アメリカの「ビートたけし」がキング牧師に挑戦する閉塞状況
1963年8月28日、「仕事と自由」を求める大規模な集会がワシントンDCで開かれ、25万人以上が参加している。この集会で中心的な存在だった人物がマーチン・ルーサー・キング牧師であり、このときに有名な「私には夢がある」という演説を行った。 集会では政府に対し、公立学校での人種分離を止めさせ、実行性のある公民権を法律で保証し、公民権活動家に対する警察の暴力を禁止し、2ドルの最低賃金を実現し、ワシントンDCの自治を認めるべきだというような要求が含まれていた。アメリカがベトナムへ本格的な軍事介入を始める前であり、ベトナム戦争については触れていない。 集会の姿勢が政府に対して弱すぎると感じたマルコムXは「ワシントンの茶番劇」と批判したが、翌年、公民権法が制定されているわけで、歴史的に大きな意味があったことは間違いないだろう。 その47年後、Foxニュースでショーの司会をしているグレン・ベックが同じ場所で集会を企画、数万人の参加者を集めた。前回の大統領選挙で共和党の副大統領候補に選ばれたサラー・ペイリンが名を連ねていることでもわかるように、目指している方向はキング牧師と正反対だと言える。いわば、キング牧師たちの理想にベックたちは挑戦しているのだが、それに反発する力は弱い。仕事も自由もなくしつつある現在のアメリカで、民主主義は瀕死の状態である。 ペイリンは知事の執務室にイスラエル国旗を飾っていた人物で、キリスト教原理主義の熱心な信者だということは前にも書いたことがある。必然的に彼女はイスラムを敵視している。 大統領選挙でペイリンはジョン・マケインとコンビを組んだ。つまりネオコンとキリスト教系カルトのコンビであり、狂信的な親イスラエル派だ。このふたりが万一、当選したならば、イラン攻撃へのハードルがバラク・オバマ政権より相当、低くなったことは間違いない。 そうした人脈がベックの集会を支えている。先日、ニューヨークではタクシー・ドライバーが「イスラム教徒だ」という理由から客に首などを切られているのだが、そうした出来事との関連性も考慮しておく必要がある。 ベックは庶民の声を代弁する形で銀行の救済を批判してみせるが、その一方で貧困層の救済にも反対する。所詮は口先だけで行動の伴わない「ガス抜き」にすぎない銀行批判とは違い、低所得者に対する攻撃はウォール街とタッグを組んでいて、金融機関が望む政策を実現するために有効だ。銀行批判は貧困層の切り捨てに合意させる「目眩まし」にすぎない。勿論、戦争に反対などはしない。「9/11」の真相究明などもってのほか、という態度だ。 差別発言を公然と行うこともベックが「人気」を獲得した秘密のようだ。フラストレーションが溜まると弱い者いじめを始める子供と同じように、アメリカのおとなも弱い者いじめをしたがっていると言える。演技なのか本音なのかは知らないが、少なくとも結果として、ベックは「型破りを演じる体制派」にすぎない。要するに、一時期のビートたけしと似ている。