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ほんの四、五十分のお話です。日本文学、其古代の文学に、南方要素がどう言ふ風に現れて居るか、と言ふことを申し上げたいと思ひます。が、これは世間も私自身も、まだ研究最中でございまして、定めてあなた方の御満足を頂くことが出来まいと思ひます。
一体日本文学におきまして、殊にその本格式な文学――これには国文学者の間に、色々な議論もございませうけれども、結局長さで以つて、きめてゆくより外はない、と思ひます。小説或は戯曲、さういふものを、私は本格式な文学だ、と思つて居ります。議論がありませう。それは何時でも承ります。古代、小説とか、戯曲とかいふ形式の、完全に出来ては居ぬ時代に、既に後世の本格式な文学となつて現れる兆しが出て来て居ます。それをとにかく、古代日本文学と言ふやうな題のとり方において、主と立てゝ行く訣でございます。全体にずっと昔に潮りますと、今日、我々が文学として取り扱って居るものも、それをなした人の動機から言へば、文学でも何でもない。つまり、我々の時代に於いては、文学だけれども、其当時は、文学ではなかつた。文学といふことの存在すら知らなかつた訣なのでありますから――
折口信夫「古代日本文学に於ける南方要素」
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最終更新日
2005年05月15日 21時03分39秒
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