やっと家に帰ってきましたが。風林火山の最終回;山本勘助の壮絶な最後。生きてこそ人の歴史が積み重なってきたのですね。
3日に午後になって急に主人が今から行こう、と言い出したので名古屋に行きました。高速の運転は一時間半から2時間以内で休憩を取りながら、やっと名古屋のお姉さんの家に着いたのは夜の9時過ぎでした。先日13日に家に帰ってきましたが、ノートパソコンを持たない私で、しかも主人のお姉さんの家はまったくパソコンとは縁のない家で、今度長期に家を空ける時までには、ノートパソコンを手に入れたいとつくづく思いました。主人の体調は相変わらずでしたが、私は一緒に寝たり起きたりの毎日で、自宅に居る時とは違い、なぜか暇で、主人が昼間寝ている時は、新聞を隅づみまで読む。相変わらず胃ロウが外れた時は洗濯に、時々の失禁も大慌てで又洗濯したりと毎日が過ぎました。肝心のDBSの脳神経外科の診察日には結局起きられず、私一人でドクターに会ってきました。睡眠障害はDBSでは改善できないといわれ、やはり現状維持で行くしかないという結論でした。それでもこの間ほとんど毎日夕方から夜にかけては起きていました。夕食代わりにインスタントのワンタンスープとフリーズドライのふかひれスープが沢山あったのでそれが丁度むせながらも本人は気に入って毎日食べていました。朝と昼はほとんど寝ていて胃ロウでの径管栄養でした。ベッドもない家なので、畳にお布団を敷いてトイレは立ったり座ったりが大変で、その都度体を支えたり手伝ったりで目が離せなかったけれどかえって工夫して四つんばいになってから立ち上がるという足の筋肉を使って立ち上がることでリハビリになったかなとも思いました。寝るときもしゃがんでから横になるという繰り返しで毎回手伝わないといけない状態でしたが、昼間はそんなで約2時間おきのトイレタイムで一日が過ぎました。夜は一人で起きて行くので横で様子を見る、帰ってきて寝るときだけお布団をかけてあげる、という訳で、やはり2時間から日によっては一時間毎に起こされるので昼間は私も眠くて時々朝寝をしたり、昼寝をしたりの毎日でした。結果的にはほとんどお姉さんの家に居ただけの10日間でした。一日だけ昼間無理やり起こして住宅街の中を散歩しましたがほんの15分ほどの散歩でした。最後の夕方元気になった時車で近くのスーパーまで買い物に一緒に行き、久しぶりにお店の中を歩きました。今朝はとうとう雪景色でやっぱり寒い生活が又始まりました。名古屋は暖かいというか寒くない所で、もっと昼間元気なら散歩など出来るはずだったのに、夜に起きてひたすらテレビを見るか、新聞を広げるくらいの毎日でした。今日も昼間は寝ていましたが、午後少しだけ薪の用意を手伝ってくれましたがほんの15分か20分だったかな。すぐ疲れてしまうようですね。まあ私が元気なうちは何でもがんばりますよ。でも帰って来る時も一人で運転してきたのでここ2日は疲れが出て毎日寝たり、留守中の家の中を片付けたりと忙しかったです。川中島の合戦のすごさに改めてあの有名な軍配で刀を受けるシーンはリアルでした。古戦場にはあの2人の武将の銅像がありますが、歴史の史実はまさにそのものだったのでしょう。それでもまだあの合戦から500年ですから、歴史を刻んでいるケヤキの大木は全てを知っているのでしょうね。