雑誌SAPIOが不定期刊になるという。
この間の新潮45の休刊もそうなのだが、ああいう評論を主体とした雑誌が売れない時代なのだろう。
それもそうだ。
かつてはオピニオンリーダーという言葉があり、大衆は新聞や雑誌で権威ある人々の評論を読み、それを自分の意見としていたが、今はそうした時代ではない。かつては市井の議論では〇〇新聞の社説にこうあったとか、△△がこう言っているなんてのがよくあったが、今はそういうことをいう頻度はぐっと減っている。
大抵のテーマは検索すれば、それについてのありとあらゆる意見がでてくる。
もちろん玉石混交といってしまえばいえるが、一方で従来ならマスコミにでなかったような当事者の発言もある。こうしたものは無料の上、双方向で感想や質問も書けるし、時には自分で意見を発信することもできる。
こんな面白いものが出現したのに、なんでコーヒー代の何倍もはらって雑誌の評論を買う必要があるのだろうか。
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雑誌だけでなく新聞も衰退産業なのではないか。
ニュースはテレビやネットで見ることができるのだとしたら、残るは雑誌と同様のオピニオンなのだが、各新聞社の重鎮が書いたであろう社説は短時間でさっとまとめたものだけに、雑誌の評論に比べてもさらに読みでがない。各新聞社の姿勢から推測できるようなことを綺麗なまとまった文章でさっと書いたにすぎない。
テレビ報道は速報性という点では貴重だが、コメントはどうでもいい。スポンサーの圧力、官邸の圧力?様々な制約の中で当意即妙に気の利いたことを言わなければならないコメンテーターも大変だが、それとても内容は「ちょっと気の利いた」という程度のものであるので、容姿がよくて頭の回転の良い人であれば十分だろう。あの学歴詐称の偽ハーフのイケメンなど出してやればいいのにと思う。
ただそのテレビ報道も劣化が激しい。NHKの総合ニュースで子供アイドルグループの総選挙を国民的行事のようにえんえん報道したのには驚いたが、その後も、パンダの赤ちゃんだの妻を亡くした歌舞伎役者のコメントだのを長時間報道しているのを見ると、もう報道の役割を放棄したとしか思えない。
それ以外の何の芸があるかわからない人々をひな壇に並べて笑い転げるだけの番組は時間と電波の無駄だし、特定の関心分野に絞って視聴できる有料テレビが普及していく中で、既存のテレビ局も安泰でなくなっていくのかもしれない。