人 間 に と っ て 病 い と は 何 か
健康を願わない人はいないだろう。
しかし、病気知らずの長寿が必ずしもいいとは限らない。
なぜなら、人間は治らない病いを抱えることで自分の
限界を知って謙虚になり、命をかけて成熟に向かう
ことができるからだ。
「 健康なだけの肉体なんて始末が悪い 」
「 心と体は予想を裏切るからこそおもしろい 」
「 神経症的な異変は誰にでも起きる 」
「 弱点のない人間はいない 」
「 最期まで人間を失わないでいられるか 」等々、
病気に振り回されず、満ち足りた一生を
送るためのヒントが満載。
まえがきーー正常と病気の間をさまよい歩くのが人生
人間は不思議なものである。
哲学的、科学的な頭脳の持ち主は、多分私のように
直感的な閃( ひらめ )きに頼っている人間を許せないだろう。
私は音楽が好きで、オーケストラの定期演奏会の年間会員に
なっているが、オーケストラは、一人の人間の体の部分的
働きを取り出した姿に似ている。
一つの楽器では、交響曲は創れないのだ。
弦楽器なら多少メロディはわかるだろうが、
打楽器になったら、曲の全貌を見せてくれない。
「 驕( おご )ってはいけない 」
と、私は学生時代に教えられた。
1人の人間は、社会からみると、人体の部分のようである。
眼は大切なものだが、眼が感知したものを、神経を使って
大脳に伝えなければ何の意味も持たない。
脳からみると足の裏などという部分は、何ら重要な
働きをしていないようでもある。
顔でもないし、手のように薪(まき)割り、水汲みなどという
作業に直接携わってもいない。
しかし足の裏がなかったら、考えたことを喋ったり、
1人の人間がどこかに移動することもできないから
食事も作れない。
だから、「 眼が足の裏に向かって、お前は要らない・・・・ 」
ということはできないわけだ。
人体のすべてが要るのである。
同様に、一家や一族の中で、「 アイツはできそこないだ 」
と思われているような人でも、要らない存在はない。
事柄はすべて入り組んでいて、その結合によって
新しい価値を生み出すのである。
以 下 省 略
著者:曽野 綾子( その あやこ )
1931年 東京都生まれ。作家。
聖心女子大学卒。1979年ローマ法王よりヴァチカン
有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者、
1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。
1972年にNGO活動「 海外邦人宣教者活動援助
後援会 」を始め、2012年代表を退任。
「 人間にとって成熟とは何か 」「 人間の分際 」
「 老いの僥倖 」( すべて幻冬舎新書 )
など著書多数。
発行年月日:2018年5月30日 第1刷発行
2018年6月 1 0日 第 2刷発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
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最終更新日
2022年02月24日 18時28分05秒
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