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自宅の連れ合いの本棚に広瀬隆の「原子炉時限爆弾」があったので手に取ってみました。2010/8初版で2011/4に三刷されています。三刷の準備中に3.11大地震が起こり、フクシマの大事故が起こったということになります。
広瀬隆は昔から原発の危険性を訴えてきたジャーナリストで、緻密なデータやら丁寧な取材をもとにしっかりとした、学問的にも信頼できる読み物を書いてきています。小出裕章と共に反原発の巨頭と言える人で、私が尊敬する人物です。 小出や広瀬らが訴え続けてきた原発の危険性について、国民、中でも政治家や財界がちゃんと理解し、真摯に対応していればフクシマもありえなかったでしょう。さらに彼らの危惧するのは、加圧水型原発の川内・伊方は沸騰水型の福島原発よりもハイリスクだということ。その川内・伊方は中央構造線の近くにあって、その線上の熊本、大分が揺れています。 彼らの主張がなぜ政策に反映されないのか、事故を防げなかったのか、それは彼らの問題ではなく、国民の問題なのかもしれません。情報はあってもそれをきちんとリスクマネジメントできないのはなぜか・・・おバカな私にもわかることがなぜ分からないのか・・・私には不思議です。 フクシマ事故で今も大変な暮らしを余儀なくされている方も多いでしょうけれど、彼らは原発の危険性について身にしみていることでしょう。当事者になってはっきり理解できるのかもしれません。 当事者になって初めてわかる・・・この言葉は私もしばしば使います。私の場合DVがらみで使うことが多いのですが。言葉の意味するところはDVも原発も同じ構造があります。原発は危険、家族も危険・・笑い話みたいだけれど・・笑えない事実です。 多くの人は現在の目先の事実にだけ意識が向き、その事実の背後にある真実には意識を向けようとしません。フツーはこうです、みんなしてます、今まではこうでした、偉い人が言ってますから・・などの言葉で隠蔽される真実。 家族も会社も学校もマスコミも、社会全体が真実を隠蔽し、目先の平穏、安逸な暮らしに依存しています。けれど世界を作る現実はしばしばその真実を突きつけます。飢餓や恐慌、戦争やテロであったり、地震や津波、火山の噴火などの天変地異であったり。 真実を理解すれば、たまたま今私たちの幸運がほんにたまたまの偶然であることにも思い至ります。たまたまの不幸で苦悩する人たちとの違いはあまりありません。内戦やテロで愛する者を奪われ、流民となる人たちもいれば、子供が有名校に合格したと喜び幸せを感じる人たちと、たまたまあちらにいるかこちらにいるかだけの違いなのかもしれません・・・たまたま・・ 私たちの生きる世界の真実を理解した時、人は何をすべきなのか・・・・当事者に思いを馳せ寄り添い、自らの当事者性について考え、自他を超えて分かち合うこと、今どこかで生まれた子供とも、どこかで死んだ人とも世界を共にすること、共に生きることなのかもしれません。 目先の状況だけに意識を囚われていては、真実は見えてこないでしょうし、自己の身体の枠を超えて魂を生きる人としてありえたら、多分危険な話に怯えなくて済むだろうし、虚飾の平安に依存しなくても生きていけるのだろうと思います。 こんなことを考えてる私というよりこんな言葉が湧いてくる私だけれど、研究者でもないし政治家でもないし・・・私にできるのは直感に任せて生きること、天に命を委ねること、天命に従ったその結果を日々語ること・・・かな。というわけで・・・お暇な昨日のエピソードは 以前作り置きしして冷凍してたスポンジケーキと先日の見切り品のイチゴでいちごケーキを作ったことと・・ ほんと何年か振りでイカのリングフライを揚げたこと・・・うまかった・・ ほんとおバカで貧乏だけれど・・・なぜか幸せなんですよねぇ・・さて、今日もお暇な一日、何しよっかなー。 ブログに納得いただけたら、クリックお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/04/30 11:29:19 AM
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