オーバの研修生ブログ開始しました!
以下は、研修生によるレポートです。
*写真もすべて「き」さんの撮影です。
*下線部はオーバによる加筆です。
○玉川大学芸術学部3年「き」さんの7日目報告
2008年9月6日(土)・・・その1
研修内容・・・韓国・朝鮮人の文化を知るためのお祭り「ヨコハマハギハッキョ」にて、「関東大震災後の朝鮮人中国人虐殺関連現場」のフィールドワーク
・会場 横浜市立中村小学校とその周辺
横浜市立中村小学校にて「ヨコハマハギハッキョ」というイベントがおこなわれた。このイベントは、韓国・朝鮮人の文化を知るためのお祭りである。
このお祭りの目的は、在日韓国・朝鮮人の人たちが自分たちの文化に誇りを持てるようにすること、そして日本と韓国・朝鮮の相互理解である。
昔から横浜には多くの朝鮮人が住み、暮らしていた。
だが、朝鮮人だということで差別されて自分の本当の名前も語れずにいた。
そんな状況を変えるために15年前から始まったのがこのヨコハマハギハッキョである。
ハギハッキョとは「夏期学校」という意味で、この1日だけでも韓国・朝鮮人の人たちが自分の本当の名前を語れる場にしたいという思いからできたイベントである。
朝、参加者全員が体育館に集合して司会者のことばを聞いたり、簡単な手遊びをしたあとに各グループ別に分かれて活動をはじめた。
工作をするグループ、チヂミを作るグループ、太鼓「チャンゴ」を体験するグループなどあったが、今回、私はフィールドワークのグループに参加した。
フィールドワークは、中村小学校とその周辺の地域を巡る歴史探索の活動である。
昔、中村小学校周辺は関東大震災のときに朝鮮人と中国人の虐殺がおこなわれた地域でもある。
震災が起きたとき、朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、街に火をつけているとか、さまざまなデマが飛び交った。
日本人からしてみれば、虐殺は朝鮮人から身を守る目的でおこなわれていたことになる。なぜそんなことになってしまったのかというと、当時メディアが発達していなかったため、正しい情報が報道されにくかったということもある。
だが、当時の日本人は朝鮮人と交流があまりなく、朝鮮人に対して恐れを抱いていた、ということもデマに拍車をかける要素になっていったのだろう。
▲震災の大火事から逃げるため、住民はこの崖を登って高いところに非難した
そんな歴史を振り返りながら中村小学校を出発し、虐殺がおこなわれていた中村橋を渡って宝生寺にたどり着いた。
▲虐殺の現場「中村橋」
この寺には、虐殺された朝鮮人の位牌が納められており、慰霊碑が建てられている。
▲宝生寺入り口
位牌には「虐殺韓国人諸霊位」と記され、日付が9月2日になっている。
多くの震災の慰霊には9月1日、つまり震災のあった日付になっているが、9月2日は虐殺が広がった日付である。
現在は虐殺の文字が入っているが、当時は入っておらず、日付だけを変えることで虐殺による犠牲者だということを記していたのだ。
▲慰霊碑
慰霊碑の裏には碑文が記されており、そこには「関東大震災に因る直接又は間接の被害者」とあるだけで、虐殺という文字は出てこない。
おそらく、石碑を守り残していくために虐殺の文字を入れなかったのだろう。
* その2へつづく
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