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2008.06.03
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名古屋港イタリア村

最近は華やかなオープンもつかの間に
あっという間に閉鎖となる施設のニュースは悲しくなりますね。
上記の画像は昨年の12月の暮れに訪れた名古屋港イタリア村の一階にあるイタリア全土
から食材を直輸入する食品店舗「メルカトーレ」から外に出たところ。
(名古屋港イタリア村は先月5月7日に170億円の負債を抱え経営破綻した。)

私は偶然この名古屋港イタリア村の開村当時に一度行きました。
当時は相当賑わっていて、特にこの写真を撮った場所の食材店は内部で身動きできない
ほどでした。また買った食材を屋外で食べることができるように椅子やテーブルもあり
かなり華やかでしたが、2年半ぶりに再び名古屋港イタリア村に立ち寄りました。

年末の暮れの時期。もう冬休みでこの手の大型商業施設では相当な混雑を予想していましたが
あっけないほど駐車場はガラガラ。店内もどの飲食店もガラガラでした。
こんなにお客さんがいなくて採算が取れるのだろうか?と余所事ながら心配していましたが
やはりか?という結果↓でした。

名古屋港イタリア村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

名古屋に住む友人や親戚の話などからすれば、場所が不便で一度行ったら
行く用事がないとの事。
やはりリピーターが少なかったというのが大きな要因だと私は感じます。
個人的には、特に一階の「メルカトーレ」には見たこともないワインや
チーズなどかなりの種類と本格的な取りそろえだったのでなかなか気にいって
いたのですが。
わずか3年という短命の施設というのはどこかもの悲しく暗い気持ちになりますね。
なんとか復活して欲しい気がします。
トヨタ自動車村?とか三菱パリダカランドとか作ってくれないですかね?
あとはイタリア村で過ごした時間がそれぞれの家族や恋人同士で楽しい
思い出として熟成される事を願うばかりですね。
そしてこんなニュースを聞くとますます、そのほとんどがリピーターという
東京ディズニーリゾートの偉大さを感じます。


さて話はかわって1966年生まれの私はついに先日42才。
ちょうど誕生日のその日は車関係の友人に誘われて芦ノ湖スカイラインのやぎさんに
いましたが、みなさん朝早くから世界各国の車がいっぱい。
午前中にカフェジュリアで、またまた車談義&自転車談義
わたしは秋までにメタボ解消&レコーディングダイエット中ですので
まだ自転車持っていませんが、やはりホイールジャンキーは自転車も
はまるみたいですな。一通りはまっているので相談しやすいです。

さて昨日はラリーモンゴリアへの最終荷物チェックで
ナビの松田氏がアピオへ。

お昼時間に船橋サーキットの話に。
昨日掲載した雑誌にも生沢さん特集だったので当然モノクロの
写真が載っています。
(この雑誌を教えてくれたのはパリダカの鉄人・菅原さんですが
早速私のブログを生沢徹さんにご紹介していただいたそうで
ううハズカシイやら焦るやらです。)(^^;)

尾上に場所を尋ねると確か船橋ヘルスセンターのあたりとの事。
気になったのでネットでググるとですね、
船橋サーキットは1965年7月1日開設~1967年7月閉鎖と、営業期間はわずか2年。
様々な伝説の生まれたサーキットにしては上記の名古屋港イタリア村同様にかなりの短命ですね。

尾上の記憶通り船橋サーキットは、かつて千葉県船橋市の船橋ヘルスセンター内に
存在したサーキット。

今は船橋ららぽーと駐車場との事なので、かつてザウスがあったり今はIKEAが
あるあたりをかつては快音を響かせつつスカイラインやポルシェが走っていたの
でしょうね。

ところで今日のブログタイトルの意味は、もしタイムマシンがあって
この船橋サーキットにいけば大勢いろんな人が当時はお互いを知らずに
その場にいたかもしれないからです。

まず弊社会長の尾上は当時横浜トヨペットのメカとして、そこでトヨタの
車をレース用に改造した車のサポートとして連れていってもらったそうです。

そしてラリーモンゴリア・アピオ号のナビ(コ・ドライバー)の松田氏は
当時日芸の写真部?として船橋サーキットにペンタックスのSP(あのスクリューマウントの名機ですね)で
よく撮影に出かけていたとか。

さらにロシアンラリーの日本側オーガナイザーの森氏は、当時まだ少年で
サーキットを疾走するミニ「ミニクーパーのスガワラ」を見ていたそうです。

話がそれますが、実はミニクーパーは今まで何度も買おうと思った時期が
ありました。
そしてプラモデルでも何度も製作した
モーリスミニ1275クーパーS

そんな当時のミニを菅原さんがステアリングを握っていて
先ほどこれまたぐぐるとですね、
BMC直輸入代理店
黒崎内燃機工業のミニクーパーS
ゼッケン39番
1967年12月3日富士12時間耐久レース総合3位。
ドライバーは菅原義正選手。
というミニカーまで存在しました。

この時はもう船橋が閉鎖しているのですがこのマシンで
もしかすると船橋を走っているのかもしれませんね。
今度菅原さんとお会いした時に尋ねてみます。

黒崎内燃機工業を調べると
この会社は当時のインポーターさんのようで、
昭和42年東京晴海で開催された「東京モーターショー」に黒崎内燃機工業が出品とあります。

船橋サーキット。もし今あればどんな感じでしょうね。
タイムマシンがあればこの時代にトリップして上記の人たちの当時を見てみたいですね。
でもみなさん相当に今とは雰囲気違うかも?

きりがないので今日はこのへんで。

最後に船橋サーキット関連の動画をユーチューブで↓

船橋サーキットロケ

「四つの恋の物語」1965年
(出演)吉永小百合、関口宏、芦川いづみ、十朱幸代、和泉雅子





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Last updated  2008.06.03 17:40:29
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