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今朝は台風もほとんど影響はなく、曇天で多少肌寒い程度、仕事をキャンセルするほどでもなかったけれど、後の祭り。この仕事はあらためて日延べさせて頂けるようお願いしておきました。
ということで、時間はたっぷりできたので、久々にランニング。疎水べりはコースが荒れてるだろうから、前回同様山科川どての遊歩道を走りました。 距離は前回より少し伸ばして17キロ。終盤、15キロほどあたりから筋肉がぴくぴく痛み始め、ケイレンを起こすほどではないけれど、走りづらくなりました。 途中ほとんど補給も不要で、井村屋の小豆バーアイスをかじりながら走りました。ほんとはスーパーカップを食べたかったけれど、走りながらでは食べられないし、落ち着いて食べるには時間が気になるし・・・。 あまり汗もかかなかったので水分補給はしなかったけれど、それで筋肉が痛んだのかもしれません。疎水コースとちがってこちらのコースではキンモクセイがまだまだ花盛りで、とてもいい香りを楽しみながら走る事ができました。 が他にはあまり花らしい花もなくて、あまりパシャパシャしながら休むこともなく、たんたんと走りました。 白のクリスマスローズかな シモツケ草 走ってる途中に携帯が鳴って、カウンセリング依頼が二件。ランニングから帰ってシャワーして、カウンセリングでした。 そうそう、先日届いた日経サイエンスに「食欲の暴走」なる記事がありました。過食と肥満の心理的メカニズムについて考察している論文です。 結論から言えば、過食は薬物等の依存と同じく、報酬系の感受性鈍麻から飢餓感が強まり、食べても食べても満足できない悪循環に陥ってる状況で、食べてる時もさほど満足を感じている訳ではないということらしい。 本来なら、血糖があがるとか、満腹中枢が刺激されることで報酬系が刺激されて、満足感と多幸感が沸き、飢餓感を感じなくなってしばらく食欲が無くなるのだけれど、慢性的に血糖が高いとか満腹中枢が刺激されていると、報酬系の感受性が鈍麻し、満足感を感じなくなって常に食欲だけが発動する状況になって悪循環になるとの事。 これは、人類の歴史が常に飽食が許されるという体験を持たないからだということで、人は常に飢餓状況の中でサバイバルする事を最優先に進化してきたからだろうというもの。 この論理は私が常々感じているのと同じで、よくわかります。で、食欲に限らず依存行為に対する対処法は依存を断つのではなく、依存をよりヘルシーなものにシフトするというもの。 過食に対してはたっぷり食べた後、食欲以外で快感を感じるものを楽しんで、食欲以外の刺激で報酬系を満たすと言うもの。要は心の飢餓感を満たすあれやこれやをあてがって食欲の依存回路を薄めていくと言う事でしょうか。 ということはやっぱり、人間はあれやこれ楽しみや喜びをたくさん持ってる方がよりヘルシーで依存を必要としないということかな。依存はいけない、依存は断つべきだ、依存は病気だ、などのネガティブなメッセージはより心理的な不安や葛藤を増大させるので、却って依存が深まってしまうのではないか、というのが私の判断です。 ほんと人の心は難しい、パラドックスに満ちていますよね。正しい事は正しくない・・・これが結論でしょうか。なんか量子論に似てますよねえ。量子心理学、エラい学者さんが誰にでもわかるよう理論化してくれないかなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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