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2014年01月16日
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カテゴリ:社会問題
 大阪大学教授の平川秀幸氏は、原子力関連の専門家のインタビューでたびたび「技術の進歩にエラーはつきものだ」という発言がなされることについて、12月19日の朝日新聞に次のように書いている;


 先日、原子力関連の聞き取り調査をしている知人がこんな話をしていた。調査先の科学者たちからしばしば「技術の進歩にエラーはつきものだ」という言葉を聞くという。たとえば1995年に起きた高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏出火災事故も技術につきもののエラーの一つにすぎない、と。その感覚の世間からの乖離(かいり)ぶりに知人はあきれ果てたという。

 確かにもんじゅ事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で軽微なレベル1。周辺環境や作業者に放射性物質の影響はなかった。この点で科学者の発言には正当性がないわけではない。だが、違和感が残るとすれば「エラー」がはらむ人間的・社会的な「意味」をないがしろにする態度が見え隠れするからだ。「技術進歩にエラーはつきもの」という言い方には、「そのエラーは技術進歩を止めるほど大したことではない」という含意が読み取れる。

 実際、もんじゅの事故は、配管の破損や火災など単なる構造物の破壊に止まってはいなかった。もんじゅを開発・運転していた当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が事故現場のビデオ映像を改ざんしていたことが発覚。そこで問われたのは技術だけでなく、そうした組織の情報隠蔽(いんぺい)体質であり信頼性であった。さらに人々の不信感は動燃に止まらず原子力全体にも及んだ。その結果、政府の原子力委員会が、それまでの歴史からすれば極めて異例なことに、故・高木仁三郎氏など原子力の反対派も含めたかたちで「原子力政策円卓会議」を開催するに至った。事故を「技術進歩につきもののエラー」としてしまうことは、このような人間的・社会的意味を著しく矮小(わいしょう)化してしまう。

 もう一つ気になるのは「技術進歩」という概念もまた、背後にある人間的・社会的な意味を切り捨ててはいないかということだ。「技術進歩につきもののエラー」という考えはさらに「その程度のエラーや社会的反響のせいで技術進歩が妨げられてはならない」という命題を含んでいる。技術進歩は、エラーなど摩擦要因さえなければ自動的に進んでいく自然現象あるいは歴史の必然であるかのようだ。

 しかし、当然ながら技術は人の営みであり、どんな技術をどんな方向に進歩させるかは、根本的には人間によって判断され決定されている。研究開発や政策にも市場での選択にも、技術によって実現したい目的や意図、便益、利害関係、技術がもたらす効果・影響、リスクに関する見通しなど様々な人間的・社会的意味が介在している。もんじゅの例でいえば、その研究開発の継続は歴史の必然ではなく、様々なエネルギー技術や政策の選択肢から、技術的な特性だけでなく種々の人間的・社会的理由によって選択されたものだ。技術の行く末が社会に大きな影響を与える以上、その選択は万人に開かれているべきではないか。技術進歩は必然という考えは、この問いかけにふたをしてしまう。

 遺伝子組み換え作物の是非をめぐる論争が英国で激しかった1999年、同国政府の首席科学顧問だったロバート・メイ氏は「この論争は安全性に関するものではなく、どのような世界に生きたいかというはるかに大きな問題に関するものだ」と述べた。ここで問われているのは、これまで述べてきた技術の人間的・社会的意味に関する問いである。それを考える主役はこの社会に生きるすべての人々だ。

 福島の原発事故を契機に私たちの多くがこのことに気づき、考え行動し始めている。それは原子力に限られないだろう。あとはどうやって技術の研究開発や政策決定に対して影響力をもてるような制度や実践を生み出せるかだ。現在の政治状況では見通しは決して明るいとはいえないが、しぶとく、したたかに続けていこうではないか。 (ひらかわ・ひでゆき 1964年生まれ。大阪大学教授・科学技術社会論)


2013年12月19日 朝日新聞朝刊 17ページ「あすを探る 科学-エラーはつきもの、の弊害」から引用

 原子力の専門家の発言に見られる一般市民の常識との乖離、という指摘は、数年前に「裁判官は司法の世界に閉じこもっているので、一般市民の常識から乖離している。だから、司法の世界に世間の常識を取り入れるために裁判員制度が必要だ」と言われたことを思い出させます。しかしながら、技術の進歩というものは、この記事が指摘するように、自然に進歩していくなどというものではなく、その都度、人間がその技術をどう利用するかを決めて研究し発展させてきたことに間違いありません。人工衛星を飛ばすとか月に人を送って生還させるとか、軍事利用ができると考えたから、そう言う技術を研究開発したわけで、衛星通信とか気象観測などは付録のようなものです。今までは、そういう技術の発展の方向の選択は専門家にまかせっきりで、専門家はやりたい放題、その結果「一定のエラーはつきもの」などと言って、生まれ故郷が二度と生活できないような事態にされたのではたまりませんから、これからは専門技術の研究の方向性についても、一般市民は強く関心を持ち積極的に発言していくべきです。





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最終更新日  2014年01月18日 10時08分25秒


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