早稲田旧選手・河野安通志談(3)の続き。
■河野安通志が東京朝日新聞の記事に反論した内容は、9月10日になってようやく掲載された。この時は「野球と其害毒」の第13回目「優等生が落第生になる、早稲田中学幹事・中野文学士談」が掲載されており、その後に河野氏の反論が掲載されていた。
ただ実際にその東京朝日の記事を見ると、通常より文字は小さめ、そして行間のスペースが狭くなっていて、非常に読みづらい。うがった見方をすれば、朝日記者の「(河野氏に載せろといわれたから載せたまで。読者は読まなくてもいいよ!」といった下心が見え隠れする代物。読者目線を完全に無視した紙面構成だった。さらに河野の反論記事の前には、東京朝日記者のいい訳めいた前文が紹介されていた。まずはその内容を。
河野氏左の一文を寄す。記者は同氏の談話については面倒の生じ得べきことを予想し、前もって十分の注意を払いたるにこの書は前話と相違の点あるをもって更に氏をといて
その理由をただしたるに氏曰く「私の談話が御紙に出るとすぐ安部磯雄先生が飛んでこられました。私は早稲田の野球とは今もって深い関係があり友人らとも約束したこともあり家の者もいろいろいって私の立場はたいへん苦しいですからお気の毒でも拙文を載せて下さい」とのこと。よって氏の請を容れ掲載することとせり。
■この東京朝日の記者が書いた前文に対し、河野は「誤伝」であるとし再び憤慨することになる。ま、そのことは置いといて、前文に続く河野の投稿した文章を紹介します。
(続きは次回に)
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