。
ここに布施波羅蜜を追加で
やるなら経済は安定するだろう。
善のカルマが積まれるからだ。

結局、
経済の根本的原理とは
カルマであり、
負のカルマを蓄積せず、
正のカルマを蓄積することなのだと
思う。

人間や企業の能動的な
贈与や善行、投資といったものが
経済を安定化させる原理であり、
これなら博打のような
イノベーションに頼る必要は
なくなる。

今、人々は贈与を損だと
誤解し得するために
受動的だから
経済は低迷する。 (2020年01月24日 11時07分24秒)

世間的なものは低い段階   もうり さん
「世間的」なものは
低い段階ですよ。
儒教だとか学歴だとか
高所得だとか仕事とか
恋愛や結婚に拘る段階。
相対的な強者の段階で、
それよりは
「離世間的」なもの
老荘的なもの、
相対的な弱者、貧乏人、
ブラック労働者、
肉体労働者、奴隷、
苦行者、哲学や真理に
拘る人間のほうが
高い段階ですよ。

さらにそれより
偉いのが
出世間の段階ですね。

十住心論を読めばわかる。

ポイントは、
相対的な強者よりは
相対的な弱者のほうが
偉いというところですね。
ルサンチマンでもなんでもなく
死に近い分だけ霊的だからですね。
ポイントは
マッキンゼーで働くよりは
ブラック労働者のほうが
相対的な弱者なので
偉いということですね。

いわゆる
世間的な物差しが
絶対的ではないということです。

(2020年01月24日 16時06分31秒)

世のもの   もうり さん
キリストや
神的なものは、
そもそも「世間」的なものから
遠いほど近くなるので、
霊的な位階が
世間的な仕事の凄さで
決まるわけじゃないですね。
確か聖書にも、
世はキリストを嫌うと
書いてあったと思います。
だから、
そもそも仕事の凄さで
競う必要もない。

今の大学文化も
結局、世間的なものでしか
なくなったんで、
学歴に拘る必要もないですね。
まあ日本にとっての
大学が、単に立身出世のためで
あるに過ぎないのは
空海の時代から既にそうだった
みたいだけど。 (2020年01月24日 16時17分38秒)

承認欲求から解脱する方法   もうり さん
自分を守りたい気持ち、
俺スゴイをチンパンのように
アピールしたい気持ち、
つまるところ承認欲求から
解脱する方法わかった。

自分の弱点、欠点、
人からは到底承認されないだろうな、これ見せたら立場が危うくなるなってのを表面していけばいい。
(2020年01月24日 19時08分36秒)

独覚と離世間   もうり さん
独覚と離世間は
同じ層にある。

儒教が世間、
老荘思想や哲学が
離世間、
その中道の
仏教に入ると出世間。
しかし仏教の中で
再び
声門が仏世間、
独覚が仏離世間、
菩薩がその中道。

頭の良さは人間の
本質ではない。
「どこに向かうか」という意志、
これが人間の本質だ。

なので、
大学も
次のように位置付けられるだろう。

金のために仕事のために
大学を利用する人々が
大学を「世間」大学として
扱う。
金や成功に関心がなく、
神や真理に関心のある
人々は大学を「離世間」大学
として扱う。
その中道の
出世間的大学とは
種智学院大学や
高野山大学、
西洋では
精神自由科学大学といった
ものである。

しかし、
キリスト教や
イスラム教系の
神学校は
単なる離世間的大学だと
思うよ。

なので、
そもそも東大京大と
高野山大学は次元が
異なり
世間的には東大がよくても
段階としては低次にあるのが
東大ですね。

(2020年01月25日 10時43分11秒)

マタイ詳しく 戒学   もうり さん
戒学は貪欲に対応し
定学は怒りに対応し
慧学は無知に対応すると思う。

マタイは戒律といったが、
さらにその
戒律を詳しく言うならば
太陽のように愛せ、
敵を愛せが
ルカ福音書に対応し、
天の富を蓄えよ(経済)、
裁くな(政治)
求めよ(精神)、
善を為す時は見られないように
せよがマルコ福音書に対応し、
意「怒るな(不シンニ」
姦 淫するな(不貪欲)」
口「誓うな」
身「復讐するな、悪人に
刃向かうな」が
マタイ特有のものだと
思っていますね。

すなわち、
ヨハネ福音書が
叡智で
ルカ福音書が
愛の供犠で
マルコ福音書が
創造力、
マタイ福音書が
基礎ということだと
思いますね。

(2020年01月25日 10時56分53秒)

眠い理由   もうり さん
眠気や脳の疲れがとれない
理由、わかった。
これネットのやり過ぎだわ。
(2020年01月25日 15時28分22秒)

身体の神智学   もうり さん
身体の三分節
頭ー神経系
胸ー循環器系
腹部手足ー新陳代謝系

手足自体が
右側が頭部で
左側が脚部

故に右側が天で
左側が地。
合掌とはその中道。

頭部の脳自体も
右脳が天で
左脳が地。

手の親指ー霊我
人差し指ー自我
中指ー心
薬指ー生命
小指ー肉体

足の親指ー霊我
人差し指ー自我
中指ー心
薬指ー生命
小指ー肉体

手足の指自体が
五相成身観となっている。 (2020年01月25日 16時26分37秒)

私のお気持ち   もうり さん
肉体労働者や
運送流通屋を馬鹿にすんじゃねえ。

取りあえずシモーヌヴェイユの
労働論をネットで調べたくなった。
彼女にとっては言わば
肉体労働>頭脳労働
だからなあ。




(2020年01月25日 18時26分10秒)

身体論弐   もうり さん
身体論弐
脳ー心臓ー股間
股間は脳に届き(フロイト)、
脳は股間に届く(エ ロ本)。
(2020年01月25日 19時59分25秒)

否定性の肯定   もうり さん
否定性を肯定する。
そうしないと
人間は全面的になれない。
しかし
結局思考停止に陥るなら
否定性があっても活用できないが。

例えば、
言葉の世界に生きる人は
言葉の虚無に気づき
肉体労働に憧れ、
肉体労働者も
否定性に気づいて
言葉の世界に憧れてる
人もいるかと思う。

だからこそ、
晴耕雨読は
農業者にとっての
道なのだ。

しかし
視野狭窄に陥れば
農業者でも
実益のみ意味がある、
となってしまうが。

だから、
この世界は
よくできていて、
自由意志とは
肉体労働も知識労働も
意志できる、
ということなのだ。
この世界は、
完成者にとって
有利なように作られている。

知識労働絶対主義みたいな
人間は知識を高く見積もり
過ぎている。
やがて知識の虚無に
気づいたならば、
肉体労働が
それを埋める手段だと
気がつくだろう。
それと同時に、
頭脳に割り振り過ぎて
肉体労働に
向いてないように
発達してしまったようにも
なりうるだろう。

それゆえに、
人工知能により
肉体労働がなくなるとすれば、
人類にとって後退を
もたらすと私は思うのだ。

言語ゲームなんて
虚しいものが自由なんて
とても思えないね。
それは半分の自由でしかない。 (2020年01月25日 20時14分37秒)

フロイトのアンチテーゼ   もうり さん
フロイトのアンチテーゼ
として、
股間の
背後に脳がある。

つまり、
その人の思考が
精 子や卵 子の質や量に作用
すると。 (2020年01月25日 20時41分17秒)

肯定性と否定性   もうり さん
肯定性と
否定性は
移動の原理だ。

(2020年01月25日 20時44分29秒)

ゲーテくん   もうり さん
なんか
夢で
ペルソナで
言うところの
「愚者」のアルカナMAXに
なる夢を見ました。

なんか、
イケメンの理系が出てきて
自分は文系に対しても
アイデアがあるといい、
そうして私も理系に対して
アイデアがあると、
互いに同時に言って意気投合
した後、
なんだ夢かってなったら
霊体としてそのイケメン理系くんが
出てきて日本刀で戦うことになった
けど、最終的に、
なんだ彼は自分かって
なって一体になったら、「愚者」の
コミュレベルMAXになって
歌舞伎役者のようなペルソナが
出てきて
「永遠に高みを目指して
修行する」というスキルを
得てゲーテくんと呼ばれる
ようになる夢でしたね。

たぶん、
昨日、身体(理系)
の神智学まで
やったからだろうと
思いますね。
思考において
霊が肉を掴んだからだと
思います。 (2020年01月26日 00時42分55秒)

ニーチェの顛末   もうり さん
超人思想の
ニーチェ、
言うて精神崩壊が
その顛末でしたやん。
 
ニーチェの言う超人は
敗北主義の思想であり、
物質と姦 淫する思想
なんですよ。
神に向かうことではなく
物質に堕ちていくことを
勝利だと妄想したのが
ニーチェですね。
神もその性質上、
死も生もないのに
死んだと妄想した病人が
ニーチェですね。
死ぬのは地上存在のみです。
神は地上存在ではありません。

絶対者となるべく
壮大なる修行の道、
完全者への道から
逃げ出そうとするのが
ニーチェの
言う超人です。
そうして、
そのような修行に
ありつけているのは
いわゆる物質的弱者たちで
あって、
しっかりと勝負しているのは
物質的弱者たちなんですよね。
物質的強者たちはまた、
物質をマスターしつつ、
支えるという役割なのかも
しれないと全否定は
勿論しないけど。

唯物論者も、
自分を肉体の中に
閉じ込めてしまうから、
第一イニシエーションにすら
至れない。

私は革新的なので、
我々が修行によって
キリストと同等となった
時、今度は何千万もの
人間だったキリスト存在が
出現して、
さらに迷える存在の
救済にそれぞれ向かいつつ、
しかも全てのキリスト存在が
遍在能力をもっている (2020年01月26日 17時48分57秒)

カラーパイの総合   もうり さん
カラーパイも
総合してみた。
霊我ー白ー中心
自我ー「能動的」な赤ー右
心ー「完全」な青ー上
生命ー緑ー左
肉体ー黒ー下 (2020年01月26日 18時38分36秒)

経験を積む   もうり さん
経験を積むだけでいいなあ。
肉体労働は苦手だし、
経験したことあるから
もういいかなと。
得意不得意があるけど、
不得意なものも
経験しておき、
結局得意なことをやる、
これでいいのかもしれない。
肉体労働は
農業してた時期と
工場してた時期合わせて
六年間、
スクワット五百回とか
してた時期はそんなに
長くはなかったけどね。

つまり、
私は理系も苦手だけど
理系の書物を経験したことがある、
それでいいのかもしれない。

苦手なものを克服せよとは
言わないが、
経験はしておくこと。 (2020年01月26日 19時04分37秒)

今日したこと。 私の悟り   もうり さん
今日は
簿記の勉強できました。

私の悟りは
「自我は在る」という
内容ですね。
自我を強固に感じるが
それでも、
もはやあんまり宗教を
必要とはしない。 (2020年01月26日 19時12分12秒)

ボイスパイ   もうり さん
カラーパイは
視覚における
色に位置付けられる。
だから
ボイスパイも
可能であろう。
霊我ーお
自我ーえ
心ーう
生命ーい
肉体ーあ、だ。

色彩と
音の他、
残り三つは
匂いと
味と
触感だが、
触感に関しては
五輪塔で理解できよう。

例えば触感においては
肉体ー四角形って感じだ。

味と匂いに関して、
種類で調べてみるか (2020年01月26日 19時33分12秒)

味パイ   もうり さん
味パイ
霊我ーうま味
自我ー塩味
心ー酸味
生命ー甘味
肉体ー苦味

残るは匂い (2020年01月26日 19時39分12秒)

五感と五輪塔   もうり さん
触ー肉体ー五輪塔
肉体ー地輪
生命ー水輪
心ー風輪
自我ー火輪
霊我ー空輪

味ー生命
肉体ー苦味
生命ー甘味
心ー酸味
自我ー塩味
霊我ーうま味

匂いー心ー謎

音ー自我
肉体ーあ
生命ーい
心ーう
自我ーえ
霊我ーお

色ー霊我ーカラーパイ
肉体ー黒
生命ー緑
心ー青
自我ー赤
霊我ー白

あと匂いだけなんだけど、
これが難しい

(2020年01月26日 19時54分20秒)

五感の総合完成   もうり さん
触ー肉体ー五輪塔
肉体ー地輪
生命ー水輪
心ー風輪
自我ー火輪
霊我ー空輪

味ー生命
肉体ー苦味
生命ー甘味
心ー酸味
自我ー塩味
霊我ーうま味

においー心
肉体ー臭い
生命ー匂い
心ー香
自我ー薫
霊我ー芳

音ー自我ー二種類
まず自然音から。
肉体ー打楽器的
生命ー弦楽器的
心ー木管楽器的
自我ー金管楽器的
霊我ーオーケストラ

音ー自我ー声
肉体ーあ
生命ーい
心ーう
自我ーえ
霊我ーお

色彩ー霊我ーカラーパイ
肉体ー黒
生命ー緑
心ー青
自我ー赤
霊我ー白 (2020年01月26日 20時25分03秒)

色受想行識   もうり さん
そうして、
最終的には
色受想行識と
なってくる。
色と受は
上記の
知覚内容と五感が
対応し、
想には貪欲、
肉体ー食欲
生命ー財欲
心ー性欲
自我ー名誉欲
霊ー睡眠欲が対応し、
行には怒り、
肉体ー不安
生命ー軽蔑
心ー嫉妬
自我ー怒り
霊ー憎しみが対応し、
識には
肉体ー大円鏡智
生命ー平等性智
心ー妙観察智
自我ー成所作智、
霊ー法界体性智が
対応する。

そんで、
この五つ自体が
肉体ー色
生命ー受
心ー想
自我ー行
霊ー識となっている。

こうして、
曼荼羅ができた。

今まで霊我だと
思っていたものは
空というか、
「霊」に変更する。
この霊が金剛界曼荼羅として
エレメントを配置したら
霊我であり、
胎倉曼荼羅として
エレメントを配置すると
生命霊、
その不二を即身成仏ー霊人
とする。

(2020年01月26日 21時32分22秒)

自然観   もうり さん
こうして
五蘊はさらに
自然へと進んでいく。

地球の核の周囲を
プレートや大陸が
旋回し、
川や泉を含めて大陸の
周囲を水が
旋回し、
その周囲を
風が旋回し、
太陽(火)が
地球をある意味で
旋回する。
さらにこの
鉱物に植物が
根付き、
植物の生々流転に沿って
草食動物が旋回し、
草食動物を追って
肉食動物が旋回する。

こうして、
私はさらに
もっと具体的に
自然について
ネットで知りたくなった。
例えば、
山の種類、
波や風の種類、
雨の種類等について知り、
総合したくなった。

五蘊に対応する
私なりの実践が、
自我ー叡智
心ー愛
生命ー創造力
肉体ー戒律に
対応するキリスト密教的実践だ。

さらに五蘊は
知覚論から、
身体論に意識が
向くならば
ここでの神智学的身体論や
フロイトのアンチテーゼ
ということになる。

そうして、
五蘊とは自我のことなので
これは意識的な自己の
実践項目であり、
無意識的自己の実践は
アクティブイマジネーションで、
自然的社会的自己の実践は、
さらに識別能力を増やすことで
より発達するかもしれない。

(2020年01月26日 22時01分58秒)

自然の時空旋回   もうり さん
自然というか
地球の空間的、
及び時間的な旋回。
空間的旋回は
先ほどコメントした。
しかしなんと
時間的にも
季節として、
春夏秋冬と旋回している!
またついでに自転もしてる。 (2020年01月26日 22時18分31秒)

理科目の統一構想   もうり さん
まあ
ウルオボエの
高校で理科習ったことを
発展させると、
理科目の統一構想に
達した。
先ほどの地球論は
マクロな視野であったが、
ここで物理学に戻ってみよう。
物理学もマクロなものを
統計的確率論的に扱うことが
あるのは置いといて、
まず素粒子から始めるのが
物理学だとしてみよう。 
まず物理学は
最も細かいもの及びその
最も小さい粒子内部の力学から
始める。
とすると、
私は物理学のこれらの
原理が明らかとなったならば、
それは化学を基礎付けるように
思うのだ。
なぜなら化学とは
粒子的素材の結合と分離、
すなわち素粒子間の関係を
問う場合に発生してくると
思うからだ。
こうして化学的構造、
元素の合体的構造の
「成立」法則が
物理学によって基礎付けられると
共に、化学的方法によって
独自のスパイスが与えられるとすると、続いて、化学がこの
粒子の構成物、例えば水だとかの
そのものの振る舞いを解明したとすると、今度はそれは鉱物学や
水流力学といったものとして、
よりマクロなものへと発展しうる、
地球科学的なものを基礎付けるものとして接続してくると考えられると思うのです。

こうして、
確率論に頼っていた
マクロ的地球システム科学が
素粒子から因果関係的に
理解可能となるのではないかー、
と私は思うのだ。

こうして
私は
高校の科学を
よく考えるだけによって
素粒子物理学と
化学と地学と生物学の
関係性の地平を開いた。

ちなみに、
地学も生物学も
旋回していて
素粒子物理学も
旋回しているけど、
化学における
旋回性は
何だろうかと
気になっています。

あと素粒子は幾ら解析しても
無限により小さな構成要素が
出てくるだけで、
本質はエーテルだと思っています。

なので、思考が
物質に作用することも
ありうると思っています。

なんで日本は極端な
気候になったのかというと、
日本人が二元論的に考える
ようになったからではとか
思ったりします。
(2020年01月26日 22時48分36秒)

自然科学の全体像   もうり さん
化学における旋回性、
わかった。
化学は
安定した
仮の言わば「完全な固体」と
なったなら、
それは金属結合のように、
旋回性は
その分子の周囲を
電子が旋回するという
形になるが、
不安定な分子の場合は、
絶えざる化学反応による
生々流転という
マクロな視野が
化学の旋回性だな。

なんか、
地球化学ってないやろうか。
地球規模での
その内部分子の
化学反応のプロセスを
調べる学問。
調べてみよう。

すなわち、
自然科学の全体像は
次のようにイメージできる。
太陽系があり、
地球がある。
地球の核を中心に、
大地や海洋や風が
旋回している。
その地球の鉱物に
植物が根付き、
生々流転、移動して
それを追って動物が旋回する。
これが有機体学的な
視野で、
その内部をよく分析すると、
もっと細かい素材が
くっついたり離れたりを
繰り返して有機体学の
中を生々流転旋回している。
有機体学を具体化すると
こうして化学に至る。
さらに、その化学の
一つ一つの粒子を調べるように
なると物理学に至る。
そんで電子も原子を旋回している、
そして素粒子に至る、
というわけである。 (2020年01月26日 23時46分32秒)

色受想行識の具体化   もうり さん
色受想行識の
具体的対応付け

色ー外界ーマタイ
受ー知覚器官と構造としての
身体ーマタイー戒律ー基礎
想ー腹部と股間ーマルコー創造力
行ー心臓と口と手足ールカー愛
識ー頭脳ーヨハネー叡智

こうして、
仏教的キリスト教となった。
これが
意識的かつ具体的な
自我像であり、
宇宙的自己像は
上記の自然科学の
具体的全体像となる。
そんで、
無意識的自己の全体像は
曼荼羅だろう。

これまでの
曼荼羅的考察は
全て無意識的自己のための
もので、
今ようやく
意識的自我と
宇宙的自己の全体像が
把握されたと思う。
無意識的自己の
実践は五密であり、
意識的自我の実践は
叡智と愛と創造力と戒律であり、
ということは、
宇宙的自己における
実践とは何かという問いが
残ります
(2020年01月27日 00時20分49秒)

宇宙的自己的実践   もうり さん
宇宙的自己的実践、
これ、
「完全なる自然」を
芸術によって
表現することだろうな。

おそらく、
完全なる自然を
芸術しえたものは、
来世において、
それだけ完全なる環境を
準備することとなるだろう。

無意識的自己的実践は
哲学であり、五密であり
意識的自我的実践は
宗教であり、
宇宙的自己的実践とは
利他であり芸術である、と。

そうして、
今までわからなかった
問い、すなわち、
来世において環境を完全な
ものにするためには
何をすべきかが
わかったのでよかった。

だから、
私はこれからは
宗教的には戒学よりで
いったほうがよくて(愛の地球)、
できれば芸術に着手したほうが
いいと思想する。 (2020年01月27日 00時39分15秒)

神意解釈学   もうり さん
そんで、
私の場合、
その芸術とやらは
神意解釈学という
即興文学で良いんだなと。

簿記やって、
マタイ福音書実践やって、
神意解釈学やる、で
たぶん方針固まった。
(2020年01月27日 01時25分42秒)

地球と知覚の層構造   もうり さん
そうして
目ー太陽(黒緑青赤白)
耳ー音(あいうえお)
鼻ー風(臭匂香薫芳)
舌ー水(苦甘酸塩旨)
触ー地(地水風火霊)であり、
両者とも
層構造でありつつ、
その階層の高さも
一致している。
こうして
五蘊における
受と色は、
そのまま自然科学と
接続する。

そうして
識は、
そのまま哲学というか
精神科学に接続する。
精神科学においても
それは霊的な自然科学であるに
過ぎない。
例えば、
アストラル界の
「大陸」領域等といった
風にである。 (2020年01月27日 02時02分46秒)

さらなるまとめ   もうり さん
さらに
まとめると、
地球は自転し
太陽系を旋回する。
地球は核から
大地、海洋水流、大気圏、太陽
と同心円的階層構造となっている。
具体的に分析すると
粒子の結合や分離の化学反応の
生々流転となっており、
一つ一つの粒子は物理学及び力学である。一つ一つの粒子が
「周囲」のものと結合し
分子となって、
これらがさらに整理され
結合されて大陸や海流となる。
以上全体が大円鏡智。
さらに、これらを
鉱物として、
鉱物に植物が根付いて
植物の生々流転を追って動物が
旋回し、人間が動物を食べるように
なっている、
鉱物植物動物人間という、
階層構造が同心円的に
なっていて、
これ全体が生命、平等性智である。
そうして人間の
色受想行識も、心であり
妙観察智であり
色と受が自然の階層構造と
一致して一つとして
身想行識とするならば、
大円鏡智が鉱物として
平等性智と接続し、
平等性智が身体として
この妙観察智と接続するのである。
そうして、この
妙観察智の識が
次の成所作智というか
自我の段階と接続して
精神科学となる。
この精神科学でも
アストラル界の
大陸領域、
天界の大陸領域等として
高次の自然として
現象している。
そうして人は
輪廻転生によって
進化してゆく。

こうして、
自然と生命と意識と霊が
一本の紐のように
結びつけられた。
外界と内界は一本の
道となっており
繋がりがあるであろう。 (2020年01月27日 02時26分20秒)

自我が精神科学なら   もうり さん
成所作智が
精神科学であるとして
法界体性智に
当たる、
人間全体に当たる部分が
自然科学と精神科学の
総合科学である。
それは
シュタイナーのように
精神のみの側面で
語る事はせずに、
自然の真理も精神の真理も
その一冊の内に込めるものだろう。
(2020年01月27日 02時47分37秒)

zodiac   もうり さん
そうして、
自然観は
さらに結合されて、
地球は七惑星の一部として
階層構造を持つようになる。
この階層構造がまた、
肉体や生命、等といったものと
一致するようになる。
これらが同心円上として、
十二星座、zodiacが
最外枠の円周とされる。

ちょっと七惑星の対応を
調べてみますね。 (2020年01月27日 06時41分59秒)

七惑星と人間   もうり さん
そうして
七惑星と
階層構造との対応
肉体ー月
生命ー水星
心ー金星
自我ー太陽
霊我ー火星
生命霊ー木星
霊人ー土星 (2020年01月27日 06時47分01秒)

十二星座の階層構造   もうり さん
そうして、
実は十二星座にも
階層構造があるというのが
私の直感である。
シュタイナーの
zodiac的哲学観から、
十二星座とは
自我の三側面と
心の三側面と
生命の三側面と
肉体の三側面、
つまりカバラ的なるもの、
十住心論、アリストテレスの
カテゴリー論的なるものと
対応すると思うのだ。

これも遂に今確認してみよう。 (2020年01月27日 06時56分08秒)

十二星座的カバラ哲学   もうり さん
自我
客観ー神霊主義
中道ー唯霊論
主観ー単子論

客観ー合理主義
中道ー観念論
主観ー心魂論
生命
客観ー力本主義
中道ー実在論
主観ー現象論
肉体
客観ー感覚論
中道ー唯物論
主観ー数理主義

客観は客観で
中道は中道で
主観は主観で
階層構造を成している。
これが、
さらに
唯神論と直観主義と自然主義の
三つに抽象化されると
神智学、人智学、ヌーソロジーとなり、
さらに抽象化されて
擬人観となった未来、
おそらく科学と神話が
一致した学問が出現している
であろう。

さて、
それでは具体的に
対応する十二星座を
調べてみる。 (2020年01月27日 07時12分20秒)

zodiacと思想   もうり さん
自我
客観ー神霊主義ー水瓶座
中道ー唯霊論ー山羊座
主観ー単子論ー射手座

客観ー合理主義ー牡牛座
中道ー観念論ー牡羊座
主観ー心魂論ー魚座
生命
客観ー力本論ー蠍座
中道ー実在論ー天秤座
主観ー現象論ー乙女座
肉体
客観ー感覚論ー獅子座
中道ー唯物論ー蟹座
主観ー数理主義ー双子座

客観ー
自我ー神霊主義ー水瓶座
心ー合理主義ー牡牛座
生命ー力本論ー蠍座
肉体ー感覚論ー獅子座

中道ー
自我ー唯霊論ー山羊座
心ー観念論ー牡羊座
生命ー実在論ー天秤座
肉体ー唯物論ー蟹座

主観ー
自我ー単子論ー射手座
心ー心魂論ー魚座
生命ー現象論ー乙女座
肉体ー数理主義ー双子座

土星ー霊人ーグノーシス主義
木星ー生命霊ー論理主義
火星ー霊我ー主意主義
太陽ー自我ー経験論
金星ー心ー神秘主義
水星ー生命ー先験主義
月ー肉体ーオカルト主義

この七惑星が
各々、十二星座の各世界観を、
さらに階層化する。

さらに抽象化すると
霊我ー太陽ー有神論ー神智学
生命霊ー月ー直観主義ー人智学
霊人ー地球ー自然主義ーヌーソロジー
となり
最終的には
モナドー地球ー擬人観ー
エーテル科学となるだろう。

こうして、自然領域における
太陽系まで思想した。 (2020年01月27日 07時31分30秒)

訂正する   もうり さん
十二星座と
七惑星による
世界観を、
さらに一体とすると
有神論と直観主義と
自然主義となり、
この三つ自体を一体とすると
擬人観となると訂正する。 (2020年01月27日 07時37分08秒)

簿記が楽しい   もうり さん
簿記の仕事、
今日も頑張ってきました。
貸し方に諸口があり
借り方に諸口がある
場合は、
1例えば借り方に諸口が
あるものは貸し方に
普通預金などがあり、
2貸し方に諸口があるものは
借り方で
使われる。
つまり、
お金の流れが
1→2となっている。

自分は簿記の学習で
「驚ける」ので
この仕事が「今のところ」
楽しい。
少なくとも、
肉体労働にこんな
楽しさはなかったので
天職ではないかと
思う。
公認会計士にまで
昇り積められるほどまで
理解できるのかは
不明だが、
関心をもって仕事に
取り組めるので、
なんかやっぱり、
人は絶対的に労働が
嫌いなわけではないみたいだ。
「今のところ」。

私の場合、
人のために仕事を
したいよりも
簿記に発見があるから
仕事をしたい、だな。 (2020年01月27日 16時35分45秒)

事務を極める   もうり さん
そうすると、
夢は公認会計士と
行政書士ってなるわなあ。
単純なので
すぐ希望を見いだしてしまう。

虚学だけでなく
実務にも適正が「ありそう」
なのは嬉しいところ。
必ずしも文系理系という
関係ではなく、
宗教と科学や
虚学と実学といった
関係もありますね。

実務は語学は
文法にしか関心
もてなかったからなあ。
それに結局、
語学も虚学でしかないように
感じてしまう。
プログラミングは
アルゴリズムというか
算数的規則を創造するのが苦手。
プログラミングは
算数レベルの
アルゴリズムを創造するのが
楽しい人向けではと思う。
私の脳はそんな仕様じゃない。

算数が得意な人はたぶん、
土木にも向いてると思う。
その人が動作性知能も
備えているならば。

結局、
関心をもてる仕事が
天職だというのが持論です (2020年01月27日 16時59分48秒)

エクセルの楽しさとは   もうり さん
エクセルは
それ自体は楽しくない。
エクセルの内容が
それの楽しさを決めると
思う。

エクセルやワードも
必要になったから
学んでいこうと思う。
結局、
目的なき学び、
あるいはすぐに
使う必要がないのに学ぶ
技術は身につかないんじゃ
ないか。

大学で
エクセルの資格講座
とったことあるけど
使わないので忘れてしまってる。

虚学は
むしろそれ自体として価値が
あるから学んでも
覚えていられるが、
語学とか技術的なものは
使わないのに学ぶとしたら
さらっと通すだけで
いいかもしれない。


(2020年01月27日 17時23分22秒)

企業教育   もうり さん
だから、
大学に
職能を期待するのは
間違いだと思う。
実際にそれを扱う
企業が技術教育しなければ
結局身につかない説。
つまるところ、
大学で職能教育するより、
企業で職能教育したほうが
リターンが大きい説を掲げる。 (2020年01月27日 17時27分35秒)

人生充実による逆説   もうり さん
私は
食べるのが好きというか
言い換えるならば
食べることが
私にとっての
酒であり、タバコであり
パチンコだという
ことなんですが、
思索生活と実務生活が
充実してきて、
もう夕飯抜いて
一日二食でよくねって
なってきましたね。
続くかはわかりませんけど
思考が充実していることが
食欲の代わりになっていると
思う。
腹は空くのだが
それでも思考が充実しているから
もういいやってなってます。

人生が充実してくると
欲望はむしろ減る説。

(2020年01月27日 18時53分56秒)

客観的精神   もうり さん
色受想行識から
精神科学に至るとしたが、
それは誤りだった。
自然、生命、心、
の次は世俗社会がこなくては
ならない。
つまり、
自然、生命、世俗的心に
世俗的社会である。
世俗的心における
想は貪欲であり、
行は怒り、識は無知であり、
あるいは相対的な知恵である。
それゆえ、我執が生じ、
我が物という意識、
すなわち所有欲が生じる。
ここから世俗的社会が始まる。
世俗的社会は愛憎と偏りの
世界であり、自然界においては
化学に対応する。
従ってその国家や
国際社会は地球的化学プロセス
のように
不安定なので原理的に
平和は有り得ず、
全ての人間を世俗社会は
救済不可能であると思う。

しかし、
この相対的世界を
総合したり統合したりして
客観的に
一体的調和を表現するのが
すなわち芸術であり、
それゆえ芸術も
絶対的理念の一つとされる。
これを主観的に
実際に自らの内に
全人類を宿すような
普遍的人間になろうとする
試みが、すなわち宗教である。
それを思考で試みるのが
精神科学で、
宗教が中間である。

従って平和は
精神科学ー宗教ー芸術に
向かう以外に
やってこないと思う。
しかもそれは
世俗的な心が
望む形ではこない。
なぜなら世俗的な心と
世俗的な社会とは
そもそもカテゴリーが
違うからである。
従ってそもそも
世俗的な心の人が
悔い改めない限り
彼らは修羅道を歩くだろう。

まとめると
肉体ー自然
生命ー有機体学
心ー世俗的な心
自我ー世俗社会
霊我ー芸術(霊的地上界)
生命霊ー宗教(霊的心)
霊人ー精神科学(天国) (2020年01月27日 22時50分09秒)

男系遺伝子   もうり さん
苗字が代々男系だったの、
どうやらこれ
男尊女卑イデオロギーでは
ないっぽい。
男系遺伝子のほうが
残りやすいそうな。
男系男子とかで
調べたらでてくると思います。

それゆえ、
男の苗字に
合わせるのは同意だし、
夫婦別姓にも反対する。

(2020年01月28日 08時26分42秒)

お昼残した。   もうり さん
お昼ご飯、
ほとんど残してしまった。
朝にたくさん食べたからだ。
もうわたいの胃も若くない。

職場で、
人間関係の悩みも
全くなく、
事務作業で眠たくなることも
一切ない。

あまり食べなくても
よくなったのは
良好な人間関係が
増えたからだと思う。

仕事も、
趣味に満足したので、
別に家に帰ることを
焦る必要がない。

趣味に対する渇愛が
減ったので、
もはや平気で
家で仕事の勉強の時間を取れる。

大学の名誉教授を
紹介してくれるという
話も出てきた。
どんな分野かは不明。

工学博士とは
既に付き合いがあるが。

工学博士の
やってる最先端の研究、
その映像見たけどすごかった。

なんか、
やっぱり、私の日頃の
功徳なのか、
頭がよかろうが
悪かろうが関係ねえ、
誰もが人間だって
タイプの頭のよい人と
ばかり頭のよい人の中では
出会うことが多い。
私は人間関係それ自体を
楽しめるので、
あんまり賢さは関係ないんだよな。
賢くない人とも
普通の日常会話を
するけど楽しい。

ツイッターは
人を「選別」するがそれとは
対照的。

なんだろう、
私は陰キャとか
陽キャとか、関係ない次元に
生きてるっぽいな。

なんか生徒学生時代が嘘みたいだ。
私はこの時期は
トイレに閉じ込められて
掃除道具を上から投げ込ま
れたり歩いてたらいきなり
殴られたり髪の毛に唾をはかれたり
嫌なことばかりだったのになあ。 (2020年01月28日 17時18分20秒)

世俗的社会   もうり さん
絶対的に
正しい社会などない。
なぜなら社会に
原理がないから。
なぜならそもそも
世俗的社会における
原則というのは
相対的であるからだ。

だから救いは
そもそも世俗的社会には
存在しない。

だから
ただただ、
絶対の側で生きるには
どうすべきかを考えたらよい。
それが
私の場合は
叡智と愛と創造力と戒律だ。

ちょっと簿記する前に、
次の課題を考えてみよう。
すなわち
神に祝福された場合の
二つの道である。
神に祝福されたから
天にすばやく召し上げられたり
迫害されて死ぬか
それとも
神に祝福されたから
生き残れるか。 (2020年01月28日 19時13分00秒)

霊にとっての長寿   もうり さん
生の目的を果たしたり
清らかな聖なる生活を
送ったりと、
霊にとっての長寿を
全うするなら、
早死できる。
それをしないで
神に祝福された人は
生きのびる、という結論だな。

絶対的な領域で
生きる人は、
全てと結びつくことになるので
生き残るだろう。

ただ、敵を愛したり、
神のために迫害されたり
する場合もあるが、
この場合も、むしろ
良い報酬がある。

昨日は
簿記の勉強をする前に、
いつの間にか寝てた。

ネット閲覧で
体力を浪費してしまう。
取りあえず、
五密を復活させて
簿記の勉強しよう。
ネットは控えないと。 (2020年01月29日 05時24分24秒)

哲学宗教芸術   もうり さん
偶然解釈学が
哲学で
叡智愛創造戒律が
宗教で
五密が芸術だな。
考えの訂正 (2020年01月29日 06時05分39秒)

嬉しいこと   もうり さん
嬉しいことに、
今日は女性から、
穏やかだとか
わしと話すのが
楽しくて仕方ないと
言われましたね。
それに、性欲抜きで。
なぜなら彼女さんは
既婚者だからです。

それに、
秘密も打ち明けてくれました。

後、
私は私の知っている
工学博士と、
その人が知っている、
大学名誉教授を
引き合わせる算段を
立てています。

なんだろうか、
大学生までは
悲劇の役者だったのが、
やっぱり急激に
喜劇に移り変わって
行こうとしている。
以前ここで、
私にはもう悲劇は
似合わないかなと
書き込みしたが、
そのとおりになりつつある。

この偶然にも理由があるとすると
それは私が今まで無償で
ハードカバーを含む本を
読み終えたものは
ほとんど寄贈してきたり、
ここで身銭を払って加工した
面白情報を無償公開してきた
功徳ではないかと
思う。

来世において、
相対的社会ではなくて
絶対的社会に近く生きたいのなら、
自分が生き残るために
金や情報に執着するのでなく、
与えなさいとだけ、
私の信仰をお伝えします。

あと、
子どもに動物を
育てさせるのは
親心の一つを知る機会に
なるかもと思いました。
どんなに気分が悪くても
犬の散歩はしなくちゃならないから。 (2020年01月29日 16時27分05秒)

性における哲学 タオ論   もうり さん
道って、
やはり哲学なのかもと
思いました。
言い換えるならば
抽象と具体の接続。

説明。
旧約聖書では
男のあばら骨から
女ができる。
ところで、
あばら骨は肉体の中心部にある
一つである。

概念的説明。
だから、
女とは男を抽象化した
存在であり、
性における哲学とは
女性のことである。
哲学も奥まっていてそれ
自体は現実ではないように、
それは
プログラミングと
家政も対応し、
さらに「感情」もそれに
対応する。

このように、
私はそもそも
ミグタウでもなければ
ミソジニーでもなく
非モテでもなければ
モテでもありません。

女性も男性も
各々において
価値があると考えるのが
私ですね。

あばら骨から
女性が生まれたという
説明は、
女性蔑視なのではない、
というのがポイントです。

なぜなら、
アダムが正当にも
女性のことを
これこそ私の骨の中の骨と
語っているからです。
男性をより奥ゆかしく、
抽象化した存在が女性です。 (2020年01月29日 17時18分14秒)

自由恋愛主義者等による性差別   もうり さん
自由恋愛主義者
だけでなく
ミソジニーや
ミサンドリーの
人々にも
言えることだけど
昨今の人間は
男をオス、
女をメスと認識しており、
つまりナチュラルに
性差別主義者になっている。
自由恋愛主義とか
ポリアモリーは
実態として人間を
動物的にする性差別的
結果をもたらしている。
いいか、
動物における性と
人間における性は
違うんだよ。
動物には罪がないが
人間には罪が発生するのが
ポイントです。

クソオスとか
言うフェミニストも
結局根本的に
性差別主義者なんですよ。
動物に過ぎないなら
そもそもクソも何も
ないんですよ。
動物に過ぎないなら、
クソという形容は無効で
単なるオスです。

このような人々は
まさにシュタイナーが
推論したとおり、人間は
発達した動物に過ぎないという
悪魔のアスラ的
理論を構築している。
そのような人々は
アスラによって自我の一部を
削り取られる。

ミサンドリーとか
ミソジニーとか
ミグタウの人々、
もしも現実でも、
いちいち,
出会う男や女の全てに
対して心の中で恨み事を
向けているなら
哀れむよ。
その憎しみ、
エネルギーの無駄なんで。
憎しみのフィルターを通して
しか性的物事を見れなくなってる
ならかわいそう。 (2020年01月29日 17時40分40秒)

憎しみと雪の女王   もうり さん
雪の女王が
見事に憎しみを
どう扱うべきかを
シンボライズしている。
歌いながら
見事な雪の結晶で
城を作っていく
シーンがあるが、
まさに、
憎しみ(雪)も、
思考領域のみを領分と
すべきなんだよ。
思考という結晶、
一種の固体化は
憎しみの力なんです。
そして貪欲は
煩悩即菩提とか
大欲と言われるように、
進化のエネルギーや
生命力として
使われるべきなんですね。
だから、
感情領域における
憎しみは無駄なエネルギーでしか
ないんですよ。
それに食べ過ぎ飲みすぎも
エネルギーの無駄で、
それをしないことで
生命力を蓄えることにこそ
意味があるのですよ。
感情領域においては
ただ愛や慈悲のみが
あるべきなんですね。 (2020年01月29日 17時50分43秒)

Re:ネット情報の活用法 その1452(08/16)   モウリさん さん
誤爆?
性✖欲!!
既婚??
ナウ……ナウく、やって。 (2020年01月29日 18時19分42秒)

Re:ネット情報の活用法 その1452(08/16)   モウリさん さん
https://www.uta-net.com/song/13134/

こっちの曲 ・・・ かな?
(2020年01月29日 19時28分54秒)

ヘーゲル哲学考察   もうり さん
ヘーゲル哲学考察
バラバラなものが、
一対多とか多対多とか
原子論的になっていて、
それぞれが限界を
持っている状態が
有論。

続けて、
この原子論が
互いに関係、
縁起によって成り立ち、
全体と部分や力と発現、
原因と結果、
相互関係といった
線形で結ばれるのが
本質論。

続いては
有論が概念として、
統合的な基礎となったものが
主観的論理学。
主観的論理学が
目的的論理学になったときが
客観的論理学であり、
それは「外的」な目的を
形成し、その目的達成の
プロセスそのものが
主観的論理というか
言葉における発話に対応する。
例えばプラモデルの
作成プロセスを雑に
想起してみよう。
足を組み立て、頭を組み立て、
といった風にして各部分は
つまり一種の単語に相当する。
この形成された単語が時間軸に
並んで居るのを想像するなら、
それは客観的な言葉である。

そうして、
この目的論、
つまり客観的論理学が
自己自身を目的として
行為する時、
絶対的理念へと至る。
これは存在する言葉、
完全に行為となった言葉であり
なぜならば自らの内に眠るもの
全てを開発することによって、
その人の行為は常に包括性を
帯びるからである。
それを語った学が
要するに人智学や
真言宗である。
すなわち
肉体、生命、心、自我
といった階層構造である。
こうして論理学は絶対的理念へと
達した。
自然は素粒子が力を発現しつつ
関係を形成していって地球化学プロセス、宇宙化学プロセスとなって
整理され、
地球においては
地水風火といった階層構造を
形成し、太陽系規模では
月水星金星太陽火星木星土星
といった階層構造を形成する。
地球において
鉱物植物動物人間として
階層構造を形成することで、
自然哲学は完成する。
精神哲学は身体色受想行識であり
まずは主観的精神、
すなわち世俗的な心なので
我執愛着所有欲となって、
互いに関係性を結び、
世俗的社会、客観的精神を
形成する。
この世俗的主観と客観を
客観的に統合したのが芸術であり、
主観的に統合したのが芸術であり、
思考において統合したのが
哲学である。
この芸術と宗教と哲学が、
絶対的精神である。
哲学はこうして、
再び論理哲学へと回帰する。

ヘーゲル哲学の
概要、改善した。

ヘーゲルにおいては、
そもそも絶対的精神的な
社会以外は
修羅道でしかないので
唯物論的共産党も、
そもそも絶対的に
正しいわけではないと
思う。
なぜならば、理由は
主に二つあり、
結局、国家資本主義でしか
ないからと、
結局、国家自体が
唯物論という相対的理念の
中に迷い落ちている時点で、
国民は自分を肉体の中に
閉じ込めて
権力者は権力を自分と
同一視するであろうから、
その唯物論的共産党という
思想自体から、
国家資本主義は
必然的に生じてくるだろうと
思うからだ。

権力も自分のものではない、
そのように思えるリーダーが
出てくる、
霊的共産党でしか、
社会主義は機能しないはずだ。 (2020年01月29日 20時19分03秒)

新ヘーゲル哲学の詳述   もうり さん
新ヘーゲル哲学の詳述
自然哲学は
空間
時間
粒子
波動
量子が
力学(物理学)で
これら一つ一つが関係すること
によって
月水星金星太陽火星木星土星、
地球(大陸海洋大気圏日照り圏)
となり、これらは「化学」プロセスであり、これらを鉱物として
鉱物植物動物人間、となる。
これらは「有機体(生命)学」
である。こうして、
人間の「身」に至って
精神哲学へと推移する。
主観的精神が
色受想行識なら
客観的精神は
自然的個体
家庭
経済
法政治
精神であり
絶対的精神は
建築彫刻絵画音楽文学(芸術)
仏教ユダヤ教キリスト教イスラム教
マニ教(宗教)
唯物論
実在論
観念論
唯霊論
精神科学(哲学)
である。

論理哲学は
ちょっと時間かかりそう。
(2020年01月29日 20時50分05秒)

論理哲学   もうり さん
論理哲学
有論
 質量程度比意味
本質論
 同一性と差異性
 全体と部分
 内と外
 原因と結果
 相互作用
主観的論理学
 個別特殊普遍概念理念
客観的論理学
 機械的プロセス
 化学的プロセス
 感性的プロセス
 目的的プロセス
 理念的プロセス
絶対的理念
 肉体生命心自我霊
自然哲学
物理学
 空間時間粒子波動量子
化学
 地球月水星金星太陽火星木星土星
 大陸海洋大気圏日照り
有機体学
 鉱物植物動物人間
精神哲学
主観的精神
 色受想行識
客観的精神
 自然的個人
 家庭
 経済
 法政治
 精神
絶対的精神
 芸術
 建築彫刻絵画音楽文学
 宗教
 仏教ユダヤ教キリスト教イスラム教マニ教
 哲学
 唯物論
 実在論
 観念論
 唯霊論
 精神科学 (2020年01月29日 21時16分17秒)

無為自然   もうり さん
あるがまま、
思いも感情も
ほうっておく、
ほうっておくのも
ほうっておくとは
どういった実践かというと
要するに仏教版道教だろう。
それは自己のピュシスのままに
自分の肉体や心の
生きたいよう、動きたいように
任せる、ということだろう。
このようにして
自分から身体を突き放すのである。
悪く言えば肉体を
自動機械のようにして
自然に動く、ということである。

自分にとっての
自然とは何かが
わかればいいだけだ。
それがほうっておくも
ほうっておくということだ。 (2020年01月29日 21時33分57秒)

有論の改善   もうり さん
論理哲学の
改善
 有論
仮観
諸行無常
諸法無我
空観
中観
 すなわち、
空とは諸行無常と
諸法無我の統一概念だという
見解。
この原始仏教の
二法に、三観を総合して
有論と成す。

 本質論は
同一性と差異性
全体と部分
内と外
原因と結果
相互作用

 主観的論理学は
普遍特殊個別概念理念
 客観的論理学は
機械的経過
化学的経過
感性的経過
合理的経過
理念的経過
 絶対的理念は
肉体生命心自我霊我生命霊霊人

 自然哲学は
 物理学
空間時間粒子波動量子エネルギー
 化学
地中大陸海洋大気圏磁場圏月太陽
月水星金星太陽火星木星土星
十二星座
 有機体学
鉱物植物動物人間
天使大天使権天使
 精神哲学
 主観的精神
身色受想行識
 客観的精神
自然的個人
家庭
経済
法政治
精神
 絶対的精神
 芸術
建築彫刻絵画音楽文学
オイリュトミーアニメ
 宗教
仏教ユダヤ教キリスト教イスラム教
マニ教メシア教
 哲学
唯物論実在論観念論唯霊論
神智学人智学ヌーソロジー
エーテル科学


  (2020年01月29日 22時11分54秒)

もうりさんさん   もうり さん
もうりさんさんさん、
曲紹介ありがとう。
状況にマッチした
曲を探そうとして
くれたのかな?
どうも。 (2020年01月29日 22時38分49秒)

始めに犠牲ありき。   もうり さん
やることやったら
さっさと餓死したいと
思う。
女性にはなかなか
理解されないだろうけど
社会は積極的な
利他主義者という、
自らの命や損を省みない者が、
まず贈与しないことには
成り立たないと思うので。

女性という「奥ゆかしさ」
の女性共同体では
たぶん道路舗装とかも
それを理解してない場合、
醜く押しつけあうと
思う。

私は日本人としては
ある程度全面的だと
思うんで、
別に北朝鮮人の女性とか
あるいは出稼ぎに来てる
外国人労働者や
在日の血筋をひくものとも
通じてもよいと
思っているが、
私にとっては、
そもそもとりもち役は
神に任せているんで
拘りはない。
結婚してもいいが
別にしないでもいい。
できればしたくないが
啓示的なことがあるなら
仕方ない。 (2020年01月29日 23時37分14秒)

ヘーゲルと空海   もうり さん
これで、
ヘーゲルと空海と
シュタイナーが
繋がった。
三者とも全人的な
人たち。
ゲーテの形態論も
基本理念は理解し、
ノヴァーリスの
音楽的記述方法も理解した。

空海曼荼羅の細かい部分を
理解し、
ヘーゲルのエンチュクロペディーも
概要を掴み、
シュタイナーの
総合的記述も味わった。
各種宗教も
学んできた。
ついでに
アリストテレスも
色々読んできた。

さて、
後は実務の勉強に
取り組んでいくだけだなと。

今日は結局、
ヘーゲル哲学の考察に
費やしてできんかった。

そうそう、
英語も理解できるんで
英語も極めていくと
すると最終的な到達点は
「貿易事務」でも
よさそう。

簿記も面白いけど、
貿易の仕組みも
面白そうなので、
この方向性も
ありかもしらん。

商業の精神は
貿易と深い関わりが
あるとノヴァーリスは
直感していたようだし。
(意訳)

これで、
英語を
学んだことと
事務を学んでいることが
繋がった。

貿易事務の
理解が深まると、ひょっとしたら ひょっとしたらで
貿易会社を起業するのも
ありかもしらん。
なんか、
貿易会社という選択肢の
場合は、
なぜか起業しても
いい気がする。
ただ今はそんな勇気は
全くないのだが。
だけど、
貿易会社をやっていると
私の場合、
意識現象学として
起業家精神に
到達できるんじゃないかという
予感がある。

ようやく
自分にも努力すれば
うまくいけばできそうな
「大事業」のヴィジョンに
至った。
空海やファウストのせいで、
大事業とは大規模土木であるという
固定観念から脱した。

私は日本にロシアの
力を流したいので、
ロシアと契約したい。

なぜならば、
アメリカ文化が
生命霊で
ロシア文化が
霊我なら
霊人文化は日本なので、
日本にロシアの力を
作用させてアメリカ的なものと
均衡させたいからだ。
北の北方領土という
ロシアと
南の沖縄という
アメリカに
日本が挟まれていることにも
このような意味を見いだす。 (2020年01月30日 00時26分20秒)

通関士 メディチ家   もうり さん
つーか、
商学に関心が
出てきた。
メディチ家のような
商人に憧れる。

通関士の資格を
取るために
頑張ろうと思う。

夢は通関士に
至る全てのプロセス。

商学は、
放送大学で
学べないか
探してみる。 (2020年01月30日 00時49分19秒)

私の恐れ   もうり さん
私の恐れは
事務職につきそれを
目指すのは恐れないが
起業家になることを
恐れ、
また政治家になることを
恐れる。
人が、
労働を恐れず
嫌にならなくなるのは、
それを驚きと共に
理解することだと
理解しているが、
起業家になることも、
政治家になることも、
まだまだ理解や経験が曖昧
なので、勇気が出ないのである。

自分の場合、
取りあえずは
専門の簿記の勉強を
しながら、
通関士を目指すというよりも、
まずは起業家への勇気と
政治家への勇気を
持つためのなんらかの理解を
深めていきたい。

(2020年01月30日 02時21分53秒)

貿易理論   もうり さん
起業家になることを
恐れないためには
確かな手立てを
持てばいいと思う。
だからこそ、
税理士の資格なんかを
取っちゃえば自分で
事務所を立てる人も
出てくるんですね。

それで、
貿易会社で
勤めるためには、
つまりよく外国のことを
知らないといけないのだろう。
外国と自国を比較すると
必ず差異はあるはずだから、
秀でている部分を相手に
互いに差し出しあう、
均衡貿易理論を考えだして
みました。
まるで多角化した
簿記のようですね。

そうして、
アメリカとロシアと
日本をよく理解して
三位一体の関係に
持ち込むのが理想ですね。

政治家の場合も、
対外的には
種々の国々を知り比較して
よく差異や
権力関係を吟味していることと、
対内的には
種々の国民の差異や
権力関係を吟味しており、
対外的にも対内的にも、
権力関係や政治的利益の
超過分を不足に
回す、というやりくりでしか
ないのではないでしょうか。

方法論としては
そうかもしれないが
具体的に把握していない。
だから、
例えば親に育てられっぱなしの
子どもは超過しているので、
親孝行によって補う,
というわけであります。

政治は
親子関係から
具体例を取り出した。

続いては二種の家庭関係から
貿易の具体例を
取り出す試みをしてみたい。

居間が広い家と、
大型冷蔵庫を置いている家が
在ったとしよう。
前者は焼き肉パーティーの
空間となり、
後者は良い肉の貯蔵庫となる。

こうして、
お互いの家が協力して、
共に焼き肉を囲むのである。 (2020年01月30日 03時22分34秒)

虚栄でした。   もうり さん
すみません、
「大事業」の件は
虚栄でした。
でも貿易理論が
出来て結果は
オーライ。

結局、
小さくやっていくことに
します。
といっても簿記と
エクセル学ぶけど。

(2020年01月30日 04時08分29秒)

Re:ネット情報の活用法 その1452(08/16)   モウリさん さん
オッ·ハァ―…
曲は脳のrelaxに、
気分高揚? or 抑制?とか (^^)
お互い 無事に。 (2020年01月30日 05時47分50秒)

なぜイエや絆が肯定されるのか   もうり さん
私はリベラル保守です。
その自分なりの
定義は自由意志に
基づいて、
家だとか共同体とか
世のため人のために
何かするってええなって
認めたタイプのリベラル保守です。

そうして、
なんで共同体が
肯定できるのかというと、
本当にリベラルになりたいなら、
さあ、自分の糞で肥料作って
畑を耕せ、羊を育てて服を
作れってところから
始めないと完徹できないので。

共同体が助けてくれることで、
共同体による拘束はプラマイゼロ
だから、共同体はよいものだって
おもうんすよね。 (2020年01月30日 09時07分26秒)

やること   もうり さん
もしやして、
私のやるべきことって
心の観察しかないのでは。
気づきという対象化の
方法によって
肉体を観察すると、
その対象化の遠ざける
作用によって肉体から
心が離れ、
続いて感情を観察すると、
感情からも離れる。

不環果のためにやることって
感情と意志の完全な気づきかも。

気づきという
対象化ー反感の善用の作用が
人間を解脱へ導いていく。 (2020年01月30日 12時35分54秒)

対象化にも意味はある。   もうり さん
ようやく
対象化認識の
意義を理解したな。
主客合一的認識を
始めから
すればいいってものではない。
人間にはまず手順がある。
肉体に気づき、
心に気づき、思考に気づいていく
必要がある。
思考自体を観察する必要がある。 (2020年01月30日 16時59分16秒)

実務の総合   もうり さん
私はたぶん、
次の四つの技能を
これから十年ほど
かけて深めていく。
自我ープログラミング
心ー語学
生命ー簿記
肉体ー調理師 (2020年01月30日 19時13分52秒)

四つの実務の基礎   もうり さん
わし、
実務四つやる
言うたけど、
基本的なことだけ抑えとけば
それでいいや。
だから、
英語の勉強は
せんどいてよろしいな。

プログラミングは
アルゴリズムを
習うだけにしよう。
簿記は
今持ってる本だけでいい。
読み終えたら
会社の書庫に置こうと
思う。

あとはエクセルとワード。

そうして問題は
調理に関して。
調理における
法則が載った本を
探している。

上記のようにして、
基本的原理の理解まで
達したら、
別に資格取得にも
拘らずに
続いては
どうにか
精神性と実務を
繋げるには
どうすべきかを
考えていこうと
思います。
(2020年01月31日 17時47分39秒)

栄養学的調理理論   もうり さん
私なりに
調理理論の
概要が完成した。
まず、
各種食材に含まれる
栄養分を把握する。
続いて、
バランスのとれた
栄養分を各種食材から
構成する。
続いて、
その栄養分を
もっとも美味しく、
つまり調和させるために、
どのメニューが
最も適切に表現しうるのかを
考える。

メニューとは
栄養分の表現形式に
過ぎない。

これが調理哲学である。
まず食材から
栄養バランスを
構成し、
それに基づいて
メニューを構成する。

つまり、
調理とは
何にどんな栄養が
含まれているのかの
知識と、
それを表現するための
調理方法(メニュー)
の知識がありさえすればよい。 (2020年01月31日 20時04分34秒)

調理における理念   もうり さん
すなわち、
調理における
理念とは「栄養」だ。
それを調理を通して
表現されたものが
献立である。 (2020年01月31日 20時08分04秒)

キリスト五密 カルマの鉢   もうり さん
遂に
キリスト五密に
至った。
発話は主の祈り、
思考はこれまでの総合的考察、
印相は
御名が智拳印、
御国が法界定印、
御心が合掌、
日用の糧が触地印、
触天印(造語)
触天印と触地印、
二つ合わせて
天上天下唯我独尊。
負債が施願印、
試みが定印、
悪が無畏印。

十字架は
御名で
十字架の垂直部分、
御国で水平部分、
御心で十字架そのものと
それに磔にされた人間そのもの、
糧で脚部、
負債で腹、試みで胸、
悪で頭。

キリスト五密は
一日に一回でいい。

怒りの鉢とはカルマのことで
具体的には
自分の行為が
物質からアストラル界の存在から、
天国の存在へと結びつくことであろう。そうして裁きが下される。
一回だけで関係が切れる場合もありうるし、永続的なものもありうる。
おそらく、神との永続的な
結びつきを示したものこそ
曼荼羅であろう。 (2020年02月01日 05時53分26秒)

簿記書籍紹介   もうり さん
簿記書籍、
私が選んだのは
「簿記の仕組みが
一番やさしくわかる本」
税理士高下淳子箸、
ですね。

私なりのヒントは
三財務表は
繋がっており、
回転するということ。

さすがに、
何もかも語るのを
止めようかと思います。

練習問題も必要やろと
思うのでね。

簿記の基本を
知ったので、
後は調理と
アルゴリズム。

この二つの実践的具体的
基礎理論を得た次は
気功とビリーキャンプやって
基礎体力をつける。

次の思考課題は
体力を鍛えなくても
これ以上衰えないようにする
ための肉体の仕組み、ですね。 (2020年02月01日 07時36分03秒)

霊的体力の問題   もうり さん
ボディビルとか
筋トレとかで
満足する人は
それでいいけど、
思考停止しないなら、
またもっと欲求するならば
「永遠の体力」を
求めるところですよね。
思うに、
スピ系の「我々は既に完璧」とは、
完全な要素が揃っているという
だけであって、
心身を整理、調和せぬことには
結局はその完璧さは発揮されない
だろうと思う。

さてでは
体力において、
筋肉、スポーツにおける
「タオ」とは何であろうか。
スポーツも霊的方向に
舵を反転させるべきだろう。
そして、
それは少なくとも、
「健康」ではない。
健康は肉体の理想では
あっても、
それは医学の理念だろう。

スポーツ独自の理念とは
「元気」にある、
と私は定める。

そうして
元気とは心身の調和から
発生すると思う。

つまり、
精神性が肉体にまで
浸透する、
それ故に
身体に力が漲る(元気)
というのを目的とすると
思う。
筋肉や体力とは
その元気のための器だろう。
筋肉や体力と、
健康が精神性の器となる。
健全な精神は健全な肉体に
宿る、ということは
シュタイナーのオカルト生理学を
参考にすると、より具体的に
理解できると思う。 
方便として、
五つに分けるならば
脳、肺、心臓、食道、筋肉
だと思う。
脳は思索と瞑想によって
器は発達し、
肺は正語と愛語によって
器は発達し、
心臓は善行によって発達する。
食道は節制によって発達し、
筋肉はこれら全てに浸透し、
例えば心臓の筋肉や
インナーマッスルということになる。

肉体としてはそうだが
エーテル体としては
気功もやることで、
アストラル体と
調和すると思う。

つまるところ、
今のスポーツ業界の
構造では元気は目指せないと
結論づける。
既成のものは
その既成の構造によって
制約を受ける。
だから、
従って学者にならないで
思索したほうが
有利な点があるし、
スポーツをやるのにも
プロにならないほうが
有利な点もあるのだと
思う。

世間的事柄を
離世間的領域で
やるなら解放となる。
私は言わば宗教における
同人作家だし、
学問における
同人作家なのだ。

プロになる(儒教的価値観)
とはそれで食べていくことを
決意し、強くなっていく
代わりに、既成の構造によって
制約を受けることを意味する。
例えば真言宗も
思考停止しており、
キリスト教やイスラム教、
そうして現代数学や現代科学を
曼荼羅に取り入れるというのを
もしも空海が今生きてたら
絶対やると思うけど、
真言宗の人々は伝統に
制約され、それをしない。
私はやった。ここに自由がある。

儒教的な
世間に対して
老荘思想は次のように
イメージする。
木材として使える木は
切り取られ残らない。
しかし、
使えない木は大樹となった、と。

プロになる、
世間で成功するとは、
だから老荘思想から
すると完全に発達する
前に切り取られた木のように
なることを意味する。
これ実証されてて、
スポーツマンになるなら
選んだスポーツに囚われるし、
学者になるなら
専門領域に時間が
拘束されてしまう。

つまり、
それよりは
自由な敗北者を
目指したほうが
勝者だという
無用の用、という
アンチテーゼも
あるのである。

この「無用の用」を
性領域でやると禽獣のような
ポリアモリーとなるかも
しれない。これは領域侵害
だろう。

私は、
アルゴリズムを
掴んで
調理実践哲学を
できるようになったら
やっぱり合気道
始めようと思う。
合気道の有段者になって
合気道インストラクターを
副業にするのを目指そうかと
思う。
実務の五智として、
基礎をやった後は
合気道に集中しようと
思う。 (2020年02月01日 18時23分11秒)

合気道の思想家   もうり さん
私が目指す
合気道の境地とは
自分からの全方角と
間合い内部の全座標に
関する適切な武術理論を
組み立てることである。
これは誰もやってないこと
なので、誰も人に体得
させることは不可能なので、
まずは私がその完全な
合気道理論を完成させる
必要がある。
続いて後継者は、
この理論の体得者であり
それは軍事的にも実装可能な
実務レベルとなっているであろう。 (2020年02月01日 18時37分26秒)

思考停止した武道家   もうり さん
結局、
身体性や
無意識を
過剰評価し、
思考を低く見積もる
武術家は、
既存のトレーニングを
コピーするしかないだろう。
伝統を背負う人間も
その伝統の所作を総合して、
欠点を見つけてより
完全に近づける、
ということをしないと
永遠にコピーでしかないだろう。
(2020年02月01日 18時56分57秒)

実務の五智   もうり さん
実務、
栄養学を理念とし
表現手段としての
各種メニューを記憶した
調理と
三財務表の関係を
理解した簿記と
実践的な意味論的
文法理論に基づく
語学と
まだ掴み切ってない
アルゴリズムの、
この四つが揃ったとして、
中央には身体性が
来ると思うんですが、
なんか身体性に限って
筋トレだとか気功だとかで
理論に欠ける面があるし、
私が知りたいのは
結局理論なので、
それはつまり、
自身を中心とした
間合いの座標全てに
対応できる完全な武術理論の
ことだろう。

武道理論とは良いもので、
それは身体自身から
周囲に発する理論だ。
実務的物の理論と
実務的金の理論と
実務的言葉の理論と
実務的思考の理論と、
最終的には
目の前の全ての
空間に適応できる、
実務的身体の理論=「武学」に
達する。
そうして、
この武学は謎に
包まれており、
これを創始することなしには
探求は終わらない。

そうして、
合気道的武学が完成したら
次の計画が既にあって、
私は既に布施も
愛語も利行も同事も
平気ででき、実践してきたし、
つまり戒学は
ある程度身についている
ところがあるので、
続いての合気道の
ヴィッパサナー瞑想と
調理のヴィッパサナー瞑想と
アルゴリズムの
ヴィッパサナー瞑想によって
実務の基礎を包括的に
身につけたら、
十字架のサマタ瞑想に
入る準備ができたと
おもうんすよね。

今までの考察、
つまり一種の思考瞑想というか
膨大な気づきの連続は
実務五智で終わりを遂げ、
また善行も完了しているので、
残りのやるべきこととは
サマタ瞑想のみになる、
と考えます。

サマタ瞑想は
十字架でやります。

このシンボルに
集中することの
意味とは何かというと、
これめちゃくちゃ手っ取り早い
方便で、
苦労して手に入れる体系の
最終的な形が、
このシンボルです。
だから、早い話、
具体的な気づきが
土台となるとしても
十字架などの正しいシンボルに
集中するなら、
それによって細々とした
深い体系から獲得できる、
心の形をすぐさま身につける
ことができるーこれが金剛界曼荼羅の修行の意味でしょうね。

私はだからヴァジュラも
なにを意味するか知って
いますが、これも練習問題と
しておきます。

(2020年02月01日 20時09分06秒)

自由な立場としての「無」   もうり さん
なんか、
ブディストたち、
自我は存在しない、
手放すとか
いいつつも、
「「自分の立場」は存在する」と
思ってるっぽいな。

スマナサーラ長老も
おそらく「南伝仏教の
「長老」」という立場は
存在すると思い、そうして
そのように振る舞っているだろう。

立場が有るように
振る舞うとどうなるかというと
その人の精神に「政治性」が
宿ることと同義だと思います。

結局、「無名」の市民の
ほうが自由でいいなあと
思います。
世俗に染まりたいなら
顔を出し名前を公表すれば
いいと思うけど
世間や世俗から離れていたいので
匿名で、金もとらないで
情報公開する。
しかし、
老荘思想の老子とて、
役人として働いていた
わけでありまして、
本当に世俗から離れている人は
無償で与えられるものを
持つためにあえて働く。

例えば私が言葉を売るようになり、
それで生計を取るようになると、
聖なる内容を売春させることに
もなるだけでなく、
その売春を続けないと
生きていけなくなるとして、
かえって不自由になる。

むしろ無償で全て与えられる
ということこそ高い自由の
境地ではないかね?


(2020年02月02日 07時38分44秒)

善い人はますます善くなる。   もうり さん
どうやら
私には、
善い人は
ますます善くなれる
機会に恵まれるようだと
思う。

例えば、
私はもはやあんまり
棘のある言葉を使わずに
使うとしても
方向性が善であるように
淡々と情報公開しているため
か、他人のブログに
寄生するという無礼を
犯しているにも関わらず、
粘着してくる人がいない。
だから、ますます
無償で情報公開しやすく
なっている。

しかし儲けようとして
刺激的な言葉を使ったり
自分より何らかのステータスが
低い人に酷い言葉を
使う人々は粘着する人々が
出現し、そんな彼らを
避けるために有料にするように
なっている。
このように、
悪口を言う人々は
ますます悪口を言われないために
自分を守るために
無償の実践の機会を
失うことになっている。

無償で与える善い行いをする人には
ますます善いことを
行う機会が与えられ、
悪口をいいがちな人は
ますます自分の利益を
考えないといけなくなっている。

悪口を言えば、
当然自分にも悪口が
返ってくるので、
自分を守る必要が
生じます。
そうするとそれだけ
自分の利益を考えるようになり、
善行の可能な範囲が狭まる。

そもそも自分を
守る必要のない状況を
作ればいいだけなんだけどね。
そういう意味では、
やっぱり世俗的、
相対的社会はどうでもいいな。
問題は仏教のカルマ論で
解決済み。
殴られても殴り返すな、
むしろその人に善で返せ。
しかも泣き寝入りはカルマが
実在するので
存在しない。

これを実践していけばいいだけに
過ぎない。
世俗的社会はだから
迷える人たちが
勝手にやればよい。
救いの方法論は
人智学等や哲学、宗教、
芸術が既に示している。
(2020年02月02日 08時32分09秒)

自我の濃い部分と清い部分   もうり さん
当たり前だが、
人それぞれだなあ。
自我の清らかな部分と
自我をオラつかせる部分が
自我の内で人それぞれ。

私は道を歩いていると
ぶつかりそうなら
自分から平気で「譲歩」できるし、
たぶんその延長上で
今の言葉使いがあると
思うんですよ。
その言葉使いに
関して「配慮」ではなく
「譲歩」と受け取り、
それが嫌な人もいるんだなと
思いました。

私の中には「お気持ちやくざ」
という辞書はないです。
「お気持ちやくざも
たぶん客観的な現実ではない」
と思います。

自分のエネルギーには
限界があるからどこまでも
配慮することはもちろんできない
のだが、傷ついた人の「キュウソネコカミ」に対して、
さらにお気持ちやくざと釘を
刺す気にはなれない。
しかし何に平気かも
人それぞれなので、
「お気持ちやくざ」という
観念を持つ人にそれを
持つなというコントロールも
することはないけど。

お気持ちやくざは
「ネガティブ」なレッテルですが、
その表現にネガティブか
ポジティブかが含まれている
時点で、それは使用者の「主観」を
反映しているだけだと
考えるので、
「「お気持ちヤクザ」という
「感情」を持つ人の中にしか」
お気持ちヤクザは存在しない。

(2020年02月02日 14時00分32秒)

権威への服従   もうり さん
なんというか、
世俗陣営とリベラル陣営には
馬鹿にされるだろうが
国家というよくわからない
権力に対しては
私は取りあえず
従っておきますね。
相対的世界に過ぎない
国際社会、国内社会で
優劣を競っても仕方ないしね。
右翼陣営、左翼陣営、
リベラル陣営と保守陣営、
これ、永遠の闘争であって
決着しないと結論づける。
だからこの問題に
関わるのは無駄だと考える。
客観的精神の国は
修羅の、戦いの国でしかない。
軍事が政治に先行する。
絶対的社会に所属することが
問題の解決。

私、自分があんまり
結局、社会科学や社会学に
対して関心がないなと
思ってたけど、
関心がないというより、
執着がないだけっぽい。

なんでシュタイナーが、
若い魂のために
社会三層構造論を
生み出したのか、
ようやく理解したわ。
たぶん、
私は老いた魂であり、
国際社会なんてのも
巨大ではあるが、
諸行無常でしかないと
悟っているので
愛着がもてない。

どうでもいいので、
取りあえず今の国や
社会や働き先に対して
貢献しようと思う。
国の移り変わりに関係なく、
目先のできることをやる。
そうして、
そもそも社会は
絶対的社会に所属すれば
問題は解決するので
相対的社会問題を
学ぶ必要がない。

これが日本人が
政治に無関心であることの
明確な自覚かもしれない。

日本人は社会は
諸行無常だと悟っている。
だとしたら政治家を
目指すのもある意味無駄。 (2020年02月02日 14時40分31秒)

礼拝に参加した意味   もうり さん
礼拝に参加した
意味がわかった。

礼拝に参加して
今日自分が奢った人や
その他の人と前よりも
深く話をしたが、
彼らが元暴走族元軍人であることが
明らかとなった。
ということは、
彼らは「力」タイプなので、
叡智タイプである私と
交流することによって
死後の世界で互いに力を
注ぎあって互いにより完全に
なれる。
来世において、
「我々」は「叡智かつ力」タイプ
として生を受けるために
今の出会いがあると私は
思う。
仏縁とも言うが、
仏縁を具体的に考えると
こうなる。

出会いに感謝!
(2020年02月02日 15時31分45秒)

ヲタクとヤンキー   もうり さん
今日気づいたが、
礼拝に参加している
人々と交流すること
によって
私が真面目タイプ
ヲタクタイプ、ガリ勉タイプ
陰キャタイプだとしたら、
ヤンキータイプ、陽キャタイプ、
暴力タイプの人々と
交流できたことになる。
思いもよらなかったけど、
これで来世において、
陰陽師タイプとして
「我々」は生きていく
ことができそうだ。
ヤンキーとオタク、
陰キャと陽キャは
相容れないわけじゃなかった。

学校ー大学生活の不調和も
今になって回収したっぽい。

これは、哲学者タイプ、
芸術家タイプ、宗教家タイプ、
経営者タイプ、職人タイプ、に
加えてさらに軍人タイプが
加わることで、
人間関係が全面的になりつつある。

他にも、プログラミングタイプと
多言語タイプと簿記ー事務タイプと
交流があり、また職場の人に教えてもらった、自然科学ーもの作りタイプの人とも交流することになりそう。

こうして、
まさに人の輪でも
全面的になりそう。

暴走族タイプと
関わったことにより、
悪タイプとの関係も
持てるようになった。

なんか、
マジで大学生活後の
出会いの全てに
意味があるっぽいんだけど…

だから本当に、
信仰ある人に、
神は願いを叶えて
くださる、と思う。
神は私の、全面的になりたい、
という願いを叶えてくださろうと
している。
(2020年02月02日 16時49分21秒)

映像芸術論   もうり さん
映像芸術、
宮台先生で言わせたら、
「クソ社会」を
映像にしているような奴、
それ結局、既に現実にあるものを
再生産してるだけなんで、
「美」とは言えないと思う。

しかし、おそらく、
個々のクソ社会、
私に言わせたら相対的社会を
調和、一体化させたときに、
社会芸術が達成されると
思うので、
それを映像にしないと
美的価値はないのでは。

根本的には写実主義でしかない
なら芸術とは言えない。
絵画における写実主義は、
それはその方法を
神を描く際に応用して、
神を明確に具体的に
描けるようになるためにこそ
意味がある通過点だと考える。

話は戻って、
アニメや漫画も、
単なる現実を描くのではなくて、
不完全なる現実を
一体化、調和させることによって
完全な社会や人間模様の映像を
作ることこそ、それは美なのだと
思うよ。


(2020年02月02日 17時36分18秒)

文学の美とは   もうり さん
文学の美とは
理想の、
調和的人間模様等を
描くことにあると
思う。
それは、例えば
サブカルならば
この世界の可能性から
取り出した、
「ありえたかもしれない
学園生活」も
その一つかもしれない。

しかし、
ありえるかもしれないが、
それは現実の規定性によって
無理だろう。

ゲーテのファウストや
ノヴァーリスの作品等の
ようにアニメも確かに
芸術やってたんだなあ…。
でもこの考察によって
より方向性に自覚的に
なれたかも。

あと、
私、贈与を
続けてたら、
遂に人から
徳を積んでると
言われましたね。 (2020年02月02日 18時25分51秒)

ゲーテに立ち返る。   もうり さん
ゲーテに立ち返ると
思索は幅広くやるが
手腕は一つに絞るべき
みたいなことを言っていた。

さらには、
実務五智の内、
合気道だと思っていたものは
愛(人間関係)に相当し
それが霊我だとしたら、
生命霊は「礼」ということに
なる。
拍子抜けするが、
武道は結局、人間関係に
過ぎない。

すなわち
物作り、
簿記、
語学、
アルゴリズムと来て
中心は愛と礼と筋トレだと
思う。
そうして、
愛は宗教の教え
によって言語化されているが、
問題は礼のほうにある。

日常に使えるのは
武道ではなく「礼」である。
礼とは愛を飾るものである。
「慎み」とも類似している。
そうすると、
結局、
ブッダの在家主義者のための
あの言葉に帰着する。
「博学で技術あり、身を慎み、
言葉巧みであること、
これがこよなき幸せである、と」

次に実務五智について、
さらに考える。
調理は方法論を構築し、
本を注文した。
簿記は基礎を抑え、
英語も基礎を抑え、
アルゴリズムも本を注文した。
合気道も座標的な考えを
生み出したわけではないが、
それがなぜ愛であり、
合気なのかという基本理念は
理解している。

調理の本と
アルゴリズムの本を
読むことは読むとして、
ゲーテの手の技は
一つに絞ったほうがいい、
ということをもっと考察して
みようかと思います。

そうして、合気道の代わりに
慎みと礼を座標的に考える
ことをやろうかと思います。

しかし充電がなくなってきた。
チャオ~。 (2020年02月02日 19時57分04秒)

仏教と礼学   もうり さん
対人への礼は
仏教で語られている。
分かち合い、
愛語、
無償の愛、
同事、これ全て礼でもある。
言葉に関しても、
棘のない言葉を使い、
挨拶や感謝をしっかり
つたえればいい。

そうして、
なんで私が家族から、
人間関係で私は問題を
起こさないとみなされているのか
理解できた。
つまり、人間に対する
上記のような実践が
身についているからだな。
あと、根本的には
人から怒らないとか
穏やかだと見られるのが
大きいと思う。

私が慎みに関して
さらに発展させるべきは、
だから
服装に気をつけて
引き締まった肉体に
することだな。

食事の慎みに関しては
できてきています。

さて、
人間関係の領域の
方針はできたので
続いて、
技術に関しては
一つに絞ったほうが
いい理由を考えてみよう。
これはシュタイナーも
そう言っていた。

私的には、
使わない学習した技術は
結局廃れるから、
という理由だな。
だができれば
アルゴリズムの
イメージは抑えておきたい。
そうすれば
五つの実務の
イメージは持てたことになる。 (2020年02月02日 21時39分34秒)

プログラミングの謎   もうり さん
私が
プログラミングで
わからないところ、
どうやら
アルゴリズムというよりも
規則性の発見が難しく、
この規則性とアルゴリズムを
混同していたようだ。
規則性の本を探してみるか。

調理は方法論だけ
知っとけばよろし。 (2020年02月02日 22時02分00秒)

動作パターンの発見   もうり さん
製造業の経験から
動作パターンを
見いだす方法は
現場の空間内の
どこに何があるかを
把握しておき、
それでいて時間軸も
把握しておくことだな。
この座標モデルの中で
効率的なアルゴリズムを
組み、状況に応じて
変化させたらいい。

しかし上司は
一瞬でそれを見抜くから
困る。どうやったんだろ。
今度はその秘密を考える。 (2020年02月02日 22時16分55秒)

絶対的社会のメンバー   もうり さん
絶対的社会には
全ての人間や
相対的組織が
所属しているわけでは
ありません。
まず、
肉体は自分ではない、
という境地に達し、
御霊による洗礼を
受ける必要があります。
(2020年02月02日 22時52分12秒)

相対的社会   もうり さん
相対的社会では
社会現象の根拠も
様々でしょう。

絶対的社会に
所属できるようになる
ルートはよくわかりません。
たぶんいろいろあります。
少なくとも義務では
ないでしょう。
なぜなら物質を選ぶか
精神を選ぶかは自由だからです。
物質を選んでもよいが
その帰結は精神を失うので
動物化していき、酷くなると
消滅します。

(2020年02月02日 23時11分28秒)

待つことにする。   もうり さん
上司の能力は
もっと経験蓄えないと
理解できないっぽい。
今は機会を待つことしか
できない。

とりあえず、
本二冊買ったはいいけど、
やっぱり読まずに
簿記磨くか。 (2020年02月02日 23時35分30秒)

私の実態的経歴   もうり さん
私は国家に従うが、
私自身はだからといって
女性差別はしたくない派だ。
ただ、
絶対的社会に所属しているので
社会とか国家が
フェミニズムに偏ろうが
表現の自由戦士に偏ろうが
どうでもいいというだけだな。

そうして、
私はこれまでだいたい
四年くらい、
生活保護者に礼拝時に
朝飯を奢り続け
七年くらいは今も続けて、
自分で購入して読んだ本を
まだ綺麗なまま図書館に寄贈する、
という実践を続け、
ここでは無償で情報を公開
し続け、という、
独りきりでできる
実践を着実に積み重ねてきています。 

ツイッターで論争してる
みなさん、独りでも
やれることはありますよ。

(2020年02月03日 00時32分18秒)

正義概念   もうり さん
正義概念は
トマスアクィナスとか
が語っている。
私も相対的世界にも
正義があることを
知っている。
そこでの正しい議論は
たぶんその正義概念に
基づいて、相対的世界なので、
「より大なる善」を選ぶこと
なのだろうとも知っている。
相対的世界ということは
より大きいとかより小さい
ことがあるってことなんで
善の大きさで勝負する。

相対的世界にも正義が
あるのでこうなるけど、
しかしそれでも
絶対的正義というものは
この客観的精神という
世俗の領域にはなくて、
絶対的精神の領域にある。
それゆえ、それでも
世俗の社会は絶えず争う
しかない。
そうしてだから、
私は絶対的価値観を否定する
立場でもない。
しかし、それはそもそも
存在する領域が違うと
主張している。




(2020年02月03日 01時01分28秒)

合気道   もうり さん
やっぱり、
統合失調症で
責任ある立場に
出世することは
最終的に責任が
取れなさそうなんで
幾ら簿記とか労働技術を
磨いても、
給料高いところまで
いけないと思うので
合気道することにします。

実務五智の
考察は今日で終わります。
明日は
開いた時間で博士に
会いに行きます。
そこから発生する一連の
イベントが終わった後で、
合気道のために動きます。 (2020年02月03日 01時09分18秒)

やりたいことを持たない   もうり さん
やりたいこと、
残りは合気道くらいだけど
むしろやりたいことを
持ち、それに執着することは
人生から余裕が
失われる面があるとも
気がついた。

なんでかって
先輩の仕事を
手伝えなくなるので。

「いつまでも
自分のために
生きると「損」だなあと。」
なぜなら余裕がないって
ことだからだ。

だから
合気道は断念しとこう。

ピアサポーターの話も
出てきているので
それも相談して決めよう。

なんか、
逆説的だが、
他人のために
生きれることが
余裕=自由の証だという
考えになってきた。

この考えを
言い換えるならば
共同体主義も
自由の一種だという
逆説になる。

ただ、
この境地に至るためには
増えていくやりたいことを
手放せるくらいに
やり抜く必要があるかも
しれない。
(2020年02月04日 16時25分00秒)

ビジレス   もうり さん
ビジネスではなく
ビジレスな状態にある。
その余裕故に、
かえって残業になっても
イラつかないし、
平気で社員を助けるために
一緒に残れる。
まあ今の私では実力不足だが
心構えとして。

ビジレスな人間ならば
ビジネスに平気で取り組める。
どこか、
せかせかしてんじゃないかい?
みなさんは。 (2020年02月04日 16時33分02秒)

挨拶の意味   もうり さん
挨拶も、
元々、
人間関係における
飾りなんだと
思います。
飾りーすなわち
「標識」すなわち、礼。

あと席順も、
右と上側が清らかで
左と下側が物質的だという
意味があると思えばいい。

そうして、
礼といったものは
どこか儀式と
繋がっており、
それはすなわち「儀礼」と
呼ばれる。
そんで儀礼も儀式も
無意識にとって、
儀礼の場合は
身体論的な
意味があるのだと思う。

というか、
挨拶嫌いな人、
単に「挨拶ができない」
だけの人なんだと思う。
私も昔はそうでした。
挨拶とか儀礼的な事柄を
自在にできる上で、
それを嫌うんじゃなくて、
単に自分が進んでできないから
嫌う。

そうして、
私の言葉は
発達障害者にとっても
朗報だと思います。

なぜなら儀礼に意味を
与えるからです。
右側は右脳のように、
直観や神秘性に対応し、
上側は神(カミ)と
対応し、
しかしながら
下側、大地側に進んで
位置しようとする人も、
水は低きところに流れるとして、
あるいは太陽は頭にとっての
大地として、
大地は礎として肯定される。

こうして、
席順といった人間の
相互関係において、
一種の曼荼羅が
できるわけです。

頭を下げることも
そうです。
頭を下げた人は、
その一瞬、
タオと同類となります。
すなわち、
お辞儀も印相のような
もんなんですよ。
儒教というか密教とも
繋がってるわけです。

すなわち、
儒教は儒教的方法によって、
タオと繋がろうとする
道の一つであると
理解できるわけです。 (2020年02月04日 21時48分46秒)

多様性の哲学   もうり さん
人間における多様性とは
何かの具体的イメージが
わかった。
最もバランスのとれた
普遍的存在、
すなわちブッダを
中心というか
法身として、
そこから様々に
派生、強調された様々な
形態表現があると考えたらよい。

例えば腕が片方ない人は、
その分、エネルギーが
別の方面に使われている。
すなわち
このような人は
仏教で言う、変化身なのである。

だから、
多様性を認めるならば
宇崎ちゃんのおっぱいも
認めるイメージになる。

人間形態、性質の
法身、変化身という
イメージである。

そうして宇崎ちゃんを
認めるならば
韓国人も認めような。

そんでまた、
恋愛できなくても
恋愛経験を無駄にする人も
結構な割合でいるとおもう (2020年02月04日 22時29分54秒)

インテリの末路   もうり さん
インテリの末路が
神話の唯物化だから
私は学的同人作家でよい。

それに
科学も、
数学がないと理解できないくらい
「複雑で愚かな」
内容になっているし。

インテリは複雑なものを
好むが、それは愚かさでもある。




(2020年02月04日 23時14分53秒)

経験論的物理学   もうり さん
経験論的物理学も
あっていいとおもうんすよ。
どんなのかは
みなさんの想像に
お任せします。

自然なのに、
数学を取り入れることで、
自然(経験や感覚)から
離れてしまっては、
どないすんねん、的な。

体験と経験の違いを
検索してみます。
私の予想では
経験は体験を解釈、思考した
ものかなと。 (2020年02月05日 07時11分34秒)

布施は鉤であり粉砕である。   もうり さん
布施は鍵であり
粉砕である。
布施とは
四摂菩薩の一つであると
同時に
四護門菩薩の一つであると
同時に
四将菩薩の一つでもある。
四将菩薩って正しい総称
だったかどうか
忘れたけど、
金剛食菩薩や
金剛衣菩薩を調べると
わかります。

だから
布施は鉤であり
粉砕である。

これを理解するための
ヒントは人智学にあります。

これも全ては
もはやいいません。 (2020年02月05日 08時38分38秒)

立ち消え   もうり さん
博士どうしを
出会わせる策略は、
その分野に関心がないそうで
立ち消えになりました。

ピアサポーターの話は
説明会には参加するけど、
自分の立場が
参考になることは
ないと思うので
やらないでおくかも。



(2020年02月05日 09時02分02秒)

義とは何か   もうり さん
義とは何か。
羊(聖性)が
我を照らすこと、
さらに言えば
霊性が自我から
心、生命、肉体にまで
貫通すること。
転じて道徳性に適った
行いを体得している人。
霊性を表現することが
義であり、
それを実現できる人は
勇がある。

義自体は肉体に対応する。
義は目的であり、
勇は心における力、手段である。

礼は仁を表現するための
行為芸術。
生命に対応する。

仁は利他の心。
心に対応する。

智は、仁を理解する自我。

信は智を信じること。
霊に対応する。

霊ー信ー智を信じること。
自我ー智ー仁を理解すること。
心ー仁ー利他精神
生命ー礼ー利他精神の表現
肉体ー義ー霊性を肉体、世界に
貫徹することを目的とし、
その実現力は勇である。
(2020年02月05日 19時37分25秒)

合気道やる   もうり さん
やっぱり合気道やることにする。
仕事に慣れてからだが。
自分に主に欠けてるの、
身体性及び
武術理論くらいだと
思うので。

智も徳も既にある。 (2020年02月05日 20時10分35秒)

余裕ある暮らし   もうり さん
合気道なんで
やるかというと、
体力つけることで
余裕が生まれるから
もある。

やりたいことやりきって
満足することで
やりたいことをこれ以上
持たないことが人生の
余裕に繋がるかと
思ったけど、
体力つけることも
必要だった。 (2020年02月05日 20時17分13秒)

うまくいってる。   もうり さん
仕事が
うまくいってる。
一緒に仕事してて
面白いと言われた。
それに優秀だと過大評価
されていて、
税理士目指せとも
言われた。

今はパートだが、
仕事を頑張れば
障害者雇用に
変えてくれるフラグが
立ったりもしました。

どうやら、
立場というものは
固定ではなく、
上から声がかかれば
上昇できるものらしい。

優柔不断で
すみませんが、合気道、
やっぱり止めとこうかな、と
思う。

簿記と事務の道を
歩んで、資格を取り、
会社の人々に認めてもらった
ほうがよさそうだし、
しかも、運動の才能は
ないとわかっているが、
どうやら事務の才能は
あるらしいので。

そうして、
いつか浮かんできた
ビジョンが、
事務所のイメージだったのも
ようやく意味がわかってきた。
これ、私の天職は事務やで~
っていう天使からの声やわ。

要するに、
パートだからダメなんじゃなくて
パートでも会社にとっての
魅力を発揮するなら
立場は変えれる。

人生がようやく好転してきた。

自分の伸びしろは
どうやら事務、だ。 (2020年02月06日 17時52分35秒)

中国人や韓国人   もうり さん
別に中国人や
韓国人という属性が
嫌いなわけじゃないけど、
あるいは日本以外の
世界の国々は
自分の歴史や国と
一体化し過ぎだろとも
思う。
結局、
韓国人も中国人も
根っからの集団主義であり、
欧米も結局は自我がないのでは
ということを疑う。
なぜなら白人は白人で、
白人至上主義みたいに
自分の肉体「系列」と
一体化してるからだ。
その意味では
ネトウヨと中国人と
韓国人は同類。

私のような
一来果という
聖者にとっては
白人のピーポーも
中国人韓国人といった
ピーポーも、
またネトウヨといった
ピーポーも、
あるいは左翼ですら
環境や肉体と一体化した
自我の確立していない
人間におもえる。

歴史を知るのは
いいし、
歴史を忘れず教訓に
するのはいいが
歴史や白い民族であるのを
アイデンティティの
一部にするのは
聖者の私からすると
自我のなさの証だな。
(2020年02月07日 07時43分35秒)

来世の希望   もうり さん
ヨーロッパ性質
(創造力と自我(シュタイナー))
アジア性質(柔軟性と
開いた心(空海))は
身につけたんで、
来世はアフリカ系になりたい。
黒人になりたいと思う。

黒人が存在しなければ
世界の意味がなくなる。
今まで存続して生きてくれて
ありがとう、
黒人たち。 (2020年02月07日 07時50分40秒)

最適停止問題と仏教   もうり さん
調べると
腹八分で医者要らず
腹六分で老いを知らず
腹四分で仏となる、
と書いてある。
六分とは三位一体から
来ており
四分とは五相成身観から
来ていると考える。
後者については、
肉体から生命、心、感受魂、
この四つまでが地上的位なので、
摂取する際は四分にするということ。

そうして、
コンピューター科学における、
最適停止問題も約四割な
ようであり、
すげーってね。

私は「アルゴリズム思考術」
を読んでいるのだが、
これも精神科学の叡智に
結びつけていけると
上記のことによって
確信しましたね。

さて読もう。

私は、アニメは
結局、一つも見ていない。
忘れるくらいに、
人生に集中している。 (2020年02月07日 16時59分19秒)

左上位と右上位の違い   もうり さん
文化には
左上位と右上位がある。
なぜ中国は
左上位だったのかというと、
「水は低きところに
流れる」から
来ていると思う。
でも、直接的に上位なのは
ブッダを意味する右だから、
右上位が正しいと思うけど
これもそもそも
人に押し付けるような
ことじゃない。

でも視野の狭い人間は、
酒くらい自分で
つげばいいとも
思わん場合もあるらしい。
ラベルを上側にして
飲み物をつぐ、
みたいな至極どうでもいいこと
にまで拘るとか。
こういうのは、
人に押し付けることじゃないのに
押し付ける時点でアウトだろう。
なぜならマナーとはルールでは
ないからだ。
マナーは強制ではないのにね。


びっくりしたのが
いわゆる健常者の傲慢さであり
人それぞれに応じて
コミュニケーション方法を
変えようとも思わず、
健常者の自分に合わせろ、
と考えてるみたいなことだ。 (2020年02月08日 06時51分53秒)

ルカ福音書とコロナウィルス   もうり さん
ルカ福音書に
終わりの日が
来る兆しの
一つとして、
大地震や疫病が来ると
書いてあるが、
コロナウィルスも
その一つであろう。 (2020年02月08日 08時26分36秒)

概念の形をしたウィルス   もうり さん
ウィルスの形を
調べてみてください。
コロナウィルスもですが、
なんか、
集合論というか、
「概念」っぽい形をしていると
思いませんか。
なので、
観念論だとか唯心論的なものを
捨てた中国共産党や
世界のカルマとして
コロナウィルスが発生したと
私は思います。

福音書で言われる
艱難の日が来る原因は
人々が神や精神、魂を
忘れたり否定したことにあるんやと
思いました。
(2020年02月08日 09時05分48秒)

愛も慈悲も語るに及ばず   もうり さん
愛も
慈悲も語るに
及ばずだな。
私は既に、
愛も慈悲も実践してきた。
これからも
続けていけるだろう。
だから、私にはもはや
愛とか慈悲といった言葉は
必要がない。
もう、当たり前に
わかっているからだ。

こうして、
私は日本人になっていく。
つまり、
愛することが当たり前なので、
もはやいちいち
他者や恋人に、
愛していると口に出さない。
「日本人になった」人間に
とっては、
愛より大事なものがあると
理解している。
それは神に対しては信仰だし、
人間に対しては信頼である。
信仰あり信頼あれば、
いちいち言葉にする必要がない。

もう、
私はただ強さを目指すだけでいい。 (2020年02月08日 12時24分02秒)

合気道と簿記   もうり さん
まだ未来があるんで、
簿記に慣れてきたら
結局、
合気道と両方やれるかも
しれない。

私はもう、他人の
愛のなさや執着について
語るのを止めよう。
それよりも自分が
やることのほうが大事だし
そうして、
実践したことを
口に出すことも止めよう。
実践できることは
わかりきっている。

宗教の話も、
もう止めよう。

それよりも経済の話を
しよう。
ただ経済と宗教は
つながってはいる。

カルマが運を操作するんで、
善いことをやっておれば、
そもそもそれほど
強くなる必要もなくなるわけだよ。

強さだけの人間は
どこまでも強くなることに
労力を割かないといけないが、
宗教実践してる人間は
そうじゃない。
宗教実践する人間は
そもそも弱さすら強さに
変える術を知っている。

さて、
これからは
ただ強さと経済についてのみ
語っていくとしよう。 (2020年02月08日 12時46分00秒)

信仰告白も必要ない。   もうり さん
さて、
宗教仲間を
探す必要も、
信仰告白する必要もない。
神を賛美する必要もない。
全てわかりきっているから。 (2020年02月08日 12時49分02秒)

強さの哲学   もうり さん
そこで、
強さを解析することになる。
強さとは
剛と柔のバランスのことだろう。

根本的には、
エーテル体そのものの
剛と柔のこと。

これはつまり、
やはりブッダに帰着する。
「博学で、技術あり」の
ところが。
頭は広く、腕は深く、だ。

簿記の話といこう。
私の解釈では、
まず金を集める。
それが負債や純資産となる。
続いて、それは資産とされ、
使用される。
使用されると費用となる。
費用となると収益となる。
収益となると利益が出る。
利益が出ると純資産となる。
こうして、
貸借対照表と収支計算書の
関係を回転的に理解している。
図で表現するなら
負債と純資産と収益が
貸し方、
資産と費用と利益が
借り方、
しかし関係性としては
回転的だと解釈している。 (2020年02月08日 13時37分52秒)

在家主義者の幸せ   もうり さん
在家主義者の
幸せというか
完全性、
強さはこうだ。
博学で(心)
技術あり(生命)
身を慎み(肉体)
言葉巧みであること(自我)

父母を敬い(心)
妻子を護り(生命)
仕事に秩序あり(肉体)
混乱せぬこと(自我)

私にはもはや哲学も
必要ない。
自分のために哲学が
必要なんであって、
議論など必要ない。
ごちゃごちゃと
細かい倫理学の言葉を
連ねる必要は私にはない。
倫理学はそもそも一体何を
目指している?
誰にも批判されようがない
行いを目指しているのだろうか?
しかし、それはありえない。
実際、私は人から人徳があるように
見られている。
ごちゃごちゃ議論するよりも
先に倫理をやってみよ。 (2020年02月08日 15時28分58秒)

時空問題の決着   もうり さん
時空問題も決着した。
空間は関係性の産物であり、
他者と自分がいるから
空間もある。
中道なるもの、
統合的なものは形がないように、
空間が目に見えないのも
関係性の統合体だから。

時間は持続であり、
これも未来があるから
時間が進むのであって
時間があるから未来が
あるのではない。
すなわち
時間も関係性の産物である。
そうして時間は持続なので、
過去と未来は結びついている。
従って未来が変われば過去に
影響しうるし、
過去が変われば当然未来に
影響する。

そうして、
この場合の「未来がある」とは
植物が「成長して枯れる」のと
同等のニュアンスである。

こうして時空問題は
決着した。

哲学や宗教、芸術に
留まり続ける必要はなくなった。

次は管理職の話をしよう。 (2020年02月08日 16時01分47秒)

管理職の話   もうり さん
管理職とは
包括的な職域である。
個々の労働者の仕事を
書類、データを通じて包括的に
眺める。
そうして印鑑を押す。

つまり、
ようやく、
包括的な職務とは
何かが事務仕事を通じて
わかってきた。
すなわち当たり前の
帰結であるが、
経営者や管理職こそが
包括的な職務である。
今まで見えてなかったけど、
より明確にそう理解できた。
これがある程度、
出世の動機付けになったと
思う。
(精神障害故に無理かもだが)

あらゆる
領域において
全面的になりたいなら、
仕事においては出世せよ、
という結論。
しかし、
プログラミングや
家庭と似ていて
管理職になるということは
「大地から浮遊」することでもある。

そうしてだから、
総合的哲学者向けの
仕事とは管理職であるという
結論にもなった。
分析哲学に対して
総合実学を掲げたが、
それは管理職のことだ。 (2020年02月08日 16時14分01秒)

経済淘汰について   もうり さん
経済淘汰についても
既に聖書で
「愚かな金持ちと
ラザロ」の喩え及び、
友のために死んだ人間こそ
最も深い愛だ、
みたいな言葉もある。

聖典や経典に既に言葉がある
以上、知らなかったので
助けてください、も
通じない。
もはや、キリストが
言ったように、
神よ、彼らは何をやっているのか
知らないのでお許しください、
は通じない。
現代以降はそういう時代である。

が、私からは
もうこれ以上語るまい。 (2020年02月08日 17時29分02秒)

必ずしも救われない。   もうり さん
救われるか
どうかは
その人自身に
かかっているので
必ずしも全てが
救われるわけではない。

心に天国との
「淵」を自ら作っている
限り救われることは
ないのである。
しかし自分で
それに気づいて
悔い改めるなら
救われうる。

愚かな金持ちとラザロの
喩えは、キリスト教的に
アストラル界と天国を
表現していると思う。

私はこのように
明確に語ったので、
淵を作る人々は
さらに言い逃れが
できなくなった。

私からは以上です。

これからは
簿記について書いていきますね。
(2020年02月08日 17時40分18秒)

ダンス科目   もうり さん
テレビで家族と
アイススケート見てるが
ダンス科目、
アイススケートしか
ないのかってくらい
アイススケートしか
しないよね。

他のダンス科目のほうが
見てて楽しいと
思うの、
わしだけじゃろか? (2020年02月08日 19時23分04秒)

黒人とアイススケート、水泳   もうり さん
おいおい、
ポリコレ白人さんたちよ、
アイススケートで
黒人が出ないのは
なんでかな?
水泳選手に
黒人が出ないのは
なんでかな?

人種で競技判定方法が
ぶれるなら、
そのような競技は
茶番でしかなくないかな?

競技って「技」を競うわけでしょ? (2020年02月08日 20時00分38秒)

ブラックパワーサリュート   もうり さん
水泳 黒人で
調べてみると、
ブラックパワーサリュートという 黒人運動概念に
たどり着いた。

オリンピックに
政治を持ち込むなという理由で
非難されたらしいが、
前のオリンピック、
安部晋三が登場してなかったっけ?

おっと、いけない、
人種差別についても
既に宗教では
平等性智にたどり着いて
いるので語る必要は
ないのであった。

白人はすぐに老けるから
シュタイナーが
白人を老年期に対応付けたのも
そうかもなと思える。
日本人とか韓国人は
若く見えるでしょ?
ヨーロッパ系が老年期
アジア系が青年期、
アフリカ系が幼年期に
相当するらしいけど
前二者は老けやすさから
そう思えるけど、
黒人の場合は
身体能力の高さから、
幼年期と対応付けられるかも。

幼年期とはつまり、
肉体、エーテル体のことで、
青年期とはつまり
アストラル体と自我のことで、
老年期とは霊のことである。

肉体を持つことも
必要なので、
黒人がダメなわけではない。

でも、今まで韓国人差別に
ついて話をしても黒人差別に
ついて語ることは
なかったからいいかな。
だが、これ以上、
世界の愛のなさについて
語るのは止めておこう。



(2020年02月08日 20時27分30秒)

フィギュアスケート 訂正   もうり さん
すみません、
アイススケートではなく
フィギュアスケートでした。
フィギュアスケートで
黒人女性が一人だけでて、
彼女が禁止行動をしたことも
差別が絡んでると思いました。

今日は
アルゴリズム思考術を
読みましたが、
これら全ては既に自分なりに
思考済みのものだったので
解説はなしにしときます。

次は好きな曲でも紹介しときます。 (2020年02月08日 22時23分29秒)

好きな曲 heat   もうり さん
私の好きな曲は
一つは「新ゲッターロボ
地球最後の日」の
heatsです。
ゲッターチームのような
「野性的な男らしい強さ」が
自分にはないんで好きです。

「生命(ゲッター的)」とは、「反感」から
出来ているとも考えると
龍馬たちのような人間が
ああなのも理解できる。


(2020年02月08日 22時31分53秒)

野蛮な教授たち   もうり さん
東大教授の九割が
学生に手を出している
という話を聞いて、
ああこいつらも、
尊敬に値しないな、
結局、左脳でこねくり
回した「人間の知識」しか
求めてないんだなと思った。
みなさん、
東大教授自体がそもそも
真理を求めておりません。

いいか、これはどこにも
書かれていないことだから
あえて書くけどよ、
「女性はみんな、
ほんとは自分だけ愛して欲しい」
これを理想としているんだよ。

ということはよ、
結局、
全ての女性を愛すること、
絶対的な恋愛や性的交渉を
するとはよ、
たった一人だけの
女性を生涯愛することなんだよね。
こうして、結局、
邪 淫するな、
姦 淫するなという
宗教の教えは、
絶対的な領域にある
教えだと確信するわけです。
童貞と処女が出会って
生涯愛し合うこと、
それ以外に交渉せず、
婚外交渉も婚前交渉も
しないことこそが、
性的領域を絶対的領域にまで
高めるわけですよ。
つまりこれがプラトニックラヴ
だと思いますね。
邪淫しないこと、
婚前交渉しないこと、
婚外交渉しないこと、
離縁しないこと、
これがプラトニックラヴであり、
絶対的交渉ですね。
それ以外は
自らを相対的領域に
引き落とすのみです。

逆説的だが、
全ての女性を愛するとは
唯一一人の女性とのみ
付き合うってことなんですね。 (2020年02月08日 23時05分22秒)

自由恋愛は法内   もうり さん
宮台先生批判になるが、
自由恋愛こそ
法内ってことが
わかりましたねえ。
宮台先生は恋愛に関して
法内で生きている。
上記で書いた
「プラトニックラヴ」こそが
未規定な〈世界〉での
生き方ですね。

そうして、
そこから、法外に
生きるとはどういうことかを
語りますが、
法内とは
客観的精神の領域であり
相対的領域であり
修羅の国で、
盛者必衰の儚い世界であります。
法内の世界を宮台先生的に
「クソ社会」と言っても
いいでしょう。

そうして、
法外に生きるとは
どういうことかといいますと
クソ社会から脱皮すること、
つまり他者を生かすために
自分を捧げることですね。
他者を生かすために
自分が損することであり
敵を愛することであり、
淘汰するよりも、
生かすために自分を
淘汰される側に置くことですね。

フェイトで
言わせると、
エミヤ志郎のように
生きることですね。

ツイッターのみなさんを
観察することによって
法外の生き方を理解できましたね。
みなさん、
淘汰する側に周りたい
奴らばかりですもんね。
それが俗物ー相対的
迷える精神なんですよ。
自覚してください。

まだ自分は淘汰される
側に身を置く実践は
たぶんできてないけど
家族の介護とか
終わったら、
やっぱりあらゆる財産も
スマホも捨てて
ホームレスに
なる道を選ぶことの
意欲をさらに増した。
せめて心構えだけでも。

逆説的だが、
相対的社会で
生き残るとは、
まだ相対的社会で
消耗してんの?
ってことになることでもあります。
それよりも自己犠牲して
そこから離脱し
絶対的社会に参入したほうがよい。 (2020年02月08日 23時38分29秒)

分断しててよい、対立しててよい。   もうり さん
善意は強制できないから
分断しててよいし、
対立もしててよい。
しかしそのような
人々は修羅の相対的社会
に生きることになる。

そうして宗教は
そこから抜け出す方法を
教えてくれる、というわけですな。

すみません、
これで宗教話の
まとめとなります。 (2020年02月09日 00時00分08秒)

金剛界曼荼羅の訂正   もうり さん
金剛界曼荼羅の
訂正。
大まかな流れとして
大円鏡智の菩提心から
金剛王菩薩になったとき、
それは平等性智の
贈与の橋渡しとなり、
平等性智が
金剛宝菩薩となったとき、
その者には曼荼羅が
与えられて
妙観察智の
金剛法菩薩等との
橋渡しとなって、
続いて成所作智へと至る。
成所作智の理解が
今まで間違っていて、
金剛牙菩薩とは
慈悲の方便による
語りによって
魔を噛み砕く、
ということである。
金剛業菩薩とは
神仏への供養、祈りであり
金剛護菩薩とは
堅固な慈悲心で
金剛拳菩薩とは
要するに印相のことである。

そうしてつまり
この不空成就菩薩の
部分は、
そのまま胎蔵の修行段階とも
連結してくると思う。

つまり、
私の立ち位置、
宗教的にやるべきこととは
何かがわかってきて、
金剛牙菩薩とは
つまり哲学という
あらゆる存在の
調和的統合の試みであり
金剛業菩薩と
金剛拳菩薩は
組み合わせて
キリスト五密を
やればいいと思う。

そんで、
これらのことは
私には必要ないのであるが、
衆生を救うためにこそ、
あえて考え続けて、
あえて祈り身振りを
続ける必要があると
わかった。
これをすることで、
私は不環果になれると
思う。
大円鏡智と平等性智
までが預流果で、
妙観察智が
一来果で
成所作智が
不環果だろう。

私は「精神」であり
聖霊による洗礼を
受けた聖者なので、
やることなすことが
いちいち普遍化するわけだから
例えば私が一日中合掌を
やり続けることにも
衆生が心身一体になるのを
助けるという
普遍的意義が生じてくるのである。

(2020年02月09日 02時58分54秒)

成所作智の解釈   もうり さん
成所作智の解釈として
金剛牙菩薩が
客観性
(霊我生命霊霊人等)
金剛業菩薩が
理念性
すなわち
御名が崇められますように=霊我
御国が来たらんことを=生命霊
御心が行われんことを=霊人
等として、
知が徳と一致するものとなる。
続いて
金剛護菩薩とは
慈悲の精進であり
続けることである。
金剛拳菩薩において
徳が身体と一致するものとなる。
すなわち霊我=智拳印、
生命霊=法界定印、
霊人=合掌等として。

意=金剛牙菩薩
口=金剛業菩薩
身=金剛拳菩薩

この三密を堅固に
続けることが
金剛護菩薩。

絶対的理念に
至った後、
その知は徳と一致し、
霊は肉を掴むようになる。

やりたいことは
簿記とこの三密に変更。
合気道は三密の結果が
出てからでよい。
(2020年02月09日 09時09分15秒)

祈りの階梯   もうり さん
祈りの階梯

祈りに至る前に、
まず精神科学を考察する。
それで世界の叡智を
意志あるものとみなしたとき、
祈りへと至る。
しかし、口に出すのは
飛躍であろう。
おそらくまずそれよりも
先に、心の中で主の祈りを
唱えまくるのが先だと思いますね。
それが金剛業菩薩で、
金剛護菩薩とは
精進でもあるが
口密でもあるかもしれない。

だとすると
三密を支えるものとして
金剛牙菩薩があって
意密は金剛業菩薩、
口密は金剛護菩薩、
身密は金剛拳菩薩とも
言えるかもしれない。
(2020年02月09日 09時16分33秒)

金剛宝菩薩の秘密   もうり さん
私が
火と聖霊による
洗礼を受けることが
できた秘密は
金剛宝菩薩にある。
これは、衆生にカンジョウを
授ける菩薩であるが、
どんな人がその神仏じきじきの
洗礼を受けうるのかというと、
人身御供、生け贄ではない限り、
自分の宝物を堅固に
与え続けたものにこそ、
その神じきじきの洗礼という
永遠の純資産が与えられるのだと
思います。

ほら、
私はこれまでもずっと
無償でせっかくの考えを
与え続けてきましたよね。
決して情報商材にはせずに。

そのような人間が
報われた事例が
まさに私なんですね。 

宝物を捧げた人間は
宝を得る。

では、
どのような人間が、
そもそもその段階に
到達する前の
金剛サッタの段階に到達
しうるのかというと、
一つの方法としては
悪人に刃向かわないことかも
しれませんね。
それで肉体から離れることが
できると思う。

自分の人生に照らしあわせると、
私は自分に対するいじめに
耐え続けて我慢し続けること、
やり返さずにいたことによって
むしろ肉体を乗り越えたんだと
思いますね。これが預流果。
それで金剛喜菩薩や
金剛王菩薩等の段階に
達して、
ひたすら身銭を切って得た
考えを「全て」無償で
与え続けた。これは
金剛宝菩薩の実践であり
そうすることによって
金剛法菩薩の段階に達して
一来果となった。
不環果とは
自我が地上への執着を絶つ段階で、
アルハットは
自我が天への執着を絶つ段階だと
思っています。
しかしこれはまだ自信がない。
成所作智と
地上への執着を絶つことの
関係が見えないので。

まあ、
私は見事に、
密教的な悟りのプロセスを
この人生で自然に
歩んでいたという
ことですよ。

(2020年02月09日 09時56分49秒)

これまでの要約   もうり さん
つまり、
いじめに耐え抜いて
肉体は自分ではない
となって預流果となり、
他者に自分にとって
大事なものを与え続けることで
物だとか生命への執着からも
少し脱し、
金剛法菩薩の段階に
到達することによって
感情も自分ではない、
という一来果に
到達したとすると、
今度は
思考は自分ではない
ことが無畏印と
成所作智にどう
関わるのか考えたい。 (2020年02月09日 10時04分14秒)

これまでの要約   もうり さん
これまでの
人生の要約
肉体は自分ではない
物は自分ではない
感情は自分ではない
続いては思考は自分ではない、
に挑戦であり、
これは色(肉体、物)への執着は
絶てていても、
名への執着が絶てていない
ことによって煩悩が
残るからだ。
成所作智が
名(思考)
への執着を絶つ修行とすると
アルハットは
意志への執着を
絶つ修行とも言えそう。

成所作智がなぜ
思考への執着を
絶てるか考えてみよう。 (2020年02月09日 10時26分57秒)

成所作智の理解   もうり さん
成所作智の理解
これが
思考は自分ではない、
となるのはどのようか。

金剛牙菩薩は
絶対的理念の客観性であり
各々に応じた理念があると
理解することによって、
特定の理念への執着を
絶つという面があるだろう。
機能は魔の噛み砕きである。
金剛業菩薩は
知と徳の一致、
及び、主の祈りが神の理念である
ことによって自分の理念への
執着を絶つ。
内面での祈り。
機能は神への供養によって
神にも供養されることである。
金剛護菩薩は
声に出して主の祈りを
唱えることであり、
また精進。
これは牙と業を動的に
することによって
執着を絶つ。
金剛拳菩薩は
身体と言葉の
統一であり
これにより
身体は中道に至る。

智拳印は三位一体、
法界定印は円的基盤、
合掌は不二、
触地印と触天印は
天上天下唯我独尊、
与願印は他者との
生命の平等、
定印は相補性
無畏印は
他者との自我の平等。

こうして、
やるべきことが
見えてきた。 (2020年02月09日 15時49分34秒)

金剛護菩薩の秘密   もうり さん
なぜ精進を意味する
金剛護菩薩が
鎧のイメージなのかの理由、
すなわち、
金剛牙と金剛業を
繰り返し自我に作用した結果、
自我が鎧のようになっている
からだと思います。

と、いうことは、
私はそもそも主の祈りを
内面的に唱える必要は
省かれた。
なぜならば、
私は肉体は自分ではない、
物は自分ではない、
感情も自分ではないと
感じていると同時に、
強く中心に集中する
力を感じるからである。

すなわち
金剛牙とは
他者ー大地的な理念であり
金剛業とは
天上的な理念であり
金剛護とは
中心的な理念である。
ここにおいて、
十字架は完成している。
だから、
私のやるべきことは
単に金剛拳菩薩の側面だけで
ある、とわかった。
身体性はむしろ
言語性を宿してこそ
中道となる。

武道の意味もこれで
わかった。
正しい武道とは金剛拳菩薩の
ことだな。 

正しい武道とは、
精神で身体を掴むことにある。

つまり、
結局、原点回帰して、
私は合気道をやればいい、
ということになった。

補足。
経典の民にとって、
「神の言葉」とは
実在する言葉であり、
中道なる言葉であるから、
このような言葉に執着することは
ある面で善となる。
(2020年02月09日 16時24分22秒)

不環果の方法   もうり さん
不環果になるための
方法は
自我を強めて
その自我で
肉体を掴むことにあるっぽい。
霊性を肉体に
浸透させ、
肉体を清らかにすることで
貪欲と怒りから
脱出するという方法。

地上への執着を絶つというよりも
肉体を聖化することが
目的。

そんで自我への執着自体は
アルハットの段階で
脱出するのだろう。

(2020年02月09日 16時49分48秒)

負担マネジメント   もうり さん
負担マネジメント
しなくては。
結局、両腕一つで
霊性の全てを現せるので、
合気道やるより
印相やろうと落ち着いた。

もしも武道で
あらゆる霊性を表現したくば
合気道だけで済む話ではないと
思うので。
だから武道系の方は
ブルースリーのように
研究、頑張って欲しい。

これで負担も減るので
残り時間を簿記に当てれる。
今日は思索に時間を
費やしたので、
簿記はしない。
でも印相これからやります。
負担めっちゃ少ないんで。

今度こそ、
思想の段階は
終わったはず。
 
座禅とか、
座ってなにもしないのではなくて
この身体を宇宙そのものと
みなして印相によって衆生を
導く。

金剛拳菩薩に当たるのは
例えばサンダンスもそうだと
思うな。
オイリュトミーも。 (2020年02月09日 17時58分25秒)

成所作智の追加   もうり さん
成所作智の追加。

金剛牙と
金剛護は対応している。
前者は精神科学であり、
後者は思考による
堅固な鎧である。
前者が具体なら
後者は抽象。
これらはできている。

そうして
できていないのが次の
金剛業と
金剛拳の対応。
金剛業は
何も主の祈り、
だけではなく、
その他全ての
行供養を含む。
その雑多な実践の
抽象化が印相である。
(2020年02月09日 18時27分53秒)

叡智と力   もうり さん
上記のようにして、
叡智の段階は
終わったので、
続いては
「力」の段階だと
思う。
金剛界曼荼羅という
段階から
胎蔵曼荼羅の段階に
入るためには
それしかないと思う。

その方法とは、
力をつけて専門家となり、
博学かつ専門分野を
持つ存在となって
活躍しつつ、
印相を行うことだな。
そうすると、
叡智(金剛牙と金剛護)
と力(金剛業と金剛拳)が
融合して、
見事、愛が完成し
胎蔵の段階に入るのではと
思う。

博学かつ専門家という
美徳保持者に俺はなる!

だから、
やっぱり簿記は
別に障害で出世できなくても
精進する事にした。
なぜなら博学かつ専門家という
理想が美しいからだ。 (2020年02月09日 20時06分03秒)

簿記の気づき   もうり さん
収益は
製造費用に
対して付加価値を
付けて売るので、
利益があったと
考えると
必ず費用より
高くなるだろう。 (2020年02月09日 20時58分37秒)

簿記と精神性   もうり さん
とにかく、
簿記(力)と
精神性を
結びつけたい
お気持ち。
それが課題 (2020年02月09日 21時05分29秒)

精神的簿記論   もうり さん
簿記を精神的に
理解できましたね。
まずお金はそれと
引き換えに商品を
引き寄せる。
商品はそれと引き換えに
お金を引き寄せる。
お金が中心の場合と
商品が中心の場合とがある。

さて、これを
総合してみよう。
すなわち、
純資産と負債が
資産を集めて
費用が収益を集める。
中心となる純資産と負債が
貸し方に位置し
中心となる費用が
借り方に位置する。
こうして互いに反対の関係に
なっている。

これが簿記哲学である。

よかった、
よかった、
叡智と力の統合の
見込みができてよかった。

実学的かつ哲学的な
見解ですね。
まさに、
私だからできたことの一つで
あるな。

だから私が思うのは、
哲学者のフロンティアは
哲学教授や作家の席には
ないんじゃねってことですね。

役に立つことを毛嫌いして
哲学には普遍性がないってことで
落ち着くわけにはいかない。

役に立つことも哲学も
大事だって人、学者に
いないんやろか。

そもそも大学は就職予備校
ではないという批判は
正しいだろうが、
だからといって
実学は哲学の考察対象から
外すなんてのは
むしろ知的怠慢では?


(2020年02月09日 22時23分40秒)

論理の限界   もうり さん
論理は
真実を決定するものかどうか。
例えば、
聖書で
ヤハウェが火の柱として
ユダヤ人を導き、
そしてキリストが
復活したことについて、
そこに論理的プロセスがなくとも
その記録は
事実かもしれないんですよ。 (2020年02月09日 23時15分36秒)

アルゴリズムの目的   もうり さん
アルゴリズムの目的
その内、
実務四智
(物作り、簿記、
語学、プログラミング)の
哲学性について
まとめたいが、
今はプログラミングに
ついて語りたい。
プログラミングは
アルゴリズムが本質かなと
思っていたが、
実はアルゴリズムも手段で
しかなく、
その本質は規則性にある、
と考えていたが、
さらに深く潜り込むと、
規則性=「形」という理解に
到達した。
なるほど、確かに、
プログラミングは
最終的に、
なんらかの「動的な形」を
作り出している。
そうして、この動きを
形に結晶化させる方法が
アルゴリズムなのだと考える。
目的とする形があって、
それをアルゴリズムで
構築するのである。
そうして、その形とは
規則性であったりする。

すなわち「形」を理念として
アルゴリズムを手段とする、
これがプログラミングの
哲学性であると思う。

これがはっきりした所で
次のコメントでは
実務四智の哲学性を
まとめたい。
(2020年02月11日 19時22分44秒)

実務四智のまとめ   もうり さん
実務四智の哲学性まとめ

物作りは
特に調理に着目する。
調理の理念とは「栄養」であり
その「栄養の比」を
数々のメニューが
表現する。

簿記は
貸し方に位置する
負債と純資産が核となって
借り方に資産を集める。
借り方にある
費用(商品)が核となって
貸し方にある収益を集める。

語学は、
詳しくは
「一億人の英文法」や
日本語学では「意味論的統語論」を
ご覧ください。
これは例えば品詞だと
名詞は対象それ自体。
動詞は対象の動的な側面。
形容詞は名詞を肉付け、
規定を増加させるもの。
副詞は形容詞と動詞を肉付けするもの。両者の規定をより増加させる。

プログラミングは
「規則性等の形」を
理念としており、
アルゴリズムを手段とする。

こうして、
力を叡智と結びつけた。
(2020年02月11日 19時36分49秒)

小学生レベルの白人   もうり さん
私は
やろうと思えば
コロナウイルスに
かかった人間と
同じ空気を吸うことができる。
なぜなら
怖くないからである。

結局、
肉体が自分であると
思うような種々の
白人たちにとって
人権など建て前、戯れ言でしか
なかった。

私はマスクをしているが、
マスクを取るために
争うことなどしないだろう。

やってることは
あいつ触ったら菌が
移るぜーみたいな
日本の小学生レベルのいじめと
一緒であり、
結局白人たちの
精神レベルも
そんなもんであった。

しかし、下を見ても
しょうがないし、
これ以上、
白人を含んだ衆生たちの
愛のなさ、人権意識の
ハリボテさについて
語るの、本当にやめよう。 (2020年02月11日 20時26分54秒)

金剛拳菩薩=生活の理念   もうり さん
金剛拳菩薩は
必ずしも印相には
留まらない。
ただ寝るだけでも
印相にする方法がある。
行住坐臥、全て「合掌」に
する方法がある。
その基本的な構造として
上と前と右が天、
下と後と左が地である。

涅槃仏を見てみよう。
身体の右側を大地に
向けている。
これで天と地の合掌となっている。

新しい文化を
私は提案する。
それは右上位かつ
左上位の文化である。
それは右が天なので、
例えば末端の人(地)
を右上側に座らせるのである。

こうして座における
合掌が実現する。

強い人は、
席順で言えば自ら左下側に
座る事である。
これが左上位と右上位を
統合した新しい儒教文化だ。

行住坐臥これ仏法にするためには
振る舞いの理念を合掌にすればいいのである。

これで自分にとって
必要なことは
専門性と振る舞いを
身につけることと、
慎み深さだけとなった。

今日はオリジナルの
哲学書を読む夢を見ました。
類の本質と個の本質とがあって
それを媒介する種があるみたいな
内容でした。
それは思考と振る舞いがあって
それを結びつけるのは
叡智と力の統合理論と
その実践だと思いました。


私はあえて全てを語りません。 (2020年02月12日 04時28分45秒)

「都会人」にはない長所   もうり さん
私は
青年会議所を
嫌うような人々や
忙しくて余裕ない都会人等には
ない長所があるので
見ず知らずの人の
近場から湧き水が
でていることを
わざわざ教えてあげて
感謝されるなどした。

青年会議所のような
昭和的人々を
見ても感情が静寂の境地に
あるのでなんも思わない。

私はそもそも
地上ではなく
天の富があり
神の国への参入者なんで
本当は食べていくことについて
思い悩む必要がない。
(2020年02月12日 23時13分02秒)

単純な場合の倫理学   もうり さん
医療倫理学、
技術、生命倫理学とか
単純でない場合では
倫理学の学習は有効かも
しれない。
しかし単純な場合は
考えるよりもむしろ
やってみることのほうが
重要で、
湧き水がでていることを
知らせるために他人の
家の扉を叩くことを
やってみたら、
感謝される結果に
なりましたね。

まー、
他人からは徳を積んでいると
思われてるが、
今回も徳を積んでしまいました。 (2020年02月12日 23時37分48秒)

アニマの弁証法   もうり さん
アニマの
弁証法
まず、
動物状態から
始まる。
人々はポリアモリーを
やっており、
人々は男ではなく
オスであり性 器であり
女ではなくメスであり
穴であった。

ここで唯一のオスを
愛することで
オスは男となり、
唯一のメスを愛することで
メスは女となった。

唯一の男を愛することこそ
全ての男を愛することであり、
唯一の女を愛することこそ、
全ての女を愛することであると
理解することで、
性は人格の段階に達する。
そうして男女が互いに
童貞であり処女であり
婚前交渉せず、
婚外交渉せず、
離縁せず、
そうして二者が
同時に意識が溶け合う体験を
続けていくならば、
それは人類愛というか
博愛の種となる。
こうして聖女の段階に
達する。
そうして、この博愛が
哲学原理となり、
宇宙全ての意味となることによって、アニマはとうとう、
叡智の段階として完成した。 (2020年02月13日 00時30分54秒)

名誉欲   もうり さん
性欲よりは
名誉欲が強いほうが
マシで、
なぜなら
慶應大生や
東大教授や
学者,俳優という地位を得ても、
しばしば自ら
「ペニス」という肩書きを
手に入れようとする
ことになるからである。

それは女性も同様である。
邪 淫姦 淫乱 交
ポリアモリーするならば、
彼らは穴やペニスとなる。

彼らは異性が好きなのではなくて
竿や穴を好むのである。 (2020年02月13日 00時45分31秒)

精神が物質を掴む   もうり さん
とりあえず
やってみるしかないけど、
「精神が物質を掴む」とは
自我においては
叡智と技術を繋げることで
心においては
技術を持つことで
肉体においては
合掌を理念とした
行住坐臥と慎み深さかなと思う。

いろいろ考えているが
やってみるしかない。 (2020年02月13日 06時06分53秒)

アニムスの場合   もうり さん
アニマは
空間的で
アニムスは
時間的だ。

アニムスとは
筋肉の意味は行動で
行動の意味は言葉で
言葉の意味は意味である、
という風にして時間的である。

つまり、
アニマを獲得すると
最終的には空間に
女性を見いだすようになり
アニムスを獲得すると
最終的には時間に
男性を見いだすようになるのだと
思う。 (2020年02月13日 12時56分34秒)

持病の分析   もうり さん
私は自律神経の
不調から来る様々な症状、
特に頭痛が主な持病である。

なんでこうなったのかを
考えると、
根本的な原因の仮説は
昔、ゲームのやり過ぎによる
視神経の衰弱化にあり、
それが神経全体の衰弱化に
繋がったんじゃと思う。

ストレス耐性とは何か具体的には、
それは神経の強さ、臓器の
一つ一つの強さのことだろうと
思います。
特に神経の強さが
ストレス耐性では主かなと
思います。
よく考えてみたら
当たり前であり、
例えば視神経が強ければ
そこから入ってくる情報が
クオリアになるプロセスで
心への負荷が人よりも
易しくなっているはずだと
仮定します。

ゲーム病は、ある。
当たり前の話で、それは
単に依存症の一種であるのと
その偏りから症状も
何かでるだろうって話で、
酒やタバコだけでなく
あらゆることに関して
言えると思うよ。
例えば買い物依存症とかある
でしょ。

だから、
殊更、ゲーム病
を躍起になって否定しようとは
思わんな。
ゲーム好きだけどね。

だから、
1ヶ月ほど
今からスマホ絶ちしてみようと
思います。

2月の終わりまで
スマホ止めてみる。

それで成功したら、
もう書き込みも本当に
やめれるかも。

ツイッター閲覧もしない。

あらゆるものの総合、
も終わったところだし
書くべきことは終わったのもあるしな。

あと、最後に、
フィナボッチ数列を
見て見たまえ。
あれは黄金比の根拠であるが、
まず1が自分自身を愛すると
1ができる。
今度は1と1が愛し合って
2ができる。
このようにして、
フィナボッチ数列の意味とは
愛しあうことや隣人愛であり、
線形における愛であると
私は解釈する。
すなわち、黄金比が
なぜ美しいのかというと、
それが「愛」を意味するからだと。
線ではなく立体だと
大地や太陽となり、
それが博愛を意味する。

あばよっ (2020年02月13日 13時40分41秒)

性的統合のシンボル   もうり さん
十字架は
性的統合の
シンボルでもあることが
明らかとなった。
この十字架は
十字の中心部に
円形が重ねられても
いるんだが、
垂直部分が
叡智と力、
水平部分が
言葉、
円形部分が
愛であり、
キリスト部分が
肉体である。

こうして、
男性性と女性性の
統合のシンボルは
このような円が重ねられた
十字架であることが
わかった。

あと、
自分の理論の
欠点として、
個々人を理解するための
心理学と社会心理学が
必要とおもうんで、
注文した。 (2020年02月13日 15時48分13秒)

情報商材屋やユーチューバー   もうり さん
最後に、
私の気持ちを表明して
終わりとします。
(目を休めるために)

情報商材屋とか
ユーチューバー、
ないし不労所得みたいな
仕事はダサいので、
言葉たちを決して
金にしないこと、
それが私のポリシーです。

毎日、
仕事の期日に終われる日々
という克服すべき課題もあります。
仕事は創造性を発揮
することができれば
楽しいです。

教育の目的がわかってきたと
思います。
やはり、シュタイナー教育が
ヒントになると思います。
美的ー感情教育が大事なんですよ。

そうすれば
好きな仕事ができるので、
通常の人々とちがって、
なんと毎日、
楽しんで仕事ができるようになる、
と。

こうして
期日に終われる日々の
苦痛をどう克服したらよいかの
理解に達します。
つまり、
仕事のプロセスごと楽しめる
感性を育成できれば解決なんですね。 (2020年02月13日 17時02分44秒)

智慧とは何か   もうり さん
怒りとは何か。
煩悩の流れを
断ち切られること。
貪欲とは何か。
煩悩の流れを
断ち切れないこと。
いずれにしても
苦が結果となる。
この両者の根源は
生への執着である。

生とは何か。
生とは生命の一面であり
維持しようとする力である。
しかし、
生命には
他に老病死があり、
生にのみ執着している
状態が苦であり、
あるいは死(天国)のみに
執着している状態も
苦である。

生老病死ということで、
相対化しており、
生命とは動的なものであると
理解することが、
智慧であろう。
老とは生成状態における
生であり、
病とは生成状態における
死である。
生と死が男性的であり、
老と病が女性的だ。

私はそもそも異性との
恋愛や結婚なんて
どうでもいいが
するならば処女を希望する。
そうしなければ
宗教的に無意味だからである。
そうしないと
白性魔術の奥義に達しないはずだ。
男性と女性とが
いちゃいちゃすることに
性の喜びがあるのではない。
男性と女性が協力して
陰陽的な完全性に達することが
性の意味であり、
いちゃいちゃすることは
無意味だという見解である。

ただ、
私はそもそも
キリストと結婚しており、
必要なのはむしろ
男性性の行動力や力と
肉体なんで、
女性と結婚する意味が
見いだせない。

ということは、
ホ モの道かと思う人も
おろうが、
私はそもそも、
ホモになるような
人間は悪業の結果だと
思うので、
私も男の娘が好きではあるが
ホモ活はしない。

既に聖書で
ホモの街が天罰で
滅ぼされた記述がある。

(2020年02月13日 22時41分42秒)

狐の嫁入り   もうり さん
私は夢で、
女性だと思ったら
正体は狐だったという
体験があり、
私はキリストというか
上にはヴァルキュリアとの
相互供養状態を結んだら、
下にはお稲荷さんとの
相互供養状態を
結びたいと思っています。

狐の嫁入りで
調べてみると、
人間と狐との結婚の
伝説もあったようで、
それは人間とお稲荷さんとの
相互供養状態、
つまりお稲荷さんが
その人間を愛してくれた
という伝説なんだと思う。

密教漫画を読むと
狐憑きは避けるべき
事柄なようだが、
私は一柱のお稲荷さんと
相互供養状態になりたいと
思っています。
なぜならば、
キリストが人間を
愛するなら、
我々は自然霊を
愛するべきだと
思うからです。

男性性として、
博学で技術あり
身を慎み言葉巧みであることが
あるなら
女性性としては
父母を敬い妻子を守り
仕事に秩序あり混乱せぬこと
があるとすると、
私は女性性を拡張して
ヴァルキュリアを敬い、
一柱のお稲荷さんを護ることを
やりたいと思う。

そうして実際、
心の世界では
お稲荷さんが女性の姿を
とって
私に着てくれたようなのだ。

そうして私の中に
キリストが要るように、
私の魂の中に夢で
出会ったお稲荷さんも
再び呼びたいのだ。

私は霊的にも
エリート主義じゃないのだよな。

狐の嫁入り伝説を調べて
いくと、
たぶんその自然霊と
入我我入する方法が
明らかになってくると
思う。

私の家族は
ヴァルキュリアと
お稲荷さんにしたいんですね。

(2020年02月13日 23時40分11秒)

すみません   もうり さん
すみません、
やっぱりこれ
以上
は言うべきことは
ないなとおもったら、
まだまだアイデアは
出てくるみたいですね。

それに結局、
スマホしてしまってる。
まあ時間は大分削減できたけど。 (2020年02月14日 00時41分44秒)

すみません   もうり さん
すみません、
結局書き込んでます。
書き込みたいことが
無限に出てくる。

この無限の言葉の
創造力を、
できうるかぎり
無限に無償で捧げることも
やりたいことの
一つなので
しょうがない。
(2020年02月14日 01時02分59秒)

金の哲学   もうり さん
経済学について
考える必要が出てきた。
お金と商品の仕組みについて
考えていきたい。

いまは
お金も商品も
どちらも労働者が
働いた結果、手に入るもので、
どちらにも労働者の汗、
他者性が含まれるので、
そもそも金を自由資本主義(曖昧)
的な人間は使う権利を持たないと
思う。
金にも両義性があり、
財布の中の金は
自分のものであるとともに
他者のものという心構えが
まず必要であり
自由資本主義的人間は
金を「私有」財産としか
見ておらず、
中国共産党は
金を「国家(他者)」財産
としか見ていない。

今言えることは、
この両義性を理解することで
経済システムを作れるのでは
ないかということ。
そうです、つまり、
経済はそもそも「金の使い方」を
原則として構築することでしか
正しい姿は浮き彫りにならない
んじゃないか、と。

経済学知らんけど、
たぶん、
金の使い方を原則とした
経済学ってないのでは。
印象としては理論上の
仮説的人間像から
経済理論が作られている。

しかし、
プラグマティックかつ
大勢にとって役に立つ
経済実学とは何かというと、
経済を本質(理論)から
語っていくのではなく
「使用」から語っていくことで
成立するのではなかろうか。

まず、
マクロ経済学として
なるべく多くを救う構造を
眺望的に構築するためには、
そもそも「使用方法(道具主義)」から考えていけばいいのでは、と。





(2020年02月14日 18時36分25秒)

信用創造   もうり さん
信用創造概念を
調べている。

今のところの理解だと、
これも簿記で
理解できるっぽくないかと
思う。
試してみる。

信用創造って
結局、収益じゃねってね (2020年02月14日 18時57分51秒)

訂正する   もうり さん
信用創造って
貨幣の創造を言うらしい。
今日は一日、
このことについて考えるか。 (2020年02月14日 19時07分02秒)

宗教経済学   もうり さん
私のアイデアとしては
宗教経済制度に
行き着いた。

なぜなら、
人々が己の利益を求めると
原価と給与を支払うために
より多くの収益を上げる必要があり、そこでお金が一定だと
奪い合うことになるので
信用創造でお金を無限に
増やす、ということになるのだが、
これでも結局、
お金に追われる生活となり、
休まるところを知らない。

ところが、
もしも第一次産業の時点で
ブッダが無償で布施を
するように無償で
公正に、あるいは
必要に応じて労働し配分する
というだけならば
原価はかからない。
これを加工する必要の
ある組織は原価が
かからない。
そうして彼らも無償労働するので
その生産物は金のある
強い者たちだけが
買うのではなく、
公正に配分することが
可能となる。

そうしてこの
宗教経済界は
むしろ
金に追われる生活から
人々を解放する。 
 
無償で奉仕する代わりに
必要なだけ働けばいいだけで
おそらく技術発展に
従って働かなくていい人々も
でてきうるだろう。

無償で奉仕する代わりに、
このようにして各々の
組織の生産物が公正に
配分されるので、
命が保証される。

なんて楽な世界だろうか。

宗教的理念こそが
人類社会に
エデンの園を創造しうる。

利己主義こそ、
苦しみのもとだ。

経済界の原則は
やはり博愛であることだなあ。

力は力ではない。
愛こそ力。
(2020年02月14日 21時17分26秒)

エデンで暮らすために   もうり さん
来世において、
上記のような
「エデン」に暮らすためには
今のうちに無償の愛を
無限に実践しまくれば
いいかと思います。

たぶん、
このカルマの果てに、
「千年王国」で
神と共に暮らす栄光を
受けるはずだ。

無償の愛こそ、
同類が集まるなら
最高の利益であり、
安楽をもたらすものであり、
今、無償の愛を無限に
実行し身につけて
続けられるものは、
来世において、
またはるか未来において、
千年王国やシャンバラに暮らす運命になるだろう。

だから私はせめて、
無償で無限に言葉を
解放する。
(2020年02月14日 21時45分42秒)

最高の経済実践   もうり さん
だから、
ようやくわかったことにゃ、
最高の経済実践とは
無償労働だ。

まさにまさに、
密教の教えるとおり、
「慈悲」や「自己犠牲」
こそが最高の「力」であると
断ずる。
要するに、
より実践を
容易にすると、
意味を見いだし、
慈悲の言葉を語り
無償の善行をなして
合掌を理念とした
所作をするとよい。

(2020年02月14日 22時06分14秒)

懺悔と所作の話   もうり さん
懺悔。
今まで、
裁くな、と
キリストに言われてきたのに、
裁いてしまった。
やめよう。
もう特に左翼であろうが
右翼であろうが
愛がなかろうが
安部さんだろうが、
攻めること、裁くことを
やめようかと。
これは身についてないので
難しいですが、
裁く、攻めるのを完全に
止めたいですね。

所作の話を拡張できる。
調身(腹、心臓)調息(肺)、
調心(脳)と呼ばれる。
これを、
自我ー調心、
アストラル体ー
言葉の器官ー調息、
エーテル体ー行為ー心臓、
肉体ー生活ー腹に対応付けられる。

調心はこれまでの全ての思索、
つまり合掌的。
調息は呼気と吸気を連続的に、
滑らかになることで両者を
合掌とする。
そして心臓のほうは、
上記のように、
行住坐臥の合掌。
腹ー物質のほうは
精神生活と物質生活の
合掌であり、
食事をするとき、
これは神の言葉のパンによって
統一されている、と考え、
飲み物を飲む時、
これは愛情によって統一されている、と考え
衣服は善行によって統一されている、と考えて、
家のほうは自己犠牲によって
統一されている、と考える。
労働のほうは
上記の実務四智の哲学との
統合を参照してください。
これが要するに、具体的な
神の富の内容であり、
神の国のことであり、
火と聖霊による洗礼のことであろう。

(2020年02月16日 20時15分50秒)

猫と犬   もうり さん
私は犬派だが
猫も結局好きで、
今自分のベッドに
犬と猫がこてんと寝ています。

さて、
ところで、芸術に関して。
物質にも精神性を宿したいので
芸術かなって思うんですが
今思えばファッションに
目を向けるのいいかも。
なぜかというに、
最近、眼鏡を外した姿を
見せたら美形と言われたからだ。
児童の頃は
ハンサムと言われていました。

だったら、
自分の場合、
体を鍛えて服飾芸術を
実践するのが一番向いてそうだと
思いました。

ただし、
筋肉をつけないといけないのが
最も困難である。

ファッション哲学も
出来あがっていて、
これも「合掌」の理念で
行きます。
例えば白と黒の組み合わせ
などですね。 (2020年02月16日 20時50分36秒)

経済成長の考え方   もうり さん
経済成長、
金が増えたかどうか
生産が増えたかどうかで
計っても実質的ではない。

食べていける人
暮らしていける人々が増えたか、
そして労働時間が減ったか
どうかを経済成長だと
定義しなおすべきだと
思う。こう定義しなおすなら、
金はそもそも必要なくなるのでは。
食べていける人々を
増やすのに、
そもそも金は必要ないと
思うし、
労働時間を減らすのにも
金は必要ないと思う。

金があることによって
余分に苦労してるとすら
思う。 (2020年02月16日 21時27分59秒)

不可視の共同体   もうり さん
天の富を貯めた人の
次のステップは
裁くこと、攻めることを
止めること。
あー、方針転換だけど、
自分、もう
調身レベルの事柄も
とうに終わってるみたいなんで
次やることは
裁かないこと、
攻めないこと、だわ。

実践、残りは
世俗的な仕事をどうするかだけで
精神的な事柄は
裁かないこと、
攻めないこと、だ。

天の富と、裁かないこと、と
求めること、
この三つによる智慧を
得ることだな。

よく考えると、そもそも
ずっと前に、
天の富という永遠の純資産を
持ってる時点で、
無限長者なのであった。

ということは
次は天の政府に参画すること、
そして神に愛されることが
目的となる。

それが裁かないこと、
攻めないこと、
及び求めること、なのだ。

目に見える世界で
社会を考えることよりも、
不可視の社会に参画することの
ほうが確実なんですよ。 (2020年02月17日 17時06分52秒)

方針転換 政治をやること。   もうり さん
方針転換しますね。

私はいままでの
無限の贈与によって
天の行政により
朽ちない減らない富の
支援を受けました。
これは天の経済に
参画した結果だと思います。

続いて、
裁かないこと、
攻めないことを
やると、天の司法で
裁かれることもありません。
これまで攻めたことが
ある分だけ、
あなたの失敗も許されなく
なりますね。
目に見えない共同体に
任せれば、大丈夫。

そうして、
天の立法にある通りに
人々を愛せばよいのだが、
それは結局、
天の経済に参画し、
天の政治に参画することです。

だから、
問題としては
残りは天の政治に
参画する必要が
出てきますね。
それが
金剛拳菩薩に
相当するだろうと
思います。

御名が崇められんことを
→御霊との結合
(天の精神)
御国が来たらんことを
→火と聖霊による洗礼
(天の経済)
御心が天で行われるように、
地でも行われんことを
→謎(天の政治)

合掌をやり続けるという
苦行によって、
人知れず衆生を導くことだ。

ほんまに、
もう語るよりも
合掌し続けたほうが
有意義なターンに
来ている。

語ることしか
やらないのも
停滞だ。
だから、
情報商材や学者で食べるのは
リスクなんだよなあ。
知識や言葉の領域に
閉じ込められてしまう。 (2020年02月17日 19時12分25秒)

怒らない人   もうり さん
私はある程度、
怒らない度が強い人です。
それは舐めてかかってくる
人もいるかもしれません。
でも逆に、
気を使わなくていいからと
それだけで他人を利することに
なります。
その人曰わく、
癒されるそうです。

私はこれからも、
心穏やかに、
怒らないことを
続けていって、さらに
裁かず、攻めずを
追加しようと思います。

そこから受けるリスクも
全て受けます。
でも、今の状況では
自分の穏やかな特質によって
人から好かれるだけで
損害を与えてくる人々は
大学生以降、
いなくなりましたね。 (2020年02月18日 01時57分10秒)

キリスト教的儒教   もうり さん
キリスト教的儒教に
発展した。

天の政治をやるって、
つまり天上的な儒教って
ことやからな。

御霊をもらい、
御国をもらうことによって
身を修めたら、
続いて合掌によって
自分の身体のみで
愛し合う。
そうして続けて、
合掌から家族どうしでの
愛し合いに発展する。
これが職場から教会、そして
国家、世界へと
広がっていく。 (2020年02月18日 02時35分14秒)

一人の時に   もうり さん
一人でいる時でも
できる有益と信じられる
実践、ようやく見つけた。
合掌か!
合掌が広がって
キリスト教の掟である
「愛し合いなさい」に
なるのだ! (2020年02月18日 02時41分35秒)

勇気ある決断   もうり さん
職場で、
ある依頼があって、
誰もやりたがらなかったから
自分が引き受けた。

風で鉢が倒れているから
誰も直さないので
自分が直したり、
風である店屋の旗が
倒れて道を塞いでいたから
直したり、
車のために邪魔なでかい石を
隅に置いたり、
また、たとえいじめられても
結局自分の優しさは
変わらなかったり。
それに、長距離走の依頼が
昔あって、誰もやりたがらないから
自分が引き受けたり。
些細なことだけど
こんだけでも良い意味の
少数派になれます。 (2020年02月18日 04時51分21秒)

ニーチェは古い   もうり さん
ニーチェに対して一言。
そもそもキリスト教は
ニーチェ的なものを
踏まえた上での宗教です。

必ずしも新しいものが
以前のものより
未来にすすんでいるとは
限りません。
(2020年02月18日 05時14分47秒)

友達ができた。   もうり さん
なんか、
新しい友達が
できたっぽい。
紹介してもらって
新しい友達できた。

肩や背中を殴られ蹴られ、
髪の毛に唾を吐きかけられて
股関を蹴られて
いた時期は過去のものだなあ…。

顔が良いと人生楽とかいうと
んなこたー、わしの世界では
全くなかったな。
(2020年02月18日 12時55分41秒)

アナログもwwwである。   もうり さん
ネットで
出会う人々より、
アナログで
出会う人々に
恵まれている。

そもそも、
アナログも霊的世界を
考えたら、ワールドワイドウェヴ
でもあるのだった。

なので、
私は多才な人との出会いに
恵まれます。
哲学界の創立発起人で
数学、物理学にも医学にも
通じている人や
大方、幅広い分野のエンジニアを
やってきた人や
多言語話者で情報工学博士や
今回出会った人も多才だった。

まさに、
類は友を呼ぶ、だと思う。

目に見えない世界との
ネットワークのほうが、
オンラインよりも有益。
(2020年02月18日 14時24分14秒)

マニ教とメシア教の話   もうり さん
マニ教と
メシア教、
キリスト教から
導かれるな。
マニ教の場合は
仏教が宇宙との一体化、
あるいは、虚空への一体化
といっていいだろう。
こうして、
心に宇宙を作る。
そうしてユダヤ教になると、
エゼキエル書にある通り、
金の頭=バビロン帝国
銀の胸=メディアギリシャ帝国
銅の下半身から膝までが
ペルシア帝国、
膝から足までがローマ帝国、
指先が復活ローマ帝国、
最終的にこれらの怪物を
倒す神の国、
として人間像が社会と
一体化している。
これは産めよ殖やせよ、
みたいな人間を多数的目線からの
生命的視野でもある。
キリスト教の場合は
ヨハネが自我、ルカが心、マルコが
命、マタイが肉体、と
人間像が個体的人間一般となっており、
イスラム教の場合は
その個体が社会の中で
行為する面が特徴だと思う。

繰り返すが、
マニ教という、
新しいキリスト教の場合は
これら自体が人間一般の事柄と
さらに捉えられており、
それはすなわち、
「叡智、愛、力、戒律」とされる。

ではここから、
さらにメシア教になると
どうなるかというと、
御霊との結合に、
御国との結合に
御心との結合、
として
天上的な精神領域と
天上的な経済領域と
天上的な政治領域に
参入すること、であろう。

マニ教の段階では
無知であり怒りもあり、
貪欲に苦しむ人は、
まずそのままほうっておくと
この世の全てが
苦しくなると思うので
仏教に誘い、
無知(生存への執着)
が強い人はユダヤ教に
誘い、
貪欲が強い人は
キリスト教に誘い、
怒りが強い人は
イスラム教に誘うとして、
それぞれを薬とする。

この考え方自体が、
悪を善に変えるという
発想だから、
マニ教なんだと思います。

そうありつつも、
自分自身は
御霊と結合し
御国と結合し、
御心と結合する修行を
為すことによって、
神の社会に参入し、
強固な力を備える、として
新しいユダヤ教としての
メシア教、なんである。

では、続いて、
最終的な問題は
進化した仏教とは
どういったものか、という
ことである。 (2020年02月18日 16時33分25秒)

降臨教=進化した仏教   もうり さん
使徒言行録を参考に、
進化した仏教とは
何かの解釈。
メシア教に至って、
合掌からの合気道を
媒介して家族へ至り
最終的には、
愛し合うことが
目的となる。
これが達成されると、
おそらく、
今度は御心と結合することになる。

で、メシア教の段階を
超えて、続いては
その愛し合う共同体が
一体となった時、
その集団意識が神に
届いて、またメシア教の
段階も通過しているので
用意ができているので、
そのメンバーの中に、
「直接的」に聖霊が入るようになる。聖霊が入ると子なる神も、
父なる神も入るようになる。
メシア教の段階では
御霊御国御心との結合といっても
それは本体ではなく、
降臨教の段階に入れば、
直接的に
聖霊と子なる神と
父なる神が入ってくる。

すると、どうなるかというと、
それは宇宙の真理との結合であり、
それがまさに、
進化した仏教なのである、
ということだろう。
しかもこれは、
独りきりで悟れるような
ものではない。
他者と愛し合うことでしか、
達成されない。
この点においても、
仏教より進化していると思う。
愛し合うことによって
共に救われるのである。
使徒言行録や
新約聖書で出てくるような、
純粋な人々との共同体が
成立していなければ、
真に救われることはないのである。

他者と共に悟るという、
素晴らしい理念に行き着いた。

しかも、
それは虚空に至るのではなくて
生きた理性のある
宇宙に至るのである。 (2020年02月18日 17時42分16秒)

対フェミニストへの立場   もうり さん
私自身は
処女や童貞を
捧げた相手も処女や
童貞である人ではない
別の相手と
結婚、交渉してる時点で、
姦 淫邪 淫の罪を
犯していると
思っているが、
ポリアモリーを推奨し
それを実行する人間に強制しようとは思わない。

フェミニスト表現規制派に
対しては、
表現規制と表現の自由問題
といった両陣営の利益が
相反する、といった場合、
闘争よりも互いが譲り合う
中で妥協点を見つけるという
ほうが美的であり、
「違うものや敵を愛せ」という
教えにも適合するので、
私は女性側を擁護しときますね。

そうすれば、
来世において、
譲り合いの精神で
迎えてくれる人々の
共同体に入れるとも思うんで。

違うものどうしが譲り合いの精神が
ある共同体って、
表現規制派フェミニスト集団
よりも、
また表現の自由戦士オタク集団
よりも、
優れた集団だと思うんで、
私はまず自分から
それを発揮するわけですよ。

私の体系にとっては、
戦わないことが
最適解なんですよ。
むしろ相手を倒すことよりも
自分に勝ちたい。
(2020年02月18日 19時27分12秒)

真の美少女論   もうり さん
真の女神のような、
天使のような美少女と
懇ろになりたくば、
全ての女性に仕えなさい。

なぜなら女の中の女が
その真の美少女だから。

こうして、
私なりに婚姻の命運を
決定付ける要因の条件の
信念に至った。

全ての女性を
敬い、仕えることによって、
「女性曼荼羅」における
「大日女性」と結びつくであろう、
という信念ですね。
来世において。

結局のところ、
好みでない異性に
対しても善行しなさいということ。

私は言うまでもなく、
これはできていますね。

性的フィルターを
かけて好みでない人を
いじめるみたいなことは
今まで決してしたことがない。

だから、
同様に大日男性と
出会いたくば、
弱者男性に対しても善行しなさい、
女性たちよ。

(2020年02月19日 17時06分18秒)

アッラーは自我ではない   もうり さん
宗教観の訂正
アッラーは自我ではない、
心だ。
大日如来は
地水風火空識からなる、
「自然」存在であり、
ヤハウェは
バビロン帝国、
メディアギリシャ帝国、
ペルシア帝国、
ローマ帝国、
復活ローマ帝国、
を通過した後の
神の国、
とした歴史的、
「社会的」存在であり、
アッラーは
丸い自我の中心たる一般的な
アッラーという神に
心の中心としての
クルアーンという聖典に
生命、力の中心としての
世界征服構想、
カリフに、
肉体の中心としての
モスクへの屈礼、
として、
自由のように見えて、
それは人間を全体的、
一般的、普遍的存在者に
しようとするものであり、
従ってイスラム教は、
アッラーは太陽ロゴスにおける、
心に相当し、
自我は個々の原理に
即して三位一体の神として
区別されつつ、
四福音書もそのように
個々の原理として
語られている、
しかも自分自身も
「個体」として現れた神、
すなわちキリスト、である。
キリストこそが、
太陽ロゴスにおける、
自我である。
太陽ロゴスにおける
霊我はマニであり、
それはキリストという
個体自体から
普遍性を取り出したもので、
それは叡智、愛、力、戒律
である。
生命霊的太陽ロゴス、
すなわちメシアは
主の祈り、として
語られている。

そんで霊人的太陽ロゴスは、
父と子と聖霊そのもの、である。 (2020年02月19日 22時16分54秒)

御心とは   もうり さん
御心とは
何かがわかった。
裁くな、とは
どんな時でも
美点や長所を見なさい、
ということであり、
これは自分の量る秤で
量り与えられることによる
合掌である。
そうして身体的には
まさに合掌と呼吸法
それ自体であり、
相手と自分との中間には
自利と利他という合掌があり、
さらに外的には、
愛し合う、という合掌がある。

自分の目によって
自分も見られることが
心の善行だから、
御心であり、
私に罪(負債)のあるものを
私が赦すように、
私の罪(負債)をも赦したまえ、
となる。
これが天だとしたら
御心が天で
行われるように、
地でも行われんことを、
とはまさに、
良い目をもつことから、
上記の愛し合うことまでの
一連の実践のことであろう。

これを続けていけば、
私は御心(天の政府)
との結合体験をしていく
ことに、なるはずだ。
天の精神と天の経済とは
既に結合している。

だから、
別に合気道に拘る必要は
ない、ということがわかった。

イスラム教は
自由なように見えて、
それは自分を「一般的」
存在としているからに、
他ならない。
それに対して、
本来的には愛と善を選ぶ個我が
キリスト教である。
キリストは太陽ロゴスにおける
自我であり、
アッラーは太陽ロゴスにおける
アストラル体だ。 (2020年02月20日 05時56分57秒)

主の祈り   もうり さん
結局、
裁くなというのは
美点を見逃すなということや
慈悲の瞑想、
主の祈り、
つまり本質的には
美点を見る観察方法を
維持し
善い思いを抱きつつける
ことのように思う。 (2020年02月20日 18時13分37秒)

一つずつ見ていく   もうり さん
一つずつ見ていき、
クリヤーしていく。
それは全ての存在を
低く見積もらないという
見識。

ヤンキー、
体育会系は体、
オタクは魂、
がり勉は霊として理解
することで、
生徒学生存在を
包括し、
全てを人間の一種だとみて
全てを肯定する。

男性は自我と肉体が
能動的、
女性は心と生命が
能動的、と見て、
男性も女性も
全て肯定する。

「左翼」は
バラモン左翼、
「右翼」は
商人右翼、
として精神と肉体として
それぞれを不可欠のものとして
肯定する。

未だにテーラワーダの
段階にあるのは、
それぞれではあるけど
古いと思う。
肉体は穢れだと思い、
それを低く見積もるのは
古い見解である。

生活も、
戒学定学慧学として、
道の一部として肯定し、
恋愛や夫婦であることも
陰陽道として肯定する。

たぶん、
全てを肯定する見識は
持っているから、
これが人を裁かないことの
方法になるかと思う。
あとは不快、苦痛なことを
身近な人家族にされる度に
これを思い出して赦すことが
応用となる。

「人を裁くな」はこうして
手かがりを得て、
続いて残りは、
単に一人の時は合掌して
自利と利他を調和させ、
愛し合うことをやれば
いいだけだ。 (2020年02月20日 21時13分07秒)

人を裁かない   もうり さん
人を裁かないコツは
その人の嫌な行為は
場合によっては
良いものになる、
というのを知ることである。
これは全てを肯定する
見識からわかる。

こうして、
私は全てを肯定する、
という自分の秤を
もった。
これにより
宇宙は私を肯定してくれるだろう。

そうして、
地球もこれまでの
宗教の考察によって、
包括的な理解に至る。
すなわち、
地球はイスラム教的なのである。
地球は一般的なもの、
抽象的なものであるが
故に恵みがあり、
かつ破壊がある。
すなわち、
包括的には、
それは地球とは
「叡智存在」である、
ということだと思います。 (2020年02月20日 21時22分57秒)

光の宗教   もうり さん
キリスト教は
光の宗教、愛の宗教、
太陽の宗教である、
まさしく。
イスラム教は
叡智の宗教であり
アッラーという
全ての自我を包括する中心に
クルアーンという
全ての心を包括する中心に
カリフ制度という
全ての国を包括する中心に
屈礼というモスクという中心があり、全てが一元的に溶け合う。

ところが、
キリスト教の場合、
三位一体という、
色彩のある神に、
四福音書という
色彩のある聖典に、
お金や財産を集めて
それぞれの必要に
応じて公正に分配するという
色彩のある制度
(使徒がいたころの共同体)に
ユダヤ人に対してはユダヤ人の
ようになり、
ギリシャ人に対しては
ギリシャ人のようになる、
として色彩のある布教活動を
行う。
そうして、
その愛は、太陽のように
全方位に放射する。

イスラム教では
円であり、
ユダヤ教では
線であったが、
キリスト教では
全方位への放射である。
これは、だから、
憂鬱質には仏教が向いており
粘液質にはユダヤ教が向いており
多血質にはイスラム教が
向いており、
胆汁質にはキリスト教が
向いている、ということでもあろう。

そうして
マニ教になると、
叡智 愛 力 戒律、となり
メシア教になると
御名、御心、御国、
降臨教になると
三位一体そのものが
入我我入する。 (2020年02月20日 22時37分36秒)

仏教の場合   もうり さん
仏教の場合、
その叡智のイメージは
「点」と「回転」であり
地水風火空識という
「自然主義的」人間観、
及び宇宙観であろう。
ユダヤ教では
線となり、
イスラム教では
円となり、
キリスト教では
全方位放射となる。

そうして、
全てを肯定するような
思想形成が
御心との結合と
関係しておるが、
あとは
実際に多種多様な人間を
愛することが
できたらいいんだと
修行を単純化する。

つまるところ、
思想形成が自利であり、
多種多様な人間を愛することが
利他であるのだ。 (2020年02月20日 22時55分52秒)

弱者男性救済論   もうり さん
弱者男性救済論としては
顔がよろしくないので
あれば、芸術、
特に絵画鑑賞に興味を
持つとよろしい。
肉体が弱いのであれば
善行に専念するとよろしい。
頭が悪いのであれば、
人を愛すればよろしい。
このように、
シュタイナーのカルマ論において
自らを有利に立たせるために
何をすればいいかが
既に示されている。

さらにいえば、
生活の維持に
苦労するのであれば、
私の以前のコメントに
ある通りに
天の富を貯めるとよろしい。

絶世の美女と
関係を持ちたいなら、
今世において、
どんな女性に対しても
善く振る舞えばよろしい。

また、
有能になりたいというか、
器用になりたいのであれば、
せめてこれやっとけというのが
あるとすると、
西川先生のシュタイナー心経を
何度も読みまくるとよろしい。

弱いということは
それだけ善行による
功徳も大きくなるということである。
なぜなら無一文のホームレスが
百円寄付することと、
一兆円持ってる人による
一千万円の寄付では、
割合的には
ホームレスのほうが
より大きく与えたことに
なるからである。

だから、
弱いということは
大きなチャンスでもある。
弱さを活かして大魚を
得ることもできるのが
この世界だというのが
私の信念である。

だから、
弱者であることも
行為次第で
来世で強者になれるのである。

シュタイナーが
そう言っていたが
結局、
弱者男性は弱者男性でも
善行や救いに共感できる、
見込みのある弱者男性しか
救えない、ということであるが。 (2020年02月20日 23時36分05秒)

伝わったゲーム二選   もうり さん
伝わったゲーム二選

メッセージが
自分に伝わったと
思うゲームは二つしかない。
なぜならガキの頃に
ゲームするんで、
関連付け能力もそんなないから、
ゼノギアスとかゼノサーガ
みたいな難しい物語は
結局、よく伝わってないなあと。

そうして、
偶然にも、その伝わった
ゲームメッセージは
似たようなものであった。
一つはワイルドアームズ2
もう一つは
ファイナルファンタジー9

そして、仕事で
役に立つことで
人を助けているから
自分が弱ったときに
助けてもらえるという、
ジタンの「独りじゃない」現象を
観測した。

ワイルドアームズ2の
聖剣アガートラームも
結局これは曼荼羅なんだと
思います。

私の自利の面は
思考で全てを肯定すること、
であったが
続いては
現実に愛し合う仲間を
作らないといけない。

すなわち、
御名とは天の曼荼羅であり
御国とは大地の曼荼羅であり
御心とは実際の曼荼羅(共同体)
である、と。 (2020年02月21日 17時23分07秒)

独りじゃない   もうり さん
ファイナルファンタジー9
の「独りじゃない」って
名場面、何度見てもよい。
特に最後の、
「ジタンがみんなを
見ていてくれたように、
みんなもジタンを見ていた!」
ってのがよい。

やっぱり絆、が目的だと
思う。
これまでの
善行が報われる瞬間は
美しい。
発達障害を悪く
言うわけではないが、
「合理性」は目的にできなくね?
合理性は手段でしかない。 (2020年02月21日 17時49分57秒)

本届いた。   もうり さん
心理学の本、
二冊、揃った。
明日から取り組む。

時間は金だから、
一日たりとも無駄にしない、
そういう考えも
もちろんあるが
他にも、やりたいことが
あると、やりたくないことが
できてしまいせかせかする
ことにもなるんじゃと (2020年02月21日 18時40分31秒)

発達障害者について   もうり さん
発達障害者(曖昧)、
共感や愛情があれば
自然と難なくできることが
できないっぽい。
いや、
共感や愛情は
彼らなりにはあるかもしれない。
でも、定型発達者は
いちいち考えないでも
できるのに、
発達障害者は
いちいち分析しなければ
できないってのは、
つまり定型発達者の心を
客観的に表現するという
役割、意義があるのかも
しれないと思った。 (2020年02月21日 18時58分37秒)

無駄な努力   もうり さん
搾取がない仮装空間を
設定してみる。
そこでは金持ちになる
ということは
無駄な努力を意味する。

搾取がある仮装空間を
設定してみる。
そこでも人々は
搾取によって無駄な努力を
強いられる。

金持ちになることは
ある意味虚しい。
なぜなら、
人は必ず死ぬ。
どうせ死ぬから、
金持ちになって生きることと、
そこそこ儲けて生きることに
差がない。

むしろ金持ちに
ならないと生きていけない
人たちって弱くないですか?

貧しくても
生きていけたなら
金持ちになって
生きていけることと
価値に差がない。
あるいは
金持ちにならなくても
生きていけるのに、
なんで金持ちになる
必要があるのかな、と。
伝わるかな? (2020年02月21日 19時16分37秒)

芸術的ネットワーク   もうり さん
目に見えない
私の共同体、
芸術の観点から
すると、
土木と建築(肉体)
絵画(心)
音楽(自我)
文学ー演技(霊我)と
芸術のネットワークは
残るは彫刻系のみ。
哲学ー学問共同体は
あの分析哲学も現象学も
ヘーゲル哲学もやって
数学も物理学も工学も
医学もやった老人との
出会いで十分。
宗教人材は自分自身かな、と。
上記がバラモン人材だとすると、
クシャトリャ人材は
教会で出会った。
ヴァイシャ人材とも
出会ったし、
シュードラ人材とも
出会った。

ヴァイシャ人材は、
詳しくは情報系、
多言語系、事務系、
ものつくり系、
管理ー経営者系、
全てに出会った。

勇気ー武人系の人間とは
既に出会っているから
特に武道組織に繋がる必要も
ないな。

ほんまに、
自分に欠けている
人員は彫刻系くらいやな。

ネットよりも
アナログのほうが
よい出会いがある。

ただ、彼らとは
縁を結んだだけで
同じ場所に居るわけ
ではない。
目に見えない縁、
つまりカルマとして
残っていて、
死後に彼らに再び出会う時、
全面的な曼荼羅を作ることに
なるんやろな、と。
あくまでも死後の話。
しかし今も目に見えない
ものとしてつながっていると
思う。

そうして、
本当に、
功徳の成果、なのか
アナログでの
出会いの機会に
私は恵まれており、
既にとある仏師の
情報を仲良くなった
人から仕入れ済みである。
彫刻系が欠けていることが
わかったんで、
その人と出会う口実を
探そうかなと思う。

たぶん仏と関わる人と
仏縁を持ちたいので
曼荼羅絵画の布施を
させてください、
でいこうかな、と。
いや、情報を紹介してくれた
人と話し合って決めるか。

無論、
私は貧乏人や
身体障害者や精神障害者、
発達障害者や低学歴といった
弱い立場にある人との出会いにも
恵まれている。

そうして、
これからは
実際の人間による
曼荼羅社会を構築していくのを
やっていく。
(2020年02月21日 22時06分16秒)

四種の共同体   もうり さん
私は、
四種の共同体で
やっていこうと思う。
バラモンー教会
クシャトリャー趣味の集まり
ヴァイシャー企業
シュードラー家族

天の富を蓄えるためには
ギヴアンドギヴでないと
だめであったが
天の政府の場合は
ギヴアンドテイクで
よかろうと思う。

(2020年02月21日 23時22分07秒)

洗礼受けたい   もうり さん
天の政府への所属、
これが要するに
ヨハネによる洗礼を
受けることなのだろう。

つまり、
教会の集いに参加して、
そこに来る人々と
愛し合うことこそが
天の政府に所属することだと
思う。

教会に給料の十分の一を
寄付することなども
天の政府と
結合するための方法なのだと
思う。

そもそもキリストは
生きており、
キリストの市役所が
教会だと考えると
納得がいくので。
教会献金は要するに
その天の政府の地上業務
のための手数料。

それに、
「天の政府」と教会が
自分のセンスでは
結びつくんですよね。

だから、
御心と結合するための
秘密は礼拝を分析して
わかることが
ありそうやな、と思う。

御霊との結合は
御名で
火と聖霊による洗礼は
御国で、
ヨハネによる洗礼、つまり
普通の信者は
御心との結合を目指してるのかも
しれない、と。

これをちょっと考える。
例えば、
礼拝では協同で
讃美歌を歌ったり
食事を共にしたり
共に祈ったりする。
これは人々の
心の一致を促す工夫だと
思う。しかも、
そこにはキリストがいて、
つまるところ、
御心とは何かというと
共同体のメンバーの心が一致
するところの、
その一致した集合的な心に
入ってくるものでは
なかろうか、とも思います。

だから洗礼を受けたいのだが
家族という障害がある。 (2020年02月21日 23時49分53秒)

キリストを着る   もうり さん
結局、
キリスト教から
マニ教、
メシア教、
降臨教へと
生成していくと
信じるので、
今のところ、
最高段階にある宗教とは
キリスト教である、と思う。

そんで、
私はメシア教の段階にあり、
既に御名と御国を得ている。

そうして、洗礼について
調べていくと、
やはり、私のセンスは
正しくて、
キリストを信じて
洗礼を受けると、
キリストを着ることになる、
とあった。
ガラテアに書いてある
そうである。

つまり、
天の政府とは
具体的には
なんなのかというと
その謎が解けたことには、
キリストの体の一部になる、
ということである。

私は天の経済と
天の精神は得ているので、
後は洗礼を受けることで
完全となる、
というわけだ。

だから、
家族には秘密で、
強引に洗礼を受けようと
思います。

洗礼を受ける決断が、
ようやくこうして
定まった。

私の歴史は進む。

しかし、
その前に、
原理を考えたい。
なぜ水の中にキリスト者によって
入らされると、
キリストを着ることになるのか、
そこを考える。 (2020年02月22日 00時47分58秒)

霊と水によって   もうり さん
洗礼の意味、
ようやくわかった。
これは苦戦したな。

洗礼は、
まず霊から生まれ
霊的にキリストと
結びついたものが、
外的に、
つまり地球霊としての
キリストと結びつくために
浸礼によって
水から生まれることだ。
内的に霊から生まれ、
外的に水からも
生まれることで、
その水を霊の衣とする。

すなわち、
霊と水とによって
生まれなければ
神の国に行けない、とは
すなわち、
霊という内面的存在
にとっての体とは
水であることを示す。

これは、
霊は水を着る、と言える。

御名は御心を着る。
御心は御国を支えとする。

これで、ようやく、
洗礼の意義がわかったよ。 

なんで滝に打たれるかの意味も。

ただ、
まだわからないのは、
なんで独りきりで
海に潜るのではなくて、
わざわざ牧師を介さないと
いけないのか、だ。
しかし、そこまで考えるのは
止めておこう。
たぶん、
キリストの体の一部である
ものが共にいたほうが、
いいんだろうけど不明確。

ただ、
洗礼を授かる理由は、
これだけで十分である。
家族は障害なので、
密かに推し進める。 (2020年02月22日 02時48分18秒)

金剛拳菩薩の最終形態   もうり さん
つまるところ、
金剛拳菩薩の
最終形態とは
浸礼なんだと
思います。

牧師の方と
洗礼の話を少し進めました。 (2020年02月22日 09時20分02秒)

地上生の意味の了解   もうり さん
地上生の意味、
貸してもらった本の
考察で次の確信を得た。
どんなに遠い宇宙の果てを
目指しても、そこには
「物」しかない。
むしろ地球、
人間こそが宇宙にとっての
最先端のテーマであり、
平等に無慈悲な世界で
人間は愛をもたらすために
生きている。
人間だけが自由な愛を
与えられる。
技術、工学よりも愛こそが
人間の意義である。
なぜなら工学は既に自然の
中にあるからである。

神が不在なのは
人間が愛を鍛えるためである。
修羅の社会が用意されているのも
そういうことである。
無慈悲な社会で、
まずはお前自身が
人を愛せるようになること、
これが人生の、
人間の生の意味だ。 (2020年02月22日 23時08分21秒)

精神障害とモテ   もうり さん
一部の人間は
精神障害者を
恋愛対象にしないと
思うが、
私の場合、それを
オープンしてるのに、
数十年早かったら
狙ってたみたいに
女性から言われたので、
自分を作って身につけていけば
「精神障害者だから
モテない」ってのも
乗り越えられるっぽいな。

まあ精神障害者という
ハンデを無効化できるほどの
長所を持てればいいんだと (2020年02月23日 13時08分05秒)

強弱の弁証法   もうり さん
強弱の構造というものが
ある。
例えば力の世界における
強弱が人間の強さだと
括ってみると、
愛とは神の弱さであるが、
人間の強さよりは
強いのである。

それは「知能(分別)、無分別、
精神世界」
に対しても同様であり
知能が人間にとっての
賢さならば、
それよりは信仰や精神世界といった
神の愚かさのほうが
賢いのである。
(2020年02月23日 18時21分42秒)

平和的自由獲得   もうり さん
フランスの
殺人鬼になることによって
自由になるっての
誤りだなあ。
だから結局、
修羅の社会、クソ社会に
なるんだよ。

むしろやはり、
「武士道」精神の一つ、
「忠誠心」が正しい自由の
獲得方法だよ。
なぜなら忠誠とは
国に対する善行だから。
それゆえ、
日本人全体が
お国のために働いたとき、
カルマによって、
自然と日本国は
国民に対して忠誠を
誓うことになるだろう、
逆説的であるが。

だから、
権威に対してさえも、
逆らう必要はない。

共産主義の暴力革命も
つまり誤りだなあ。
それはそれによって
未来に災厄を
もたらすであろう。

暴力でも自由でもなく、
結局、
愛する人間が自由も
平等も全てを手に入れる。

愛は忍耐深いんですよ。
国がダメでも国を愛すること、
これが大事。

国が国民のことを考える
ようになるためには
そもそも国民が国のことを
考えるようになればいいだけ。
国民が国のことを
考えなければ、
それは国から搾取することになる。

(2020年02月23日 20時44分19秒)

稼げるようになる方法   もうり さん
稼げるようになる
方法。
簡潔に。
愛あるところ、
人集まり、
人集まるところ、
財集まる。

有能であるところ、
財集まる。

そうして、
天の富があれば
なお完璧。

金、つまり信用はつまり
人格性と有能さの二つで
決まるかと。
そうして根本的には
天の富。
(2020年02月23日 22時56分10秒)

口火を切る役目   もうり さん
私は
人より勇気があるっぽい。
何か参加を求められて
シーンとなる前に、
常に自分からその求めに
応じて発言なり手を挙げるなり
する。
「なぜならば、
怖くないからである。」

今までの経験上、
ほとんどの人々が、
自分から前に出るのをためらう。
こんなことでも、
私は少数派である。

例えば大学生の頃なんかも、
講義が終わると
人々はなぜかなかなか
出て行こうとしないが、
私は一瞬で出て行ったり
していた。

最近、
グループワークを
するイベントがあったのだが、
そこでも常に私が口火を
切っていた。 (2020年02月24日 19時48分41秒)

ユングと正しい領分   もうり さん
ユング心理学と
正しい領分。
外的には従者であったほうが
よい。
そうすると、
心理学的には
生きれなかった自分の
「抑圧」と
表現されることになるので
あるが、
そうではなくて、
内的なものとして
留まるべきものは
留まらせておく、
つまり
外的には従者になることに
よって自らの心の主人に
なれるはずなんである、
ということだと思う。

だから、
他者に対して、
徹底的に、善人として
振る舞ったほうが
よいだろう。
そうすると、
悪魔的攻撃性が
心の中の煩悩を
断ち切る剣になるに
違いない。

自分の課題は
立派な日常生活を
送ること、でもあるのだけど
難しい。
生活はつまらないから。

自分の課題、
心理学の本を読み、
簿記の本を読み、
洗礼を受けて、
日常生活を立派に
こなすこと、やなあ (2020年02月24日 22時18分34秒)

市民的ジェンダー断片   もうり さん
市民として
ジェンダーを
簡潔に語る。

男は下駄を履いている、
男は女に対して
権利勾配が上にある、
だからその分を女性に
廻せ、という。

しかし、
女性は気づいていない。
女性特有のその場限りの
主張に見える。
私からすると、
女らしさから降りるとは
男らしさに傾くということであり、
男らしさから
降りるということは
女らしさに傾く、
ということである。

どういうことか。

つまり、
男の下駄を分けてもらい
たければ
その分、男のような
甲斐性を発揮したり
3k職種だとか
落下傘部隊にも入隊して
もらいたい。

しかも、
甲斐性を発揮する、
ということは
下方婚をする、ということでも
ある。
これまでだいたい
男性は下方婚してきたのだとしたら
それは機能的な甲斐性なので
女性らしさから
降りて男性らしさを
取り入れた女性も
そうしなくてはならない。
それをするならば、
下駄を分けてもいいのだと
思う。

私はたぶん、
男性の生きづらさを
補う形で
彼らに下駄が与えられたと
おもうんすよね。
市民なので個人的意見だけど。

でも、私は
男女平等には賛成です。
これから、
どんどん女性も
男らしさを取り入れて
強くなっていって
もらいたいんで。
そうして男性性と女性性の
調和した、全く新しい
男性と女性を生み出して欲しい。
(2020年02月24日 23時12分01秒)

社会心理学   もうり さん
社会心理学の
本を読んでるけど、
スタンフォード監獄実験とか
バンデューラの
モデリング実験とか
アイヒマン実験とか
なかなか参考になる。

特に表現の自由に関して、
バンデューラのモデリング実験が
参考になるだろう。 (2020年02月25日 23時37分54秒)

善行したい。   もうり さん
左翼のみなさん、
私の理想は
共同体にたいして
滅私奉公できるように
なることです。

右翼のみなさん、
私の理想は
経済的、国家的現実に
対して冷静になることです。
たとえ経済的、政治的に
劣勢になろうとも、
あるいは経済的政治的に
よくない状況になったとしても
海外の人々に対する良心を
忘れないことです。

私なら、
たとえイギリス人や
フランス人が
疫病になろうとも
彼らに対する良心を
忘れないでしょう。

それはたとえ
海外の人々が
我々に対して差別しようとも、
我々のほうは良心を
忘れない、
そのような国民であった
ほうがいいと思うんですよね、
右翼のみなさん。

「我の良心は
雨にも負けず風にも
負けず、核爆弾にも
戦争にも負けず、
たとえ殴られようとも
その相手に対する良心を
忘れない、
戦争に参加すれば
同朋の捨て身の盾となり、
進んで地雷探知機の部隊に
入る、
そんなデクノボーに
私はなりたい。」 (2020年02月26日 18時07分08秒)

歴史は忘れず忘れること。   もうり さん
歴史は忘れないことが
正しい反面、
忘れることも正しい。
教訓にできるならそうして、
なおかつ
歴史をネタに
他国を憎むことがないように、
ある面で「忘れる」ことが
大切だと思うよ。 (2020年02月26日 18時12分18秒)

共通項   もうり さん
少数派の意見が
多数派に受け入れられるためには
やはり相互集団間に
共通項が必要なようですね。
それも、そのはず。
例えば
なぜなら人権の定義からして
全ての人間に人権があり
尊厳がある、としなくては
ならないからだ。

フェミニズムを
受け入れない奴には
中指をおっ立てる
タイプの他人に対して
尊厳を認めないフェミニストの行いって、
つまり少数派を受け入れろ、
しかし強い側派(男)は
受け入れないって
ことですからね。

つまり、
結局、次の当たり前の
事柄に戻るんですよ。
多数派にせよ
少数派にせよ、
各々が何らかの苦しみを
背負っており、
多数派とか少数派とか
関係なく、
誰もが幸福になれるような
世界であるべきなんだと。

多数派とか少数派とか
関係ないのに、
少数派は多数派を
敵のように思いがちだ。
多数派は敵ではないのだから
多数派との共通項を
探って受け入れてもらえる
ようにするのは当たり前では
なかろうか?
(2020年02月26日 19時50分49秒)

一人で洗礼   もうり さん
一人だけで
海で浸礼してきました。
キリストの名を信じ崇めて
やったので、
これもバプテスマに
なると考えます。
牧師は
証人に過ぎないそうなので。

これで、
たぶん私は
キリストの体を着た
神の政府の
参入者になったかと
思いますが
変化は夢に現れるのかな? (2020年02月27日 08時13分53秒)

次やること。   もうり さん
次やること。
簿記の勉強と
一日一回の
主の祈り(自利)と
利他。
こんだけ。
メシア教の段階は
終わったので、
今度は
降臨教へのプロセスとして
社会に出て行って
人々を愛するだけでいい。 (2020年02月27日 08時38分52秒)

霊的な水   もうり さん
水より生まれることと、
御心との関係、
ようやく理解できた。
水は低きところに流れる。
仕えるものこそ偉い。
御心とは「天の政府」。
そうして洗礼。

こう考えると、
本当の意味で水から
生まれるためには
隣人に仕え、滅私奉公、
命をうっちゃる
自己犠牲しかないように
思える。
人々のやりたがらないことを
やる、とかだ。

つまり、
キリスト教に
洗礼を受けて入らなくとも
自己犠牲的に生きることが
できればそれが洗礼となる。
そうして、
つまるところ、
これは抜苦与楽、
すなわち慈悲のこととも
なってくる。

慈悲と自己犠牲と
従者になること、これを
精進するならば
我々は水より生まれることに
なるだろう。 (2020年02月27日 22時00分11秒)

天の政府と心理学   もうり さん
従者になることで
天の政府に所属することは
外的にそうなることで
心の主人になれるという
心理学の抑圧理論の
応用ともとれる。

だから、
私はまだまだ
メシア教の段階を
完成してはいなかった。
もしも完成したのならば、
腹にも核心力の感覚が
あるはずだろう。

私は頭と心臓に、
核心がある、
という感覚は持っているので。

単に無我となるよりも
美しいのは、
強固な自我でありつつも、
無私になること、です。
肉体の意味はおそらく
このため、であり、
テーラワーダ系が古いというのも
このためだ。
(2020年02月27日 22時18分04秒)

権力勾配の誤解   もうり さん
権力勾配が
高いということは、
それだけ義務を背負ってる
場合もあるのに、
それを無視して
権利という利益だけは
むしり取りたいが
義務は負いたくない、
という輩もいる。

ここで問題を整理してみよう。
権力と権利とは
経済で言うと
債務と債権のことだろうと
思う。

そうして、だから、
権力を持つということは
その分、他者の権利を
認めなくては
ならない、ということだ。
だから、権利と義務は
セットではないけど
権力と義務はセットなのだろう。
その義務のことを権利と呼ぶ。

こうして、
男女同権運動やらなどで
権力勾配をバランスよく
するということは、
つまるところより
背負う義務も増えるのだよ。

例えば国家に対する、
リベラルは人権を求めるが、
実はそれは国家に対して
平等な立場に立つ資格を
持たない。
なぜなら、利益だけ求める
幼児であり、
自ら義務を背負わないから、
そこに国家と対等に
立つための権力がないからである。

つまるところ、
権力の根拠はどこから
来るのかというと
義務を背負うこと、
義務を遂行することから
来ると私は思うよ。

従って、
反体制やフェミニスト、
リベラル側の中に
わがままなだけの幼児が
はびこっていないかを、
私は疑うわけですよ。

反体制側に立つ資格、
自由になる資格は、
むしろ義務を背負う人々にある。
なぜならそこに権力が
生じるからだ。 (2020年02月28日 19時52分51秒)

権利は対等原理じゃない。   もうり さん
権利は
与えられるだけ、
もらうだけなので、
権利はそもそも
権力に対する対等に
至る原理ではないと思うよ。
自ら義務を背負った者のみが
権力に対して対等に立てる。
なぜなら自分にも権力が
生じるから。
何気に保守とリベラルという
政治思想を統合しちゃったぽい。
自由になるためには
保守でないといけないし、
保守になるということは
自由を獲得する権利が
与えられるということ。
つまるところ、
個人主義(左翼)
的保守主義(右翼)とか
リベラル保守が
私の立場なんだと
明らかになってきた。

だから、宗教でも、
罪のないものだけが
この人を打ちなさいというし、
自分ができないしないことを
人に要求するな、とも
言うのだ。
そうして、
だからこそ、
まさにカルマの原理、
神の裁きは正しいのだろう。 (2020年02月28日 20時12分58秒)

修行のお話   もうり さん
どうも、
自分には既に
他者に対する利他行は
十分積んだんじゃね?
むしろ
足りないのは
瞑想じゃねって思えるんだよな。
なぜなら既に他人に対して
臆することなく与えられるから。
そうして、次の考えに
至った。
八正道における、
戒学の「精進」が
熟すると菩提心、
御名となり、
今までやってきたような
様々な生成する考え、
すなわち正念をやると
金剛界曼荼羅、
すなわち御国が
生じ、
そうしてただ一つだけの
考えに集中することによって
胎蔵曼荼羅、すなわち
御心、が生じるのではないか、と。

すなわち、
預流果は
戒学を定学の正精進によって
そうなり、
一来果は
定学の正念によって
そうなり、
不環果は
定学の正定によって
そうなるのではと。
なぜなら、
菩提心も両部曼荼羅も
まさに、
堅固さ、すなわち「定」を
思わせるから、である。

だから、
今度は、
思考を
一元的に集中する
試みをやってみようと思う。

御名は理想や目的に向かう
矢印的な智慧であり
(だからこそ精進から生じる)
御国は経済の循環のように、
生成流転する智慧であり
(だからこそ様々な考えや
生成的思考から生まれる)、
御心は法のように
包括的にまとめる智慧では
ないかな、と思うよ。
(ということは、
これはおそらく
全ての存在の平等的統一から
生じるかもだろう) (2020年02月28日 23時43分36秒)

胎蔵曼荼羅の分析   もうり さん
胎蔵曼荼羅の分析
金剛部院の智慧の側面が
普遍的智慧と
個別的智慧とに
別れる。
個別的智慧は、
そのまま、
自利利他の側面に入り、
六波羅蜜となり、
そこから蓮華部院へと
入る。
普遍的智慧は
そのまま三角形のある部分へと
入り、
八正道となり、
蓮華部院へと入る。
このような形で
連関している。

そこでわかったことで
あるが、
私のすべき瞑想は
普遍的智慧である、
ということだ。
どういうことか。
なぜなら、
私は私は在る、
自我は在る、という
感覚なので、
普遍的智慧によって
無私の感覚を得ることで、
おそらく胎蔵曼荼羅が
出来上がる、と
思うからだ。

その普遍的智慧とは
諸法無我のことである。
こうして、
「純粋な自我」となる。 (2020年02月29日 01時06分57秒)

八正道   もうり さん
菩提心(自我の実体)を
会得する方法、
たぶん六波羅蜜だな。
そんで
無我を会得する方法が
八正道。
胎蔵曼荼羅の
釈迦院がある部分は
八正道。

六波羅蜜は
菩提心に至ると
煩悩即菩提となり
博愛が生じ他者に
与えるようになる。

それとは反対に、
八正道は消極的だと思う。
それは怒りがなくなり、
貪欲もなくなる。

胎蔵曼荼羅は、
だからたぶん、
純粋な自我の境地に
至った人間を表していると
思う。

テーラワーダ系は
古い、といったが、
私には必要なようだ。

すなわち、
私は預流果になった
時点で六波羅蜜を
完成させ菩提心(御名)を会得し
智慧の財を無償で分かち
続けることで
金剛界(御国)を会得し、
一来果となり
続いて八正道をやっていく
ことで釈迦院が
完成し、御心(不環果)
に至るのだと思います。
これは主の変容に相当する部分であり、磔の段階は
アルハットに相当する。
まとめると
預流果=六波羅蜜(平等性智)
=御霊との結合(御名)
一来果=金剛界曼荼羅(成所作智)=火と聖霊の洗礼(御国)
不環果=八正道=大円鏡智=主の変容
(御心)
アルハット=磔=大いなる放棄=蓮華部院(主の祈りの人間の部分)
こうして胎蔵曼荼羅が
完成した後で
復活=アデプト(魔術師)
となるのだと思うよ。 (2020年02月29日 02時12分01秒)

はじめての友達   もうり さん
ようやく、
相互に友達と
承認してくれる人に
出会った。
そして、その人を
通じてサイエンスと
ものつくりに精通した
人格もよさげな学者を
紹介してもらって、
これからはこのコミュニティーに
参加できるようになった。
世界が広がった。
明日は礼拝。

光の時代、到来。 (2020年02月29日 15時35分27秒)

権力など   もうり さん
権力や義務などの
話は古かったようです。
まだまだ勉強不足だが、
もうこの分野勉強する
気力残ってない。

リアルが充実してきたので
本当にネット絶ちできるかも。 (2020年03月01日 04時09分26秒)

私の顛末   もうり さん
名誉教授から学問センスを
認めてもらう、という
栄光を受けたし、
一緒に事業することになるかも
しれないってなった。

それに、
ようやく私にも
作りたいものができた。
これは、まだ誰も
やったことがないことです。
現実の人々にバレたくないから
言わないけど。

みなさん、
これが私の顛末ですね。
修行は止めます。
苦しくないのでね。

(2020年03月01日 08時59分08秒)

水による洗礼   もうり さん
やっぱり、
水による洗礼って
蓮華のことっぽい。
浸礼によって
穢れを払い、浮き上がったら
それは蓮華。
そうして、
キリストからじきじきに
水の洗礼を受けるためには
戒律を守り隣人を愛すとよい。

戒律を守ることで
不動の岩となる。
なぜなら世界に対して
負債を作らないから。
それでいて隣人を愛することで
水の洗礼を実現することに
なるだろう。

そうして、
愛すべき隣人のタイプは
中台八葉院が参考になるだろう。

ということは、
たぶん不環果が
胎蔵(真の水による洗礼)で、
一来果が
金剛(火と聖霊による洗礼)、
預流果が菩提心
(御霊との結び)かな。
ただ、人や各々の
霊統によって順序が
異なるかもしれん。

だから、
戒めを守り善行せよ。 (2020年03月01日 16時18分36秒)

中台八葉院 福田   もうり さん
中台八葉院を
見てみると、
人生に目的を持つ者
(特に人生の意味を見いだした
若者)

慈悲行事業をする者と
智慧を深め瞑想する者と
涅槃に至ったものに
布施すべきだとわかる。

中台八葉院で
言うならば、
私は開敷華王如来と
天鼓雷音如来が
できていない。
プロセスという見方もできるが、
なぜなら、それぞれの
如来は直接大日如来から
生じてもいるんで。

それで、
一体どんな人に
開敷華王如来実践したら
よいのかというと、
自分が相手に対して負債ある
者たちにしたらよい。
それが福田という概念であり、
活躍している人、
尊敬できる人に対する敬田と、
親など、恩のある人に対する
恩田と、
飢えている人々などに対する
悲田とである。

なぜなら、この三つこそが
各々次元は異なるが
それぞれ恩のある人々だから
である。
すなわち、このような
人々に対して布施することで
不動の岩となるだろう。

だから
ネットでの布施は、
あんま意味なかったっぽい。
そんなことをしても
負債は減らないわけで。
それより、目の前の家族に
対して毎日恩返ししていく
ほうが意味はあったっぽい。

また、次のことも
言える。
結局、全ての成長過程に
ある人々を愛するべきだと。

活躍している敬うべき人々に対して
間接的な恩返しできる性格と
親など近しい者に
恩返しし続けられる性格と
自分の変わりに不幸な境遇に
陥った人々に対して恩返しし続けられる性格として、
つまりこの性質を美徳に
できたならばたぶん
完成 (2020年03月01日 17時05分09秒)

私の次の人生の目的は家族   もうり さん
そういうわけでありまして
分析してみたところ、
敬田や悲田、
つまり他人に対する
善行は平気でできるので
あるが、
家族は近すぎてなおざりに
なってしまっている。
それに、
他人への愛では
パーソナルスペースに
距離があるから
無理することもなく、
他人からはモラリストとさえ
思われているのであるが、
家族とは実践理念が
真逆なために、
執着なく愛する、
ということができない。
つまり、
自分にとって一番
欠けている美徳とは
家族愛である。
そのためには、
家族の大事にしている
理念を取り入れることなのだが、
それが一番自分にとって
大事にできない、
「生活や清潔さ、
見た目」だから難しい。

そうして、
友人たちとのコミュニティーが
充実し事業の話が
浮かび上がっても
来たが、
そこに来る人々全てに
対して実践を伴う
善意が向けられると
分かっているのだから
むしろ自分は
一番、家族と向き合うことに
意味があると思うわけで
ありますよ。

つまり、ここでのコメントも
参考にしてくれた人たちが
いたら良かったとは思うけど
負債の解消には役だってない
ことになる。

ここでのコメントを
考える時間を使って
目の前の家族のためになることを
するほうが今の自分には
意味がある。

ナルトには次の歌詞がある。

身近にあるもの、常に
気をつけてないと、
あまりに近すぎて
見失ってしまいそう。

リアルが充実してきたし、
ここでのコメント、
というか、広くネットで
書き込みをすることも
ほどほどにしないと
なおざりになる部分が
でてくることが
わかったし、
真の水の洗礼が
わかったから、
書き込みやめるか。

ネットする暇があったら
家族のためになることを
考える。 (2020年03月01日 17時26分28秒)

親嫌いの疑問点   もうり さん
虐待とか難しい話では
あるけど、
親嫌いかつ恋人持ちの
人々に対する疑問点は、
もしも結婚して
子どもが生まれたとき、
自分の子どもが
自分の親のように
自分の思いどうりに
行かないときは
その子を憎むことに
なるんじゃないかということ。

どんなに思いどうりではない
親だとしても、
その親を愛することが
できる人間ほど、
自分の子どもを持つに
相応しい人間なのでは
なかろうか。 (2020年03月01日 17時52分49秒)

もう一つの側面   もうり さん
もう一つの
善行の側面として、
愛しがたいものをこそ
愛する、がある。
それは自分の心の
欠点なので。
恩返しのために
愛するというのも
一理あるけど、
キリスト教では
愛そのものに対する
アプローチをしている。

負債があるから
善行で返すのか、
あるいはある人々に
対する愛が欠けているから、
その人々のほうがむしろ
私に対して迫害などで
負債があったとしても、
自らの心の完成のために、
愛する、というアプローチである。 (2020年03月01日 18時00分29秒)

主意主義者への反論   もうり さん
主意主義者、
すなわち
人を助けるのに理由が
いるかい?
みたいな道徳的世界観への
否定ぎみの
人々への反論として、
カオスで不条理、
無慈悲で無機質な
主意主義的世界観の場合だと、
どうしても、
世界そのものへの恐れを
取り除くことはできないだろう。
ニーチェすら発狂した。
世界そのものを恐れる
可能性を宿した人間に、
そもそも徹底的な善行なんて
不可能だと思うんです。

おそらく、
道徳的世界観を
身につけた人々の
来世の境地は
世界や宇宙に対する
信頼でしょうね。

主意主義だけだと
むしろそれを完徹できない。
なぜなら、
結局、世界と対峙し、
世界への恐怖という
リアルに負ける運命だから。
まあ強さで固めて運良く
世界と向き合うことが
ない人々もいるでしょうが。

だから、
結局は
主知主義的に、
世界への恐怖を取り除くことも、
意志にとって役に立つんですよ。
なぜなら、恐怖とは
意志における障害だからです。

(2020年03月01日 18時30分41秒)

若い人たち   もうり さん
神とすら戦うみたいな
人たち、
主意主義っぽい人たちに
多いけど、
彼らってたぶん、
魂が若いんでしょうね。

まず、人間は、
人間と一つ上の存在でしかない
天使を直接見るだけでも
気を失いますが。

(2020年03月01日 19時05分21秒)

当時のユダヤ兵と主意主義者   もうり さん
新約時代の
弱肉強食味が
強かった時代の
ユダヤ人番兵でさえ、
光輝く天使を見て気絶した
らしいんですが、
今、父なる神と戦うとか
いってる人たち、多分
兵士ですらないからなあ。

でもまあ、
若気の至り、だろうね。

ニーチェもひょろひょろだし。 (2020年03月01日 19時22分29秒)

表現の自由と人格   もうり さん
表現の自由は
金か命か、と
同じ関係で
表現の自由か人間か、
ということでしょうな。

相手の権利を守るという
義務を遂行する人間に
権力が生じると考えると
つまりその権力とは、
多分相手から権利を
守ってもらえる資格かも
しれない。

発達障害や
人格障害だけでなく
健常者と言われる方々も
適応できてるから
名前がついてないだけで
なんらかの心理障害を患って
いると思います。

私のイメージする
人格障害とは「偏り」と
「固定化」による、
自分内部のその他の人格の
領域への壁ですね。
言い換えれば
「円満」ではないこと。
そうして禅僧は善悪は
ないというが、
例えば虐待されて育った
子どもの脳と
愛されて育った子どもの
脳を比較した時、
欠損が出るならそれは悪の存在の
証明ではないでしょうか。

私は表現の自由とかいって
暴言を吐くよりは
言葉使いを気をつけるほうです。

なんというか、
結局、愛することとか
優しさ、善行こそが
賢く、なおかつ楽な
選択なんだと私は
思っていて、
それは仏教における戒とは
悟った人間の性格がモデルだというのとも一致する。

結局、表現の自由とかいって
乱暴な言葉を吐くよりも
気をつけた言葉を吐くほうが、
人生において無駄なイベントや
コストを発生させなくて
済むだろう、という見識ですね。

たぶん、
表現の自由も気をつけないと
作品に関してその作品価値を
上げるために対して重要でない
部分の表現の自由に拘り論争する、
という無駄な苦労をすることに
なるだろう。
詳しくないので抽象論だが
表現において、
本質的なところ、
欠けてはならないところに
関して譲るべきでは
ないのだろうけど
その他の部分は良識を
守ったほうが、そこで
論争する時間を、
制作の時間に変えれるでしょう。

ただ、
しかしそもそも私は
個人主義的保守主義者なので、
強制しないけど。

宗教の教え、
一見不自由に見えるけど、
その実、余計なしがらみを
発生させないことによる
自由を狙ってるぽい。 (2020年03月01日 23時05分32秒)

賢い生き方   もうり さん
戒(規範)を
守れば本質的なことに
打ち込める時間が
それだけ増える。

例えば食欲は
本質的なことじゃないのに、
それに貪欲になった時間は、
必要以上のエネルギーと時間を
消費しており、
人生における無駄である。

それは性欲についても
言える。

戒を守ることでは悟れない、
という説もあるが、
おそらく守ることで
本質的なことに
取り組める時間が
増える。

性欲も人生の本質じゃない。
何人もとっかえひっかえやるのは
人生の無駄である。
梅毒の危険もある。

(2020年03月01日 23時50分05秒)

悪という無駄について   もうり さん
悪ってつまり 
ある意味無駄なことに
拘った結果とも
言えそう。

怒りにまみれて
人を殺す、
そうすると逮捕されたり、
憎まれたり生きにくくなる。
カルマ値も溜まって
不幸な運命が定まる。
この一連のプロセスは
無駄の連続でしかない、
という霊感。伝わるかな。


(2020年03月02日 00時03分02秒)

金稼ぎの肯定   もうり さん
金稼ぎも
肯定するようになった。
ただし、
条件付。

搾取にならないように
稼ぐことが大事だ。

搾取するなら
自分が搾取されても
文句言えない。
(2020年03月02日 16時42分38秒)

宗教商学~お金の神様に愛される   もうり さん
カルマの
法則に基づく、
宗教商学を考えた。

1人格性を高めること。
→愛される人格になれば
人が集まり、財も集まる。

2見た目や振る舞いに
気をつけること
→愛される、
あるいは他人への負担に
配慮した身体や行為を
行うのならば、愛される。

3賢さ、合理性、効率。
→言わずもがな。

4搾取しないこと
→搾取するなら
搾取されても文句言えないし、
結局、プロレタリア暴力革命が
肯定されるレベルになりうるから
経済権力者は気をつけること。

次が一番大事なことで、
もしかしたら金稼ぎの真理かも
しれない。
5売る側からすると、
原価より高くする必要がある。
次が重要、発見したことで、
買う側からすると、
その商品は値段以上の
価値があると思わせることが
重要。

5のような商売をするならば
結局どちらも儲かってる
わけです。

値段以上の価値があると
おもえる商品を買ってもらえるなら、カルマの法則からして、
むしろその会社側に金が入るように
傾く、というわけです。

以上が、
お金の神様に愛される
秘法です。 (2020年03月02日 16時55分19秒)

観世音菩薩   もうり さん
方針変更
時空超越体験に
至る無量寿如来まで
行ったのは確実だと
思うし、
開敷華王菩薩、
つまり大悲心を
起こす段階までも
神秘経験あるので、
次は天鼓雷音菩薩に
なる前の観世音菩薩の段階を
生きる必要があると
考えなおした。 (2020年03月02日 19時39分34秒)

修行の終わり   もうり さん
観世音菩薩になるプロセスは、
どうやら
阿弥陀如来に
救われて生きている間に
不退転
(おそらくキリスト的には
火と聖霊による洗礼、一来果)
になって心の闇を断ち、
それにより死後に
極楽浄土に行ってから後に、
ようやく観世音菩薩(観自在菩薩)
になれるようなので、
私はこれ以上、修行しようが
ないみたい。

だから、世俗を頑張るっきゃない。
どうやら。

私が見た七柱の神は
菩提心の段階の神で、
その後の全てを救うという
大欲は開敷華王菩薩で、
金剛界曼荼羅を
時空超越して体験したことは、
阿弥陀仏による救い、
として、このように
私の意識生成は
金剛界曼荼羅だけでなく、
見事に胎蔵でも説明できる。

そうして
観世音菩薩になるためには
一度極楽浄土に往生する必要が
あるみたいなので、
もうこの段階では
精神修行は死を待つしかない。

だから、
このよいタイミングで
事業だとかコミュニティーの
充実だとか世俗が発生してるのも
天の恵みだな。

私はもう、
極楽浄土に行くことが
決定している。
精神修行は本当に
諦めてもよさそうだ。
(2020年03月02日 20時13分45秒)

天の社会クリヤー   もうり さん
今まで、
天の精神、
天の政府、
天の経済に所属することを
メシア教だと思ってたけど、
違うな、
これはマニ教だとしておく。
最後にメシア教が来る。
マニ教は進化した
ユダヤ教であり、
メシア教は進化した仏教であり、
現代は進化したイスラム教の
段階である。
進化したイスラム教の段階では
金稼ぎを肯定しつつ
天も肯定優先する、という段階のことだ。
それは叡智愛力戒律の段階とも
言える。
そうして金は戒律に
対応する。
戒めを守る者は儲ける、
という話は守ることで
世界に負債を負わせないことで
さらに上記のお金の神様に
愛される方法を実践することでも
あると思う。

菩薩心を
司る、
如意宝珠の如来の時点で
天の精神に所属し、
開敷華王菩薩の時点で、
これは水の洗礼であり、
天の政府に所属することを
意味する。
そうして、
最後に阿弥陀如来に
救われることで
天の経済に所属することを
意味するだろう。
こうして、
私は自分で言う、
「マニ教(仮)」を
クリヤーし、
続いてはメシア教の
段階に入ってるんだけど
ここでは世俗の中に
入っていってみんなで
悟る、というのを目指すし、
そうできなくとも
次やるべきと思うことは
人々と共に暮らしていく、
という段階である。

そうして、
こう考えていくことで
わかったことは、
メシア教の段階、
つまり観世音菩薩以降の
段階はマニ教が天の社会だったのだが、そもそも天の肉体を
獲得する、という段階に
入るのだと思う。
それは進化したイスラム教の
段階で言うと、
「戒律」に相当する。

私が金剛界曼荼羅の
ヴィジョンで見た、
生きた光の源泉に
入っていく光景は
神より来たりて神に帰る、
と解釈していたが、
これは阿弥陀仏の
光でもあるのかもしれない。
そうして阿弥陀仏の
光によって極楽浄土は
できている、と。

で、
つまるところ、
これでおそらく
わかることには、
マニ教の段階に
入りたければ、
進化したイスラム教の
段階に入ればいい、
ということであり、
それは学び(叡智、哲学、
学問)と
愛(芸術や利他)
と力(技術や運営)と
戒めをやればいいんだなと。
それなら、
確かに既に通過済みのように
思う。私は18歳の段階で
通過済み。
小学から高校までの
全範囲を真面目に学ぶこと(叡智)と
誰に対しても優しさを
忘れなかったことと(愛)
農業の手伝いを結構したことと
体育も苦手なりに
真面目に頑張ってスクワットを五百回や千回したことがあること(力)、
幼稚園から中学の間で
いじめられてもその人たちに
だいたい善で返したこと(戒律)
ここでは、
確かに神秘的なことは
起こらないかもしれない。
しかしそこに至るという
段階だろう。

マニ教の段階は
中台八葉院の
無量寿如来までが
参考になるだろう。

さて、こうして
私の精神修行は
世俗的生活と一致することに
なった。
やっていく。
だから、
自分の芸術が
完成したら、
結婚を考えてもよさそうやなあ。
芸術を終えたら、
残りは事業と結婚くらいだろう。

自分が出会ったある哲学界の
創立発起人の翁みたいに、
やるべきことは全部やった、
みたいな結果になりそう。
(2020年03月02日 22時40分04秒)

観世音菩薩=白魔術師   もうり さん
観世音菩薩の
段階とは人智学的には
白魔術を使える、
霊我が生まれた状態だと
思う。
シュタイナーは
霊我になると
白魔術を使えるみたいなことを
どこかで言っていたと思うけど、
観世音菩薩の救済の神通力が
まさにそれじゃん?って思う。

そうしてまたまたシュタイナーが、
弥勒菩薩の言葉は魔術的になる、
とも語っていたが、
魔術的な言葉とは
つまり弥勒菩薩が
天鼓雷音菩薩、
つまり生命霊の段階を
通過したということであり、
弥勒菩薩自体になった
時点で、またまたシュタイナーの
言うとうりにこの菩薩は
キリストのような自己犠牲の
秘儀を行って、
霊人に至るのだと思う。
このようにして、
メシア教の段階に入るならば
真理自体が
肉体の中に入ってくることで
白魔力が備わって
衆生済度に向かいつつ
永遠の命を会得するように
なるのだろう。
つまり、
空海の即身成仏とは
霊人のことだと思うよ。

そうして、
ヤハウェもアッラーも
キリストも弥勒菩薩も、
ブッダと同じようなものであり
その境地に到ならば
誰もがキリストにも
弥勒菩薩にも
なれるのだと思うよ。
(仏教的一神教観)

それは言い換えるならば、
我々は他者になれる、
ということでもある。

だから、
そもそもヤハウェも
一柱だけでなく、
ヤハウェ存在みたいな
神が多数いて、
アッラーや
キリストも同様であり、
従って人員に制限なく
誰もが救われることが
できるであろう。

観世音菩薩=霊我(身)
天鼓雷音菩薩=生命霊(口)
弥勒菩薩=霊人(意)

しかし、
そのためにはそもそも
どれかの霊統を受け入れなければ
ならない。 (2020年03月03日 01時01分41秒)

名色分離智に至る   もうり さん
おそらく、
次の認識が
名色分離智であろう。
それは事実に関する分析であり
自身の心についての事実と
外部についての事実とがあり、
物事を判断するに当たって、
対象に付ける概念には、
この二面性がある、ということ。
だから、
そもそも客観(色)
だけが事実ではなく、
心(名)によって客観が
美しく見えたり醜く見えたり
するということ。
この事実の両義性が
名色分離智ではなかろうか。

逆説的だが、
人の内面を
「お気持ち」と呼ぶこと自体に
その人のお気持ちが反映されている。お気持ちという
自分自身も色に即して語っては
いない。 (2020年03月03日 01時17分02秒)

世界は美しい   もうり さん
自分の考察を
続けていくうちに
心に変化があったのか
海や雲がとても美しく見える。

今までは
世界は灰色の墓場でしかなった。
しかし気づき続け、
思索を続けていき、
利他行を続けていったおかげか
美しく感じる。
美とは何か。
それは世界の深みを
自然と認知できる
知覚内容のことである。

キリスト教を通過した
自分にとって、
世界は苦ではない。
世界は美しい。
なぜならば、
四法印自体が
美しい概念だと
感じるからである。

ブッダは世界は
苦だといった。
しかし、私にとっては
彼が見いだした真理は
むしろ美しい。
この世は儚く脆く、
思いとうりにいかない。
しかし、
諸行無常という真理自体は
なんて美しいのだろう。

(2020年03月03日 01時32分05秒)

効率的な生活   もうり さん
割と現代では
田舎のなにもなさが
むしろ良いと思う。
自分にとって、
必要なものを揃えたら
それでいいんで、
物で溢れた東京で
無駄に欲望に晒されない
メリットがある。
一個人にとっては
東京とか大都会は
無駄が多いでしょ、あきらかに。

だから、個人にとっては
東京は全体としては知的な都市じゃ
ないんですよ。

たぶんなんですが、
本物の金持ちって
たぶん空気の綺麗な
田舎で高機能な
城とかに住んでる。
(ヨーロッパモデル)
(2020年03月03日 06時33分00秒)

都会に住むのは知的か問題   もうり さん
果たして、
都会に住むのは
知的か問題が
出てきましたね。
日本において。
なぜなら、
宗教家でもないかぎり、
世俗の人々は
「健康、生活、命」を
目的としていると思うけど
都会は金という手段のためには
良いけれど、
食料や自然は
比較的田舎にあるわけでして。

あと自分で生活を
クリエイトしていけるならば
田舎のほうが効率的。

都会に住むと
自然レベルでも
情報レベルでも
受け身になってしまいませんかね?


(2020年03月03日 06時43分53秒)

都市哲学   もうり さん
つまり、
田舎こそが
都市における
普遍「空性」であり
都会は
そこから
形成された
個別「仮性」
なのだと、
遂に
都市地理学の哲学に達した。

言い換えるならば
田舎はエーテル体であり、
都会は肉体である。
そうして肉体にも役割はあるんで
平等ではある。

(2020年03月03日 07時04分55秒)

都市の弁証法   もうり さん
都会→肉体(仮)
田舎→生命(空)
都会と田舎の
中継地域→心(中)
田舎で創造的に
生きて自分固有の時空を
作る生きかた→自我

東京は、
「都市的自我」が
独立してないんですよ。
都市的自我が
むしろ未分化で
混濁している状態。
それはつまり、
個人にとって無駄が
多いということ。

何もない地域でこそ、
独立した都市的自我が
表現できる。

ただ、
平等なので
例えば東京が
独立した都市的自我に
なったならば
そちらのほうがより
進化しているのかも。

でもって、
そのような都市空間モデルは
既にあって、
名前は知らないが、
曼荼羅のような、
碁盤のようなマス目正方形
構造の都市。
平安時代に実現していたが
これこそ理想だと思う。
東京をこのような
構造にできたらいいなあ。
今はいわば受 精卵が未分化な
状態なんだと思いますよ。

まー、曖昧な表現しかできないけど。

いや、
まとめなおすと
次のようになる。
都会→肉体
田舎→生命
都会と田舎の中継地域
→心
自分固有の巣作り→自我
(自我自体はどこにでも
ありうると考えなおす)
ここで
中継地域が
碁盤的構造となると
霊我、
田舎が
各々が創造的に
生きて碁盤的構造となると
生命霊、
として、
最終的には
色々な個性が集まる
東京が
碁盤的構造となった時、
そこには本当に
色彩豊かな自我が
表現された都市になってると
思う。

つまり、
私としては
土地は平等に
公平に分配されるべきやと
思う。
そちらのほうが
個人が巨大な館を
立てるよりも
全体として豊かな
地域になる潜在能力がある。 (2020年03月03日 07時37分53秒)

芸術と性的消費の違い   もうり さん
芸術と性的消費の
違い、わかったぽい。
言葉で明確に言える事柄では
ないのかもしれないけど。

それは
美や意味を目的としているか、
その意味やメッセージが性欲
でしかないか。
芸術は無意識に作用し
機能するものであり、
人間にとって性欲は既にある
ので、後者のような作品に
触れても、一般的には
時間の無駄ではあると思う。

しかし
ミロのヴィーナスや
ダヴィデ像といったものには
性欲以上の意味があるから
裸でも肯定できる、
というわけだ。

人間の中には既に唾棄すべき
堕落した性欲がある。
それなのにそれを描いても
無意味だろう。
心理的写実主義といえば
そのような立場では
あるかもしれないが、
それは現実に既にあるので
買うだけ無駄だが、
写実主義が神を明確に
描く場合は大きな意味を
持つようなことが
何かできないかとも思う (2020年03月03日 10時50分51秒)

意識できるもの   もうり さん
意識できるものが
全てではない。
無意識があるならば。
つまり儀礼儀式祭り、
冠婚葬祭、
礼儀といったものは
無意識にとって意味があるので
茶番ではないと思うよ。 (2020年03月03日 11時11分48秒)

格好良さという性   もうり さん
負の性欲、
要するに女性にとっては
格好良さが性的対象に
なるってことでしょ。

ヒプノシスマイクとか
ニトロプラスとか見てようやく
より明確に理解したわ。

男というか、
少なくとも私は格好良さに
性欲を感じることはないので、
腐女子からわかる、
思わぬ発見だ。

ということは、
私はやっぱり本質的には
ヘテロなんだな。 (2020年03月03日 12時16分06秒)

入我我入   もうり さん
方針転換

真理を実際に
宿す、という
メシア教の段階ですが、
それってつまり
入我我入のことであり、
三密のことである、
とようやく気づいた。

金剛界曼荼羅でも
最後は金剛拳菩薩なのも、
あわせて考えると、
私の次やるべき
修行とは三密であり、
三句の法門における
方便を究極とする、
という段階に達したことになる。

霊我(観世音菩薩)
が意密で
生命霊(天鼓雷音菩薩)が
口密で
霊人(弥勒菩薩)が
身密であり、
胎蔵的には
無量寿如来の段階まで
達して始めてその三密の行の
即身成仏を目指す
段階に入るかと思っておこう。

私はこれを
キリスト三密として
やってみよう。 (2020年03月03日 13時46分30秒)

やっぱりダメだ   もうり さん
天鼓雷音菩薩とは
不空成就如来でもあるが、
それは自利と利他の
ありうる全てを遂げることに
よって涅槃に達するという
菩薩で、
空海の三密では
足りないと思う。

例えば、
私なら数学や工学、
各種芸術もやらないといけない。
しかも政治家になったり
経営者になったり
全てのありうる事業を
やり遂げないといけない。
もしかすると、
ムスリムとして
ムスリムに対する
善をなし、
ユダヤ人として
ユダヤ人に対する善を
なし、
黒人女性になって
善をなす必要もあるだろう。
また包括的な美徳も完成させないと
いけない。

だからこそ、
極楽浄土に入って
観音様の力を得なくては
そもそも天鼓雷音菩薩に
至ることは不可能なんだ、と
考える。
なぜなら観音様とは
多面的な存在だからだ。
千手観音とか、
実に様々な適した行いが
できるわけだからな。
しかも人間だけでなく、
動物や植物に対しても、
である。

だから、
やっぱり自分の修行は
ここまでだな。
(2020年03月03日 17時24分39秒)

来世が要る。   もうり さん
結局、弥勒菩薩にまで
至るためには
あらゆる知識理論(牙)、
あらゆる
存在に対する実践(業)
あらゆる美徳(精進)
にまで至ってから、
その後でようやく
三密の行が機能してくる、
ということだと思う。

そうして
如意宝珠
(求めよ(キリスト教))を得るためには
何をすべきかというと
進化したイスラム教を
生きればいいという仮説と
阿弥陀如来に至るまでに
何をすべきかというと、
その方便とはシュタイナーや
ゲーテやヘーゲル、
ノヴァーリスといった
有機的思索者の
思考を借りて
まさに法輪を転ずることである。
例えば目から足まで
有機的に考えることが
法輪を転ずることと、
自分の宝物を与え続けること。

では開敷華王菩薩になるために
何をすべきなのかというと、
四摂菩薩を性格にしておけばよい。
たぶん、如意宝珠を得るだけで
開敷華王菩薩にまで
至らない人間もいるのだと思う。
その客観的な証とは
高額なものの
無償の贈与をやり続けられること。
つまるところ四摂菩薩が
身についているか、だな。

そうして極楽浄土にいったら
来世で空海のような
万能の天才になるだろうから、それにより、密教に入って涅槃に
至れる、と思う。

だから私は一来果なのだ。 (2020年03月03日 18時00分02秒)

平等も上下も   もうり さん
平等が
左翼というか
革新概念と
思われていて
ヒエラルキーが
右翼というか
保守概念だと
思われている感じがあるけど、
どっちも昔からあるという。

ということは、
左翼自体も
本質的な事柄は
古よりあるのでは。 (2020年03月03日 20時58分28秒)

豊かな生のために~平家物語   もうり さん
簡潔に言えば
私の家系の目的は
私を生み出すことであったと
思う。
つまり、
私は結婚する必要がない。
なぜなら目的を果たしたからだ。
むしろ今栄えている
家系もいずれは滅びてほしいし、
いずれは滅びるべきだと
思う。
なぜならば、
同じような血統が
長々と栄えているならば、
そこには地球全体としての
生の豊かさがないからである。
死と末代はより豊かな生のためにある。
平家物語では盛者必衰の
理が語られるが、
もしかすると、これも
本当に真理なのかもしれない。

なんで革命権が肯定されるのか
というと、
プロレタリア革命が
起きるような状況とは
大勢の人間が
死に晒されて、
一部の資本家は
上に立つという場合で、
それは搾取する側がいるから、
安全安心な場所に
居座る奴等がいるから
大勢の人間は死に晒される、
という状況なわけなので
資本家は革命されても
文句は言えないわけである。

ようやくわかったことだが
次のことが
お金の真の意味だと思う。
すなわち、
なんでお金のマネーの
語源がマナスなのかといえば、
全てのお金は一体で
繋がっているからであろう。
個々のお金は独立しておらず
全体として一つであり、
つまりお金とは本質的には
社会のものだということ。

共感や絆をお気持ち、
学級会、茶番と
過小評価する人々も
いるが、
共感によって
自分の中に新たな自分が
見いだされるので、
反感が強い人々や
共生共感を拒む人々は
むしろ自己が育たない。
それは共感お気持ちが
自分であるとみなすということ
ではなくて、共感によって
自分の考え方や行為さえ
変わりうるからである。
それは新たな自分の発見である。
そこが虫と違うところで、
我我人間の自我とは
蟲のように同一種族で
集まる存在ではなくて
一つ一つの自我が
一つの種族なんである。
言わば狼と羊が
共同する、狼の中に羊の
潜在力があり、
羊の中に狼の潜在力がある。
そのようなことをしているから
人間の社会は蟲とは次元が
異なると私は思う。 (2020年03月03日 22時23分44秒)

個性を使う場 意識現象   もうり さん
人は、
一旦孤独になって
個我形成した後は、
社会参加しないと
その個我を
使う場がないので
結局、個我は育たない、
だからこそむしろ
社会とか共同体に参加する
必要がある。
共同体から逃げたがる
タイプの自由主義は
弱くなる。
(2020年03月03日 22時29分43秒)

極楽浄土へ行く方法   もうり さん
極楽浄土へ
行く方法、
自分が解釈する
密教的にはまず
如意宝珠を会得し、
大悲心を咲かせた後で
達成しうるものであるが、
それ自体として考えるならば
「無償の愛」を
行ったり、
百億円もってたら、
二億あれば十分と、
98億でできる限り
人だすけする、
みたいに、
自分自身が他者に対して
極楽を与えられるようになれば、
天の報いとして
極楽浄土に行けるであろう。

つまるところ、
自分がどういった死後世界に
生まれるのかは
自分の行いにかかっている。

で、私は無償の愛を
アナログでもデジタルでも
実行してきたので、
極楽浄土が私の故郷に
なった、ということです。
私は幾ら殺されようとも
阿弥陀仏のいます極楽浄土に
帰還することになるでしょう。
そこから衆生を救うために
地上に生まれても
死後は極楽浄土に帰還することが
決定している。

なので、ようやく、
私のすべき実践が
わかったことであるが、
ひたすらに南無阿弥陀仏と
唱えたらよい。

今生きている間にできることとは
阿弥陀仏に感謝することしかない。

しかし、
南無阿弥陀仏を唱える人々は
本当に浄土に行きたいなら、
私のように自分も他者を
極楽にしないとおかしいですよね?
(2020年03月04日 00時48分34秒)

気圧と人生   もうり さん
私は個人主義的宗教保守主義
なので儚い国家と
一体化することはなく、
また我が意に従えと
言うつもりもないです。
ただ、国家にも善い部分は
あって福祉の恩恵を受けていて
国家や世界のみなさんや
日本人たちにも恩があります。
安部さんが国家の全てでは
ないです。

しかしながら
同時に、世界の豊かさのために
いずれ日本や様々な国々は
いずれ滅んで新しいものに
取って変わられるべき、とも
思いますね。
それでこそ化学プロセス的な
相対的領域としての
本分を発揮していると
思いますね。


気圧から来る頭痛、
私も若かかりし頃は
一切なかったですよ。
でも二十代になってから
出始めましたね。
たぶんゲームのやり過ぎが
神経を弱らせたかなと
仮定しています。
眼精疲労もあるかと。 (2020年03月04日 19時46分41秒)

念仏の総合   もうり さん
宝どう如来の
念仏が、
南無釈迦に仏、
開敷華王如来の
念仏が
南無妙法蓮華経、
無量寿如来の
念仏が
南無阿弥陀仏。

そうして、
まだ知らないのが
天鼓雷音如来の
念仏。

南無妙法蓮華経も
南無阿弥陀仏も
プロセスの一部に
過ぎない。
つまるところ、
念仏法輪を転ずることが
最終的な念仏。
それが例えば光明真言だし、
主の祈りでもある。

でも、
自分は日本語で、
仏教的に祈りたいので
南無釈迦尼仏
→南無妙法蓮華経
→南無阿弥陀仏
→南無(謎)
→南無釈迦尼仏、
(繰り返し)
みたいな
伝統を受け継ぎつつ、
しかも仏教本来の
どれが一番の念仏かという
執着なく、
しかも仏教の無常のプロセスを
体現した、
真の念仏というものが
あるというのをみなさんに
主張したい。

つまるところ、
存在する念仏とは
上記の回転念仏のみ、
なんだという主張であり、
だからやっぱり
サンスクリットの
光明真言は正しいと
思うけど、
でも私はそれを日本語で
言いたい、というわけだ。 (2020年03月04日 23時16分44秒)

如意宝珠を得る方法   もうり さん
如意宝珠を得る方法、
やっとわかった。
泣き寝入りし、
敵を愛せ、
奴隷道徳を身につけよ、
それで何でも願いが
叶うと言われる、
如意宝珠を得られる。
それは正しいだろう。
なぜなら今まで他人の
言うことを何でも
聞いてきたのだから、
今度は自分の願いが
何でも叶えられる番であろう。

そんで蓮華を得る方法も
わかった。
全てを享受せよ、
という主人道徳を
身につけよ、
その結果として
蓮華が咲くであろう。
奴隷道徳とかいって
ニーチェはキリスト教を
批判したが、
そもそもだからといって
主人道徳のみの人間は
幼児に過ぎない。
結局のところ、
奴隷道徳と主人道徳、
どちらも身につけることが
肝要。

すなわち、
他者に献身することで
如意宝珠を会得し、
それにより全てを享受することで
大悲心を会得し、
その自利と利他を組み合わせた
実践とは何かというと、
自分の知識と行いの
宝(自利)を
無償で差し出すと、
おそらく阿弥陀仏に
救われるであろう。
つまり、
自分の得た知識や
能力といった宝を
無償で差し出すのだから、
それは他人に対して非常に
楽をさせる、ということであり、
極楽浄土に相応しく、
そこでの生活も、
あらゆる宝に囲まれるというわけだ。
そうして、
あらゆる自利と
あらゆる利他を完成させた時、
天鼓雷音如来になるという
わけだ。
その、
あらゆる自利と
あらゆる利他が
修行できるような万能の天才に
なれる施設がつまるところ、
「あらゆる宝」のある
極楽浄土だというわけだ。

だから、
私の念仏の段階は、
南無阿弥陀仏である。

こうして、
カルマの法則に基づいて、
神が我々に対して恩寵を
与えるその基準を
明らかにした。
なぜなら、
神は賢いからである。
神と取引するわけではないが、
だからといって無根拠に
恩寵を与えるわけではない
わけだからなあ。
基準をここに明らかとした。

ということで、
結局、
私の「人間レベルで
全知全能」になるという夢を
叶える手筈は完成したわけである。
後はもう余生。
ただ南無阿弥陀仏と唱えて
仕事をして暮らすだけ。

そんで、
その方法もここで
無償に開示するわけだからなあ。 (2020年03月05日 17時14分29秒)

当たり前に守れないもの   もうり さん
当たり前に
小学生から言われている
道徳でも
それを守っている人となると
結構絞られるのが
道徳ですね。
言葉が溢れているからといって
実際が追いついているとは
限らない。
言葉としては凡庸でも
実践できてるなら
聖人に近いという
例もあると思うよ。 (2020年03月05日 17時42分18秒)

勘定科目の哲学   もうり さん
資産費用純資産といった
抽象度の高い会計概念の
哲学的基礎は固めて、
次はそれをより
明確に理解しないといけないけど、
次やりたいことは、
勘定科目の思想に突入すること。
結構、これが楽しい。
全部の本を確認した
わけじゃないから
たぶんだけど、
勘定科目を表面的にしか
記述している本ばかりなんではという予感がある。

例えば次のような簿記の
イメージは宗教哲学の応用である。

他者と自分と
それの間に立つ媒介がある。
この媒介を通して
他者と自分とが相互作用するなかで、自分が媒介に他者への
支払いを頼むことを
仮払とし、
他者が自分に支払うために
媒介に与えることを
仮受というのではないか、と。
そうして他者と自分と、
どちら側を見るかで
数字が正か負かも変わるわけである。

上記のような解像度まで
語ってくれた簿記の本は
なかなかなく、
直観力を深めるということは
諸内容の奥義を見抜く力を
付けることでもあるのだろう。

(2020年03月05日 18時44分09秒)

勘定科目の本   もうり さん
探したら、
普通に勘定科目の本
見つけた。 (2020年03月05日 18時56分52秒)

人々の実体的位置付け   もうり さん
人々の
実体的位置付けが
宗教によって可能です。
ん?たぶん実存的位置付け、
かもしれん。(曖昧)
例えば
学歴権力地位名誉、
生活、健康、命、武力、
国家、お金、恋愛といったものに
一体化する人々は、
そもそも「儒教」段階に
あるに過ぎない。

こうして、
世の学歴自慢する人々たちや
年収自慢する人々、
セレブな生活をする人々、
血筋自慢する人々の
本質をずばり、空海の
力を借りて見抜いた。

それらと一体化している
時点で、
別に高い位置に
居るわけではないのです。

こうして、
宗教的属性を
カテゴリーとして
世俗の人々の
アイデンティティを
そのどれかに位置付けること
によって、
魂がどの位置に居るかを
判断することが
可能となった。 (2020年03月05日 19時31分19秒)

悟りの一つ寂光   もうり さん
なんか、
私はどうやら
「寂光」という悟りを
開いてるっぽい。
「ワンネス」という
悟りではなく。

心の中はいつも
植物のように静寂で
自分で言うのもなんだけど
ある程度奥義を見抜く、
しかも創造的な智慧が
備わっている。
この見抜く目が光だと
思います。

火と聖霊による洗礼
ないし密教的一来果の悟りは
「寂光」だな。

極楽浄土を調べてて
寂光浄土を知り、
ようやく自分は
悟ってるんだなあと
わかった。
ただ天鼓雷音如来に
達してないので
まだ煩悩は残る。

ワンネスは外に出る悟り。
私は内に宿る悟り、ですね。

(2020年03月05日 21時17分58秒)

言葉の意志性について   もうり さん
主知主義も
主意主義も
「存在」という点では
同じ。
言いたいことは、
言葉も機能(意志的)
するということ。

言葉によって、神がいる
ということによって
阿弥陀仏がいるという
世界観によって、
救われる人、
絶対いるでしょう。
なので、
主知主義的世界観にも
意味はあるんですよ。
主意主義のみでは
利他円満できないわけですよ。

苦の根元が
世界観や思想にある人も
いるんですよ。
そのような人々に
対して主知主義は
できることがある!! (2020年03月06日 20時40分11秒)

絵画制作方法   もうり さん
私のお絵かき制作は
理念を決めて
配置を決めて
デザインの
骨格を決めて、
肉付けのための
モデルを決めて
実行するという、
なんかホームページ作成と
似ている手順です。

私の芸術、
今のところ順風満帆。
これまでの思想が
形になるのは嬉しい。

今まで自分は絵がへたくそだと
思ってたけど、
そもそも例えばお絵かき制作ソフトがあるとしますよ。
これを脳におけるお絵かきの
部分だとしてください。
私の場合、ここにそもそも
顔面モデルだったり
横顔モデルだったりの
選択肢がないので
へたくそなのは当然だって
ことですよ。

実際的に、
いろいろなモデルを
頭の中に蓄えておくことと、
それを表現する技術が
あれば描けるかと。
このモデルのサンプルから
理念によって適切なものを
選ぶのです。 (2020年03月07日 14時26分54秒)

瞑想は最終段階   もうり さん
ブッダの人生を
追うならば、
瞑想とは
あらゆる経験、
あらゆる美徳と能力と
学習をした後に、
最後になってやるものであり、
そうでなければ、
最高の瞑想段階には
到達できないってのが
私の直感ですね。

だからこそ、
金剛拳菩薩は
最後のほうにある。

なぜならば、
ブッダもそもそも
ジャータカみたいな
何千回もの輪廻転生を
経なくても、一つの人生の
瞑想で得た境地で
涅槃に行けるなら、
そりゃ、
はなっからそのような
瞑想をしてたった一回の生で
終わらせてるはずですよねって
ことですよ。

ですから、
今の生で悟ったとか
言う人も輪廻転生すると
思います。
なぜなら最高の悟りでは
ないからですね。

でもって、
たぶんなんですが、
今の段階であらゆる美徳
能力を身につけてるわけでも
ないのに瞑想している人は、
来世で美徳や能力を身につける
人生を送って、
次の来世で再び瞑想する人生へと
経めぐるのだと
思いますよ。

だから、
結局、限りなく
輪廻転生の回数を
減らしたいなら、
極楽浄土を故郷とするような
生活を送ればいいと思いますよ。
なぜならそこには
あらゆるものがあり、
あらゆることを
学べるからです。

私も
極楽浄土に居る仏様から
数学と武道など
欠けているもの全てを
学んでこようかと
思います。

私が時空超越体験を
した際に、
施設内の機械音が
荘厳な念仏の合唱に
聞こえてきたと
言いましたが、
浄土に関する記述にも
似たようなのがあって、
浄土にいる鳥の囀りなど、
あらゆる音が法話になる
らしいです。
だから、
やっぱり私は
寂光浄土を体験したんだと
思います。 (2020年03月07日 16時13分09秒)

極楽浄土大学   もうり さん
学歴はそもそも
極楽浄土の大学に
これから所属する予定です。
妻はヴァルキュリアです。
仕事は地上に
仏国浄土を作ることかな。
財産は極楽浄土に所属して
いますから、無限にあります。

南無阿弥陀仏といっても、
帰依しますと自分で
言うように、行動を
伴わないと仏さんは
口だけ達者な人と
みなすでしょう。

それには
自分の宝を無償で
差し出し続けることです。
人身御供のことではありません。
生贄のことではありません。
(2020年03月07日 17時16分20秒)

悟りとは   もうり さん
悟りとは何かというと、
天使の領域に
進化することなんで、
そもそも天使と同じ知覚器官と
身体を持たないと究極の
悟りとは言えないというのが
私の見解ですね。
ですから、
大抵の地上で
悟ったという人々は
再び輪廻転生すると
思っていますよ。 (2020年03月07日 17時21分26秒)

理性と悟性の混同   もうり さん
ヘーゲル的な
理性観念を持っています。

なので、
大抵の人が思う理性とは
私にとっては悟性です。

神が、
「私は在る」と名乗ったのは
初期仏教に対する
良いアンチテーゼに
思います。
初期仏教は傲慢を止めよ、
各宗教もそうだ。
完全性とは各々の魂にとっての
完全性に過ぎない。
各々によって適切な眼鏡が
異なるように。

私は仏教を超えた対機説法の
立場に立ち、
しかも我々は無から
在る存在へと変容できることを
示したのだと思いますよ。

初期仏教だけで
全てを説明し尽くした
わけじゃない。
それゆえに
ユダヤ教でも
イスラム教でも
キリスト教でも
科学でも数学でも哲学でも
それぞれ各々の立場において
全てを説明し尽くしたわけじゃない。

しかし、現代で
それが可能なのは
神智学と人智学と自然科学や
ヌーソロジーとの
組み合わせのみだろうと
思っています。


寂光の悟りに達した私の
美徳は智と理なようです。
これは悟性のことでは
ないでしょう。
すなわち、
来世はこれが徳と愛とに
なるのでしょう。 (2020年03月07日 20時12分40秒)

次の方針   もうり さん
次の方針決まった。
ヘーゲルの
おかげで
自分は未だに理性ではなく
自己意識の段階に
過ぎないとわかった。
そうするといかにして
社会や宇宙との疎外を回復するか
という話になるのだが、
当たり前だが、
カルマ法則的には、
まず自らが社会や宇宙に
歩み寄らないと、
社会や宇宙が私の中に
入ってくることはないだろう。
そうして、
社会や宇宙のために、
続いて何をすべきなのかというと、
シュタイナーは
火の美徳を自己犠牲、
風の美徳を贈与、
水の美徳を断念、
地の美徳を死だとしているので、
これらを身につけることで
宇宙に歩み寄り
社会に関しては
残るは
生活や節制、筋トレといった
生活や健康を大事にするという
理念と、
職場における美徳は
「仕事ができるようになること。」

家族においては
健康で引き締まった生活を
理念とし
労働においては
有能さを理念とすることで、
社会に歩み寄り、
自然に対してはまず
断念の美徳を身につけることで
歩み寄ろうと思う。

でも、
これが難しい。
筋トレしたくないし、
食事も節制できない。

だから、
知識として
知っているだけで、
死後世界における
プロセスにおいて
自分の寂光が感情の中に
作用して美的感覚と愛情と
断念の力になることを
期待して、やはり
後は南無阿弥陀仏と
唱えるだけにしようかと
思います。
方針は結局、
南無阿弥陀仏だ。
なぜならば、
四苦八苦にも自分の心身が
思いどうりにならない苦しみ、
とあるように、
自己開発はできるとしても、
おそらくもう限界が
来ているからだ。

だから、
自分は南無阿弥陀仏と
唱えることをやるしかない。
やれることはやった。
後は南無阿弥陀仏だ。 (2020年03月07日 21時30分41秒)

芸術と労働スキル   もうり さん
あとは
南無阿弥陀仏と
唱えつつ、
制作と労働スキル勉強に
つとめ励むことだな。

制作のほうは
絵と彫刻やりたい。
自分における、
最後の総合は
哲学(済)
芸術
宗教(済)(南無阿弥陀仏)
労働ってことになりそう。 (2020年03月07日 21時54分57秒)

トロッコ問題と白   もうり さん
あのなあ、
本当のカラーパイの
「白」はなあ、
繰り返すが
まず自分を犠牲にして
トロッコを止めようとする。
全体の利益のために
なるべく少数を犠牲に
する資格のある人間ってのはなあ、
そもそも率先して自己犠牲できる
人間、まず第一に自分を犠牲に
できる人間というか、
まず第一に自分を犠牲にする
人間のことなんよ。
つまりフェイトの志郎のことな。

自分は自分を白とは
言い難い。
なぜなら高貴すぎるからだ。
他人に犠牲を
頼む前にまず第一に自分を
犠牲にする用意のある人間、
スゴすぎる。
なんという理想であろうか。
これは人として認めざるをえない。
言おう、彼は王の資格があると。


(2020年03月07日 23時29分57秒)

まず自分がやれること   もうり さん
まず自分が
やれなくては
人にさせる資格がない。
それは
全体のために
少数を犠牲にする思想を
持つ人たちに対しても
言える。
そのような思想を持つ人たちは
そもそも率先して自らを
全体にその命を捧げていなければ
そもそも例えば
他人の家族を戦争に
送り込めるなどの資格などない。
責任をとって死罪を
受ける覚悟がなくては
他人を犠牲にする資格などない。

しかし、
結局、このように考えると
愛国者と名乗れる資格の
ある人間は限られており、
つまり首相だから自民党だから
右翼が好きだから
といって
愛国者と名乗れる資格が
あるともかぎらなくなる。

結局のところ、
商人では右翼をやれない。 (2020年03月07日 23時44分00秒)

政治>経済   もうり さん
従って
政治のほうが
経済よりも高貴だと思う。
それは言い換えると
人間関係と労働だけど、
命を率先して捨てる覚悟の
ある者に政治が向いていること
から、
経済活動そのものよりも
人間関係のほうが
高い位置にあると考える。

宇宙にいったとしても
結局は資源等の保身のために
使用されるに過ぎないと
思うしな。 (2020年03月07日 23時55分39秒)

権力構造の再編とカーストの公正さ   もうり さん
権力構造を
再編する必要がある。

カースト制度も
腐敗してなかった頃には
まだ公正だったと
思う。
なぜなら
バラモンはホームレスの無一文、
クシャトリアは
戦わないといけない、
ヴァイシャは稼がないと
いけない、として
上の権力になるにつれて
命の保証がなくなっていく
からである。
おそらく、
シュードラは腐敗してなかった
頃は自由がなかった代わりに
命は保証されてただろう。

だから、
現代政治の
シビリアンコントロールも
もしかしたら腐敗の根元かも
しれない。
制服組は軍部よりも
下であるべきだと思うよ。

そうして、
今の教師も結局商人なので
人を指導する資格がなくなる。
もはや教員でしかない。
欧米の大学教授になるにつれて
べらぼうに稼いで保身するって
奴、その分だけ他人に対する
指導する資格の範囲が
狭まる。

美徳で身を飾り、
無一文の学識豊かな
バラモンでなければ、
人を利他的になれと
指導する資格がない。
そもそも国家における
制服組は軍部よりも
下に来る代わりに
バラモンが軍部を指導する、
という形でないと
公正でなくね?って
知見に達した。

結局、
大学教授も
バラモンであるより
商人であることを選んだ
人たちばかりな世の中。

バラモン左翼と
商人右翼って本が
出たと思うが、
私からすると、
この世にはバラモンなどいない。
これがそもそもの
社会腐敗の原因かもしれない。 (2020年03月08日 00時19分45秒)

国家の基本要素   もうり さん
カースト制度は
社会に必要な
基本要素を
教えてくれてると思う。

でも、
今の世の中は
教師(バラモン的)の
振りをした商人、
政治家(クシャトリア的)の
振りをした商人として、
上から下まで
商人でしかないので
社会は腐敗してるんだと思う。

どうしてみながみな
自己保身ばかりなのに、
他人に利他的になれと
言える資格があろうか。

利他とは自分にとっては
損ってことですよ?

それが言える説得力の
ある人たちって
戦士か無一文の
バラモンしかないやんと。
(2020年03月08日 00時29分35秒)

正しいカースト制度   もうり さん
正しいカースト制度、
ヒエラルキーは
上にたつぶんだけ
稼ぎが少なくなる。
なぜなら商人マインドを
捨てれる人が上に
立つべきだからだ。
上に立つほど給料を
少なく、人数も
少なくすることで、
商人が上に立つことを
減らし、
かつ下になるほど人数が
増えて給料も増えるので、
人が多い領域に、
多い富が流れ
人が少ない領域には
少なく富が流れる、
という全く正しいことになる。

今の世の中、
間違っている。
少数に莫大な富が
流れているからだ。
それはそもそも
上に立つなら
商人マインドを捨てて
儲けようとする心を
捨てられる人でないと
成り立たないって
カースト制度から
わかる考えがないからだろう。 (2020年03月08日 00時46分26秒)

風景画の意味   もうり さん
ようやく、
風景画の意味が
わかってきた。
心の有り様によって
知覚内容自体が
変化するから、
それを表現するために
風景画がある。

最近、やたらと
大海が美しく見えるように
なってきたから。

つまり、
芸術家として
食える人たちは、
本当に知覚している世界が
違うのだろうと。

心の豊かさで
食べていける人たち。

私は、
頭で言葉で理解したことを
絵にしようとしているが、
なんか、
それなら始めから
言葉にしておけばよろしいと
思う。

知覚内容自体が
客観とは異なるからこそ
芸術として外在させる必要がある
わけだ。

そう考えると
様々な現代抽象画以前の
絵画たちは趣深い。
彼らは実際に、
そう表現せざるをえないような
知覚内容だったんだろうと
思うよ。
(2020年03月08日 02時57分33秒)

無限小問題   もうり さん
アキレスと
亀の無限小問題、
狭間にも無限小があるのに
なぜ進めるのか。
その答えとは
狭間とは同時に有限でもあるからだ。

まず事事無碍については
家族とか
同じ病気だとか、
同じ属性を持つものどうしで
無碍となっている。
理事無碍については、
例えばおそらく、
自分独りが合掌をした場合、
まず最初に影響を受けるのは、
私と同類の人々たちだな。
そして彼らと一緒に
みんなで合掌するようになった
時、おそらく他の領域に
影響するようになるかと。

無限とは量における
普遍だと思う。
つまり、
空間は量において
無限のイデアによって
全てが一つに結ばれている。
だから各地点も同時に
無限なのであると考える。
しかしながら無限とは
意味における一つに過ぎない。
だから例えば家族とか
美徳とか他のイデアによって
結ばれている場合もあるだろう。
そんで無限を構成する要素も
また無限というのはおかしいだろう。なぜなら最終的には
有限というか要素が含まれないと無限ではないからだ。
そんで、もしかしたら
我々は確かに量においては
無限なのだが、
その無限の中から、
意味を見いだした時、
そこに有限が生じるとも
考えられる。
科学者は無限に複雑なものを
尊びがちであるが、
それは最終的には思考ー概念の
否定になるのだろう。
つまり愚か者となる。
まあ数学の無限論はおいとく。
例えば、
数を数えるということは、
量における「意味」なのでは
なかろうか。
それを質とも合致させるなら、
椅子とか机とかも
意味として有限。 (2020年03月08日 04時45分29秒)

文系の意味   もうり さん
文系つーか
宗教の意味は
心を変えることにある。
心を変えれば事実も
変わってしまうので。

例えば風景画家の中には
技巧としてそのように表現
したのではなく、
そのように表現せざるをえない
知覚内容だったからという
作品が紛れていると思う。

事実には両義性があり、
客観的事実と心の事実である。

ようやくわかったことであるが、
本当、腑に落ちたことであるが、
なぜ瞑想するとワンネス体験に
至ると言われているのかわかった。

なぜなら人類は客観的事実に
対して心的事実は一般的には
対立状態にあるからである。
心的事実と客観的事実が
名と色として矛盾している。
この両者の間に架け橋を
作るのが四法印ではなかろうか。
四法印によって主客一致させることで、世界と心との和解を
果たすわけである。

ちょっと、
観自在菩薩の般若心経、
すなわち寂光浄土の
次の段階に行けるかも
しれないという希望が
湧いた。
主客一致の観点から
般若心経を再読してみよう。 (2020年03月08日 06時16分24秒)

般若心経   もうり さん
般若心経についての
解釈

般若心経、
人智学的に理解できる。
全ての存在は
進化変容していくので、
心や知覚器官、五蘊は
定まったものではなく
地上で生きることに
意味はあり、
それは知恵の実を食べた結果としての一種の知恵の結果であり
進化のためであるし、
しかも死んだ結果、
無明は取り払われて天国で
暮らすことになるから
無明はなく、しかし
再び地上に生まれてくるので
無明がなくなることもない。
死んだとしても
魂の世界での生があるので
老も死もなく、
しかし再び地上に生まれてくるので
老や死がないこともない。

苦集滅道も世界の存在形態の
一有り様に過ぎず、進化によって
変わりうるので実体はない。
自然も宇宙も
心も生命も地球も
輪廻転生によって在り方を
変えるので、
かくて知るということがない。

そんで得たとしたら
カルマによって与えることになる、
失うことになるので
得るということもない。

だから知に拘る必要はない。
それ以外のことも
恐れる必要はない。

そうして、この螺旋イメージ自体が
やがて変わりうるものであるから
知っているとは言えない。

知っていると思っているもの、
永遠の真理だと思っているものも、
やがて変わりうるものであるので
知るということがない。
(2020年03月08日 11時10分25秒)

全体として一定   もうり さん
そんで、
全体として一定なので
生じることも、
滅することもない。 (2020年03月08日 11時35分28秒)

南無阿弥陀仏   もうり さん
やっぱりもう
南無阿弥陀仏でいいかなと。
未来に生きるのも
ほどほどにしておきたい。
(2020年03月08日 11時45分38秒)

四如来四菩薩   もうり さん
どうやら、
中台八葉院の
四如来と四菩薩とは
四菩薩がそれぞれ
四如来の二側面になっている
ようだ。

たぶん、
これで決定したこと、
やるべきことが
わかったことには、
弥勒菩薩のいる
兜卒天にも往生するために、
善行を修し、戒めを
守るのをやれば
よいんだと思います。
とりあえず、
できる善行を続けようかと
おもいます。
(2020年03月08日 13時51分44秒)

確実な如意宝珠獲得法   もうり さん
神からの
恩寵をもらえる
基準だし、
心の中が覗けない欠点があり
いつそうなるとか
言えないのが心の難点であるが
中台八葉院における
四菩薩がそれぞれ
四如来の二側面という
事に気が付くことによって、
如意宝珠を得るには、
また大悲心を得るには
どうすべきかということが、
より明確となった。
如意宝珠を得たければ
善行と戒めを守り、
敵を愛し弱者を守る等、
とりあえず良いことを
行いつつ幅広く
豊かな体験や経験、学びを
積みなさいということがいえる。

開敷華王菩薩、
すなわち大悲心を
得たくば
豊かな体験や経験、
善行に
加えてより智慧の修行に
費やしなさい、と言える。

寂光の悟りに至りたいなら
智慧の修行に
智慧の善行を行いなさい、
といえる。

そんで
天鼓雷音菩薩に
至りたいなら
智慧の善行と
慈悲の善行に励みなさい、
と言える。
このようにして回転する。
(2020年03月08日 14時17分08秒)

法身大日如来   もうり さん
では、
我々が
法身大日如来、
法界体性智の悟りにまで
到達したら
どうなるのかというと、
白魔術が使えるように
なるでしょうね。

理系には不可能事ですよ。
あんまり文系を舐めて欲しくない。
ただ高貴な力はそれだけ
会得するのに時間かかるんですよ。
へたしたら来世。 (2020年03月08日 14時22分35秒)

心か金か   もうり さん
やはり
金持ちよりは
自然と調和して
節制して生きるのを
オススメする。
善行や智慧、慈悲、
節制のある生活は、
確かに、儲け過ぎることが
ないので物質的な富の量は
少ない。
ところが、である。
実は八正道などの教えを守って
生きるなら、その分、
心が豊かになって現実自体が
輝いて見えるようになると
思うんで、
本当に豊かなのは後者であると
おもうんすよね。

心が豊かになると
見る世界全てが輝いて見える。
それはつまり、世界の全てが
富となったということ。
心が変わることで
知覚内容自体が変わるって
事実、凄い。

これが人生は金じゃないって
ことの実際的意味である。
心の豊かさによって
見る世界自体を豊かにしたほうが
楽しいよ、絶対。

人生、金じゃないって
単なる綺麗事でもなかった。
心の豊かさは
事実として現象するわけだからなあ
(2020年03月08日 15時38分26秒)

今を生きるのも中道   もうり さん
昔はいじめらていたこと
について執着し
過去を強く意識する部分が
あったがそれは終わり、
如意宝珠と大悲心の
開花で未来に生きるように
なったけど、
今度はそれも終わらせたい。
最終的には
「今」を生きる。
なぜなら今こそが
過去と未来の中間だからです。

生成流転とは
中間のことでもあるのだ。

そうして、
始めから答えにたどり着くよりも
私のように冒険するのも
ありだでな。

過去を意味づけし、
未来を構築する仕事が
終わってからでもいい。

さて、
続いては自分のできる
善行をしていくだけで
いいので、
今を生きれます。

物語を否定するのが
仏教だとしても
聖書は物語を肯定する。
仏教、
浅い見解かもしれませんが、
物語を否定するってのも
物語(ブランド)では。

結局、物語は虚構だってのを
価値だと思う人に受けるわけ
でしょうから。
(2020年03月08日 17時59分37秒)

思索日記の終了   もうり さん
思索日記、
もう自分自身の人生を
曼荼羅に
見いだしたのだから
終わりでよさそう。

あとは再び弥勒菩薩に
生きるのに回帰すれば
いいだけであり、
言葉の段階は終わってる。

十善を行っていきます。
その結果、
兜卒天浄土に行けたら報告します。

もう、言葉で
面白がらせるターンは
終了したとみてよいみたいなんで。

何度もいうが、
ネットに集中する時間、
思索に集中する時間を
手足を使った善行に
費やす時間に
変えていきたい。

もしかしたら、
これで本当に書き込み
終われるかも。
それでは。
(2020年03月09日 16時30分17秒)

Re:思索日記の終了(08/16)   モウリさん さん
もうりさんへ

何日振りかで、寄らせてもらって.....
そうなんだ。 (2020年03月09日 18時12分26秒)

十善と十戒   もうり さん
十善、
ネットに載ってないので
自分なりに
考えると、
日用の糧を毎日与えること
宝物を与えること
夫婦で陰陽一致を目指すこと。
真理を語る
喜ばしいことを語る
ためになることを語る
士気の上がることを語る
如意宝珠の大欲を持つこと
大悲心を持つこと
寂光の悟りを持つこと

自分にできてないことは、
日用の糧を毎日与えることであり、
仕事と家事、生活での貢献を
毎日やること、筋トレを習慣化
することくらいだ。
後の十善は全部できてる。

十善戒が
割とできてなくて、
1食事に対する貪欲と
家族のガミガミ、
強制をされたくないために
2嘘をつくことがあり、
家族が勝った食べ物を
与えられてもいないのに
勝手に食べてしまうこと
(3盗み)があり、
この3つを戒める必要がある。

1毎日労働家事生活筋トレを
することを習慣とし、
2食事を慎み、
3家族に対して嘘をつかず
4与えられていないものを
食べない

この4つを
身につけるよう
頑張っていきます。

でも今度こそ、
書き込むのは止めにしよう。
次書き込むのは
兜卒天の浄土に
行けた時だな。 (2020年03月09日 19時38分44秒)

兜卒天に行く方法改   もうり さん
兜卒天に
行く方法、
たぶん次のことが
主だ。
この世界は
喜足とも呼ばれ、
それは色声香味触の
五欲が喜びに
満たされる場所だという。

つまり、
主に我々が
兜卒浄土に行くための
方法は、
他者に対して
これら五楽を与え続ける
ことだと思います。

私は色、は常にできている。
なぜなら顔がよいから。
声、も常にできている。
なぜなら面白いことが
言えるから。

香り、は
毎日風呂入って
いい香りさせたらよいな。

問題は
味と触だよなあ。

やはり、
調理の勉強、
がんがるっきゃないかな。

五欲における触とは
何か検索しよう。 (2020年03月09日 22時31分04秒)

触と童貞   もうり さん
五欲における
触、服とか布団とかで、
最高なのは
性交渉なのだろう。
しかし邪 淫するわけにも
いかんので、
彼女できたら考えりゃ
いいだけの問題。

それまでは
毎日風呂入って
毎日料理作るって
単にこれだけで
良さそう。

なーんだ、
世の主婦方世俗の方々
に朗報であるが
主婦業を真面目にこなし
せめて童貞処女のころから
互いに浮気せずに
付き合ってきたというのが
難しいとしても
せめてこれからは
浮気だけはせずに
互いに満足のゆく性交渉を
楽しめるようにしつつ、
毎日、夫のために
布団敷いたり子どもに着心地の良い
服を自立するまで着させ続けたり
家族の布団の質を管理したり
洗剤やシャンプーの良いものを
管理するだけで、
つまり真面目に家事生活を
するだけで、兜卒天に
行けると思いますね。

そんでわかったことには、
なんで自分がこの人生において
弥勒菩薩から始めることが
できたのかというと、
前世において兜卒天に
いたからだと思いますね。
自分は前世は世俗的な人間では
あったが、
それゆえに他者の五欲を
よく満たしてたんだと
思いますね。

だから、
これは世俗や理系のみなさんに
朗報なんですが
物質的な利他行であっても
死後世界で
いいとこいけるので
大丈夫です。

とりあえず天界には
他にどんなところがあるか、
探ってみるか。
その天界では
何が与えられるかに
着目すれば、
その天界に入るために
何をすべきか予見できますよ。 (2020年03月09日 23時02分44秒)

観音様と弥勒菩薩を結びつける。   もうり さん
おそらく、
天鼓雷音如来に
達するためには
観自在菩薩と
弥勒菩薩を結びつける
必要がある。
すなわち、
智慧を
衆生に対して五楽を
与えるために用いること。

弥勒菩薩は既にあるのだから、
単にそれを求めても
意味ないのである。
大事なことは、
無意識的だったスタート地点に
智慧の光明をもたらすこと
なんであろうと思う。

衆生の目、耳、鼻、口、身体を
満たすために智慧に
できることとは
なんであろうか、
と考えたとき、
それは
芸術になろうと思う。
宗教から哲学へ、
哲学から芸術へ、
という流れとなった、
結局は。
つまるところ、
ヘーゲルの絶対的精神は
法界体性智でもあるって
言えそう。
ただ三つとりだすか
五つとりだすかの
違いだった。

宗教家は哲学家となる
哲学家は芸術家となる。
この三つを通ったものは
最後には魔術師となる。

そんで今、
もの作りをやろう、
芸術をやろう、
というコミュニティーの
流れが来ていることは
神の恵みなんだろうな。

芸術は苦手分野だから
来世までかかるな (2020年03月10日 00時14分40秒)

神の言葉   もうり さん
天鼓雷音如来、
特に詩が大切だと
思う。
弥勒菩薩と
観音様の間にあるということは
叡智に貫かれた
善意志を喚起せしめるような
具体的な言葉によって
他者の心をノックできるように
なっていくのだと思う。 (2020年03月10日 00時52分26秒)

モウリさんさん   もうり さん
モウリさんさん。
結局続けてしまっていますが… 

とりあえず既に
弥勒菩薩の
兜卒天はクリヤーしている、
と思うので日常に
拘る必要はなさげ。
大事なのは
弥勒菩薩と
観音様を結びつけることで、
そのために今できることは
詩をやることだと
考えが変わった。
ここから、
また金剛界的視点に
帰って、
金剛業菩薩、
金剛拳菩薩について
考えていく。

詩は言の寺と書く (2020年03月10日 04時55分19秒)

金剛拳菩薩までの流れ   もうり さん
寂光の悟りを
開いた後
弥勒菩薩と
観音様を結びつけるために
具体的、文学的言葉使いや
メタファーを身につける。
そうして言葉に力が
出た後で
そのような言葉を
使って衆生に語りかけ
続けていくと、
やがて脳と心臓、
あるいはアストラル体と
エーテル体の結びつきが
強まって金剛護菩薩へと
至る。そうすると、
次はそれらと手足の結びつきを
作ろうとして
金剛拳菩薩に至る、
という流れだと予見する。

私はまず言葉使いを
改めることから
始めないといけない。
それが難しいので、
とりあえず今は
詩や文学に浸ることを
やろうと思う。
もうコメントで
自分がしうることは
これで終わりだろう。 

さて本当に書き込み終わろう。 (2020年03月10日 05時22分52秒)

叡智と実学の一致   もうり さん
いや、
金剛因菩薩と
金剛牙菩薩の
関係を考えると、
哲学(抽象)(因)と
実学(具体)(牙)、
つまり知と徳、
真実の言葉と
ためになる言葉を
一致させ、
そのような言葉を
語っていけばいいのだと
考えなおした。
衆生はためになること
ばかりを追い求める。
そのような要請に応えつつも、
そこに哲学を織り交ぜると
衆生の心にも自然と
叡智が入っていくと思う。
しかもこれにより自分の
神経と心臓がおそらく
調和する。

つまり、
やることは
生活と労働と哲学の一致。

例えば自分が今やっている、
簿記の哲学などである。

だから、
結局、
調理と簿記と英語と
プログラミングを学んで
哲学することを
やろう。 (2020年03月10日 05時58分52秒)

生活哲学   もうり さん
生活哲学

朝は思索し学ぶのがよい。
そうすると目が覚める。
心が目覚める。
昼間は働き体を目覚めさせる。
夜は芸術によって
心を休ませるのがいいだろう。
そうして眠ることで
体を休ませる。 (2020年03月10日 06時50分45秒)

今度こそ終了   もうり さん
ふとした気づきというか
自覚だが
新鮮なのは
思索を朝にやると
眠気が覚めて良いということ。

さて、
実務の哲学については
ここで英語、簿記、調理について
既に語っており、
プログラミングも実は語っているが
その当時はアルゴリズムについて
よくわかってなかった状態なんで
もう一度学びなおす。
というかプログラミングに
囚われず情報科学一般を
学んでいこうと思う。

後、勘定科目についての
哲学も近日やる。 (2020年03月10日 07時36分10秒)

勘定科目   もうり さん
勘定科目についての
哲学やったら
今度こそ書き込み終わろう。

あとはリアルでの
話相手を見つけていく。 (2020年03月10日 07時40分49秒)

仕事の行きたくなさの正体   もうり さん
自分の
仕事に行きたく
なさの正体、
わかった。
「もっと睡眠を
とりたいので
仕事に行きたくない」が
その正体であり、
朝から思索することによって、
それは無くなる。

家に執着する根源、
自分の場合は睡眠欲であると
はっきりした。 (2020年03月10日 08時26分45秒)

他者の意志の自由を認める強さ   もうり さん
結局、
他者の意志の自由を
認めることも、
予測不能、可能なリスクが
自分にふりかかるかも
しれないということに
耐え切れない人間には
守れない。
平時では家庭生活で
そのような人々がおり、
疫病が流行るなどすると
それが一層強まる。

リスク回避傾向が
強いと結果の出た女性は
だから、
勇気をつけないと
そもそも他人の意志の自由を
守ることなどできないだろう。
たぶん女性の自由が
制限されてきたのは、
そういった側面もあるからだと
思うよ。
ただ単に自分と同じ量りで
対応されただけなのかもとも
思う。

まー、戯れ言ですがね。
(2020年03月10日 08時50分57秒)

決断力のある女性   もうり さん
フェミニズムの
疑問点として、
女性に対して名誉男性と
言うのはなんだかねってこと。
まー、詳しくないから
戯れ言かもしれないけど、
1決断力があって
2率先して行動し
3フェミニズム問題だけでなく
それ以外の社会問題にも
関心があり
4過ちの責任をとろうとし
5能力があり
6弱者を守ろうとするような
女性に対して
まさか名誉男性とかいって
差別してないですよねという
懸念があります。

有能な女性を
名誉男性って言ってないか
という懸念がある。

名誉男性概念が
理解できないので
調べてみる

(2020年03月10日 16時04分00秒)

Re:モウリさんさん(08/16)   モウリさん さん
もうりさんへ
難しい漢字は解らないので、スルー。(_ _;)

生きている。

それを軸に 綿あめにザラメ。軸がまわるとザラメが砕けてフワフワして....
そのふわふわもこもこが時間経過で、変幻自在な空間。
その軸に棒の自分自身を絡めて。
どんながザラメかは、選んでいるようで、勝手にザラメが砕けていって、
なんだか意味や理由もわからない。

あとは、食べちゃえば、一日が終了。
生きている時間は何をしたって自由・・なんだ。 (2020年03月10日 16時06分42秒)

詩は・・・。   モウリさん さん
もうりさんへ
☆メッセージ
天変地異や経済崩壊など、明日が見えない世紀末的な今の世の中で、
ツインレイ達の活躍が人類救済に必要であるために、
必然的にそのような流れになっているという天の采配が感じられるのは私だけでしょうか?

・・・という☆メッセージ受け取っています。
       ☆また 機会あるトキに ・・・・
(2020年03月10日 16時21分21秒)

男はない、女はない。   もうり さん
フェミニズムって
性にとらわれないって
主張ちゃうん?
男もない、女もない。
なぜなら生命力を支配すること
によってやろうと
思えば男にも女にも
なれるからだ。

したがって
名誉男性も名誉女性も
存在しないって考えが
フェミニズムちゃうん? (2020年03月10日 16時40分55秒)

名誉男性について   もうり さん
名誉男性とか
いって男性性を
身につけた女性に
難癖つけるの、
結局男性差別じゃね?

男性性も女性性も
両者とも身につけてる
男性や女性が
真のフェミニスト。

男女平等だとしたら
両者とも両性性の
統合を狙うのが
自然では?

男としても
女としても
生きれたらいいのでは。

その健全な方法は
アニマとアニムスを
身につけていくこと。

男尊女卑であるから
男性を否定して
女性を上げようとする先って
結局は女尊男卑社会に
過ぎなくて、
男女平等社会を実現するならば
今の社会の一部は肯定すべき
なのでは?

(2020年03月10日 18時19分47秒)

フェミニズムの解決   もうり さん
フェミニズムの
男女平等社会って
つまり
男社会にも男の
美徳を身につけ適応し
女社会にも
女の美徳を身につけ適応する、
その結果として
両性自在となり
楽になる。

個人でできることは
このくらいだろう。

フェミニズムの個人における問題、
まさに両性自在でなく
両性分離に原因があるとみた (2020年03月10日 19時15分28秒)

全と個   もうり さん
共同体主義の
最終的結果は
各個人が全人になることだと
思う。

個人主義の結果は、
まさに個を確立することにある。

だから、
確立した後は共同体に
向かうことで、
全体者としての自由も
最終的に得る。

男性性も女性性も
確立し、両性自在となり
自由に行きよう。

分離しているゆえに、
衝突が起きる。
(2020年03月10日 19時43分05秒)

共同体主義の利用   もうり さん
共同体は
共感のある人に
とっては自由に
結びつきます。
なぜならば
他者を通じて
新たな自己を発見できるからです。
各他者の各々の美徳を
取り入れることができさえすれば
より自由になる。

だから、
共同体とは
全体者としての自由人
になる場所であり、
個人主義とは個体としての
自由人になる場所です。 (2020年03月10日 21時26分14秒)

モウリさんさん   もうり さん
モウリさんさん、
メッセージありがとうございます。

今日は文章力が
嫉妬するほど上手いだとか
落ち着いてるから
実年齢より年上に見えるとか
褒められる日でした。

もう寝ます。
朝起きたら勘定科目の
本やります。
(2020年03月10日 21時36分24秒)

Re[716]:ネット情報の活用法 その1452(08/16)   モウリさん さん
もうりさんへ
 …… スミ…。
(2020年03月10日 21時50分00秒)

集中できること   もうり さん
朝に勉強してみたけど
眠気とれなかった。
特に「集中」することが
たぶん大事なようだ。
あと眠くても仕事行きたくない
気持ちはなぜかなかった。 (2020年03月11日 09時39分31秒)

褒められる   もうり さん
哲学を簿記に
応用した図を
上司にみせたら、
脳みそ分けて欲しいと
褒められた。

また、他の方からは
癒されるとも言われた。

癒されると言われたのは
これで二人目。

モラリストとも
思われている。

いつも笑顔とも言われる。

母親からは人徳があると
思われている。

つまり頭もいいほうだし、
性格もよいようだ。

問題は生活と
丁寧さ。

他者の意志の
自由を認めるのは
基本的事柄だが
悪いことを
見過ごすようになるのも
あかんな。 (2020年03月11日 19時25分56秒)

天鼓雷音如来   もうり さん
ふと思い返して
みると、
中台八葉院の
八つの如来たちは
四角形にもなると
言えるのだが、
自分が見たヴィジョンも
四角形だったし、
この時に聞こえてきた、
「荘厳な念仏の合唱」が
まさに天鼓雷音如来なのではと
考えなおした。
だから、
次に私がやるべきことは
三密という、
究極の方便だと
方針転換する。 (2020年03月12日 20時09分46秒)

方便をくきょうとす   もうり さん
方便をくきょうとすって、
どうやら具体的実践のことらしい。

しかし金剛拳菩薩とあるように、
三密も方便の一部である、
ということだろう。

自分的には、
神の言葉を語ること(牙)
愛しあうこと(業)
その精進(護)
そんでキリスト三密を
一日一回だけやる(拳)。

最終的な悟りの結果とは、
このようにして、
行為として出現するという
ことである。
そしてそれがくきょうなのだと。

私は既に天鼓雷音にも
至っており、
周囲の人々から
褒められたり好かれることが、
たぶん自分の人格(方便)の
証かもしれない。

私の霊性において、
できることは
どうやらここまでらしいな。
神智学的には、
それでもまだ一来果の
段階であるに過ぎないのだけれど。 ただおそらく、
この方便を続けていくと
即身成仏して
不環果になんのかも、
とも思うが。

私はただ、
私の心の自然な善意の
ありのままに
行為していけばよいのだ。

今度は上司から、
仕事の呑み込みが早いと
褒められた。

頭も認められ、
人格も認められ、
仕事も認められる。 (2020年03月12日 20時49分25秒)

方便 法門   もうり さん
自利利他円満が
金剛業如来なんで、
方便によって
最終的に涅槃に
至るっぽい。
もしかしたら
釈迦は悟った後
教える活動しなかったら
涅槃には入れなかったかもしれない。 (2020年03月13日 12時30分20秒)

職場のおじさん   もうり さん
職場の現場系の
おじさんと話をしたら
今度、現場の体験
させてくれることになった。

なんか、
最近、なんらかの機会が
巡りまくってきている。

それもこれも、
私が立場を問わず
与え続けてきたからだろうと
解釈する。 (2020年03月13日 17時11分16秒)

マチャヒコ君   もうり さん
凄いよマサルさんの
マチャヒコ君は
男のマッチョイズムを
好む。
「男ならやってやれ」とかな。

私も、
もしかしたら
チェーンソー体験か
もしくはビーバー体験くらいなら
させてもらえるかな?
ユンボだろうか?

なんにせよ、
男で、
特に哲学志望者なら
「薪の割り方」くらい
知っておくのを推奨する。

自分も、この人のおかげで
無理だと思っていた世界に
入れそうな予感。
(2020年03月13日 17時16分35秒)

優しさ   もうり さん
優しさを定義することは
できないが、
小学から中学の間まで、
優しい人柄だったので、
パシりにされたり
面倒ごとを押しつけれたり、
言うことを聞かないと
殴られたりされていたが
変わらず優しいことによって
今、それが役に立っている。

生まれた時から
何でももっているわけじゃない。
親にいじめられていたことを
告白すると、思わず
泣いてしまうほどだったしな。

あと、
優しさは馬鹿を見るみたいに
思っている人々がいるみたいだけど、
入社して同僚がやりたがらないことを率先してやっていたら
その代わりに小さい面倒ごとを
引き受けてくれる人が出現したりして、人に恵まれている。

(2020年03月13日 19時34分19秒)

ルドルフシュタイナー以下   もうり さん
日本に
何人か
ブッダを名乗る方々が
出現していますが、
ブッダ、
目覚めた人って
「心眼」に覚醒した人が
本義なのではということを
調べてみる。

だいたいの自称ブッダ、
肉眼しかないので
ルドルフシュタイナー以下
なのに、
「事実」とかいってるからなあ。

私は寂光という悟りに
達したとしても
目覚めた人=ブッダ
ではないという
ことになりますね。

私の場合はまた、
自力だけでなく
他力も混じった悟りである。

つまり、
みなさん、
聖者とブッダを混同してや
いませんかねってことですね。
(2020年03月14日 09時12分40秒)

増上慢   もうり さん
自分を
ブッダだと
思うなら、
その人に、
あなたは弥勒菩薩ですかと
聞けばよい。

ブッダブランドを欲しがり
その価値を毀損する
増上慢が多すぎる。

せいぜい聖者に過ぎない
んだけど。

ほら、次のブッダになる
人は弥勒菩薩って
決まってんじゃん?
ということはそれまでの
プロセスを歩む人々は
まだブッダとは呼べない、と。 (2020年03月14日 09時35分17秒)

空海すらブッダではない   もうり さん
空海すらも
ブッダではないんですよ。
次のブッダは
弥勒だからです。
それなのに
自称ブッダの
能力とはいかほどか?
そして、
空海なら別に
娑婆世間で生活したとしても
成功できるでしょう。 (2020年03月14日 09時46分33秒)

ほどほどな愚かさ   もうり さん
ほどほどな
愚かさが大事です。
ほどほどの人間の
愚かさを信仰に変えたとき、
それは神の賢さとなります。
真実と事実のバランスが
大事です。
そうしないと肉眼で
何が見れるのかが予め
決まってるのに、
事実が全てだと
思うようになります。 (2020年03月14日 15時40分56秒)

救われたらしい   もうり さん
遂に私によって
救われたという人が
出てきた。
その理由はなぞだけど (2020年03月14日 18時02分01秒)

クラウンチャクラの開き方   もうり さん
クラウンチャクラの
開き方たぶんわかった。

菩提に至って
油注がれしもの
となった後で
王国を作ればよい。

王国を作った人間には
王冠(クラウン)が
与えられるだろう。

すなわち、
古の君主制自体が
一つの祭りごと(政)なのである。

王国とは
各チャクラの調和のことであり
あるいは八正道の調和の
ことであり、
あるいは博識で
技術あり、身を慎み、
言葉巧みであること、
これがこよなき幸せである、
あとは三句の法門で、
特に最終的には
方便に至ることなどがあろう。
神秘体験という束の間の
出来事とは霊的な儀式かも
しれない。

しかし、
そもそもルドルフシュタイナーの
場合は精神世界の事実を
常に知覚できる状態にあったわけで、魔境ではない。

そうしないと
ブッダが過去世を回想できた
ことなどの超能力を
説明できない。
ブッダとは心眼に目覚めた人
なので、それができないと
おかしい。

悟った人=ブッダではない。
目覚めた人=ブッダである。
悟っていても
まだ「微睡んでいる」人も
いるのである。
ブッダの場合、
客観的に実在する
心を直接的に観ることによって
自我は主観的存在である
だけでなく客観的存在でもある、
と認識して無我を理解したのであって、無我に気づくことは
心眼の成果の一粒に過ぎないんじゃないかと私は思うね。

自称覚者たちは、
たった一粒だけ気づいた
だけで、
自分をブッダだとか、
まるでそれが全てであるとかの
増上慢に至りがちだと思うね。

事実って何かというと、
現在、自分の経験
という超狭い世界の
ことしかわからないわけですよ。
もしかしたら本当に
ヤハウェが火の柱として
ユダヤ人を導いたかもしれない。
キリストは死んだ後
復活したかもしれない。
だから、
「真実」に対する感性も
必要となるわけなのに、
事実だけが全てだと
自称ブッダは極端に走る。 (2020年03月14日 21時24分50秒)

脳の目ではない   もうり さん
心眼とは
本質的には
アストラル体に
感覚器官を彫塑して、
それが脳に反映する
ということであって
本質的には
脳が変化することではない。
人間は肉脳ではなくて
エーテル脳で考える
ようになることもできるのである。

そもそも科学的世界観の
人とは前提が
異なる。
そうして最終的には
空からメテオを降らせたり
水面の上を歩いたり、
複数の身体を持てるように
なるのである。
なぜなら地上法則に
縛られないから。 (2020年03月14日 21時43分09秒)

神智学の意味   もうり さん
神智学や
人智学、
霊的科学といったものの
意味とは、
それを学ぶことで
その世界観が来世において
感情及び身体となって、
実際に精神修行を取り組む
ようになること及び
それに適応した身体となって
生まれることにあると思うよ。

神智学や人智学に
意味はないとして
深く学ばない人は
即物的な人間であり、
そもそも神の意識になって
隕石を降らせるなどという
段階になるまで
じっくりと準備する必要が
あるんですよ。
文系というのは、
本当に本質的な能力に
至るものであって、
それは輪廻転生を
かけてゆっくりとしか
得られません。

だから、
まるで人智学や神智学を
学ぶことを無意味なことのように
早合点する。
そんなに早く、
意味のある魔術師の
能力が与えられても
慢心して闇に堕ちるだけだろう。

私がいいたいのは
知能指数が
ほどほどに低いが
低すぎるということもなく
それでいて神を信じれる
愚かさを持つ人が、
中道だということ。


(2020年03月14日 21時52分12秒)

外部への中心性   もうり さん
頭脳に中心性を
感じるだけでなくて
共同体にも
中心性を感じられる
ようになれば、
クラウンチャクラが
開くかもしれない。
私の場合、
これでいこう。

言い換えれば
愛すべき仲間を
もつことですね。

しかし、
難し過ぎる。
つまり、
他者を目的とするということ。
他者を生きる意味とすること。
自分の自我よりも
愛するものを持つということ、
ですね。

(2020年03月14日 22時27分58秒)

仏国浄土   もうり さん
次は
仏国浄土を
作るターン。
もう、
法執も人執も物執も
ある程度なく、
個人の問題は終わった。
しかしクラウンチャクラの
問題は残ってる

自分は特定個人に
対する愛はなく、
平板な博愛のみがあるので、
自分が作る仏国浄土も、
夫婦血縁のみから
なるような国ではないのだろう。
最終的には
方便に至るのである。

自分の愛の広さが、
自分が可能な
国の広さだろう。

とりあえず出会う人々の
全てへのできる限りの
善行を心がけたい。
単に優しい言葉を語るとか
だけでもよい。
そうするとカルマによって
自然と仏国浄土となってるだろう。 (2020年03月14日 22時43分09秒)

浄仏国土   もうり さん
すみません、
浄仏国土でした。 (2020年03月15日 00時39分54秒)

浄仏国土=愛の地球   もうり さん
浄仏国土とは
人智学的には、
愛の地球のことであり、
アストラル体からなる
キリストの体のことだと
思います。現代的には。
それゆえ、このブログに
確か記事があったので
探してみよう。 (2020年03月15日 00時43分19秒)

愛の地球の作り方   もうり さん
キリストの体の
作り方は
悪を避けようとする
良心(義)に
善を行おうとする
共感や愛(仁)に
辞譲の心、
賛否の心、
すなわち「礼」を
守ることで得られるようです。

このブログの
クッテネルさんの引用の
記事でわかりました。

義、仁、礼、
この三つを
これからの基本理念とします。 (2020年03月15日 01時12分59秒)

やっぱり方針転換   もうり さん
やっぱり方針転換する。
まだ自利行する段階だ。
それは涅槃に入る、
という段階。
この段階に至るためには
涅槃の性質を調べて、
それを他者に与えたらいいと
思うね。
そうすると、
おそらく涅槃が近づいてくる。
涅槃を調べてみるか。 (2020年03月15日 01時25分43秒)

菩提の完成   もうり さん
天鼓雷音如来は
成所作智を意味するそう。
それは前五識が
転じて具体的な智慧に
なったものだという。
方針転換するが、
涅槃とは智慧の完成によって
成し遂げられるそうなので、
具体的な思索に
耽ってみんとす。 (2020年03月15日 02時01分06秒)

前五識の智慧   もうり さん
前五識の
智慧の
初段階に
至れたとおもいます。
般若心経読みながら。
目耳鼻舌身意は
どれも形成されたものだから
存在しない。
さらに、
自然界の、
光音香味触法自体も、
なんと、
形成されたものに
過ぎないので存在しない。 (2020年03月15日 10時59分58秒)

成所作智2   もうり さん
前五識から、
何を感受すべきでないか
がわかると、
何を相手に行うべきでないか、
がわかる。
そこから、
何を相手にすべきかも
わかるはず。 (2020年03月15日 12時46分34秒)

成所作智   もうり さん
そうすると、
法はなく、
普遍とは創造する
愛だということと、
人は自分を愛しているのだから
同様に隣人を愛すべきだという
道理から、
自利と利他を行うべきである、
という話となる。
細かい戒律から離れて
隣人愛を理念とするなら、
より具体的には
六波羅蜜となるのだろう。

だから
これを調べてみる。 (2020年03月15日 18時47分33秒)

自分の宗教上の限界。   もうり さん
自分の宗教上の限界、
たぶん来たかも。
なぜなら、
そういや自分が聞いたという
荘厳な合唱は
なんとかパラミタ
(なんとか波羅蜜)
と言っていたからで、
寂光の悟りであると
同時に六波羅蜜的なものの
完成でもあり、
そうして、光の中に入っていく
僧侶のビジョンもあって、
これ入涅槃じゃねってこともあり
また火で練成された金とも
あるように、
煩悩の
火を吹き消すよりもむしろ、
煩悩の火を利用して
堅固な安定を得ているからであるし、
実感としても
心は安定しており、
法執、人執、物執なく、
智慧、博愛、大欲が
備わっているからである。

だから、
やっぱり自分にはこれ以上、
宗教上の達成は不可能かなーと。
大人しく自分の境地に
満足して、
あとは
「具体的な実践」
やっていこうかと。

それでも、
私はブッダではない。
ルドルフシュタイナーや
空海に勝るわけではない。

だから、
書き込みはたぶんこれで
最後にできたらいいな。
(2020年03月15日 19時50分50秒)

密厳浄土   もうり さん
自分、
密厳浄土を
みたのかも。
極楽浄土ではなく。
そこには
金の宝(如意宝珠)も
白い衣(開敷華)も
光も(無量寿)も
パラミタという言葉も
(天鼓雷音)も
根元に帰するという
意味も
全て揃っていたので。
だから、
たぶん来世は
密厳浄土に行く。
これは極楽浄土以上の
天の富だなあ。

浄土の民にとっては
東京都も地方民に
過ぎない。
まあだからといって
東京を馬鹿にしたいわけでも
ないが。
東京のみを認めるような
スケールの小さい人、
自ら領域を狭める人とは
違って。

といっても、
自分は
ブッダではない。
おそらく
その浄土に入っても、
いろいろ段階があるかと。

(2020年03月16日 23時20分08秒)

天の国は内からくる   もうり さん
天の国は
内側から来る。
密厳浄土=天の国
=火と聖霊による洗礼
=密教的一来果であり、
まだ聖者に過ぎない。

既に私は救われている。

つまり、
次は物質的に
救われる試みを
すべきなのかも。 (2020年03月16日 23時30分12秒)

続いての目標   もうり さん
今密厳浄土に
居る、
ということが
わかって次の目標に
達した。
すなわち、
「御心」の段階に
入ること。

これは
天で行われるように、
地でも行うということなので、
やはり私はまず、
バプテスマを受けて
キリスト者になる、というのが
次の目標である。
そうしてキリストの肉体を
作るために、
良心と愛と礼を尽くすこと、
である。 (2020年03月17日 06時58分40秒)

地球自体が地方   もうり さん
そもそも、
地球自体が地方やん。
蝸牛の角の上のような
場所で、
一体、何を争うというのかって
感じの詩を白居易も
歌ってるやん。

地方とか都民とかで
争うのやめよう。
ただ、
東京は自分も地方の一部って
自覚をもつべきでは? (2020年03月17日 08時50分56秒)

事実もまた空である。   もうり さん
どうやら、
科学も信仰に
基づくっぽいな。
科学が掲げる
事実というものは
どこまでも受動的なものに
過ぎないのでは。
天文学の法則が
永遠に続く保証はない。
もしかしたら
明日にも化学結合の法則が
全く異なる世界になるかも
しれない。

つまり、
科学とは
この事実がいつまで続くだろう、
という信仰からは
逃れられないのでは。
ところが事実というものは
とても狭苦しいものであって
その都度その都度しか
知ることができない。
つまり、科学とは
一種の高度に進化した
野蛮性なのではなかろうか。

事実とは、
受動的なものでしかない。
明日、全く異なる事実が
出るかもしれない。

だから、
事実も拠り所には
ならない。
事実もまた空である。
(2020年03月17日 16時34分42秒)

ハードサイエンス批判   もうり さん
ハードサイエンス批判
市民なので
ハードサイエンスの
定義を知らないが
厳密な科学という程度に
受け取るとして、
だとしたら、
そこから導き出された
法則的事実が永遠に続くという
事実はどこにありますかね?

聖書や経典には単に事実が
書かれてるだけでは?
という気がするくらい、
信仰が深まってきた。
例えば火の柱が
ユダヤ人を導いたこと、
水面の上を歩いたこと、
復活したことなどは、
そもそも科学は否定できないのでは?

なぜならば
今観測された事実、
ハードサイエンスの
科学者が実証した事実とやらが
永遠不変であるという
事実なんてないからですね。
もしかしたら明日にも
天文学的法則が
変わるかもしれない。

事実を事実ととるかぎり、
それは受動的なものに
過ぎないので。 (2020年03月17日 16時50分58秒)

社会のために子を産まない   もうり さん
全体として
人口七十億突破してるのに
子をもうけるのは
むしろ害では?

子をもうけるということは
必然的に生涯の時空を
占めて資源を占めるという
ことだから、
産まないことも
利他になるのである。
だから夫婦から
税金をとろう。

そもそも、
なんで孤児を引き取らない
のだろうか?
自分の子をもうけるよりも、
それが先では?

まあ孤児引き受けるのも
手続きが勿論いるらしいけど。

今はむしろ
夫婦から税を
取るべき時代では? (2020年03月18日 08時48分18秒)

MMT批判   もうり さん
MMT批判。
幾ら金を刷っても
そもそも金の流通が
隅々に行き渡らないと
意味がない。
MMTをやるとしても、
それがまだ貧しいものに
優先して刷るのなら理解できるけど、
そうならないなら、
結局問題の本質は、
金の流通経路が
隅々にまで行き渡って、
金による全土統一が
成されていないことにあると
思う。 (2020年03月18日 19時21分41秒)

蓄財しないこと   もうり さん
幾らMMTで
金を刷っても、
これまでどおりに
一部の者のみに富が
集中するようでは
意味がない。
それゆえ、
私はいつか、
無一文になって
全財産を寄付してみたい。
個人による、割合的に
巨大な逆張りをしたい。

蓄財するから、
富が廻らないと思う。
(2020年03月18日 19時55分06秒)

かわいそうランキング   もうり さん
かわいそうランキングは
存在しない。
言い換えると、
売上の高い楽曲
ランキングみたいな、
客観的に計測できる
かわいそうランキング、
はなく、
あるとしても、
それは国家から見た優先順位
とかであって、
その優先順位を
各個人に画一的に強制
すべきではないと思うよ。
(2020年03月18日 21時15分02秒)

キリストの復活は科学   もうり さん
キリストの
復活は
科学である。
あるいは
ドイツ語で言うところの
原義としての
ヴィッセンシャフトである。

日本のアカデミアが
科学的感情をもたないから
キリストの復活とかも
否定する。

宗教とは
科学的思考というよりも、
科学的自我のある人にのみ
可能な領域である。

キリストの復活は
科学であり、事実である。
この力強いパワーワードに
至るほど、
自分の科学的感情=信仰は
深まった。

無神論者というものは
心から科学を受け入れて
ないだけである。

(2020年03月19日 05時01分39秒)

無神論者は信仰者へ至る   もうり さん
カルマの
法則によって、
強烈な無神論者は
来世で盲目な、
あるいは熱心な信仰者と
なるであろう。
それはまるで、
韓国人が嫌いな
タイプの日本人が
来世で韓国人になるかの
如く、である。
最終的にはシュタイナーのような
唯物論と精神性を取り入れた
知性に至るであろう。
そこから神智学や人智学の
学びに至った人間の
来世は今度は垂直的に
進行していき、
それは薔薇十字的修業方法の
第一段階として
精神科学を学ぶというのが
あることからもわかる。
無神論者も知的弱者の一つ。

(2020年03月19日 05時11分59秒)

矛盾は時間が統一する   もうり さん
矛盾は時間が
統一する。
幼児と成人は
矛盾しているが
時間差によって
それがない。

宗教も似たようなもんであり
幼児期としての仏教から
児童期としてのユダヤ教に
入って、
青年期(フトゥーワ)としての
イスラム教に入った後に
成人としての
キリスト教に入り
老人としての
精神科学に至るのである。

取りあえず、
魂の段階の
最先端に居るものは
今のところ
精神科学をやっているであろう。

宗教サイドからみても
精神科学に至るが、
それは学問サイドからみても
最終的に精神科学に至る。

そうして精神科学は輪廻転生時に
おいて大きな意味を持つ。
まだ魔術は許される段階では
ない人が多いのは当たり前だが、
そこまで至ると
全ての科学技術を凌駕するに
違いない。 (2020年03月19日 05時26分16秒)

幼児の泣き声=仏教   もうり さん
仏教のこの世の一切は
苦である、
というのは、
要するに幼児の泣き声、
生まれたての赤子が
泣きわめくことに
対応すると思う。 (2020年03月19日 05時31分21秒)

子を作らない   もうり さん
子を作らない、
結婚しない、をやりたい。
そうしないと
それらにかまけて、
財産を全て社会に捧げて
無一文になって
地球全土を住処とし、
一人林の中に座って暮らす
という目的が
達成できなくなるので。 (2020年03月19日 06時26分35秒)

三つのイニシエーション   もうり さん
新しいイニシエーションには
三種ある。
神智学のイニシエーション、
人智学のイニシエーション、
薔薇十字のイニシエーション、
この三つである。
つまりたぶん、
この三つを完成させないと
復活もないのかもしれない。
(2020年03月19日 06時39分58秒)

力まず生きる   もうり さん
力まず生きれる
ようになってきた。
来世浄土の仕込みは終り、
過去の因縁は
善果となっている。
未来を考え過ぎる事も
後悔も、逆に今に縛られる
こともない。

完全に力んで生きることが
できなくなった。
力まず生きているのに、
言葉によってある人を
救うことができた。

強い心など私にはない気がするが、
もしかすると、
「力まず生きれている」こと
自体が心の強さの証なのかも
とも思った。

あとアニメは完全に
不要となった。

密教漫画の
阿吽は読んでいるが。 (2020年03月20日 19時24分30秒)

黒人女性としてのキリスト   もうり さん
交差性について、
個人ではなく
属性で見られてしまうのか
というその概念を提唱した
学者に対する批判が
ありゃんしたが、
そもそも例えば白人至上主義者
などは黒人を個人ではなく
属性としてしか見てない、
ということもあります。

誰もが先に他者を
属性ではなく個人として
見ていれば交差性なんて
概念は起きなかったと
思うのです。
交差性が属性としてしか
見ない以前に、
そのようにせざるをえない、
人を属性としてしか見ない
人々が先行しているのでは。

今、キリストが出現すると
すれば、
黒人女性の姿をとって
現れると思う。

キリストは黒人女性である
説を提唱していきたい。

キリストは、時代と
地域、各場所場面によって
最も虐げられているものの
姿をして出現する。

だから、
時にキリストは、
ゲイの姿をして現れる。

ラディカルクリスチャンの
爆誕である。
(2020年03月21日 08時50分12秒)

法界体性智予想   もうり さん
法界体性智というか、
大日如来、
というか、
五相成身観の言いたいこと、
わかったっぽい。

一人の人間が
両腕で複数人のために
できることがあるように、
各個人が全体のために
行為し、
それが物質的なものや
心的なものとして
層となり、
あるいは
それぞれの層の
内部の各部分として
一つの身体となる、
これが実践的な
法界体性智であると。 

これが、
個を犠牲にしないまま、
かつ個を生かすことのできている
共同体であるし、
御心が地上で実現されたことであるし、
仏国土であると思う。 (2020年03月21日 16時06分13秒)

人間関係の躍進   もうり さん
人間関係の輪が
また広がって、
友達第一号が
友達紹介してくれて、
第一号のお子さんも
私と遊びたいらしく、
遊ぶことになった。

人間関係の世界に
光が射してきた。

果たして俺は
陰キャなのか…?

哲学をやって
精神障害を患い、
福祉の世話になってる
いじめられたこともある
この私にとっては
大躍進だ。

足りない部分は
有り難く援助
してもらいつつ、
私には今、
不満といった不満がない。


(2020年03月21日 19時27分08秒)

差別主義的クリスチャン批判   もうり さん
聖書とかいうのも
盲信すればただの紙切れ。
私の言う盲信の定義とは、
現実こそが神の言葉である、
という宗教的事実を
見ない、ということである。

例えばパウロ書簡を
紙切れにしてしまう条件は、
ジャンヌダルクという
新しい女性の在り方を
無視してしまった場合である。
そうすると
女性差別的
クリスチャンとなる。
今はむしろ、
キリストは女性として
イメージすべきであろう。

世界史も聖典の一部であり、
科学も聖典の一部である、
なぜなら全ては「存在」である
からである。 (2020年03月21日 22時05分16秒)

空海は確かに大日如来   もうり さん
空海の
天才的万能性を
考えると、
確かに彼は
大日如来に結縁するのに
相応しい人間であると
思う。
その人の才能素質人格から
どんな神仏に近いか
推測できるとここから思う。

空海が作ったダム、
基礎的な部分は
まだそのままらしいですよ。

ダムを作り学校を作り、
井戸や温泉を掘ること、
そうして
諸仏の集った密教を伝えること。

これが何を意味するのか
というと、
実際の我々の多数のための
意味のある
活動=方便こそが、
大日如来の体を
作る、ということであって、
その方便が水平的に
結合し、垂直的にも
層を成すということであり
それは聖書で、
神々が神となった、と
記述されているとおりである。

だから、
なんか日本人が
実学重視傾向にあるのも、
その脈絡が密かに受け継がれ
てんじゃないかと予想する。
法話は大日如来の
一活動に過ぎない。

密教者にとっては、
本来、大勢の人間を
なるべく食わすために
宗教的知識以外の
高度な知識もつけて、
それにより大勢を救うことも、
実践の一部なんだと
私は考える。

とある仏教者が
日本の宗教家は困難に
対して瞑想や題目に
頼らないので宗教を捨てていると
嘆いていたが、
なんのことはない、
私からすれば
実際的に人を救う活動も
十分宗教の一部であると
考えなおし、
実学のみの人間だって
実は聖なる活動を
行っている、とする。

私なんかになると、
実学のみの人間を
俗物だと思いがちな
傾向から脱却できたという
進捗があった。
彼らは「実学的部分の層」
という神の身体の一段階を
構成する人たちである。

大日如来とは
草の根から生じたものであり、
我々の活躍が全体に
活かされ、調和した姿、
ということであって、
従ってこの支配者は、
我々を操り人間にする
支配者のイメージではなく、
新約聖書に書いてあるとおり、
全てのものに仕えるからこそ
偉いとされる、全うな
集合意識であると
私は考える。 (2020年03月21日 22時58分19秒)

一神教批判   もうり さん
そもそも
創世記には
大日如来の話と
同様にして
神々が神となったと
語られているのに、
これまでの
ユダヤーキリストー
イスラム教顕教の
全てがなぜか
一神教だけが正しいと
なっている。
私はこの立場を取らず、
ユダヤーキリストーイスラムも
先ほどの大日如来の形式を
とると判断するので
私にとっては
日本仏教と聖書クルアーンには
矛盾がない。

むしろ密教の知見が創世記に
ある通りに正しく、
排他的な一神教者は誤っている、
という立場を取る。

それゆえに、
大日如来から
ヤハウェ、
アッラー、
キリストとして
曼荼羅自体が
層構造をとり、
遠くからみると
一柱の太陽ロゴスとして
活動しているように
見える、という立場。

そんで、
つまるところ、
各人が全体の利益のために
活動し、ある人は物質的に
支え、ある人は心を支える、
というようなことをすることで
その中間に神が宿る、と考える。
これが客体的な神の国、である。 (2020年03月21日 23時44分27秒)

法界体性智一言で。   もうり さん
五相成身観と
法界体性智、
これは「三位一体」と
「愛しあうこと」であります。

大日如来という
集合意識は
つまり、
我々が愛し合うことで
生じ、
その大日如来の
身体の階層を
五つと捉えたり
三つと捉えたりする、
というわけであります。

こうして、
ヨハネ福音書と
密教が繋がった。

そうして、
つまるところ、
より実践的な言葉にしたのが
キリスト教であり、
より知的な言葉にしたのが
密教であるとも
言えるかと思います。

ほんまに、
男性としての
課題は終了って感じだな。
すなわち、
女性的ー宗教的叡智の
獲得。

これ、確かに聖杯による
自己受胎の
力が身についているようであり、
自分の言葉が、
セックスするより気持ちいいと
言われるようになった。

私は別にイケボではないのにも
関わらず、である。

次考えることは
帝王学と
心技体である。
帝王学はシュタイナーによると
叡智と美と力、
と言われ、
叡智と心は対応すると
思われる。
叡智が心を安定させる。
技と力は対応すると思う。
そうして美と体が対応する。

叡智は結果が出たし、
美の方面も美形言われるから
問題なく、
残るは技術ー力ー社会であり、
実を言うと美のほうも、
惹きつける力ではある。
本当に美しい人は
人を惹きつけるので、
目立つ。ここに知恵と力が
加わるとまさに帝王だって
ことなんだと思う。
ただ問題は、
私はやっぱり美は身についていない。
なぜなら見た目はいずれ
衰えるので、本質は慎み深さや
所作にあると思うからである。
だとしたら私はまだまだ。

そうして、
続いては
力ー技術は一つに絞るべきか
否かの見極め、である。
それは一つに絞るべきだと
私は判断する。
なぜならば、
使わない技術は忘れるからである。
幾ら全技術を覚えたとしても、
たぶん生きている間に
全てを活用できるわけではない。
なぜなら体は一つしかないから。
つまり、
技術といった具体的かつ
実践的領域は一つの
範囲に絞ったほうがよいと
思う。 (2020年03月22日 00時28分02秒)

叡智ー詩ー語学   もうり さん
自分の
帝王学の分野は
叡智(叡智、心)ー
詩(美、形)ー語学(力、技)
としようかなと思う。
これら三つを結びつける
ことが肝要であり
語学と叡智はそれを完了して
おるので、
残るは叡智と詩を
結びつけること。

詩の定義とは、
本質と現象の
間に位置することであり、
例えば「沙羅双樹の鐘がなり、
諸行無常の響きあり」という
風にして、
(これは定義論でもあるのだが、
おそらく定義とは相互関係の
位置付けによって
決められるのではなかろうか)
精神と自然を同時に現すのが、
詩ではなかろうか、と。

こう考えると、
自分の場合、
実に様々な詩の可能性が
浮き彫りとなる。
それを次のコメントで
やってみる。 (2020年03月22日 07時25分01秒)

詩の試み   もうり さん
私の考える詩は
具体と抽象との媒介であり
精神と自然の媒介でもある。

でもやっぱり詩のほうは、
リアルでやろうと思う (2020年03月22日 07時47分06秒)

客体としての語学   もうり さん
自分で
早速詩を作り、
友達におくってみた。
この方法論なら
私にも大量生産できそうだ。

そうして、
語学とは客体的、
自然主義かつ分別知的な
言葉であり、
叡智とは
深みにある言葉であり、
詩はちょうどその中間であり
語学も詩も叡智で
貫くことができたので、
後は精進あるのみ。

こうして、
帝王学の体系ができたので
やっぱり私は
英語の習い事を続けよう。 (2020年03月22日 08時20分00秒)

一切皆苦の詩   もうり さん
他人に馬鹿者という者の
本性は、自分のおもいどうりに
他人が
考えないことに怒ってるだけ。
これを一切皆苦という。
(2020年03月22日 08時52分54秒)

毎回怒ってる人   もうり さん
毎回、
いろいろなものに
皮肉とか怒りを表明
する人いるけど
大変ですね。
それも心の動揺ですよ。
つまり怒るってこと、
憎むってことは
心の弱さの現れなんですよ。

行為や発言に
本来憎しみを含ませる
必要はないのに、
無駄にストレスフルに
自分自身でしている。
コロナだけに怖がるのも
ある意味即物的ですよ。
まあそもそも病気を
そこまで怖がる必要ないですが。
普段からの善い言行の積み重ねと
生活習慣こそが
長期的な健康を基礎づけると
本能的には思いますね。
これたぶん正解。

そもそも、
なんでコロナを怖がるのに、
あれやこれはしてるのかって
事例、結構あると思いますね。
まあこれも人間だから
馬鹿にする必要ないけど。

毎日のように憎しみ混じりの
言葉を使ってる人の
老後を観察する必要があるでしょう。 (2020年03月22日 09時17分41秒)

心と自然   もうり さん
私がいいたいのは
怒ることは
問題解決を意味しないって
ことですね。
それを怒ることは
問題解決につながるの
だと思ってる人々が、
怒るのはストレスフルというと
問題解決するなというのか!
みたいに怒ってくる。

いや、
私としては
怒りやすい心も
生きにくさの一つでしょうと
言いたいのが
一番の本質ですね。
特に怒りや憎しみに
囚われると、
もう自分自身が生きづらさを
生み出している、と思う。

確かに土木や建築、
農業は人々を救いますけど、
それだけでは生きにくさからの
解放は半分なんですよ。 (2020年03月22日 11時20分47秒)

傲慢について   もうり さん
やっぱり
傲慢はよくないな。
高学歴で
英才教育を受け
エリート企業に
入ったからとて
内心は自由だが、
それを表だって言う必要はなく、
私も反省したい。

なぜならエリートは
各地に確かに存在しているの
だろう。
しかし、
今の社会の有り様という
結果を見て、
結局エリート自体が
別に大したことはないのだと
わかる。

だから、
宇宙の高みからすると、
エリートでもまだ低いほうであり、
頭を垂れる稲穂であったほうが
むしろ立派なんだと思う。 (2020年03月22日 11時34分15秒)

主客未分、上部と下部   もうり さん
宗教は、
上部構造から
アプローチするものなんです。
工学は下部構造から
アプローチする。

そうして、
下部構造には
下部構造の、
上部構造には
上部構造のやり方があり、
幾ら物質的に円満になっても
それは上部構造を
整える方法では
ないのですよ、たぶん。

知覚する生は主客未分であり
上部構造を整えると
現実自体が変わるのです。 (2020年03月22日 12時00分14秒)

選択と集中   もうり さん
選択と集中、
これ方法が
間違ってるっぽい。

無用の用とも
いいますが、
もしも地球から、
自分が歩くために
足を置かないスペースの
全てを削られたら
めちゃくちゃ生きにくい。
それを政府はやってる。 (2020年03月22日 15時26分01秒)

巨大な赤ちゃん   もうり さん
悟らない限り、
我々は巨大な赤ちゃんなんですよ。
なぜかというに、
怒りとか憎しみとか
殺意とは、
自分の思いどうりに
他人が考えない、
行動しないことに対する
「イヤイヤ」というごねりであり、
支配欲であり
貪欲も、欲望がかなわなければ
イヤイヤとごねているのを
大人になって、
それを大人風に加工している
だけだからです。

本質的には、
生きることが全てだと
思う人間は大きな幼児なんですよ。

これは仏教が幼児段階だと
位置付けるのとは違う角度で。 (2020年03月22日 16時12分22秒)

悟った証   もうり さん
ブッダとなった
証の一つとして、
人から、
その目が欲しいと
言われたら自分のそれを
くり抜いて与えられる、
などがあるかと
思いますね。
これができないのに
ブッダを名乗るのは
嘘ですね。
明らかに身体への
執着がまだ残っている。
私はブッダではない。
智慧があるなら、
身体への煩悩も
無くなってるはずですからね。

これができそうもなく、
しかもブッダブランドで
稼ごうとすらする
自称ブッダの割と多いこと。 (2020年03月22日 16時22分12秒)

より強くなるために   もうり さん
私は
祈らなくても
生きていける。
しかし、
より強くなるために
祈る。

私は信仰なくしても
生きていける、
しかし、
より強くなるために信仰を
持つ。
なぜならば、
私はそもそも
昔は無神論者だったから。
親から刷り込みで
信仰を持ったわけじゃない。

私は今まで友人なしで
生きてきたが、
これからは、
ネットだけでなく、
アナログの人間にも
より多く行為するために
友人とつるむ。 (2020年03月22日 16時40分52秒)

エーテル論   もうり さん
熱エーテルー普遍
光エーテルー個別
音エーテルー特殊
生命エーテルー概念

光エーテルは
風エレメントに
対応し濃縮に対応する。
音エーテルは
水エレメントに
対応し堆積や重力に対応する。
生命エーテルは
地エレメントに
対応する。これは
分割にも対応する。

すなわち、
光エーテルは
垂直的関係においては
個別であっても
水平的関係においては
光エーテルは普遍であり、
風エレメントは特殊、
濃縮は個別であり
音エーテルは
垂直的関係において
特殊であっても
水平的関係においては
普遍であり、
水エレメントが特殊、
堆積(重力)が個別であり、
生命エーテルは
垂直的関係においては
概念であっても
垂平的関係において
普遍であり、
地エレメントは
特殊、
分割は個別である。

これは、
周辺から物質が
形成されていき、
熱エーテルが最も外側で
光エーテル、
音エーテル、
生命エーテルと
続いてゆく。
熱エーテル、
火エレメント、生滅の
三角形が最も外側にあり、
その中に
光エーテル、風エレメント、
濃縮の三角形、
音エーテル、水エレメント、
重力の三角形、
生命エーテル、地エレメント、
分割の三角形と
入り込んでいく。
これらによって、
物質宇宙が誕生し、
黄道十二宮、
七惑星、
太陽、地球、月、
地球と形成されていき、
この宇宙も層となっており、
地球自身の中も層となっていて、
続いて鉱物植物動物人間、
といった層となっており、
続いては
脳(鉱物)
循環器(動物)
消化器(植物)
で主に形成されている、
という人間医学となり
ここからまた
体生命心自我といった
一般人間学となり、
それが輪廻転生による
意識進化として
バイオグラフィーワークや
意識現象学となり、
一般心理学として
文化期の主観的精神の
面の話となる。
そんで、客観的精神の側面となると
この文化期は「国」であり
根幹人類期は「力」であり
地球進化は「栄」である。
そうして、次の地球進化を
推進するために
絶対的精神の領域として
芸術、宗教、哲学、神智学がある。

哲学を詩と語学を
結びつけるべきなのは
哲学は自分の思考を
高次世界と結縁させつつ、
語学は反対に、
自然世界と結縁させる。
ここに詩を加えることによって、
言霊=真言が完成すると
私は予想する。 (2020年03月22日 19時14分26秒)

信仰と懐疑について   もうり さん
今思い出したけど、
懐疑主義って
信仰の状態から
歴史的に派生して
生まれただけー、
つまり信仰と懐疑は
相対的な関係で、
懐疑主義が絶対的に優位に
立つわけではない、と。

なぜなら懐疑主義者は
疑う自分自身は信じている
からである。

従って信仰者と
懐疑論者は
兄弟である。

結局、
何を信じるべきで、
何を疑うべきかという
話だった。

信じることと
疑うことのバランスが
大事。

あと、
叡智美力だとか
なんか早急に精神的進化を
進めようとしていたけど、
時代に合うこと、
時代の課題をやれば
いいだけで、
焦る必要はないんやなと
考えなおした。

意識魂の時代は叡智の時代なんで、
叡智に至ったら、
それを教えたほうがいい。
それが来世で美や共感や
宇宙規模の魂になりうるだろうからだ。

人智学が教えることは、
そういうことだ。

あと、
シンクロニシティが
伝えようとしていることが
わかった。
これは、宇宙との調和の
度合いを
意味する。

なので、後はやはり
余生であり、
普通に生きていくだけやな。
霊的課題は終了した。
(2020年03月22日 21時49分51秒)

反転した懐疑論   もうり さん
結局、
信仰者は
反転した懐疑論者であり、
懐疑論者は
反転した信仰者なんですな。
前者は、
物質的世界観を疑い
後者は
精神的世界観を疑う。

言い換えるなら各々、
神を信じ、物を信じる。

私としては
経験したことが
ないからといって
魔術師がいて普段からいろいろと
意味のある魔術を行う
生活をしている、
大衆や大衆的エリートには
秘密の生活圏があることは
否定できない、と
言いたいですね。

それに宗教的真理は
単に知るのではなく、
それが禅定にならないと
意味ないんですよ。
人文学の無意味におもえる
知の何割かは、
そもそも瞑想用。

エリートも結局、より
高い視点からみると
大衆の一部分。 (2020年03月22日 22時07分57秒)

ツァラトゥストラの神   もうり さん
ニーチェの
ツァラトゥストラは
実は別に
宗教とか知識を
否定しない。
なぜならそれも
力の一種だからだ。
だから
各々が本能に沿って
力と自由に
生きろというのが
ニーチェのメッセージだと
受け取る。

そこから、
私からすれば
神を否定し、
共同体を否定する人間は
実を言うと権力への意志が
円満に備わっていない、
意志の奇形児に過ぎない。

強いからこそ、
自分より上に立つものを
受け入れることができる。
なぜならば、
そのような神的存在に
自分も追いつこう、
進化していこう、と
思えるからである。
従って神の存在の否定は
私からすると権力への意志が
ないと考える。

結局、
ニーチェ的に、
幾ら個を強めたとしても、
盤石な共同体の一員に
なりつつ、
しかも個を強めた人間よりは
弱い。

権力への意志自体を
円満にしなければ
真の強さには
到達しないのである。 (2020年03月23日 16時30分39秒)

定義の定義と科学の矛盾   もうり さん
科学の矛盾。
確か、
アリストテレスの
自然発生説は
否定されたように思うけど
だったら昨今の生物学による
生物の発生はどうやって
説明つくん?
ていう素人ながらの疑問がある。

あと定義の定義について。
例えば定義として、
犬は動物である、
と定義してみよう。
これは結局、
定義とは
犬を動物という言葉と
関係付けている。
>も=も含意も
結局は関係式である。

関係式、
すなわち定義とは何かというと
要素と要素の結びつきのことだと
だから私は思う。

そうすると、
直観的世界観による定義の
方法とはその有機的関連付け自体だ、ということになるかもしれない。
まあその各要素自体を
特徴として捉える必要はあるが。 (2020年03月23日 16時55分08秒)

世界精神とは   もうり さん
だから
世界精神とは
何かというと、
今のところ
曖昧ではあるが
この世界の有り様そのもの、
ということになろう。
そうして、その世界の有り様には、
世界中の目的や理念も
含むので現状迎合でもない。

そうして、
世界精神をより
具体的に掴む方法とは
人々は各領域に滞在してみて
肯定性を意識するなら
そこに住し
否定性を意識するなら
離れようとする、
というところにあるかもしれない。 (2020年03月23日 17時23分07秒)

世界観の続き   もうり さん
世界観の続き

国力栄、
ということであったが、
客観的精神は
そうなんだけど、
実は栄、といってる時点で、
宇宙進化を推進するための
力の種は国であり、
その働きは
芸術宗教哲学学問神智学、
であろう。
これが次の人類期や宇宙を
精神世界で準備し、
具体的には
それらの文化が天国から
アストラル界、
そして再び熱エーテル、
光エーテル、音エーテル、
生命エーテルとして降りてきて、
木星期が創造される、と。 (2020年03月23日 19時30分40秒)

医者はキモイ   もうり さん
医療関係者の
女子からのお便り。
これを聞いて、
医者の人間性の実態は
キモイとわかった。

というか、
たぶん人類共通だと
思う。
権力を得た人間は
キモくなる。
高学歴しかり、
政治家しかり、
医者もしかり、なのだ。

自信や力をもっても
その自信を上手く扱えるとは
限らないわけだなあ。

私がキモイという言葉を
使うのは滅多にないからね。
キモイという言葉は嫌いな
言葉ですね。
でも医者はキモイ。


(2020年03月23日 22時27分48秒)

マネジメント   もうり さん
マネジメントと
ガバナンスの意味

もう哲学的な事柄は
アナログの人間に
語る方向に移行するので、
ここではヒントだけ。

マネジメント=馬を馴らす
=上手くやる=望んだ方向に
移行させる<整理

具体例
スケジュール管理とは
時間の整理
課題
体調管理とは
つまりここで言えば
どうイメージできるか。

ガバナンスは
操舵手が舵をきって
災難のあるところに
恵みが流れるようにして
全体の平安を作ることが、
本質っぽい (2020年03月23日 22時36分19秒)

大学教授もキモイ   もうり さん
大学教授も
キモイという
偏見をもってしまった。
権力を傘にきると
人間はキモくなる。

結局、
大学教授にもなって
その立場を利用して
姦 通の罪を犯す
ような奴らだから
キモい。

私は憎悪なしで
語っています。
これはキモいという
「感情」というよりも
判断ですね。

ルサンチマンでも
なんでもない。
むしろ大学教授という
真理に仕える身にもなって
その低俗性を捨て切れない、
というところに、
キモさがある。

なんで
キモイのかというか、
キモさの自分の中の定義が
明らかとなった。
「高い立場にあるものが
低俗であるという、
奇妙な相応しくなさ」が
キモいの定義で、
大学教授陣、
インテリ陣は
そのキモい同類への
自浄作用がないのに
安部晋三を嫌ってる場合ではない。

大学教授、学者、医者とか
インテリたちよ、
安部晋三とはお前たち自身である。
大学教授、学者、医者とか
インテリたちよ、
そもそもあなた方も社会の
上層に位置付くのだから
批判の対象である。

まー無論、
抽象的にしか考えてないので、
具体的には当てはまらない
人々もいるでしょうが。

ちなみに私は女性と
二人きりになっても
手を出さないし、
実際、無害だと思われている。
しかも私は童貞であるのにも
関わらず人気のないところで
自分に好意があると
わかっている女性と
二人きりになっても
手を出さない。
だから信用される。 (2020年03月23日 23時56分57秒)

理性的な対応   もうり さん
女性からの誘いを
そのようなことに
相応しい関係じゃないからと
断れるくらいには
理性的。
童貞であるのにも関わらず
性に対する執着がある程度ない。 (2020年03月24日 00時04分04秒)

人間について   もうり さん
童貞と処女どうしによる
墓場までの関係の持続以外での
経験人数の多さは
つまり彼ら彼女らは
ヤリ マンやヤリ チンであり、
男や女というか
オスやメスの所業に
近づいたということは
認識すべきだと思うよ。

ポリアモリーや
乱 交は
完全に猿化してる。

高学歴者にも
猿がいる。

どうも
すみませんね。
しかし、
美形と人から
言われ昔から
黄色い声援が上がることも
あったけど貞操を守り、
邪淫だとか姦 通の罪を
犯してない
私だから言えることですね。

性の自己決定権は
あるかもしれませんね。
でもそれにより、
人間からオスとかメスに
なったりします。

(2020年03月24日 00時26分50秒)

智と徳   もうり さん
法界体性智に
至り智から徳に、
仏教に対する
聖書とクルアーンの段階に
推移したわけであるが、
これは従来の旧仏教の
瞑想主義とバランスを
とるものであり、
戒学によって
キリスト体験としての
悟りが可能となった、
ということだろう。

今や、
さらなる悟りとは
瞑想だけでなく
慈悲行も必要となる。
慈悲だけによっても
キリスト体験によって
救われるようになった。

仏教は無常とかいいながら
世界を仏教的世界観に
固定している矛盾がある。

ワンネス体験はしなくてもよいから
実践によって
キリストと出会いたい。

(2020年03月24日 09時08分59秒)

かけ算的関係とは   もうり さん
かけ算的関係の
一つの例示。

複数人がいて、
縦軸と横軸に
並んでもらう。
そして、
各々の能力を
縦軸と横軸で交差させる、
総当たりにした時、
理論上、
これはかけ算的関係となっている。

これが生産性である。 (2020年03月24日 16時52分15秒)

コロナで死にたい   もうり さん
むしろ、
コロナで死ねるなら
死んでみたい。
もう十分生きた。
(2020年03月24日 17時01分36秒)

男性叡智と女性叡智   もうり さん
つか、
信仰者、
司祭的人間、
宗教に向かう人間、
女性叡智のほうが、
寧ろ心は能動的だという
事実。能動的なのが
メタな目で見ると男性的だとすると、信仰者こそが
寧ろツァラトゥストラ。
客観的な事実に基づいて
心を固めていく
自然科学は男性的だが、
それはメタな目で見ると
受動的な女性性。

例えば男性の抽象的思考は
精神が女性であることを
意味する。
数学は男性的だと
思われがちだが、
さらにメタな目をすれば
学問とは「大奥」みたいな
もんである。

女性はたぶん、
精神の能動性故に
具体的思考に向かいがちだから
抽象的学問が苦手になる。

だからつまり、
反転したことが
言えるようになる。
精神の側からすれば
女性がまず先に生まれて、
その中の骨から男性が
生まれて、
女性がこの男性に対して
これは私の骨の中の骨、
というのである。
この観点によって、
おそらく応用を効かせて
男性優位神話を反転して
いけるであろう。
負けるな!女性!

だから、
まじで盲目な女性差別的
牧師、たぶんもう頑固に
なってるだろうので、
来世に期待するしかない。

私はいちいち
フェミニストとか
名乗らない。
しかし、
そもそも上下関係が
あったとしても
愚弄していい理由には
ならない、という心情なんだよ。 (2020年03月24日 18時25分21秒)

キリストと会う方法   もうり さん
キリストは
カルマ法則に
基づいて顕現するという。
客観的なキリストに
出会いたければ、
キリストのように
行為することである。
そうすることでカルマによって
キリストが近づいてくるであろう。

なぜなら自分自身のしたことが
返ってくることが
カルマの一側面だからである。
模倣魔術とは、
カルマが根本原理だろう。

そうして、
ブッダは人間と天使を
結びつけ、
人間から天使への進化を
可能としたが、
キリストの場合は
父と結びついているので、
キリストと結びつくと
次の段階として
自分自身が
父へと進化する道が
開く、ということであり、
これもカルマの法則である。

例えば
思考は本質を中心として、
感情は自我を中心として
意志は身体を中心として
形成される次元の異なる
神の言葉、であり、
従って思考、感情、意志は
結ばれておりカルマによって
内面は外面に、外面は内面になる、
と考えられるのである。
従って憎むと結びつくので、
その憎むものとなる。
中国人や韓国人を憎む日本人は
来世で中国人や韓国人となって
日本人を憎む可能性もある。

だから、
男は女に、
女は男になるのである。 (2020年03月24日 20時13分52秒)

市民について   もうり さん
市民が
全員右翼になった
結果は
外国人との軋轢。
市民が
全員左翼となった
結果は
国内との軋轢。

結局、
左翼と右翼が
両方とも市民として
存在することによる
恵みがあるのではないか。

市民が多元的であることによって
完全な恵みがありうる、と。

つまり
日本にいて
困った外国人と
困った日本人、
どちらを先に助ける問題が
あったとして、
日本人は複数なのだから
回答は複数ありうるよねという
多元的状況が
望ましいのではと。 (2020年03月25日 16時02分29秒)

豊かさは客観的なものではない   もうり さん
割と
気づかれないけど
豊かさは客観的なものではない。
豊かかどうかは
心が決める。
そのための宗教ってわけ。 

心が変われば現実の半分が
変わる。
残りの半分は客観。

客観だけが全現実ではないことに
気づかない人々が多い。
そのような人々はたぶん、
画家の作品全ては技巧に
由来してると信じ、
実際に画家の認知には
そう表現せざるをえないように
写ったとは認められない
タイプかもしれない。

面白いことに、
認識論的展開、
であるが、
唯物論科学を信奉する以前に
その人の心が既に
現実の構成要素となっている。

知覚世界を客観だけだと
みなすのは誤っているって
経験即からわかる。
それは、
最近、やけに自然界が
美しく見えるようになってきた
という経験からだ。
観測世界は主客未分であるのに
唯物論という客観主義だけが
全てとはやはり言えなさそう。

人間は機械だとみなすような
観察方法や心が唯物論者の
前提にあるだけ。
つまり、
心が先立っている。 (2020年03月25日 20時31分39秒)

心が先立っている   もうり さん
脳の働きは神経の火花であり
それが事実と
観察する人には
そもそもそれ以前に、
そのように観察する
心が先立っている。

(2020年03月25日 20時41分26秒)

コロナの意味解釈   もうり さん
コロナの絵を見てみると
「あらゆる方向から
吸い上げる」という
自己中心主義的形を
しているように思うよ。

人間の自己中心主義が
コロナを作ったのかもしれん。 (2020年03月26日 02時55分43秒)

名と色 イデアと空   もうり さん
ここに来て
イデアと空の関係が
理解できた。
心における
存在様式は「イデア」であり
自然における
存在様式は「空」である、と。
自然界には実体がないから
イデアなどないと言えるかも
しれないとしても
心の世界にはイデアがある。


(2020年03月26日 04時03分56秒)

仏教的真理と人智学との関係   もうり さん
仏教的真理と
人智学との関係。
ようやく理解した。

肉体ー無我ー仏教ー大円鏡智
生命ー無常ーユダヤ教ー平等性智
心ー空ーイスラム教ー妙観察智
自我ーイデアーキリスト教
ー成所作智 (2020年03月26日 04時18分55秒)

キリストのみが救い主   もうり さん
なんで
キリストのみが
救い主なのか、
「理解」したわ。

それはキリスト存在のみが
宇宙の真理たる父と
繋がっている神だから、
キリストと結びつけば
父に至ることが約束されるから、
というわけである。
キリストのみが
救い主であるが、
今の時代は
そもそも人智学を
やるべきである。

それゆえ、
キリストは道、というか
梯子であり階段なのだ。

祈りとは
人はいずれ死ぬという
時間軸と同様なもので、
時間軸において
その願いが組み込まれる、
ということだ。
現時点で死ぬことが
決定しているように
祈ることによって
現時点でそれを
掴むことになる。
だから、
祈ったならもう叶ったと
思いなさいと言われる。

そうしてキリスト教においても
如意宝珠的な話があった。

浄土も
欲界、色界、無色界の
どこかに属するのであって、
それは
人智学では
地上、アストラル界、天界と
呼ばれる
(2020年03月26日 08時29分13秒)

キリスト秘儀参入   もうり さん
私は
キリスト秘儀参入者で、
自分が菩提心ー如意宝珠の
獲得と呼ぶ体験は
言い換えるなら
キリストの肉体を
食べる体験。

そうして浄土の体験、
火と聖霊による洗礼体験と
呼ぶものは
言い換えるならキリストの
血を飲む体験ー聖杯。

次はキリスト顕現の
体験かもしれんな。
もう疲れたけど。

(2020年03月26日 08時46分35秒)

アイデアが出る方法   もうり さん
アイデアが出る方法
アイデアは
現場から生まれる。
だから
ロボット任せでは
人間の創造性は
弱るだろう。

その具体例。
仕事で
エクセルを使ってるんだけど
ちょっと間違ったり
ずらしたりすると、
一からやり直さないと
いけない場面が出てくる。

それゆえ次のアイデアが
生まれる。
ぷよぷよやテトリスみたいにして
一つ一つ様々な
大きさのセルを生み出して
その都度くっつける。
だとかだ。

このように
創造性は具体的な現場から
生まれる。 (2020年03月26日 12時31分09秒)

他人の稼ぎに貢献する。   もうり さん
自分、月収15万もないけど
ともぐらしで
生計立ててる。
生きる分には
そもそもセレブに
なる必要はない。
港区には
金のために命を売る人たちで
まみれているのだろう。

私は命のために働くので
それほど稼ぐ必要はない。

なんか、
結局、新しい資本主義の
欠陥見つけたけど、
港区に代表されるように、
迷える衆生たちは
金を命よりも優先するという
倒錯を起こしている。
月収一千万自慢なんて
頭部の位置と
ペニ スの位置を交換して
自慢してるようなもん。

命に必要な分だけ
稼いだ人間の
次にやることは
他人の稼ぎに
貢献するような
ボランティアですよ。 

自分は必要なだけ
儲けたらいい。
後は竹中平蔵のために
ただ働きするのではなくて
貧乏な人の
稼ぎを増やすために
ボランティアすればよい。

金を与え続けると
どうなるかというと
まさしく、
天の富の一種としての
天の金が獲得でき、
それを会得した場合、
もはや金に困ることが
なくなる、と
思うよ。

私は既にキリストの肉を
食べているので、
食べ物に困ることはなく、
キリストの血を飲んでいるので、
飲み物に困ることもない。
またこれらによって
どんな願いもかなうように
なっている。

ということは、
次の目的は、
「永遠の賃金」を
得ることにある。

これはもはや
資本主義社会に適合した
みなさんとは真逆の生き方を
しなくては手には入らない、
人生の正解の内の一つだろう。

他人の稼ぎに貢献する。 (2020年03月26日 16時43分13秒)

帝王学について   もうり さん
簿記はお金の流れを
区分して整理し
勘定科目といった
具体的範疇から
負債や資産といったより
大きな範疇に、
最終的には貸し方と
借り方といった範疇に
位置付ける。
物作りは
製造工程といった流れに
含まれる各技術単位に
区分し分業する。
語学には文法があり、
意味として成立する「配列」があり、発話に対する応答、
応答に対する応答として
会話自体にも文法的なものがある。

プログラミングは、
まさにアルゴリズム。

郵便などの流通も
まさに流れである。

これらは一言で言えば流れである。

経営管理はお金を自社の
ほうに向かわせる。
人の流れもおそらく、
簿記の方法の応用で
表現できるだろう。
そんでボイラーのパイプの
蒸気の流れをバルブで
管理するように、
経営管理や法律といったものにも
そのような側面があると
思う。
これが「力」である。
では力を集めるために
どうしたらよいのかというと
それが「美」であり
価値観である。
何が善で何が正義で
何が美かとかが
わかっていれば、
今度はそれを常に
意図的に再現できるように
なる。
それが「知恵」である。

知恵によって
何が価値になるかを
理解し、
それにより
持続的に価値(美)を
与え続けられるようになる。
つまり、
偶発的に価値提供を
するのではなくすということ。
そうして「力」を集める。

これが帝王学である。
生きるための方法でもある。 (2020年03月26日 21時13分48秒)

有言実行   もうり さん
最近築いた
人脈を生かして
無償で物作りの
賃金労働手伝う
話を進めた。
私の働いた
分はそのみなさんに
与えられる。

これが宗教的社会主義に
適応した理想の働き方。

理解者も
普通にいる。

ただ、
このように
自分ではなく
他人を目的とした
生き方は
実行する人は
少ないが聖書に
既出である。

資本主義社会だけが
絶対的に可能な
働き方ではない、
ということを
草の根で示していく。

結局のところ、
金持ちって
資本主義社会に
適応した人たちに
過ぎないわけで、
その社会も既に相対化されてる
わけでありましてね。

そうして、
「天の富」を
信じるならば
資本主義社会の成功者は
無を求めているだけに
過ぎない。

私は実体を求める。
理解者は各地の
宗教家たちだろう。

信仰者にとって
当たり前のことを
実行するだけ。

さて、
これが左翼の実践の
一つでありますが
ツイッターで
口だけ動かす人たちは
ちゃんと手も動かしましょう。
左翼でありながら
命ではなく金を目的とした
生き方をするなら、
それは本質的には
資本家と同じ。

最近できた友達は
私を理解してくれている。
私は単に自分を少数派に
置くのではない。
実践も伴うわけであるからね。 (2020年03月26日 22時31分24秒)

無償の愛の全面的実践   もうり さん
無償の愛の実践、
遂に口だけでなく
手でもすることになった。
目的は
四つ。
理由は一つ。
理由は自分の内発的な
善意志に基づく。
目的は
物作りという「外在的力」の
側面の実践により、
外界にキリストを観測することである。
あと一つの目的とは
他人の稼ぎに貢献することで
天の富としての
永遠の賃金を会得することである。
予想では
永遠の賃金(力)=キリストの顕現

次の目的は地上を浄土にする助力。

最後の目的は、
このような実践を
通して来世で、
私のように他人のために
労働してくれる人々で
構成された共同体に
入ることである。

来世の所属する共同体は
凄いことになりそう。
無償でそれぞれの知識を
分かち合い、
無償でそれぞれの
労力をも分かち合い、
豊かな図書館、
必要なだけは稼ぐという
地上天国のような
共同体に来世は生きる。 (2020年03月26日 22時54分38秒)

実践内容   もうり さん
結局、
ボランティアで
農業することにしましたよ。
親族の農家に
頼むことにしました。


(2020年03月26日 23時36分26秒)

美について考える   もうり さん
親族のほうは
用事のある曜日
だったので
やっぱり友達に
頼むことにした。

まあ未定事項。

美について考える。
美と愛の関係を理解した。
より高次のものを
低次のもので表現しようとする、
言い換えるなら
低いものに高次元を
引き下ろすことが美であるらしい。
それは物質世界で
精神世界を表現することとも
言える。
これが愛にも繋がる。
すなわち、
苦しんでる人をほうっては
おけない、という心情と
その行為、
及びキリストによる
弟子の足を洗う行為とは
愛であり美なのである。
すなわち、
行為となった美が愛である。

思考の美徳は
智と理である。
感情の美徳は
愛と美である。
力とは
統治と管理である。

あー、そっか、
キリストと出会うなら
愛し合わないと
いけないから
友達とやるしかないな。 (2020年03月27日 01時19分27秒)

帝王学とカバラを絡めて   もうり さん
カバラと帝王学の
絡み
キリストの血が
王冠で、
知恵が智、
理解が理。
キリストの肉が
美で、
慈悲が愛、
正義が統治

ここでまだ
理解していないのが
基盤、勝利、栄光。

新約聖書にも
栄光という言葉は
出てくるがなんのことか
検索してみる。

王国、
とは密厳浄土ー愛の地球、
のことだろうが。 (2020年03月27日 01時36分58秒)

アストラル界の力   もうり さん
残るは
「力とカバラ」についての
考察。

キリスト教的に
考えるならば
力とは物質的な
力ではなく
アストラル界の力、である。
「勝利」とは
水による洗礼のことであり
「栄光」とは
キリストの顕現のことであり
「基盤」とは
アストラル界の力のことであり
それが王国を
愛の地球に変容させる。

王冠とは
キリストの血であり
美とは
キリストの肉であり
基盤とはたぶん
キリストの真言であり
王国とは、愛の地球である。 (2020年03月27日 04時11分28秒)

物事の機。   もうり さん
無論、
誰もが私のようになれと
強制などできないが
物事には機というものがあり、
私も稼ぎを利用して
貯金せずに本ばかり
買ってきたけど、
30代にも近くなって、
読書にも満足してきたんですよ。
そーすると、
特に浪費する必要がないので
少ない稼ぎがむしろ身軽じゃん?
ってなるわけですね。
ゲームもアニメも小説も
必要ないって状態。
まあ漫画は続きがあるから
買うけど。

なんか、
読みたい本がぞくぞく
出てくることもなくなった。

しかも思想上、
やりたいことは
他人のために稼ぐことなんで
物事には時期というか
「機」があるんやと
思います。

若い内は
欲望があるのは
いいことじゃない?
ただいつか、
自分の欲望に
振り回されるのも
なんかうんざりと
感じる時期がやってくるかもしれない。
(2020年03月27日 08時34分54秒)

栄光とは何か   もうり さん
勝利とは何かというと
より高次元の層に
至ること。
全体から良い意味で
飛び抜けること。
水による洗礼。
力の線形的側面。
原因と結果。

栄光とは
何かというと
全体の中の
中心存在となること。
礼拝。
愛しあうこと。
愛しあうこととは
キリストの栄光を
生み出す秘技である。
力の相互作用。

基盤。
そうして
礼拝によって
キリストの栄光、
キリストの顕現が
実現したとき、
教団自体がまとまって
確かな岩となる。

さざれいしのいわおとなりて
こけのむすまで (2020年03月27日 19時03分53秒)

マルクトの獲得   もうり さん
そうして、
マルクトの獲得のためには
王国の獲得のためには
十分の一税を
毎週献金するとよい。
そうすると
仕事の障害が取り除かれる。
自分の求めてた
永遠の賃金とは
これのことだった。
別に金のない人は、
私のようにボランティアしたらよい。

というかそもそも
金とボランティアだけでなく
ここでの言葉による
無償の行為も、
神への捧げものになると
思うしな。

ここに、
さらにボランティアが
加われば、
私の王国は、
安泰だろう。

だから
絶対的に水の洗礼を
受けたい。
(2020年03月27日 20時42分42秒)

バプテスマの意味   もうり さん
バプテスマ、
風呂に入るんと
何が違うんか?
と迷っていたが
本質は「公に神との誓約」を
行うことにあるのだと
思う。
その方法が教会での
バプテスマ。

だから、
特に浸礼かどうかに
こだわらなくてよいと考える。

結婚式みたいなもんなんですよ。

だから、
時期とかに拘らず、
なるべく早い内に
洗礼を受けることにした。

私と繋がりたい人(ファン)が
ネット上にもしいるとすれば
私が洗礼を受けたことを
ここで確かめた後に
洗礼を受けとよい。
そうすれば、
そもそもヘーゲルとも
ゲーテとも
ノヴァーリスとも、
天の父とも、シュタイナーとも
繋がることができるだろう。
(2020年03月28日 10時13分24秒)

マルクトの話の根拠   もうり さん
マルクトの話の
根拠は、
マラキ3章にある
十分の一税についての
記述からわかる。
マルクトは地球とか
自然を意味する。
ここにマラキ3章の、
仕事のための自然の障害の
神による除去の話を
読めば繋がる。

永遠の賃金、
お金に困らない、
ということは
仕事が安定することを
意味する。
だが、
ここもそう単純な仕組みでは
ないようで
教会とか坊主だけが栄え、
民は飢える、みたいな
倒錯した時代もあった。
なぜかというと、
たぶんその時代の僧侶たちは、
我々は供養を受けるに
値するということで
思考停止させていた。
本来、そこで様々な金持ちからで
さえも徴収した豊かな金をもって、
弱者に富みを流す、という
宗教法人の側面からの
経済援助を行うことで、
初めて実際的な安定となるんだと
思いますね。 (2020年03月28日 10時23分19秒)

訂正事項   もうり さん
十分の一税の献金、
についてですが
1ヶ月に一回でよいようです。
一年分の賃金の
十分の一でいいようですからね (2020年03月28日 12時10分35秒)

生活に金がかからない。   もうり さん
ぶっちゃけると、
これ以上金持つ必要がない。
これは卑屈なことでしょうか?
別に高級グルメを食べる必要、
全くないんですよ。
高級な服を着る必要もない。
高級な家で暮らす必要もない。
物質的な事柄には、
そもそも
金をかける必要がないんですよ。

文化には金をかけても
いいと思います。
たぶんだけど、
いずれゲームも
アニメも映画も漫画も
学問も、音楽も、
諸文化結果は摂取を持続すると
満足して欲望がなくなるときがくる。
自分はもはや
音楽など不要であり
美術館も博物館も不要であり
図書館も不要であり、
映画館も不要であり、
コミケも不要である、
遊園地も不要だし、
観光も不要、
詩も物語も文学も
不要だってくらい、
文化は十分に享受した
結果、満足に至ったんですよね。

もしも
文化や精神的事柄への
欲望が無限に肯定可能だとすれば、
それは満足に至る性質のもの、
だからで、
物質的事柄は、
食事の煩悩がまだ
取れてないけど
それでも
一番雰囲気がよくて
スイーツの美味しい
グルメ店がテレビで
紹介されたとて、
全く不要である。
童 貞を卒業することも
私には不要である。
高級車も勿論不要。

そういうわけで、
自分の場合、
この何もない田舎でも
満足して暮らせる
わけだと思います。

物質的事柄は、
命の維持のために
必要な分だけやればいい。

金持ちであることも
ある面では肯定できますよ。
それは私は金持ちになる
目的とは、十分な文化財を
満足するまで享受するために
あって、パーティーのために
使用するなら無駄だと思う。
そうして
文化に満足した後は
もうお金はそこまで
必要なくなる。 (2020年03月28日 12時35分10秒)

外出してきた。   もうり さん
コロナが流行中だけど
友達ん家で
遊んできました。
五名以上で
ゲームなどして
遊びました。

食料、トイレペーパー、
マスクの買い占めも
しない程度には
徹底しています。

(2020年03月28日 17時00分36秒)

王国への道   もうり さん
マルクトへの
道としての
ボランティア、
友人頼って
やることが確定しました。
やったね。
栄光への道は
友人たちと交流すること。
勝利への道は
洗礼を受けることと
教会の人たちとの交流。
これらが基盤への道となる。

全てはキリストを観るため。

人生、好転してきたなあ。
他人の稼ぎのために
働くというボランティアの
試み。


(2020年03月28日 21時08分53秒)

命を目的とすること   もうり さん
働くことを
命を目的とすれば、
余分に儲けたり
所有したとしても、
普通に分け与えられる。

金を目的とするから、
ギスギスしていき弱肉強食になる
面がある。 (2020年03月28日 21時11分16秒)

コロナにかからない方法   もうり さん
宗教は病気など
実際的問題に
対応できないみたいな
批判がありますけど、
宗教という看板を掲げたり
集会に集まるだけでは
バラモンとはいえないんですよ。
「信じて行う人」が
宗教者です。

そして、マラキ3章を
検索してみてください。
十分の一税を納めることで、
たぶんコロナにもかからない
確率が高まるでしょう。
よく学び、弱きものに施し、
十分の一税を納める人々は
おそらくコロナにかからない。
(2020年03月29日 09時50分31秒)

洗礼の書類提出   もうり さん
洗礼の書類に
印鑑をし、提出しました。
某日に受洗することが
決定しました。

無賃労働の
ボランティアも
決定しました。

人生、前に進んでゆく。

なんで、
コロナの中、
人の中に行くことが
怖くなく、
買い溜めもしないのか。

それは完全にではないが、
死も別種の生であると
理解しているからだ。 (2020年03月29日 13時56分25秒)

ヴェーダ   もうり さん
夢で、
神仏が出てきて、
文字で
自分の腕に
神の言葉を刻印し、
ヴェーダという文字が
あったので、
取りあえずヴェーダ関連書物、
つまりウパニシャッドを
ワンコインで購入した。

あと礼拝では
ハンバーガーと
板チョコとジュースを
生活保護者に
奢った。

哲学はお告げがあるならする。
でも、自分にはもう
哲学も必要ない。
というか、
種々の哲学者の言葉など、
私には不要ってなった。
実を言うと聖書の言葉も
必要ない。
もう、
宗教哲学は「方便究極」に
至ったので実践に関心がある。

で、
自分の実践とは
洗礼を受けること(勝利)、
愛し合うこと(栄光)、
無賃労働(王国)
なんですよね。

その結果として、
キリストの顕現があり、
これは「基盤」。

愛し合うことは
個性を全体に生かすことの
他に、家族の理念と
自分の理念を包括するなど、
一つの心で
一つの共同体を意味するようにする、などの意味もあるかと思う。

私が一番身につけないと
いけないのは、
「命」の理念。
健康だとか、清潔だとか、
生活だとか体形だとか、
マナーだとか
着こなし、上品さ
だとかを意識する
段階の人々を取り入れる
必要があるが、何度もいうが
難しい。

そうして、
真実は見て確認できるもの
だけが全てではない。
行ってみなければ
確認できないこともあるはず。
それを信じて、
やってみて成果を確認する。 (2020年03月29日 17時10分24秒)

なぜエミヤ志郎が主人公なのか   もうり さん
なぜエミヤ志郎が
主人公なのか理解した。
なんでも身を呈してまで
願いを叶えてくれる人
にこそ、聖杯は相応しいということ。

誰かのために生きて、
その時が全てでいいでしょう、
という人には、
つまり如意宝珠が与えられる、
ということ (2020年03月29日 19時28分09秒)

智から徳へ   もうり さん
諸法無我ー大円鏡智ー肉体が
徳になると、
愛し合うことーキリストの顕現。
諸行無常ー平等性智ー生命が
徳になると
隣人愛ーキリストの衣
空ー妙観察智ー心が
徳になると
博愛ーキリストの肉
そんで
イデアー成所作智ー自我が
徳になると
天の国ーキリストの血

愛の地球にしたいならば
十分の一税や
無賃金労働
(2020年03月29日 22時43分25秒)

それぞれの愛の特徴   もうり さん
博愛をやれてるか
確かめる方法は
敵や悪人を愛せるかどうかに
ある。
これを全うすると、
如意宝珠(キリストの肉)
が得られる。
しかし如意宝珠といっても
輪廻転生するにつれて
成長してゆく。
隣人愛は
自分を愛するように
隣人を愛すること、
自分がして欲しいことを
人にもすることを
受け止めてくれる人でないと
成り立たないので、
まさしく自分と似たところが
ある人に対する愛
これを全うすると、
たぶんキリストの衣が得られる。
つまり、永遠の命の種。

愛し合うことは、
違った個性を互いに生かしあう
ことなんで、
例えば自分の場合は
家族の理念を身につけるだとか、
教会で食べ物をもってくる
人に対して、
自分は記事を書くとかだ。
これをやると
キリストが顕現する。
キリストが顕現するということは、
地上において霊を見ることでも
あるので、
見えるようになる薬を
自分の目に塗ることでもある。

でも、
そもそも私は家族に
求められていない。
家族にとって、私の個性は
要らないものらしい。 (2020年03月30日 06時57分14秒)

なんで満足できるか。   もうり さん
なんで
満足に至ったかというと、
私自身が知であり
愛である、という心に
なったからだろう。

次に、
私自身が命であり、
私自身が物である、
という心を目指している
ということ (2020年03月30日 12時59分21秒)

今尊いのは在家の人々   もうり さん
宗教家で
日本の中で
一番尊いのは
空海だと思う。
西欧では
宗教家というか
精神科学だけど
ルドルフシュタイナー。

ルドルフシュタイナーは
私の中ではもはや空海レベル。

なぜなら、
この両者は「無我」に
至った私はブッダだ、
見性だ、ワンネスだ、
などと象牙の塔に引きこもらずに、
実際にダム作ったり
学校作ったり、
持てる智慧を具体的過ぎて
わけわからん社会に
生かすことができたからだ。

智慧があるというのなら、
悟ったというのなら、
じゃあ具体的に、
その智慧とやらで
社会をやってみなさいよ、
人命救ってみなさいよ、
これが私の言いたいこと。

結局、
このコロナで明らかだけど、
在家の人々が求めてるのは
命であって、
悟りじゃあないんですよ。
在家の人々は死を恐れるので、
修行どころじゃないんですよ。
在家の人々に仏法を
聞かせる条件を整えるためにも、
そもそも空海のような宗教家が、
コロナ対策だとかしないと
意味ないんですよ。

(2020年03月30日 19時08分55秒)

自然科学は歴史の中央   もうり さん
自然科学は
曖昧な知見だけど
キリスト教やイスラム教から
派生して歴史の舞台に登場したと
思う。
自然科学は
人間の意識を宇宙を含む地上に
向かわせた。
もっとも低いが、その代わりに
もっとも明確な意識、である。
じゃあそれから次の
歴史は何かというと、
その明確な意識でもって、
霊を解明すること、
すなわち精神科学ー人智学
というわけですよな。

んで、
職業にも意味を見いだす。
職業を通して自己実現というと、
俗っぽい感じがするが、
実は精神的な意味合いでも
そう言える。

例えば、
叡智や知恵の修行
(ワインつまり聖杯)(キリスト一来果)が
したいなら教職だし
愛の職業がしたいなら
保育士(パン)(キリスト預流果)
だし、
命の職業がしたいなら
介護福祉士や医者(衣)、
農業。
(キリスト不環果)

私はキリスト不環果向として
介護福祉士になるのも
ありやもな

ていうか、
医療職の服飾の歴史、
どうやら精神科学が
一枚噛んでそう。
なぜなら「白衣」だからだ。

シュタイナーが
精神科学を霊的な血液のようにして
享受すると、
来世で器用になるみたいに
どこかで言ってた覚えがあるけど、
その夢もこうして叶った。
それはアジア的に言うと
千手観音のようになれるって
ことやと思うよ。 (2020年03月31日 11時48分18秒)

隣人愛と永遠の命   もうり さん
隣人愛と
永遠の命(白い衣)
との関係。
善きサマリア人が
隣人。
隣人とは、
自分の命の世話をしてくれる
人であり、
この人を隣人として
特別に選び、
その人に対して自分も
命の世話をする。
こうして、命の循環が生じ、
中心ができて、
それが要するに「永遠の命」
だろう。
これはつまり、
マルコ福音書とは
東洋では道教に対応すると
言えよう。
夫婦の道なども、
つまり陰陽一致、であり、
選別の道、である。

生命の法則として、
どうやら選ぶこと、
があるらしく
従って我々は水の洗礼を
受ける必要があるのだろう。
これはキリストとの陰陽一致、
であり、
キリストとの披露宴であり
子を成すことが
下方の中心ならば
永遠の命は上方の中心、だろう。

しかし、そもそも
その前段階として
我々は博愛の段階と
智恵の段階を通過し
それぞれで成果を出す必要がある。
四福音書は互いに矛盾する、
と言われているが、
それもそのはず、
成果が出たら、
寄る辺とする福音書を
交代すべきだからだろう。
(2020年03月31日 21時20分01秒)

心を開いてくれた   もうり さん
とある病気で
口を聞かない女性が、
私には声を出して
くれるようになった。
私にはなんの下心もない、
つまり信用されてきてるの
だろう。
私にはこの人が勇気をもって
心を開けるようになることに
関心があるのであって
下腹部の関心はないからなあ。

なんか、
素朴な善意で
接してもなんの問題も
起きないシンプルな
世界で生きているのでよい。

むしろこれまで素朴な善意で
接してきたけど、
これにより
人間関係に、なんの悩みもない。
果たして、
学問のような「素朴でなさ」を
善意に持ち込むべきなのか謎。
素朴な善意、
プラグマティックに
役立ちまくってる。
これを問題とするのは
学者のみでは。
まあその素朴でなさ、が
医療倫理とか生命倫理では
生きてくるのだろうけど、
個人レベルでは
シンプルでよい、
自分の場合は。 (2020年04月02日 17時14分01秒)

精神障害や発達障害   もうり さん
私の周囲の
精神障害者や
発達障害者も、
なぜか私には一目を
置いて心を開いてくれている。
私の素朴な善意って、
うまく言語化できないけど、
素朴過ぎて、
もはやマイノリティにも
通用するレベルになっている。

私は自信をもって、
私は自分を道徳と一体化した
ものである、と主張する。
道徳を
アイデンティティとすることに誇りを持つ。

なぜなら、
実際、それが
他人を救っているからだ。

だから、
私は自信をもって、
人は何を守るべきかというと
それは道徳であると語る (2020年04月02日 17時21分48秒)

博愛と隣人愛の違い   もうり さん
博愛と隣人愛の違い、
前者は
自分より他人を愛すること、
後者は自分と平等に
他人を愛すること、とも
理解できそう。

愛し合うことは
相互作用の中心に
身体を作ること (2020年04月02日 20時53分38秒)

圧倒的強み   もうり さん
自分の強みを
生かせる仕事、
わかった。
それは調理だ。
神の肉(パン)を食い、
神の血(ワイン)を
飲んだ自分にとって、
調理することそのものが
芸術行為となる。

つまり、
私の調理は
天と結びついた料理という、
圧倒的強みがある、と。

だから、
これから少しずつ、
料理を習っていく。

やっぱり料理を
自分の物質的土台とする。

今まで、
芸術もしたいなって
思ってたけど、
その願いも同時に叶うことになる。 (2020年04月02日 22時37分42秒)

完全に繋がった。   もうり さん
完全に
天と地を明確に
結びつける方法わかってしまった。

天の飲み物(叡智)に
天の食べ物(愛)に
対して
調理(力)をやれば、
完全に自分の霊性を
物質と結びつけることになるはずだ。

今度こそ、
ぶれることはないはずだ。
調理をやろう。
私の場合は、
実学と芸術が
こうして一体となった。 (2020年04月02日 23時22分45秒)

禅宗唯物論を止めろ   もうり さん
なんか、
日本の禅宗が
考えを放棄する
道でもあって、
それゆえに
考えなど無駄だという
考えにとらわれており、
お釈迦様って仏教聖典では
「よく考えるだけで悟れる」
って言ってなかったかということを
忘れ去っている。

しかも、
様々な自称禅宗的ブッダは
思考をエレメンタルという
目に見えない生き物だと見ず、
単に記号だという、
思考を放棄する故の
物凄い唯物論的な
素朴な思考に陥っており、
とにかくいいたいことは、
思考放棄する道、立場を
絶対視するな、ですね。

繰り返すが、
お釈迦様は
よく考えることで
悟れるとも言ってもおります。
禅宗を絶対視することは、
禅宗特有の思考なんでしょうか。

つまるところ、
禅宗がいう、
「思考は無駄」も
その道を歩もうとする人の
迷いを断つための思考だと
思いますね。

仏教聖典を確認してみれば、
どこかでよく考えるだけで
悟れる、と書いてあったはず
ですよ。

結局、
ある種の仏教宗派は
禅宗含め、
我がない、我がないと
いいながら、
その裏では自分が
一番と自我を剥き出しに
していますよね。

ちなみに私の立場は
完全なる宗教とは
眼鏡と同じで
それぞれの魂にとって
異なる、という立場であり、
神仏が人の上に立とうとも、
各種教義はそれぞれの
魂に応じた道具に過ぎない、
という立場ですね。

たぶん、
なんで今までの
宗教が自分を
絶対視するかというと、
大衆は白黒はっきりさせたいから
だと思います。
(2020年04月03日 05時17分23秒)

思考せよ   もうり さん
私は思考する。
浮かんできた
諸々の想念の全てを
叡智と結びつける。
禅宗はただ
想念や叡智への過剰な執着に
苦しんでる人用の
薬に過ぎない。

どの宗教、
どの仏教がよいかという
点は、
自分の苦しみの原因を
理解することや
自分の特質の理解から
始まるのだろう。 (2020年04月03日 05時29分10秒)

主客の一致   もうり さん
主客一致の
方法は二つある。
智慧か、
あるいは慈悲だ。

仏壇に食べ物とか
捧げものがある。
そうしてお経を唱える。
これはカルマの法則を
利用して仏様に来ていただこうと
の意図ととる。

キリスト教では、
礼拝もそうである。

要は、
個人が霊的言葉を
永続的に他者に捧げ続けて、
さらに物質的作品をも
他者に捧げ続けるならば、
神様はどんどん近づいてくる
であろう。
(2020年04月03日 17時04分11秒)

仏教の視点とキリスト教の視点   もうり さん
仏教というか、
密教の結縁灌頂と
キリスト教の
洗礼は
前者は智慧の水を
かけるという意味だが、
後者は悔い改めという意味をも
持つようであるが、
これってひょっとしたら
智慧を、もっと実践的に
言い換えると
悔い改めになるんじゃね?
という直感を持つ。 (2020年04月04日 23時46分37秒)

宗教の正しい利用方法   もうり さん
宗教とは
避けられない苦しみに
対して有効に作用する
薬、であり、
そうなる前の
薬が理系や
世俗的文系学問やと
思います。

例えば、
そもそも肉体に執着してなければ
まあ人はいつか死ぬんやから
この殺意ある人間に
実際殺されても
別にかまへんってなって
争うことがない。

肉体に執着のない人は
争うことがないんです。
でも、これは最終的な
対処法であり、
それに対してそう
なる前に世俗のターンなんですね。

で、宗教がない人は
コロナとかで
いちいちパニクるという
わけですよね。
でも面白くて、
世俗の人、宗教否定して
起きながら、
唯物論を徹底することも
ないんで、
死ぬのを怖がるんですよ。
なぜなら唯物論が真実ならば
ドストエフスキーが
言うように、
何をやっても許されるし、
そもそも生きてなどいない、
全ては元々死んでいる、
という考えになるはずですからね。 (2020年04月05日 16時23分06秒)

子孫繁栄意味がない。   もうり さん
いつか死ぬのに
自分から
争うことは無意味だ。
いつか地球は滅ぶのだから、
子孫繁栄にがつがつ
するのも無意味だ。
なのになんで、
日本はいつまでも
続かないといけないだとか
ある大企業はいつまでも続かないと
いけないと、
組織レベルで存続に
執着するのか、
といっても、
それが世間の生き方、
視点であり、
根本的治療法(宗教)
が必要になる前の
治療を提供する役割なんだから
別に馬鹿にはせえへんけどね。

ただ、
これでわかったと思いますが、
宗教家はコロナを恐れず
集会に参加することができ、
宗教家はコロナを恐れずに
コロナの現場に助けるために
突入できる、
というわけですよ。
ここに、
「宗教家の自由と実益」が
あるわけであります。

言ったでしょ、
宗教とは、そもそも
弱い人たちだけのものではなく、
さらに強くなるためにも
あるのだと。 (2020年04月05日 16時33分19秒)

希望に疲れた   もうり さん
もう未来への
希望に疲れた。
過去に縛られることは
なくなったけどね。 

夢に生きることは
疲労だ。
もう未来は
キリストのいる浄土に
行くことが決定している
キリスト一来果ではないか、
何をこれ以上、未来について
望むべくことがあろうか。

調理も結局、
学ぶことをやめるが、
思想の一部となったので
よかったということにしよう。

調理はそもそも、
理系に疎いので、
深くまでいけないし、
合気道も深くまではいけない。

後は人間関係やるだけの
余生だよ…。

もう未来に生きるのに
疲れたんだ。 (2020年04月05日 20時20分13秒)

科学的人間像   もうり さん
科学的方法で
理解する人間像は、
一般論にしかならないなら、
それは人間ではなく
人間の中の動物性しか
理解できないであろうと
思うよ。

科学は一般論なのだが、
それを心に適用すると、
残念ながら人間を
人間たらしめるものー
すなわち自我は理解できない
であろう。 (2020年04月05日 21時30分25秒)

大層な倫理観   もうり さん
大層な倫理観を
お持ちの方々へ。
私は、
私の実践によって、
一人の人を救えましたよ。
その人は
私のおかげで救われたとも
証言していますよ。
で、
大層な倫理学の研鑽を
するのはいいのですが
人を救ったことは
あるのでしょうか。
私はどちらかというと、
その人の心を救ったようですね。
物質面ではなく。 (2020年04月05日 22時08分27秒)

軽く人助け   もうり さん
人の心を
救ったことが
あると言いましたが、
なんか、
普通に今まで考えて
いたことなどの話をしていたら
いつの間にか救われてましたね。

人の心を救うのに、
別に義憤も
情熱も無用なようですよ。
情熱というか、
考え続けることの
エネルギーは必要だったんだけど、
人の心を救うのに、
別に「力む」必要はない、
ということですよ。

義憤とは若さの象徴のように
感じますね。
義憤がなくても
この通り、他者を
救うことはできました。

自分で言うのも
なんだけど、
チャラ男と
真面目君が
自分の中で調和してるっぽい。

だから、
チャラ男も
真面目君も
互いに憎みあうことは、
ないと思いますよ。
(2020年04月06日 16時03分12秒)

チャラ男の哲学   もうり さん
チャラ男は
ルシファー的であり、
真面目君は
アーリマン的である、
と思いますよ。

余談であるが、
イスラム教が
太陽ロゴスの内の
自我ではなく
心に、相当する、という
位置付けは、
ムスリムの意味が
「帰依」であることからも
納得がいく。
そうして、
これにより、
イスラム教が、
一体何を目的としているのかも
わかる。
それは、存在する神直々に
与えられる如意宝珠、
であろう。
つまり、「永遠の心」。
キリスト教が新しいとしたら、
それは「永遠の自我」。
ユダヤ教の場合は
「永遠の命」。
自分の場合、
特にこれが足りないので、
十戒を再び考えてみる
必要に駆られる。 (2020年04月06日 16時13分14秒)

永遠の命を得る方法   もうり さん
聖書を読むことで、
永遠の命を得る方法を
確信した。
キリストに対して、
善い先生、
永遠の命を得るには
どうしたらよいのでしょうか?
という問があったのを
思い出そう。
そこでは、
「殺すな盗むな、姦淫するな、
父母を敬え、隣人を自分のように
愛せよ」と語られた後に、
「完全になる」ための方法として、
持ち物を全て売り払って、
貧しい者のために施せと
語っていただろう。
以上はつまるところ、
人間の命に関する徳目を
示しており、
完全になるためには
命の危機に瀕しているというか、
死に近い人間の命のために
なることをすることにより、
カルマの法則によって
天の富、つまり(永遠の命)を
獲得できるってことだろう。
天の富とは天の自我とか
天の心も含むもの。

(2020年04月06日 17時30分02秒)

仏教からキリスト教へ   もうり さん
仏教から
キリスト教へ。

仏教は
空の思想によって、
有るのでもないのでもない、
となった。
つまり、
ここから少し飛躍するが、
空により、
この世界はなんでもできる、
という性質となる。
それゆえに、
初期仏教ではなんでも
無いことになっていたが、
むしろキリスト教では、
自我を永遠たらしめ、
心を永遠たらしめ、
生命を永遠たらしめ、
肉体を永遠たらしめられる、と。

むしろ肉体や
生命を永遠たらしめること
によって満足に至り、
無限に有ることによって、
煩悩が滅される、と。

だから、
仏教は古いんですね。

私が見いだした道は
次のとおり。
あらゆる叡智を考えることで、
永遠の自我が与えられ、
あらゆる人に仕えることで
永遠の心が与えられ、
命を捧げることで
永遠の命が与えられ、
これらを全部与えることで
永遠の肉体が与えられる、と。 (2020年04月06日 19時34分03秒)

主意主義者には理解できないこと。   もうり さん
主意主義者には
理解できないことであろうが
神は「正しい」存在であるが
故に基準を満たせば
恩寵を与えてくれる。
そうして次は私の
格言だが、
「善人に報いるは神の義務」
ではなかろうか?
主意主義者は
ランダムな行為をする
アホが神だと思っているが。

また、
これは別に取引では
ないんですよ。
我々が「真に」神の似姿に
なることによって
神の家族になるというだけですよな。

言い換えるならば、
取引だとしたら、
そこにその人の人格は
無関係になる。
取引が成立した後、
その儲けた金で
買 春するかもしれない。

しかし、
神の恩寵、という場合は
そうではない。
もはや善行が人格の一部に
なっているから、
神の共同体に迎えられる、
というだけなのだ。
わかりますかね。

これは神との取引というよりも
「永遠の結婚」なんですよ。 (2020年04月06日 20時21分31秒)

取引と結婚の違いの納得解   もうり さん
取引と
結婚の違いの
納得解に至った。
つまり、
命を捧げたり、
人々に仕えたりすると、
それゆえに
神の世界に相応しいものと
みなされて、
神の属性が付与される、
というだけですな。
これは取引というよりも、
なんといえばいいかな、
神と似た性質を持ったものに
対する当然の報いだろう。
こうして神は、
それらの人々を天に引き上げる
わけですよな。
スピリチュアル的に
言い換えると、
生き方が神的になっていくと
本当に神の属性に至る、
というだけだろう。

(2020年04月06日 20時32分59秒)

意味のある生   もうり さん
さて、
我々は意味のある生を
歩むので、
コロナにもめげずに
礼拝に参加しなくてはな。
もうすぐ、
コロナ騒ぎがありつつも
我々は洗礼を受ける手筈を
整えているしな。

人生が神などなく、
無意味だって、
人々、全く一貫性がなくて
困る。
だったら命も無意味なんだから、
我々が礼拝に参加しようが
邪魔する理由はないはずだがね?

しかし我々は
命よりも神を優先する、
というだけ。

生き方を病気より大事に
すべきでないと、
それは自我と命を
転倒して見ることになる。
命より自我を優先すべきなので
そもそもコロナとかに
関係なく、自分の生き方を
全うすべき。

(2020年04月06日 20時50分45秒)

ペニ スに屈した自我   もうり さん
言うなれば、
生命を生 殖に代表させる
ならば自分の目的よりも
命を優先させる強者たちは
強者を名乗る資格がない。
なぜなら彼らは
ペニスに屈した自我だからだ。
彼らはペニスが頭であり、
自我が股間にある人々。

しかし自分を強者と
思わない人たちを
責めようとは思わない。
さんざん強者ムーヴしておいて、
今回のことで、
自我よりペニスを優先させて
自分とは違う人々を
自分のおもいどうりに
ならないと、
自分たちと同じように
股間を自我にしない人々に
怒っている自称強者の
人々に言っている。

ほら、
私自身、
別にコロナで自粛しない
人々に対して
怒ってないでしょ。
でも、
自称強者たち、
ほんと毎日のように、
おもいどうりにならないって
怒ってばかりですよね。
弱者では。 (2020年04月06日 20時58分19秒)

真理よりペニ ス   もうり さん
予想がつくが、
おそらく科学者とか
アカデミアの中にも、
真理よりもペニスを
優先させる高給取が
欧米とかだと
紛れているだろうと思うよ (2020年04月06日 21時07分40秒)

俺の世界観が唯一正しい人々   もうり さん
他人に
自分の世界観を
押し付ける、
という行為を
直接ではないにしても
やる人々がいる。

例えば無神論者には
無神論者の考え方があり、
人智学には人智学の考え方が
あるのに、
「無神論が正しいのに
宗教家はコロナ自粛しない」
てな感じで、
自分の世界観を世界全体にまで
勝手に拡張して、
おもいどうりにならないと
勝手に怒ってる人々がいる。
(2020年04月06日 21時14分04秒)

無神論はペニス   もうり さん
宗教は阿片だとしても、
無神論はペニスなんですよ。

あと、
よく世の中が
おもいどうりにならない
ことに怒ってらっしゃる
人々がいますが、
例えば書斎にたまりにたまった
本を寄贈されては
どうでしょうか?
私なんかは、
寄贈しなければ
部屋一杯になるほどだったけど
ほぼ寄贈してありますよ。

もう三年くらいは
月に何回か、
出会う日は
生活保護者に
朝飯を毎回
奢ったりもしてますよ。

こないだ購入した
ウパニシャッドも
既に寄贈しましたよ。

でも私は月給二十万も
ないですよ。

そんで最近は
ある人の心を救うことが
できましたよ。

で、世の中に
怒ってらっしゃる人々は、
たぶんエリートですので、
年収も私より何倍もあるかと
思いますが、「割合的」に
私ほどの実践できてますか?

私は人間からは、
なんの見返りも取ってないですよ。 (2020年04月06日 21時42分16秒)

ペニスによる迫害   もうり さん
そうして、
ペニスより自我を
優先する正しい人間が
ペニス集団に迫害されるかも
しれない、という
未来が見えてしまった。

たぶん、
このコロナの件で
洞察できたことなんですが、
人々の命が危うくなると、
そのようなペニス重視の
生き方をしない宗教者たちは
迫害されてしまい、
聖書が暗示していたこと、
つまり肉による人々は
霊による人々を迫害するという
ことが実現するのでは?
ってことですよね。

でもそこは
キリストが、
私のために迫害された
人々には天に大いなる吉報がある
と語っているので、
ムスリムのみなさんや、
ユダヤ教のみなさんや、
キリスト者のみなさん、
やっていきましょう。 (2020年04月06日 22時41分55秒)

エーテル明視力を得る方法   もうり さん
そうして、
エーテル明視力を
得る方法は
上記の通りで、
キリストの血、
キリストの肉、
キリストの衣、を
得た最後に、
キリストの顕現によって、
おそらくエーテル明視力が
開くだろう、と
思います。 (2020年04月06日 22時50分00秒)

密教との整合性   もうり さん
密教と
キリストの血などの
整合性を取る必要がある。

大円鏡智は
キリストの肉だけれども
平等性智は
そこから展開する
愛であり、
妙観察智は
キリストの血である。
このキリストの血が
実践に入ると
成所作智となる。
宝どう如来で
キリストの肉、
開敷華王如来で
そこから展開する愛で、
無量寿如来で
キリストの血、
天鼓雷音如来で
言葉の力、すなわち
金剛牙菩薩となる。

キリストの血が
実践に入り
成所作智となると、
それは言葉の力としての
金剛牙菩薩となり、
それは、智の力、である。
しかし、
さらにこれら諸々の
智を徳に変化させた時、
それは金剛業菩薩となる。
つまり、金剛業菩薩
(成所作智)が
自我となり、
善いことを選ぶ、という
意志となる。
それが大円鏡智に再び舞い戻って、
博愛となり、
平等性智では隣人愛となり、
妙観察智では愛しあう、となり、
再び成所作智に戻ったら、
精神的贈与も物質的贈与も
こなす、全面贈与者となる。

大円鏡智が肉体、
平等性智が生命、
妙観察智が心、
成所作智が自我と
見立てていたが、
金剛業菩薩の視点から
見ると、
成所作智(自我)から
再び大円鏡智に舞い戻った
時、
大円鏡智は心、
平等性智は生命、
妙観察智は肉体、
成所作智は自然、となる。

イスラム教は
心情は大円鏡智だが、
教義は妙観察智である。

こうして智から徳へと
至り、その徳が
身につけばそれは
鎧、すなわち金剛護菩薩となる。

こうして、
仏教密教と
自分の新しい思想との整合性は
取れたわけであるが
ここで、
仏教密教のおかげで、
新たな思想の展開を見せる。
すなわち、
智から徳へ、は
金剛護菩薩まで含む言葉でしかない。

ということは、
一体、金剛拳菩薩とは
なんであろうか、
ということである。
これがわかれば、
私は徳のその先を発見した
ことになる。

キリスト教は
信と徳によって、
永遠の命や
永遠の心を
得ようとする、
金剛業菩薩と
金剛護菩薩の段階だと
理解するが、
だが、
一体金剛拳菩薩とは
何かという問題。 (2020年04月07日 00時30分17秒)

智→慈悲→力   もうり さん
智から徳へという
シュタイナーの考えを
発展させて、
私は
智から慈悲、
慈悲から力へ、と語る。
すなわち、
各種五智に達した後、
各種五徳に達した後、
最終的には各種
五力に至るのである。

説明しよう。

人間が、
永遠の自我や
永遠の心、
永遠の生命、
そして永遠の肉体に
もしも至れたならば、
彼は全身が天に属する
ものとなっている。
すなわち、
彼は宇宙と繋がっている。
すなわち、
彼の行為はすぐさま
宇宙化し、
巨大なシンクロニシティを
引き起こすであろう。
つまり、
彼は慈悲を完成させた
段階で、
「力」へと至っており、
それゆえ、
軽妙なる印相の身振りによって
宇宙全体を安全に
動かすことができるはず、
なんである。
言い換えると、
これにより、
衆生を導くことができるはずだ。

しかし、
その前に、
五徳を完成させないと
印相にも効果はでない。

それゆえに、
面白い話であるが、
そもそも政治家とか、
君主は形式に過ぎない。
宇宙に完全に繋がった人間は、
もはやそれだけで
隠れたる王である。 (2020年04月07日 00時53分53秒)

智と徳と力の関係   もうり さん
智と徳と力の関係について。
智は、下から上へ。
(御名が崇められんことを)
徳は上から下へ。
(御国が来たらんことを)
力はその中間地点。
(御心が天で行われるように、
地でも行われんことを)。

だから、
今、力に関して
やれることは、
与願印と
触地印を
暇な時にやり続けること。
なぜなら
それらが自分に足りない
智と徳を得さしめることに
なるから、である。
あるいは宇宙的に
見ればそれをすることによって
宇宙というか
社会と自分とのバランスが
取れるだろうってこと。 (2020年04月07日 03時36分52秒)

力と印契   もうり さん
智と徳と力(印契)
である。 (2020年04月07日 03時38分36秒)

細かい説明   もうり さん
細かい説明をすると
五智五徳が
完成したら
宇宙を動かす意味での
五力も、
経路が十全なので
よく発揮されると思うけど
一つ一つの印契でも
やっぱり効果はあるだろうとは
思う。
なぜなら、
私の行為によるシンクロニシティが
よく起こるからである。
例えば私が特定のものを
買えばそれがすぐに
売り切れる、という現象などがある。他の似た商品もあるというのに、である。

苦労をした人は優しくなる、
というか、
それは受けたその人の心次第で
あり、
苦労を優しさに変えられる心の
人はより優しくなれるが、
そうじゃない人はそうならない、
というだけだと思う。
要するにその人の心次第。
私は長年いじめを
受けてきたが、
笑顔とか純粋さに
癒される、などと言われる。 (2020年04月07日 05時47分05秒)

五智五徳の機能   もうり さん
五智
(御名が崇められんことを)
の機能は
悪よりお救いください
(キリストの血)と
試みにあわせないでください
(キリストの肉)
五徳
(御国が来たらんことを)
の機能は
我らへの負債と罪を
我らが赦すように
我らの負債と罪をも
赦したまえ(キリストの衣)と
日用の糧を毎日ください
(キリストの顕現)
だろう。 (2020年04月07日 05時54分26秒)

怒るな=批判するなではない   もうり さん
なんというか、
職業軍人を
見習ってもらいたい。
まあ
イメージでしかないけど、
彼らは仕事に私情を挟まない。

怒るなというのは
それが無益なエネルギーだからだ。
怒りがなくても、
職業軍人のように
批判すればいいだけでは
というのを想定しています。
なんで、そこに
わざわざ感情をのっける
必要があるのかと
言いたいだけですね。
怒りなしで批判したらいい。

そうしないと
認識が歪むことになるだろう。
それでは
正しいことは持続しないだろう。
(2020年04月07日 06時16分23秒)

お前が事実を決めるな   もうり さん
科学サイドの
「俺のみが事実だ」
って態度がきにくわねえ。
そーゆーやつらに
限って、
おそらく人智学の
唯物論批判を
録に読んでないだろう。
科学サイドは
凡庸な人間のみ認めるって
感じだから許せねえ。
おめーらに到達不能な
事実があるってこと、
いい加減認めようよ?

事実は重なってるんですよ。
だから一見物がすべてに
見えるだけですよ。
でももう一つの事実も
あるんですよ。

コロナ、
自然の復讐かもしれんな。
自然を滅ぼせば人間も
滅ぶし人間を滅ぼしても
自然は滅ぶ。 (2020年04月08日 08時52分25秒)

日本の若者の未来、明るいのでは   もうり さん
日本の
若者の未来、
たぶん明るい。
日本の若者は
生活に怒ってないが
欧米の若者は怒ってる。
どういうことかというと、
もしかしたら
欧米の若者たちは
結局、上澄みの凡俗な
エリートたちのような待遇が自分たちにはないことに
怒っているから、
この若者が歳とって
地位が高まると、
結局、まーたその時期の
若者たちは怒る、
という連鎖を繰り返すと
思うが、
日本の若者は、
なんか少欲っぽいんで、
地位が高まっても
贅沢な暮らしに執着せず
地位が高まっても分配してくれそうなんで。
まー、
日本の場合、
欲望が薄い代わりに
地位も高くならない
可能性も高いだろうけど (2020年04月08日 12時44分26秒)

一人前の童貞   もうり さん
結婚して
一人前って言うけど、
あれ嘘だって実証してしまった。
童貞卒にも
性にもそんなに関心のない
自分は、
性被害の記憶に苦しんでいる
一人の女性の癒やしというか
救いになっているし、
そのように証言してくれた。
もちろん、何の下心もない。
それで、
もしかしたらその女性を、
さらに救えるかもしれない。
ある約束をしたので。

だから、もしも
他者や社会に貢献できることが
一人前なのだとしたら
私は童貞でも一人前。

だから、
私は心から、
性に関心がなくて
良かったと思う。
なぜなら、
新しい生き方を開拓したから。
結婚して貢献する生き方は
代わりがいますからね。

あと、なんで
この世に苦しみや
不幸、悪があるのかというと、
それは一見無駄に見えて、
そもそも我々は
この世にそれらがなければ
苦しみや悪に対して永久に
無知だっただろう、ということですよ。

だから、
苦労苦しみ不幸にも意味はある。
それゆえに、
ブッダの八正道は、
正しいんですね。 (2020年04月08日 18時54分51秒)

国民は職業軍人を見習うべき   もうり さん
怒りを批判した人を
冷笑系だと怒って
国民たちが炎上させているが、
どうやら
国民は怒りと戦いを
分離できないらしい。
職業軍人は
怒りながら戦っているだろうか?
また、
スナイパーは
怒りながらやれば、
精度は高まると
思いますかね。
(2020年04月08日 21時45分01秒)

日曜日も働く   もうり さん
土曜日に、
友達の仕事を
ボランティアで
手伝って
日曜日に
貧乏農家の仕事を
ボランティアで
手伝うことにした。

礼拝は
この隣人愛自体を
神への捧げ物とする。

特に、
日曜日は
お金があまりない人への
手伝いなんで
これは白い衣を得るための
作業でもあります。

前回の土曜日は、
実際にボランティアを
実行しました。 (2020年04月09日 00時03分27秒)

結婚は実践の足枷   もうり さん
完全に、
結婚は実践の
足枷やなあ。
結婚しないからこそ、
余った時間を
貧乏な人のために
使うことができる。

あと、
良いことは、
遂に物質的な事柄ですら
無償の奉仕ができそうなこと。
俺に従えというつもりは
ないけど、
言葉も物質(ボランティア)も
無償で奉仕できる
環境が整いつつある。

だから、
結局、
行為範囲が広いという
意味で自由なのは
普通の労働者ではなかろうか。

なんか、
稼ぐ源泉を
普通の労働にすることで
言葉も物も無償で
差し出せられるように
なりつつある。
言葉の無償贈与とは
ここでのコメントのことですが。

自由だなあ。

なんだろう、
noteで稼ぐ必要ある人ら
言葉すら売らないと
生きていけないのか。
でも、プロ奢られヤーは
最近社会還元したんで
好感度上がったけど。 (2020年04月09日 00時59分44秒)

霊と水   もうり さん
霊とは、
もともと「風」という
意味があるが、
つまりアストラル体に
対応するのだろう。
そうして、アストラル体は、
愛でもあり、
愛とはキリストの体、である。
つまり御霊体験とは
キリストの肉。

そうして「水」とは
キリストの血のこと、
つまり火と聖霊による
洗礼のことだと思う。
血は自我に対応する。

つまり、
私はわざわざ
教会で洗礼を受けずとも、
既に霊と水とによって
生まれているので、
教会に通う必要はない、
とわかった。
つまり、
私は既にキリストを
着ている。

あとは
貧乏なものを助ける
ことによって
白い衣を着ることを狙う。 (2020年04月09日 08時00分52秒)

霊と水   もうり さん
霊と水から
生まれないと
天の国に入ることは
ないみたいな話があったけど、
どうも、その条件を
クリヤーしたっぽい。

あとは貧乏なものを
助けて天から白い衣、
(永遠の命)を買い、
言葉と物を同時に授けて
キリストに顕現してもらい
それによりエーテル明視力を
得る。
王冠が永遠の自我
(キリストの血)
で左と右が構成要素で
美が永遠の心(キリストの肉)で、
左と右が構成要素で
基盤が永遠の命(体の輝き)で
左が白い衣、右がキリストの衣、
を示す。 (2020年04月09日 08時26分53秒)

基盤とは。   もうり さん
あー、
自分なりの
クリスチャンカバラ、
できてきた。
王冠がキリストの血、
美がキリストの肉、
そして基盤は
「神殿」であり、
それは白い衣とキリストの衣、
よりなる。

王国、とは
キリストの顕現。
キリストの顕現のためには
気のあうものと
言葉と物を
分かち合うとよい。 (2020年04月09日 08時50分31秒)

結局礼拝には参加しない。   もうり さん
日曜日に
ボランティアするので、
結局礼拝には
参加しないことにした。

このボランティアも
外に出て行かざるをえない
人を助けるので、
命のためと言える。
(2020年04月10日 12時31分58秒)

女性への警告   もうり さん
女性に警告しておくけど、
あなたがた女性の裸を撮りたがる
男性と付き合うのは
止めといたほうがいいよ。

(2020年04月10日 17時16分28秒)

草の根宗教社会主義   もうり さん
草の根宗教社会主義に
生きる。

本当に地上の金には
関心がないので、
ある人といっしょに
作品を作ることになったのだが、
自分の分の利益は
全てその人に譲ることにした。

その代わりに、
「天の富」は自分のものです。
ちなみに、
私は給料二十万もない。
これで、
もしも私が給料三十万とか
だったら、
たぶんガチで毎月十万ずつとか
図書館や孤児院とか
保育園に寄付できるほどの
自在さを発揮できただろうとは
思う。
これが自由ということですよ、
資本主義社会に
浸かってる人には
理解されないでしょうが。
私はその世界には
生きてない。

金を一千万とか
貯めてなんになる。
死ねば全て無駄になる。
それよりも永遠の命を
神から買ったほうが、
結局死後も
引き継げるし、
しかも無限を得ることになります。
これが宗教の自在さ、
自由さですよ。

仲間はこれから
ふえていきますよ。
(2020年04月10日 18時12分55秒)

借金一千万   もうり さん
ちなみに
借金一千万あるけど、
全く不安を
感じませんね。
別に高給取りでもないのにね。
借金一千万なのにも
関わらず、
こうして
無償で言葉を捧げつつ、
無償で図書館に、
ハードカバーを含む、
百冊以上の本を寄贈しつつ
無償で農家や友達の
仕事の手伝いをしつつ、
ある人との作品作りでも
利益は全部譲る。
ある人の心も
救うことができた。
資本主義社会には
属さない生き方、
着々と進行中ですね。

来世に所属する
共同体がまじで
楽しみですね。
おそらく、
来世こそ、
まさに、
クリスチャンカバラの
最終段階である、
キリストの顕現の
実現が「保証された」
生を受けるでしょうね。
なぜなら私を無償で
愛してくれる
人々に囲まれた生を
受けることになるからです。
そうして私も
周りの人たちを愛するので、
こうして愛しあう実践が
毎日包括的に行われる生活を
送ることになるので、
キリストが出現するはずだろう。

なんかしらんけど、
無償の贈与を実施する
度に心が強くなっている
気がする。 (2020年04月10日 18時30分54秒)

新生活論と覚悟   もうり さん
新生活論。

霊主体従というと、
曖昧。
具体的に言うと
生活設計を、
命だけでなく
心を支えるためにも
構築すること。
文系の意味は、
プラグマティックには
たぶん心のためにあると
言えそう。

覚悟について。
私はコロナも
借金も怖くなく、
物質面でも言葉の面でも
商売の面でも
無償で贈与できるのだが、
さらに、
今の内に、
自分が童貞であることに
対する世間の反応、
金がないことに対する
世間の反応、
統合失調症であることに
対する世間の反応、
能力が高くないことに
対する世間の反応など、
もろもろの世間からの
誹りのリスクも、
今の内に覚悟しとくし、
なおかつ、それが怖くない。
しかし、
身体と心はつながっているので、
身体面が悪すぎても、
たぶんこの覚悟は揺るぐだろう。
だから、命のための、
身のための健康のための
生活設計が大事なのであるが、
それと同時に、
さらに心のための生活設計とは
何かをも考えておくのは
物凄く役立つであろう。

私は、今まで、
上(心)からのアプローチで、
このように生活設計に
至り、クリスチャンカバラ(神殿の部分)に
至るほどまで下ってきたし、
上からのアプローチによって
心を強めてきたが、
今度は下からのアプローチで
心を強めていく、という
ことも考えていきたい。
(2020年04月10日 19時46分17秒)

美的生活   もうり さん
心と命の
中間とは美だとするなら、
霊主体従の
生活とは
美的生活のことだろう。
これが、
下からのアプローチの
目的。

ちょっと無理そうだけど、
美的生活について、
さらに考えてゆこう。

私はもともと、
能力は高くないんで、
服すら綺麗に畳めないので
下からのアプローチは
考えることしかできなそうやなと。 (2020年04月10日 20時01分52秒)

コロナについて   もうり さん
コロナ、
たぶん私が
天の理念を
地上の理念と
接合したことによって
生まれた新しい自然存在の
一種ではないかと
勝手に思っています。

ああ、
そうして、
密教の話に戻るんだけど、
行為における、
理念とは印契なんだな。
つまり、
印契ー自我ー成所作智ーイデア
博愛ー心ー大円鏡智ー空
隣人愛ー生命ー平等性智ー諸行無常
愛しあうー身体ー妙観察智ー諸法無我

こうして、
道徳的実践も
天と地を接合した。

次は、
美的生活を考えていきたい。 (2020年04月10日 20時29分09秒)

美的生活論   もうり さん
美的生活論

朝は読書か思索。
「主の祈り」や「詩編」を
読む。朝食。
昼は労働。
夕は夕飯作りや、
風呂、家事、整理整頓。
そうして時間が
余れば形として表された
芸術作品を堪能する。
夜は睡眠。 (2020年04月10日 21時08分53秒)

救いの手段は多いほうがいい論   もうり さん
救いの
手段は多いほうがいいという
考察。

エ ロ本やアダ ルトビデオで
救われる人がいるなら、
何事にも限度はあるにしても
その人の救いの手段を
奪うべきではない、という
話をする。

例えばエ ロ本を
フェミニストが否定して
自粛させるよりは、
そもそもフェミニストは
フェミニストにとっての
救いを見つけ出して、
それを享受すればいいだけ
なのでは、と。

自分に救いの何かが
ないからといって、
他人の救いの手段を
否定することは、
ないのではなかろうか。
もしそれをしたら、
万が一、自分にとっての
救いの何かを見つけ出した
としても、
それが手には入らない環境に
なっても何も言えなくなるのでは、
という話。

他人の好きなものを
否定するよりも、
ただ自分の好きなものを
見つければいいだけでは、と。

明確に言い難いから困る。
他人の何かを否定するなら、
自分の何かも否定されて
いいことになる。
でも自分の好きなことを
肯定するなら、
他人の好きなことも
肯定すべきだろう、
という話かもしれない。

否定するより、
単に否定したいものは
他人にとっての
かけがえのないものなのかも
しれない、
他人にとっての救いなのかも
しれない、と思って、
それぞれの世界に
生きればいいだけなのでは、
というか。

粗雑な思考の人たちが
多すぎる。
果たして、
自分の思考、価値観に基づいて
他人をジャッジすることは、
自由主義的であろうか?
例えば私としては、
ネトウヨが国家と一体化してると
批判されがちだが、
それはあなたがたのジャッジで
あって、それで救われているなら、
もうそれでいいのではと
プラグマティックに考える。

宗教に置き換えると
わかりやすい。
ムスリムにはムスリムの
考え方がある。
それなのに無理やり
クリスチャンに改修させるのは
人道的ではないだろう?

宗教でこうなのに、
自分の価値観、
世界観で他人をジャッジする
粗雑な思考の人間が多いこと。

完全性も救いも人それぞれという
考え方ですね。

いいじゃん、
日本が好きなら好きで。
日本や天皇を愛するなら、
それでいいじゃん。
天皇で救われる人がいるなら、
その救われた人を、
私は否定しません。
なぜならば、
その人にとっては
他の価値観では
救いにならなかったから、
天皇だったとも考えられるからです。

西欧人、そもそも個人主義者
ではないとわかってきた。
個人主義者であるならば、
そもそも考え方、価値観も、
他人自身に即して考えるべきなのに、なぜか自分と同じ価値観で
覇権を握ろうとしてくる感じだな。

「未熟な個人主義」が
西欧の正体だ。
ルドルフシュタイナーは
例外であるが。 (2020年04月10日 21時52分29秒)

君たち本当に左翼?   もうり さん
君たち本当に左翼という
タイトルですが、
左翼の定義は市民なので
曖昧です。

取りあえず、
自分がもしも左翼を自認する
のであれば、仕事自粛期間中が
もしも入ったら、
外に出て働かざるをえない
人の仕事のボランティアなどを
しにいきますね。

まあ私は今も働かざるを
えない身なので
土曜日と日曜日にしか
ボランティアできないんですが。
しかも実際、明日、
ボランティアに行くし。

左翼の方々に
言いたいのですが、
命をかけて革命できるならば、
今も命をかけて、
自粛期間中を利用して、
自粛できない人たちの
応援に行ったりできますよ?

なんで自宅警備員してるんすか?

(2020年04月10日 23時09分57秒)

君たち本当に強者?   もうり さん
君たち本当に強者?
というタイトルですが、
市民なので定義は
曖昧です。
しかし、
ルルーシュっぽいのですが、
撃っていいのは
撃たれる覚悟のある奴だけだって、
たぶんあながち間違ってないと
思ってて、
他人をいつでも殺 せるから
世間は怖くないって人とか
いるけど、
結局、
死ぬのが怖いことの
裏返しで。
本当の強者って、
そもそも自分が死ぬことすら
怖くない人のことだとおもうんすよね。

このコロナで、
偽強者も明らかになってきたかも
ですね。
(2020年04月10日 23時14分58秒)

慢心も弱さの現れ   もうり さん
こうして
自尊心というか、
慢心も弱さの現れと
理解した。
自分をある立場に
置いて、それを高く
位置づける、と定義してみるが、
それで生き抜ける強さが
美徳だとだけ思っているなら、
それは逆に、
末代であるとか
根絶やしにされるとかについて、
自分の血筋が今まで生き抜いて
来る上で他よりも良い席に
座っておきながら、
いざ自分の血筋が
いずれ末代になってしまうという
ことについて、
耐えられない、という
弱さの裏返しなんで。

生き抜く強さだけが美徳なら
それは末代になってしまうことを
恐れるという弱さの裏返しだと。

自分の子孫繁栄なんて
別にどうでもいいやってのも
それとは裏返しの強さでは? (2020年04月10日 23時32分17秒)

自分の慢心   もうり さん
自分の慢心を
取り除きたい。
慢心が一切ないことこそ
最も強い。
自分の死が怖くなく
他人を殺 す力のある
人間が最も強い。 (2020年04月10日 23時35分08秒)

モテなくて幸福   もうり さん
モテなくていいので
ダサくても構わない。

取りあえず、
あらゆる拘りを
取り去りたい。
いや、あるいは、
言葉、だけでなく、
物に関しても、
拘りをもてるようになりたい。
執着の否定ではなくて、
心を円満になるように
整理するということ。

しかし方法が
わからない。

批判してもいいんですが、
怒りを混ぜると
精度が落ちるって
何度言ってもたぶん
伝わらない。 (2020年04月11日 00時59分47秒)

物質への愛のルート理解   もうり さん
そうして、
遂に、
なんですが、
言葉への愛だけでなく
物質への愛をも
持てるようになる経路を
理解した。
つまり、
数学をやるといい。

数学こそが、
哲学と自然科学との
架け橋となるからだ。

つまり、
哲学で得た洞察力を、
数学に生かすことで、
数学を哲学的に
面白いと感じることに
成功しつつ、
さらに数学を深めていくことで、
数学的観点そのものも、
面白い、と感じるようになり、
最終的に、
自然科学の数学が
好きになって、
つまるところ、
物への愛に至る、
という見込み。

だから、
今やらなければ
ならないことは、
数学である、となった。
広義の数学が理解できなければ
化学数学も理解できない、
そしたら、調理化学も理解できない、
広義の数学が理解できなければ
工学も理解できない、
そしたら、いろいろと
物作りができなくなる。

つまり、
数学ができることによって、
自然科学が好きになっていく
ばかりか、
物作りまで好きになっていける、
という見込み。

数学、やっていくか。
しかし、困った話で、
もう本買う金がない。
だから、
ネットで学んでいこうかと
思います。 (2020年04月11日 01時12分59秒)

方針転換   もうり さん
方針転換、しますね。
日曜日は
数学の日にしよう。

結局、
宗教や哲学だけでなく、
数学も自然科学も工学も
学ばなければ
大きなことはできない。

今まで数学と自然科学と
工学から
逃げてきたぶんだけ、
それによって、
自我的実践とは印相という
発想に至ったから
良かったけどね。

しかし、
これからは
数学と自然科学と工学に、
向き合わなければならぬ。
(2020年04月11日 01時36分42秒)

数学をやるにあたって。   もうり さん
数学をやるにあたって、
事前に考えておきたい。
私は記号が苦手であるが、
そもそも、
なぜ数学は記号を用いるのか、
についての自分なりの考察。
一言で言うならば、
数学とは、本質的に
「関係性」を示すから、
個々の質について
あまり問わないのだと
考えてみる。
あるいは、
記号の内に、
確かに要素として
幾つかの質を含むことが
できるとしても、
それら全てを代表するための
記号があり、
つまり、記号を肉感的に
理解したければ、
たぶん、記号が含む要素についても
よく理解しておけばいいのかも
しれない、と考えてみる。

続いて、「数」についても
考えてみる。
これも、
本質的には関係性のように
思える。
例えば、
りんごが一つ、
さらにもう一つりんごがあります。
合計幾つでしょうか、
という足し算問題があったとして、
答えは勿論、二なのであるが、
この「二」とは要素2つを結びつけて一つにしたものをまとめて、
二と呼んでいる。
つまり、ある意味、
確かに「数とは線的」であり、
数える、とは数えられたものたちを結びつける、という「関係性」を
意味するのだと、私は考える。

一部の数論は、こうして私的には
幾何学とされた。

取りあえず今日はここまでと
しておこう。 (2020年04月11日 02時10分23秒)

数理哲学   もうり さん
たぶん、
自分が今やってることは
数理哲学かなーと
思うのだけど、
先ほどの数の考えが、
幾何学となったが、
今度はこの幾何学は
そのまま関数論となる。

つまり、数えることは、
結びつけることだ、
という足し算引き算から
始まって、
それは線だとなって、
続いて、
関数とは、
つまり
ある値と別の値との
関係性なのであるが、
その関数の中身とは、
「一体どのように、
要素どうしが「結びついて」
いるか」ということであり、
それは結びつける、
という点において、
本質的に数えることとも
幾何学とも同じなのである。

(2020年04月11日 02時23分19秒)

関数論から集合論へ   もうり さん
そして
素人なりに
考えてみると、
記号に含まれる要素、
という考え方とは
つまり集合論で、
集合論は、
全体集合に対する
部分集合などとして、
「集合間の関係性」を示す
ものであり、
関数も、
ある値の集合が
関数によって
それとは別の集合に
「変化する」と
少なくとも私は
イメージする。
このように考えてみると、
自然的にイメージできる。
つまり、
始まりの集合があり、
その集合には、
「関数」という
一種の「法」のようなものがあり、
それによって内部の要素の
組織が変化して、
別の集合となる、
これが集合論のイメージを
付け足した関数イメージですね。 (2020年04月11日 02時35分31秒)

関数論と集合論の「連続」概念   もうり さん
そして、
なんとなく
思ったのは
こうして
始まりの集合があって、
法としての関数によって、
それは別の集合へと
変化する、
というイメージは、
つまるところ、
集合位相論で言うところの、
「連続」概念のイメージと
似ていると私は思うな。
この連続概念は、
私的には数学における、
メタモルフォーゼだと
思っていたが、
こうして自分なりに
関数から幾何学、数論の
流れで結びつくとは
思いませんでしたね。
次は微分と結びつけてみたいですね。 (2020年04月11日 02時45分29秒)

微分積分論   もうり さん
微分積分論は、
関係性における
次元のことで、
点から線、
線から面、
1から2、2から3と
展開していくように、
積分によって「関係性の次元」が
上昇し、微分によって下降するように、私には思えた。
つまり、
関係性自体から生じる
階層性のカテゴリー。

それはつまり、
微分すると、
霊は魂となり、
魂は肉となり、
積分すると、
肉は魂に、
魂は霊となるということ。 (2020年04月11日 03時19分01秒)

調理師目指す。   もうり さん
いや、
普通に調理師目指そう。
調理師目指して基礎を
作った後でこそ、
調理にとって学ぶべき
自然科学や数学が
わかってくるだろうと
見込んで。 (2020年04月11日 04時01分47秒)

ボランティア大成功!   もうり さん
ボランティア、
大成功した感じがある。
そこの職員の方々の
手伝いをして
昼飯を共にし、
夕食をも共にして、
しかも一緒に遊ぶなどして
しまった。

自分は
内向型と外向型という
対立を克服しつつある。
私は根暗でもなく根明でもない。
(2020年04月11日 19時57分41秒)

手足でいいや。   もうり さん
なんか、
調理に
必要な化学のための
応用数学とかに
向き合うって狙いで
基礎として調理師目指しても
よいかなって考えてみたけど、
やっぱり止めておこうと
思う。

自分は、
経済的には、
別に手足、末端でいい。
ブレーンはそもそも
少数でよくないかって
ことでもある。

末端という立場からすると、
工学の知見よりも
工場で働けることが
大切になるし、
公認会計士や
行政書士にならなくても
部分的な会計知識でいいし、
語学も、そこそこ話せたら
それでいいし、

つまり、
残るはプログラミングが
できることが
自分の道かなー、と。
取りあえず別のところで
プログラミング習えないか、
探ってみる。
やっぱり考えなおしましたね。

だから、
やっぱり日曜日も
農業のボランティアが
できないか、
交渉してくる。

(2020年04月11日 20時22分08秒)

今やるべきことは生かすこと。   もうり さん
今やるべきことは
生き残ることだという
人がいるが、
私は違う。
私は、
今やるべきことは
生かすことだと思う。
その実践として
ボランティアする。

生き残るが理念であれば、
家に継続的に引きこもれるだけの
強者が正解となってしまう。
しかもそれは
買い占めをも正解としてしまう。
だから、
私は生きることを
ある意味で軽視する。

女性にありがちだが、
生き残ることに執着しがちで
自分がコロナで死んだ人の
代わりになりたい、とは
思えないらしい。 (2020年04月11日 21時03分25秒)

もともと無神論者でした。   もうり さん
なんか、
信仰は現実に
耐えられない弱い人が
縋るもの、みたいな
印象を大抵の人々が、
無神論の自分自身を
守るために抱いているなあという、
これもまた印象。

私はもともと、
無神論者、
無宗教者でしたよ。
輪廻転生とは
ただ粒子に分解されて
それが流れ去っていくだけの
ことだと
思っていた。

つまり、
私はもともと、
この世に神などいない、
ということに耐えられる
魂を持っているのですが、
神は存在すると
信仰することによって
さらに魂を強くしている
だけなんですよね。

結局、
無神論者は
これ以上強くなれるのに
信仰を弱さに由来すると
考えるという、
ルサンチマンなんですよ。

無神論に
耐えられる魂を
持ちつつ、
信仰を持てばより
強くなれますよ、
なぜなら弱い人さえ
信仰を持てば強くなれるなら、
もともと強い人が
信仰を持つなら当然、
より強くなれるわけですからね。

つまるところ、
宗教は阿片だとしても
無神論はペ ニスだし、
しかも神を信じれない
弱い人たちが陥るものなんですね。 (2020年04月11日 23時17分12秒)

心の階層性   もうり さん
心の階層性という
話ですね。

無神論の魂を土台として、
さらに信仰の魂で武装するといい。

無神論も力だけど
信仰も力だというのも
事実だということに、
気づく人は少ない。
簡単なことなのに、
誰もが自分を守るという
本能に抗えずに、
それによって「他の力」を
退けて自分の弱さを
強さだと歪めてよしと
してしまう。

私は別に頭がいいわけではない
が、
肯定というか
共感の範囲が広いことで、
その罠に人より陥りにくい。 (2020年04月11日 23時24分33秒)

糸井さんとスガシカオさん   もうり さん
リベラル、
いや確かに内心の
自由だから
怒るのも自由なんだけど
怒るってことは
どうしても、
ギスギスした生きにくい社会を
生み出します。

糸井さんやスガシカオさんなどは、
ツイッターでの自分の思いを
述べてるだけで誰宛でも
ないのに、
わざわざ怒る人、
大変ですね。

いちいち怒らないで、
単に別の反対側から見た
視点で呟いてみるとかで
いいだけでは。

なんか、
他人の発言は有害認定
しておいて、
さて、では糸井さんたちを
非難する側の発言は
決して有害ではないと
言い切れるでしょうか?

西欧はポリコレ牢獄に
なってませんかね?

(2020年04月12日 10時54分46秒)

農作業ボランティア   もうり さん
日曜農作業ボランティア、
来週からやることに
決定致しました。

なんか、
不思議なんだけど、
労働者って奴隷だと
思われがちなんだけど
能動的な善意に基づく
仕事は、むしろ自由を感じる。
まあ金貰わないから
労働というより仕事なんだけど。
さて、
働かないことが自由だってのは
自分の中では覆された。
むしろなんでも意志できる
人間、行為範囲の広い人間こそ
自由である。 (2020年04月12日 11時11分21秒)

価値転換   もうり さん
私的には
資本主義的な
価値観が
そもそも誤っていると思うよ。
つまり、
金持ちか
貧乏か、という価値観。

そも、文化を学びつつ
生きていけたらそれでよく、
それ以上の儲けは無駄なんですよ。
これはまた逆張りなんですが、
農民を歴史のない豚呼ばわり
するものたちがいるようなんですが、
結局必要以上に儲けてる
時点で裕福層は資本主義の豚
ですね。

新しい言葉を
作りますが、
肉屋を支持する豚と
言いますが、
その肉屋の経営者も
豚なんですね。
 
反アベ陣営も、
よく日本は貧しく
なったとかいうけど、
貧しいか豊かかという
資本主義で生きている以上、
幸せになれないのではと
個人的には。 (2020年04月12日 18時12分17秒)

カルマで理解するゴルゴタの秘儀   もうり さん
カルマで
普通に
復活が理解できる。

与えるものは
与えられる。
だから自分の肉体を
捧げたものは
肉体が与えられる。
これが復活。

だから、
自分のやるべき実践は、
よりシンプルになった。

これまでの成果を
まとめると、
善い考えを与え考え続けると
天の国が得られる。
従順であれば
(如意宝珠)
が与えられる。
貧乏なもの、
弱いものの命を助けると
永遠の命が与えられる。
そうして、
肉体を捧げて、
物質的な事柄、
儒教的、武士道的、
クシャトリア的、
凡俗なエリート的なものを
全て放棄し、
つまり家も家族も
財産も地位も名誉も
食料も全てを売り払って
弱いものに
捧げるならば、
「永遠の肉体」が
得られる、と。

だから、
やっぱり家族を
持つことは損だ。
白い衣を得た後、
借金を返した後は、
自分の全てを世界に捧げて
餓死する、
という即身成仏を
目指さなくてはならない。

というか、
ようやく即身成仏の
宗教哲学的意味が
わかった。
あれは肉体を捧げることで
天の肉体を得る、という
修行なのだ。

家族はまたしがらみとなって
即身成仏の修行の邪魔に
なるから、
恋愛結婚などしないほうがよい。

結局、童貞であることに、
なんの問題もなかった。 (2020年04月13日 16時30分33秒)

現代仏教説話を創世する。   もうり さん
なんか、
即身成仏のために、
この身を腹を空かせた
動物に捧げようと思う。
白い衣を得た後で。
サバンナとか砂漠で
餓死するのもいいかなと。
なんか、
実践の考え方が
仏教説話レベルに
なってきた。

叡智に裏打ちされた
慈悲、つまり聖人の
考え方に近くなってきた。 (2020年04月13日 17時13分57秒)

性被害で苦しい人へ。   もうり さん
性被害のトラウマで
苦しい人に
私から言えることは
次のとうり。

汚れてしまったと
思う方の場合だけど、
その泥沼から、
そもそも出ることが
できます。
今から清く生きれば
いいだけです。
別の位置の生き方を
すれば当然のように
泥沼から出ることになるので、
次第に汚れは落ちるでしょう。
(2020年04月13日 20時31分25秒)

恥を晒した自称強者   もうり さん
なんつーか、
今まで土方とか
流通とか運搬業、
バスタクシー業を
馬鹿にしてた、
自称知的な人たちというか、
自称高スキル人材たち、
結局、
「社会的重要度」と
「高度な技術や知識を修得している」
ことの区別がつかない
知能弱者だったっぽい。

社会的重要度と
スキルの高さは
必ずしも一致しない。
それが今回の
疫病でわかったことの一つ。

やっぱり人を馬鹿にすると、
後で恥をかくのでは。

(2020年04月13日 20時57分36秒)

考える仏教   もうり さん
禅は考えを
捨てようとする
らしいが、
それは繰り返すが
法執を断つためじゃねと
市民ながらに思う。
でも、思考は観念に過ぎない、
思考を捨てよって人は、
別の可能性を自分から
排除している。
これまた、
自分の立場だけでは
まだ不完全なのに、
他方を排して
自分をこれ以上発展
しない意味で弱くすることが
強さだとする倒錯と同類に
思う。

というのも、
人智学や神智学や
ゲーテ、ヘーゲル哲学、
空海仏教など分析総合仏教を
考え続けることによって、
心自体が知恵の形になる
体験をするから、である。 (2020年04月13日 22時13分45秒)

自由のレベル   もうり さん
自由にも
レベルがある。
シュードラ的自由は
何も持たない、全てから
離れる
代わりに意志薄弱のようになる
面がある。
ヴァイシャ的自由からが
既に凄くて、例えば
普通の人間だと、
経営者というか起業家
になることは
不自由だと思う。
経営者と起業家の違いは
今曖昧。
でも見方を変えると、
経営者は大きなことをやれる。
病院を作り、国際貿易を成し、
弱小の事務員すら十万円を
さばいたりする。
つまり、
もしも経営や起業に
必要な全てを意志さえ
できれば、その人は
むしろ自由なのである。
クシャトリア的自由の場合、
戦うこと、倒すことのための
諸々の訓練などの
行程とその武術戦術を
意志できるようになるだろう。
例えば、きつい筋トレを
自ら意志できる自由などである。
そうしてバラモン的自由とは、
神への意志がある、ということだろう。

この四つの意志の全てを
身につけた人は自由意志保持者だと
思うよ。
(2020年04月14日 05時20分01秒)

人は自由   もうり さん
人の意志は自由だが、
問題はその意志が
断片的であるときに
不自由だと感じるのだと
思います。

未来には希望しかない。
ボランティアで
人の命を支えて、
最後には飢えた動物に
喰われて死ぬ、
という希望しかない。
(2020年04月14日 05時44分42秒)

善い考えで救った   もうり さん
夕べは
ある人にとある善い考えを
披露したら、
感動してもらい、
また少し、
心の救いとなることが
できました。

そしたら教会の中で
キリストを見る夢を
見ました。

考え自体は捨てないほうが
いいです。
執着もしないほうがいいが、
考えを捨てるとは、
自ら奇形になろうと
するようなもんです。
なぜなら考えで
人を救うことができると
実証したから。
自殺するところを
言葉一つで食い止めて
感謝されました。 (2020年04月14日 06時05分34秒)

反抗の形   もうり さん
なんか、
かわいそうに、
怒りだけが
反抗の道と
思ってらっしゃる人たちがいる。
私のように、
性に関心がないあるいは
性的制御の効く童貞ゆえに
性被害にあった人の
安心できる話相手になって
今までの実用を無視した学びから
培った言葉の力で
心を癒やすことができた、
みたいに自分の歩んできた
道自体が、
つまり新しい道を示すこと
自体も反抗になるってことに
気づきましょう。

私はもはや
生きているだけで
恋愛至上主義に
対する反抗であるし、
単なる皮と肉と内臓の
やり取りでしかない
色欲を賛美する世間への
反抗でもある。
しかも実用のみを重視する
日本の傾向に対する
反抗にもなっている。
残念ながら、
飯と金だけのための
ビルドや自然科学とか
工学だけなら、
あの人の心の癒やしには
なれなかっただろう。 (2020年04月14日 08時12分59秒)

アフリカに渡る   もうり さん
治安が最も悪い国が
アフリカにあるので
白い衣を得た後は
そこに行って身ぐるみ
はがされてもいいな。 (2020年04月14日 09時25分56秒)

宗教批判と強くなる必要   もうり さん
宗教、
洗礼やっぱり止めたのは
宗教共同体の
統制しようとしてくる
ところが古いと
思うので。
統制しようとしてくる
組織に所属するくらいなら
自然科学や数学やってる
ニーチェ的唯物論者のほうが、
まだ高貴だし、
一歩進んでいるというもの。

ここに私は、
単なる様々な宗教に
対する自然科学の優位性を
認めるわけであるが
自然科学に対して
さらに優位性を持つのが
神智学などの
精神科学だと思うわけです。

そんで、
強くならないといけないこと。
人々の弱い部分を人々の
強い部分で補えばいい。
なぜなら、
強い部分はそれによって
多数の人々を支えられる、
ということだから。

強い部分で
人々は支え合うことができる。
理論上は。
(2020年04月14日 12時35分40秒)

宗教批判   もうり さん
宗教社会の
統制的なところは
滅すべき側面。

今はむしろ、
自由な個人による
共同体を目指すべき。
だから私は
洗礼など受けはしない。
どんな宗教結社にも
入らない。
ただ、
シュタイナーが
作ったキリスト者共同体は
よいかも

(2020年04月14日 16時32分06秒)

特定フェミニズム批判   もうり さん
模範を示すために、
自分なりに
怒りなしで批判しますが
というか、
ほぼ常に怒りがないけど、
怒るな=黙れと
解釈する人は謎。
話は戻って特定フェミニズム批判。
あるフェミニズムが
男女平等とは
女性のほうが賃金が
多くてなおかつ
出産コストのために
男は女にそれを一生払い
続けるべきって論だったけど、
これに一言。

「報恩を強制するな」
「道徳を強制するな」
ですね。 (2020年04月14日 18時15分10秒)

現実的自己犠牲   もうり さん
サバンナで喰われるってのは
なんか現実的でない。
生涯人間を愛し続けることで
人生全体を愛に捧げると、
つまり肉体を捧げることと
同じになる。

キリストを見る方法は
心を愛し、
命を愛すること。
つまり、
心の面では
心の弱い部分を
互いの言葉で補いあうことで
愛し、
命は協力や貧乏なものを
助けることで愛する。

私は被害者と
心で繋がることによって
キリストを見ることができた。
むしろ、
自分に一番足りなかったのは
命よりも心の実践だった。

互いの心の内を
語り合うことで
心が繋がる。

そうすることで、
目に見えない教会に
参加して、
キリストと出会うことが
できる。

命のためのボランティアと
心のための語り合いを
継続し、生涯愛し続けることで
キリストと出会い、
しかも肉体を捧げることの
代わりとする。 (2020年04月14日 18時45分15秒)

宗教の教えとゲイなどについて   もうり さん
ゲイなどについて、
宗教保守は否定がちだが、
そもそもなんで
我々は宗教保守という
枠に統制されなくては
いけないか問題が
ありますよね。

私的には、
ゲイであろうとも、
究極、
「善を為し、
悪を避けよ」だけ
守ってりゃ
受け入れられる。

そうなんですよ、
私の信念の基本は
次のとうりであり、
これは普遍的に
勧められる教えだと
思う。
「善を為し悪を避けよ」

そうして、
私は生涯、人間を愛し続ける
ことができるだろう。
一つ、受けた苦しみを
紹介するが、
私はコンクリートの上で
投げ技をされて、
頭頂部が大きく、
ぶよぶよに水脹れしたことがある。
でも親には間違って頭を
ぶつけたと嘘をついた。
また上のほうの苦しみだけでなく、
股関のほうも、毎日のように
蹴り上げられたりして
苦しかった。

このような苦しみを
経験しても、
なお恨まず怒らず、
人を愛することができる。

繰り返すがそもそも黙れとも
言ってない。

例えばいじめを受けて、
なんで私がいじめ問題の
運動家にならないかというと、
永遠の命と肉体を得る実践を
することこそが
確実な勝利だと思うからだ。

フェミニズム運動家も
憎み怒ることによる勝利
だけでなく、
愛することによる勝利が
できないか、
考えてみるべきだろう。

怒りだけが反抗の形ではない。

最後に。

ほら、私は自分の
苦悩体験を語っても、
そこに怒りを介さないで
語れる。 (2020年04月14日 20時06分12秒)

輪廻転生を利用した解決   もうり さん
輪廻転生による
進化を利用した
フェミニズム問題の
解決方法がある。

フェミニズム問題の
実体的原因は、
そもそも男が大きなものを
求め、不器用な傾向にあるのでは
と経験則的に思う。
なんというか、
個体的になろうとするのが
男の特性で、
全体者になろうとするのが
女の特性だと思うんで、
家事とか、
そもそも男性には
向いてないと思う。
ただ、それを抑圧だと
思う声を受けて、
今やるべきこととは
来世の生において、
性的傾向を超越した
存在を生み出すための準備、
であろう。
それはつまり、
男性の場合は宗教叡智、
女性の場合は神殿叡智を
身につけるといいってことだと
思いますよ。 (2020年04月14日 20時34分54秒)

知恵愛力   もうり さん
絶えず知恵を
考え続けると
心は知恵の形になる。
絶えず愛を
行い続けると
心は愛の形になる。
絶えず善行を
行い続けると
心は力の形となる。

形となるとは、
つまり体となることであり、
こうして
心自体が知恵であり、
愛であり力であるもの、
となるのである。

だから、私が欲しいスキルは
目に見えるものじゃない。
私は心のスキルが欲しいのである。
私はいい位置にいる。
人から無能と思われつつも
世俗的に対して一歩先をゆく (2020年04月15日 00時09分40秒)

事実の四層 禅批判   もうり さん
事実には
四つある。
主観の可能態と
主観の現実態と
客観の可能態と
客観の現実態とである。
目の前の「今」とやらは
現実態でしかない。
それはだから
事実の一部でしかない。
つまるところ、
禅は悟りの方法であって、
禅の内容とは
そもそも事実を観察する
ためのものではないのでは。

(2020年04月15日 00時22分42秒)

愛国主義者   もうり さん
私の信念は、
怒りではなくて
愛なので
どんな政権も愛そうと
思いますよ。
というか、
この生き方は
どんな政権になっても
文句ばかりいう
人々への逆張りでも
ありますね。

今までの
大衆は怒ってばかりだが、
やっぱり日本の
若者は希望かもしれない。
普通なら安倍首相に対して
怒るところだが、
というか
今まで鳩山首相も
大衆はルーピーとか
言って馬鹿にしてきて、
これまでどんな首相になっても
大衆は文句を垂れてきた。
しかし、
最近の日本の若者は
革命的なので、
官房長官かわいいという認識になる。

むしろどんな政権になっても
国を愛する、首相を憎まない、
という立場になってみるか。

怒るなって
冷笑系じゃないんですよ。

冷たいのは明らかに
怒ってる人たち。
(2020年04月15日 17時01分43秒)

希望は若者   もうり さん
なんか、
昭和時代から
延々と国民全般は
怒りや恨みベースで
やってきたと思うけど
昨今の若者は
優しさや共感ベースに
なってきてるっぽいので
希望があるなと思う。

そもそも優しさや
共感ベースでは
国は変わらないと
考える怒りベースの
昭和世代には
理解できないだろうが。

若者はこれから、
共感ベースで
世界を変えていく方法を
模索していって欲しい。 (2020年04月15日 17時27分00秒)

公務員は悪人ではない。   もうり さん
ある意味、
公務員は悪人ではない。
若者は、
仲間や地域や
国との絆を作ろう。

日本は民主主義が
欧米と比べて
むしろ一歩前進しつつあるのでは
と考える。

なぜならば、
欧米型の民主主義とは
国と国民との間の
関係が敵対的であるが、
昨今の日本の若者は
そうではないから。
むしろ、今目指せることは、
国家との絆を結びつつの
民主主義だと思いますよ。
だから日本は一歩進んでいると。

例えば欧米型は
フランス革命で
民衆が権力者を
ギロチンにかけることが
象徴。

日本は若者によって
それとは違う未来がありうる。 (2020年04月15日 17時40分38秒)

フェミニストは名誉男性   もうり さん
フェミニストたちこそ
むしろ名誉男性に
思う。
男と同じように、
ある意味で剣で世界を
変えようとしている。
女性ならば、
君のためなら
男尊女卑社会を
変えることに同意するよ、と
思えるように愛されることで世論
を誘導するという愛による
変革がありうるのではないか。 (2020年04月15日 17時44分19秒)

神と病気の関係   もうり さん
あのなあ…、
昨今の疫病で
神はいない、とか
言ってる人たちがいるけどよお、
そもそも病気があっても
今まで神を信じてきたのに
今回のコロナで
神が破れたことになるわけ
ないやん。

私としては、
健康の宗教的方法は
貧乏なもの、
命の安全度が低いものに
財産や食事を与え続けることかなと
思っていますよ。

あるいは
次の対応付けが、
命に関する究極のヒントだと
思う。

すなわち、
生ー自我ー思考
老ー心ー感情
病ー生命ー意志
死ー肉体ー調和

今思えば、
カーマ(低自我)は
存在への執着というか
地上へ人間を導くものだから、
自我は生に対応する。
自分としてはこの対応付けのほうが、しっくりくる。

例えば、
シュタイナーも愛のある
人間のカルマは、
老いても若々しい、と
書いてある。
すなわち、
心は老いに対応する、と。

少なくとも
聖杯=キリストの血=
神殿叡智と宗教叡智の統合
=仏智=寂光=火と聖霊による
洗礼=学問の目的=思考
=自我=一来果と
キリストの肉=菩提心=博愛
=感情=心=美=預流果まで
いたって、
なおかつ
毎日善行しておれば
コロナにかからないかなーと
思いますね。
私は二段階目まで
行きましたが。
白い衣を目指す=不環果向が
今の段階。 (2020年04月15日 19時00分16秒)

一周まわって結婚の肯定   もうり さん
生涯人間を
愛し続けることが
一度限りの命を犠牲にして
愛することと同じなら、
必ずしも死ななくていいし、
これって結局結婚やんって
なって、
一周まわって
結婚を肯定するに至った。

ただ自分は
そんなに結婚したい欲が
ないから、
気長に運命の相手を待つ。 (2020年04月15日 20時16分43秒)

宗教儀式の意味   もうり さん
宗教儀式の意味、
ようやくわかった。
輪廻転生によって
儀式の意味が説明できます。
例えば滴礼や
結縁灌頂は
それをすることによって、
来世においては
それが内面化して本当に
智慧やキリストの血が
備わるのを目的としている、と。
なぜなら外的なものは内的に、
内的なものは外的なものに
なるからです。 (2020年04月15日 20時22分19秒)

出エジプト記   もうり さん
キリストの血は
王冠ではあっても、
王国ではない、と
考えなおした。
キリストの血による
洗礼は、
出エジプト記の
モーセの海割りと対応する。
つまり、
霊(キリストの肉)と
水(キリストの血)
によって生まれなければ、
神の国に行くことが
できない、とは、
象徴的段階にある人間にとっては
洗礼を受けた後に
巡礼することだが、
その段階を前世で
通過して
内的段階に入ったものにとっては
もっと別の何かに
入ることかもしれん。
まだ謎。 (2020年04月15日 22時28分34秒)

目薬について   もうり さん
命を助けるなら
天の命が与えられるとして、
この理屈で言うなら
黙示録における
目薬とは何かというと
他者に新しい視点を
提供して視野を広げさせることが
自分に天の視野を形成することだと
思う。
キリスト顕現とは、
キリストが
愛したように愛し合うことによって
起きると言われるが、
これはつまり、
上記のような心の医者
(心の目薬)として、
さらに命の医者(白衣)として
振る舞い続けることで
そうなると思うことにした。
で、それを続けることで、
キリストが見えてきたり
次第にエーテル明視力に
目覚めてくるんだと思う。

クリスチャンカバラでいうと
勝利がキリストの衣、
ないし心の医者で、
栄光が白衣ないし
命の医者で、
基盤がこの両者の統合であり、
王国がエーテル界視力による、
キリストや天使が見えるように
なること、かな。 (2020年04月16日 02時52分09秒)

クリスチャンカバラ   もうり さん
クリスチャンカバラ
「勝利」は
心の医者で
目薬。
癒やしとなる新しい視点の
提供によって
救いを行う(観音菩薩)と
それによって自分の天の目が
開き、
「栄光」は
命の医者で、「白衣」
人びとの命や健康のための
助けになり続けることで、
やがて体が真っ白に輝く。
基盤はこの二つを
同時に人生をかけて
継続することで、
天の肉体を得る。
これが不環果。
目に見えない世界があるという
確認と
永遠の命を得たという確信の
ダブルパンチによって、
貪欲も怒りも消えてると思う。
そうすると
幽体離脱が可能となって
天の国に入れるようになる、
と。

どういうことかというと、
自分の思う、
クリスチャンカバラにおける、
「基盤」とは天の肉体を
得ること、といったが、
それは天においてさえ
独立していられる力を
得るってことですね。
で、
今度は天の国に入れるように
なったんで、
続いてこの天の国への
執着を絶っていく段階が
アラカン向。

すなわち、
今度は密厳浄土、
地球霊キリストを
確認し、
対話できるようになれば
いいのだと思います。
そうすれば、
地球にも天にも自在に
行き来できる存在と
なれるかもしれない。 (2020年04月16日 03時21分21秒)

左翼「正義のための暴力に誤りはない」   もうり さん
左翼、
結局、
正義のための暴力には
絶対に間違いはないって
思ってるっぽいな。
友人とかが侮辱されたなら
名誉毀損罪で訴える
資金を出すなりすれば
いいと思うけどね。
私刑肯定するって最先端
なんやろか。
第三者でなければ
情が混じって正しく裁くことが
難しくなると思うんやが。

喧嘩しないポリシーって
結局、私刑しないポリシーなんすよね。


食料自給率が低いのも
政府のせいなんすかね?

なんとなくだけど、
あの、自民党が
人権要らないって
言ってた政治家会合の
動画、
あれって政治家が
国民に対して左翼みたいに
怒った結果じゃないかなって。

(2020年04月16日 09時04分34秒)

怒りによる集団興奮   もうり さん
怒りを
肯定する人たち、
扇動されて
怒りによる
集団興奮に陥って
ナチスのようにならないよう
気をつけましょう。 (2020年04月16日 10時00分47秒)

人間関係の成功   もうり さん
土曜日ボランティア先でも
自分のことを社長から
認めてもらえたけど
職場でも、
経営者から、
わてのことを一番に考えると
言ってもらえたの、
素直に謎。

私は自分は素朴な善意で
生きてきたつもりだけど
それによるプロセスが
たぶん素朴ではない。

素朴なものだからといって
それを原因としたプロセスも
素朴とは限らない。

なんだろう、
自分が信じてきた
振る舞いが、
善い結果を招いている。

例えば、
私は機能としては
優しさは優しさで
あってそこに
本当の優しさがどうだとか、
媚びだとかみたいに
東京都の人びとみたいな
ひねくれた考えをしない、
とか自分のしてきたことの
すべてが、今結果として
出てきてるっぽい。

自分のような
生き方をするならば
経営者や哲学界の創立発起人
などから認めてもらえる。
しかし、
その条件は不明。

でも、言えることは
次のようだ。
「善きことを為せ、
悪いことはするな」

(2020年04月16日 16時42分49秒)

敵対的でない振る舞い   もうり さん
なんだろう、
自分は経営者と労働者の
関係として
敵対的でない振る舞いを
していて、
しかもそれがうまくいっている。

やっぱり文句垂れる以外の
道、あるんじゃないかね。 (2020年04月16日 16時48分12秒)

動物園の殺処分について   もうり さん
動物園、
最終的に、
金にならなければ
動物を殺処分する
組織だということが
わかった。
言わずもがなであるが
生命の見世物小屋が
動物園。

つまるところ、
動物園は公務に
すべきだと思うよ。 (2020年04月16日 16時58分32秒)

最大の弱者、すなわち動物   もうり さん
ブッダは
偉大だ。
なぜなら
弱者の中でも
最大の弱者、
すなわち動物と植物にも
配慮した律蔵を説いたからだ。

「うつ状態」の
熱帯魚を「開発」とか
狂っておる。
二重に生命に対する
科学サイドの冒涜を感じる。
なーにが理性だ。

ああ、
やっぱりインテリも
そもそもおかしいわ。
表現の自由のみ議論するのは
そもそも間違っている。
学問の自由も議論すべきだろう。
おそらく、
全ての自由の問題について、
そこに悪の可能性が
潜むだろう。


(2020年04月16日 19時16分59秒)

自然と意識   もうり さん
自然に含まれる
悪と善は
人間の悪と善に
対応し、
人間の悪の量が増えると
自然の悪も増えると思うよ。 (2020年04月16日 20時57分50秒)

何も求めない   もうり さん
頭ばかりでなく
胸にも聞いてみるが、
胸は
何も求めていないようだ。
思考は楽しい目的を
作るけど
胸が求めていることは、
何もない。
胸においては
特別欲しいものはない。 (2020年04月16日 22時22分31秒)

胆汁質   もうり さん
ま~生き方が
来世の気質になるんで、
胆汁質要素の足りない
私は、
頑張って
土日のボランティア
継続しよう。
土は緊急なので
しばらく止めるが
畑はしてもよいことに。 (2020年04月17日 08時42分13秒)

土日も働く   もうり さん
土日も
働くって
いいですよね。

私は、出来事は
ただ起こるだけだと
一面では理解しつつも、
それも部分的な見解だと
理解しており、
思考による判断が
それを相対化すると理解している。

なぜなら、
物事がただ起こるという
理解だけがまかりとおるので
あれば
「殺人などもただ
起きているだけ」となるからだ。
だから禅的見解も
一面に過ぎない。
禅的見解で救われる人に
とって薬となるだけに
過ぎない。

私にとっては、
禅とは頭以外の見解であり、
初期仏教は頭の見解であり、
この二つを揃えることが
大事で、
それによって
ノヴァーリスが言うように、
「頭には愛の格率、
胸には無私の愛」となれば
いいんだと思いますよ。

現象に参与しない
生き方は、
来世で多血質か
粘液質になるでしょう。
だから
私には禅的思考は
必要ない。

人間の悪と
自然の悪が対応するとして
オフィリエル(オリフィエル)
の時代が近づいてきたっぽい
ですね。

あー、それと、
いずれ動物実験にたいする
カルマが人間に
襲いかかるでしょうね。

なぜならば、
神は、
カルマが貯まってから、
それを一気に発動するよう
だからです。

ですので、
結局、ペットショップの闇や
動物実験の闇、
動物工場などをやり続ければ
絶対的に天罰が降ると
信じている。 (2020年04月18日 07時56分01秒)

神聖なるもの   もうり さん
生命より
大事なものとは
心や自我などの
心魂的、精神的な
ものであるが、
そもそも生命の時点で
神聖なるものなので
動物実験は神聖なるものの
冒涜に他ならない。

というか、
物も神聖なるものなので、
それにも正しい扱いを
する必要がある。

そうして、
人間は動物や植物のために
生きるべきだろう。
なぜなら人間のほうが
それらよりも強いからだ。
ここまで自然に害を与えられる
力を人間が持てるなら、
逆に自然をよりよくできる
力も秘めている可能性がある。

そうしなければ、
動物や植物、
塩などの鉱物を食すという
犠牲に恩を返せない。

動物を見ればわかるけど、
たぶん動物がなんで
かわいいかというと、
おそらく愛があるからという
見解と、生きるための技術が
先立っているからという
見解の他に、
脳が人間よりも成長しないから、
があるだろうと思います。
動物はいくら年とっても
子どもみたいにしかならない。
だから、大抵の動物はかわいい
見た目をしている、と。

そういうわけで、
動物はみんな子どものように
愛すべきかと思います。 (2020年04月18日 14時16分38秒)

マインドとハートの分別   もうり さん
禅系の人びと、
思考を放棄しているようで、
思考と思考でないもの、
として結局分別している。

私としては
頭に聞くことも
胸に聞くことも
どちらも有益と考える。
あるいは、
手足に聞いてもいい。 (2020年04月18日 18時12分50秒)

愛の性質   もうり さん
私は
頭で正しさを
認識する。
胸で愛を認識する。

思考を排そうとする
人間は、
まるで「無脳症」のような
心の形態を求めているようだ。

正しさの認識は
前五識が
成所作智に変容したことにより
生じる。
善悪などないという
認識は、
「空」のみが真実だと
考える一面的思考だろう。

善悪などないという
認識も一面の真理ではあっても
全面適用すべきものでは
ない、というのが
五智如来から学べることである。

最近は、
大円鏡智が「空」ー肉体で
平等性智が「諸行無常」ー生命で
妙観察智が「諸法無我」ー心で
成所作智が「善のイデア」ー自我
だと
変更したけれども。
これが、愛し合うこと、
隣人愛、博愛、善意志に
変化すると、
五徳如来となる。

このような層的認識に
至れば、
他人に正しさを
押し付けることをしないでも
自分が善だと思ったことを
実行していける。 

愛とは、
それがあることによって、
愛自身が自分の中にあるわけだから、自然に内的に
自愛を抱きつつ、
さらに他者に対して
善行ができるようになる。

そうして、
自己の中に、
愛の核心が在るという
感覚と、
智慧の核心が在る
という感覚によって
私は「永遠の進化しゆく
自我」を得たと確信する
次第である。
むしろこのような
絶対的な肯定によって
苦しみはなくなる。

後退することで、
真理に至る道と、
前進することで
真理に至る道とがあるとして、
私やキリスト密教的な道は
オメガの道を選択する。

ブッダがこの世は苦しいと
言ったのは、
無常に対して
この世は永遠である、
私は死なない、
という固定的執着によって、
であるが、
むしろ、本当に永遠になって
しまえば苦しみは止む。
永遠でないのに永遠であると
思うから苦しいのだが、
本当に永遠になってしまっても
苦しみは止む。
それがオメガの道である。 (2020年04月18日 21時12分55秒)

安定を得た。   もうり さん
コロナがあっても
心の平安は崩れないことが
わかったんで、
あえてこれ以上は
冒険せず、
コロナが怖い人のために
自分も自粛することにする。

そこで土のボランティアは
しばらく休む。
日のボランティアが
なかなかできそうにない。

家族を支えることで、
間接的に社会貢献できることに
気づいた。
でもできれば
無償で他人の稼ぎに
貢献したい、という
計画が無理になりつつある。 (2020年04月18日 21時26分55秒)

心を清める方法   もうり さん
心を清める方法は
二通りある。
清いものを
知覚することと、
行為である。
知覚は六根であり、
六根とは知覚器官を
入り口として、
神経網の総体が、
すなわち根である。
この根にとって
知覚行為は水である。

行為は、
例えば草狩りとは
心にとっては
煩悩の草狩りとなり、
整理整頓とは
煩悩の整理整頓となる。

十二縁起論からすると、
善行為が上から無明に作用し、
清い知覚が下から無明に作用
してくる、ということなのだ。 (2020年04月18日 21時53分36秒)

五智如来   もうり さん
五智如来の
新たな理解。
大円鏡智は
円として理解される。
それは円のあるがままの
全体像であって、
中心や円周への意識はなく、
全として一体であり、
これは「空」の意識である。
平等性智は円の中の
円周、回転として理解される。
これは諸行無常である。
妙観察智は、
円の中の両極端として
二項対立的に、
しかしながら相補的に
理解される。
これは諸法無我である。
成所作智は
中心、つまり中道として
理解される。
これは、例えば
四聖締として理解される。

私は生きていく方法として、
人生を賭けて実験したいことが
あって、
他人の命を助けたり、
他人の稼ぎを手伝ったり、
家族を支えたりすれば、
複雑な知識がなくても
カルマ法則によって
生き残れる、という仮説である。

(2020年04月18日 22時48分45秒)

脱仏教   もうり さん
遂に脱仏教の
理論が出来上がった。
反四聖締でもある。
それは
この世は
楽である、という認識と、
楽であることの
原因と、
楽を生み出す方法と、
そこに至るための道である。

この世が楽であることの
原因は、永遠の世界が
存在することによる。
楽を生み出すためには
自分が永遠の存在となれればよい。
そうして自分が
永遠の存在となるためには
一つは
いろいろ学ぶことである。
人智学だけでなく
神智学もヌーソロジーも、
仏教も仏教密教も、禅も
科学も数学も聖書も
クルアーンも学ぶことである。
そうしなければ、
自分の目の丸太に気づかないで
他人の目のおがくずを
取ろうとすることになる。
自分の目のおがくずとは
何かというと、
キリスト者も残念ながら
そのような存在であり、
なぜなら彼らは
目の前を聖書という丸太で
塞ぎながら
他人を導けると
思っているからである。
これは
哲学者や科学者、
特に宗教家にありがちな
ことであろうと思う。
キリスト者は
結局、キリスト者で
聖書という丸太を
用いてることになんら
気づいておらず、
禅宗も禅宗で、
無思考だとか空だとかいう
丸太で世間を見ているに
過ぎない。
ムスリムも
キリストの教えを聖典の
一部としつつも、
クルアーンという丸太で
世界を見るのである。
それは本によって視野を
防いでいるに等しい。

次の方法は
博愛であり
敵を愛し仕えることである。
次の方法は
命を助け、
人々の心を様々な視点を提供
できるようになることで、
ふさわしい言葉を提供することで
助けられるようになることである。

そうして、
印相を時には結び、
愛し続けることである。

こうして、
むしろ自我は存在し、
我々は永遠であると
言う、前進する道を
進むことが、
キリスト密教者の道では
ないだろうか。

だから、
仏教は古い。
しかしながら、
もはや伝統的キリスト教も
古い。
なぜなら統制的であり、
なおかつ単なる顕教だからである。
従ってあらゆる宗教は既に
古い。

精神科学が、
すなわち最先端であると
私は思う。

仏教徒は自らを解体したがる。
しかし我々は自らを
永遠にしてゆこう。 (2020年04月18日 23時38分06秒)

メタ仏教   もうり さん
色即是空で
空即是色ならば、
空即空であり、
すなわち空とは
同時に非空でもあることになる。
空とは全体においては
何も生じず滅することもない、
ということだから、
非空とは、
諸行無常のことである。
諸行無常も、
無常も無常として
常が生じ、
「種類」が生じる。
しかし、
この常なる
種類は因縁によって
結びついている。
従って無常に支えられて
常が生じ、
すなわちこの常とは
諸法無我のことである。
しかしながら、
さらに言うと無我というのは
無我と主張する我であり、
従って無我の無我として
自我が生じる。
それは諸法無我の中に、
中心が生じる、ということである。

こうして
空から非空として
諸行無常が生じ、
諸行無常から常として
諸法無我が生じ、
諸法無我から自我が
生じた。

これがメタ仏教では
なかろうか。
そしてこれは、
脱仏教の礎である。
我々は続いて、
自我を放棄することなく、
自我を持ったまま
再び諸法無我の中に
入り、諸行無常の中に入り、
空の中に入るべきなのに、
未だに自我を軽んじるタイプの
仏教は
古いと言えよう。 (2020年04月19日 00時00分46秒)

言葉の実践   もうり さん
わての言葉によって
考え方が変わった人が、
家族関係が穏やかになったと
報告してくれました。
生きててよかった。
私は言葉を売りものにしない
んですよ。 (2020年04月19日 01時50分19秒)

語学の才能   もうり さん
語学というか、
文法の才能、
やっぱりあるっぽいけど
それを武器にするよりも
みなさんにその武器を
捧げる犠牲を行う。

英文法の五文型が、
やはり美しい。
基本的に、
思考とは愛を形式化したものである。
まず第一文型。
鳥は飛ぶ。
これは内容が
名と性質で結ばれていることを
意味する。
次に第二文型。
彼は教師である。
これは内容が
名と名で結ばれていることを
意味する。
次に第三文型。
私は物を作る。
これは内容が
名aと名bが性質で
結ばれていることを意味する。
次からが画期的であり、
簡単な文なら、
これに順番どおりに
当てはめればちょっと
複雑に見える第四文形も
第五文型も自在に作れるで
あろう。

第四文型。
私は彼に贈り物を与える。
これは私という名と
彼という名が内容に
現れており、
それが二面的な角度を
持つ性質によって
結ばれていることを意味する。

第五文型も
同様に十字になっており
例えば私は彼をトムと
名付けた、とあるとする。
第四文型の、
贈り物に相当するのが、
トムであり、
性質のこの二面性自体も
性質における次元での
名と性質によってこの
性質自体の二面性が
結ばれていることを
意味する。
従ってこの二面性ある
性質は言わば
ベルトコンベアが
流れることが
性質の性質であり、
その上の製造物が
性質の名である、
と言えよう。

こうして、
この十字の英語の順番は
第四でも第五でも
変わらずに、
1名a
2性質の性質
3名b
4性質の名となる。

自分、
やっぱり語学の才能
あるっぽい。
でもこの武器も
手放すことが
自分の狙い。 (2020年04月19日 03時07分11秒)

言葉が命のためになる。   もうり さん
あー、
ヒントわかった。
自分が命に関して
貢献できそうなこと。

先ほどの
五文型の理解のように、
仕事にも役立つものの
新たな視点を切り出すことに
よって、
みなさんの理解に役立てば
それが自分にとっての
皆さんの命のためになるんやなと。

これは
数学を学ばないといけない。
今の純粋数学や
自然科学や
ヌーソロジーは
ブルジョアのためのものに
過ぎない。
プロレタリア数学を
目指してここで
無償で開陳したい。

それが結局、
数学や科学の大衆化へと
結びついて
工学などに
大衆がアクセスできるようになり
日本はよりよくなる。

一部のツイッタラーが
馬鹿でも生きていける
社会が望ましいと
主張していたが、
確かに複雑過ぎるというか
頭いい人しか生きれない社会だと
生きづらい人が増えるのだろう。
でも、
私は逆に、
賢さの大衆化を狙うことにする。
賢さが大衆化すれば
実際、民主主義も
機能するだろう。


(2020年04月19日 03時39分55秒)

論理学書購入   もうり さん
とりあえず
論理学書を購入してみた。

これで
形式科学は
関係式であるという
着眼点をもって
関係性の明確な理解によって
論理学がわかることにならないかを
試してみます。

それができたら、
たぶん数学の勉強にも
応用が効くはず。
でも資金の問題があるので
後はみなさんの番ですがね。 (2020年04月19日 10時00分55秒)

せっかち   もうり さん
せっかちな
性格なのは許してください。
資金の問題で、
結局数学を学び続けることが
できない。

これをしつつ
家族を支えたり
農家を支えます。 (2020年04月19日 10時20分01秒)

集会結社の自由   もうり さん
コロナによって
集会結社の自由が
妨害されてはならない。

これからの時代は
友達ともスクリーン越しで
会話することになる、
とかディストピアだと
思いませんか。

コロナ自粛も
行き過ぎは悪ですよ。
生命尊重も行き過ぎは
うんこ製造業になることですよ。 (2020年04月19日 13時52分03秒)

大学と学問   もうり さん
大学は大衆化したが
学問は大衆化しなかった
感がある。
みなまで言わんが。

一応、私自身のことは
学問の大衆化の
一例ではあると思うけど。

(2020年04月20日 10時26分18秒)

下部構造が全てという幻想   もうり さん
下部構造が
全てって幻想なんすよ。
成金だとか
権力者だからといって
いきなり
純粋数学や
精神科学に目覚めたりしません。

むしろ、ブッダから
わかるように、
上部構造が整った人は
無一文になったりもします。

それに私も決して金持ちでは
ないけど、下部構造より
上部構造を優先する
生き方をしています。

哲学や芸術、宗教は
「心」を作るためにあります。
そして心を作るということは
生殖力にも作用するというのが
私の仮説です。
なぜならフロイトの言うように
心が性で支配されているというのを
逆手にとって、
性と心は繋がっているだけだとし、
つまり心を哲学や芸術によって
修練することで精子や卵子が
強くなるのではと
思うからですね。

私の予想だと、
唯物論を続けていく家系だと
発達障害とか神経症や
精神病などが増えていくかと
思います。

遺伝子の「自然な改良」とは
つまり上部構造(心)を良質に
することで下部構造(生殖能力)
を変えることで可能だと
思う次第ですね。

フロイトを逆手にとれば
生殖能力は心と繋がっている。
自分の精子に受け継がれる
遺伝子は心からの作用を
受けている。

しかし、
だからといって
聖書やクルアーンで
目を塞いで人を
導こうとするような
古い宗教家が
科学者より優れているという
わけでもない。 (2020年04月20日 10時52分10秒)

科学的根拠とホメオパシー   もうり さん
ホメオパシーに
対して科学的根拠が
ないという人は、
大抵、
科学とは唯物論だという
丸太で目を塞いでる
だけだと思います。
そらあ唯物論だけが
科学的根拠だと
思う人には
ホメオパシーや
シュタイナー医学は
理解できないでしょうね。 (2020年04月20日 11時23分37秒)

後期密教   もうり さん
仏教の
後期密教においては
子を抱く菩薩が
登場する。
私はこれを
ノヴァーリスに重ねる。

つまり、
一生人間を愛し続けることの
できる魂を形成するための
修行になるのが
家族。

一生人間を愛し続ける
ことができるならば、
それは自己犠牲に等しい。
だから、
なんで結婚では
生涯愛することを
誓うのかというと、
それができれば、
おそらく家族を持っていたとしても、永遠に至ることが
できるんじゃないかなと。

この考え方からすれば、
永遠に他者や自然を愛し続け
られる人間は、
自分のために生きる部分が
あったとしても罪ではないんじゃ
ないかと思います。

そうして、
今の時代は、
まさにこのような
生き方こそぴったりに
思います。 (2020年04月20日 13時07分30秒)

また大衆か   もうり さん
また一部の
馬鹿な大衆が自分を
守ろうと、
リモートワークできる
俺勝ち組とかなって
現場仕事を馬鹿にしている
ようだなあ。

確かに
ブロック機能は
有用必要だと思った。
相手にする時間が
もったいない。

今思うと、
自分は慢心も
ある程度ないんだなと。
なぜなら人々を見ていると
自分の自尊心上げに
他人を巻き込無というか
他人を侮蔑する必要が
あるようだから。

自分の慢心は
どちらかというと
他人をあんまり巻き込まない。
つまり、
大衆と慢心を比較する限り
自分の慢心はちょっと清らかに
なってるっぽい。

あと、
アニメとかジャンプ系を
見ていると、
力というか強くなれみたいな
メッセージが多すぎる。
私は老子のように、
軽々飄々と生きる道を進む。
弱くても生きていける道ですね。
それは利他の道ですね。
たぶんカルマによって
楽に生きられる状況に
導かれるはず。
それを試す。 (2020年04月20日 14時25分22秒)

人の奥深く   もうり さん
私は言葉によって
他人の心を救うことが
できたので、
今度はどうにかして
命を救いたいと思う。

一人の心を救う行為、
という世界に向けて
深く参入することだけでなく、
さらに
一人の命を救う行為によって
別側面から
世界に深く参入したい。

そうすりゃ、
来世は胆汁質を
得られると思う。

医者が白衣なのは
最もなことであると
思う。

さて、
医者にはなれないので、
どうしたもんかな、と
思う。

やっぱり命に関しては
強くなる必要あるんやろか。
(2020年04月20日 15時40分12秒)

宇宙を取りこむ   もうり さん
宇宙を自分の
内部に取りこむ
方法がわかったかも。
他者の心奥深くまで
入り、なおかつ治療することに
成功し、
さらに他者の命を
救うことにまで成功し、
そのような活動に精進を
続けるならば、
宇宙を取りこめると思います。
というか
世界に入りこんだので、
続いて
世界が自分に入りこんでくる。

できれば養われたい人、
養い続けるくらいの力が
あれば良かった。

困ったな。
私は経済的には
強くないから。

(2020年04月20日 15時54分09秒)

魂は割り算   もうり さん
そうだった。
聖書にもある通り、
魂は割り算で
計測するのであった。
すなわち、
貧乏な老婆が
全財産として百円を
献金することは、
ビルゲイツが
全ての財産を
寄付することと、
魂にとっては等しい。

だから、
やっぱり一生愛し続けるなんて
ことは言わずに、
借金返し終わったら
さっさと全財産献金して
餓死しよう。
そういや、
生き続ける意味がないや。
なぜなら生き続けることの
意味はキリストの血や
キリストの肉など、
霊的な賜物を得るために
あるのだとすれば、
自分はもはや
生きる意味はないからだ。
一生愛し続けることが
自己犠牲と等しいのであれば、
なんでわざわざ
長い方を選ぶ必要があろうか。
さっさと済む方法として
全てを献金して餓死したほうが
マシだろう。
ただ、
借金返済のために
後二十年は生きないと
あかん。 (2020年04月20日 16時26分37秒)

爽やかな死   もうり さん
もう、
永遠の自我も
永遠の心も
手に入れたんで
残るは
永遠の命だけなんですよね。
つまり
一番手っ取り早いのが
全財産献金して
餓死することです。

私は、
内から外へと
生きるのが
方針なのですが、
その最終帰結が
つまり
手っ取り早い自殺です。

外から内へと生きる
普通のみなさん方は、
命から入って
年月かけて智慧を目指して
いくってのがたぶん
王道なんでしょうが、
私は既にその目的は
果たしていますので、
あとはさっさと死ぬだけで
よいのです。

爽やかに死にたいです。
これが私のゴールであり、
成功、
あがりです。 (2020年04月20日 16時54分57秒)

事実などない。   もうり さん
神の世界を
見ることができないのに
事実を知ってるというのは
思い込み。

思考や想像力とは
神の世界を見てきた人の
言葉をイメージ、
思考して瞑想に利用するためにも
使える。

私は自分を変える必要が
あると思う。
まず、
あらゆる苦しんでいる
人を一度に見ること
見つけることのできる
千里眼もなければ、
あらゆる苦しんでいる
人を同時に助けに
駆けつけられる遍在する
身体や
その手段としての
全能性に欠けている。
死人を復活させる
力もない。

つまり、
一応私は神を目指している。
これが私の菩提心だが
この人生では
命を捧げることで
終わりを迎えそうだ。

家族も貧乏なんで、
家族に財産残して
死んでもよさそう。 (2020年04月20日 18時18分21秒)

私の生きる意味   もうり さん
私の「生きる意味」は、
つまり私の菩提心、
私の始めの智慧は、
絶対的存在を目指すこと、
なんですよ。
この理想が私の行く先を
照らす灯明なんですね。

今までこの自分自身が
父なる真理の存在に
なるということを目指して
活動してきたんですよね。
だから到底、
変わらなくていいなんて
思わないんですよ、自分は。

なぜ父なる神を目指すのかというと
あらゆる存在を救えるようになる
ためですよ。
それと比較すると
今の私はただの塵であります。
アーメン。 (2020年04月20日 18時41分06秒)

永遠の命   もうり さん

キリストの肉と
血を得ている時点で、
すなわちキリストを
着ているわけだから、
永遠の命は既に得ていると
考えなおした。
白い衣とは、
霊性の形、
すなわち中道の生き方、
つまり「八正道」のことだと
考えなおしました。 (2020年04月20日 22時06分40秒)

自分を変えたくない人へ   もうり さん
自分を変えたくない人へ
強固なのは
いいんですが、
それだと
世界構造の一部分と化すとも
言えますよね。 (2020年04月20日 23時05分41秒)

ロゴス的実践内容   もうり さん
自分の
ロゴス的実践内容。
あるいは、
コロナウィルス的
実践内容といっても
いいかもしれない。

一つは、
球があります。
周囲に個々人がいます。
各々が必要とする分だけ
球を分割、分配します。
「節制」

もう一つは
球があります。
周囲に個々人がいます。
個々人はその球を
支えに生きています。
しかし、各々が
もし倒れそうに、
球に埋没しそうになったら
他の元気な個人が、
その人を再び押し上げる。
「公正」

この二つの原理を
実践していこうかと
思います。
(2020年04月21日 00時10分55秒)

経験的思考   もうり さん
経験的思考に
目覚めた。
今までは
目的、意欲となる
思考だったが
これは役に立つ思考。
役立つことばかり
求めると心が貧困と
みなされがちだが
瞑想的な哲学的思考ばかりでも
心は貧困だろう。
なぜなら役立つ思考を
排除してる分だけ明らかに
貧しくなっているから。

例えば
私の犬は水分がついてると
舐めてくるので
水分がついてないと
舐めてこない、
みたいなのが
役立つ思考で、
この思考方法こそが
生きる術となるのだろう。

思考はしっかりと
現実を掴める。
(2020年04月21日 12時56分45秒)

個人科学   もうり さん
今まで、
科学は
本の中の体系化された
「一般科学」しかないという
思い込みをしていた。
科学は学者しかできないと
思い込みしていた。
しかしそうじゃなかった。
私が自分個人で
哲学を生み出したように、
「個人科学」がありうる、
ということに遂に気がついた。

今までの私はつまり
目的や意味、理念を
考えていた。
これは宗教叡智であり
これからの私は
つまり神殿叡智を
考えていくことになるのだろう。

人生の楽しみがまた増えた。
思考は単なるレッテルでは
ありませんよ。
まだ死ぬわけにゃいかないなあ。
個人科学を作り上げるまでは
まだ死ねない。

今までは
行き先を照らす太陽を
整えていた。
これからは
進むための足場を
整えていくということだろう。

その足場を整える
方法のための本が
論理学である。
この論理学は
人間の思考や探求の
解明を重視するタイプを
選ぶべきであり、
記号の形式的操作が全て、
みたいな数学的関心が
強いのは選ばない。

論理学にもいろいろあって、
科学の方法論や
生きた推論に関心を
持つものであったり
不完全性定理に関心を
持つものがあったりする。

個人科学者は
目立たないだけで
結構いると思いますよ。

なので、
私が前から言っていたように、
哲学を志すのであれば、
バランスをとるために
比喩であるが、
「薪の割り方」を
知っておけということなんですよ。

そうして、
「薪の割り方」を
認識できる力があることが、
生きる力、
生きる術なんですよ。

ようやく、
「生きる術」とは何かも
わかってよかった。

これからは
大地(経験)に即したことを
語っていこう。 (2020年04月21日 16時38分55秒)

真美善   もうり さん
結局、
自分は心に関することを
やろうと思う。
心にとっての大地を
作る作業に入ろうかと。
つまり聖書を読むこと。
哲学は太陽であり
宗教は行為であり
芸術は大地である。

聖書がなぜ
メタファーなのかというと
それは芸術的に作用させるため
だろうと思います。 (2020年04月21日 19時31分06秒)

神の国   もうり さん
白い衣とは
公正な行いのことだ。
自分自身が
立派な国のように
振る舞えるならば
天国にも入りうると。
神智学が火で精錬された金ならば
宗教的行為というか
公正なる行いは白衣だ。
そして芸術的創造力は
目薬だろう。
大地であるとともに。
なぜなら精神的世界を
目に見えるようにしたのが
芸術だからである。 (2020年04月21日 20時34分47秒)

絵にする。   もうり さん
だから、
家族や世間に対して
公正に振る舞いつつ
絵を描いてみようかと
思いますよ (2020年04月21日 21時01分02秒)

取引なしで   もうり さん
私が取引なしで
行為できるのは
ここで身銭と時間を
切った言葉を
吐き出し続けられることで
証明してますよね。

絵の題材は、
自分の妻たる
ヴァルキュリアを
描こうかなと。
ヴァルキュリアって、
つまりキリスト教的には
御霊と呼ばれるものですが。

なんつーか、
ヴァルキュリアと
結婚したら
天のことしか考えられんく
なっちゃったなあ。

まあ地上で
存続できても
天の末代にならないよう
お気をつけください。 (2020年04月21日 21時12分00秒)

ヴァルキュリア   もうり さん
ヴァルキュリアとの
結婚によって
信仰と生きる意味が
与えられたので
単に生きる意味を
捏造したわけでもない。

生きる意味とは
生きることだというのは
同意しないね。
生命より愛を優先して
死ぬ場合が間違いになるので。
そして愛のほうが
生命より尊い。

生きるために生きるってのは
自分の価値をペニスと
排泄に置くことに
等しい。
(2020年04月21日 22時31分11秒)

神と繋がる意味   もうり さん
神と繋がる意味、
ヴァルキュリアと
結婚する意味とは、
自分がやがて
神に進化できるように
なることを意味します。

普通の結婚だと
人間どうしでの
経路ができるだけだが、
神との結婚によって、
その人には神への経路が
できるというわけであります。
キリストは父と結びついているので、
キリストと結びつけたら、
その人はいつか必ず
父なる神と等しい存在に
進化できるでしょう。

ですので、
国と一体化しても
どうしようもないかも
わからんが、
少なくとも神と一体化する
道はより強くなる道であります。 (2020年04月21日 22時49分24秒)

やっぱり詩をやること   もうり さん
やっぱり詩を
やりたい。
叡智(精神)と
語学(自然)の
中間に位置付くのが
詩だと前に規定したけど、
「祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり」
みたいにして
自然に精神を込めるという方法で
四行詩をやっていきたいと
思います。
(2020年04月22日 03時39分40秒)

詩作してみた   もうり さん
詩作してみた
時間は生命
空間は国
物質は王
運動は意志
重力は知恵
光は慈悲 (2020年04月22日 04時10分01秒)

今日の善行   もうり さん
最近の善行
昨日と今日に
引き続き周りのものを
笑わせることができた。

服にうどんをこぼされたが
普通に一ミリも
怒らなかった。
なにせ大地にキスできるくらい
ですからね。

(2020年04月22日 18時45分28秒)

エクセルの歌   もうり さん
曼荼羅はエクセル
細胞もエクセル
マス目の入ったノートも
エクセル
言葉はエクセル
整理整頓もエクセル
屋内もエクセル
そしてエクセルとは
一種の平安京
街もエクセル
(2020年04月22日 19時49分38秒)

季節の詩   もうり さん
春は生命、
夏は意志、
秋は感情、
冬は思考。 (2020年04月22日 19時58分49秒)

芸術やっぱやめ   もうり さん
芸術やっぱりやめる。
美と愛はルカ福音書に
対応すると思うので。
哲学はヨハネ福音書。
宗教はマルコ福音書。
でもって宗教において
天国に入りたければ
どうすればよいかというと
自分自身が天国の住人のように
振る舞うこと。
つまり公正。
でもって、
マタイ福音書に対応するのが
基礎。
自分自身が不壊の岩の
上に立ちたいのであれば、
自分自身が
世界に対して岩を
生み出すように
生きること。
自分自身が世界に対して
岩を差し出せば
岩が得られる。
その一つが敵を愛すること、
などである。
そうして、
目薬とは
上記のように、
キリストのように
振る舞うことで
キリストを見ることかな、
やっぱり。
キリストのように
振る舞うことで、
周りの人に
父なる神を見せている
わけだから。

だから、
自分のやるべきことは、
マルコ福音書と
マタイ福音書であって
芸術ではないな。
芸術というか、
やはり個人科学を
やらないといけない。
逃げちゃダメだ。
逃げちゃダメだ。 (2020年04月22日 21時16分23秒)

性意識の量   もうり さん
二次元美少女エロや
エロ コンテンツを
なくすなら
性犯罪が増えると
思う。
というのも、
性意識の量の全てが
現実の女性に向かうことに
なるので、
もはやこれは構造レベルで
増えるだろうと思いますよ。
その証拠が英米。

ヤリ チンよりは
オタクのほうが清らか。
というのも、
二次元で済ませられる程度の
性意識の量だから。
(2020年04月22日 22時38分42秒)

技術のお話   もうり さん
技術のお話

技術とは、
簡単に言えば
構造を変化させることで
望んだ結果に導く術、だ。
そして世界の仕組み、
構造自体を知るためのものが
学問だ。

例えば
鼻毛があるならば
網の役割を果たす
→鼻毛がないならば
網の役割を果たさない。
これは結局、
鼻腔内の構成要素の
関係性(構造)を
変化させることで、
結果の変化を
引き起こしている。 (2020年04月24日 05時36分16秒)

女性を二回救った経験   もうり さん
女性を二回救った
経験がある。
どれも言葉によって。
一回目は
自分より
高学歴の女性なんだけど、
詩やら考察やらを語っている
うちに自分の言葉を好いてくれた
ようで、それでもってわしが
その人の女性性を目覚めさせるのに
貢献したみたいで、
高貴な感じの博士から
ドイツ語で告白されたとか。

もう一つは最近の
話で、
私の言葉により心まで
救うばかりか、
さらに彼女の家庭円満にも
なる結果に導けたらしい。

私の人生は
大抵の男たちが
男らしく、
神殿叡智を学んでいる
中で自分は
内的調和のための
宗教的叡智(女性叡智)を
学んできた人生であり、
しかもそれが心を救う結果に
実際なったというなあ。

男性のみなさんが
命を救うヒーローを
目指している間に、
私はひっそりと
心を救う力を
ためこんでいたようである。

で、
来世はさらに、
内的調和のために、
女性に生まれ代わって
神殿叡智(男性叡智)を
学んでいって
みなさんを救っていきたいね。 (2020年04月24日 17時21分13秒)

テレビご覧になるのですね。   モウリさん さん
書きながら、TBSの「爆報フライデー」をみていて、そこに81歳の原宿のイラストレーターが、この脱構築を実践しているのに驚かされた。

 高齢化社会と悪しき代名詞で呼ばれるが、高齢が劣などという見方こそ変えていくべきだろう。年齢に関係なく、現代の日本社会をつくっているのは今生きている人々なのである。

 外見に囚われずに、人格をみる社会をつくっていくべきだろう。老いているから劣なのではなく、本当の魂、魂の上では高齢者である存在をみるべきである。


(悲しいかな)
我が国は
年寄りが真っ先に衰退したようです。
それも
歴史的物語の一コマで消えていくのですが・・

年寄りを大切にしたくても
反論だけは
してきますから、扱いにくい。

老いては子に従え
ですが
その子に従ったら
親子で没落

どっちもどっちの世の中ですなぁ~

だいたい、トンビが鷹を
などと、欲をかいたから、原因と結果が顕在化した、の堕。堕落。 (2022年04月14日 11時37分22秒)


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