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カテゴリ:マーケットプレイス
<5>より続く 本来であれば、キリスト者にとっても、これが「キリスト教」だ、なんていえるはずはないのだ。いかに地球最大の宗教団体とは言え、バチカンが「キリスト者」をすべて代表し、一口に「キリスト教的」などと表現など、できるわけはないのだ。それは、仏教的とか、イスラム的、とか、共産主義的、とか、どの団体も代表していえないのと、同じことだ。言ったとしても必ず、包括しきれない例外が出るということは、覚えておかなくてはならない。 1970年代の代替的共同体の無秩序で混沌とした生活は、規律と構造への探求に取って代わられました。明らかにこうした規律と構造が、大流行のさまざまな「神秘主義」運動の中心的な要素となっています。ニューエイジが人々を引きつけたおもな理由は、ニューエイジが提供する多くのものが、既成の制度によって満たされないことが多かった渇きにこたえたことにあります。p13 これはバチカンから見た世界であって、「ニューエイジ」が、「規制の制度によって満たされないもの」を次々と提供したのではない。「規制の制度によって満たされない」渇きにこたえた動きを、バチカンは「ニューエイジ」と名づけているにすぎない。だから、バチカンが認めるものは「キリスト教」的であり、認められないものには「ニューエイジ」というスティグマを貼り付けて、差別しようとしているだけなのである。 上記の推測から、この部分は、現代文化の落とし子でありながら、現代文明に反動的である動きを「ニューエイジ」と呼ぶことにします、と言っているにすぎない。地球最大のカルトであるバチカンは、この部分においては積極的な「現代文明」の主体者を自認しているようである。つまり、バチカンが生んでしまったようなものだが、バチカンに反対しているものを「ニューエイジ」と呼ぶ、と言っているにすぎない。つまり、いくら丁寧で慇懃な言い方に見えようとも、バチカンは、最初から「ケンカ口調」なのである。 たとえばOshoはその「十戒(笑)」のなかで、 多くの場合、ニューエイジは完全に運命論的です。一方、キリスト教は、自分の外、また自分の上を仰ぎ見るように招きます。それはわたしたちに愛の対話を生きるように呼びかける神の「新しい到来」への招きです。p15 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.20 15:23:00
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