ヴェネツイアと「赤髭王」その3
この神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ=赤髭)に対抗した「ロンバルディア同盟」の戦いと、和解のためのヴェネツィアの仲介という出来事は、後々のそれぞれの市民にまで大きな影響を与えるような、象徴的なエピソードとなりました。 まず、北イタリアのコムーネにとっては、自治独立を守り抜いた義勇的歴史エピソードとして語り継がれ、それぞれのコムーネに強い誇りとアイデンティティをもたらしました。 そして「ロンバルディア同盟」の結束と勝利は、現在のイタリアの政党の一つ「北部同盟」(今月の総選挙で、議席を大きく増やしました)の心理的ルーツにもなっています。 一方、ヴェネツィアにとっては、ヨーロッパの二大勢力を自国に呼んで仲裁するという大役をやってのけ、ヴェネツィア人はますます自信を深めてゆきます。 まったくの無名で3Aのチームでプレーしながら、そのうち大リーグでMVPに選ばれると信じて疑わない、夢見る若い野球選手が、9世紀頃のヴェネツィアとすると、今の12世紀のヴェネツィアは、大リーグに定着しあなどれない力を見せ始めた頃でしょうか。 ヴェネツィアという国は、自分の国に対する「愛国心」を持った初めての国と言われています。 自国への誇りと自信、さらに思い込みが激しい、「熱い」人々でありながら、他国を見下したり宗教的イデオロギーに片寄ったりすることがなかったのは、独特のヴェネツィア人のすぐれたバランス感覚のおかげでしょう。 この独特のバランス感覚は、自国の乏しい資源も関係しているでしょうし、野球が一人では出来ないことを、よくわかっていたからでもあったでしょう。 このエピソードは、ヴェネツィアにとって、それからの300年以上の歴史の海原を「大国」として歩んでいく、「はずみ」をつけるきっかけになったのでした。(写真の絵は、カナレット(1697-1768ヴェネツィア生まれ)の、サンマルコ広場)