ヴェネツィアの「時計塔」(その2)
この美しく精巧な時計を作り上げたジャンカルロ・ライニエーリと、その父ジャンパオロが制作終了後に「他の場所で、同じ時計を二度と作れないように」と「ヴェネツィア政府により、目玉をくり抜かれた」という伝説があります。 これがもし本当のことなら、こんな酷い話はありません。傑作を作ったがゆえに、その腕を疎まれ、職人生命と人間としての尊厳を奪われるなんて。 しかしこれは、後々の噂好きの人々が作り上げた、あくまで「お話」であって、事実ではないでしょう。 まず、「ライニエーリ父子は、その後家族でこの時計塔に住み、時計の調節、修理を任された」という記述があります。 傑作といっても、絵画や彫刻と違って、歯車が複雑にからみあった、しかけのある「機械」です。 さらに、時計は風雨や雷などにもさらされる外にあるのでメンテナンスは不可欠だったでしょう。 専門の知識と技術が求められる修理を「失明した」状態で任されたとは、まず考えられません。 もう一つの理由として、ヴェネツィア共和国は「技術立国」であったことです。 魚と塩しか資源のない、この国の豊かさは、様々な分野の徹底した職人達の技術で成り立っていました。 モザイクやガラス職人、土木建築、造船、印刷技術から船乗りや商人まで、あらゆる方面の妥協しない高い技術と発想が、国内外の信用と名声になり、国に富をもたらしていたのです。 この伝説のようなことがもし起これば、職人達は直ちに反発し、優秀な技術を持つ者は、国外に流出し、結果国の衰退につながることを、政府側は十分承知していたはずですから。 彼らも、国の権力が一人の人間や、一家族に集中しないよう、工夫を重ね技を高めた、政治家という職人達でした。 「二つと同じ傑作を作らせないために」失明させるなどという、権力者のとんでもないエゴは、独裁政治の下では起こっても、ヴェネツィア共和国ではリアリティーが、ないと思うのです。