テーマ:障害児と生きる日常(4431)
カテゴリ:最近のことの日記
我が家での今年のもう一つの大きな出来事はSの身に起きた。
6月の学校行事として行われる中学2年の移動教室。今までも先生たちとの宿泊を楽しめて大好きなSではあるが、今回はカウントダウンするように毎日を機嫌よく過ごし、「こういうのを楽しみにできるようになったんだなあ」とこちらがうれしく思えるようになった。 親の方はというと、「子どもたち抜きで集まれる機会はそうない」ということで、2泊目の夜に「移動教室の成功を祝して」という親の飲み会を企画。なんとなくこちらも楽しみにしていた。そして、朝の集合場所へ。小学部のころほど「涙涙のお別れ」という親子もなく、意外と淡々とホーム方面に消えて行った。 時間のある人たちはこれからお茶でもという感じだったが、私は2時間目の授業に間に合うように仕事にもどった。道が混んでなくて車で20分で戻れたので、余裕で戻って職員室で世間話などして「うーん、何かと順調だなあ」と思いながら機嫌よく2時間目の授業をしていた。 授業中、ポケットに入れているマナーモードの携帯電話がバイブレーターで揺れていた。2回ほど鳴ったので、次の休み時間に留守電を聞こうと思っていた。で、授業を終えて職員室に戻ると、「わらG先生、すぐにI中学校の副校長に電話してください」とのこと。こちらはもう1校の勤務校。なんだろうと思いつつ、携帯電話の留守電を確認しないまま職場に連絡。すると、息子の学校の先生から連絡があったということで、「S君が東京駅で倒れたのですぐに担任の携帯電話に連絡してほしい」という伝言をことずかったということであった。 ややこしいのだが、I中学校は私の勤務校でもあり息子の副籍交流校でもあるので、息子の学校の先生がとっさにそちらに電話をしたらしい。が、その日の授業校は、お隣校区のM中学校だった(ちなみに午後からI中学校)ので、こんなややこしい手順になったのだが、そうやってすでに周りが注目する中、すぐに担任の先生に連絡して、様子がわかった。他の件で担任の先生の携帯電話番号を知っておいてよかった。都道府県教委の指導では「絶対に学校から電話して個人の番号を教えてはいけない」ことになっているのだが、こんな時のことを考えれば、やはり支援学校ではまめに連絡を取りやすくしておいてもらわないと…で、個人情報保護よりも現場の声優先である。 実はこの日のS、行きの車でもあまり元気がなく、耳ふさぎをして指を口に突っ込んでいた。前日もやや寝付けなかったり、急にトイレに座ったまま泣いたりと今振り返れば何か変だったのだが、熱もないし、楽しみな行事だし、「行ってもらわないと何かと困る」ので当然のようにお出かけしていた。 行きの電車でも二つ折りになるようにして寝ていたそうだ。実は乗り物でSが寝ることは相当珍しい。東京駅に到着後、汗をかいていたので上着(パーカー)を1枚脱いでカバンを背負い直して、さあ出発とホームの端の丸の内南口のエスカレーターのない長い階段に向かった。ところが階段を5~6段だけ降りて、まだ一番上の方で手すりもたれかかるようにして座り込み、その後、体は階段に平行、うつ伏せで寝てしまった。 日頃、抵抗やおふざけで変な所で横になるSに慣れている先生は、すぐ横についていたので「もうS君、こんなところで…」と声をかけたのだが、階段の下の方の先生からは顔が見えていて、「発作、発作!」と叫んで知らせたとのこと。白目をむいてのけいれんで、全身をがくがくさせていた。ベテランの先生方が多かったので、そこからはまるで訓練のように、ベルトや衣服を緩めて横にして、時計を見て時間や様子を観察、2分間のけいれんを確認した後、救急車の要請。 実は初めての発作だった。3歳の頃に脳波を調べた時はてんかん波はなく、思春期になって急に出ることもあるとは聞いていたので少しは覚悟はしていたが、「できれば出ないでほしいなあ」と希望的観測を持ったままちゃんと調べていなかった。自閉症児は通常の子たちよりもてんかんの出る可能性が高い(それが脳の機能障害であることを思えばそれもそうだとは思うが)ということは知っていたのだが、その「いつか」がよりによって、移動教室初日に出たのである。 で、東京駅の中央線のホームは高い位置なので、その階段は100段以上ある。けいれんがおさまって、ぼんやりして目はうつろ、失禁はなし。そこで5分くらい休ませた後、ある年配の先生が背負って(なんと62kgを100段以上の階段で)降ろしてくれた。で、先に改札口の駅員に知らせておいた先生たちが、防災シートや毛布を準備していてそこでくるまって横になって待機。救急隊が到着して、状況を確認して、搬送先を探して…というくらいのタイミングで私から折り返しの電話連絡が入ったらしい。 伝言で聞いた「倒れた…」ということばと、「じゃあ発作かなあ?」というのががうまく結びついてなかったので、「たぶんてんかんの発作ではないかと思われますが…」というのを電話で聞いてかえって安心した。でも初回のけいれんは、ほかの理由も(感染症とか病気も)あるかもしれないので病院に行ってすぐに検査をするということで、血液検査の親の了解も含めて連絡が取れてよかったとのこと。 私の方はその後、本当は2校で3時間まだ授業があったのだが、両校の電話連絡で両方で騒ぎになっていたおかげで(笑)、みなさんがすぐに「後の授業は補教が入る」と先回りして補教に入る人まで決めていてくれて、私の方では「このプリントを…」と渡すだけでよかった。 で、そういう緊張感のある時間を過ごして、車で駅の駐車場まで行き、とにかく早い電車に乗ろうとまずホームにたどり着いた後で妻にも連絡。乗った電車の車中で、ちゃんとは聞きそびれていた最初の携帯電話への留守電メッセージを聞いた。 担任の先生、きちんと状況を伝えてはいるんだけど、すごく早口で、「S君が東京駅で倒れました。おそらくてんかんの発作だと思われます。今横になっていてこれから救急車を呼んでいます。すぐに連絡ください。」 最初にこ れを聞かなくてよかった…というくらいに緊迫感がありすぎだった(笑) 2本目の電話は、改札で待っていたタイミングらしく、先生の声も少し落ち着いているのだが、バックに流れる救急車のサイレンとかやはり緊張感高まる感じでこれまたすごい。これらを聞かないまま、勤務校の副校長経由で概要を聞いてから直接電話してよかった…。 そして遠路2時間弱で救急搬送先の大学病院に着いた。ドキドキしながらも、とりあえず寝ているSを見てほっとした。階段の上の方でとか、「倒れて池田屋の階段落ち」みたいになったりせずによかったとまず思う。また移動教室の違う場面ではなくて、先生たちの目と手があるタイミングでよかった…と担任にお礼も含めて話をすると、「移動教室が途中リタイアになってショック」なことよりも、「このタイミングで運がよかった」と考えるポジティブシンキングに感心されてしまった(笑)。ちょうどそう思うように電車内で自分に言い聞かせてきたばかりだったもので…。 血液検査の結果がちょうど出て、医師から感染症や髄膜炎などの危険性はないとの説明があり、その後緊急搬送のベッドで爆睡をしているSを連れて帰るように言われる。「じゃあ、どうぞって言われても…」という感じでもう少し動かしたくなかったので、次の救急患者が来なければ…という約束で妻が来るまでそのまま休ませてもらう。 1時間くらい後に妻が来て、先生から話を聞いたり、支払いが終わるまで、うやむやのうちにさらに延長してねかせてもらう。ふらつくようならまだ病院の待合室のソファで横にと思ったが、元気。かといって移動教室に先生と一緒に戻ってもらうわけにもいかないので、ひとまず担任の先生には本隊に戻っていただき、われわれは近くで食事をしながら次の行動を考えた。(続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/01/01 10:18:22 PM
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