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捨ててこそ青春だ
11章 スティーブ・ジョブズとハレー・クリシュナ寺院 「私のビジネスモデルはビートルズ」【スティーブ・ジョブズ】 ビートルズの4人はある意味絶妙の調和がとれていた。ジョンとポールだけではローリングストーンズ、プレスリーは超えられなかった。というスティーブ・ジョブズの分析である。スティーブ・ジョブズとビートルズの共通点をさがせば、アップルというロゴとインドというキーワードに辿りつく。両者ともインドに興味をもち、実際訪れ「ヴェーダ」をしるにいたった。またハレー・クリシュナということばでもつながっている。2005年スタンフォード大学卒業式の伝説のスピーチのなかでスティーブ・ジョブズはこう語っている。「日曜日にはヒンズー教の教会の夕食を食べるために11キロも歩いたりしました。ハレー・クリシュナテンプル(ISKCON)です。最高の食事でした」 スティーブ・ジョブズがなくなったとき、韓国KBSテレビは特番を組んだ。そしてこの卒業式スピーチをその柱に彼のドキュメンタリーをつくり、彼が夕食を食べにいっていたISKCONバークレー寺院を特番のなかで紹介した。 イギリスのハレー・クリシュナ寺院はジョージ・ハリソンがISKCONに自分の別荘を寄付したものである。多くの点がつながり線になるとはスティーブ・ジョブズがよく引用した言葉である。ビートルズ、スティーブ・ジョブズ、ヨンタク君、そして私。すべてが線でつながる。みな最終的にはISKCONという終着点に辿りついた。ヨンタク君の仕事は作家である。特にビートルズ研究では韓国の第一人者だ。2011年には「ジョージ・ハリソン/リバプールからガンジスまで」という本を韓国で出版した。その本は韓国でベストセラー入りはのがしたが推薦したい本にえらばれた。 西洋人がインドにつたわるヴェーダの真の知識にふれられたのは1965年、あるスワミが69歳の高齢にもかかわらず『シュリーマド・バーガヴァタム』というヴェーダの真髄とされる本をたずさえて太平洋をわたったからである。彼の名前はバクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ。わずか7ドルだけをもってニューヨークにジャラドゥタ号という船で到着した。1977年に81歳で他界するまでのあいだに100をこえる(今では250をこえる)ハレー・クリシュナ寺院(ISKCON)を世界中につくった。「人間生活はヴェーダを知るためにある。国籍、人種はいっさい関係ない。なぜならヴェーダの知識は普遍的であり衆生一切を救うことができるからである。この知識を受けいれ人生を完成させなさい」師の教えは荒廃した西洋社会に生きる人たちに光明をさした。師のかいた70冊をこえるヴェーダの翻訳書・解説書は、40をこえる多数の言語に翻訳され、革命的な生きかたを世界中にくばったのである。 「だれもが高齢と思い、たいていの人々が名誉を手にいれ隠居する歳で、グルの命令を実行するために、困難で過酷な状態を強いられるアメリカへの渡航の旅だった。シュリーラ・プラブパーダは、もちろん数多く存在するグルの一人であるが、ある意味においては、千人に一人、いや百万人に一人の人物である」【ハーバード大学ハーヴェイ・コックス教授】 「70歳の時、単身アメリカに渡り、クリシュナ意識国際協会(ISKCON)を設立し、ハレー・クリシュナ運動を世界中に広められたプラブパーダ師の霊的情熱と使命達成のための真摯な生きかたは、いかなる人をも感動させずにはおかないであろう」【東京外国語大学奈良毅名誉教授】 もう一度いう。ビートルズ、スティーブ・ジョブズ、ヨンタク君、そして私は師の本をよみ感銘を受けたのである。だから国境をこえてヨンタク君とは友情をはぐくんでいる。質素な生活をして高い思考のもとに生きることを励ましあいながらつづけている。ソウル滞在中私とヨンタク君はソウル梨泰院にあるISKCON寺院にかよいスティーブ・ジョブズが最高の食事とたたえたおいしいプラサーダム(クリシュナにささげたおさがりの食べ物、精神エネルギーで満たされている料理)をいただいた。 「また、ある者は精神的知識について知らないが、人から至上主について聞き至上主を崇拝しはじめる。このような人は権威者から聞こうという態度のために、生死の鎖から解放されるであろう」【バガヴァッド・ギーター第13章26節】 ISKCON寺院 Vrindavan India お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 20, 2012 09:20:25 PM
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