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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年03月30日
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カテゴリ:唯物論
閑話休題:ディドロの自然科学の解釈3 物質観-1:物質と運動-5
 ディドロの言に従いて現代物理に宇宙・天文・物理科学をみれば、此の宇宙には運動しつつあるもののなかにあるどころか、静止しつつあるものにもあるとしているので、まさに量子論の不確定性原理の世界に運動が在することになる。更に、物質である限りは現在物理科学では最小とされる物質、四つの力に代表される素粒子間に働く相互作用「強い力、弱い力、電磁気力および重力」のそれぞれに既に運動が組み込まれていることになります。其れ故に世界における時空間には静止はなく運動のみが存在することになります。
 更に驚嘆すべきは、ディドロは物質には感性があるといいます。感性とは事故の外世界である物事を感覚的に受け止める力です。ディドロは無機物の感性を死んだ感性とか、受動的な感性といい、これに対して有機物に備わる感性を生きている感性、能動的な感性という。だから、此の見地に立つと、例えば人間は絶対的な意味での生から死へ移ることは無くなる。そこに行われているのは、生から一時的な死へ、死から一時的な生へ移ることだけである。ディドロは、死んだ感性から生きている感性への移行を、つまり、感性を生物において突然生じる性質とはみないで、無機物の運動の状態が変化し発展したものであるという考えに移行していきます。此の思考からは人間を含む生命の生死には創生・滅亡は無く運動の変化しかないことになります。仮に運動なるものが須藤靖理学博士の述べる「マルチな世界」観に適応すれば、究極の存在が運動であり、其の運動はある種の力の顕れなのか、其れを問うべきは、今はもはや象牙の塔に籠もった哲学ではなく先端物理科学に期待する時代なのでしょうか。



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最終更新日  2023年03月30日 13時50分03秒
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