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テーマ:昔の日本映画(74)
カテゴリ:日本映画(1961~70)
ある娘が、貧しい家庭環境と周囲の男たち(と叔母)によって、純情可憐な女子高校生からヌードモデルまでに身を堕としていく様を描いたもの。舟橋聖一の小説の映画化。東京・渋谷のシネマヴェーラ渋谷で開催中の「祝生誕100年!映画監督 渋谷実。」にて鑑賞(2007/3/28)。
『モンローのような女』 評価:☆ 正直なところ、この映画は外しだった。 お色気コメディと評する人もいるが、渋谷監督らしいコミカルさも風刺もなく、主人公が周囲に流されて破滅へと進んでいく(そして最後は開き直る)様子を漠然と描いているだけで、私的にはまったく好きでない作り。 原作は未読なので、どういう意図なのかがよく分からない。 性の犠牲になっていく娘の哀れな姿を描きたいとすると、無駄に笑いを要求する(だけど笑えない)場面があったり、主人公の娘がただぼんやりしているだけにしか見えなかったり、とても成功しているとは言い難い。緊迫感が足りない問うべきか。 また、進んで堕ちていく女と堕とす男たちを風刺した映画とすると、コミカルさがなさすぎるし、登場人物はひたすらただ嫌な奴だけでしかないので、皮肉・風刺になっているとは言い難い。そのためには、行いは極悪非道なのだがどこか憎めない役柄の人物を配するとかしないとダメなのではないか。 どちらにしても、一言でいえば、感情移入できる登場人物、共感できる役所がないということか。 主人公のいち子には同情は出来るものの、周囲に流されるだけで意思を持った人間に思えず、ラストの開き直り(悟り?)も唐突すぎて、それまでの演技とまったく繋がらない。 もっと、他の職業を探して悩んでいる姿とか、父親の同僚の青年役・川津祐介との恋愛関係(または従兄弟とのそれ)を突っ込んで描くとか、伯母に不満をぶつける(だけど従わざるを得ない)様子を描写するとか、いろいろと方策はあったと思う。 この作品と同時上映の『好人好日』が同じ監督作品とはちょっと思えない。当然、人には得手不得手があるわけだが、少なくとも渋谷監督にはこういう女性ドラマは向いていないと思う。同じ題材(脚本)で、例えば吉村公三郎や増村保造が撮っていれば、また全然別な魅力があったかもしれないが。 役者的には、この映画がデビューの真理明美は新人としては頑張っている方だろうし、森光子、笠智衆、加藤武などの脇役陣も個性的で悪くないのだが……。 タイトルは、主人公がマリリン・モンローに似ているという話から。 でも、主役の真理明美が似ているとはとても思えない。脇役の千之赫子がモンローを真似する様はちょっと可笑しい。 【あらすじ】(ネタバレ有り) 17歳の高校生・島いち子(真理明美)は、踏切警手の父・源四郎(笠智衆)との二人暮らし。母は精神病院に入院していて、経済的に大変に厳しく、学校を辞めて働こうとする。飲み屋の女将である伯母のお鈴(森光子)は、いち子の美しい肢体と顔に目を付け、店の常連のカメラマン。水口(佐田啓二)のヌードモデルとして紹介する。はじめは断っていたいち子も、近所に住む娘・まさ枝(千之赫子)の説得もあり、水着姿での撮影に応じる。しかし、ヌードになることには頑なに抵抗していた。 お鈴の息子でいち子の従兄弟・孝太郎(山本圭)は、密かに惚れているいち子のそんな行動や、母親の姿に嫌気がさして家出していた。やがて、自分の体の魅力を感じ始めたいち子は、モデルをやめてテレビのCMガールになりたいと思いはじめる。お鈴のパトロン・蜂屋(加藤武)にCM屋を紹介すると呼び出された。蜂屋に襲われかけ、やっとのこと逃げ出すいち子。しかし、それを誤解した孝太郎によって、二人が以前から関係があったとの話が、お鈴やいち子の母、そして源四郎に伝わってしまう。病院から抜け出した母親は蜂屋を刺し、酒に酔った源四郎の不注意は踏切事故を呼び起こす。 すべての負担が自分にかかると思ったいち子は、水口を訪ねてヌードになる決心をする。 『モンローのような女』 【製作年】1964年、日本 【製作】松竹(大船撮影所) 【監督】渋谷実 【原作】舟橋聖一 【脚本】白坂依志夫 、渋谷実 【撮影】長岡博之 【音楽】黛敏郎 【出演】真理明美、森光子、佐田啓二、笠智衆、山本圭、川津祐介、加藤武 ほか お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.08 15:45:41
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