ジェンダー研究のパイオニアとして知られる東京大学教授、上野千鶴子先生は今年の春に定年で退官されましたが、3月15日に予定されていた最終講義が11日の東日本大震災のため延期となり、7月9日に東大弥生講堂にて行われました。講義の全容は雑誌「文学界」9月号に収録されています。上野先生は、講義の冒頭で次のように述べました;
(前 略)
3・11の災禍には2つの側面がありました。第一の津波は天災でした。2万人以上を真冬の海に飲み込んだ未曾有の津波だけでも、その報道に接するだけで気が滅入りますのに、それ以上に私たちの気を滅入らせる第二の側面がありました。それは福島の原発事故が人災だったことです。人災というのは人の過ちがもたらした災厄という意味です。その気になれば防ぐことができた災厄ということでもあります。
東電の関係者は想定外の天災だと言っておりますが、これにはいくつも反証があります。それは第一に、福島第一原発では1号機から4号機が爆発したけれども、第二原発は自動停止をしたこと。同じような津波に遭いながら、女川原発はやはり自動停止装置が働いたこと。それだけではありません。原発をつくらせなかった土地と人びとがおります。つまり、原発事故は防ごうと思えば防げた事故でした。
また3・11以前と以後で態度を変えた人たちがいます。メディアから3・11以後に私のところにさまざまな依頼が参りました。「3・11で変わったこと、変わってほしくないことを答えてほしい」とか「3・11以後に読むべき本は」というような依頼が来ました。私はすべてお断りしました。
たしかに変わった人たちはいます。自分が間違っていたと率直に反省をした人もいます。安全基準を甘く見ていたと反省した人もいます。ですが、他方で変わらなかった人たちがいます。
「やっぱり」「思ったとおり」「こんなものがうまくいくわけがないと思っていた」「だから言ったでしょっ!」……そのように3・11によって態度を変える必要のなかった人たちの言うことだけを信じたいと、私は思うようになりました。
最後の『だから、言ったでしょっ!』(かもがわ出版、2011年)は、米谷ふみ子さんの新刊のタイトルです。副題には「核保有回で原爆イベントを続けて」とあります。原爆の罪を認めようとしないアメリカで、このイベントを続けることが、どんなに困難に満ちたことかは想像にかたくありません。本の中からいくつか引用したいと思います。
「原発の事故は起こるべくして起こったのである。私は為政者、関係者の愚かさに絶望的になった」「金に目がくらむと、原爆の核と原発の核が同じ危険であると思えなくなるのだろうか」そして「政府と企業とメディアがつるむと、その国は滅びる」とまでおっしゃっています。そのとおり、この国は滅びへと向かっています。
(後省略)
月刊「文学界」2011年9月号 「生き延びるための思想」上野千鶴子 202ページから引用
福島の原発事故が起きた時点では、東京電力も政府もマスコミも「想定外」を繰り返して、あたかも天災であるかのような印象を振りまいていたが、あの津波は実は「想定されていたものであった」ことは、今では明らかになっている。また、人災であると主張する根拠は、単に「津波対策を怠った」という点だけではなく、原子力発電所を作ったこと自体が今回の事故の原因だという点である。住民投票で原発の建設を拒否した自治体は存在するし、そういう自治体は、放射能事故を防ぐ手段として原発の建設を許さなかったということである。
これだけの事故を起こしておきながら、それでも原発を止めようとしないこの国の政府と財界の態度をみると、この国が滅びへと向かっているとの印象を持つのも無理はない。