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2009年04月19日
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カテゴリ:政治問題
 日本政治史が専門の東京大学教授・酒井哲哉氏は、昨今の政治の状況について、6日の読売新聞で次のように述べている;


 喪失感の漂う時代である。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた世界に冠たる経済の時代は、昔話になった。あれほど待ち望んだ政権交代も、どうやら魅力に乏しいようである。この二十年間に、われわれが失ったものとはいったい何なのだろうか。

 一九八四年に出版された『新中間大衆の時代』(中央公論社)において、経済学者村上泰亮は一九七〇年代末から生じた保守支持復活を次のように分析した。現代日本の特色は、豊かさの享受という「保身性」と、その豊かさゆえに産業社会を支える行政への「批判性」を持つ新中間大衆の出現にある。したがって、保守支持復活を、右傾化やナショナリズムの復活と捉(とら)えるのは誤っている。自民党の勝利は、保守党への強い忠誠心によってもたらされなのではなく、「弱い支持者」の動員に成功したからなのである。すなわち、保守回帰の絶頂で書かれたこの著作は、単純に保守支配の安定性を謳歌(おうか)したのではなく、堅い支持層の希薄化に伴う保守基盤の液状化現象を予告した書物だったのである。

 村上は日本の将来を複雑な思いで眺めていたのだろう。労使協調による経済運営を基調とした戦後のケインズ主義的合意の意義を認めつつも、石油危機以後の日本では福祉国家がそのままでは維持しえなくなった現実をどう考えるか。財界主導型の行政改革は先進国型の自由放任理念を導入するものであり、自民党のかなりの部分がそこに依(よ)りどころを求めているが、そもそも古典的な自由主義への復帰は、将来の処方箋(せん)として十分ではない。かくして村上は、「日本の保守主義がそれなりの歴史的経験を生かして、古典的自由主義を超える社会哲学を生み出」し、「新しい保守主義の原則」を創設する努力をとらねばならない、と結んでいる。

 こう考えるならば、九〇年代以降の「構造改革」とは、「保守」にとって本来両義的なプロジェクトだったはずである。そのことが十分に自覚されなかったのは、冷戦の終焉(しゅうえん)は「革新」の終焉であり、戦後日本の知的偏向を正すべきだという想念が、「保守」の論者に強すぎたからではないだろうか。九〇年代に喧伝(けんでん)された用語が、「普通の国」であったことは象徴的である。

 だが、「左翼」や「革新」の退場は、「保守」の勝利ではなかった。この二十年間で生じた最たるものは、保守の空洞化だったのかもしれない。優れた保守主義者ならいま政治に対して何を言うかという視座は、立場如何(いかん)に限らず重要ではないだろうか。


2009年4月6日 読売新聞朝刊 12版 15ページ「喪失感と保守の空洞化」から引用

 郵政選挙で自民党が300議席を獲得したのは「革新」が敗北して「保守」が勝利したのではなく、単に劇場型選挙に浮動票が吸い寄せられただけの一時的な現象に過ぎないということのようである。しかし、21世紀がスタートして間もない頃は、「失われた10年」と盛んに言われていたが、それが今や「失われた20年」になろうとしているとは呆れた話だ。










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最終更新日  2009年04月19日 20時08分08秒
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