地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

全108件 (108件中 1-10件目)

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マーケットプレイス

2008.05.22
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「かけがえのない人間」
上田紀行 2008/03 講談社 新書 245p
Vol.2 No.0084 ★★☆☆☆

 2008/03発行だから、
上田紀行最新の一冊か。前半は、あいかわらずの上田ボヤキ節。特徴的なのは後半の自己開示の部分。文化人類学者が、自らをケーススタディのサンプルとして献体している感じ。下品とまでは言わないが、決して上品な趣味とは言えない。

 この本で私が伝えたいこと、それは私たち一人ひとりは誰もがかけがえのない存在だということです。p9

 という出だしはそれでかまわないが、

 私はそうした硬直した左翼には、かなり前から見切りをつけてしまった人間です。p79

 と、前言とまったく矛盾するボヤキ節が延々と続く。まるで左翼は「かけがえのない人間」ではないような「使い捨て」感覚。麻原集団にはあれほどの救いの手を伸ばすのに、左翼にはこの方、ことのほか手厳しいようだ。ご自身の体験のトラウマがなせるわざか。ダライラマとの対談が何度も引用されるが、その対談は何度も使いまわしできる便利なネタ箱にされているような感じだ。商売の道具にしている。

 著者自身のキャラクラターに関心のあるむきには興味深い一冊だろうが、他の読者にとっては、この一冊を最後にこの著者から離れてしまうのではないだろうか。タイトルがあまりに偽善的だなぁ。

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Last updated  2008.05.22 09:11:35
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2008.05.21


「生きる意味」
上田紀行 2005/01 岩波書店 新書 228p
Vol.2 No.0083 ★★★☆☆

 「生きる意味」はどこにありますか?
 この質問を、Zenマスターの前に行って質問したら、どのような答えが返ってくるだろうか・・? 「KAWWWWWWTHZ!!!」とでも一喝されるだろうか。それとも、二階の窓からほおり出されるだろうか。

 数すくない体験だが、Oshoの前に座って質問するチャンスが何度かあった。Oshoは私に尋ねた。「なんか質問あるかね?」 もちろん、ある。いっぱいある。
「いっぱい、あります」
ニヤッと微笑んだ彼は、「そりゃそうだろう」と私の顔をまじまじと見た。
「じゃぁ、ひとつだけ質問してみなさい」
いきなり、ひとつだけ、と言われても困る。あれもこれも・・・・。
しかし、よく考えてみれば、たったひとつの質問などできない。えい、どうでもいいや、と、その場で、ひとつの質問を急ごしらえで、話してみた。
「Good!」  そして、つづく答えはこうだった。
「まずは瞑想してみなさい。そうしたら、わかる。瞑想すれば、やがて、100の質問のうち、99は消えうせる。それらは偽の質問だ。そして、たったひとつだけ残る。その残った質問が本当の質問だ。」
ひと呼吸おいて、彼はこういった。
「そして、その本当の質問には、答えはない」

 ああ、これじゃぁ、詐欺師じゃぁないか。まいった。この名うての詐欺師に私はまんまと引っ掛かってしまったのだった。

 「生きる意味」など、本当はないのだ。それに答えはない。ただ生きるだけなのだ。意味を求めてはいけない。

 上田紀行の「生きる意味」をぺらぺらとめくりながら、上田のいとこの春風亭小朝のことを思い出していた。最近はなにやら林家三平の娘と離婚したとかで話題になっているらしいが、彼の落語にはあまりくわしくない。しかし、上田が自己紹介するように、確かに風貌といい、語る口調といい、似通っているところはたしかにある。

 上田の「生きる意味」は所詮、売れ線狙いのボヤキ漫談以上のなにものでもないのではないか。この一冊をぎゅっとつめてコンパクトにすれば、小朝あたりの新作落語の定番のひとつにでもなりそうだ。漫談だろうと落語だろうと、よくできればそれは芸術だろうし、アートではある。しかし、この一冊777円の岩波新書に「生きる意味」を求めてはならない。

 閑話休題

 はてさて、当ブログにおけるこの「マーケットプレイス」カテゴリもあと一個でおしまい、というところまで来てしまった。最初の意図とは別な方向にさまよい出でて、いつのまにかこのカテゴリは、他の並走するカテゴリにはまりきれないエントリーの避難所になってしまっていたようである。

 まぁ、しかし、それがまた、娑婆世界の意味でもあるのだが。今後は、このカテゴリに避難するのではなく、既存のカテゴリに押し込めていこうと思う。あまりにカテゴリを乱立させるよりはそのほうがいいだろう。そして、いつかまた、意図が明確になってきたら、「マーケットプレイス2」に類するカテゴリを作ろう。

 追記

 そういえば、本書でトーマス・フリードマンの「レクサスとオリーブの木」p62に触れていた。それに対する上田の記述はともかくとして、フリードマンは二度ピューリッツアー賞を受賞しているという。先日めくったジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」もまた同賞作品であるという。ノンフィクション物が当ブログには一番あっているようだが、すぐれたノンフィクションは読むのも大変なヘビーな作品が多い。読むのは疲れるが、いつかは、このピューリッツアー賞とやらのおっかけをしてみるのも面白いかな、と思った。



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Last updated  2008.05.22 03:03:23
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「『生きる力』としての仏教」
町田宗鳳 /上田紀行 2006/06  PHP研究所  新書  238p 
Vol.2 No.0082 ★★★☆☆

 
上田紀行は処女作が身近な出版社からでたので、初期のころからなんとなく視野にはいっていた。なんどか講演などにも参加したことがある。そのせいか違和感がない分、この方の作品に触れてもこちらのテンションがなかなか上がらない。「癒し」などという言葉を流行らせた張本人ということもあって、どうもいまひとつ納得感がない。

 最近は「仏教ルネッサンス塾」や「ボーイズ・ビー・アンビシャス」とか主宰だそうだが、実態がよくわからないのでなんともいえないが、なぜに「仏教」にこだわるかな。共著者の町田宗鳳といい、お二人とも、なんとも威勢はいいが、結局はお寺と大学に逃げ込んでいる姿が、どこかちぐはぐに見える。

 私たちの社会は、『法華経』に出てくる理想の存在、地湧の菩薩のように、しっかりとした個我、個性から成り立つ共同体を構築しないといえないのです。p131

 町田はたびたびこのイメージをもちだす。そのことに異論はないが、スローガンにおわる危険性が大だ。私などは、このイメージからネグリのマルチチュードなどへと発展していかないのかな、とワクワクしてみてはいるのだが、こちらの勝算も大きいとはいえない。

 「生きる力」。どこぞの生命保険会社の商品にこのようなネーミングがあったように思うし、学習指導要領にもこのような文言が盛り込まれていたようにも思う。言葉は言葉としていいだろう。だが、どこか陳腐だ。本当に「生きる力」が湧くのだろうか。

 最近は硫化水素ガスを発生させて自殺することが多発しているらしい。ごくごく最近、私のすまいから歩いてすぐのところでも、20過ぎの若者が、この方法で命を落とした。まったく他人ごとではない。

 

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Last updated  2008.05.22 01:28:45
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「身軽にいきましょうや」中年からのスピリチュアル・ライフ
町田宗鳳2004/08 説話社 単行本 205p
Vol.2 No.0081 ★★★☆☆

 
 
 町田宗鳳という人、図書館の蔵書リストを検索してみると、短期間のうちに出版された本がかなりあり、図書館にも結構収められている。なにはともあれ貸出リミットの7冊を借りてきた。さて、この7冊、どの順番で読もうかなぁ、と考えた。最新版からさかのぼるべきか、出版順に古いものから読むべきか、あるいはテーマや密度の濃さから並べ替えてみるべきか。ついつい、そんな風に身構えてしまうのだが、この人の本は、そんなに思いつめて読むのは似合わないだろう。

 「身軽にいきましょうや」・・・・・ うん、なるほど。そういうことだよね。まずはこの本からいこう。「中年からスピリチュアル・ライフ」。サブタイトルも、似合っているのか、冷やかされているのか。10の桁を四捨五入すれば、私もすでに100歳。中年というのもはばかられる齢となってしまったが、中年からのスピリチュアリティ、まぁまぁ、言い得て妙ではある。

 この人の本、とくにここをこうと語るべきよりも、著者のキャラクターを好きになるかならないかで、評価はだいぶ違うのではないだろうか。少年時代から禅寺で暮らし、人生なかばの30代でアメリカにわたり、16年滞在したところで帰国した日本について語る。ともすれば、通常の「日本人」のスケールからはずれており、それが痛快に感じられる向きもあれば、ちょっと荒削りに感じる向きもあるはずだ。

 要所要所にでてくる瞑想法や健康法、これら総体がSOHO禅とやらにつながっていくのだろう。とくに際立ったものを感じさせるわけではないが、アリハンタとボーディサットバのたとえ通り、どうやらこの方は、よそ様へのおせっかいを焼くのがお好きなようだ。

 なにはともあれ、「身軽にいきましょうや」・・・・。このお言葉、いただいておきましょう。



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Last updated  2008.05.21 18:59:51
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2008.05.11


「人類は『宗教』に勝てるか」
一神教文明の終焉
町田宗鳳 2007/05 日本放送出版協会 全集・双書 262p
Vol.2 No.0071★★★★★

 
この本、早くから新刊本コーナーにあり、タイトルも気になったので、借り出しては一度目を通してはいたのだが、過去の書き込みを検索してみると、まだメモしていなかったようだ。はて、きちんと読みとおしたのだろうか。この時期、多数の本にかこまれ、読みだしてみたものの、当ブログの集約期にさしかかっており、割愛したものと思われる。

 今回、Osho本を多数翻訳をしているモンジュ氏の推薦文を読み、再読してみることにした。著者については、「宗教と現代がわかる本(2008)」で一度触れている。著者の文章はたぶん、数ページのものでそれほどの長文ではなかったはずなのだが、ダライ・ラマについて触れており、Oshoのダライ・ラマについての進言を読んだ直後でもあり、当ブログとしてはすこしひねた感想をつけ加えていたようだ。著者はこの本でも短文だが、チベットやダライ・ラマに触れている。

 ダライラマは今や世界の寵児となっているが、もともとチベット仏教には熾烈な宗派間の対立があった。中国がチベットに侵攻したのも、そのスキを突いたという一面もある。スリランカやミャンマーでも、仏教徒は武力抗争の前線に立ってきた。これらの事実からも、仏教を必ずしも「非暴力の宗教」とは呼び得ないことがわかる。p146

 さて、今回、再び本書に目を通して第一の感想は、まぁ、よくここまで言ってくれているな、という、一種の快感がともなうものである。タイトルやサブタイトルも挑発的ではあるが、著者は決して、一神教がダメで、多神教がよい、と言っているわけでもない。「宗教」が終焉しなくてはならない、と言っているのだ。それを名づけて、「無神教」という。

 文末にいたって、日本の天皇制などへの言及は、当ブログの態度とは異にするものだが、非和解的に対立するような内容ではない。ある意味、この立場でこのような意見を持つということのバランスのよさを感じるほどだ。最近はSOHO禅というオリジナルな瞑想を実践したりしているp262らしい。

 このネーミングから見ても、この著者はなかなかの洒落者で、ウィットにとんだ文をよくする人物と見える。SOHOというのはSmall Office Home Officeの略だろうという先入観があり、コンパクトに自宅でできる瞑想かな、と思ってみたが、たぶんハズしていそうだ。つまりはこのネーミングは、町田宗鳳(まちだそうふう)という著者自身の名前に由来しているものだろう。つまりは宗鳳(そうほう)禅ということだろう。仔細については本書には掲載されていない。

 はてさて、この本、当ブログとしてはおすすめ本の一冊だが、難がないわけでもない。Osho門弟としては、どうしてもひとつの基準をOshoにおいてしまう悪癖があるのだが、たとえば、Oshoの最後のZenシリーズと並べて読んだ場合、最後のNo-thingnessへの導入がないところが気になる。それはともかくとして、ここまで世界の魂へのマフィア達をあばきたてておきながら、いわゆる安手の「陰謀論」に陥っていないところは、見事といえる。まさにぎりぎりのところで踏みとどまっている感じがする。

 逆にすぐれている点は、宗鳳氏はこの21世紀を生きている現代人、そして年齢的にも、まさに私たちと同時代であるということである。Oshoの門弟であることを自らのアイディンティティにしてしまって、しまいには免罪符にさえしかねない自らを省みた場合、この時代にこのようなはっきりした論旨で発言を続けることは見事であるといえるだろう。

 この一冊をもってこの著者を一面的に評価するのはまだ早いようだ。類書が盛んに出版されているようだから、機会があれば、読みすすめてみたい。

 

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Last updated  2008.05.11 10:03:22
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2008.05.07

「2012 地球大異変」科学が予言する文明の終焉
ローレンス E.ジョセフ , 東郷 えりか・翻訳 2007/12 365ページ  日本放送出版協会
Vol.2 No.0068★☆☆☆☆

 「原書の原稿を手にしたわたしの第一印象は、とんでもない仕事を引き受けてしまったということだった。」p348という「訳者あとがき」が、この本を的確に表現しているのではないだろうか。このような本をNHKがなぜ出版しなければならないのか、理解に苦しむ。真面目に視聴料を払い続けることがイヤになる。「科学が予言する文明の終焉」というタイトルまではまだ許せるとしても、ものごとをすべて「2012」に収斂させようとする手口は、なんであれ噴飯ものであると、私は思う。

 この本で唯一メモしておくべきことは、カルキ・バガヴァンに触れているところあたりか。

 2012年に時が終わるという予言はもともとマヤ族のものとされるが、偶然の一致なのか、それに感化されたのか、いまではユダヤ教のラビからインドのゴールデンエイジ財団まで、世界各地の多様な分野にまたがる人びとが、その前後に大異変が起こると考えている。「訳者あとがき」p350

 「この世のおわりがやってくる」という類は、イエス・キリストから出口ナオまで、ありとあらゆる時代と地域で使われてきた手口だが、1999年が失敗すれば、2012年にスライドするだけで、さらには2050年とか、あるいはウンヌンと後伸ばしされて行くだけであろう。この手口がいつまでも根絶されないのは、人類はこの手のトリックに「ひっかかりたがっている」からなのだろう。

 
ヒンドゥー学者はカリ・ユガとして知られる現在の時代の始まりは、クリシュナ神の肉体が死去した日、つまり紀元前3102年2月18日の真夜中までさかのぼるとする。これは紀元前3114年8月13日というマヤの始まりのときと驚くほど近い。カリ・ユガ、または堕落の時代の終わりには、カルキというヒンドゥー版の救世主がやってくる。カルキは、ヒンドゥーの三最高神の一つ、ヴィシュヌの10番目で最後の化身だ。ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァは、ヒンドゥーの三位一体とも呼ばれる最高神を構成する。カルキは邪悪な者に裁きを受けさせ、新しい黄金時代を迎え入れる。しかし、その黄金時代は西暦42万8898年まで始まらないとされるので、誰もあまり心配していない。

 それも、スリ・カルキ・バガヴァンが数年前に登場し、彼の遁世僧院をこれまたマドラス/チェンナイ郊外に建てるまでだった。そこは実は、1991年にラジヴ・ガンディが贈り物を差しだされた場所からさほど離れていない。爆発のあと見つかったものは、彼のテニスシューズだけだった。

 カルキ---彼はそう呼ばれるのを好んでいる---は、自らをヴィシュヌの10番目で最後の化身だと称し、黄金の時代は、多くの苦しみと動乱のあと、2012年に始まると宣言している。カルキはマヤの予言を信じており、宗教的支配層であるバラモンからは大いに不評を買っている。彼らは、この元保険会社員を詐欺師とする裁判を支持した。裁判はインド最高裁まで争われたが、カルキはひるまない。世界各地からの100万を超える信奉者---その多くは彼の急速に拡大する施設に詰め掛けている---の助けを借りて、彼と妻のアンマはゴールデンエイジ財団、ワンネス大学を経営し、ワンネス寺院を建設している。これはアジア最大の柱のない建物になると言われている。幅広い世界を対象とした彼のグローバル・ワンネス・ウェブはワールドワイドウェブのサイトのなかでも最大規模のものだ。

 カルキは2012年に関する彼の予言を金星の通過と結びつけている。金星が太陽を通過するのは、つまり、地球から見て太陽面を横切るのは、一世紀に二度以下である。最後に通過したのは2004年6月8日の6時間ほどで、次にそうなるのは2012年6月6日だ。-----(後略) p305

 訳者がノッていないからなのか、著者がア*なのか、引用されている団体がマタゾロ同じ手口で夜店を開いているのが見え見えなせいなのか、とにかく転記しているこちらが、ア*臭くなる。まぁ、寡聞にして、この団体の資料もすくなく、触れている本も少ないが、ひっかかっているノー*リン連中は少なくないので、当ブログとしては、回りくどいが、この団体に対する態度を表明しておく必要はあるだろう。


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Last updated  2008.05.07 21:37:09
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2008.04.22


「一休」その破戒と風狂
栗田勇 2005/10 祥伝社 単行本 479p
Vol.2 No.0062★★★☆☆

 一休。ざっと見てみて、やはり私は苦手だな。花が多すぎる。もっと地味なのが私の好みかも。とくに、その性愛描写、とくに少年愛とか男色とかは、その時代背景とか、文化的系譜を考えたとしても、こちらの許容範囲にはない。なんだかウィトゲンシュタインを思い出した。彼もまた男色家であった。

 当ブログ、別に過激なことを書いているわけではないが、一度だけ、強烈に「Google八分」を体験したことがある。そのころ、ちょうど重なって、ウィトゲンシュタインの性的傾向、あるいは 「<反>哲学教科書」、そしてあろうことか、ダダイスト糸井寛二の近影などなどが、たてつづけにテーマになったのだった。

 ところがそのころ、なぜか、当ブログはGoogleには引っかからなくなった。検索方法もいろいろ変えてみたが、単体としてはGoogleから姿を消した。幸いに、リンクを張ってくれている人たちのページから逆リンクして戻ってくることはできたが、一瞬、ぎょっとした。

 当時のほとぼりも冷めたのか、いまでは以前のような状態に戻っているようだが、他の検索エンジンでも同じようなことが起きているのかもしれない。誰がどのような手段や目的でこのような反応をしているのかは知らないが、インターネットは、「公共的」大通りのマーケットプレイスであれば、やはり、一方的に突っ込みすぎるテーマは避けなければならないと思う。

 そのセンスで言えば、やはり、一休のセンスは、当ブログで扱うには、ちょっと突っ込みすぎ、のイメージがある。

 昨日めくった
「一休和尚大全」は、詩歌という形で秘されているだけに、それはそれ、イメージ力のない当方はそそくさと行き過ぎてしまうだけだろう。しかし、この栗田勇「一休」は、現代文だけに、ちょっとリアル過ぎるところがある。もっとも、詩歌とともに、このようなドキュメントを一通り目を通しておけば、Oshoの「Take It Easy」に入っていくには、役に立つこともあるだろう。



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Last updated  2008.04.22 09:15:11
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2008.04.21

<上>巻よりつづく


「一休和尚大全(下)」
一休 /石井恭二 2008/3  河出書房新社  単行本  411p 
Vol.2 No.0061★★★★★

 
   自賛
 大燈の仏法、光輝を没す、
 竜宝山中、今、誰か有る。
 東海の児孫、千歳の後、
 吟魂、猶、苦しむ、許渾の詩。

    自賛
 大燈国師の仏法は光を失った、
 竜宝山大徳寺の中に、今、どんな人物がいるのか。
 達磨大師このかた、千年の後、日本の法孫である私は、
   詩情を抱いているのに、
 許渾の詩のように、すでに白髪頭となって苦しんでいる。
 p29

 下巻は、さらに一休の詩歌の独壇場だ。

    自戒
 罪過、天に弥る純蔵主、
 世は許す、宗門實中の主と。
 禅を説き人に逼る詩格、工みなり、
 無量劫来、悪道の主。

    自戒
 一休宗純の罪過は、天に満ちるほど限りない、
 世間では、私を宗門の第一人者と認めている。
 たしかに、禅を説き人に迫る詩風は巧みだ、
 だが、大昔から永遠にわたる悪道の主なのだ。 
p43

 一休が生きたのは1394~1481。まさに日本仏教の中に生まれた詩聖という感じだが、思えば、さらにさかのぼること数百年間前、チベットには、ミラレパ(1040~1123)という詩聖が生きていた。一休とミラレパはどこかで通じている。一休がチベットに生まれればミラレパになっただろうし、ミラレパが日本に生まれたら一休になっただろう。そして、日本の禅とチベットのタントラは、少なくとも詩歌を通して繋がっている。そんな印象を強く持つ。

 ふと気がついて見れば、一休はコンパクトな四行詩の中に、韻を踏んでいる。このような読み下し文ではなく、元は漢文なのであろう。漢文のまま、しかもその墨蹟の中に読めば、もっと世界は広がっていくに違いない。

 但帰依す、積翠庵の禅、
 慙愧す、狂雲、名刹の前。
 一夕一朝、日月の蝕
 終分明白日晴天。

 ただただ、積翠庵の黄竜慧南の禅に敬服する、
 まだ名刹に囚われている自分を、朝夕に恥じる。
 日蝕も月蝕も、やがては終り、
 ついには晴天白日の空になることは明らかだが。
p111

 一休は、自らの出自もあって、天皇などには敬意を払っているが、一部の階層や職業には、差別的な用語も使っている。しかし、その旺盛な批判精神から考えれば、ひとつや二つの言葉使いを超えたところに一休は行ってしまっているかのようでもある。でも、やっぱりヘンな奴だなぁ。そうそう簡単にはTake It Easyとはいえない。

 この本、2008年3月発行ということだから、一休関連では最新の本ということになろう。著者の石井恭二氏は1928年生まれの八十翁である。


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Last updated  2008.04.21 23:28:32
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「一休和尚大全(上)」
一休 /石井恭二 2008/03 河出書房新社 単行本 402p
Vol.2 No.0060
★★★★★

 一休のことなんか、何もしらない。くりくり頭のどこぞの仏具やの看板が、たしか一休をもじっていたのではなかっただろうか。日本昔ばなしや、ひみつのアッコちゃんなんかと一緒に、ちょっと前まで子どもテレビ番組があったのではないかな。とんち小坊主で、たしか「あわてない、あわてない」が常套句だった。

 だけど、この本を読む限り、一休って奴はとんでもない野郎じゃないか。女色ばかりか男色にも目がないオカマ野郎だ。いい年こいて、いつまで女郎屋通いしてっかね。くりくり頭の「あわてない、あわてない」の小坊主の一休なんて、とんでもないお門違いだ。挙句のはてに、のうのうと87歳まで生き延びてやがんの。

 この放埓な生き方は、山頭火か辻潤か、あるいははたまた「ルバイヤート」のオマルハイヤームを連想する。ゾルバ・ザ・ブッダどころか、こりゃ、ホンマもののゾルバ・オンリーじゃないのか・・・・・とさえ、思ってしまう。

 上下二巻の、上巻の三分の二ほどは「一休和尚の生涯」が、時に触れてしたためられた書画の中に残された詩歌によって構成されている。一句ぐらいは転記しようとも思うが、旧仮名遣いのうえに漢語の羅列。ワープロ文字では追いつかないほどで、さらにそこにルビを振り続けては、なんの詩歌かわかったものではない。この本の著者である石井恭二の読み下し文でようやく意味を追い続けることができる。

 読み下し文だけおっかけていては、一休って野郎はあまりに下衆野郎でしかないが、たまにその詩文に目を移すと、これがなかなかいい。室町時代にあって、なおかつ皇族につらなる血筋のうわさもあるという。

 一休は皇族の出自である。母方は南朝の藤原氏の貴族の血筋であるが、北朝の後小松天皇に仕え、側室として寵愛され身ごもったことから周囲に妬まれ、彼女は南朝方の刺客であり、天皇を殺そうと謀っていると讒言する者がいて、宮廷から追放され、身分を庶民に落とされた。そして、一休は生まれた。人々は、知らなかったが、一休には、自ずと貴人の相が具わっていた。p19

 なるほどそうであったか。「京都田辺の薪村の墓所は、宮内庁の管轄にはいっている」p19らしいから、これはホンマモンだ。身からほとばしる才というものが備わっていたのであろう。しかしそれにしても、おびただしいアウトプットだ。これだけの詩歌を残すということは、それだけインプットもあったのだろう。それにしても目を覆いたくなるようなインプットぶりだ。

 この上巻も後半になると、一休のブッダの部分が顕現してくる。

  拈華微笑
 世尊拈出す一枝の花、
 一代の禅宗、意気奢る。
 金色の頭陀、独り法を伝ふ、
 近年に知識、河沙の若し。

  
釈迦は花を手にし、迦葉は微笑む
 世に尊ばれる釈迦は、一枝の花を手に取った、
 それから今日まで禅宗の意気は盛んになったのだ。
 しかし、金色の頭陀と呼ばれた迦葉だけが、独り仏教を伝えたのだ、
 近年には高僧は、ガンジス河の砂粒ほども多い。 
p270

 おお、そういえば、一休と同時に当ブログは、ばったり達磨と出会ってしまったのだった。

  達磨忌
 毒薬 数 加ふ賊後の弓、
 大千逼寒す仏心宗。
 西来に意無し、我に意有り、
 熊耳山中、落木の風。

  達磨忌
 達磨は、何度も毒薬を盛られたが、手遅れだった、
 世界には、既に禅宗が充ち満ちていたのだから。
 達磨が天竺からやってきたのには何の目的もなかったというが、
  俺には、それが問題だ、
 達磨が葬られた熊耳山では、葉の落ちた木々が秋風に吹いている。
p273

 う~ん、なるほど。Oshoの一休を語った本の原題は「Take It Easy」だ。Oshoはこの一休をどう料理するのだろう。そういえば、「Zen Masters in Osho's Talks--The List」というページがあった。うへぇ、こんなにしゃべっていたのか。これじゃ、全部は追っかけることはできない。ましてや、こんな系統図まである。Ikkyuにいたるまでの、なんという道のりか。

 天竺土往来す、金色の身、
 春秋八十、髪銀の如し。
 老タン、左に在り、中尼は右、
 三教分かれず、誰か麟を感ず。
 
 インドに往来する、金色の身、
 春秋八十歳、髪は銀のようだ。
 老子は左、孔子は右、
 仏教、道教、儒教は分かれず、誰もが太古の神獣麒麟の寿を感じる。 
p402


 







Last updated  2008.04.21 23:30:28
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2008.04.16


「立花隆先生、かなりヘンですよ」 「教養のない東大生」からの挑戦状
谷田和一郎 2001/12洋泉社 単行本 286p
Vol.2 No.0052
★★☆☆☆

 
1995年「ぼくはこんな本を読んできた」、2001年「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」、2007年「ぼくの血となり肉となった五〇〇冊そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊」と、立花読書本を読んでみた。田中角栄研究では、よくもまぁこんなところまで書いて殺られないもんだな、と思った程度で立花本を読んでみようとは思わなかった。その後、「宇宙からの帰還」では、かなりインパクトを受けた。そして「インターネット探検」や「インターネットはグローバル・ブレーン」では、おもいっきりファンになった。

 
立花本は数百冊あり、読み始めたらきりがないだろう。読みたくもあり、読みたくもなし。不思議な作家だ。「電脳進化論」は当ブログで読んでみた。全体的な流れは異論はあまりないのだが、はてさて、この作家(ジャーナリスト)はどこにいこうとしているのか、という曖昧さがただよう。そんな時、「かなりヘンですよ」という本がでて、あれあれお気の毒に、と思わずにはいられなかった。

 しかし、今回の立花「読書」三部作(続刊中だろう)を読んでみて、これは気高く孤高を保とうとする人ではないのだな、と感じた。むしろ、このような批判や突っ込みを期待している向きさえ感じる。ただ、そうとうに練習量の多いボクサーを連想するような、気迫に圧倒されて、なかなか挑戦状を叩きつけようという猛者は現れないのかもしれない。

 立花隆は、特別なジャンルをもたず、ありとあらゆるテーマについて突っ込んでいく。その手法は、とにかく書店まわりをして、ひとつのテーマを徹底的に読み込み、さらにはジャーナリストという立場を活用して、関係者への直接インタビューを試みる。そして、週刊誌や月刊誌などの一般大衆の目に触れやすい場にその成果を提供するスタイルだ。ちょっと見には、通常の人間にもできそうなスタイルだが、立花にして初めてできる力技であろう。

 この野性味あふれる知の鉄人に一矢むくいようとする「元」東大生の志やよし、と思う。立花にとってみれば、蚊にさされたマンモス象のようなもんで、それこそ苦にもしないだろうが、無視はしていないだろう。「捨てる技術」に対する立花の異様な反応などを考えるとき、ありとあらゆるものになりふり構わず掴み掛かっていくモンスターを連想する。

 さて、この和田VS立花のノンタイトル・マッチはどんな結果であったのだろうか。立花が踏み入る多様さを反映して、この「挑戦本」が触れているジャンルは多岐にわたる。インターネット、人工知能、宇宙開発、環境ホルモンと遺伝子組み換え問題、などなど興味深そうだが、全部をおっかけるのは、私には無理だ。さらには「まだまだあるぞ、こんな間違い・あんなミス」p151と、挑戦者は追い討ちをかける。そして最後には「立花思想の本質的な欠陥は何に由来しているのか」p185と引導まで渡す。

 私はこの若武者の荒い鼻息には共感するが、このマンモス象の息を止めたとは思えない。むしろ、自分の視点は、相当に立花と同時代人として共有しているところが多いのだな、と再確認した。それこそ西垣通などに言わせれば、未来の無限な可能性を信じるお人よしの楽観主義者に見えるかもしれないが、まぁ、いわゆるじゃーなりすと風情などは、この程度なのだろう、という甘い採点をする私がいる。



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Last updated  2011.01.30 20:15:40
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