百 人 一 首
は し が き
百人一首の成立については今日でも
論議が絶えませんが、藤原定家が蓮生
(れんじょう)入道に頼まれて、嵯峨
中院山庄(さがなかのいんさんそう)の
障子(ふすま)に張る色紙を京都の小倉
山にある山荘で書したものを起源だとす
る説が、現在では一般的になっています。
百人の歌人、一人につき一首ずつ選すると
いう意味で「百人一首」と呼ばれ、通常は
定家の書いた百人一首のことを指します。
しかし、後世、同じ形式による「武家百人
一首」「新百人一首」「女房百人一首」な
ど数多くの百人一首が作られるようになり、
それらと区別するために書かれた場所にち
なんで「小倉百人一首」と呼ぶようになっ
たと言われています。
「小倉百人一首」は天智天皇から順徳院ま
で時代順に配列されていることから、和歌
史を知る上でも重要な文献となっています。
さらに、その作品すべてが流麗で優艶であ
るので、古来、和歌を学ぶ上でも、書道を
学ぶ上でもかかせない手本とされてきました。
現在、百人一首と言えば「かるた」、「かるた」
と言えば百人一首と言うほど、百人一首は
「かるた」として広く一般に親しまれてい
ますが、前述のように、「百人一首」は初
めから「かるた」として作られたわけでは
ありません。
その起源については、鎌倉時代末とも、室町
時代とも言われていますが詳細は不明です。
しかし、江戸時代には数多くの「かるた」
が作られ、現在と同じ形の「小倉百人一首
かるた」を、公家・武家・町人など幅広い
層の人々が楽しんでいました。
「かるた」という形になったことで、子供
から大人まで、遊びながら優雅な王朝時代
の歌を覚えられ、暗誦されている方も多い
ようですが、その歌の意味や作者について
は詳しく理解されていないように思われます。
今回、本書を刊行するにあたり、歌の解釈
と作者略歴を「今様百人一首吾妻錦」の歌
仙絵とともに一頁にまとめ、美しい錦絵を
見ながら歌の意味を理解するだけではなく、
作者の人となりに多少なりとも触れられる
よう構成いたしました。
さらに、巻末には作者のエピソードを収録
しましたので、より深く百人一首に親しん
でいただくことができると思います。
この1冊が豊饒な和歌の世界への良き道案
内となれば幸いです。
1994年11月
マール社編集部
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最終更新日
2020年12月02日 12時59分43秒
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