カテゴリ:夢有無有
一闡提(いっせんだい、一闡堤)は断善根、信不具足と訳され、仏法を信ぜず誹謗する者を指し。成仏が不可能な者とされています。釈迦は純陀に対して以下のように一闡提を説明している。
「若し、僧侶や信徒が教えを誹謗中傷しながら悔いることなく、心に懺悔を持たず、四重禁を犯し五逆罪を作ってもこれを全く恐れず、嘘ばかり吐いて周囲を惑わし、悪に染まった心を立て替えず、仏法を信じないばかりかこれを公然と言うものを一闡提という」 仏教とキりスト教に於いては、「一闡提」これは要するに提婆達多のことであり、聖書にあっては、イスカリオテのユダに当たります。しかし、ユダはキリストを裏切った後に自殺、後の救いなどは一切ありません、法華経等にあっては、一闡提は成仏しない者とされるが、一闡提でも仏性は有るので成仏できる救済の可能性も無くはないと、救済の可能性を残すものもあります。 此れが、キりスト教に於ける「法償論」と仏教の「衆生本来仏なり」の根本的法論の違いかもしれません。また、自らの誓願により、成仏しない「地蔵菩薩」等は、「一斉衆生を救うため、自ら成仏を取り止めてあえて闡提の道を取った仏」として、一般の闡提と区別して大慈大悲闡提と称しています。 また、提婆達多が釈迦に仏法の改革を助言した為に、排斥誹謗され袂を別った様に、「イスカリオテのユダ(Judas Iscariot)」もイエスの言動に、ユダヤ民族の存亡の危険性を観て、聖書とは逆に、イエスを見限ったのかも知れません。とかく、宗教にあっては、同時代の異端者には、殊更、厳しく扱い罵っております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月08日 13時40分00秒
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