
「ニューエイジについてのキリスト教的考察」 <1>
教皇庁文化評議会 /教皇庁諸宗教対話評議会 出版社: カトリック中央協議会 2007/4 単行本 167p 原書2003/2
No.944★★★★☆
ありそうではあるが、実際にこのような本があるということに気付くとびっくりする。カトリック中央協議会というところでも、しっかり通販している。楽天ブックスでも入手できるのだが、実際に一般書店の店頭でも販売されたのだろうか。図書館の開架図書になかったら、私はこの本の存在に気付かなかっただろうし、このような本が必要とされる、ということさえ想像しなかっただろう。
以下の考察は、おもに司牧活動に従事する人々に提供されます。それは、この人々がニューエイジ運動がキリスト教信仰とどのように違うかを説明できるようになるためです。この研究は、読者に対して、ニューエイジ的宗教性が現代人の霊的な飢餓感にこたえる方法に注意を払うように勧めます。p8
「司牧」とは、検索してみると、「礼拝や式典の司式・説教(お話)、所属する人々の霊的指導や相談にのることその他色々の業務を含む働き」のことらしい。あるいは、「キリストに結ばれた集団 集会としてわたしたちが活かしていくさまざまなやり方、役割」のことでもあるという。つまりは、神父さんや、そのコミュニティにおける指導的役割の人々が、発揮すべきリーダーシップのようなことだろうか。
キリスト信者の一部がニューエイジ的宗教性に引き付けられる理由の一つは、彼らが属する教会が、実際にカトリック教会全体の一部を成しているさまざまなテーマに対して真剣に注意を払わないでいたことにあります。p8
つまり信者さんたちが、ニューエイジに関心持っちゃって、困っちゃった神父さんたちが、もうちょっと勉強して、信者さんたちがニューエイジに感染しないように、頑張っていきましょう、という内部勉強資料、という位置づけだろうか。
すなわち、人間の霊的な次元の重要性や、この霊的次元を生活全体と統合すること、人生の意味の探求、人間と他の被造物とのつながり、個人と他の被造物とのつながり、個人と社会の変革への望み、そして人間に関する合理的・物質主義的な見方への拒絶といったテーマです。p8
この部分はなんだかよくわからない話になってはいるが、敬虔なる神父さんたちが、あわててニューエイジやらについて、基礎的な勉強を始めた、という姿が彷彿してくる。
本書は、次の二つの必要性に対して注意を促します。すなわち、まず、ニューエイジを一つの文化思潮として知り、理解することが必要です。また、カトリック信者がニューエイジ的な諸テーマを適切に評価するために、真性なカトリックの教理と霊性に関する理解をもつことが必要とされているということです。p9
この本、167ページと、決して厚い本ではないが、読みようによっては、とても内容が濃い。私の立場は、カトリック信者でないことは確かだが、必ずしもニューエイジを自称する人間でもないし、その全体を理解しているとも、もちろんいえない。しかし、世界で最大の宗教団体であるカトリックに無関心でもないし、この半世紀ほどの動きとされるニューエイジにも、同時代人として、当然無関心であるはずがない。
カトリックが正直なところニューエイジをどう見ているかを知ることは、ニューエイジを知ることにもなるが、また逆に返す刀で、カトリックの現在の姿が見えてくるということにもなる予感がする。ざっと目を通して、まず気がついたこと。デイヴィッド・スパングラーという作家がなにやら面白そうな動きをしているぞ、ということ。そしてこの本では、ニューエイジの震源地をアメリカのエサレンとスコットランドのフィンドホーンにあり、と見ているらしい、ということだ。そしてニューエイジは時間待ちばかりしていて、自己責任が薄いのではないか、と見ているらしい。興味深いので、ちょっと細かく見てみようか。
<2>につづく