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カテゴリ:神秘体験空間
物質界を翻訳する量子力学の成功は、物質現象を可能性という確率で解釈する確率論を、物質性に帰したところにあり、物質変化を物質性に帰し、解釈する確率の辞書の堂々巡りに持ち込んで、観測論をもって、その繰り返しに終止符を打つ試みが、ロシアンルーレットのようにスリル満点で、物質界で好評だったにすぎない。
しかし、物質界を超える現象については、ハイゼンベルグの不確定性関係やら、電子は皆同じ形をしているやら、粒子なのに波の性質ももつから、越えられない壁をすり抜けるオカルトのような確率性故のトンネル効果などとても不可思議な現象が確率性から現れる。 はたまた、つい最近ノーベル賞で話題になった、双子の電子の一方の性質がわかると、遠方で行方不明になっている他方の電子がみつかる、というような量子もつれの現象など、どうみても物質的感覚ではとらえられない現象が生まれてしまうのである。 この量子もつれの話などは、オカルトの千里眼で有名な話だし、オカルトが嫌いなアインシュタインが、量子力学を否定するために持ち出した話が、逆に量子力学を肯定してしまい、自分の名前をつけられて、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスと呼ばれてしまうのは何とも皮肉な話である。 アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス - Wikipedia 量子力学には、相対論と相容れない、このようなパラドックスがあるにも関わらずに、ディラックが、負のエネルギーの海を持ち出して、ゲージ理論で、相対論的な量子力学をつくりだしてしまうのは、量子力学が既に論理破綻している理論で、観測論を持ち出す以外に、物質界に着地点が見出せずに、終息させる手段がないのを意味しているわけでもある。 ディラック方程式 - Wikipedia つまり、観測論という物質界の終着点を見通して、枠組みを設定し、境界条件=初期条件を持ち込んで、そのなかで、自由に量子力学の確率論を泳がせるのが、当面の現代物議学の生命線なんである。 しかし、前回述べたように、覚醒時の人間の自我は破壊活動しかできないので、現代社会は、どんどん獣のような動物人間へと退化していくわけで、毒災者のような愚か者の獣の代表が巷をゾンビのように徘徊し、ゾンビハンターが暗躍する未来社会の到来を予言させる。 このような現実の惨状をみると、この国の教員不足もその退廃退化の流れの一つといえるのかもしれない。 さて、もし、高次の宇宙人が地球にやってきたとしても、人類はその訪問に気づかず、認識できないだろう。人間が、神の姿をみれないのと同じである。 というのも、高次の存在は、人類の物質的な概念を超えているから、高次なのである。 バカには賢さがわからないし、毒災者のようなバカは自らがバカだと自覚しないばかりか、賢いと思い込んでいるから始末に負えない。 つまり、これが俗にいうソクラテスの無知の知である。 無知の知を知らない物理学者は、物理学で物質界を超えて宇宙をも解き明かせると豪語し、数学狂ともいうべき、なんでも数式化できるという宗教に入信しているが、睡眠中にその意識が眠ってしまう事すらも理解できないでいるからお笑い草である。 精神は物理学の範囲外なのに、精神や脳まで、物質的言語で翻訳しようとしているのが、現代科学で、その代表が脳科学である。 脳科学は、人間の覚醒意識が、物質界での破壊行為からなっている事さえも理解できないでいる。シュタイナーは、覚醒意識の盲点は、覚醒意識自体を意識できない点にあると看破している。 つまり、人間は、自分の破壊行為を通して、自分を認識するわけで、自分を創造しているわけではないのである。物質界を分解する事で、物質語を当てはめて、その物質語をパズルのように組み立てて、理解したふりの知ったかぶりの自己満足に浸っているだけなのである。 だから、ソクラテスの無知の知すら知らないでいるのである。 無というのは、物質的に無という感覚であって、そこに何もないわけではないのである。例えば、先に、ディラックが負のエネルギーの海を持ち出したように、それは物質界でいえば、無だが、物質的には無であっても、時間が経てば、電子が出てくる事もあるから、無ではないわけで、空間的に無であっても、時間的に無なのかどうかは確率論で推測する知性の限界を意味するわけなんである。 だから、ソクラテスは、無知の知を説いて、哲学は、かつてのカルマの法学に戻るべきである、と唱えて、人間の法は破ることができるが、カルマの法は破ることはできないので、毒杯を飲んで、肉体を捨てたのである。 人間の法よりも、道徳性を重んじたカルマの法が高次の存在で、高次の世界に旅立ったわけである。 さて、物質界を抜け出すと、その上には、天使の世界が広がっている。人間はその高次の世界では、破壊活動ができないので、覚醒意識は眠ってしまい、物質界でのパスポートである自我は有効期限切れで、自分がなんたるかさえもわからないから、天使と堕天使の戦いを見守るしかない。 高次の世界に、自分がなんだかわからないが、そのなかで自分の身分を示そうとする低レベルな物質界での立場や身分を持ち込むと、待ってましたとばかりに、堕天使の餌食になり、物質欲が掻き立てられて、地獄の苦しみを味わうようになる。 その様子から、物質名を変えて、戒名やら、洗礼名をつけなければいけない、といわれるわけで、要するに、物質的な穢れ全てを捨て、それも喜捨しないといけない、とわかるわけである。 物質界に依存していた自我は、逆にそれは物質界をそれだけ破壊していた事なので、物質界だけに通用する行為だから、破壊的な自我は、物質界で破壊を続けたいと願うわけなんである。 そこに堕天使はつけこんできて、物質界がいいよね。お前さんは物質界を忘れられないよなぁ。物質界ではこんないい思いをしたけど、いまはできないよなぁと、苛めてくるわけなんである。 堕天使悪魔の苛めの道具とならないために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。 ★ ★ ★ さて、人間には、多様な作用が、地球からの作用や、地球外からの作用が働いているのがわかる。これらの働きを研究するには、これらの共同の働きの結果を、人体全体の働きのなかに見る必要がある。 人体の一部だけでなく、全体を見ないと真相は見えてこない。宇宙全体のこの共同活動の結果がほとんどみえないのが、細胞である。細胞をみても、この共同活動がほとんどわからない、のに注意すべきである。 では一体、細胞とは何なのか? 細胞とは、人体に対して、独自の成長、生命力によって、我儘を通用させている存在なのである。 (全ての細胞は、がん幹細胞である。) そして、人体を、地球(地)と地球外(天)の作用の複合体とみなして、細胞を観察すれば、細胞は、地球の作用に密かに加わり、地球外の作用に抵抗し、破壊する存在なのである。 実際、人体は、絶えず、細胞の生命力(我儘)に対して戦っている。だから、細胞病理学や細胞生理学により成立した見解はナンセンスも甚だしい。これらの見解は、細胞を基本に据え、人体を細胞の構築物とみなしている。 このような我儘な細胞に対して、人体は1つの統合体、つまり宇宙全体の活動と関わり、細胞が持つ我儘に対して常に戦わねばならない統合体なのである。 細胞とは、基本的に、人体を構築するのではなく、絶えず構築を妨げる存在なのである。細胞病理学や細胞生理学などによる基本的見解が、現代の思考全般に入り込んでいるので、人間や人体について、本末転倒した考察に到達するのも不思議ではない。 (細胞の個性を調整し統合するのが人体の恒常性=ホメオステーシス) 以上のように、人体の統合活動と個々の細胞の活動による、2つの対立(相対)する力の複合体が現われてくる。人体の諸器官=臓器は、この中間に位置し、どちらが優勢かによって、肝臓や、心臓等になる。人体の器官は、この2つの力の間で均衡をとり、複合体として現れてくる。 器官=臓器が細胞の我儘な活動に多大に影響された後、この活動は、宇宙の統合活動により抑制され、克服される。或いはまた(後で、個々の器官の特徴を述べていくが)、宇宙の統合活動が優勢で、細胞の活動が後退している器官もある。 特に興味深いのは、人体下部の生殖-排泄から、心臓に向かう間に位置する器官=臓器を、このような観点から考察するときである。 生殖-排泄から心臓に向かって位置する器官=臓器では、ほとんどが、独自の生命力を展開する細胞に多大に影響され、細胞と似た性質をもつ。人体の全器官=臓器を比較観察すると、生殖-排泄から心臓までの器官=臓器は、その中の細胞とよく似ているのがわかる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023年06月21日 12時32分42秒
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