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カテゴリ:生き方
私の「お母さん」としてのスタートは、まさに行き当たりばったり、全く育児に関する知識もなく家事もやったこともないのに、いきなりはじまった「お母さんライフ」に毎日がドタバタでした。 ライフプランなんて考える暇もなくて、今もまだ自分自身も中身子供のまま育ててる感じです。 私自身頼りないふわふわしたお母さんのまま子供達はあっという間に中学、高校へと進学していきます。 これまで、自分の育児が正しいと確信したこともなく、ずーっと「これでいいのかな?」という状態のままなのでいつになったら答え合わせができるかもわかりません。 でも、育児に限らず人生も全て「正しい道」を歩き続けることなんてないんだなぁと感じました。 Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法 [ ロルフ・ドベリ ] この本を読んでいると、刺さる言葉がマイページくらいあるのでなかなか読み進めることができません。 人生もどんなに綿密にプランを立てても、その通りになる確立なんてほとんどない。確かにその通りですよね。 学校を出て社会人になり、結婚して、どこを切り取っても「予想外の連続」でした。 そもそも自分が結婚するなんて思っても見なかったし、ましてやお母さんになるなんて全く予想していませんでしたから。 大切なのは考えて考えて慎重になり過ぎることよりも、行動してみて軌道修正する力だと言われたら、もう身をもって実体験済みですから「その通り」としか言いようがありません。 それでも、あまりにも何も考えずにここまできたので、もうちょっと考えて行動すべきだったなぁと思うこともたくさんありますが。 特にパートナーや子供を自分の思い通りにすることなんて、どれだけの時間と労力を費やしたって不可能なことですから、そのときそのとき「じゃあこうしてみよう」と柔軟に対応を工夫するしかないと思い知りました。 今でこそ、カラフルなペンを使ってイラストまで入れてキレイでかわいくて、わかりやすいノート作りをしている娘ですが、小学一年生のときは目の力が弱くて黒板やテキストの文字をノートにうつすことが困難でした。 目のトレーニングをしたり、くもんでプリント学習をしたり、タブレット学習、パソコンの学習ソフトなどありとあらゆることをやってみましたが、うまくハマったのがお習字でした。 たくさんの視覚情報の中から必要な文字にピントを合わせるという作業は難しかったのですが、お習字のように一文字だけをうつすのはできたのです。 きっかけは、水でかけるお習字遊びでした。 幻冬舎 武田双雲の水で書けるお習字 ひらがな これをやってみたら、「うつす」という作業ができないわけじゃないんだ!とわかり、私も嬉しくてすごく褒めた記憶があります。 そこで、しばらくご近所のお習字教室に通っていました。 おかげで、そのうち自然とノートも書けるようになっていきました。 このときに同い年の子と比べたり、出来ない部分にフォーカスしたりしていたらきっとますます学校が嫌になっていたかもしれません。 本人が学校嫌って言ったことはないのですが、私が勝手に嫌かなぁって思ってました。 私や先生はめちゃくちゃ心配もしたし、困っていましたが、本人は楽しんでたしそんなに困ってもいなかったようです。 出来事にフレキシブルに対応して、軌道修正する力は大切ですが一番重要なことに関しては「頑固」を貫くことが大切だとこの本でも言われています。 私も「子供の今の幸せを最優先する」という点では絶対に譲りませんでした。 子供が小学一年生の最初のとき、無理矢理宿題をさせたり「ちゃんと」させるために厳しく叱ったりしていたことがありました。 「子供の将来のために」と自分でも怒ったり叱ったり、指示したりするのは性に合わないし嫌でしたが無理をして「お母さん」を頑張っていました。 でもふと、「子供の将来の幸せのために、今、この子を不幸にしてるのは私なんじゃないか?」と思ったんです。 それから、優先順位を明確にしました。 どんなに、学校の先生やママ友から何か言われても「今の子供の幸せ」を壊してしまうようなことは絶対にしないと決めました。 人と比較しないこと、子供の形を変えてまで学校や世間にこびないこと、良い部分にフォーカスすること、一見悪く見えることにもメリットを見出すことなどです。 「立派な大人になる」ことは大切かもしれませんが、優先順位としては「幸せ」よりも下、もしくは幸せになるための1つの手段でしかないので、今を「不幸せ」にするくらいなら立派じゃなくてもいいかなと思いました。 先生方には心から感謝して、自分にできることはできる限りしましたが、ぶれないところは絶対にぶれないでいると自然と「ああゆう人だから」とまわりをわからせることができると実感できました。 私は、学校や世間体に都合よく、子供をこねくりまわしてみんな同じ形に整えるようなことは好きではありません。 学校も子供達に合わせて少しずつでも変わっていくべきだと考えています。 人数やいろんな問題で難しいのはわかっています。 でもそれにかまけて全く学校のシステムを変えないで良いとは思わないし、変に子供やママが無理して頑張って頑張って学校が変わらなくてもいいようにするよりも、「このままじゃ無理ですよ」ってみんながわかるようにすることも長い目で見たらメリットが大きいと思います。 視察の先生が来た時に、ちゃんとしたところを見てもらうよりも、めちゃくちゃな普段の学校の様子を見てもらって、こんなんですから先生の人数これだけじゃ全然無理ですよってわかってもらえば「どげんかせんといかん!」ってなりますよね? 今はまだまだ、お母さんも子供も先生も無理して頑張ってる状態だと思います。 だから、もっとみんなの負担がなくなるように、問題を見えるようにしてもいいんじゃない? あかんとこも見てもらおう!って思ってます。 私がお母さんとして、「私できる母親ですけど何か?」みたいなかっこつけて、できてるフリなんてしてたらきっとめちゃくちゃしんどくて自分も子供も家庭も苦しくなっていたと思います。 実際、無理して頑張って毎日イライラしてた時期も長くて、「子供のため」と思いながら不機嫌オーラを撒き散らしていたかもしれません。 「幸せとは何か」という問いの答えは、人それぞれでそのときそのとき違うし、とても曖昧なものなので、「幸せ」を定義してそれを作ろうとするよりも「不幸せ」になる要因を具体的にあげることの方がわかりやすいですね。 この本でも、アルコール依存、麻薬、慢性的なストレス、騒音、長い通勤時間、嫌な仕事、失業、不安定な結婚生活、自分への過度な期待、貧困、借金や経済的依存、孤独、愚痴っぽい人たちとの付き合い、周りの評価を気にし過ぎること、他人と常に比較されること、被害者意識、自己憎悪、慢性的な睡眠不足、怒りや嫉妬 こうした「幸せを大きく損なう要因」をかなり具体的に挙げられています。 より良い人生を送るためには、幸せを求めるよりもこういったマイナス要素を避けることだと言われています。 人と比べて、周りの評価ばかり気にして、体裁を整えるために親も子も先生も無理して頑張ったところで、幸せから遠ざかるばかりです。 何より、大人になって、自分の人生を振り返り「自分の幸せとは何か?」「ありのままの自分とは?」などについて考えたとき、それまでに自分自身を縛り付けてきた概念が邪魔してなかなか本当の自分が見えない状態になってしまうような気がします。 教育の最終目的が自分や子供の幸せだとしたら、その手段を間違えてはいけませんよね。 みんなと同じであることに幸せを感じるかどうかは人それぞれ、人と違っても本人がありのままの自分を気に入っていれば、別に変わる必要なんてないと思います。 わたしはあかねこ/サトシン/西村敏雄【3000円以上送料無料】 この絵本は、お母さんともお父さんとも兄弟とも全然違う赤い色の猫のお話です。 みんなから「どうしてこの子だけ違うの?」「こうしたら黒猫になれるよ」「こうしたら白猫になれるよ」と言われるけど、自分は赤い色がお気に入りで居心地の悪い思いをしていました。 家出した先で青猫さんと結婚して、七色の子猫を連れて帰ってくるというお話です。 何故かこのお話、私は泣きそうになってしまいます。 青猫さんは赤猫のことステキって言ってくれるし、ありのままを好きになってくれて嬉しい気持ちになります。 幸せってこういうことじゃない?って思えます。 「わたしはあかねこ」の作者サトシンさんのInstagram 最後まで読んでくれてありがとうございました。 Instagramやってます fumi8056 「先生わかって子供の気持ち」イラストブックはこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.23 08:27:45
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