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第7官界彷徨

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2019.06.16
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カテゴリ:日本史
第五回のテーマは
『明治維新は「夜明け前」地域では、何故挫折したのか?』だった。

 前回は、水戸西上勢への助力、協力の後、サムライ階級を超えて地域の政治勢力になって行った夜明け前地域の人々が紹介された。彼らは忖度したり様子見をしたりしない人々だった。

 禁門の変で朝敵となった長州藩を征伐するため、幕府は尾張藩主徳川慶勝を指揮官に任命。
 1864年9月尾張藩兵を率いた慶勝は京にのぼる。

 10月、夜明け前地域の人々は強い反対姿勢を示し、市岡殷政は征長反対の建白書を尾張藩に提出。
 内容は
 『長州が正しいのか、間違っているのか。
 自分たちは近年、御用金を仰せつけられ、負担が大きかった。(金も人命も)
 「今般の調達金、夫役等、一統御免こうむりたい」出せない、やめてくれ。』

 先生の言葉
「明治維新はスムーズにいった。死んだ人間はフランス革命に比べて少ない、という人がいるが、本当に資料を見て言っているんですか?と言いたい」

 殷政はじめ各地の無数の抵抗により、第一次征長は交戦なしに集結させるしかなかった。

 この1864年(元治元年)6月から、馬籠本陣の島崎正樹は中山道の伝馬・助郷(人足をやとって出さねばならない)負担を軽減させるべく、他の総代たちと出訴のため江戸に出て、ご沙汰の出る9月まで滞在。
 7月13日には気吹舎に出向く。4月に正樹は気吹舎に「諸事覚書」を送っている。山の「境界図帳」作成など、林政についての改革案がよく表れている。

 しかし、夜明け前地域の人々の気持ちとは、時勢は正反対に動いていった。





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最終更新日  2019.06.16 10:54:57
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