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2022.07.09
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カテゴリ:明治期・耽美主義
  『蓼喰う虫』谷崎潤一郎(新潮文庫)

 例えばこんな萩原朔太郎の詩。

   蛙の死

 蛙が殺された、
 子供がまるくなつて手をあげた、
 みんないつしよに、
 かわゆらしい、
 血だらけの手をあげた、
 月が出た、
 丘の上に人が立ってゐる。
 帽子の下に顔がある。

 こんな詩は、いったいどう鑑賞するんでしょうかね。
 また、鑑賞した自分の気持ちを、どう言葉に表せばいいのでしょうか。
 表そうとしても、言葉にした端から、はらはらしながら、その言葉は私の気持ちをちっとも正しく表してはいないと気づくだけではないでしょうか。
 ある有名な詩人は、詩は丸呑みにするしかない、と言いましたね。

 さて、谷崎の本書です。
 私はほとんど半世紀ぶりくらいに再読しましたが、その感想がどうにも表せなく、まるで詩の鑑賞のようだと感じたのであります。
 その理由の一つが、まず文体。例えばこんな表現。

 それに「須磨へ行くのは明日でもいい」と妻はそう云っているものの、多分約束がしてあるのであろうし、そうでない迄も、彼女に取っては面白くもない人形芝居を見せられるより、阿曾の所へ行った方がいいにきまっていることを察してやらないのも気が済まなかった。

 春慶塗の膳の上に来る蛾を追いながらお久があおいでいてくれる団扇の風を浴衣に受けて、要は吸い物椀の中に浮いているほのかな早松茸の匂いを嗅いだ。庭の面は全く暗くなりきって、雨蛙の啼くのが前よりも繁く、かしがましく聞える。

 引用文の前後を全く説明していませんのでわかりにくいですが、ようは、上の文は説明の文であり、下の文は描写の文であります。
 そしてその両方共が、なんとも舌を巻くように見事に描かれていると言うことを、えー、今更ながらわたくしは述べてみたかったわけであります。

 とはいえ、文というものは単独で成立するわけではありません。
 絵画に例えて、文が色彩であるなら、その色彩の集合は、描いているものの形つまりプロット(物語の筋)と例えることができそうです。

 普通の絵画の場合(普通の絵画とはあまりにアバウトな表現ですが)、色彩は、やはり形に奉仕するものでありましょう。しかし、絵画の場合は、20世紀になって抽象画というものが現れてくるのでありますが、その方面の話は、ちょっとおしまいにします。

 本書の読書報告に戻ります。
 私はかなり本書の最後まで、この見事な文は、見事だと言うだけで単独に屹立していて、ほぼプロットに奉仕していないんじゃないかと感じていました。

 かつて三島由紀夫は、理想的な小説を動物園で寝転んでいるアザラシに例えましたが、まさにそのアザラシのような小説が本書なのかもしれないと思いました。

 しかし、アザラシのように存在することが小説の価値であるならば、そこに描かれるものは一体何なのでしょうか。

 わたくし考えたのですが、それはつまり人物(人物が描かれているとして)と、情景の魅力といえるのではないか、と。
 だとすれば、私が本書を読みながら思っていた、本書の魅力とは詰まるところ、主人公「要」の義父の若い「妾」(「娘よりも若い」)である「お久」の造形の魅力ではないかに結びつく、と。
 「お久」は、それほどに本書の中で魅力的に描かれています。(一応、私に取ってではありますが。そして結局のところ、作中にも再三仄めかされている通り、「お久」とは一つの象徴でありましょう。)

 そんな風に私は本書を読んできたのであります。
 間違った読みだとは今も思わないのですが、ただ、終盤、本当に後数ページで終わりというところで、主人公の「要」が一つの小さな「決心」をする場面が描かれます。
 私はそこを読んで、あっと思いました。ここには、作品のカタストロフがある、と。
 有機的にストーリーが流れているその果ての心地よい「大団円」が、間違いなくここに描かれている、と。

 文体は、やはりプロットに奉仕していました。(「プロットにも奉仕」というべきでしょうか。)
 なるほど、さすがの谷崎作品は、わたくしごときが簡単にまとめようとしても、そうは許してはくれません。

 吉田健一が書いている本書の解説文に、「海草が妖しく交錯する海底の世界を覗く思い」との引用がありました。この文言は、確か小説にすれっからしの正宗白鳥が書いたものじゃなかったかと思い出しつつ、今読んでも見事に表したものだと私も思いました。

 追い書き
 読み終わってなんと言うことなく表紙を眺めていて、ふとこれも思いついたのですが、「蓼喰う虫」とは、作中の誰のことを指しているのか、と。
 このタイトルが、「蓼食う虫も好き好き」=人の好みは人それぞれに様々であるという意味のままならば、一番その意味に合致した行動は、「美佐子」の恋人「阿曾」ということになります。
 でもいくらなんでもそれはないでしょう。「阿曾」は主な登場人物級には、全く描かれていません。

 ではやはり主人公「要」のことかな、と。
 そうかもしれません。でもそうであるならば、本来のことわざの意味を微妙に読み替えたうえで幾重もの意識を複雑に重ね合わせた、タイトル一つをとってもかなり考え込んだ作品なのかもしれません。
 いえ、そんなことは、私が知らなかっただけで、当たり前の解釈なのかもしれませんが……。

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Last updated  2022.07.09 20:00:30
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