父の選択について
夜中も26〜27度ですって。夏、ですねもう。夜中に動悸バクバク、暑くて…という多分熱中症になりかけた事が何度もあったから、冷房をつけたまま寝ている、昨夜もタイマーを朝の4時頃にかけた、そうすれば起床時間頃まではそこそこ快適のままでいられる、エアコンがあるって本当に助かる。猫たちの為にも日中は冷房つけたまま、出かける時にも切らずにそのまま。いつからかそんな生活が普通になった。ところで、ネットを見ていると時々、反ワクとか反マスクとかいう単語を目にする、その逆もあって、異なる正義を持つ人々が対立している。私はそういうのを見ると心が少しワサワサする、ワサワサするのは、父の事があるからだと思う。私の知る事実は、父がコロナのワクチンを打ち、その数時間後に体調が悪くなり、ドクターヘリで運ばれて、治療してもらったにも関わらず血栓が飛んだかなんかで急変し、脳と心臓をやられて他界した、その期間が1週間だったという事だけだ。認定もされたし、父の死因はそういう事なんだろう、じゃあ私はワクチンを憎むかと言えば、そんなことは考えた事もなかった。合わなかったんだな、、と思っただけだった。私は昔から蕎麦の酷いアレルギーがある、家族で私だけ。喘息も私だけ。そして何度か死にかけてる。でも何故か今まで生きてる、いや、生かせてもらっているんだろう。アレルギー体質だからワクチンは打ってない、それはただ私が打たないと選択しただけ。父は打つ事を選び、結果、合わなかった、それだけの事なんだろう。今でも、それ以上の思いは無い。反、って何だ?そして対立するのは何でだ?私はよくわからない、少なくとも父は自分で決めた、結果がこうなった。「お父さんの無念を…」と言われたけれど、父は無念だったのか?私にはそうは思えない。たとえ生きる気満々だったとしても。父の魂があるならば、すぐさま小値賀の海へ飛んで帰り、毎日魚釣りでもしているのではないだろうか。そして、私に「時々は島に帰って来んかー」と呼びかけているのではないだろうか。私は正直なところ、また小値賀の海へ行きたい、そこで会いたい人はいないが、一日中海を眺めていたいと思っている、私は今も大好きな浜辺がある。それから保護猫活動をされている場所があるので、お土産持って会いに行きたい。多分、私の様な考え方は特殊なのだろう。だからきっと仲間はできない。ワクチンを打つ事を正しい、とも正しくないとも思っていない。そういうものがある、そしてどうするかは自分が選択する、父もそうした。それだけだ。