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テーマ:九州 旅と食(1338)
カテゴリ:南の島々の観光
昼食の後は、23・5キロの海岸沿いを島の北の方から回ってみました。 砂浜と磯場の海岸が交互にある島でした。 洋風な家が海沿いに並んで建っているところがあったのですが、 道が狭くて近くに行くことが出来ませんでした。 皆田海岸は小島が見えてマリンスポーツも出来るようです。 作家の森瑤子さんのお墓を過ぎて、大金久海岸が見えてきました。 かなり長い砂浜が続いていて、星の砂で有名な百合が浜に行くグラスボードの案内所がありました。 「かりゆし」の像の前で写真を撮ってみました。 辺戸岬にも友好の証としてありましたが、与論島のヤンバルクイナは与論城跡にあるようです。 与論で「パナ」は花「ウル」は珊瑚という意味で、与論島は「パナウル王国」とも言うそうです。 与論島がロケ地になった「めがね」という映画が9月22日から全国ロードショーでいつか見てみたいなと思います。 百合が浜は、大金久海岸の沖合い1・5キロの所にあるそうですが大潮の干潮のときにしか現れないそうで、 天気も悪くその時は見えず、次の日の9時半頃もう一度大金久海岸に行きました。 与論民俗村に行って、昔の民家や民具を見せてもらいました。 天井から大きなかごのようなものがつるされていて、赤ちゃんのゆりかごとの事。 他にもハリセンボンを使ったねずみ返しや、 木の枕など生活の知恵の詰まったものが沢山ありました。 大きなカメが沢山置いてあって、島でお酒を作っていない頃に 琉球からカメに泡盛を入れて運ばれてきたきたそうです。 与論の土は焼き物に向かないと思われていたようで、 泡盛の入っていたカメは島で大切に使われていたそうです。 与論島が琉球の支配下にあったときに数件赤瓦の家が建てられたそうですが、 島のほとんどの家はトタン屋根なので瓦を船で運んでくるのは大変だったんだろうなと思いました。 サザンクロスセンターでは、360度の景色を見ることが出来て、 民家と少しの果物畑の他はほとんどサトウキビ畑で山や木があまりないなと思いました。 畜産小屋と、大島紬の泥染めの為の田んぼを途中で見かけました。 辺戸岬まで25キロ、伊是名島まで42キロと書いてあり直線だと近いところだなと思いました。 民俗村で、沖縄本島の漁師さんが漁船で観光に来る時があると言ってました。 伊是名からは一度運天港に出て、本部港まで車で行ってから与論島に船で行くので大変です。 島の南側から西側の海岸線はダイビングスポットになっているそうです。 島のあちこちの海岸にウミガメが産卵に来るそうです。 与論十五夜踊りの展示もありました。 茶花漁港に行って、ギリシャ村にあるギャラリー海に行きました。 夕日の綺麗なウドノスビーチに行って島を1周出来ました。 車の保有台数が少ないみたいで、駐車場は少ないし信号をほとんど見かけませんでした。 ガソリン代は高いと聞いたので、ガソリンは満タンにして与論島に渡ったので給油はしなかったです。 観光客はホテルの送迎バスや、レンタル自転車を利用することが多いみたいです。 レンタカーの代金も高いように感じました。 次の日の朝、大金久海岸に行くと他のホテルのツアーの方が来ていて、 海中公園の魚をグラスボートで見て、百合が浜に連れて行ってもらいました。 海に囲まれた小さな砂浜の島で、坊ちゃんは一生懸命砂遊びをしていました。 伊是名のビーチと変わらないような気がしたのですが、 不思議な開放感があってのんびりしてしまいました。 ツアーの女の子とかが星の砂を探していましたが、私は見つけられなくて ペットボトルに少し砂を入れて帰りました。 13時40分に入港して14時に出航予定のフェリーなみのうえは 2時間以上遅れて16時20分頃出航しました。 そのおかげで、与論島に長く滞在できたのでよろん焼の窯元と大島紬のいっちゅう本館を見に行くことが出来ました。 船の中では何もない島と言われましたが、与論島にいる時間を楽しむ事が出来たなぁと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月03日 01時53分02秒
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