ヴェネツィアとイタリアの歴史観(その3)
ヴェネツィア以外の国、例えばフィレンツェなどはどうでしょうか。 共和国と言っても実際は、メディチ家の独裁体制だった300年ほどの歴史は、その内外に大きく知れ渡っています。 グエルフ(教皇派)とギベリン(皇帝派)の争いはあったにせよ、全体的にはローマ教会との深いつながりは否めないこと。ルネサンス(芸術などの新しい表現や人文主義などの文化革新)の保護者のイメージが定着していること。現代イタリア語の基礎が、トスカーナ方言をもとに構築されていること、などの理由が、フィレンツェの歴史を「拡大解釈」させている、と言えると思います。 次に、「ヨーロッパの歴史」という大きな枠組みで、大まかにどういう視点から歴史が語られているかというと、フランスからの視点ということになるでしょう。 それは、18世紀の終わりに起きたフランス革命に起因していると思われます。それまでの封建社会を廃棄した市民革命は、フランスのみならずヨーロッパを近代へと導いた出来事として、位置づけられているからです。実際、フランス革命がヨーロッパに放出した、「自由」や「平等」といった概念の多大な影響に疑問の余地はありません。 ここに、『ヨーロッパの歴史-欧州共通教科書』(総合編集フレデリック・ドルーシュ 東京書籍)という本があります。 1993年のEU(ヨーロッパ連合)発動に伴い、(ある程度の)歴史観を共有する、という目的で、12人の国籍の異なるヨーロッパの歴史家たちによって編纂されたものです。 長い間、覇権をかけて争いを繰り返して来たこのヨーロッパ大陸で、共通教科書という概念を持つ書籍が、実際に生み出されたことは、画期的なことだといえます。 EUの目的は主に、大国アメリカ、日本、そして中国などとの経済戦争に負けないために一枚岩で戦うための経済戦略ですが、実行、維持には多大な費用と、地域主義、愛国主義を超えた人間の知性が要求される大事業です。「アジアの共通教科書」など、ほど遠い現状からは、ヨーロッパ人の知恵に感嘆せざるを得ません。 ではこの本の中で、ヴェネツィアがどういう風に語られているか。例えば「第四回十字軍」についてはどうでしょうか。(その4に続く)