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先日のカウンセリングでは、問題を抱えた家族にどう対応するか、ということについて来談者と語り合っていました。思い通りにならない家族に困り果てて、私のところに繋がってくる方も少なくありません。
はじめは家族や親戚、友人、上司などに相談を持ちかけるけれど、ますますこじれていくばかりで、やむなく、公的機関や民間の支援施設に行く事になります。 当初は、ふんふんと聴いてくれる相談員もどうしたらいいですかとの問いに、「どうしたらいいですかねえ」と暖簾に腕押しのような、ほとんど無意味な対話になってしまいます。 せいぜい常識的な時には的外れな返答がかえって来て、それくらいわかってる、と言いたくなる気持ちを抑えてると、では、専門の機関をご紹介しますから、と、よそに振られてしまいます。結局どこに行ってもたらい回しにされたという気持ちになってしまう方も少なくありません。 これは日本に人権とか援助という概念が薄いという文化的な背景の問題もありますし、縦割りややわばり意識、官民意識などの強い、行政の構造的な問題もあります。 この問題を解決するために、様々な援助者が分野を超えてひとつの事例を共有するカンファレンスのシステムを作ったり、組織そのものを複合的な支援を提供できるものにし、ワンストップで問題解決にあたれるようにしていくと言う考えが世界的な流れになっているようです。要するに援助者の考える支援から当事者の求める支援にパラダイムシフトが起こっていったと言う事でしょう。 もちろん私も、現場で当事者の求める援助を模索していくとやはり複合的な支援に行き着いて今に至る訳です。けれど、私には当たり前の考え方ですが、日本の常識、慣例からはあり得ない事ですから、当事者の当事者による当事者のための支援 なんて夢物語にしか思えないのでしょう。 で、私は当事者としての体験を持ちながらも回復した者として渦中のクライアントに寄り添いつつ援助を提供していきます。先日の方も、その家族には暴力や発達傷害という問題があって、これまで様々なところに関わってきたけれど、問題は変遷しつつも、根本的には何も解決しないということで困り果てておられました。 私はその家族の問題ではなく、来談者自身の問題ととらえる価値観について検証し「問題を問題とする」すなわち、問題を問題と思うのはなぜか、その辺りから対話を進めていきます。 多くの方は、自分が思考の枠組みの中で思考している事に気づいていません。そこには善悪とか常識とか、正誤とか、上下とか、性役割意識とか、様々な無意識にしみ込んだ思考の枠組みがあります。 私は、クライアントがその枠組みを一旦解体して、状況を別の視点、別の枠組みから再構築していくと言う事のお手伝いをする事になります。その時にとても重要なのが、当事者の視点でしょうか。 発達障害や、暴力や、依存について、偉い先生方の分析についていくら聴かされても当事者はなかなか納得できないと言う事が多々あるのも当然で、ではどうするのか、という答えがないからでしょう。 少なくとも私は私の体験を語ることは可能です。LDで、暴力的に自己防衛してた私がどうやって非暴力的な行動を獲得したのか、アルコール依存からどうやって脱却したのか、それを語ることは当事者に対する説教にはなりません。ある意味可能性の提示であって、混乱の渦中にいる当事者に取ってかすかながらも希望にもなり得ます。 多くの当事者に取って、医療も行政も警察も司法も、ほとんど役には立たなかったという体験はよくある事で、ある意味私自身もその体験を共有していますから、同じ価値観で語り合う事が可能です。 司法に正義はないとか、弁護士は人権よりも利益を優先するとか、警察は困った時には動いてくれないとか、当事者になってはじめて理解する現実があります。この現実理解を私はクライアントと共有します。日本の司法は腐ってる、正義はない、と私が語ることで、当事者は随分と気持ちが楽になる事も少なくありません。私は単にお題目でそれを語るのではなく、私の体験を語ることになりますから、説得力はあるようです。 また、対話するだけではなく、クライアントやその家族が社会の中で生き抜いていく知識なりスキルを獲得できるよう、あの手この手でサポートしていく訳です。もちろんその時に他人事ではなく当事者目線ははずす事はできません。 物語りを紡ぐ共著者としてのスタンスを失わないように自戒しています。とは言うものの、私に過度に依存して却って自立を難しくするとか、私の援助が破綻する事になっては、援助が無意味になってしまいます。 話しは少し変わりますが、先ほど、シェルター利用の問い合わせがありました。様々な背景や状況などを聞き取って、それでもなおシェルター利用が不可欠なのか、その方の問題はシェルター利用で解決するのか、など、判断させてもらうと説明させて頂きました。 センターのシェルタールーム 以前、こちらの同意無くして家族から逃げて来られた方がおられて、仕事の事お金の事、解決のめどもなくただ家では生活できないとのことでお金もなく、逃げて来られたようでした。 やむなく、玄関で追い返す事もできず、当面シェルターで保護したものの、なかなか仕事につく事もできず十日ほど後に突然無断で出奔されました。以降何の連絡もありません。実際、こんな方が何人かおられたので、シェルター利用に関しては、身柄の安全や経費の担保を確認してからでないと利用はお断りさせて頂いています。 私と当事者との相互信頼と協力関係ができないと、生活を支援するシェルター利用は難しいモノがあります。行政のシェルターや行政の補助を受けている被害者シェルターとは大きく違うところかもしれません。けれど、だからこそ当事者の回復や自立には却って有効なのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/10/21 03:51:58 PM
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