死刑か復讐か
最近日本で話題になったニュースで「山口、光市母子殺害事件」がある。これは7年前に起こった事件で、被害者は23歳の女性とその娘11ヶ月。当時18歳だった少年が「水の検査をするので」と水質調査を装い自宅に侵入。23歳の女性を絞殺したあとレイプし母親にすがって泣く赤ん坊を頭から床に叩き付け更に紐で首を絞めて殺害した。事件後、23歳の夫は「犯人に人権なんて認めません。法が彼を死刑にしないのなら、私が殺すまでです」と会見した。7年がたった今、夫は今も被告の死刑を求めて最高裁で争っている。「死刑以外の何も、私たちの心を癒す事は出来ない」と。この事件の被告は反省している様子は見られず、友人に留置所から「犬が道端で可愛い犬にあって『やっちゃった』・・これが罪でしょうか?」と書いた手紙(その他にも被害者の夫を侮辱する事も書いている)を出すほど。この事件だけではないけれど、色んな残忍な事件を聞くたびに私は死刑推進の気持ちになる。こんな犯人に「生きる権利」なんてあるんだろうか?こんな犯人に「更生する確率」があるのか?「罪を憎んで人を憎まず」なんてのが綺麗ごとの様にしか思えなくなる。最近見た韓国映画で、イ・ヨンエ主演の「親切なクムジャさん」という映画がある。これは私にとってはすっごい衝撃作品だった。(これから見たい人はこれから先は読まないほうがいいかも!)これは、自分の娘をある男に取り上げられ、その男の身代わりに誘拐事件の犯人として13年服役した女性、クムジャが主人公。犯人の男は4人もの幼い子供を誘拐・殺害し、その様子をビデオに収めた残忍な男である。出所後、クムジャは彼を廃校になった学校の一室に縛り上げて暴行、監禁し男に殺された4人の子供の両親をそこ呼び出す。そして、子供達が殺される場面のビデオを見せる。ビデオには「やめて、おじさん。助けてー」「ママ、早く迎えに来て・・」と泣き叫びながら殺される子供達の様子が映っている。怒りと悲しみに震える被害者の親達。そして、クムジャは言う。「彼を警察に引き渡したいのなら、そうしましょう。だけど、もしあなたたちが自分らで彼に手を下したいのなら、それも出来ます。どうしますか?」4組の両親達は討論の末「どうせ裁判にかけても、何年もかかって時間ばかりが過ぎるだけ。それなら自分たちで手を下そうじゃないか。」という結論に達する。彼らはナイフや斧、はさみを手に犯人の居る部屋に入りそれぞれの思いを果たして出てくる。最後、復讐を終えたクムジャはやっと探し出して見つけた娘と泣きながら抱き合う。そして、彼女は笑うのだ。人は復讐する事で幸せになれるのか?それを自分でもう一度考えなさい、と言われている気分になる映画でした。そして、今度は違う映画「The Life of David Gale」これはアメリカン・ビューティーにも出ていたケビン・スペイシー主演。死刑制度反対運動を推進していた大学教授の彼がある日同じく反対運動に取り組んでいた同僚の女性のレイプ・殺害容疑で逮捕される。死刑の行われる直前、ジャーナリストの女性(ケイト・ウィンスレット)は彼に直接指名を受けて彼を取材する。彼の無罪を感じた彼女は、真の犯人を捕まえるために翻弄するが・・という話。この映画のテーマは死刑制度で、「死刑があったとしても犯罪発生率は変わらない」「憎悪ではなく、社会人として冷静に判断を下すべきだ」という廃止論が何度も出てくる。この映画はめっちゃめちゃいいです。かなーーーりオススメ。最後のシーンで鳥肌が立って、震えが来ました、私。自分の大切な人がもし無残な方法で殺されたら・・自分の手で復讐をしたいですか?法にまかせますか?法に任せたとしたら「死刑」以外の方法に納得できますか?「無期懲役」と言って22,3年で犯罪者が世に出てくる事実を一体どう考えますか?