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テーマ:60年代米国音楽(313)
カテゴリ:60年代米国音楽
“Today” by The New Christy Minstrels 1964
ずいぶん長い間楽天日記から遠ざかっていました。 不覚にも、気づかないうちにかなり重篤な病に陥っていましたから、ネットに向かう気にもなれなかったんです、というような言い訳ができるくらいの元気が戻ってきました。 とは言え、治るような病気でもないので、これからはいかにこいつと付き合ってゆくかが、最大の課題です。 近頃では、来し方行く末を想うことが多くなっていたところに、病気が追い討ちをかけるように、あれこれ思いめぐらす日々でしたが、結局のところは、今日という日が無事迎えられることに感謝するような心境になっています。 だから、今日のような日は、本当なら手放しでこの春の訪れを喜びたいところですが、やはり地震と原発はどうしても頭から離れないです。 つまり今日などは、The New Christy Minstrels (ニュークリスティー・ミンストレルズ)の “Today” などを聴きながらのんびり過ごすのには絶好の日なはずなんですけど。本来ならね。 気を取り直して、前回サンレモ音楽祭の話題に登場したニュークリスティー・ミンストレルズです。やっぱりニュークリスティー・ミンストレルズといえば、“Today” です。もちろん、あの名曲 “Green Green” でもいいんですが、「今日」はなんと言っても “Today” です。 ********************** ♪ Today while the blossoms still cling to the vine I'll taste your strawberries, I'll drink your sweet wine A million tomorrows shall all pass away Ere I forget all the joy that is mine today 今日という日よ まだ花が蔓にしがみついているうちに 私はあなたのいちごの実を食べ あなたの甘い酒を飲もう 百万の明日はすべて消え去ってしまうのだから 今日という日に私のものであるすべての喜びを忘れてしまわないうちに 季節としては、春の終わりから初夏の頃かな。露地物の苺が実る頃だから、うちのあたりでいえばまだちょっと早い。 けど、この歌が「今この時」に対する讃歌であることは、この冒頭から明らかだ。因に「あなた」とは「今日という日」を擬人化して、そう呼んでいるわけです。後半、例によってかなり直訳です。誤訳・拙訳お許しを。 以下、続きも訳してみました。 ♪ 私はあなたのダンディーになろう あなたの放浪者にもなろう あなたは私が歌う歌で 私が誰だかわかるだろう あなたの食卓で祝宴を張り そのクローバーの上に寝る 明日が何をもたらすかなんて 誰が気にかけるだろう 今日という日よ まだ花が蔓にしがみついているうちに 私はあなたのいちごの実を食べ あなたの甘い酒を飲もう 私は昨日の栄光に 満足などできない 冬から春にかけての約束を糧に 生きてゆくことはできない 今日という日が私の瞬間 今が私の物語 私は笑い 私は泣き 私は歌う 今日という日よ まだ花が蔓にしがみついているうちに 私はあなたのいちごの実を食べ あなたの甘い酒を飲もう 百万の明日はすべて消え去ってしまうのだから 今日という日に私のものであるすべての喜びを忘れてしまわないうちに ********************** この歌が日本でどのくらいのヒットだったか覚えていませんが、ちょうど P.P.M やキングストン・トリオ、ブラザーズ・フォーが全盛の頃でした。フーテナニーなんていう言葉がそろそろ聞かれるようになっていたころで、大編成のニュークリスティー・ミンストレルズの音は実にフォークソング的、フーテナニー的に響きました。 フォークソングというと、吉田拓郎とか、かぐや姫なんかを連想する人も多いでしょうが、僕らの年代では、まずいわゆる上記のモダンフォークのグループを思い浮かべ、同時にボブ・ディランでしょうか。サイモンとガーファンクルなどがこれに続きますが、この辺りからはロック色が濃くなってきます。 日本では、モダンフォークの流れからカレッジポップスという独自のジャンルも生まれ、多くのヒット曲も生まれました。拓郎やかぐや姫は、さらにそのあとですね。 「今この時」を「今日この日」を「平和に生きる」ということの大切さを、ニュークリスティー・ミンストレルズの “Today” を聴きながら、思わざるを得ません。 もしも、地震ウツや原発ウツに悩んでいる人がいたら、ちょっと聴いてみてください。 (文中訳:穴沢) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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