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2023.02.15
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カテゴリ:思うこと
こんばんは!



この記事を書くにあたり
いつぞやの少年野球の監督をふと思い出してました。

彼は、ゴロが転がったら二言目には
「からだでとめろあああ( ゚Д゚)!!」と叫んでました。

今思ってもすごく違和感を感じるんですよね。
「からだで止めるってなに?」って。

野球ボールってグローブで捕るものなんじゃないの…?
からだでボールをとめることじゃなくて
どうやってグローブで捕球するかを教えてあげないの?
からだ全体がグローブなの?
服みたいにグローブを着てるの?

からだに当てたら痛いじゃない。
速いゴロだったらこわいじゃない。

そういう子に対する指導って
「根性出せ!!」とかじゃないじゃん。
「ボールを怖がるこいつが悪い!俺の指導は素晴らしい!」じゃないじゃん。

色んなことを思う人がいるんだ。
それぞれが自分にマッチしたやり方を習得して、上手になっていくものではないのか?
ボールを身体に当てなくても、ボールの正面に回らなくても、
グローブで上手に捕球するメソッドを教えるんじゃないのか?

もしかして…
いや、もしかしてだけど…

からだで止める以外に、ゴロをさばく方法を知らない…とかではないよね..?
もしそうであれば。
そんな存在って指導者と言えるのか…?
引き出し少なすぎだろ!?
指導する立場にいながら、1つの手段しか知らないなんて。ヤバいだろ。
いろんなタイプの人にアジャストできるような方法を知ってる、もしくは生み出して
上手にできるように手助けする能力がないと、
やってることがそもそも指導とすら言えなくなるような気がするんだよね。

そもそもゴロをからだでとめることが素晴らしいとか。
ゴロをさばくために唯一無二の手段だみたいな神格化をしてることが
すでに思考停止して他の手段を考える本来の仕事を放棄してる気がしてならない。

所詮、自分の知ってる知識しか教えることなんてできないのだ。
だからこそ指導者こそが日々の進化が必要。
人を導く者って、そんなに軽いものじゃないような気がしてる。


最後まで読んでいただきありがとうございます!!

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それではまた次回お会いしましひきだsい





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最終更新日  2023.02.15 18:00:09
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