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第7官界彷徨

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2019.06.17
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カテゴリ:日本史
長州藩は高杉晋作の革命で今までのことは終わりに、とし、幕府側はそれでは長州藩の謝罪は不十分と第2次征長のため
1865年5月、長州征伐のため、幕府、諸藩軍が大阪に結集。
10月5日、連合艦隊進入という軍事的圧力を受け、孝明天皇は条約勅許せざるを得なくなる。(簾前会議で勅許に反対したのは薩摩と備前だけだった)

10月25日、日本の行く末を案じた市岡殷政と間半兵衛は尾張藩への建白書を提出。
勅許反対の為上京、一カ月間公家への国事周旋活動を行う。

平田国学の考えに基づき、皇国浮沈の一大事につき、長州を許し、諸侯会議で公論を形成、もはや幕府を中心に据えない国内統制の新しい形を作るべき、と。

馬籠本陣の島崎正樹は二人の対朝廷建白の壮挙を聞き、長歌を作る。その反歌に
・くにがため心尽くせし言挙は千世にもとおく語りつぐべし
・くにのため力尽くせし言挙を善と聞してさて置べしや
(建白書をそのまま放っておくのか。一体日本はどうなってしまうのか。国事を憂う百姓町人の気持ちだった)

平田門人の人々の間で、幕府のぶざまさへの見限り
(西上勢を事無く藩内を通過させたかった飯田藩は、見ないふりをして関所を通過させたが、その後幕府より咎められると、二人の役人を殺してしまった。主体性を失い決められない政治に人々は翻弄されている)
彼らの思いは長州、薩摩への期待となっていく。

全国的に張り巡らされた平田同門の情報網に、極秘の薩長同盟情報が転がり込む。薩長同盟は口頭での約束だったが、文書で確認しないと心配な人がいる。
情報は、京都の染物屋池村久兵衛(伊勢久)。松尾多勢子の上京中、助力し続け、多勢子の紹介で平田国学の気吹舎に入門、驚くほどの売れ行きを示した気吹舎出版物の京都での販売取次ぎをしていて、京都に集まる国事周旋家のたまり場になっていた。
市村、間の両名は、在京中、池村から貴重な情報を入手していた。

池村は二人が帰郷した直後
12月26日
「御本陣(市岡)・宗匠(肥田九郎衛門=夜明け前の小野三郎兵衛)・間君宛。伊那へは別便で送る」
として、薩長同盟の極秘文書を送ってきたのだった。つづく





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最終更新日  2019.06.17 16:12:16
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